冒険者としくじり
――しくじった。
落とし穴の下で、ラウラ・ペトラルカは体を震わせた。生きてはいるが、骨がいくつか折れていてもおかしくない。右足は動かず、肋骨のあるあたりに痛みがある。
太陽の光が近いはずなのに、途方もなく遠くに感じられる。
「う、ぐぅ……」
激痛で目に涙が浮かぶ。それでも体を動かす。厳選した物を入れた荷物袋を近くに引き寄せ、中身を急いで引き出す。
体力が奪われ、痛みがじわじわと精神を犯していく前にやるべきことがある。
隠れ蓑を取り出して、できる限り自分に被せる。土色に似せた布だ。人間が直視するとすぐにばれるが、似た色の地面に伏せるときや視力の悪い魔物など使い所を考えれば有用だ。
落とし穴の底は暗い。
仕掛けた
荷物の残りは最低限の携帯食料と非常時の回復ポーション。薬草採取に出ていたので、薬草も食料にはできる。荷物とは別のかごで、近くに転がっている。
どれもただの延命の手段でしかない。いずれ餓死するだろう。ある程度回復したら自力で這い上がるしかない。
どれだけ痛みを伴っても。
○●○●
「レニーくんってさ」
「うん」
「怒るの?」
「……は?」
フリジットと向かい合っていたレニーは、眉をひそめる。フリジットは腰に手を当てて、人差し指を立てる。
「怒った姿見たことないなって」
「ルミナとかもそうだろ」
フリジットは満面の笑みを浮かべた。
「君にめっちゃ怒ってたよ」
「何したら怒るのかなって」
「うーん」
フリジットの言う怒るは内心で収めるものではないだろう。怒りを抱くのとキレるでは意味合いが違う。以前ヤタの国で怒りをぶつけたことはあるが、感情を誇張しただけで本当の意味合いで怒ったわけではない。
「――ん? 何をしたら?」
「ほら、気をつけないと。普段怒らない人が怒るとコワーイから」
両手をあげて脅す獣のマネをするフリジット。可愛らしいしぐさだが、実際は獣よりも恐ろしい強さを持つ冒険者であったと考えると、あまり洒落にはならない。
「うーん……暴慢なやつらがラインを越えてきたら」
「曖昧だなぁ。身近な人に怒るとかは」
「ほぼないんじゃないかな。ラインを越えてこない限り」
「ラインって何よ〜」
頬を膨らませて、フリジットが不満げに言う。
「曖昧なんですけど」
「まぁ。そうだね。どこがラインか、オレにもわからないから」
誰しも持っているであろう、他人には踏み込んでほしくはない心情、領域。レニーは自身も把握していない。
不遜な輩に怒りを抱くことはあるが、解消されるのも早い。
激怒するほどではない。
「苦手なものは?」
「虫の生食とか」
「あー」
苦笑いを返される。
「怖いものは」
「ドラゴン」
レッドロードという苦い記憶は呑み込んでおく。フリジットはジトッとした目でレニーを見た。
「――なんか、もっと人間味を感じるものない?」
つまらなそうにフリジットが言う。
「いやオレ人間だけど」
「なんていうか、冒険者っていうか」
「冒険者だしね」
人生の大半が冒険者なのだ。好き嫌いも冒険者生活で出てくる。
「まぁ、本当に怒るとしたら冒険者関連なんじゃないかな。日常と変わらないし」
なんとなくでレニーは答えを出した。
○●○●
人ではない、獣に近い息遣いを感じて、隠れ蓑を頭からかぶる。何かまではわからない。ラウラにとっては、今の状況においてどんな魔物であろうと脅威だ。
時間、魔物、人……全てが死神となる。
泥水をすすってでも生き残って帰りたい。
ラウラは恐怖を必死に抑えながら、祈りを捧げる。
なるべく土を被った。においも抑えられているはずだ。
「ふぅ……はひっ……はふっ」
口で呼吸をする。なんとか空気を取り込んで口元を抑える。
幸いにも夜だ。影が濃くなればそれだけ隠れ蓑も機能する。
(いなくなれ、いなくなれ。いなくなれいなくなれいなくなれ……)
何度も願う。ラウラにできることは己の内にある恐怖と戦うことと、神に願うこと、それだけだ。
やがて物音がし、月の光が遮られる。どうやら落とし穴を再度作り直したらしい。
足音が遠ざかり、ラウラは安堵の息を漏らす。そして激痛でしかめた。
隠れ蓑に感謝しながら、痛みに意識を手放す。
ひとまず体を動かせるようにならなければ。