植えたら生えた。~「魔物農業」を編み出した俺の成り上がり~ 作:九泉
手当てが必要なのは、見れば分かった。
問題は、誰がやるかだ。
「鎧が邪魔だな。外すぞ」
エルディグラの肩当てに手をかけたところで、鋭い声が飛んだ。
「触るな、無礼者ッ!」
「ルースはいいから!」
背後からリナに襟首を掴まれ、ずるずると引き離された。
「何がまずい。傷口を見ないと手当てできないだろう」
「だから私がやるの! 女の人の鎧を、男の人が脱がせちゃだめなの!」
「苗の手入れだぞ」
「苗じゃなくて、女の人!」
そこは譲れないらしい。
エルディグラは、リナの顔をじっと見ていた。警戒を解いてはいない。ただ、リナが差し出した濡れ布と、その恐る恐るの手つきを見比べて、やがて小さく息を吐いた。
「……娘。名は」
「り、リナです」
「リナ。……頼む」
意外と素直なのは、いいことだ。
運び込み先は、リナの宿屋になった。
「うち、部屋なら余ってるから」
そう言ったリナの顔が少しだけ寂しそうだったのは、気のせいではないと思う。領内唯一の宿屋の客室は、いつ見ても空いている。
「宿代は、ルースのツケね」
「ツケ?」
「男爵家のツケ」
うちの家計が、また一つ苦しくなった。
俺は宿屋の戸口で待たされた。
精鋭たちも、どういうわけか全員ついてきていた。宿の前に十匹が整列している光景は、客を寄せるにはいささか迫力がありすぎる。窓の隙間から、ゲルゴブリンがちらちらと中を覗いていた。心配そうな顔をしているが、おそらく気のせいだ。
傷の手当てといえば、接ぎ木の切り口に薬を塗るのと同じ理屈だろう。そう思って、近所の農家のおっさんに聞きに行った。
「傷にはヨモギだな。揉んで貼っとけ」
「人にも効きますか」
「何にでも効く」
おっさんは、誰の傷かも聞かなかった。実に頼もしい。
摘んだヨモギを持ち帰ると、ちょうどリナが宿から出てきたところだった。額に汗が浮いている。
「終わったよ。傷は全部洗って、布を巻いた。……あの人、血が青かった」
「知っている」
「怖くないの?」
「赤でも青でも、血は血だろう」
リナは何か言いたそうな顔をしたあと、「そっか」とだけ言って、ヨモギを受け取ってくれた。
◆
その後の三日間、エルディグラと名乗った女はほとんど眠っていた。
俺は朝夕、様子を見に宿屋へ足を運んだ。戸口から覗くたびに、リナに追い返された。畑に戻れば、精鋭たちが整列して待っている。いつも通りの日常だった。
ただ、領内の空気は少しだけ変わっていた。
宿屋に「角のある女の人が泊まっている」という噂は、一日で端から端まで回ったらしい。といっても、うちの領地は端から端まで歩いて半日なので、大した距離ではない。
野良仕事の合間に、おっさんたちが宿屋の前を通りがかる。わざわざ遠回りをして。窓を見上げて、「へえ」と言って、帰っていく。
騒ぎにはならなかった。珍しい旅人が来た、くらいの扱いである。うちの領民は、たいがいのことには動じない。
二日目の夕方には、リナから報告があった。
「熱は下がったよ。寝言も言ってた」
「何と」
「よく聞き取れなかったけど……誰かの名前を呼んでたみたい」
それ以上は、リナも言わなかった。俺も聞かなかった。
そして四日目の朝、リナが宿から飛び出してきた。
「ルース、あの人、目を覚ましたよ! お粥も食べた!」
「そうか」
「しかも、三杯おかわりした」
「四杯だ」
戸口の奥から、低い声が聞こえた。
エルディグラは、寝台の上で背筋を伸ばして座っていた。髪は梳かされ、鎧の代わりにリナのお古の寝間着を着ている。肩から胸が窮屈そうだ。顔色も、森で見たときとは別人のようによくなっていた。
「……腹が減っていたのだ」
「よく食べるのはいいことだ。回復が早い」
「貴様に褒められても嬉しくない」
空の椀が、寝台の脇に五つ積んである。底まで綺麗に空だった。米粒ひとつ残っていない。育ちの良さが窺える食べ方だ。
ひとしきり睨まれたあと、エルディグラは居住まいを正した。
「手当ての礼は言う。リナにも、そう伝えた。……だが、まだ貴様の話は終わっていない」
「何の話だ」
「我を埋めた件だ」
まだ根に持っているらしい。
「魔物かもしれないと思った。角があるし、肌も青い。畑で増えるなら、増やしてみたかった」
「増やすな! ……いや、待て。貴様、我を魔物と呼んでいるが」
エルディグラが、額を押さえた。
「我は魔物ではない。魔族だ」
「まぞく?」
「そうだ。魔族の王、すなわち魔王。貴様は魔物と魔族の違いも分からんのか」
違い、と言われても、分からないものは分からない。
ちらりとリナを見る。リナは、盆を持ったまま首を傾げていた。
「……私も、角のある人としか」
エルディグラの動きが、ぴたりと止まった。
俺の顔を見て、リナの顔を見て、また俺の顔を見る。何かを探すように。
「……娘。まさか貴様も、知らぬのか。魔王も、魔王軍も」
「えっと、まおう、ぐん? 軍っていうと、王様の兵隊さんのことですよね」
「それは、そうだが」
「村長さんにも聞いてみたんです。『まおう』って聞いたことありますかって。首をかしげてました。おじさんには『立派な角だな、いい笛になりそうだ』って言われました」
「笛……」
リナが、悪気のない顔で付け加える。
「魔物の偉い人、なんですよね? 魔物にも、村長さんみたいな人がいるのかなって」
エルディグラは、何も言わなかった。
窓の外に目をやる。荒れ地と、その向こうに広がる森。見渡す限り、何もない。
「……そうか」
小さな声だった。
「我が名の届かぬ地が、まだあったか」
怒っているのでも、嘆いているのでもない。ただ、遠い景色を眺めるような横顔だった。
……なんだか気まずい。俺は話を戻すことにした。
「結局、魔族とは何なんだ」
エルディグラは、少しだけ迷ってから口を開いた。
「魔物は、マナの澱みから湧く現象のようなものだ。腹も空かず、子も産まぬ。我ら魔族は違う。親から生まれ、飯を食い、眠り、傷を負えば血を流す」
「飯を、食う」
「粥を食った」
「五杯ね」
リナが、小声で合いの手を入れた。
頭のいい俺は、その瞬間に全てを理解した。
魔物は飯を食わない。こいつは食う。魔物と「魔族」という種族は違う。つまり。
「……増えないのか」
「増えるかッ!!」
寝台が、びりびりと揺れた。
「親から生まれる者が、土に埋まって増えるか! あのまま放っておけば、我は死んでいたぞ!」
「自分で勝手に出てきただろう」
「そういう問題ではない!」
そうか。
そうなのか。
俺は、その場にゆっくりと膝をついた。
魔物かもしれないという仮説が、ここで完全に崩れた。つまり、この数日の手当ても、宿代のツケも、全部、苗にならない相手への投資だったということになる。
それに――角の生えた美人が畑で増えるという、密かな期待も、今この瞬間に潰えた。
「……すごく落ち込んでる。珍しい」
「気のせいだ」
リナは疑わしげな目をしていたが、それ以上は聞いてこなかった。
エルディグラは、そんな俺をしばらく眺めていた。やがて、ふいに視線を戻した。
「それにしても、貴様」
声の調子が、少し変わっていた。
「あの小鬼どもは、何だ」
「ゴブリンか?」
「貴様が睨んだだけで、一匹残らず動きを止めた。魔物使いの技とも思えぬ。そもそも貴様、魔力の気配が一つもないではないか」
「ゼロだ。昔、測ってもらった」
「ゼロ……? 魔物を従える者が……?」
エルディグラは、こめかみを揉んだ。理解が追いつかないときの、リナと同じ仕草だった。
そうか。こいつは、あの場面も見ていたのか。
説明するより、見せた方が早い。
「ついて来い。畑を見せてやる」
「畑……」
エルディグラの顔が、微かに強張った。
「あ、見せるんだ……」
リナの呟きが、背後から聞こえた。