植えたら生えた。~「魔物農業」を編み出した俺の成り上がり~   作:九泉

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第12話 魔物と魔族

 手当てが必要なのは、見れば分かった。

 

 問題は、誰がやるかだ。

 

「鎧が邪魔だな。外すぞ」

 

 エルディグラの肩当てに手をかけたところで、鋭い声が飛んだ。

 

「触るな、無礼者ッ!」

 

「ルースはいいから!」

 

 背後からリナに襟首を掴まれ、ずるずると引き離された。

 

「何がまずい。傷口を見ないと手当てできないだろう」

 

「だから私がやるの! 女の人の鎧を、男の人が脱がせちゃだめなの!」

 

「苗の手入れだぞ」

 

「苗じゃなくて、女の人!」

 

 そこは譲れないらしい。

 

 エルディグラは、リナの顔をじっと見ていた。警戒を解いてはいない。ただ、リナが差し出した濡れ布と、その恐る恐るの手つきを見比べて、やがて小さく息を吐いた。

 

「……娘。名は」

 

「り、リナです」

 

「リナ。……頼む」

 

 意外と素直なのは、いいことだ。

 

 運び込み先は、リナの宿屋になった。

 

「うち、部屋なら余ってるから」

 

 そう言ったリナの顔が少しだけ寂しそうだったのは、気のせいではないと思う。領内唯一の宿屋の客室は、いつ見ても空いている。

 

「宿代は、ルースのツケね」

 

「ツケ?」

 

「男爵家のツケ」

 

 うちの家計が、また一つ苦しくなった。

 

 

 俺は宿屋の戸口で待たされた。

 

 精鋭たちも、どういうわけか全員ついてきていた。宿の前に十匹が整列している光景は、客を寄せるにはいささか迫力がありすぎる。窓の隙間から、ゲルゴブリンがちらちらと中を覗いていた。心配そうな顔をしているが、おそらく気のせいだ。

 

 傷の手当てといえば、接ぎ木の切り口に薬を塗るのと同じ理屈だろう。そう思って、近所の農家のおっさんに聞きに行った。

 

「傷にはヨモギだな。揉んで貼っとけ」

 

「人にも効きますか」

 

「何にでも効く」

 

 おっさんは、誰の傷かも聞かなかった。実に頼もしい。

 

 摘んだヨモギを持ち帰ると、ちょうどリナが宿から出てきたところだった。額に汗が浮いている。

 

「終わったよ。傷は全部洗って、布を巻いた。……あの人、血が青かった」

 

「知っている」

 

「怖くないの?」

 

「赤でも青でも、血は血だろう」

 

 リナは何か言いたそうな顔をしたあと、「そっか」とだけ言って、ヨモギを受け取ってくれた。

 

 

  ◆

 

 

 その後の三日間、エルディグラと名乗った女はほとんど眠っていた。

 

 俺は朝夕、様子を見に宿屋へ足を運んだ。戸口から覗くたびに、リナに追い返された。畑に戻れば、精鋭たちが整列して待っている。いつも通りの日常だった。

 

 ただ、領内の空気は少しだけ変わっていた。

 

 宿屋に「角のある女の人が泊まっている」という噂は、一日で端から端まで回ったらしい。といっても、うちの領地は端から端まで歩いて半日なので、大した距離ではない。

 

 野良仕事の合間に、おっさんたちが宿屋の前を通りがかる。わざわざ遠回りをして。窓を見上げて、「へえ」と言って、帰っていく。

 

 騒ぎにはならなかった。珍しい旅人が来た、くらいの扱いである。うちの領民は、たいがいのことには動じない。

 

 二日目の夕方には、リナから報告があった。

 

「熱は下がったよ。寝言も言ってた」

 

「何と」

 

「よく聞き取れなかったけど……誰かの名前を呼んでたみたい」

 

 それ以上は、リナも言わなかった。俺も聞かなかった。

 

 

 そして四日目の朝、リナが宿から飛び出してきた。

 

「ルース、あの人、目を覚ましたよ! お粥も食べた!」

 

「そうか」

 

「しかも、三杯おかわりした」

 

「四杯だ」

 

 戸口の奥から、低い声が聞こえた。

 

 エルディグラは、寝台の上で背筋を伸ばして座っていた。髪は梳かされ、鎧の代わりにリナのお古の寝間着を着ている。肩から胸が窮屈そうだ。顔色も、森で見たときとは別人のようによくなっていた。

 

「……腹が減っていたのだ」

 

「よく食べるのはいいことだ。回復が早い」

 

「貴様に褒められても嬉しくない」

 

 空の椀が、寝台の脇に五つ積んである。底まで綺麗に空だった。米粒ひとつ残っていない。育ちの良さが窺える食べ方だ。

 

 ひとしきり睨まれたあと、エルディグラは居住まいを正した。

 

「手当ての礼は言う。リナにも、そう伝えた。……だが、まだ貴様の話は終わっていない」

 

「何の話だ」

 

「我を埋めた件だ」

 

 まだ根に持っているらしい。

 

「魔物かもしれないと思った。角があるし、肌も青い。畑で増えるなら、増やしてみたかった」

 

「増やすな! ……いや、待て。貴様、我を魔物と呼んでいるが」

 

 エルディグラが、額を押さえた。

 

「我は魔物ではない。魔族だ」

 

「まぞく?」

 

「そうだ。魔族の王、すなわち魔王。貴様は魔物と魔族の違いも分からんのか」

 

 違い、と言われても、分からないものは分からない。

 

 ちらりとリナを見る。リナは、盆を持ったまま首を傾げていた。

 

「……私も、角のある人としか」

 

 エルディグラの動きが、ぴたりと止まった。

 

 俺の顔を見て、リナの顔を見て、また俺の顔を見る。何かを探すように。

 

「……娘。まさか貴様も、知らぬのか。魔王も、魔王軍も」

 

「えっと、まおう、ぐん? 軍っていうと、王様の兵隊さんのことですよね」

 

「それは、そうだが」

 

「村長さんにも聞いてみたんです。『まおう』って聞いたことありますかって。首をかしげてました。おじさんには『立派な角だな、いい笛になりそうだ』って言われました」

 

「笛……」

 

 リナが、悪気のない顔で付け加える。

 

「魔物の偉い人、なんですよね? 魔物にも、村長さんみたいな人がいるのかなって」

 

 エルディグラは、何も言わなかった。

 

 窓の外に目をやる。荒れ地と、その向こうに広がる森。見渡す限り、何もない。

 

「……そうか」

 

 小さな声だった。

 

「我が名の届かぬ地が、まだあったか」

 

 怒っているのでも、嘆いているのでもない。ただ、遠い景色を眺めるような横顔だった。

 

 ……なんだか気まずい。俺は話を戻すことにした。

 

「結局、魔族とは何なんだ」

 

 エルディグラは、少しだけ迷ってから口を開いた。

 

「魔物は、マナの澱みから湧く現象のようなものだ。腹も空かず、子も産まぬ。我ら魔族は違う。親から生まれ、飯を食い、眠り、傷を負えば血を流す」

 

「飯を、食う」

 

「粥を食った」

 

「五杯ね」

 

 リナが、小声で合いの手を入れた。

 

 頭のいい俺は、その瞬間に全てを理解した。

 

 魔物は飯を食わない。こいつは食う。魔物と「魔族」という種族は違う。つまり。

 

「……増えないのか」

 

「増えるかッ!!」

 

 寝台が、びりびりと揺れた。

 

「親から生まれる者が、土に埋まって増えるか! あのまま放っておけば、我は死んでいたぞ!」

 

「自分で勝手に出てきただろう」

 

「そういう問題ではない!」

 

 そうか。

 

 そうなのか。

 

 俺は、その場にゆっくりと膝をついた。

 

 魔物かもしれないという仮説が、ここで完全に崩れた。つまり、この数日の手当ても、宿代のツケも、全部、苗にならない相手への投資だったということになる。

 

 それに――角の生えた美人が畑で増えるという、密かな期待も、今この瞬間に潰えた。

 

「……すごく落ち込んでる。珍しい」

 

「気のせいだ」

 

 リナは疑わしげな目をしていたが、それ以上は聞いてこなかった。

 

 エルディグラは、そんな俺をしばらく眺めていた。やがて、ふいに視線を戻した。

 

「それにしても、貴様」

 

 声の調子が、少し変わっていた。

 

「あの小鬼どもは、何だ」

 

「ゴブリンか?」

 

「貴様が睨んだだけで、一匹残らず動きを止めた。魔物使いの技とも思えぬ。そもそも貴様、魔力の気配が一つもないではないか」

 

「ゼロだ。昔、測ってもらった」

 

「ゼロ……? 魔物を従える者が……?」

 

 エルディグラは、こめかみを揉んだ。理解が追いつかないときの、リナと同じ仕草だった。

 

 そうか。こいつは、あの場面も見ていたのか。

 

 説明するより、見せた方が早い。

 

「ついて来い。畑を見せてやる」

 

「畑……」

 

 エルディグラの顔が、微かに強張った。

 

「あ、見せるんだ……」

 

 リナの呟きが、背後から聞こえた。

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