植えたら生えた。~「魔物農業」を編み出した俺の成り上がり~ 作:九泉
エルディグラは、しばらく頭を抱えていた。
やがて、深く息を吐いて顔を上げた。さっきまでの取り乱しようが嘘のように、背筋が伸びている。
「……先ほどの言葉遣いは、忘れろ」
「何のことだ」
「忘れろと言っている」
よく分からないが、本人がそう言うなら忘れよう。好きな色の話を蒸し返さないほうがよさそうだ、ということだけは覚えておく。
「ほかに見たいところはあるか。まだ納屋の裏に、荷車置き場があるが」
「いや、いい。もう十分だ……」
言いかけて、エルディグラの言葉が止まった。
視線が、畑の縁の生垣に留まっている。さっき目で追われていた、一番手前のゴブリンだ。
彼女は、ゆっくりと、そのゴブリンに歩み寄った。
ゴブリンは、動かなかった。畑の主が睨んでいない間も、ぴしっと背を伸ばしたまま、じっとエルディグラを見上げている。
エルディグラは、その顔を覗き込んだ。長いこと、無言で見つめていた。
「……待て」
低い声だった。
隣の生垣、その隣、さらに隣と、順に覗き込んでいく。足取りが、少しずつ速くなる。畑の中へ踏み入りそうになったので、足元の畝を指して止めた。
「踏むな。苗が傷む」
「……ああ。済まぬ」
素直に謝られた。調子が狂う。
エルディグラは、畝の際で膝を折って、小さなゴブリンの目を、真正面からじっと見た。
「濁りがない……」
「濁り?」
「瞳が澄んでいるのだ。何にも染まっておらぬ。……そんな馬鹿な」
誰に言うでもなく、彼女は呟き続けた。
「発生した魔物の瞳は、日が経つほど濁る。野に在るものは例外なく、邪気を吸って、悪意を宿す。我が軍の魔物は、誕生して間もないうちに我が縛りを施していたゆえ、染まらずに済んだのだ。だが、これらは……縛りの痕跡も、ない。なのに、なぜ」
エルディグラはもう一度、畑全体を見渡した。
整然と並んだ畝。そこに生える数え切れない緑の頭。生垣。杭の向こうで震える青い塊。精鋭たちは、いつの間にか俺の後ろに十匹揃って整列していた。ゲルゴブが先頭で、ゴブタウロスが最後尾だ。
「……ルース」
初めて、名前を呼ばれた。
「何だ」
「これらは、苗だと、作物だと言ったな?」
やっとわかってくれたのか……! 俺は嬉しくなった。
「ああ、そのとおりだ!」
「……売るのか?」
俺は、ほんの一瞬、固まった。
ずっと、答えが出ずにいた問いだった。増やしてどうするのか。誰が欲しがるのか。奴隷商は却下、見世物も却下、出荷しても食えない。傭兵として貸し出す話も、営業先が分からないまま、棚に上げたままだった。
「……買い手がつくなら」
声が、わずかに上ずった気がする。落ち着け。
「条件は」
「こちらの台詞だ」
エルディグラは、小さく笑った。笑った顔を見たのは、初めてだった。
「我は、軍を興し直す。そのために、従順な魔物が要る。邪気に染まる前の。……だが、我の縛りは今、封じられていてな」
「軍」
「そうだ」
「傭兵ということか」
「傭兵、とは違うが……まあ、似たようなものだ」
それから、何もない空間に、右手を差し入れた。
手首から先が、すっと消えた。
「えっ」
引き抜かれた手には、拳ほどもある赤い宝石が握られていた。
朝日を受けて、石の中心から、深い血の色の光が滲み出している。
リナが、ひゅっと喉を鳴らした。
「これは手付けだ。正確な値は、我もこの地の相場を知らぬゆえ、そちらで確かめるがいい。足りぬなら言え。まだ、ある」
俺は、宝石を受け取った。ずしりと重い。
そして、考えた。
親父の借金は、確か、金貨にして……いや、細かい額は知らない。あとで聞こう。だが、少なくとも、この石一つで、うちの家計がしばらく一息つけることは、素人の目にも分かった。
「ルース、顔が怖い」
「気のせいだ」
「すごく怖い。獲物を見る顔してる」
「気のせいだ」
エルディグラが、どの程度の数を必要としているのか把握する必要がある。
そして、できるなら継続的に出荷できることが望ましい。俺は慎重に口を開いた。
「……具体的に、いくつ必要だ」
エルディグラは、少し考えるように宙を見て、答えた。
「幾らでも。お前が収穫できる限り。それから、先程の手付けとは別に、一体につき金貨一枚を支払おう。珍しい魔物や強力な魔物なら更に追加する」
「……」
頭の中で、勘定が弾かれた。
ゴブリンは、一株から二匹弱が生える。畑には、すでに、数え切れないほどの株がある。植え足せば、さらに増える。肥料は不要。飯も不要。水すら、たまにやるだけでいい。
それに、金貨一枚。農業の収益率として、桁がおかしい。
俺は、黙って宝石をリナに預けた。
「リナ、預かっておいてくれ」
「えっ、私が!? こんなの持ってられないよ!」
「頼んだ。無くさないでくれ」
「いや、だから……! ああもう!」
リナが、両手で石を抱えて、青い顔のまま一歩下がる。いい女だ。やはり嫁に来てほしい。
「条件がある」
俺は、エルディグラに向き直った。
「こいつらは売らない」
背後の精鋭たちを、顎で指す。
「売るのは、畑で増やした動かない分と、これから生える分だ。精鋭は、俺の手駒だ。売り物じゃない」
「……構わぬ。まずは、数だ」
「契約成立か」
「待て。こちらからも条件がある」
エルディグラは、指を一本、立てた。
「ゴブリンだけでは軍にならぬ。足りぬのだ。もっと、ほかの魔物が要る」
「ほかの魔物」
「牙のあるもの。硬いもの。空を飛ぶもの。水に棲むもの。……できる限り、数多く、様々な種を」
彼女は、真剣な目で、そう言った。
俺は、少し黙った。
それから、手を打った。
「つまり、いろんな作物を育てろってことだな」
「……いや、まあ、そう言えなくも……」
「農業だからな」
「どうなっておるのだ、この男の頭は」
「……もう、ずっとこうなんです」
リナが、宝石を抱えたまま、遠い目をして答えた。
話は、まとまった。
やることは、決まった。ゴブリンを増やして売る。それと並行して、種を増やす。そのためには、森のもっと奥や、まだ見ぬ土地へ出向く必要があるだろう。ビッグボアで終わりではない。次の苗を、探しに行かねばならない。
魔物使いと農業が、ここで、ひとつに繋がった気がした。
「あの、さ」
リナが、おずおずと切り出した。
「男爵家のツケが、結構たまってるんだけど……っと!?」
エルディグラがなにかをリナへと放り投げた。
革袋だ。ずしりとした重さが見るだけで伝わってくる。
「これは……っ! 金貨!? こ、こんなに!?」
「ひとまずそこから引いておけ」
エルディグラが、鷹揚に言った。
「前金とは別に、納品のたびに差し引くがいい。我が居る間の食い扶持も、そこから払う」
「あ、ありがとうございます! 助かります!」
リナの顔が、ぱっと明るくなった。ツケが解消する見込みが立ったからだけではないと思う。やはり、客がいるのは嬉しいらしい。
ん……? 「納品のたびに」とはつまり、俺の収益もリナが管理するということか?
……なし崩し的にそうなってしまったようだが、まあ、いいか。リナなら信用できる。
ゴブタウロスが、ぶるんと鼻を鳴らした。
エルディグラは、その音にびくりと肩を震わせた。
「……慣れる。慣れてみせる」
小さな声で、自分に言い聞かせていた。
俺は、畑を見渡した。
緑の頭が、風に揺れている。青い塊が、嬉しそうに震えている。
出荷先が、決まった。
夢の第一歩としては、悪くない収穫だった。