蓬莱山家に産まれた   作:お腹減った

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北条時行をどうしたもんか。とりあえず建武の新政や南北朝時代。元弘の乱
道鏡は名だけで。平将門を出し終え、日本三大悪人の最後の一人である源氏の足利高氏
あと室町幕府の三代将軍 足利義満の扱いについては今回の地の文と凄く長いけど後書きで

それ以前に今の天皇は弘文天皇です。暫くは弘文天皇のままで進めるので、そもそもの事の発端者である後醍醐天皇ではない以上、建武の新政や南北朝時代、元弘の乱は起きません。日本三大悪人最後の一人足利高氏の細かい事は後書きに書いときます

だから別の事を前書きで

布都は物部のままで神長官にするかもしれませんが、ここでの物部守屋は守矢氏の神長官です。
守矢、守屋は物部氏なのでニギハヤヒの神裔であって洩矢神の神裔ではありません。
序でに書きますが、弘天は諏訪国に住むある女性に手を出してます。手を出したといっても永琳、藍、はたて、椛のように明確な描写はありません。ただ手を出したキャラは東方キャラかオリキャラなのか、一人の女性なのか複数の女性なのか、神なのか妖怪なのか人間なのかは言及を控えます。
それで産まれた子達が諏訪氏と諏訪神党達と風祝。つまり諏訪氏と諏訪神党、風祝は弘天の氏子、神氏になります。裏設定みたいな感じ。風祝は藍が産みましたが諏訪氏と諏訪神党達を産んでいませんし、風祝を産んだ藍は巫女であっても風祝ではないです。
弘天が藍、はたて、椛に手を出したのは確実ですが、はたてと椛、藍も諏訪氏、諏訪神党とは無関係。


À la recherche du temps perdu
風祝


ある外国人は言った

 

『日本人はイッちゃってるよ あいつら未来に生きてんな』

 

未来はともかく、イッちゃってる部分に関しては全く以てその通りである。日本神話の国産み、イザナギとイザナミの性行為で大八島が産まれたんだから。

神話ってのは多く存在するせいか所々似ている部分が結構ある。しかし兄妹の性行為で国を産むなんて神話は。沖縄、琉球神話のアマミキヨでも、北海道、アイヌ神話のカムイでも、外国の神話でもないぞ。特に琉球神話は日本神話と似ている部分が多いというのにそんな神話がない

まあ数が少なかった古来の人間にとって子孫繁栄の性行為はとても大事な行為だっただろう。

生物の目的は主に生きる事、後は子孫を残す事にあるのだから

 

「お帰りなさい弘様」

 

「ああ、華扇か。ただいま。なんだこの状況は」

 

俺は複数ある平将門の妻 桔梗伝説 を使い、平将門の件を終え、スキマを通って戦場ヶ原に来たのはいいが、辺りにいる多くの人型や、巨大な妖蟲達が地面に突っ伏して気絶してる。

妖怪達は基本的に自由奔放に生きている。ある人間も、束縛よりも自由を求める。だが人間として産まれ、生きている以上、法に、ロゴスに、慣習に、脳に、胃に、体に、道徳に、価値観に、文化に束縛され支配される。ならば今挙げたものを無くせば自由になれるかと思ったら大間違いだ。

世界に自由も、ましてや、入り口に出口、内側も外側もないんだからな。産まれた以上、無理だ。では死ねば全て解放されると思うのも大間違い。

 

「一言で言えば幽香ですね」

 

華扇は茨模様をあしらった一升枡に入っている鬼ころしを立ちながら飲みつつ言う。その一言で把握した。実に分かりやすい。スキマの隣にいた華扇に顔を向けたら華扇の顔がほんのり赤かった。鬼ころしを飲むと鬼は酔うように永琳と作ったから当然だ。

幽香が極太光線を連射したせいか、戦場ヶ原は所々焼け焦げ、地面は抉れ、一部はだいだらぼっちや小型隕石が落ちたような跡が出来ている。まあ実際にだいだらぼっちが落ちたら確実に地震が起きるし、小型とは言え、隕石が衝突したらもっと酷い。

隕石と言えば、一つ思い出した。大昔、レミリアの紅魔館に隕石が堕ちて来たが、フランの能力で隕石を破壊した出来事。

 

「それでリグルらしい少女を捕らえて縄で縛っているんですけど。気絶していて、今は幽香がリグルを監視しているので問題はないと思います」

 

把握した。リグルは幽香と一緒にいるようだ。妖蟲達は弱くはないんだが、元は蟲だったからか知能は低い。そこで妖蟲達を配下にして扱うには、リグルとリグルの能力がどうしても必要だったので、どうしてもリグルは欲しかった。

なにせ、人間を一番殺している生き物はあの 蚊 だから。正確に言えば蚊が媒介する病気のせいで死ぬのが正しいな。

 

「分かった。ありがとな華扇、迷惑かける」

 

「いいえ。萃香と勇儀は好き勝手に動きますが、これでも私達は弘様に仕えている身ですから」

 

そうだった。萃香、勇儀、華扇って仕えてるんだったな。永琳と同じ正妻にしてたから忘れてた。最初はいつも萃香達だったか。妖怪を本格的に妻に娶るため動き、鬼ころしを作り妖怪を諏訪国に仕えさせた始まり。

右手を挙げると華扇はそれに察し、華扇も右手に持っていた升を左手に持ち替えてから、右手を使ってハイタッチ。いい音が響いた。華扇の右手とハイタッチか。

包帯に包まれていない華扇の綺麗な右手から右肩までを見つめていたら、華扇は右腕に視線を向けて照れ始めた。

 

1+1が2になるとは限らない、1+1=2になるのはあくまで数学や認知学の範囲だ。人間が定義付け決めた言葉だ、数だ、個だ、量だ、値だ、基数だ、番号だ。

月人の大人達は子供だった俺達に教育を施した事は、善だったとか、悪だったとか、悪い事だったとか、良い事だったとか。そんな事はどうでもいいんだ。言葉なんてのは意思疎通する為、ただの媒介や比喩表現に過ぎん。神が言葉に囚われるのは駄目だ、神が単語の定義に縛られるのも駄目だ、人間が見えない言葉の意味を見続けて見出そうとするのも駄目だ。

 

「わ、私の右腕がどうかしましたか?」

 

「いや。大した理由じゃない」

 

華扇の左手に持っていた升を奪い取り、鬼ころしを喉に流しこむ。最近飲んでなかったから懐かしい味だ。あの時は萃香、勇儀、華扇を諏訪国へ引き込むために飲み比べした。

勝手に鬼ころしを飲んだ際、華扇がなさけない声を出したがどうやらこれが最後だったらしい。仕方ないので魔方陣から諏訪国にある鬼ころしを樽ごと転移させて華扇に渡し、幽香の所に行こうとしたらいきなり誰かに左肩から右肩へと腕を回される。鬼ころし臭い。

 

「今は秋だから春以来だね、久しぶりじゃないか弘。私に会えなくて寂しかったかい」

 

「まあ寂しかったな」

 

「いいねいいね、正直者は好きだ。私も会えなくて寂しかったよ。萃香と華扇もね」

 

勇儀は杯にある鬼ころしを飲んで、赤顔で言った。華扇はそれを見て微笑んでいる。俺の肩に回していた右腕に力が入り、ぐいっと勇儀の顔に近づけられお互いの目が重なり合う。鬼ころしを飲んでるからか、勇儀が赤顔なのはなんかエロい。

 

鎌倉時代で神仏分離をするが。本来なら国家神道、天皇を日本の象徴、精神的中核天皇国家神道化にするため明治時代に大教宣布を発して神仏分離され、寺を破壊する廃仏毀釈が起きる。

それは江戸時代の国学者たちによって提唱された復古神道や、江戸時代の本居宣長や賀茂真淵

特に 平田篤胤 の影響も大きいだろうが、その思想は平安時代や鎌倉時代から既に形成されていた。平安時代の延喜・天暦の治 と鎌倉時代中期に起きた 弘安の役 の 神風 がそうだ。

延喜・天暦の治は明治維新や明治以降の皇国史観に影響を与え、そして弘安の役でモンゴル人に

勝利したからこそ、日本は神国との意識が人間たちに生まれ。

それで鎌倉時代末期の伊勢の神宮 伊勢神道 が 弘安の役 の影響で出てくるし

江戸時代末期には神道系の幕末三大新宗教 天理教  黒住教 金光教 が生まれる。

この三つは江戸時代末期に出来た新宗教なので、宗教としてはまだ新しい。

 

要は、明治時代の神仏分離よりも、昔からその思想の土台が既に形成されていた訳だ。

即ち、神仏分離の思想が明治時代でいきなり出て来た訳ではない。鎌倉時代から神仏分離は始まっていた。神仏習合は伊勢の神宮、伊勢神道が色々困るだろうよ。

もう関係ない話だが本来の鎌倉時代中期には 反本地垂迹説 が出てくる。

次に神道の一流派、室町時代の 吉田兼倶 が唯一神道を唱えた。

他に 伯家神道 や江戸時代の 吉川神道 先代旧事本紀大成経を基盤とする 物部神道 とか

室町時代の天真正伝香取神道流もある。

 

長々と話したが。明治時代、明治政府の最大の汚点で失策とは、昔はエロ、性行為に寛容だった 日本人にした政策、一夫一妻制や

ローマ法、ユダヤ教、キリスト教みたいに西洋社会の純潔思想を導入した事であり、余計な思想を植え付けた事である。しかも西洋宗教の思想を。だが明治政府に全ての責任がある訳ではない。

 

ふはははは!! 実に滑稽じゃないか。宗教嫌いの日本人が西洋宗教の思想、純潔思想の影響を 潜在的で無意識に受けてるんだからな!

処女、純潔の象徴である真っ白のウェディングドレスなんかは正にそれだ!

その白色、ウェディングドレスのイメージが日本人の脳に刷り込まれている事が重要。笑える。

特に自分は宗教の影響を受けてないと思ってる奴が、宗教の影響を受けているのは本当に笑える。知らないのではなく、それに気付いてないというのが大事な話だ。

 

多くの日本人は白色を見たら善や正義、純潔が思い浮かぶだろう。白色とはゾロアスター教にとって光と善を象徴する神聖な色である。

だが神同様、その白色のイメージはいつ脳に刷り込まれ、植え付けられた。そのイメージが宗教の影響じゃないと言い切れるのか。

イスラム教では浮気、不倫した女をむち打ちや石投げの刑、最悪 処刑 したりする。これも純潔思想。イスラム教と言っても、イスラム教もキリスト教と同様、ユダヤ教から派生した宗教だが。

 

大体、人間という動物の性欲はかなり強く、しかも年中発情してる動物であり、年中発情出来る動物だ。

確かに古代の日本では原則的、あくまでも原則的にだが一夫一妻ではあった。とは言え豪族や貴族、天皇も多く娶ってた者が多くいたがな。ただし純潔思想はなかった。

それは 天智天皇 と 中臣 鎌足 がいい例だ。純潔思想が日本人に生まれたのはごく最近。

しかしなんて最悪な明治時代だ、俺は神だから関係ないが一夫一妻制ではなく一夫多妻制にしろ。

神仏分離よりそんな政策を導入した政府は滅びてしまえ! こんな事を人間が言ったら不敬罪にされてもおかしくないな。

 

「それでさ。弘に話があるんだ」

 

「うむ。任せた」

 

「ああ、任されたよ」

 

「あのですね弘様。ちゃんと話を聞いてから承諾してほしいです! 勇儀もちゃんと説明しなさい!」

 

即答で勇儀にGOサイン出したら華扇に怒られてしまった。何故だ。勇儀は仕方ないといった表情で、腕を俺の肩に回したまま説明する。

 

「実は萃香と揉めててね。内容はどちらが明神山、二荒山神社付近にいる百々目鬼と勝負するかって事なんだけどさ」

 

「また飲み比べ勝負すればいいだろ」

 

「でもね弘。肝心の鬼ころしがないんだ。力比べしようにも辺りは妖蟲達が気絶してるし」

 

辺りに霧が立ち込め、霧から萃香の声が聞こえた。萃香は鬼ころしが無いから出来ないといって未だに肩を組んで隣にいた勇儀もそれに同意する。飲み比べに負けた方は利根川の河童、禰々子を引き込みに行くようだ。ならばと魔方陣を展開して蔵にある鬼ころしを酒樽を転移させ、辺り一面に酒樽が出現される。酒樽が出て来たので不思議そうな顔をした勇儀は一瞬だけ考えたが、どうでもいいやと結論に到り、萃香も霧から人型に成って勇儀と一緒に酒樽を開け始め、酒飲み勝負が始まった。萃香達と一緒に来ていた西の妖怪も飲み比べ勝負を観戦しようと集まり、みんなどんちゃん騒ぎになる。まるでいつもの宴会だ。

華扇はその酒飲み勝負を懐かしそうに眺めていたが、俺は萃香と勇儀は潰れるだろうから華扇に頼んでおく事に決める。

 

「どうせ萃香と勇儀は鬼ころしで酔い潰れるだろう。悪いが華扇と雷獣、もしもの時は百々目鬼と禰々子を引き込む役目を頼む」

 

「はい、弘様。任せて下さい。その時は私と雷獣が絶対に百々目鬼、禰々子を引き込みます」

 

華扇は右手の拳を握りしめ、綺麗な歯を見せながら笑って応え、華扇の肩に乗っていた雷獣もそれに続くように鳴き声を出す。後は華扇と雷獣に任せようと幽香の所へ向かう事に。華扇とすれ違う最中に華扇の尻を撫でて何度か揉んでから幽香の元へ向かった。華扇の抗議の声が聞こえたが無視する。

 

宗教は文化でもあるが、道徳でもある。悪か正義か、良いか悪いかなんて時代で変わるし、それは神ではなく人間が決めた定義だが。ある人間が悪い存在として人間に見られ、多くの人間に悪と 認知された者が殺されるのは有り体に言えば勧善懲悪。イスラム教の思想だな。イスラム教はキリスト教と同じでユダヤ教から派生した宗教だ。

悪人正機は浄土真宗の思想。これも宗教の考え。日本人は宗教を嫌ってる癖に宗教の考えや道徳に影響されてるんだから、皮肉で滑稽で笑うしかない。

古代の人間だった人物を悪者として、妖怪の鬼や土蜘蛛に仕立て上げ、当時の政府である大和朝廷はいったい何を隠したかったんだろうか。大体の予想はつく。まあそれは予想で憶測で推測に過ぎない。

 

てか、人間の道徳は長い時間をかけ、宗教で培ってきたと言っても歴史的に見て過言ではない。

否定するならば神や地獄と天国の考えやイメージはいつ刷り込まれた。

地獄が悪い事をした人間が行く所、天国はいい事をした人間が行く所と、いつ、どこで、誰から脳に植え付けられ刷り込まれた。祖父か、祖母か、親か、兄弟か、姉妹か、他人か、先人の人間が作った物語の創作物か、誰に教わるでもなく物心ついた頃からか、最初から知っていたのか。どれかだとしても殆どの日本人は明確に覚えていないだろう。

それと同じなんだ。異国の宗教ゾロアスター教から始まって、仏教徒がその思想に影響されたから日本へその考えが伝播や伝来されたんだ。神や黄泉などの考えは日本にあったが天国と地獄の考えは日本が起源じゃない。

 

神道仏教、ゾロアスター教、マニ教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、オルペウス教などは昨日今日で出来た宗教ではないからな。ヒンドゥー教とともに現存する世界最古の体系的宗教、経典宗教のゾロアスター教だって1000年以上続いている。歴史があると言えば聞こえはいいが、聞こえがいいだけだ。

ゾロアスター教では、親、子、兄弟姉妹との近親婚を フヴァエトヴァダタ と呼びそれを最大の善徳としてる。つまり純血ばかりという事だな。今の日本では考えられんかもしれんが、実際古代の日本では蘇我氏が娘を天皇に嫁がせ、近親婚を累積させ天皇に蘇我氏の血を多く混入させて蘇我氏は外戚をしていた。まあそれを防ぐためゾロアスター教は外部の血を入れない為に近親婚のフヴァエトヴァダタをしていた、そう捉える事も出来る。宗教とは時にそういうものでもある。しかし蘇我氏の正体って、なんだろうな。

 

日本ではいただきます、ごちそうさまって言う。いただきますとごちそうさまは英語にはない言葉だ。他に食べ物で遊ぶなっていう者もいれば、茶道の面倒なマナーや、まだ使える物を捨てる時に勿体無いと考え、もったいないお化けが出ると。

神道の汎神論、アニミズムの考えを子供達に教え、脳に刷り込ませた人間もいる。

 

だがそれって、十分に立派な宗教行為だ。殆どの人間は無意識か、それに気づいていないか

分かってはいるが都合の悪い事は目を逸らしているだけか

人間の道徳を子供に教えているのであって宗教行為じゃないと言うのもいるが、詭弁だ。

都合の悪い事から便利な言葉を使い、笠に着ながら否定しているだけだ。

物は言いよう、嘘も方便か。ふははははは!! 笑える。

 

まるで神道の考えに近い食べ物で遊ぶなっていう人間の道徳は特にそうだ。昔の日本は食と水に飢えて大勢死に。死活問題が多かったからな。旱魃も日本ではよくあった事だ。平安時代の養和の飢饉、鎌倉時代の寛喜の飢饉だってあったし。俺が元凶で今の日本は飢饉問題を解決できていない。まあ今の征夷大将軍は坂上田村麻呂だが、その次の征夷大将軍を源義仲にし終えたらその飢饉問題は終わり、近畿地方から九州地方に住む民はお腹一杯とまではいかないが、腹を空かす事はない。

そんな事があれば、そりゃあ自然を神格化するのも無理はないし、自然の恩恵を心の底から感謝した事も無理はない。だがこの思想、宗教の神道に基づく思想であるという事は、食べ物で遊ぶなと言う時点で立派な宗教行為だ。

宗教は文化であると同時に、人間の道徳でもある。

 

日本に住む人間は言ってる事とやってる事、無宗教で宗教を否定している筈なのに矛盾している。

だが分からなくはない、オウム真理教があったからな。いいイメージを宗教に持てない事はそれなりに分かる。

だが宗教に良いイメージを持たれても俺達からすれば迷惑極まりない、宗教に良いイメージを持たれたら、また神の意味を人間共の都合のいい方に解釈されるのが目に見えてるからである。

ただ宗教全てを見る目が同じ奴ばかりで、肝心の区別がついていない。神と仏のように区別は必要だ。

 

「お帰り、お父様」

 

「ただいま。だが少しやり過ぎじゃないか、一応 小傘は俺達の血や神気と妖気が混ざって生まれた実娘だぞ幽香。大丈夫か小傘」

 

「な、なんとか…」

 

さっきまで小傘は人型ではなく傘だったが、傘状態の小傘を持っている幽香が俺に気付いて近寄って来ると、傘になっていた小傘は人型に成って前から俺に抱き着いて来る。小傘を抱きしめ返したら体が震えて怯えていた。余程怖かったんだな。そこで俺は目の前にいる幽香に、両手で幽香の頬を粘土でもこねるように揉んでいく。幽香の両頬をこねくり回してしながら幽香と視線を交わして思った。全くエロい体しやがってと、そう目線で訴えたら。私の体はお父様の物だから、お父様の好きにしていいのよと。幽香は目線でそう返してきたような気がした。きっと気のせいだ。

 

「お父様、気のせいじゃないわよ」

 

「なんと。では早速」

 

幽香を娘にした頃より比べて育った大きな胸を両手で揉もうとしたら、後ろから誰かが俺の服の襟首をぐいっと引っ張ったせいで変な声が出た。俺の襟首を引っ張るなんて低身長の小傘が出来る訳がないので、誰が邪魔したと後ろを見たらジッパーのように開いているスキマから右手が飛び出し、スキマの奥からは 生気のない表情の紫がこちらを見ている。ホラー映画かよ、普通に怖い。しかもよく見たら活気がない紫の瞳からは光沢が消え、焦点が合っていないので、美人な女ってのが恐怖を煽られて余計に怖い。俺は背にあるスキマへ顔を向けていたが、幽香の方から舌打ちが聞こえた気がしたけどきっと気のせいだ。気のせいに決まってる

 

我々はホログラムでもなく、幻覚でもなく、iPhone、Android上で動作する拡張現実ソフトウェアのセカイカメラに近い。いや、世界各地で報告されているファフロツキーズ現象だな。ファフロツキーズ現象とはその場にあるはずのないものが空から降ってくる現象を指す。2009年に日本各地で起きたオタマジャクシ騒動があったがこれがファフロツキーズ現象。ごく最近だ。形はあくまで人間と同じ姿だが、もう一度組み立てたら別の容姿に、人間ではなく化け物に見えるかもしれん。まあ単語の定義に拘ってはいけない。これは事象の単純化した話だ。そのかわり重要な本質を見落とすが。

人間は、いつも自分達の都合がいい方に解釈する面倒な動物だ。お蔭で俺達はいい迷惑である。

幽香の頬をこねくり回すのをやめたら幽香が人型の小傘を見て詫びる。

 

「ごめんなさい小傘。でも私、じっとするのがあまり好きじゃないの」

 

「大丈夫だよ。幽香お姉ちゃんの根はやさしい事を、私は知ってるから」

 

「ちょっと待って小傘。根はってどういうことかしら。私は人畜無害であり、性格や人格は慈悲深い女神のようにこの世の愛と優しさで出来ているのよ」

 

「う、うん。そうだよね...」

 

幽香は真顔で、本気でそう言った。それを聞いて小傘は肯定しか出来なかった。幽香の隣からスキマが展開され、中から紫が出て来てスキマの穴に座って話し始めようとしたが、その前に紫は沈黙のまま、目を細めて幽香を見ている。きっと紫は幽香の今の発言を聞いて内心絶句しているのだろう。

 

「…」

 

神と妖怪は同じ存在な訳だが。妖怪の鬼が人間を攫って喰う、河童は人間を河に引きずり込み溺れ死にさせる、天狗は怪奇現象。こうしてみると人間に害を成した妖怪は人間に退治され、英雄譚として語り継がれる訳だ。天狗の場合は、坊主の凄さを表現するため仏教の敵とされている。そんな妖怪を退治した坊主は、どうだ、僧は凄いだろう。そう民に知らしめる為。それを凄いと思った民は仏教徒になる時もあるし坊主を敬う時もある。まあ、僧に対して民にいい印象を与え味方につける訳だ。それが本当か嘘かは、正直どうでもいいんだよ。日本は汎神論、アニミズムの考えだからな、日本人は深く考えずとりあえずこの人は凄いんだ! 凄いから敬おう! とする考えだし。それは日本だけでなく外国でもあるが、キリストとかみると分かりやすいだろう。しかし実際の坊主に法力なんてある訳も無く、無力でハゲたおっさんだ。法力を扱うには、まず悟らなくてはいけない。ただ天狗に限った話ではないのだが、時代によって天狗は仏教徒の味方として語り継がれることがあった。そもそも天狗の歴史を顧みると、鬼より弱いというのは本来あり得ないんだが。寧ろ鬼より

 

月の民は一度皆殺しにして蘇生する。そもそも月の民を皆殺しにするのは神と妖怪を対等にするためだ。本来なら妖怪が策を練っても月の民に敵う訳がない、それだけの差がある。人間の科学力なら負ける事はないと思うかもしれないが、月の民はそれ以上の科学力がある。たかが動物の人間なら勝つとか負けるとか以前の問題で、月の民と人間ならばまず勝負にすらならない。正直、俺はいても役立たずだが、だからこそ永琳や輝夜、日本神話に出てくる宇宙樹、幽香に持たせたパスパタやトリシューラ、紫に持たせたインドラの矢がなければ勝利は掴めない。豊姫と依姫の問題はあるが、豊姫には変化を拒絶する輝夜の永遠で、依姫には輝夜の頸に掛けた御頸珠を使ってやっとな所。ただ永琳を敵に回すとまず勝てない、確実に敗北する。

 

この重苦しい沈黙を打ち破る為、俺は宥めようと口を開こうとしたが、その前に紫に苦言を呈され、それに幽香も反応する。小傘は俺に抱き着いたまま沈黙に徹しているが、小傘の危機的本能が今は関わらず、抱き着いたまま石になれと叫んでいるのだろう。

 

「お父さんは幽香には甘い。甘すぎ。たまには幽香を注意するべきだと思うのよ私は」

 

「何言ってるの。お父様は紫や諏訪子、白蓮に甘いわよ」

 

幽香は右手を右頬に当てながら、横目で紫を見て紫をからかう。

既視感。紫は、似ている。永琳ではなく豊姫にだ。どちらかと言えば幽香の方が永琳に似てる。

あの時、紫と初めて会って娘にした紫を長年見て来たが。紫の容姿、能力、思考さえも。

無意識で否応にも豊姫と重なる。

 

「紫、嫉妬は可愛い程度で押さえなさい。束縛な嫉妬はダメ。でも、お父様にそっちの趣味があるならお母様に教わって私もそっちの勉強しなきゃいけないわね」

 

俺や永琳にそんな趣味はない。ただし肯定者の永琳は何しても、どんな事でも承諾して喜ぶから、永琳はサディストではなくマゾヒズム寄りである。内心で否定したら紫はほんのり赤くなった顔で幽香の名を叫ぶ。

 

「幽香!」

 

「キャー。助けてお父様、意地悪な紫が華奢でか弱い私を虐めるのよ」

 

幽香の隣にいた紫に背を向け、紫に見えないように口角を上げて棒読みで喋る。紫は気付いてないが口角を上げた顔が俺に向けられているので幽香がどんな表情かは分かってしまう。前は小傘が俺に抱き着いていたから空いている俺の背に紫から隠れ、背中から俺のお腹に両手を回して抱き着きながら俺に助けを求めるが、幽香の言葉を聞き流せなかった紫は右手の人差指を背中に抱き着いている幽香を指す。

 

「戦場ヶ原の妖蟲達が死屍累累でこの地獄絵図な光景を造り出した張本人の幽香が儚げな訳ないじゃない! 寧ろ私がいつも虐められてるのに…」

 

「紫。人聞きの悪い事を言わないで。お父様や小傘に誤解されるわ」

 

「誤解も何もこのやり取りが事実でしょ!」

 

死屍累累と言っても妖蟲の全ては気絶しているのが現状だ。しかしそれだけこの光景は惨たらしく見える。極太光線を撃ちすぎたな。紫を見ると、紫や幽香を娘にしたあの頃よりも。綺麗に、美人になった。

 

月の民は上から目線で妖怪を人間を、見下している。違うな。正確に言えば、地球に生息する全ての生物を見下している。いや、見下す感じの生易しいものではない。

我が身内ながら、なんと素晴らしい思想だろうか。基本的に人間となれ合う気がないというのは、人間を人間として見ていないのは、実に神らしいじゃないか。

神が人間の味方、救済の存在と。都合のいい事しか観ない人間共に勘違いされるより余程いい。

ユウゲンマガンと魅魔も確実にそう言うだろう。

 

天神地祇ではなく、あのクソ共でもなく。月人として産まれて。本当に、よかった。

俺はそんな思想を持つ月人や月の民が、大好きで仕方がない。

愛してると言ってもいい。愛しているからこそ。あいつら以外の月人を、月の民を皆殺しにする。

 

「いいじゃないか目的は果たしたんだし」

 

「それは、そうだけど。せめて征夷大将軍が通り過ぎるのを待てばよかったのに」

 

「まあ目的は果たしたから諏訪国へ帰ろう。おい、意識はあるかリグル」

 

腰を下ろし、地面に横たわって気絶しているリグルの頬を片手でぺチぺチ叩くが反応はない。とりあえず連れて行こうとリグルの体を持ち上げて右肩に乗せ、スキマを通って諏訪国に戻ろう。

左手で小傘と手を繋いでスキマに入り、目玉がぎょろぎょろしているスキマの中を歩き、幽香や紫もついて来た、紫は俺の右手側に駆け寄って俺の顔を覗くように見ながら聞いてくる。

 

神が宗教より先に生まれたのか、それとも神より宗教が先に生まれたのか、という話がある。これについては、そもそも宗教とは神がいてこそ成り立つ。だから先に生まれたのは神だ。例を挙げるならアマテラスやニニギが大王、天皇より後に産まれていたらおかしいだろう。

 

では、人間の道徳が宗教より先に生まれたのか、それとも宗教が人間の道徳よりも先に生まれたのか。

忘れられては困るが、多くの人間たちは人間の道徳というものを長い時間をかけて培って来た。

だがその道徳も、元は宗教からの派生に過ぎない。宗教は文化でもあれば 道徳 とも言えるからだ。それは日本や外国の歴史を顧みたらよく分かる。

最近のなら純潔思想や明治天皇の教育ニ関スル勅語とかもそれだ。

 

次に、嘗てヘブライの預言者はこう言った。

太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。

つまりヘブライの預言者の言葉を引用するなら、言葉とは人間にとって軛で、鎖で、咎で、神という事だ。

 

そしてこんな思考実験の話がある。1人の人間が光よりも速く走り、そのまま壁に激突した時

光より速いその人間は壁に激突する自分自身を 激突する前に 見てしまうのではないかという思考実験。

神が先か宗教が先なのか、ヘブライの預言者や、今話した思考実験で何が言いたいのかと聞かれたら。神に宗教、ヘブライの預言書や思考実験は

 

簡潔に言えば 原因より先に結果が現れてはいけない という因果的矛盾の事であり、つまりこの世界は因果的に閉じられている。当然、神ではなく人間の事だ。全く、神より宗教が先に生まれてるなら、これほど矛盾している事があるだろうか。大体そのロゴス自体があやふやだというのに。

先ほども言ったが、ある人間は、束縛よりも自由を求める。ならばその因果を、軛を無くせば自由になれるかと思ったら大間違いだ。この世界に自由も、ましてや入り口や出口もないんだからな。産まれた以上、無理だ。では死ねば全て解放されると思うのも大間違い。

そもそも、何事にも入り口や出口、内側や外側があるなんて考え自体が、人間特有の思想であり

概念であり、固定観念だ。

 

「お父さん、蝦夷地の妖怪はどうするの」

 

「あー…」

 

スキマの中で立ち止まって考える。面倒だがアイヌやカムイと話した方がいいだろう。

琉球神話にアイヌ神話は日本神話や神道と似た思想だが、どちらも日本神話じゃなくて

琉球神話やアイヌ神話だし困ったもんだ。

 

妖怪についてはアイヌ神話の神である アイヌラックル と話すのが吉か。

しかし今は江戸時代じゃないから蝦夷地に行くのも正直迷う。蝦夷地に行くにしても江戸時代からがいいんじゃないかな。月自体を一度無くすから、月神を招集せねばならん。

あ、琉球神話の アマミキヨ にもだな。めんどくせ。中国神話の月の女神 青娥 も呼ばねばならん。だがまずは手始めに

 

「沖縄、琉球神話の月神 マチヌシュラウヤサメー、松乃美神

北海道、アイヌ神話の月神である クンネチュプ を招集せねばならんし、気が重い」

 

右手で手を繋いで隣にいた小傘の頭を左手でわしわしと荒っぽく動かし、髪を乱すが、小傘は必死に両手で頭を防ごうとする。だがそれを巧みに躱してまた髪を乱すと小傘は涙目になり、上目遣いで俺を見る。

 

「髪が寝癖みたいになるからやめてよ~!」

 

なんだこの美少女!? 流石俺と紫と幽香の血が混ざった実娘なだけある。

まあ琉球王国の王、舜天は天皇の血を持つ源氏の 源為朝 だから、まだ気が楽だ。

 

よく勘違いされるが 無神論 と 無宗教 は同じ意味ではなく 宗教 と 宗教家 は別だ。 

平等 や 対等 も同じ意味じゃない。似ているだけだ。

宗教家 と 霊能者 や 預言者 に 占い師 も同じものと思うかもしれないが、同じではない。 

畏れ と 恐れ のように違う。厳密に言えば違うかもしれないが、まあ巫女と霊能者は同じだろう。ただし占い師は宗教でも宗教家でもない、占いというのは基本的に学問だからだ。多くの人間はこれらを胡散臭いものと、同じものだと考えるから、いや、単語の定義に拘る時点で既にあれだな。

 

アダムとイヴがいた エデンの園 という場所。この場所をキリスト教徒たちは地上の楽園と考えているがユダヤ教徒にはそのような考えはない。

キリスト教はユダヤ教からの派生だ、キリスト教徒が勝手にエデンの園を楽園と勘違いしただけに過ぎない。正確に言えば違うな、勘違いしたのは多くの民衆か。その勘違いで多くの人間の脳にエデンの園はパラダイスと刷り込まれている。

だからそれは勘違いだ。楽園は楽しくて幸せな場所ではなく、苦も無く辛い事がない場所という意味で楽園と言われるのではないし、人間の誰もが想像する楽園とは楽園ではない。

キリスト教徒にとってエデンの園とはGODが、ヤハウェがいるからエデンの園を地上の楽園と考えているんだ。遊んで暮らせるとか、天国に近い場所として楽園と言っているのではなく、これは 楽園 という2文字を、日本人は自分の都合がいいように解釈したに過ぎない。

つまり神が人間の味方、救済する存在と。人間が自分達の都合がいい方に解釈し、勘違いした事と似ている。流石に全てではないが、それでも神が人間を救済するという考えはキリスト教が原因の一つを担ってるだろう。あと神仏習合。キリスト教と仏教は世界三大宗教だ。神からしたら全く以て迷惑な話だ、やはり神仏習合とキリスト教はいらない。

 

そして昭和天皇時代の太平洋戦争時、ある妖怪が歪んだ楽園を築いた。その楽園は、妖怪と神が当たり前のようにいた場所だ。楽園と言えば表面上の聞こえはよくても、人間も住んではいたが人間に対する扱いは酷く、妖精はその人間より格下の扱いだった。平等ではなかったし、楽園と言っても皆が仲良く過ごす場所ではなくて、妖怪と神にとっての楽園だった。まあその楽園の妖精達はお気楽な性格が多かったからあまり問題にならなかったが、人間の視点から見たらそこは歪んでいた訳だ。だがその人間たちはそれが当たり前だと考えていたから不満の感情を人間が持つ事はなかった。つまり人間にとっては楽園というより、外側から見たら楽園でも、内側から見たら唯の牢獄で、隣の芝生は青く見える。

 

それで太平洋戦争時。即ち日本とアメリカが戦争していた昭和天皇時代。

藍が産んだ実娘の早苗は俺の血が入ってるから産まれた時から天皇と同じ現人神だったし

俺達は信仰を必要としていなかったから普通に長野県で過ごしていた。戦争の最中であろうとそれは人間同士の争いであり、神や妖怪は自由気ままに過ごして遊んで。

人間が造り出した武器も兵器も自然の力を利用した物なので俺達には効かなかったからのもあるが、俺達は人間の味方じゃないからどちらが勝つか負けるかはどうでもよかったのもある。

当時の俺は永琳に頼んで多くのセクサロイドを造り出し、日本社会に人間として紛れ込ませようと、各地を転々としながらも長野県に住んでいたんだが。それは無駄になったので日本各地にいた全てのセクサロイドは回収し、俺、永琳、諏訪子、幽香、神奈子、藍、早苗はその妖怪に誘われて暇つぶしでその楽園に移り住んだ。のはいいが、その楽園は崩壊した。原因は単純明快なので分かっている。原因は人間だ。まるで古来の本朝みたいだった。

 

「仕方ない。蝦夷地の妖怪についてはカムイとアイヌに俺が話しておくから。紫と幽香は、藍に萃香達とリグルの配下の妖蟲たちを諏訪国へ連れ帰ってくれ」

 

「分かった。じゃあ皆の所に戻って諏訪国に連れて帰るね」

 

「その前に、小傘はどうしたいかしら。私と紫と行くか、お父様と共に諏訪国に帰る?」

 

紫は萃香達を迎えに行くことを承諾したが、一緒にスキマの中で立ち止まっていた幽香が小傘に聞いた。小傘は悩んだが、紫と幽香に視線を向ける。やはり母親の所にいたいようだ。

ちょっと前に、日本である都市伝説が広まった。鏡を見て何かを唱えると悪魔が出て来たり

過去や未来が見えたり、無限の枚数の鏡が映る。そんな合わせ鏡の都市伝説。

俗説だが、ナポレオンがピラミッドで未来の幻を見たという話と似ている。ナポレオンが未来の幻を見た原因の一つは彗星が原因。彗星と言えば、例えばハレー彗星は 回帰 して、地球に接近する短周期彗星だ。回帰という事は、つまり上書き。

 

「んー。私もお姉ちゃんたちについて行ってもいい?」

 

「うむ。気を付けろよ小傘」

 

俺と手を繋いでいた小傘は俺を見上げながら聞いてきたが、頷いたら人間形態から傘になったので、傘を幽香に手渡した。傘状態の小傘を差しながら、紫と一緒に幽香は別のスキマを通って萃香達を迎えに行った。なんか、疲れたな。だがまだ終わっていない。

次はザビエル、キリスト教。それまではのんびりできたらいいんだが。

 

本来は明治時代だったが神仏分離の準備は終えたし、後は鎌倉殿に任せて俺はだらだら過ごそう。鎌倉幕府は俺が潰すが、その前に月の民を見殺しにしなくてはいけない。鎌倉幕府をどう潰そうか悩むな。やっぱりここはシンプルに、津波で全て飲み込むのが早いか。

ならば豊姫と依姫が持っている鹽盈珠、鹽乾珠を使って海を操ればいい。ウォーターボーディング、溺れ死は本当にきついし。

 

スキマ内で欠伸をしてしまい眠たくなる。目玉が不気味だが、一度腰を下ろして寝転がろうとしたらスキマ内から声を掛けられ、声を掛けた人物を見る。

 

「終わりましたか」

 

「ああ、築土大明神。終わったよ。しかし丁度良かった。平将門、お前はもう世間から死んだ者扱いだ。そこでこれからは 平氏 ではなく 仁科氏 を名乗れ」

 

たまに、昔の人間は野蛮で頭が悪い、もしくは知能が低いと思っている人間がいるが実際は違う。

寧ろ古代の人間の方が知能は高かった。それは 白村江の戦い で敗北した後の 天智天皇 や 

古代ギリシャ人 と 古代エジプト人 を見るとよく分かる。本当に凄い。

 

「仁科氏、ですか。ならば私は信濃平氏、 諏訪平氏 になりますな」

 

「そうだ。お前の名を呼ぶ時、平将門ではマズい。だがシンギョクではあっちのシンギョクとで紛らわしいし。あ、果心居士と甕依姫をお前にやる、好きに使え」

 

甕依姫は妊娠してる綿月依姫と名が似てるので紛らわしいが、同じ巫女という部分を除けば別人である。妊娠してる依姫の場合は海神であり、巫女を神格化した巫女神みたいな存在だ。

 

「では室町幕府の三代将軍 足利義満 そしてキリスト教。明治天皇、大戦後の進駐軍のGHQ

連合国軍最高司令官総司令部。昭和天皇、8月15日の玉音放送も同じ扱いですか」

 

女好きの天智天皇は白村江の戦いで敗北した後の国防、先進的な海防策が凄まじく

古代ギリシャ人の アルキメデス は科学を進歩させ、古代エジプト人の凄い所は色々あるが

その中でも特に時計、時間の正確さだな。

アルキメデスで思い出したが、諏訪国にいる魔女の エレン が飼っている猫の名が確かアルキメデスだ。

あ、昭和時代。日本の大塚食品ではアルキメデスをもじって名付けられ、アルキメンデスっていうカップ麺が発売されたが、美味しくなかった。不味くもなかったが。

 

時計や時間と言えば天智天皇が時計の漏刻を作った。日本で初めて時計を作ったのは天智天皇だ。

他に東アジア特有の戸籍についてだが、これは奈良時代の日本当時、先進国だった中国から日本に中国起源の戸籍を取り込んだのだが、まあ先進国だった中国の戸籍を参考にして日本で戸籍を作ったのも天智天皇。

 

「是。悪いがいつも通り鎌倉幕府を潰した後 北条時行を諏訪国へ引き取り、諏訪氏の諏訪頼重に引き渡すかどうか、育てるかどうかはお前に一任する」

 

北条氏は平氏ではあるが、その平氏は平将門が諏訪国に存命してるから北条氏は別にいなくてもいいのだ。

 

「…正直、私は北条時行が好きではないのですが。彼奴のせいで弘天様の氏子

諏訪頼重、諏訪時継親子は死にました。他に北条時行は神に仕える巫女へ」

 

「そんな事したら殺すに決まってるだろ。嘗てあいつと約束を交わした、諏訪氏や全ての巫女は神である俺のだ。手も、ましてや死なせて堪るか」

 

シンギョクと対面し、スキマ内で目を閉じこの先を思案。まずは鎌倉幕府を潰し 北条時行 

を諏訪国へ連れて引き取り、北条氏の滅亡を防ぐ。次に室町幕府の三代将軍 足利義満 だ。

義満は自分の子を天皇にして足利家を天皇家にのし上げようとしていたという俗説がある。

ので、足利義満は死んでもらう。いや、まあ確かに足利は源氏なので天皇の血を持つが

天皇になれるかと聞かれたら、無理だ。これは天皇の血が薄まっている平将門にも該当する。

理由は現天皇より、天皇の血を持つ源氏の足利の血が薄まっているからだ。

 

ただ現天皇より血が純血に近く、濃い場合は当然天皇になれる。例えば小野篁や小町がそれに該当する。ただし、シンギョクの片割れ小野篁や小町は女だ。女の天皇というのは非常に面倒な事にしかならないので結局は天皇には出来ない。それは過去の女帝天皇がいい例である。

 

それで新田義貞、第96代天皇 後醍醐天皇 の 建武の新政 南北朝時代 元弘の乱だ。

しかし幕府側の御家人である原氏の 足利氏 を鎌倉ではなく朝廷側につかせ、俺は室町幕府を創立する為 足利尊氏 側につくので、後醍醐天皇と新田義貞には余計な事をする前に消えてもらう。この場合は足利氏を朝廷側につかせるというより、足利氏を使って朝廷や天皇が余計な事をしないよう監視してもらうが正しいか。そもそも今の天皇は弘文天皇なのであんまり関係ない話だが。

 

フランシスコ・カブラル、フランシスコ・ザビエルはいらないが。ガスパル・ヴィレラ、ジョバンニ・ニコラオ、ジョアン・ロドリゲス、ルイス・デ・アルメイダ、ルイス・フロイス、グネッキ・ソルディ・オルガンティノ、これらをどうするか。日本は昔から閉鎖的だが、辺境な日本を植民地にしたいだけのキリスト教も、仏教と同じで色々派生がある。

 

「分かりました。所でルーミアはどうです。まだ私達を恨んでおりますか、もしくはまた忘れたフリをしておるのですか」

 

「昔から隠すのが上手かったから、ルーミアはフリなのかが判断できん。だがそれ以外は相変わらずだ。月でお前達と出会って早々封印されたんだし」

 

科学の歴史は古い。その科学は古代ギリシャ人が発展させた、まあ古代ギリシャ人だけじゃなくて他にもいるが。しかし古代ギリシャ人は科学よりも哲学だ。

哲学に関しては古代ギリシャ人の哲学者達であるアリストテレス、クセノパネス、エピクロス、ヘラクレイトス、ソクラテス、プラトンなど挙げればキリがないが。古代ギリシャ人の哲学者達によって既に哲学は完成されていると言える。後世のは陳腐なのが多い。

 

例えばギリシャ神話、古代ギリシャ人、日本神話と神道のように。あくまでも似た考えだが、神道に似た思想を持った

ドイツの神学者、哲学者 アルベルト・シュヴァイツァー の 生命への畏敬 という思想、哲学がある。

だが、その考えは古代日本人や古代ギリシャ人が既に持っていた。その哲学が生まれたのは遅すぎる。大体、世界平和にも貢献したアルベルト・シュヴァイツァーの共存を目指す考え方は夢物語であり、それ以前に共存を謳っていたアルベルト・シュヴァイツァーは人種差別をしてたし。

 

しかもアルベルト・シュヴァイツァーは核についてアメリカ合衆国のケネディ大統領へ手紙を出してた。

デウス・エクス・マキナ。あのケネディ、ケネディ大統領暗殺事件は未だに陰謀論の話題がよく出る。実に下らない。

 

「ルーミアはインドの月の妖怪。インドの月の説話。月の関係者でしたから。ですが事の発端は

神綺様とサリエル様にルーミアを封印しろとの命、魔界人の私達が逆らえる訳がありません」

 

「まあ、そのお蔭でお腹を空かしたまま諏訪国に来たから。諏訪国で女を侍らす俺としては願ったり叶ったりだし別にいいが」

 

正確に言えばルーミアが諏訪国に来たと言うより、無意識に諏訪国へ来させられたが正しいだろう。ルーミアが諏訪国へ向かうよう封印術に施されていた。

 

この先で問題は、戦国時代のポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に売っていた事だ。別に日本人が海外に売られようと知った事ではないが、こいつら我らを舐めてやがる。キリスト教徒は一神教、つまりヤハウェ以外の神は認めない連中だ。ある意味仏教も一神教と言えるが、そもそも釈迦は神ではなく仏である。やはりキリスト教徒は徹底的に殺した方がいい。邪魔だ。ヤハウェが煩いが、日本でキリスト教徒が殺されようとあいつは口を出す事はない。

 

キリスト教は他宗教を弾圧や排斥する事が知られている。

しかし、よく誤解されるがヤハウェ、または旧約聖書には他宗教を排斥、異教徒の大量虐殺や

奴隷。これらをしろなんてどこにも書かれていないしヤハウェも言ってない。これはキリスト教徒が勝手にした事だ。大体だな、キリストはユダヤ人だぞ。

 

そして戦国時代で肝心なのが、キリスト教徒に洗脳されたキリシタン大名によって多数の神社や寺が焼かれ、神道徒や仏教徒達が迫害を受けた事が大問題だ。嘆かわしい。別に俺は仏教徒を嫌っている訳ではない。僧兵や放蕩はともかく、真面目に修行している坊主はどちらかと言えば俺は坊主を守る立場にある。釈迦の奴に頼まれているからだ。なので仏教徒は神の保護対象、ちゃんと坊主が修行さえしていたらそこらの民より坊主の安全を神によって保障される。

だからこそ、特に九州地方は定期的に痛めつける。キリスト教徒もだ。

平将門、仁科の隣にいた春姫、リリーは妖精特有の綺麗な羽根を羽搏かせながら俺達の周りを飛び、俺の目の前で止まってから両手を腰にやり、眉を顰め肩をすくめた。

 

「難しい話はおーしまい! いつも通りなら美味しいもの食べたり温泉に浸かったり人間を殺戮したりって事でいいじゃない!」

 

「一言で言えばそうだが、リリーが言うと複雑な気持ちになる。なあ仁科」

 

「そうですな」

 

「えー」

 

多くの人間は勘違いしてるが、古事記や日本書紀の日本神話には人間からの信仰がないと

神が消滅、自然と一体化。または死ぬなんて 微塵も書かれていない 

 

そもそも日本神話において人間が生まれたのは神世七代のイザナギとイザナミの後だ。

仮に、神が人間の信仰を必要とするならば、日本神話の神 造化の三神 や 神世七代 

イザナギ、イザナミが人間より後に生まれた事になる。しかし、それは色々矛盾が起きるし

大国主の出雲神話さえも色々矛盾が生じる。

 

だが日本神話の神に寿命はないが死という概念はあり、死んだ後は世界から消滅はせずにイザナミみたいに黄泉に行く。たまに死んでない者が黄泉、根の国に行く場合もある、イザナギやスサノオ、一度死んだが蘇生してからの大国主がそうだ。ただし、日本神話の神は死んだとしても蘇生できない訳じゃない。

それは大国主の再生神話や、物部布都が持つ死者蘇生の言霊の十種神宝、布瑠の言がいい例だ。

そして多くの神話においてヘビとは二重螺旋、不老不死や永遠を象徴している場合が多い。

 

イザナミを殺したのはカグツチだ、カグツチを殺したのはイザナギだ

保食神を殺したのはツクヨミだ

稚日女とオオゲツヒメとヤマタノオロチを殺したのはスサノオだ

アメノワカヒコを殺したのはタカミムスビと天探女、稀神サグメだ

大国主を殺したのは八十神だ、サルタヒコを殺したのは比良夫貝だ。

自然神が多い日本神話の神が死者を蘇生できるのは別に不自然ではない。

大体、日本神話限らず神話に出てくる神は死者を蘇生出来るのが大勢いる。

 

「とりあえず諏訪国へ帰るぞ」

 

魔方陣を展開してスキマ内から俺と平将門に春姫、俺が肩に担いでいるリグルも含めて諏訪国へと転移。リグルは俺達と同じ諏訪国に転移させるが、同じ転移場所ではなく、ある場所に転移させる。

 

例えば神話に登場し、死者を蘇生できる神に人物、または道具を挙げるなら

 

日本神話のキサガイヒメとウムギヒメ、フィンランド神話のレンミンカイネンの母

アボリジニの神話のユルルングル、ウガリット神話のアナト、ハワイ神話のヒイアカ

ギリシャ神話のアスクレーピオスにポリュイードス、インド神話のルルやアルジュナ

正確に言えばゲルマン神話だが北欧神話のヘル、中国神話の反魂香。他にもいるが全部挙げればキリがない。

 

今挙げたのでこれだけあるというのに、死んだ人物を蘇生できなければ人間となんら変わらん。それ以前にその程度の事が出来なければ神と認めない人間は多いだろう。

言ってしまえば、神とは自然の摂理に反している存在なのだ。

自然神が多い日本神話がそれはおかしいと、矛盾していると思うかもしれないが別に矛盾していない。寧ろ自然神だからこそ死者の蘇生が出来る。

 

「嗚呼、やっと終わった…」

 

体を伸ばして一息。お天道様が眩しい。なんか色々と疲れました、まる。転移した場所は石段を上り終えたら真上にある鳥居の真下。春姫はスキマ内から出られたので飛び回っているが、シンギョクは鳥居の近くにある銅像を眺めていた。

 

「四季映姫殿の銅像を見るのは久しいですな。そろそろですか」

 

「あー 映姫はもう少しで終わるだろうが、それを早める為に映姫に俺の神気を分け与えておこう」

 

銅像に近づき、右手を銅像に手を当て、俺の神力と神気を分け与える。

映姫の銅像は裁判官みたいに椅子に座り、机に 鬼籍 を置いて、右手に笏を持ち、映姫の左手には手鏡の 浄玻璃鏡 がある。色々閻魔と似ているが、閻魔をイメージして銅像を造ったから似てて当然だ。

 

これもよく誤解されてるが、冥界や地獄に閻魔がいる考えは本来 仏教にはない

ただインドの説話が仏教に取り入られ混ざっただけ。あとキリスト教の 最後の審判 は有名だがその 最後の審判 も元はゾロアスター教の思想だ。

キリスト教と仏教は上書き上書きする宗教。そういう意味ではキリスト教と仏教は色々似ている所が多い。神道の場合は上書きというよりも、神道の一部としてその考えを取り込み結合する感じだ。

まあユダヤ教はゾロアスター教の後から出来てるし、先に出来ていたゾロアスター教の影響を受けているのは当然ではある。

 

銅像に神力と神気を注いでいたら、後ろから足に誰かがぶつかって来た。後ろを振り向いたら幽々子と涙目の白蓮が上目遣いで俺を見ている。涙目の白蓮を見てると罪悪感に蝕まれそう。

 

「氏神様帰りが遅い、寂しかった…」

 

「おじさん帰って来るのが遅いよー」

 

「げ。や、やあ白蓮に幽々子ちゃん。本日はお日柄もよく...」

 

まだ子供なので背が低い白蓮と幽々子は俺の服を引っ張るが、これは俺を逃がさない為だろう。白蓮には一緒にいたいと言われ、幽々子は遊んでとせがまれる。しかし映姫の銅像に神気を注ぐ事や、シンギョクとリリーを地獄谷温泉に案内せねばならんのだ。後で二人のしたい事を全てしてやると言ったら、二つ返事で了承された。何とか窮地は逃れた。白蓮と幽々子は鳥居の両脇から神社に咲いている桜の木に近づくと、桜の枝が動き出して白蓮と幽々子を乗せたりして遊んでいる。

 

この桜たち、元は幽香の能力で成長させて咲かせた木だが。永琳が言うに、どうも幽香の能力と妖気に影響や触発されてか意思を持ったようだ。この桜たちが意思を持ったのなら何か名を付けた方がいいかもしれん。桜の木の枝と戯れる白蓮と幽々子を見て考える。

弘川寺にいた西行は、記憶を消しはしたが結局殺していない。そして西行は桜好きだった。そうだな

 

この桜たちは西行と幽々子。室町時代の世阿弥作の能楽に因んで 西行妖 と呼ぶ事にしよう。

 

「確か、あの子達がそうでしたか」

 

「然り」

 

シンギョクは白蓮と幽々子を見ながらそう訊ね、俺は肯定する。仕切り直してもう一度映姫に神力と神気を注ぎ込む。

 

日本神話をしっかりと読めば分かるが、日本神話も人間の視点で見たらクズで野蛮で自分勝手な神が多い。

更に質が悪いのはゼウスとヤハウェのように自分がクズだと自覚してない事にある。素晴らしい。

 

イザナギとイザナミ、スサノオが元凶だが岩戸隠れしたアマテラスも、ツクヨミを歓迎する為にした行為を見て保食神を殺したツクヨミも、スサノオはその類話が多すぎるのであえて言及はしないが。特に岩戸隠れ、アマテラスはただ隠れただけと思うかもしれないが、あれのせいで日本が無茶苦茶になったんだ。

出雲神話の大国主や、富士山と八ヶ岳の背比べの木花咲耶姫も人間の視点で神話を見る限り自分勝手なクズ。

 

だがそれこそが神。神とはそうでなくてはいけない。自然、自然災害、天変地異とはそうだ

人間の都合なんぞ知った事ではない。クズだと自覚する必要はない。

疫病や地震、水害に台風や落雷、祟りや呪い、富士山を噴火する時、一々噴火していいかどうか

人間の許可をとる方がおかしいのだ。我々は天変地異故に、一貫性なぞ持ってはならない。人間と同等の、対等の存在なんて、人間の味方や救済するなんて事は、一瞬でも絶対にあってはならん。

それにだ。日本神話のみならず、外国の神話てくる神ってのは、無駄に下らない理由で動く神が多い。

 

大体、自然神が多い日本神話の神が人間にとって良い神、な訳がない。確かに元を正せば自然は人に死を齎す存在だったが、同時に自然は人に恵みを与える存在だった事が一点

後は神が人間を救う存在として認知され始めたのは神仏習合が大きい。神と仏は同じ存在だと民に知れ渡ってしまったからだ。

神仏習合や中央集権の朝廷、大王、天皇に利用されただけであり、実利主義。大王、天皇にとって都合がいい神話であり、都合がいい神なだけである。

 

映姫の銅像に神力と神気を十分に送り終えたのでもういいだろう。

 

「こんなもんか。さて、シンギョクと春姫は地獄谷温泉に浸かって療養してろ。地獄谷温泉の場所を覚えてないならナズーリン、星、影狼に案内させるぞ」

 

「有難いですが。その前に、私達は五月姫に会いに行く事にします」

 

「分かった。ならば八ヶ岳にいる天魔と百鬼夜行に一報入れておく。ただし八ヶ岳の妖怪をまだ統一できてないんでな、気を付けろよ。特にリリー」

 

「大丈夫! 妖精だから私は死なないし!」

 

振り返り、二人にそう告げ、神使である星と影狼を呼ぼうとしたら。シンギョクとリリーは地獄谷温泉に浸かる前に、ヤマメに会い行くようで八ヶ岳へ向かった。死なないから大丈夫と踏ん反り返って言うリリーは妖精だから雑魚だ、だが妖精は雑魚でもその代りに死なない。

 

「冬に造り、あれから春と夏が過ぎ、今や秋。映姫の銅像を俺が造ってから四季の季節が経つ」

 

鎌倉時代中期に起きた 元寇 モンゴル人からの侵攻を日本は完全に退けた。

この時、神道の神は人間の為に手を貸したと思われがちだが誤解だ。あれは人間を守る為ではなく、文化や神道を守るためにした事。弘安の役、神風を人間が自分達に都合がいいよう解釈したにすぎない。

あの時、元寇で手を貸さず、モンゴルに日本を支配されると神道がモンゴル人に潰されるのは目に見えていたからである。

 

俺達が出なければ ケルト神話 や マヤ神話 と同じ道に行き着く所だった。

 

それは日本がアメリカに敗北した戦後の当時、ドッグレース場を建設しようと

アメリカが、GHQ司令 ダグラス・マッカーサー が靖国神社を焼き払おうとした事から分かるだろう。アメリカは結局、靖国神社を焼かなかったが。

 

天皇家の紋章はシュメール神話 最高神 アン のマークと似ているそうだが

いや、そもそも不思議なんだ。日本はアメリカに敗北したというのに待遇が良すぎる。

歴史的に見て敗戦国の末路は相場が決まっているというのに。

それは第一次世界大戦の敗戦国の末路がいい例だ。第一次世界大戦での日本とアメリカは色々得したが。

 

「鎌倉時代中期に起きた元寇。モンゴル帝国の都からの日本侵攻。そしてモンゴル帝国の夏都だった上都のザナドゥ、後にザナドゥは楽園の名となる」

 

ここは理想郷でも桃源郷でもないが、傍から見たら楽園か。隣の芝生は青く見える。

 

「他は天界に存在している欲界の六欲天 第三天魔王 夜摩天 裁判官は公平な立場と秩序の象徴である法の番人、そしてエジプト神話の女神 マアト ギリシャ神話 正義の女神 ディケー」

 

後はザナドゥ計画。鳥居、鎮守の森の近くにある映姫の銅像を見つめてから諏訪神社に向かい、諏訪神社の屋根に上り、腰を下ろしてから落ち着く。最近色々あった、ぼけーっと出来なかったから瞼を閉じて過ごすこのなんでもない時間が癒される。

 

「穢れか。もう俺達には関係ない話。数多の神話 最高神の神々に創造された地球風情が余計な事しやがって反抗期かよ。だからツクヨミは月人と月の民は月に行っちまった。なあ、キクリ…」

 

「なんだ」

 

横から声が聞こえて飛び起き、目を見開いて見たら、俺の隣に両手を足首に回し三角座りで屋根に座っていた人物は、側頭部から羽根状の物があり、Yシャツにネクタイをし、その上からブレザーを着ており、下はOLが履いてそうなタイトスカートを履いて、足は黒のタイツを履いてるキクリだった。

 

「うわ。お、お前いつからいた!?」

 

「弘天があの銅像に神気を送っていた時からいたぞ」

 

キクリは三角座りしてるので顔を枕みたいに膝へ置いて、横顔を俺に向けながら言う。そうキクリに言われても俺は全く気付かなかった。

 

現在も存命しているアメリカの哲学者 トマス・ネーゲル が発表した論文に 

 コウモリであるとはどのようなことか という哲学がある。空飛ぶキツネと言われるオオコウモリの場合は主に視覚に頼っているのだが、ココウモリは視覚がオオコウモリと比べて視覚が発達していない。その変わりココウモリは超音波で周囲の状況を把握している。そこでトマス・ネーゲルは思うのだ。コウモリはその超音波を観ているのか、感じているのか、それとも無意識的なものなのか、誰かにコントロールされているのか、はたまたそのどれでもないのかと。人間以外の存在は、世界をどう観ているのか、感じているのかと。一言で言えばコウモリの意識はどうなっているかという事だ。

勿論、何故コウモリが選ばれたのかはちゃんとした理由がある。ネズミが実験動物にされている理由と同じ事。

 

人体実験は人権団体など、道徳的な面や問題もあり禁止されている。そこで、実験動物にされやすいネズミがいる。では何故ネズミが実験動物としてよく使われるのか。それはコウモリも実験動物にされやすいネズミも人間に近い存在だからだ。人間に近いネズミを実験動物に使ってるからこそ、科学と医学は進歩したし、他にも色々担っている。実験や研究をしなければ科学と医学に進歩と発展はなかった。

そしてネズミとは繁殖力では最強の存在というのが有名だ。つまりネズミ算式。

言ってしまえば無駄に数が増えるから、研究や動物実験をする際、人間に近い存在のネズミは最適なのだ。無駄に多く産むから使い潰しが出来るし、ネズミを養育してもコストはそこまでない経済面での利点もある。

 

「神出鬼没なのは紫だけで十分だぞキクリ」

 

「そうは言われても意識してやっている訳ではない」

 

人間の話ならば、人間は世界を見る際にまず瞼を開き、媒介の眼を使って世界を脳で処理し、認識してから観る。だが目の前の景色を眼では観ていない、実際は眼ではなく脳が視神経情報を処理して世界を観ているからだ。視覚にとって脳はとても繋がりが深い部位である。観測、視覚で捉え認識した世界を脳が、視神経情報の処理をしているからだ。脳が視神経情報を処理しているからこそ、人間は世界を観ている事が出来るのだ。これが眼がない、あるいは脳がなく世界を認識出来ない人間だと世界を観る事が出来ない。世界を観る上で眼、認識、視覚情報、視神経情報を処理する脳は絶対に必要だからである。

ドイツの哲学者、神学者である ルドルフ・オットー が定義した ヌミノーゼ がいい例。

 

当たり前だが、人間は地球や世界の法則を変える事は出来ないので、世界や地球に干渉なんて出来ない。

例えば人間が月を見て消えろと念じても月が消える事はない、それは何故か。簡単だ、人間が内側にいるからだ。まあ先程も言ったが実際は外側も内側もないし、言葉なんてのは意思疎通する為、ただの媒介や比喩表現に過ぎん。神が言葉に囚われるのは駄目だ、神が単語の定義に縛られるのも駄目だ、人間が見えない言葉の意味を見続けて見出そうとするのも駄目だ。

 

隣にいたキクリに手を伸ばし、キクリの肩へ回して一つ提案する。

 

「なあキクリ。もう一度、月に行く気はないか」

 

「また、月に行かねばならないのか」

 

「行くというより、着いて来て欲しいんだ。ルーミアもな。全て、終わらせるから。

キクリとルーミアにはそれを見届けて欲しいんだ」

 

そこでこんな話がある。産まれた頃から眼が不自由な人間に一度世界を観せようと、ある機械を使ってその世界の光景、ヴィジョンを脳に送ろうといった話があった。だが眼がない、もしくは不自由な人間に世界を観せようとある機械を使って、視覚データを電気信号として脳に送り、疑似的な世界を観せたとしても世界を観た事にはなるだろうか。

答えは、ならない。それはあくまでも疑似的なデータの世界。実際にその人間の眼で世界を観ている訳じゃない。脳であり眼じゃないんだ。眼は媒介の役割なだけ。

 

視覚にとって脳はとても繋がりが深い部位だ。そしてファフロツキーズ現象、ヌミノーゼ、パレイドリア。ある機械を使って地球、世界の光景、ヴィジョンを脳に。疑似的なデータを脳に送ろうといった実験。

 

そこにいる筈も、ある筈もない。我々の姿も

 

「まあ今すぐって訳じゃなく、もう少し後の話だ。それに強制じゃない。大体、俺はキクリと交わした約束をまだしてやれてないからな。だが考えておいてくれ」

 

俺は立ち上がって隣で三角座りしているキクリを見ながら言う。キクリは膝に顔を置くのをやめて俺を見上げるが、何も言わずに頷き、足首に回していた両手を膝の上に置いた。両手で何かを支える風にキクリが置いていたら、両手の上に綺麗な水色の球体が生成され、形成されていく。

久しぶりに懐かしい物を見た。キクリが生成し形成した水色の球体は、簡単に言えば鏡に近い。ただし鏡と言ってもガラス細工ではなく、キクリの妖気で出来ている。本来はキクリの神気で形成されていた物なのだが。そしてさっきも言った

 

日本である都市伝説が広まった。鏡を見て何かを唱えると悪魔が出て来たり、過去や未来が見えたり、無限の枚数の鏡が映る。そんな合わせ鏡の都市伝説。

神社の屋根から飛び降り、玄関を開けて中に入る。玄関から廊下を歩いていたら懐かしくなる。床や壁を見て、神社の中の匂いを吸うとプルースト効果、フラッシュバックが起きて、何かを思い出しそうになる。

 

「なんだか凄い久しぶりに帰った気がするな」

 

仏の教えには人も妖怪も救われるだとか、皆は平等だとか。そんな意味不明な事を言いだす坊主がたまにいるが、んな訳ないだろ。下らん、実に不愉快だ。

それを釈迦が声に出して言ったのか。言ったとして釈迦から直接聞いたのか

それとも釈迦が言った所を目撃したのか、もしくは釈迦の頭の中を覗いて、思考を読んで知ったのか。たかが人間風情の分際でそんな事を出来る訳ない。

 

釈迦は天竺で死んで仏になったんだ。日本で産まれて死んだわけじゃないし、釈迦が天竺から日本に来て死んだわけじゃない。天竺で死んだんだ。それでどうやって釈迦の教えを知ったといったら、人に聞いた。つまり伝来だ。

釈迦に会った事もないクセになにが仏の教えだ、なにが仏の救いだ。

なにがこの教えは正しいだど腐れクソ坊主が。伴天連やカトリック教会、キリスト教や十字軍

日蓮宗みたいな事を言うな。釈迦は坊主や民の救済理由にされる便利な道具じゃない。

鎌倉時代の仏教の僧 日蓮宗の宗祖 日蓮 も余計な事をしすぎている。

 

「関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災で人間は自然に無力だという事を忘れたのか、あれだけ死んだというのに。忘れたなら思い出させるまでだ」

 

異常気象だなんだと言われているが、あれは異常気象なんかじゃない。ただ昔に戻ってるだけだ。

 

神同様、釈迦の教えも随分と僧に都合のいいよう曲解や解釈され、独り歩きしたものだ。

まるでキリストの奴とキリスト教じゃないか、人間如きが、宗教家の人間風情が忌々しい。だから神道に取り込むんだ。もっと、早くにしておけばよかった。

 

口を慎め、身の程を弁えろ、人間如きが自惚れるな、自然の力を借りなければ何もできない無力な存在が、先人たちが残した借り物の知識だけ蓄えた有象無象の分際で、たかが人間という事を人間自身が忘れてどうする。嘆かわしい。

 

「って神奈子じゃないか」

 

「やっと帰って来たな、今までで一番遅い帰りよ」

 

廊下の曲がり角を曲がったら、腕を組んで立ち尽くしていた神奈子がいた。そのまま近づいて久しぶりのハグをしようと両手を広げたら、拒否される。

 

「やめて」

 

「やめてって俺達夫婦だろ」

 

神奈子は心底嫌そうな顔で止めたが、そんな顔されたらもっとしたくなるじゃないか。神奈子は仕方ないと言った顔で、腕を組むのをやめてから俺に右手を差し出す。

 

「抱きしめられるのは嫌だけど、握手ならいいわよ」

 

「そりゃどうも、嬉しくて泣けてくるよ」

 

神奈子が右手を差し出してきたから、俺も右手を差し出して握手をする。神奈子の右手と握手してるから、俺の右手を使いにぎにぎと神奈子の右手の柔らかい感触を楽しむ。が、飽きた。飽きたので抱きしめようと思い、神奈子の右手を思いっきり引っ張るが何故か神奈子は驚かず、傾れ込んで来たからそのまま抱きしめる。神奈子を抱きしめながらやわこい感触を楽しんでたら、神奈子は抱きしめられたままなのに、何も言わず無反応。数十秒ほど経つと俯いていた神奈子は顔を上げる。

 

「誰が抱きしめていいと言った」

 

そう言いながら神奈子は俺の右足を思いっきり踏んで来た。激痛が足に走り、抱きしめていた神奈子を離す。右手の人差指を神奈子に向ける。

 

「お前本気で踏みやがったな神奈子! スゲー痛いぞ!」

 

「無断で私を抱きしめるからだ。そんな事より、早くあの子の所へ向かって傍にいてやりなさい。お前と藍の娘、風祝だろう」

 

さっきまで神奈子は不機嫌な表情だったが、今では何故か笑顔になっていた。神奈子は歩き出して、俺とすれ違いながらあの子の元へ向かえと言い、俺の背中を平手で思いっきり叩いてから行った。叩かれたので背中がヒリヒリするが、分かってるさ。激痛の右足に耐えながら歩き出し、居間にいるてゐの元へ向かう。

 

デウス・エクス・マキナ、機械仕掛けの神は言い回しを変えれば夢オチや爆破オチがそれに該当する。つまり神から夢、爆破へと言い回しが変わっただけ。

しかしだ。厳密に言えば違うが イスラム教 の思想である 勧善懲悪 があり、民に悪さを働く悪い奴を正義の味方が倒してめでたしめでたし、という話は日本でも多く存在する。

だがそれは単に過程と結果が変わっただけであり、デウス・エクス・マキナと同じだ。

ただ 神 ではなく 正義の味方 や 悪者 になっただけで

もっと正確に言うなら 神 から 正義の味方 や 悪者 へと 言い回しが変わっただけ ではないか。あれは都合の悪い人間だった人物を鬼や土蜘蛛などの化け物に変えて、自分達はその化け物を倒し統治権の正当化や威光を、大和朝廷が世に知らしめる為でもあったろうから。それが本当か嘘かなんてどうでもいい、悪者に全部の責任を押し付けてめでたしめでたし。こいつが悪い、こいつのせいだと。この結末のどこがデウス・エクス・マキナじゃないと言えるんだ。

 

言い回しをもう一度変えよう。今度は悪者ではなく人間の心になった場合。誰かを差別したり、蔑んだり、見下したりするのはそいつの心が歪んでるからか、臆病だからとか、無知だからだとか。理由なんていくらでも作れるから簡単だ。

この話は人間の心だから人間の問題で神は関わっていないが、これも 神 から 人間の心 へと言い回しが変わっただけだ。

結末が神から別の言い回しになった時点で、これらをデウス・エクス・マキナじゃないと人間は言い切れるのだろうか。

 

居間に到着し、襖を開けて中に入る。中には諏訪子、てゐ、そして藍が産んだ子をてゐがあやしていた。諏訪子は俺に顔を向け、てゐは俺に気づいてはいるが今は赤ん坊の世話に集中している。

 

「お帰り父さん」

 

「ああ、ただいま。諏訪子」

 

居間の中に入り襖を閉める。赤ん坊は布の上に横たわり、てゐは赤ん坊を見つめながら撫でて、撫でられている赤ん坊は、はしゃいでいる。諏訪子の隣に座って、赤ん坊を見つめていたらてゐは俺を見た。

 

「ほら。祭神様と藍の子だよ。父親ならちゃんと一緒にいなきゃね。祭神様と藍の神気と血を持つ実娘なんだから寂しい思いをさせたら駄目」

 

「う、うむ」

 

てゐから割れ物を扱うように渡され、抱っこして、赤ん坊の顔を見つめ、右手で支えながら開いた左手で赤ん坊の小さな掌を掴む。当たり前だが小さいし、脆い。

 

「早苗。大王、天皇と同じく神裔、現人神として、諏訪の神に仕える風祝として産まれてしまったばかりに、この先お前には苦労を掛けてしまうだろう。許せ、早苗…」

 

「ん? この子って早苗って言うの?」

 

「そうだ。早苗が大人になったらその真名を伝える。今はいいが物心ついてからその名で呼ぶのは駄目だぞ」

 

諏訪子は首を傾げて聞くが、今はまだ物心ついてないから真名を呼んでも問題は無い。

梶の葉の家紋を用いている諏訪大明神に仕える諏訪氏の氏子

物部布都の姉、物部守屋は諏訪大明神に仕える守矢氏の神長官

最後に諏訪の神へ仕える風祝はある決まりが存在する。神長官や大祝は諏訪国、諏訪の地から出てはいけないという決まりだ。これを破れば罰が下される。

神道は基本的に戒律などはないが、決まりや仕来りが全くない訳ではない。ちゃんとした決まりが決められている所もある。その一つが諏訪国から出てはいけない事や

諏訪大社では蛙を諏訪子に生贄として捧げる神事なんかもあるのだ。

 

俺の言葉を聞くと、胡坐をかいてちゃぶ台に両腕を置いてるてゐは呆れ顔。

 

「そこは謝罪の言葉じゃなくてさ、産まれて来てくれた事に感謝の言葉を口にしなよ」

 

「分かるだろてゐ。どれだけ生きようともそれは言えないし、これだけは慣れない」

 

日本の八百万の神、八百萬神、怨霊の考え、思想を否定する事は、日本の伝統と文化を否定する事であり。今まで続け、培ってきた日本の歴史を否定する事と同義である。一体何様のつもりなのか、自分が伝統や文化を否定できるほどの人間、もしくは神にでもなったと勘違いしてるのか。

 

生贄が時代遅れなのか、諏訪大社の蛙を神に生贄として捧げる神事は時代遅れだろうか。そんな訳がない。たかが人間の分際で宗教を、伝統や文化や道徳を否定出来る資格はない。それを否定していいのは知恵の実を食べる前の人間か、我々だけだ。

それが時代遅れと、宗教行為と言うなら、日本の行事であるお盆や墓参りもそうだ。死んだ人間は墓になんて考え、思想自体。宗教行為そのものではないか。祭りごとだって七夕だって宗教だ。日本では人間の死後骨などが墓に入れられる。

墓を造るのが人間の道徳というならば、墓は昔からしてきた伝統や文化であり、それは立派な宗教行為。

墓の存在自体が古来から受け継がれてきた伝統や文化、有り体に言えば古来から続いて来た墓の存在自体が時代遅れという事になり。つまり日本の伝統や文化を否定する奴は自分を墓に入れなくていい、自分の墓を造らなくていい、土葬、火葬しなくていい、葬儀を執り行わなくてもいいと言っている事と同義だ。死んだら死体も即座にその辺へ捨てて放置するか、ぞんざいに、ゴミのように扱って捨ててくれと言っているようなものだ。今まで続けて来た伝統と文化を否定する事はそういう事になる。

 

「私が祭神様の神使になって。あれから諏訪国も随分大きくなって。神、妖怪、悪魔、魔女

妖精、人も増えたなぁ」

 

 

 

 

 

寝転がっていた俺を誰かが両手で揺すり、起こされた。瞼を開けたら目の前にくるみの顔が映り、俺が起きた事に気づいたら片手で俺の右頬をぺチぺチ叩く。起き上がって見渡すと、俺はベッドで寝ていた様だ。うげ、魅魔もいる。

 

「おはよう天君」

 

「あー... なんで諏訪国にお前達がいる」

 

「寝ぼけてるのかい? ここは夢幻世界にある夢幻館よ」

 

じゃあここは夢幻館の室内で、室内にあるベッドで俺は寝ているのか。

夢幻世界と言っても、夢幻故になんにもない。ただ狭間、境界に夢幻館があるだけで何にもないとは言え、こんなとこと言えば幻月に怒られるが。現実世界と夢幻世界の境界に夢幻館は建っている。

夢月と幻月、もしくは夢幻世界で漂っているドレミー・スイートもいるかと見渡したが、いないようだ。

 

「夢月と幻月、ドレミー・スイートがいないぞ」

 

「3人は他の事で手一杯でいないわよ」

 

俺が寝ているベッドの隣で立っていた魅魔は、翻して近くに置いてあった椅子に腰を掛け、足を組んでそう言うが。うーん、魅魔の体型は相変わらずのわがままボディ。スカートからはみ出てる足もすらっとして綺麗だ。

 

神道は宗教ではあるが、仏教を開祖した釈迦のような人物がいないので、神道は千差万別。つまり神道の考えは、この教え通りに従い守りなさいと。そんな教えが決まってる訳じゃないし、仏教のように戒律などもない。なんでもありだ、だからこそ神道はなんでも取り込み、その取り込んだ宗教の文化を日本文化として今まで混ぜて来た。漢字や政治や法もそう。物部と蘇我の件もあったが、一神教のように他の宗教を否定しないんだ、なんと柔軟な考えだろうか。

当時の人間はさぞ辛かったろう。戦で疲弊し、台風や水害で作物は駄目になって、旱魃でも水で喉を潤せず飢饉で苦しみ、疫病が頻繁に起こっても医学がないので、ただ自然に身を任せて苦しみながら治癒するのを待っていた人間が、民達が心理的な救いを求めたのは、元凶である俺が、今まで見ていた俺自身が一番知っている。風邪や熱も昔は重い病気だった。だからこそ、ある僧はそうしたんだろう。民間救済の為になりふり構ってられないんだと。勿論それだけではなく、朝廷や幕府に取り入る為、権力闘争の権力者としての意味もあるだろうが。弘天の俺自身が、何事も変わっていくのは一番分かってる。

 

「私達の仕事は一旦終えたのよ。労いの言葉があってもいいんじゃないかしら」

 

「もう気が遠くなるほど言ってきたんだ。勘弁してくれ魅魔」

 

「なんか眠たそうだね天君。疲れてるの?」

 

「あのなくるみ。神仏習合、平将門が終わっても戦国の伴天連、キリスト教やアメリカがまだ残ってんだ」

 

だがある意味、神道の思想は宗教の究極的な形と言える。最初から否定せずに肯定して、自分達に都合のいい部分だけを受け入れるクソ共なんだから。

クリスマスを都合のいい所だけ取り込んだ日本はそうだ。曲解され、取り込まれた側としたら堪った物ではない。

とは言えあのキリスト教だし、別に良心の呵責に悩まされはしない。因果応報だろう。

そもそもクリスマスの起源はキリスト教ではない。しかし宗教が身近にありすぎて日本人はどれだけ傲慢な事をしてるか理解していない。クリスマスの起源の元がキリスト教ではないとは言え、

本来ならキリスト教徒に殺されても文句は言えん程の事をしている。

 

これはデウス・エクス・マキナ。神を人間の都合のいいように利用する奴や、宗教で金儲けする奴もいるが、それらはオウム真理教とやってる事が同じだ。

ただテロ行為や人殺しをしてないかの違いだけ、宗教嫌いの、オウム真理教嫌いの日本人は

オウム真理教としてた事となんら変わりがない。

 

緑色のロングヘアーで、青のベスト、青のスカート、青いマントを羽織って全体的に青色の装飾がされた服装の魅魔は、ベッドの近くにある洋風の椅子に座りながら足を組み

左手に持っていた三日月を象ったステッキみたいなのを俺に向ける。魅魔が生足をまた組んだが、ロングスカートなのでスカートの奥が見えない。 Damn it!

 

「なに? まさかあの下らない第二次世界大戦、太平洋戦争、ミッドウェー海戦に介入する気?

やめときなやめときな。日本は敗戦国の末路が相応しいよ」

 

「介入はしないが。ただ一時期の日本は多神教ではなくキリスト教のように一神教になった時代があっただろ」

 

椅子に座っている魅魔の隣に立ち、翼を羽搏かせながらくるみが首を傾げる。

 

「あれ。本来神仏分離をしたのは明治時代だったけど、一神教って神仏分離した今が正にそれじゃないの天君?」

 

「だからこそ天皇の血を持つ平氏を神綺が、俺は源氏を使った。大体、天皇中心国家のそもそもの始まりは、江戸時代の平田篤胤によって復古神道が確立されたのが切っ掛けでもある」

 

日本は輸入に頼っている部分がかなり大きい。その輸入を神が補っていて、急に人間を補うのをやめたらそれは悪なのか、善なのか。それを善や悪だと。人間は傲慢にも言えるのか。

 

ああ下らない。水槽の脳も胡蝶の夢も可能性という言葉も並行世界という概念も全部気に入らない。今挙げたのは人間には便利過ぎるんだ。便利過ぎる言葉、思想、概念。それらは言ってしまえば、神に等しい。

デウス・エクス・マキナ、便利な言葉、ロゴス、概念で笠に着る。とても便利で、使いやすく、しかも殆どに人間に理解されやすい故の詭弁であり、機械仕掛けの神だ。

便利なロゴスは人間をダメにする。分かりやすく、しかも端的な2文字、3文字の罵倒の言葉や

可能性と並行世界は特にだ。平等という言葉の拡大解釈、可能性という言葉の思想、並行世界という概念。それがどれだけの事か、自分が何を言っているのか人間は理解していない。

神という名称は誰にでも分かりやすい意味を持つ概念であり、存在であり、ロゴス、言葉。

この神という、おぼろげながらも、誰にでも理解しやすく、分かりやすいというのが

都合のいい方に捉えられてしまい、拡大解釈、錯覚、曲解、誤解、勘違いを生む原因に繋がる。

ミトコンドリア・イヴやシュレーディンガーの猫がいい例だ

 

「後は大戦後の日本を統治していた進駐軍のGHQ、連合国軍最高司令官総司令部。

8月15日 昭和天皇の玉音放送だ」

 

ベッドの端に行き、端から両足を下ろしてそう言ったら、くるみはどうでもいい感じで相槌を打ちながら、ベッドに座っている俺の右隣に来て座り始め、隣にいる俺に倒れて体重を預け、右肩に頭を乗せ、くるみは両腕を使って俺の右腕を抱きしめながら寄り添って来る。

 

「ふーん。でも私達からすれば痛くも痒くもないからその程度は問題ないの。その頃だとニニギの血は多くの日本人に受け継がれてるから天皇がいなくても別にいいもん」

 

問題は、天皇制の存置と昭和天皇の戦争責任問題。後は終戦の日、天皇制を廃止するか否か。

 

「文字通り天壌無窮の神託。天皇は現人神、神裔とはいえ。西洋の様な一神教のGODとは考え方からして違うからねぇ。一神教の思想が当たり前な西洋社会のアメリカは誤解してるわよ」

 

魅魔は椅子に座りながらこちらを見て、三日月のステッキを片手で器用に扱い、掌でくるくる回転させている。

 

西洋社会のキリスト教とは多くの学問を統治しているが、音楽も美術も例外ではない。

音楽や芸術については日本も例外ではなく、まあこれに関しては東アジアの日本よりも西洋社会の方が目立つが。外国は音楽や芸術さえ、宗教の。特にキリスト教の影響を受けている。神道仏教、道教儒教、ゾロアスター教やヒンドゥー教、ユダヤ教もキリスト教も、出来てからたかが10年や100年では足りない。

例えばゼウスも似た様な事をした男色、衆道もそうだ。当時は先進国だった中国から衆道を日本に持ち込んだのは空海、弘法大師が開祖な訳だが。それが今では衆道が嫌悪感を持たれ軽蔑される。つまり衆道という文化を否定する事は平安時代から江戸時代まで続いた衆道を、日本の歴史を否定する事と同じだ

 

「まぁ小難しい事は××、永琳に任せるわよ。永琳は弘天の頭だからね。私とくるみ、ユウゲンマガンにエリスは人間を殺し回るだけ。それに、人間界は私の物だ」

 

椅子に座り、腕を組んで足を組みながら魅魔は言ったが、昔から魅魔は人間界が自分の物と思い込んでいる。まあ、魅魔が人間界の支配権を持っているのは周知の事実だ。

 

「それは助かる、お前たちが抜けたり敵に回ると時間が掛かるからな。しかしお前達、どうするんだ」

 

「どうするって、あのね天君。回りくどくて伝わりにくい言い方はしないでほしいの」

 

「月人や月の民を皆殺しにする事だ。月人、月の民の魅魔とくるみ、今回はどうするんだ」

 

魅魔と隣に座っていたくるみは、お互いの顔を向き合わせてからベッドの端に座る俺をもう一度見た。

 

俺と永琳は一心同体だが。八意××、永琳は頭がいい。

蓬莱山××の俺より色んな事を知ってるしある程度の物を造る事も出来る。だが月の頭脳と呼ばれようと、造る事は出来ても、神綺とサリエルみたいに創る事は出来ない。

月の頭脳と呼ばれているが、万能でも、完全無欠でもないのだ。

俺は永琳を愛してる。しかし人間が感じる愛情と同じに見えるかもしれないが違う

 

ゼウスは色んな女性と関係を持った。その中でも有名なのがゼウスの実姉ヘーラーだが、そのへーラーは最初の妻じゃない。

ゼウスの最初の妻は 知恵 の女神メーティス。メーティスには諸説あるが、メーティスはゼウスに呑み込まれ、ゼウスとメーティスの子であるアテーナーが生まれた話が有名だろう。ゼウスは全能ではあったが、全知ではなかった。しかし知恵の女神メーティスを呑み込み、取り込んだ事で、ゼウスは全知全能になった。

そう思い返せば永琳は、夫側に味方に付いた事と、知恵を夫に貸したという部分でメーティスと似ている。

 

魅魔は足を組むのをやめて立ち上がり、背中から悪魔みたいな翼を出しながら歩き出し、右手の手の甲を俺に差し出すと、俺の隣にいたくるみも右手の手の甲を差し出して、魅魔の手の甲の上に重ねた。

 

「エリスは天子の監視役だから除外するけど。ユウゲンマガン、夢月と幻月。私達も結構好きに動いてるけどさ、嘗て交わした約束の為に動いてる」

 

「まだ子供だった私達が、あの時に皆で交わした約束が私達にとって全て。だからいつも通り。それに日本神話の巨大樹のやり方なら月人と月の民を植物状態に出来るから平和的なの」

 

俺も左手を差し出し、くるみが差し出した手の甲の上に右手を置いて重ねて頷く

 

「もう死ぬんじゃないよ。あんな永琳を、妹や娘、娶った者達を二度と見たくない」

 

魅魔は瞼を閉じながらそう口にする。嘗て永琳は、月に行こうと俺に提案した

俺は二回死んだが、どちらも地球にいた時に殺されている。それ以外は月に住んでいた。

地球にいたら俺がまた死ぬかもしれなかったから、月に連れて行こうと嘗ての永琳は俺に提案したのだ。回帰する度、永琳は何度も

 

だから俺は

 

À la recherche du temps perdu(失われた時を求めて)




映姫を高身長で美乳のスレンダー体系にするべきか、低身長のちんちくりんにするべきか悩む。原作通り高身長にすべきか悩ましい。
映姫は閻魔であり、エジプト神話の女神 マアト とギリシャ神話 正義の女神 ディケー の人間を監視している役割に近いです。ギリシャ神話 アストライアー も役割として含むかも

ここの西行妖は複数あり、尚且つ、意思と妖力を持っていますが人畜無害です。
神社にあった桜たちが春以外でも咲いていたのは幽香の能力と妖力に触発されたのも大きいですが、理由はそれだけではありません。
神社の裏にあるウメについては、能力で成長させて咲かせたのは幽香です。
しかし春以外で咲くウメに関して幽香は無関係。意識的にではなく無意識ですがそれは弘天、かも
あ、ここの幽香は旧作寄りなので幽香の髪型はショートヘアーではなく紫と同じでロングヘアーです。幽香の性格や口調は旧作寄りではありませんが


鎌倉時代の北条時行を諏訪国へ引き込んだり、室町幕府の三代将軍 足利義満 がいる室町時代はともかく。それ以前に今の天皇は後醍醐天皇ではなく弘文天皇で暫くはこのまま固定です。
だから建武の新政は起こりませんし、鎌倉幕府滅亡の元弘の乱も起きません。
なので鎌倉幕府を滅亡させるのは弘天になり、足利高氏を鎌倉幕府から朝廷側についた原因も、朝廷が余計な事しないように監視しろという弘天の指示になります。仮に後醍醐天皇を出したとして、後醍醐天皇が捕虜となった時点で消すか、南朝を創始しようと逃走する前に消すか、逃げたとしても比叡山延暦寺の僧兵は皆殺しにしてるので軍事力は皆無ですから役には立ちません。比叡山延暦寺で弘天に殺されるのがオチになるでしょう。
つまり鎌倉が朝廷に勝利した承久の乱の後、足利高氏。戦争には強い足利尊氏は山城国、京都に行き室町幕府を創立し、抑止力として持ち前の軍事力で朝廷と天皇が不穏な動きを見せないようにするお目付け役であり、監視役という感じです。光明天皇を擁立する事はありません。幕府が二つ存在する事になりますが承久の乱の後の話だし鎌倉幕府は弘天が潰すので問題ありません。戦国時代は伴天連関係で書きますがね。

もう少しで平氏の織田か。織田氏は弘天と平氏の春姫かその実姉である五月姫の神裔として子を産ませます。

そもそも日本神話の天壌無窮の神勅に従えば、ニニギの血を持つ者が必要不可欠。結局はニニギの血があればいいんですから、それについては藤原氏に平氏や源氏がいますし別に延喜・天暦の治でなくてもいい訳です。大体、延喜・天暦の治って言っても実際はね…。
まあもしもの時は存命している平将門、今は諏訪、信濃平氏の仁科氏を名乗らせているので問題はないです。

日本三大悪人を全て出した理由は色々ありますが、やはり明治時代、明治天皇、国家神道、皇民化教育、皇国史観が大きいです。他の理由だと、日本三大悪人の平将門についての一つで
平将門は雷神、火雷神の菅原道真の生まれ変わりと言われています。生まれ変わりについては昔からよく言われていますね。
他に東京都千代田区九段にある築土神社、この築土神社は平将門、菅原道真を配祀しています。なのでここの平将門は神田大明神と言うよりも、築土大明神か。他にも沢山元ネタや理由はあります

弘天の名前の由来について今までの後書きで書いてきましたが、まだ元ネタがあります。
菅原道真の別称の天神とは、天帝や天空神や天津神だったりと色んな意味があり。
弘天の天はある程度それを含んでいて、福岡県にある弘天神社、志賀海神社は海神を奉斎しており、海神の安曇磯良、安曇氏も弘天に混ぜてます。しかも志賀海神社は主祭神の3柱が綿津見三神でその内の1柱が玉依姫命。豊姫より先に依姫が妊娠したのもそれが理由。

ここからは特に大事な話ですが、八坂神奈子を綿月豊姫と綿月依姫の実妹にしたのにはちゃんと理由があります。建御名方神の妃神の八坂刀売神が、海神である綿津見の娘という伝承があったからです。つまり私のオリジナルではなく、元ネタはちゃんとありました。

だからここでは海神の綿月豊姫、綿月依姫、八坂神奈子の3人と天神の蓬莱山弘天は
海神であり、水神であり、志賀島大明神であり、龗神(龍神)であり、貴船大明神になり、
龗神と言う事は、この4人は龍に近い存在なります。
弘天を含んだ4人は志賀海神社の意味も含んでいて、福岡県の志賀海神社は古代氏族の安曇氏ゆかりの地であり、次に長野県安曇野市にある穂高神社に弘天神社同様、繋がる訳です。

即ち弘天は天を司る天神ではありますが、それと同時に海も司る海神という事になります。この場合の海を司るに関しては海神の綿月豊姫、綿月依姫、八坂神奈子を妻にし、海の支配権を得たという事ですね。ただし神奈子は能力的に天神に近いので神奈子も天神に近いかも。
昔から龍とは、天と海を司りますから。
ここまで書いても弘天の元ネタがまだあります。それら全てを書ける日が来るのだろうか
そもそも私は弘天が計二回死んでいると数話前に書きました、そして一話目に戻る訳ですが。
菅原道真の天神、空海の弘法大師は死後の名です。二人とも死んでからその名が贈られています。計二回。

五竜の黒龍を龍神にしたのもちゃんとした理由があります。長野県の黒姫伝説もありますが、昔から黒龍は龍神様という伝承がある上に、福井県にある九頭竜川は昔は黒龍川と呼ばれていました。そして黒龍大明神信仰が生まれており、長野県にある戸隠神社の九頭龍大神を信仰されています。まあ五竜の黒竜と神道の高龗大神(黒龍大神)は同一視されていますから。
正確に書くならば、五竜の龍は龍ではなく竜ですがね。
こんな感じで元ネタがまだまだ色々積み重なっておりますはい。

ただ意識して書いた訳ではないのですが、今思えば1話から見直すと弘天と永琳はギリシャ神話のゼウスと、知恵の神メーティスの関係に似てます。
ゼウスは天空神で雷を武器とし、菅原道真は天神で雷神と言われてますし。
メーティスは永琳と同じ知恵の神な上に、ゼウスの最初の妻はメーティスで、メーティスはゼウス側であり、ゼウスに呑み込まれたゼウスの最初の妻メーティスは
言葉通りゼウスと一心同体の妻でした。メーティスに関しては諸説ありますけどね。

どうでもいいかもしれませんが回帰と言っても正確に言えば永劫回帰ではありません。
永琳がした事と永劫回帰を比べると最高の肯定や回帰という部分だけが少し似てはいます。ですが、厳密に言えば似ているだけで全く別物。
永劫回帰はあくまで事象の単純化。説明する為の便宜的な意味付けであり、比喩表現の方便に過ぎません。
簡単に言えば永劫回帰よりもっとえげつないやり方で弘天の肯定者である永琳は最高の肯定と回帰をした訳です。

実は月関係のプロットは最初の頃と比べて大幅に変えています。月の民の話は本来なら人種差別のような話ではありませんでした。その内の一つに妖怪と人間は地球が神を殺す為に生み出したとか、穢れは地球が月人達を殺す為の呪いに近い概念だったとか。他に神と妖怪、月の民の地上に対する話は4パターン程考えていましたが、月とアメリカ繋がりでロサンゼルス暴動という事になりました。
奴隷と言っても、例えば有名な話、南アメリカで奴隷が家畜や物としてですが、奴隷を大事にされていた時代もちゃんとありました。そして南北戦争、リンカーン大統領の奴隷解放宣言。南北戦争はもっと複雑な話ですがね。しかしどれだけ大事にされようと、奴隷は所詮奴隷ですから、所有者の所有物です。例え南アメリカのように期間限定の奴隷でも、勿論、北アメリカと南アメリカの奴隷境遇が天と地の差があっても、どんなに綺麗な言葉を並べても奴隷である事に変わりない。
まあ公式設定、月の民の奴隷の玉兎の扱いは、見た感じ征服戦争前の古代ローマ帝国や南アメリカ寄りか。家畜や物扱いの玉兎が月の民に大事にされてるようには見えませんけど
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