蓬莱山家に産まれた 作:お腹減った
「この國は常軌を逸しています。異常だと言わざるを得ません」
月数めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか。ここ輓近は降りっぱなしだったが、今では小雪が舞うコトもなく気温も程よい。雲一つないこんな日は出歩くに限る。そこで久しぶりに降りて来たのはいいが、小腹が空いたから、鬼たちを用いてオレのために建てた団子屋で、山城国から帰還した実妹の従者、咲夜に団子を作ってもらい腹を満たすがてら束になっている紙切れを、一枚一枚丁寧に燃やす。よく燃えるモノだ。カラッとした日に燃やすのはなかなかどうして映える。
そんな時、いつの間にやら隣に座っていた彼女、諏訪國の為政家である神子の開口一番に出た言葉が、ソレだった。側頭部に付けている能面が、いつもは大人しいのに一度だけ動き、感情の起伏が激しくなっているような気もした。
定公問,君使臣,臣事君,如之何? 孔子對曰,君使臣以禮,臣事君以忠。
「不覊ではあるが異常ではないだろ。咲夜、もっと団子をくれ」
「はい」
「あ、今度はタレがいいな」
「判りました」
メイドに伝えるとすぐさま奥に引っ込む。実妹も帰ってきたが、この場に輝夜はいない。久しぶりに帰省したので、月の民へ会いに行っている。一応、咲夜も月の民であり、輝夜に仕えるメイドなんだが、いつもなら付き従うのに、ソレだけは従わなかったらしく、オレに預けたというか、咲夜が自主的にオレの元へ来た。ちょうどいいので作らせているのだ。機材はあるのだが、自分で作るのが面倒だし。
団子と咲夜の合間、先程の返答を考え込み、隔靴掻痒な様子の神子は、飲み込まずに異論を唱えた。
「......いいえ。諏訪さまへ仕える嚮、この國について仄聞していましたが、やはり異常です」
诗经・大雅
『有周不显,帝命不时。文王陟降,在帝左右。亹亹文王,令闻不已。陈锡哉周,侯文王孙子。文王孙子,本支百世。凡周之士,不显亦世。假哉天命,有商孙子。商之孙子,其丽不亿。上帝既命,侯于周服。侯服于周,天命靡常。』
馬王堆・老子乙德經
『天之所亞,孰知其故?天之道,不單而善朕,不言而善應,弗召而自來,單而善謀。天罔恢恢,疏而不失。』
「ココだけ、この國だけが平和です」
「平和、平和か」
日蓮宗などもあるが、かつては活気づいていた浄土教、浄土真宗のような仏教は緩和したから捨ておくとして、諏訪國以外の例を挙げるなら、隣国の美濃国・飛騨国などの民は悲惨で、飢饉、戦や内乱も他の国は普通に起きている。それなのに、諏訪國だけが一切ない。ソコを不思議に思っているのだろう。
诗曰,维女荆楚,居國南乡。昔有成汤,自彼氐羌,莫敢不来享,莫敢不来王,曰商是常。天命多辟,设都于禹之绩。岁事来辟,勿予祸适,稼穑匪解。天命降监,下民有严。不僭不滥,不敢怠遑。命于下國,封建厥福。商邑翼翼,四方之极。寿考且宁,以保我后生。
「近頃は御隠れになられた天神地祇も、さてのみ顕現せず消ぬ」
「せむかたなし」
「されど膏腴の諏訪を食す諏訪さまは、いつまで御座すのか」
御隠れ、と言ってもアイツらが死んだという意味の方ではなく、単純に天神地祇が姿を見せなくなっているという話。落居しているから、もうそろそろ、終わるんだな。
诗曰,绥万邦,屡丰年。天命匪解。保有厥士。于以四方,克定厥家。於昭于天,皇以间之とはある。だが平和なんて、諏訪國だけで十分だろう。オレは
この世は公平か公平ではないのか、というのはどうでもいいコトだが、あえて言うならば、ココは盜跖のようなモノが生きる世界なのかもな。詩經に、君子萬年、保其家室。君子萬年、保其家邦、とはあっても、どれだけ立派でも、どれだけ才があっても、顔回のようなモノでさえ夭折するのだ。子見南子,子路不說。夫子矢之曰,予所否者,天厭之! 天厭之! 顏淵死。子曰,噫! 天喪予! 天喪予!
それに神話の要である血さえ、戦国時代で終わるが。ただその話とは違うけど、オレも女を侍らせているが、全員、美女しかいないし、女に関しては公平とは言えないよ。ソレに納得いかないモノは、下記の詩經みたいなコトを言うモノが多い。
公平だなんだと謳っても、みんな、自分にとって都合がいい公平・公正・平等が欲しいだけなんだよ。
诗云,或燕燕居息,或尽瘁事國。或息偃在床,或不已于行。或不知叫号,或惨惨劬劳。或栖迟偃仰,或王事鞅掌。或湛乐饮酒,或惨惨畏咎。或出入风议,或靡事不为。
「ここはな、オレだけの為にあると言ってもいい。だからこの時代にあるワケがない物さえある」
「この時代......とはなんのコトでしょうか」
「話すと長いから、神々のあれこれを使っているというコトにしておいてくれ」
なんかそれっぽいコト言っているが、なんてことはない。ただ月の都の技術や知識を、そのまま諏訪國へと持ち込んでいるだけである。記憶さえあればこういうコトはすんなりと済む話なんだが、こういう時は不便だ。とはいえ、タケノコみたいにポコポコと記憶を戻せないジレンマ。流石に、憶えていないモノへ、実はSF小説みたいにあの月には都があって、そこには今では考えられないほどの技術があるとか、一部の神々はまだそこに住んでいるとか、説明しても意味不明だろう。
だがおかしいな。顕明連を使ったパルスィは思い出したのに神子は戻っていないらしい。憶えていないのか。フリではないのか。
「神勅賜る。つまり御隠れにならないのですね」
「オレが天神地祇みたいに隠れるコトは、ないよ」
「よかったです。忌憚なく言わせていただくと、ソレが一番の気がかりでした」
要領を得ないといった受け答えだが、息を延ぶ神子は、深くは聞かずに渋々ながら納得した。どうも天魔からオレが消えるのかどうかを尋ねると、間を置かずにアレが隠れるなんてありえない、と言われたらしく、最初はソレで納得していたようだが、次第に危ぶんだようで、言葉質はしておきたかったようだ。
朕知之矣,朕得之矣。而不能以告若矣。
「この大陸にいる老幼男女が、白蓮のような子が笑っていられる國もあれば......」
「そんなモノはない。一部だけならともかく、全てと言うなら神代か、伝説だけだ」
「......伝説、ですか」
中国神話の聖王達は黄帝を除けばもういない。生きているモノもいるが、アイツらはほとんど草葉の陰にいる、終わったのだ。
見上げると、天空にはまざまざと浮かぶ大陸がある。アレを観るコトが出来るのは回帰したモノだけで、神子には観えていないが、アレは神代のモノから設定だけパクったモノだ。しかしあそこは、そんなコトのためにあるのではない。そんな理由で諏訪子の能力で創ったワケではない。それに伝説と言っても、この世が平和で健やかに生きられるという伝説はあっても、平和であり全ての民が学問を修める場所がある伝説なんてモノは流石にない。例え伝説でも限界があるのだ。
白蓮とか命蓮にも勉学へ励ませてはいるが、ソレも最低限。コレを聞いて、バカ親と観るモノや、乳母日傘と思うモノもいるかもしれない。だが学問というのは、そういうコトのためにあるのではない。知識というのは、そういうコトのためにあるのではない。子供を陶冶するため、溢れそうなほど一杯一杯に詰め込めばいい、というモノではないのだよ。
道家・老子は『埏埴以為器,當其無,有器之用。』と言ったが、器というのはなにかを入れるためにあるワケではない。仮に器へ水を入れたところで、器は所詮、器でしかないのだ。どれだけ高価な物や澄んだ水を入れても、埴を埏ねて作られた器が変わることはない。ソレを満たせばいいと考えるモノもいるが、それでは意味がない。大体、水を入れるにしても、透き通った水だけを入れたら後々億劫になる。
子非其人也。夫卜梁倚有聖人之才,而無聖人之道,我有聖人之道,而無聖人之才,吾欲以教之,庶幾其果為聖人乎! 不然,以聖人之道告聖人之才,亦易矣。
孝經・感應
『子曰:「昔者明王事父孝,故事天明;事母孝,故事地察;長幼順,故上下治。天地明察,神明彰矣。故雖天子,必有尊也,言有父也;必有先也,言有兄也。宗廟致敬,不忘親也;修身慎行,恐辱先也。宗廟致敬,鬼神著矣。孝悌之至,通於神明,光於四海,無所不通。《詩》云:"自西自東,自南自北,無思不服。"」』
「然るにても、なぜ諏訪さまは紙を燃やしているのですか」
「そう、ただの紙だ。燃やすのに大した理由はない。ただ文字が書かれた紙を燃やしているだけ」
紙だが……コレが教育勅語、だったらどうなるんだろうな。今燃やしているのは教育勅語ではないが、旁旁興味がないモノからしたら、文字が書かれただけの紙だよ。コレにかかれているコトも、クソの役にも立たないモノばかり。なにせコレはオレが直筆したモノだ。特に使い道もないからこうしている。
今オレが燃やしているのは教育勅語なのか、そもそも今は室町時代ではないのか、なんていうのはどうでもいいコトだが、先人達からの借り物を、自分勝手に弄り回しているモノしかない21世紀の創作物っていうのは、こういう行為となにが違うんだろうな。ただ、例えばギリシア神話は信仰が無くなったから好きに扱っていいとか、面白ければいい、とか言うヤツはクソだよ。特に信仰に関して言えば、オレの言いたいコトは、そういう話ではない。いやはやホントに、そうやって都合のいい方へ解釈し、曲解・歪曲して舞文弄法するヤツは即刻、全員死んでほしいモノだ。例え娯楽という名のお人形遊びでも、ソレを本気で口にしたなら笑えない。軍記物語である太平記を歴史書、と言うくらい笑えない。だからオウム真理教をカルト宗教扱いするんだろう。
ただし、設定を使うなら愛だの、敬意だの、リスペクトだのと謳うクソみたいなヤツもたまーにいるが、コレを言うヤツは自覚がない德と
魔女のような空想上の存在も、魔法のような概念も、憑依や輪廻転生のような
桀溺曰,滔滔者天下皆是也,而誰以易之? 且而與其從辟人之士也,豈若從辟世之士哉? 丈人曰,四體不勤,五穀不分。孰為夫子?
「ソレは経典、政治書の類でしょうか?」
「ただの紙だよ」
「紙......しかしながら、ソレを諏訪さまがしてもよいのですか」
「今のオレは豎儒や
オレが執筆した紙なんぞ欲しがるヤツは狂信者くらいだろう。
ところで、たかだかルールや
しかもさ、未だに儒教の始祖・孔子は無神論者だったとか、無宗教だったとか、不可知論者だった、とか言うヤツらがいるんだよ。コレは孔子家語・辯物にも似た記述のある話なんだが、儒教の聖典ではないとはいえ、古代中国の歴史書・『國語』で孔子は神について語っているというのに。一体ダレだろうな、こんな無責任なコトを吹聴しているヤツは。一体ダレだろうな、オウム真理教の思想はカルト宗教扱いしているというのに、儒教思想と仏教思想は宗教ではないとほざくクソ共は。一体ダレだろうな、自分にとって都合がいい思想は宗教ではないとぬかすヤツは。そしてその無責任な発言と、創作物という名のお人形遊びに使っているだけの、先人達からの借り物でしかない、神話に出てくる空想上の存在など、歴史上の人物を登場させ、自分勝手に喋らせて、自分勝手な妄想を押し付けて、その設定を弄りまわしているクソ共は、実在する人物を使うコトと、いったいなにが違うんだろな。
國語・魯語下 孔子家語・辯物
『
列子・說符
『宋人有好行仁義者,三世不懈。家无故黑牛生白犢,以問孔子。孔子曰:「此吉祥也,以薦上帝。」』
『言偃復問曰:「如此乎禮之急也?」孔子曰:「夫禮,先王以承天之道,以治人之情。故失之者死,得之者生。《詩》曰:"相鼠有體,人而無禮;人而無禮,胡不遄死?"是故夫禮,必本於天,殽於地,列於鬼神,達於喪祭、射御、冠昏、朝聘。故聖人以禮示之,故天下國家可得而正也。」』
诗经・相鼠
『相鼠有皮,人而无仪;人而无仪,不死何为?相鼠有齿,人而无止;人而无止,不死何俟?相鼠有体,人而无礼;人而无礼,胡不遄死?』
「かつては大和国に携わったモノとして、この國と関わり、政や民を観て常々思うのですが」
束になっていた紙はあっという間になくなり、気付けば残り数枚。これは、どうしてくれようか。掉尾を飾るため、焼き芋でもしようかな。燃えやすくするため、一旦くしゃくしゃにして仕舞いながら傾聴する。神子の記憶が戻る兆候ではないかと、そう思ったからだ。
子曰,莫我知也夫! 子貢曰,何為其莫知子也? 子曰,不怨天,不尤人。下學而上達。知我者,其天乎!
「唐土の文献で似たような話を拝見したことがあります」
诗曰,式是百辟,缵戎祖考,王躬是保。出纳王命,王之喉舌。赋政于外,四方爰发。
オレは諏訪國の政・祭事などの彼是を神子、布都、屠自古へと丸投げしている。ただこの三人だけでココの舵を取っているワケではない。自分がしたくないのもあるが、オレよりも才と能力があるし、民衆のコトを考え心を痛めてくれるだろう、という安易な気持ちで信認し、任せている。腹蔵なく言えば、オレとしては弑するコトもなく、苛政猛於虎也にならなければなんでもいいのだ。だからあとは好きにしてくれと伝えて放任して、この國の王ではあるが懶惰の生活を送り、娑婆塞ぎとしてココにいる。なにより今まで一度も落ち度や疎漏があったコトもないし、丸く収まってるならソレでいい。
孝經・三才
『曾子曰:「甚哉,孝之大也!」子曰:「夫孝,天之經也,地之義也,民之行也。天地之經,而民是則之。則天之明,因地之利,以順天下。是以其教不肅而成,其政不嚴而治。先王見教之可以化民也,是故先之以博愛,而民莫遺其親,陳之德義,而民興行。先之以敬讓,而民不爭;導之以禮樂,而民和睦;示之以好惡,而民知禁。《詩》云:"赫赫師尹,民具爾瞻。"」』
だが、なんの文献で思いを馳せているのか、縷言せずに神子は、ぽつりともらす
「まるで唐土の篤志な聖人が理想とした政情のような......」
「言われてみれば似ているな」
「諏訪國は法も政も必要としていません。あったとしても微々たるモノ」
列子・黄帝
『又二十有八年,天下大治,幾若華胥氏之國,而帝登假,百姓號之,二百餘年不輟。』
理想とした政治、というのは孔子か老子なのかな。だがアレはあくまでも理想の話だ。ソレを目指したモノもいたが、叶うコトはなかった。黄帝が観た華胥之夢、そして孔子が理想とした古代中国三代王朝は、どちらも神話・伝説の話であり、コレは宗教の話だ。この世界では起きたが、実際にあった話じゃないし、あの聖王たちが実際にいたという証拠も、あの政治を敷いたという証拠もない。神武天皇も実際にいたという証拠がないようにな。つまり歴史の話ではないのだよ。確かに考古学的に言えばその三代王朝はあったかもしれないが、あの聖王たちがいたという証拠ではない。
なのに、どこぞのクソ共は2000年以上の歴史がある、とかぬかしやがる。それを言ったら中国神話を観る限り、中国は4000年以上の歴史があるだろうが。だからさ、日本なんてゴミだよゴミ。拠り所にしているその〝血〟も、2000年以上続いている証拠はないよ。大体だな、日本の歴史は江戸時代で終わっているし、民族としての日本人は死んだのだ。今じゃそんな考えはなんの価値もねえからな。まったくこういう無責任なヤツが引っ掻き回すから目に余るのだよ。
コレを捏造と言わずしてなんと言うのだろうか。初代天皇から第10代までの天皇がいたという証拠もなく、あまつさえ古墳時代から飛鳥時代への歴史は皆無に等しい。だから――創作物など一因としてはあるだろうが――日本では三国時代が盛んに研究され、他の時代より有名なんじゃないか。要するに都合のいいところだけしか観ていないんだ。昔いたよ、どこぞの小説家や漫画家が似たようなコトをして混乱させたヤツが。だからこそ、言うのだ。仮にオレを操っているモノがいたとしたら、ソイツにも責任はあるし、ソレを負わねばならないコトだ。創作物だから、と言い訳したり、開き直っていいコトではない。コレが許されているのがそもそもおかしいというのに。
論語・八佾
『子曰:夏禮,吾能言之,杞不足徵也;殷禮,吾能言之,宋不足徵也。文獻不足故也,足則吾能徵之矣。』
神游而已。其國无師長,自然而已。其民无嗜慾,自然而已。不知樂生,不知惡死,故无夭殤;不知親己,不知踈物,故无愛憎;不知背逆,不知向順,故无利害;都无所愛惜,都无所畏忌。入水不溺,入火不熱。斫撻无傷痛,指擿无痟癢。乘空如履實,寢虛若處床。雲霧不硋其視,雷霆不亂其聽,美惡不滑其心,山谷不躓其步,神行而已。
「諏訪の民にも私たちを受け入れてもらえました」
「そうだ。だから祭事・産業・経済も、民も含めて任せた。好きにしたらいい」
「ですが私は必要なのか、そう思わずにはいられません。それにこの國は......」
「時間があるなら文化人にでもなればいいと思うが」
「文化......」
「別に生涯を民へ捧げなくてもいい。だがオレには捧げろ」
昔者堯薦舜於天而天受之,暴之於民而民受之,故曰:天不言,以行與事示之而已矣。
神子は鬱積を披瀝した。責任の重みとか、自分がその立場でいてもいいのか、そういうコトで精神が憔悴しているワケではなく、ココで手腕を発揮しても、清水の舞台から飛び降りるような実感がないコトに憂悶しているのだな。大抵は前者のような話が出そうだけど、コレも彼女の器と、叡智と、驥足と、才幹と、真率ゆえか。この國を自由にできる地位にいるのだから、普通こういうのは伴食宰相になるモノではないのか。
自覚はないのだろうが、彼女のおかげでかなり助かっている。王を頼ろうとはせず、自分達の手で切り盛りしてくれるコトは、オレの中にある思想的に言えば、ソレはとても喜ばしいコトなのだ。普通は、王の立場にいるモノがそんなコトでどうするのかと観られるが、コレでいいんだ。本来、あの理想の政治が出来るワケがない。しかし今の諏訪國では実現している。ソレで、十分だ。
子謂子賤,君子哉若人! 魯無君子者,斯焉取斯? 子張問政。子曰:居之無倦,行之以忠。 季康子問政於孔子。孔子對曰:政者,正也。子帥以正,孰敢不正?
先生曰:籲,子來前! 夫大木爲杗,細木爲桷,欂櫨、侏儒,椳、闑、扂、楔,各得其宜,施以成室者,匠氏之工也。玉札、丹砂,赤箭、青芝,牛溲、馬勃,敗鼓之皮,俱收並蓄,待用無遺者,醫師之良也。登明選公,雜進巧拙,紆餘爲妍,卓犖爲傑,校短量長,惟器是適者,宰相之方也。
彼女が宰相肚里能撑船だったのは僥倖だった。しかし平和な場所ではソレも考え物なのかもしれん。だからその思惑を払拭しようと、両手を彼女の肩に置いて顔をずいっと近づける。
「諏訪國が平和だからこそ、お前のようなモノが無くてはならない存在だ」
「そのように仰っていただけるのは大慶です」
「だが難しく意嚮する必要はない。オレも口を挟みはせん」
「輔助としての布都や屠自古はいても、こう、手応えを感じないのがもどかしい。ままならない。幸い難渋ではありませんから、政も現状維持しつつ、多様の水準を上げるくらいでしょうか」
覿面し、瞳を見つめ返しながら神子が述べたコトを、脳で反芻しながら団子を食う作業に戻る。
門前市を成すというワケではなく、かと言って賓客亦已散,門前雀羅張になっているコトもないから、それで十分すぎるが、維持か。社家について言うなら平安時代で変わったモノはいるんだよ。鎌倉時代だか室町時代だかで武家に燃やされた神社もあったし、戦国時代では社家が断絶しているモノもいるのだ。一度終わったモノを戻したようだが、ソレは同じではない。それに今は室町時代だが、今の日本にはイラン人とかインド人とかベトナム人とかもいるし、そろそろユダヤ人とかスペイン人とかポルトガル人も来る。ソレと同じように、神話や伝説を除けば、真の意味で維持をするというのは、出来るワケがないのだ。
ココで気になるのは、ルイス・デ・アルメイダはユダヤ人であるのか否か、である。ソレをיהוהに問うたコトもあったが教えてくれなかった。
とりあえずオレの旨意を為政家に伝えてみたけど、こういうコトは向いていない。オレは女を侍らせたらそれでいいが、彼女はそうではないだろうし、諏訪國に娯楽でも増やそうかな。
子擊磬於衛。有荷蕢而過孔氏之門者,曰,有心哉! 擊磬乎! 既而曰,鄙哉! 硜硜乎! 莫己知也,斯己而已矣。深則厲,淺則揭。子曰,果哉! 末之難矣。诗云,匏有苦叶,济有深涉。深则厉,浅则揭。有瀰济盈,有鷕雉鸣。济盈不濡轨,雉鸣求其牡。雍雍鸣雁,旭日始旦。士如归妻,迨冰未泮。招招舟子,人涉卬否。人涉卬否,卬须我友。
「まあ時間はあるんだし三色団子でも食べなよ。ほれ」
最後の一本を皿ごと渡す。そこまで単純な女ではないだろうが、滋味で甘いモノでも喫すれば沈んだ気力も多少は向上するだろう。
たかが一つ、されど一つ、口に運ぶと、佳味だったのか瞠目しながら甘味へ夢中になっている神子をしり目に、太陽へ視線を向ける。猶々焜を放っていた。日差しが眩しい。消えては現れ消えては現れの頻々するだけ。だが××神話のように終わったコトもなければ、アレが変わったコトはない。
子曰,予欲無言。子貢曰,子如不言,則小子何述焉? 子曰,天何言哉? 四時行焉,百物生焉,天何言哉?
「ん?」
寸陰、太陽が濁って観えた。太陽を司る神はアマテラスだけではないが、アイツに何かあった吉凶、ではないな。そんなコトがあれば、天神地祇や月の民、あるいは天狗が飛んで来てオレに知らせるよ。だから些事だ些事。豊姫と通暁セックスした疲れからか、意識とピントがずれて誤認したのだろう。全く疲れていないし、もっとセックスしたくてたまらないが、あの太陽をそう観えた原因に身に覚えがあるとすれば、オレが疲れているからとしか考えられない。聖人不凝滯於物,而能與世推移。
世俗之議曰:賢人可遇,不遇,亦自其咎也:生不希世准主,觀鑒治內,調能定說,審詞際會。能進有補贍主,何不遇之有? 今則不然,作無益之能,納無補之說,以夏進鑪,以冬奏扇,為所不欲得之事,獻所不欲聞之語,其不遇禍,幸矣,何福祐之有乎?
「お待たせしました」
「おー待ってたぞ。早う早う」
「どうぞ」
「ありがとう。咲夜も食うか」
「......はしたないですが一本いただきます」
ちょうど作り終えた咲夜が戻って来ると、大きめな皿の上には両手の指では足りないほど乗せられていた。品はないけど、数を多めにするのを優先してもらっているからこのような見た目になっている。繁文縟礼とか、そういうのを求められる場所でもないし、なによりオレが食えたらそれでいいのだ。花も大事だが、団子も大事だ。タレがふんだんに塗られているピラミッド型になっている串団子を一つ取りながら、目線を隣にいる為政者へと移行する。
神子は中々、皿を受け取ろうとしなかったので押し付けるような形になったが、さっきまで黯澹して牙を抜かれていた彼女はどこへ行ったのか、食べ終わった後の彼女は、まるで別の人格が乗っ取ったように見違え、どんよりと覆っていた空気も弛緩し、極端なくらいに煌めかすと、愁眉を開く。すると整然とした態度を涵養させ、醸し出しながら舒懐した。忙しい女だ。
「これは甘し。つい蓮葉にもうぼるほどとは」
「御粗末様」
「とんでもない。流石は諏訪さまの侍従、私は醜態を晒してお恥ずかしい限りです」
咲夜が祗候しているのはオレじゃなくて輝夜だが、わざわざ斧鉞はせず、手振りでタレの団子を好きに食えと意思表示をすると、まるで拍子木を打つ音が聞こえるように斟酌した神子は、甘味へ手を伸ばす前に、打って変わって竦動した。
この女が諏訪國の宰相とはなあ。宰相はいても翼賛するための中国でいう皇帝・天子は、いないが。オレの実娘である方の天子もいないし、輔弼もあってないようなモノだ。どこかで気随気儘にしているあの娘は、白蓮や早苗と役割は似ているが、厳密に言えば違う。だがもし天子があのまま諏訪國にいたなら、この諏訪國という國は古代中国の、中国神話の時代へ回帰していただろう。ソレも面白そうだ。天子がいると受命できるんだよ。オレ
子曰:回也其庶乎,屢空。賜不受命,而貨殖焉,億則屢中。
『王曰:「古人有言曰:"牝雞無晨;牝雞之晨,惟家之索。"今商王受惟婦言是用,昏棄厥肆祀弗答,昏棄厥遺王父母弟不迪,乃惟四方之多罪逋逃,是崇是長,是信是使,是以為大夫卿士。俾暴虐于百姓,以奸宄于商邑。』
『天子將出征,類乎上帝,宜乎社,造乎禰,禡於所征之地。受命於祖,受成於學。出征,執有罪;反,釋奠于學,以訊馘告。』
『是月也,日窮於次,月窮於紀,星回於天。數將幾終,歲且更始。專而農民,毋有所使。天子乃與公、卿、大夫,共飭國典,論時令,以待來歲之宜。乃命太史次諸侯之列,賦之犧牲,以共皇天、上帝、社稷之饗。乃命同姓之邦,共寢廟之芻豢。命宰歷卿大夫至于庶民土田之數,而賦犧牲,以共山林名川之祀。凡在天下九州之民者,無不咸獻其力,以共皇天、上帝、社稷、寢廟、山林、名川之祀。』
「先の話も須要。而して憚り乍らややましきことがあり」
「まだあるのか」
記憶がない彼女からすれば、メイド服を着ている咲夜は、面妖な格好をしているとしか観えないのもあるのだろうが、ただ傍にいるだけの従者になぜか気圧されつつも、それほどゆゆし内容を出す行動に躊躇っており、歯切れが悪い。だが落ち着くために軽く息吹をすると、儚い風がそより、喉を一度鳴らした神子は、その眼の奥にある嘱望を隠さずに口にした。
诗云,之子于征,劬劳于野。爰及矜人,哀此鳏寡。之子于垣,百堵皆作。虽则劬劳,其究安宅。维此哲人,谓我劬劳。维彼愚人,谓我宣骄。
「私のようなモノが老いるコトはありません。しかし、不死ではない」
団子を食いながら神子の話に耳を傾けていたが、なんと不死のコトだった。なんだ、そんなコトなら大したコトではない。いやー、神妙な感じだったから、オレはてっきり……。記憶やこの世界についてとか、どうしてあまたの女性を娶っているのか、みたいに、聞かれるとオレが困る内容でなかったよ。
でも神裔とか神子のようなモノには寿命がないんだ。不老不死を求めた秦のアレは、ソレでも是としそうだが、彼女からすればそうではないらしい。紀元前はまだしも、平成時代においては病も減った。いいコトか悪いコトなのかは知らんが、お金さえあれば長生きできるようになった。だが今のところ、寿命だけは、老いだけはどうしようもない。時間には、年には抗えないのだ。
そう。ギリシア神話のように、信仰が無くなった神話・神々もいる。しかし、今まで繰り返してきたが、中興しようとしたモノはいなかった。嗷嗷したところでなんになるというのか。さまあし。信仰が無くなろうが、オレ達はヘーゲルが言うような、媒介で存在しているワケではないのだ。
荀子
『兼服天下之心:高上尊貴,不以驕人;聰明聖知,不以窮人;齊給速通,不爭先人;剛毅勇敢,不以傷人;不知則問,不能則學,雖能必讓,然後為德。遇君則脩臣下之義,遇鄉則脩長幼之義,遇長則脩子弟之義,遇友則脩禮節辭讓之義,遇賤而少者,則脩告導寬容之義。無不愛也,無不敬也,無與人爭也,恢然如天地之苞萬物。如是,則賢者貴之,不肖者親之;如是,而不服者,則可謂訞怪狡猾之人矣,雖則子弟之中,刑及之而宜。《詩》云:「匪上帝不時,殷不用舊;雖無老成人,尚有典刑;曾是莫聽,大命以傾。」此之謂也。』
春秋繁露・郊祀
『周宣王時,天下旱,歲惡甚,王憂之。其《詩》曰:「倬彼雲漢,昭回於天。王曰鳴呼!何辜今之人?天降喪亂,饑饉薦臻。靡神不舉,靡愛斯牲,圭璧既卒,寧莫我聽。旱既太甚,蘊隆蟲蟲。不殄祀,自郊徂宮。上下奠瘞,靡神不宗。後稷不克,上帝不臨。耗射下土,寧丁我躬。」宣王自以為不能乎後稷,不中乎上帝,故有此災。有此災,愈恐懼而謹事天。』
「私達の天命は天神地祇が典掌し、天帝が桎梏させている......天魔はそう言います」
「そう、だな。否定はしないよ。あの天皇も例外ではない」
「附言しておくならば、我々のようなモノは、上帝に秉彝されているとも聞知しました」
「……アイツの頭には緘黙や守秘義務という言葉がないのか」
緘口令を敷かなかったオレもオレだが、いくらなんでも漏洩し過ぎだった。思い出したならともかく、そうでないモノに喋り過ぎではないだろうか。もしかしてこの行動は、記憶を戻すために天魔なりの布石、とは思えないなあ。
今の神子がどういう思想なのかは、どの宗教を基軸とし、信仰しているのかを知らない。昔は道教を信仰していた記憶もあるが、今は仏教徒なのか、儒教徒なのか、法家なのか、道教なのか、全て信仰しているのか、都合のいいように使っているのかは判らないが、そんな彼女の口から出た言葉が天命ときた。
天命か……ソレを換言するなら運命と言うべき言葉だ。その天命としての意味で言うならば、運命だけではなく他の意味もあるが、一先ずは運命としておく。そして天命という概念は、儒教において無視できないモノだ。それで、オレは今まで儒教の思想を語ってきた。ソレを全て守れているかどうかは置いといて、儒教徒と言っても過言ではない。なのだが、儒教徒だけではなく、実は墨家でもあるんだ。てかそうじゃなかったら、神やら妖怪やら神裔やらを娶ったが、その全てを正妻扱いなんてしていなかった。ソレは儒教的に言うなら様々な問題があるのだ。ソレを知っているモノから言囂しに言われるのは想像に難くない。
儒家・孟子は『天下有道,小德役大德,小賢役大賢;天下無道,小役大,弱役強。斯二者天也。順天者存,逆天者亡。』と言い、道家・老子は『天地不仁,以萬物為芻狗。天道無親,常與善人。』と言ったよ。詩經によれば『命之不易,无遏尔躬。宣昭义问,有虞殷自天。上天之载,无声无臭。仪刑文王,萬邦作孚。』とある。だがオレの場合、天・天道・天命・運命とか、そういうのは儒教思想寄りではあるが、道教思想や墨家思想も混ざっていると言うべきだろうか。ただ天・
ただし孟子は『使之主祭而百神享之,是天受之;使之主事而事治,百姓安之,是民受之也。天與之,人與之,故曰:天子不能以天下與人。舜相堯二十有八載,非人之所能為也,天也。』と述べ、天の意思は民の意思と示唆する思想であった。孟子は尚書・泰誓中の『同心同德。雖有周親,不如仁人。天視自我民視,天聽自我民聽。百姓有過,在予一人,今朕必往。我武維揚,侵于之疆,取彼凶殘。我伐用張,于湯有光。勖哉夫子!罔或無畏,寧執非敵。百姓懍懍,若崩厥角。嗚呼!乃一德一心,立定厥功,惟克永世。』から引用したが、この孟子の思想に関しては反映されてはいない。少なくともこのオレには。
孝經・聖治
『曾子曰:「敢問聖人之德,無以加於孝乎?」子曰:「天地之性,人為貴。人之行,莫大於孝。孝莫大於嚴父。嚴父莫大於配天,則周公其人也。昔者,周公郊祀後稷以配天,宗祀文王於明堂,以配上帝。是以四海之內,各以其職來祭。夫聖人之德,又何以加於孝乎?故親生之膝下,以養父母日嚴。聖人因嚴以教敬,因親以教愛。聖人之教,不肅而成,其政不嚴而治,其所因者本也。父子之道,天性也,君臣之義也。父母生之,續莫大焉。君親臨之,厚莫重焉。故不愛其親而愛他人者,謂之悖德;不敬其親而敬他人者,謂之悖禮。以順則逆,民無則焉。不在於善,而皆在於凶德,雖得之,君子不貴也。君子則不然,言思可道,行思可樂,德義可尊,作事可法,容止可觀,進退可度,以臨其民。是以其民畏而愛之,則而象之。故能成其德教,而行其政令。《詩》云:"淑人君子,其儀不忒。"」』
墨子・天志上
『天子為政於三公、諸侯、士、庶人,天下之士君子固明知,天之為政於天子,天下百姓未得之明知也。故昔三代聖王禹湯文武,欲以天之為政於天子,明說天下之百姓,故莫不犓牛羊,豢犬彘,潔為粢盛酒醴,以祭祀上帝鬼神,而求祈福於天。我未嘗聞天下之所求祈福於天子者也,我所以知天之為政於天子者也。天之為政於天子,天下百姓未得之明知也。故天子者,天下之窮貴也,天下之窮富也,故於富且貴者,當天意而不可不順,順天意者,兼相愛,交相利,必得賞。反天意者,別相惡,交相賊,必得罰。然則是誰順天意而得賞者?誰反天意而得罰者?』
「史記によれば、『天高聽卑』と。そして諏訪さまは、仙女を娶られました」
「ほほう」
诗云、世之不显,厥犹翼翼,思皇多士,生此王國。王國克生,维周之桢,济济多士,文王以宁。
オレは
つまるところ神子の言いぶりから洞察するに、嫦娥との誘い水をしろというコトらしい。詩經には『维此文王,小心翼翼。昭事上帝,聿怀多福。厥德不回,以受方國。天监在下,有命既集。文王初载,天作之合。』とある。彼女は文王ではないが、神子も娶ってはいる。屠自古と布都もそうだ。ただこの三人と極力会わなかったのは、一部を除いて諏訪國の政治を殆ど押し付けているから、ちょっと、いやかなり微妙な立場であり、基本的には関わらないようにしていたのもある。もちろん、彼女らを鼎之輕重未可問也するワケではないが、老子の思想的に言うなら、諏訪國の王であるオレが下手に目立つのはかなりマズい。政において、オレは役立たずのままでいないといけないんだ。
子畏於匡。曰,文王既沒,文不在茲乎,天之將喪斯文也,後死者不得與於斯文也;天之未喪斯文也,匡人其如予何。
「娘々ー」
「はーい」
呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん。ちょうど飛行していたらしく、名を呼ばれてふわり、と一枚の花びらが落ちるように仙女は降臨した。すると、淅淅とはせず、まるで全てを包み込む母のように、優しく、心地よい、それでいてどこか懐かしい、頬を撫でるようなそよ風が起き、思わず欠伸が出る。なんか……全てを委ねたくなるような気持ちになった。これはいかんと思考をクリアにし、いつもなら窈窕淑女ではないと即答できるのに、そう錯覚しそうになった意識を元凶へ向けると、オレの視界を躰で埋め尽くした仙女は、なぜか上機嫌。彼女は抱え込むように持っていたが、液体が入ったモノやら、黄金に輝くモノが目に飛び込む。うお、まぶし。目だ、耳だ、鼻。右手で遮りながら、慣れるまで薄目にしながらまた観る。なんか最近、青娥と会う機会が多く、彼女は便利屋になり始めている気がする今日この頃。
儀封人請見。曰,君子之至於斯也,吾未嘗不得見也。從者見之。出曰,二三子,何患於喪乎? 天下之無道也久矣,天將以夫子為木鐸。大宰問於子貢曰,夫子聖者與? 何其多能也? 子貢曰,固天縱之將聖,又多能也。
「話は聞かせてもらいました。そしてコレは仙人になるタメのモノです」
「早いな」
「どれにすべきか悩みましたが、今回は『抱朴子』にしました」
「……神話が起きたのは理解しているが、本当にソレを飲めば空を飛べるのか」
「ええ。葛洪の理論上では寒丹を飲めば飛翔できますが、今すぐ仙人になりたいなら伏丹をオススメしますわ」
今日の献立を伝えるような気軽さで、何事もなかったように振る舞う青娥は神子へと話を振った。しかし、いくら神子が天魔の娘とはいえ、いきなり仙女が現れただけでも目が点になるというのに、不死についての話をしていたら矢庭にも仙人へなればいいと言われ、とんとん拍子に事態がまとまるさまが急展開すぎて腑抜けた面相をしている神子をよそに、青娥が持っていた神丹を右手で掴む。
イエス・キリストと聖徳太子――厩戸皇子は、共通点が多い、というのは有名だが、新約聖書ではイエス・キリストが湖の上を歩いた、という話がある。それで思い出したんだが、確か晋王朝にいた道教研究家・葛洪の『抱朴子』によれば、この神丹を足の裏に塗ると、水上を歩行できるんだっけか。理論上、の話だが。
抱朴子
『第一之丹名曰丹華。當先作玄黃,用雄黃水、礬石水、戎鹽、鹵鹽、礜石、牡蠣、赤石脂、滑石、胡粉各數十斤,以為六一泥,火之三十六日成,服七之日仙。又以玄膏丸此丹,置猛火上,須臾成黃金。又以二百四十銖合水銀百斤火之,亦成黃金。金成者藥成也。金不成,更封藥而火之,日數如前,無不成也。』
『第二之丹名曰神丹,亦曰神符。服之百日仙也。行度水火,以此丹塗足下,步行水上。服之三刀圭,三屍九蟲皆即消壞,百病皆愈也。』
『第八之丹名伏丹。服之即日仙也。以此丹如棗核許持之,百鬼避之。以丹書門戶上,萬邪衆精不敢前,又辟盜賊虎狼也。』
『第九之丹名寒丹。服一刀圭,百日仙也。仙童仙女來侍,飛行輕舉,不用羽翼。』
「神子ちゃんはどれがいいよ。飲めば不死にはなれるぞ」
「不死にはなりますが、一様ではありません。玉石混淆ですよ」
丹の数は多く、色々あるが眩しすぎる。というのも、青娥が持つ丹は黄金色ばかりで、太陽の光のせいか反射が激しく、自分を観ろという自己主張が大きすぎるのだ。そのおかげか、後光が射すかのような青娥は、普段よりも神々しく、麗唱仍添錦上花になり、中身はアレだが久しぶりに神聖な存在に観えて、道教の女神へと成った気もするが……ないな。彼女に聞いてみたら、それぞれ異なるらしく、飲むモノによって不死や仙人になるまでの期間や効果の違いはあるらしい。
不死か……幽々子もそうだが、白蓮や命蓮、早苗も老いはしないし、寿命はない。だが不死ではない。オレがそうだったように、死ぬ時はあっけなく死ぬ。かと言って、諸般の事情もあって仙人にするワケにはいかない。特に白蓮、命蓮、早苗はダメだ。いや、あの子たち以外は別にいいんだ。だから神子が仙人になっても特に不都合はない。あ、ついでに布都と屠自古とかにも飲ませようかな。材料を聞く限り飲むと寿命はゴリゴリ減りそうだが、彼女たちも寿命なんてあってないようなモノだから、大丈夫だろう。地球が生んだニンゲンは、寿命があるし不死でもないので、飲めば短命になるのは間違いない。
「娘々のコトだから物部氏と蘇我氏の分も……あるんだろうなそりゃ」
「抜かりはありません」
数が多いから抱え持っていた丹を片手で持ち、懐から普通に取り出せばいいモノを、わざわざもう一方を胸元に突っ込んで出した。
「コレは『黄帝九鼎神丹经诀』の神丹です。神子さん、こちらへ」
「......え、はいッ!」
思考回路に異常があったようだが、名を呼ばれて意識を警醒された神子へ神丹を持たせるため、青娥は傍に招く。
しかし仙女はこれみよがしに取り出したのはいいが、観た瞬間、目を閉じた。紫色とか火色とか、五色とかもあるが、これも黄金色ばかりじゃないか! この神丹、黄金というか黄色や黄土色のも寥寥だが、やはり黄金というのは、今も昔も人の心をつかんで離さない神秘の色というか、魔性の色なんだな。しみじみと感じずにはいられない。
抱朴子の丹を抱えているのもあって、地味に重いと感じてきた青娥は冷や汗を流しているが、袋に包んだり地面に置いたりはせず、物理的な意味で不幸を分かち合うため、自分の胸は異空間へ繋がっているのだと言わんばかりに、次々とオレ達に渡してくる。神丹と言えば聞こえはいいが、『抱朴子』もそうで、『黄帝九鼎神丹经诀』でも水銀も加えるんだったな。それ以外にもヤバいモノはあるが、こんなの飲むから秦王朝のアレも早死にするのだ。
神丹をとどまることなく渡されていたが、次第に勢いは落ち、もはや弾切れとなった。このまま持ったままでいるのは辛いので、緋毛繊に向かいその上に神丹を雑に扱いながらも置く。ついでに青娥と神子が抱えていた神丹も運ぶ。なんでオレ……こんなコトしてんだろ。仕事を終えたオレは緋毛繊にまた座り、元凶と天魔の娘を眺める。
「本当に渡してもいいのかしら」
「オレがいいと言ったらいいんだ」
「嗚呼、惨憺な八意様。棄絕蓬室居,塌然摧肺肝」
「……なんか歎声して艱苦っぽく言っているが、お前の声上擦っているぞ」
「僻耳でしょ」
神子は青娥から仙人や道教の教えを触れる程度に受けていると、元は人間だった身として思うところがある咲夜は、天魔の娘へ神丹を授けてよいものか疑問を抱いたようで、ずっと黙っていたのに、珍しく言葉を崩して彼女たちに聞こえないよう小声で言った。とはいえ、神子の場合はただの人間ではないけど。今でこそ××神話の一柱であり、月の民ではあるが、まだ××神話があった頃、このメイドはただの人間だったのだ。神子と咲夜とではソコが違う。ソレが気になって、続けて問う。
「人間だった頃を思い出すコトってあるのか」
「特に想起しないわね」
「ならいいんだが。ただ吸血鬼の元へ戻ってもいいんだぞ、引き止めはしない」
「いいのよ。あの時間は、あの私は、もういないのだから」
とうの昔に気持ちの整理がついているのか、過去を懐かしむコトはなく、感情を微塵も込めずに、鉄仮面のまま淡々と述べた。レミリアとフランは憶えていないだろうから、またメイドとして仕えてもあの時間へ帰るコトは出来ないが、またやり直すくらいなら出来る。やり直したところで、また世界が回帰してリセットされるので、徒労だろうけど。あの吸血鬼姉妹は紅魔館ごと地獄へ移住しており、会おうと思えばすぐに会える。咲夜も月の民だし。
神子へ一通りの説明を終えたのか、青娥は話を戻す。
「私は面白ければなんでもいいので、爺々には従いますが」
「面白くなくても従え」
青娥の思想はとんでもない発言だったので、咲夜との会話を中断してツッコミしてしまった。このような考えはオレが最も嫌悪すべきモノ。それに彼女を娶る時に逆らうなと釘を刺した記憶はある。しかしこの状況や今までを追懐してみても、あんまり意味はなかった時の方が多い気がする。このオレが言うのもなんだが、図太い女である。ある意味、娶ったモノの中で一番の大物かもしれん。伊達に神話時代から長く生きてはいない。
南伯子葵問乎女偊曰:子之年長矣,而色若孺子,何也? 曰:吾聞道矣。
「あの尼、残滓である一輪は、また妖怪に佛教を広めているようです」
その瑣事は旬報させている天狗達から奏聞されていた。天魔に神使として貰った文、はたて、椛は日本全て、百般の情報を探らせて彙報し逐一報告させている。だがその中でも廉としていたのは、往時の白蓮を慕っていたモノのコトについて軸足を置いていた。瀬踏みはしておきたかったのだ。
はたてと椛は子供を産んだが、復帰している。たまに会いに行っているらしく、約束通り産んだ子は天魔と天狗族総員へ嘱託し、育てていたが、もう結構大きくなったと耳朶に触れた。でも会う気はない。
「白蓮と命蓮はもういないというのに。遜色だが、やはり回帰してもそこは変わらないのだな」
「一抹として鬼胎すべき、汨羅の鬼は地獄にいますか」
「……村紗水蜜のコトか。アレは血の池地獄に住み着いているそうだ」
「なら無毒ですね。彼女と会うコトはないでしょう」
釈迦の教えを弄りまわした仏教は数あれど、妖怪に布教したり、救ったり、人間と同じ扱いをしろ、なんて釈迦が説いた仏典はない。だからオレは、尼としての一輪はキライだが、ソレを除けば彼女の容姿は好みだからスキだ。しかし妖怪に仏教を広めていても、かつての白蓮のように同じコトをしているのかは不明だがな。同じだったら殺さなきゃいけない。まだ××神話があった世界で、白蓮の信仰も、信条も、思想も、その全てを焚書坑儒した時のように。下らん、随喜など冗談ではない。オレは弘天であり、仏教徒であって仏教徒ではないのだ。衒気すべきではない。だが、アレが法筵するならば拉げるべきだ。
このように、一輪を排斥するためにダムナティオ・メモリアエしろと思う時もあれば、そんなコトはどうでもいいから早く娶ってセックスしよう、という性欲しかない思想で埋め尽くされる時もある。とにもかくにも、この件に関しては空海と
論語
『子曰:周監於二代,郁郁乎文哉,吾從周。』
『顏淵問為邦。子曰:行夏之時,乘殷之輅,服周之冕,樂則韶舞。放鄭聲,遠佞人。鄭聲淫,佞人殆。』
『大師摯適齊,亞飯干適楚,三飯繚適蔡,四飯缺適秦。鼓方叔入於河,播鼗武入於漢,少師陽、擊磬襄,入於海。』
「板挟みですね」
「教えを捻じ曲げているモノがいたら、あの空海は、なんと言うのか知りたいモノだ」
紀元前から、昔から言われているコトを平成時代のクソ共が言ったところで、その言葉には重みがない。そして平成時代の創作物にオリジナルなんてモノはない、パクリしかないのだ。オリジナルと思っているなら、ソレは無知と自惚れでしかない。しつこかろうが、コレだけは、何度でも屡報し吐露する。明治時代から昭和時代の創作物もそうだが、江戸時代の創作物だってパクリしかない。特に江戸時代の創作物でオリジナルがあると自惚れているなら、オレは抱腹絶倒するだろう。平成時代の日本は政教分離している、などとバカげたコトを言い出すくらい笑える。政教分離なんぞ出来ていないというのに。
先に述べたように、平成時代でオリジナルというモノは存在していないのだが、オレが嫌悪すべきモノの一つとして、コレに関しては憎悪していると言っても過言ではないほどのモノがいる。
それは、道徳を語り、謳うヤツだ。ただ道徳を謳うヤツに嫌悪しているのではない。聖書に従う、宗教家のようなモノが謳うのは、まだいい。アレは神や預言者、キリストや使徒の言葉に従っているだけだ。ソコから教訓を得るモノもあるだろうが、ソレを全て自分が考えた、と言うモノはいない。
そうではなく、自分は無宗教だと言ったり、自分は無宗教だと思い込んでいるヤツが、紀元前から言われているその思想・
こういうヤツは、盗人だ、賊でしかないッ! 自分にとって都合がいいところだけを抜粋・引用しているだけだッ! 礼節と
創作物を、お人形遊びをしている日本人というクソ民族はな、この偸共と同じコトをしているのだよ。だからオレは非難するのだ。よく使われているだろ、神様というオモチャも借り物でしかないのに、ダレカの都合よくな。ソレと同じなんだよ。ソレを違うとは言わせない。魔法や思想だって、ルールや倫理だってそうさ。
菅家文草・山家晚秋
『千萬人家一世間 適逢得意不言還 幾臨瑟瑟寒聲水 又對蕭蕭暮景山 山下卜鄰當路霞 野中信馬破程花 將軍莫道遊心主 博士來為養性家 養性有餘空偃蹇 我情多恨相知晚 雲泥不計地高卑 風月只期天久遠 數局圍碁招坐穩 三分淺酌飲忘憂 若教天下知爻意 真實逍遙獨此秋』
抱朴子
『金液太乙所服而仙者也,不減九丹矣,合之用古秤黃金一斤,並用玄明龍膏、太乙旬首中石、冰石、紫游女、玄水液、金化石、丹砂,封之成水,其經雲,金液入口,則其身皆金色。老子受之於元君。』
「抱朴子ではあの老子も元君から伝授された、とはあるが認めたくない。釈迦のように変わってしまうのは受け入れがたいモノだ。格爾眾庶,悉聽朕言。非台小子敢行稱亂;有夏多罪,天命殛之」
世の理に、習わしに対する嘆きや鬱勃を蚊帳の外へ追いやる。ソレを言ったところで徒事でしかない。ソレをどうにかするなんて嶮嶺だ。いや、登る登れない以前の事柄になる。
滅多に見られない多くの珍品を前に、青娥へそれぞれの効果を聞きつつ銓衡し、どれを採択すべきか丹と睨めあっていた神子は、その結論が出なかった。このままでは、日が暮れるまで尽未来際に決められないので、布都と屠自古と一緒に選ぶことに決め、話の区切りを見計らっていた彼女は、機を見るに敏と嫦娥へ謦咳に接する。
「嫦娥さま。拝顔の栄に浴するだけでなく、このようなモノを賜りながら恐縮ですが......」
「その名は好きではないのよ。私のコトは青娥と、そう呼んでください」
「では青娥さま。布都に屠自古という、私の同志を交えながら諮詢してもらいたく、差し支えなければ御足労願いたい」
「そうですねぇ」
考えるそぶりを見せながらオレを一瞥した玉響、翳りと愁思を帯びた、蕭索で露命を繋ぐ、余命わずかの華奢な女の顔のような美を滲み出し魅せると、関心を神子へ戻した時にはいつもの青娥へと一転させ、そのまま快諾した。アイツ、オレと離れる時はいつも離愁したような表情を魅せるが、どちらも本当の青娥、嫦娥なのだろうか。
莊子・徐無鬼
『子不聞夫越之流人乎?去國數日,見其所知而喜;去國旬月,見其所嘗見於國中者喜;及期年也,見似人者而喜矣。不亦去人滋久,思人滋深乎!夫逃虛空者,藜、藋柱乎鼪、鼬之逕,踉位其空,聞人足音跫然而喜矣,而況乎兄弟親戚之謦欬其側者乎!久矣夫!莫以真人之言謦欬吾君之側乎!』
「いいですよ。ご一緒しましょう」
「幸甚の至り。感謝に堪えません」
「いえいえ。仙人が増えるのは私としても嬉しいですから。累増するため、募り続けた甲斐もあります」
諏訪國にいる仙女は、華扇と青娥だけだったが、神子が仙人になるのは確定だろう。彼女の同士である神裔の屠自古と布都も神丹を飲んだら、神裔から累進して一気に5人も著増するのか。もし、早苗のようにオレの血があるモノが仙人になるのはオレが困る。だから道教が白蓮たちや民へ布教され信者が逓増し、その思想へ膾炙すると暗礁になりそうだったので、機が熟すまでは苟且に道教勢力を――勢力と言っても嫦娥だけだが――蕃息させないため是認せず抑止してきた。以前の早苗の件みたいに、アイツは淳良に従っていたワケではないが、顰蹙を出さずにそれを基本は励行し、隘路だったからこそ、仙人が増えるのは、本当に、掌中の珠を得たように、あの女狐が胸襟を開いて心の底から怡怡としているように観えた。視力は悪くないハズなのに、心なしか涙の粒が頬へ流れていると錯覚するほどに。これじゃオレが悪者ではないか。オレはネロじゃないっての。懸念があるとすれば、放逸な青娥の思い通りにつうつうするのはアレだが、玩弄されないかどうか。あの女狐の稟性と本性が沼沢だといいんだが。弄火は泥濘程度にしてほしい。
いやちょっと待たれよ。神と仙人は同じ存在ではないが、それでも神に近しい存在にはなる。前々から言っているコトだが、嫦娥――青娥を娶ったのは劫﨟を経たコトがない。娶ろうと思わなかった、思えなかった。だが、今回娶ってしまった。だから覆轍しようにもその経験がない。この殃慶に似た明暗な場面も、よくない萌芽、宋襄の仁となってしまうのではないのか。いくらオレでも、このままでは道教が倍旧するのは手に取るように分かる。
まあいいや。猖獗になったら、オレが青娥を殺せばいいだけだ。
「今回は私なぞのために聞こし召して、ありがとうございます」
「気にしなくていい。オレはセックスさえしてくれたらソレでいいから」
「......寡聞にして存じません。そのせっくすとは、神、あるいは異国の言葉ですか?」
「あー、つまり抱かせろと言うコトだ」
「抱かせろ......」
状況や言葉、加えてオレの性格・思想から推理し、判断を終えた神子は一度頷いた。呑み込みが早い。
「なるほど。せっくすというのはまぐわいの意なのか。勉強になりました」
……なんだいこの反応は。オレはセックスをするためだけに、神子を娶ったようなモノだ。天狗の文と椛が連れてきたとはいえ、屠自古や物部の氏神共に諏訪國へ寄越された布都だってそうだ。民とか政治云々は二の次でしかない。所を得たのは王侯將相寧有種乎とは言い難い。だけどこんな反応をされたら、オレが性欲しか頭にないモノみたいじゃないか。そんなコトがあってたまるか! オレほど教養を感じさせるモノはいない。
楚狂接輿歌而過孔子曰,鳳兮! 鳳兮! 何德之衰? 往者不可諫,來者猶可追。已而,已而! 今之從政者殆而! 孔子下,欲與之言。趨而辟之,不得與之言。
「昨宵は綿月の女と合歓したのでしょう? 私も欣欣としていつでも奉迎しますよ」
「……逢瀬すべきか。華扇も仙人に成ったしな。添ってから以取残杯冷炙之辱にして悪かった」
「頓着していません。フリとはいえ墨守に峻拒されても私は信じていました。天は、爺々はいつか天聴してくださると」
あの場にはいなかったのになぜソレを知っているのかは問わず、嫦娥がコチラに擦り寄ろうとしたから右手を向けて止めながらも、噺が脱線しそうだったので軌道修正するため神子へ向けて言う。
「また言え。お前は天魔の娘だ、たまになら聞いてやらんでもない」
「この恩に報ずるため、なほ為政家としての務めを果たします」
「気張らない程度にやってくれ。病で臥せてしまったらパルスィに叱られる」
団子を名残惜しそうに眺めていたが、一礼すると、神子は嫦娥を連れて布都達の元へと向かう。緋毛繊の上にあった大量の丹と神丹は青娥が持って行った。神丹を胸に仕舞っていたが、いったいあの胸はどこへ繋がっているのだろうか。
昔は、仏教を信仰していた白蓮と宗教争いをしていたが、変わったな。一部を除いて、何もかも変わった。この世界は、万物は変転している。魂は、新たなオレに成り、多生曠劫する。この世界が終わったら、また回帰する。だが、不思議と撓むコトや辟易したコトがない。気が遠くなるくらい繰り返してきたし、記憶もわずかながら戻っている。それなのに、なんと言うべきだろう。生まれ変わっているというのも違うような……ダメだ。上手く例えようとしたが、コレは名状しがたい。慣れないコトをするから頭が痛くなってきた。ウィットが乏しく呉下阿蒙であるオレの語彙力だと、コレを説明するコトはムリだ。
孔子家語・五帝德
『宰我曰:「請問帝顓頊。」孔子曰:「五帝用說,三王有度。汝欲一日徧聞遠古之說,躁哉予也!」宰我曰:「昔予也聞諸夫子曰:"小子毋或宿。"故敢問。」孔子曰:「顓頊,黃帝之孫,昌意之子,曰高陽。淵而有謀,䟽通以知遠,養財以任地,履時以象天,依鬼神而制義,治氣性以教眾,潔誠以祭祀,巡四海以寧民。北至幽陵,南暨交趾,西扺流沙,東極蟠木,動靜之類,小大之物,日月所照,莫不底屬。」』
「こころも応対すればよかったじゃないか」
「んー......ソレをしたら攪拌になってたかも......」
人間形態に成り、姥の能面を付けているこころは、団子の山を崩そうと手を伸ばしながらも、怏怏とした声を漏らす。いつ神子の前で人間形態になるのかと冷や冷やしたが、回帰していない神子と会って話をしても、僻事のような蟠りがあったのかな。誂えたような邂逅だったが、記憶があろうとなかろうと、アレは神子だ。変わったけど、神子という存在が終わったワケではない。曾子曰:慎終追遠,民德歸厚矣。
昔者先王,未有宮室,冬則居營窟,夏則居橧巢。未有火化,食草木之實、鳥獸之肉,飲其血,茹其毛。未有麻絲,衣其羽皮。後聖有作,然後修火之利,范金合土,以為臺榭、宮室、牖戶,以炮以燔,以亨以炙,以為醴酪;治其麻絲,以為布帛,以養生送死,以事鬼神上帝,皆從其朔。
「上同鑿枘於伏戲兮,下合矩矱於虞唐。願尊節而式高兮,志猶卑夫禹、湯」
墨子・法儀
『昔之聖王禹、湯、文、武,兼愛天下之百姓,率以尊天事鬼,其利人多,故天福之,使立為天子,天下諸侯皆賓事之。暴王桀、紂、幽、厲,兼惡天下之百姓,率以詬天侮鬼。其賊人多,故天禍之,使遂失其國家,身死為僇於天下。後世子孫毀之,至今不息。故為不善以得禍者,桀、紂、幽、厲是也。愛人利人以得福者,禹、湯、文、武是也。愛人利人以得福者有矣,惡人賊人以得禍者亦有矣!』
韓非子
『今儒、墨皆稱先王兼愛天下,則視民如父母。何以明其然也?曰:"司寇行刑,君為之不舉樂;聞死刑之報,君為流涕。"此所舉先王也。』
「仲尼のような儒教と、墨翟のような墨家は、終わった時代への理想を求めた。だがオレは違う」
季康子問:使民敬、忠以勸,如之何? 子曰:臨之以莊則敬,孝慈則忠,舉善而教不能,則勸。
孔子と墨子の理想が叶うコトはなかったが、古代中国の唐虞と三代、あの時代を理想とし、聖人の模範をしようとしたんだ。儒墨の思想は、その辺り顕著でさ。
だが、法家のモノはそう言わなかった。今の時代に聖人のマネをしても、唐虞夏殷周に笑われる。アレは当時だったからこそ、聖人とされ、偉大な人物だったのだ。そしてかの聖人は仁よりも法を優先しており、今と昔では事情も、状況も、世俗も違うのだから、昔は昔の、今は今に適うコトを、施行すべきである。民は儒者や墨家が謳う德、仁、兼愛などではなく、権勢に服すのだ、と。
『今有搆木鑽燧於夏后氏之世者,必為鯀、禹笑矣。有決瀆於殷、周之世者,必為湯、武笑矣。然則今有美堯、舜、湯、武、禹之道於當今之世者,必為新聖笑矣。是以聖人不期循古,不法常行,論世之事,因為之備。堯之王天下也,茅茨不翦,采椽不斲,糲粢之食,藜藿之羹,冬日麑裘,夏日葛衣,雖監門之服養,不虧於此矣。禹之王天下也,身執耒臿以為民先,股無胈,脛不生毛,雖臣虜之勞不苦於此矣。當舜之時,有苗不服,禹將伐之,舜曰:「不可。上德不厚而行武,非道也。」乃修教三年,執干戚舞,有苗乃服。共工之戰,鐵銛矩者及乎敵,鎧甲不堅者傷乎體,是干戚用於古不用於今也。故曰:事異則備變。夫古今異俗,新故異備,如欲以寬緩之政、治急世之民,猶無轡策而御駻馬,此不知之患也。且夫以法行刑而君為之流涕,此以效仁,非以為治也。夫垂泣不欲刑者仁也,然而不可不刑者法也,先王勝其法不聽其泣,則仁之不可以為治亦明矣。且民者固服於勢,寡能懷於義。』
韓愈・進學解
『觝排異端,攘斥佛老。補苴罅漏,張皇幽眇。尋墜緒之茫茫,獨旁搜而遠紹。障百川而東之,回狂瀾於既倒。先生之於儒,可謂有勞矣。沉浸醲郁,含英咀華,作爲文章,其書滿家。上規姚姒,渾渾無涯;周誥、殷《盤》,佶屈聱牙;《春秋》謹嚴,《左氏》浮誇;《易》奇而法,《詩》正而葩;下逮《莊》、《騷》,太史所錄;子云,相如,同工異曲。先生之於文,可謂閎其中而肆其外矣。少始知學,勇於敢爲;長通於方,左右具宜。先生之於爲人,可謂成矣。然而公不見信於人,私不見助於友。跋前躓後,動輒得咎。暫爲御史,遂竄南夷。三年博士,冗不見治。命與仇謀,取敗幾時。冬暖而兒號寒,年豐而妻啼飢。頭童齒豁,竟死何裨。不知慮此,而反教人爲?』
「日本と日本人は変わったのではなく、死んだのだ。この違いは、今日長安道,對面隔雲泥だよ。ギリシア人や××神話にだって言える話だ。だから内親王が黒田と結婚しようが知ったコトか」
あの禹は死んだ。禹は死んだが、
詩經によれば、古训是式,威仪是力。天子是若,明命使赋とある。確かに各国の神話は起きたさ。だがその神話は、古は終わった。変わったのではない、終わったのだ。そうさ、孔子が理想とした時代、唐、虞、夏はもういない。湯王も文王も武王も死んだし、周公旦もいない。みんな死んだ。あの時代は終わったのだ。黄帝は生きてはいるが、あの時代と同じ統治が出来るかと言えば、ムリだ。仮にできたとしても、黄帝自身がしようとするコトはないだろう。何もかも変わったのだよ。
だと言うのに、古を至高とし、ソレを模範として倣う豎儒、儒墨はアレを蒸し返す。墨家は禹を、夏王朝を蒸し返し、儒家は三代を、周王朝を蒸し返したのだ。確かにオレは儒教徒ではある。あるが、ソコは、その思想は違う。ソレだけは、絶対に倣う気はない。
判っているだろ。文字一つとったってそうだ。漢字も漢文も、今ではどうなっている。見て見ぬ振りをするのはいい加減やめろ。奠都されたら、もう終わりなんだよ。
墨子・兼愛下
『子墨子曰:「吾非與之並世同時,親聞其聲,見其色也。以其所書於竹帛,鏤於金石,琢於槃盂,傳遺後世子孫者知之。」《泰誓》曰:「文王若日若月,乍照光於四方於西土。」即此言文王之兼愛天下之博大也,譬之日月,兼照天下之無有私也。即此文王兼也。雖子墨子之所謂兼者,於文王取法焉。』
『且不唯《泰誓》為然,雖《禹誓》即亦猶是也。禹曰,"濟濟有群,咸聽朕言,非惟小子,敢行稱亂,蠢茲有苗,用天之罰,若予既率爾群對諸群,以征有苗。"禹之征有苗也,非以求以重富貴、干福祿、樂耳目也,以求興天下之利,除天下之害。即此禹兼也。雖子墨子之所謂兼者,於禹求焉。』
『且不唯《禹誓》為然雖《湯說》即亦猶是也。湯曰:"惟予小子履,敢用玄牡,告於上天后曰:「今天大旱,即當朕身履,未知得罪于上下,有善不敢蔽,有罪不敢赦,簡在帝心。萬方有罪,即當朕身,朕身有罪,無及萬方。」即此言湯貴為天子,富有天下,然且不憚以身為犧牲,以祠說于上帝鬼神。"即此湯兼也。雖子墨子之所謂兼者,於湯取法焉。』
「来ましたね」
「え、ダレが」
「お兄様―」
専属のメイドとしてなせる業なのか、センサーを感じ取った咲夜が意識する方角へ顔を向けると、小走りで愛しの妹がこちらに駆け寄ってきていた。あとは姉さんがいたら蓬莱山家が揃う。しかし長女の行方は未だ掴めず。螺旋状に循環してきたが、××神話がなくなってからは姿を見せない時の方が多い。
「ああ、お帰り。もういいのか」
「惚気と房事を延々と聞かされそうだったので......」
「……うん。なんかごめんな」
惚気ならまだ依姫なのか豊姫なのかと連想しても判らないが、房事なら豊姫しか思い当たらない。いつだったか豊姫が閨に来たコトもあったけど、その時はセックスよりも睡魔の誘惑が優ったのでするコトはなかった。このオレに拒否されるとは予想だにしていなかったのか、精神的な意味や女としての意味でもよほどショックだったらしく、依姫とはしたのに自分がされないコトもあり、朝目を覚ますと部屋の隅で蹲り廃人みたいになっていたのだ。アレから昨晩まで手を出していなかったから、ここ輓近までいじけていたのもあって、その反動で堰を切ったようになるのも致し方ないのだろうか。
「......お兄様」
草臥顔だったのに、突然なにかを訝しんだ輝夜は、眸をオレと咲夜へ交互に向けるとこちらに歩み寄る。するとお互いの鼻に触れそうなほど、息づかいが聞こえる距離に来た妹は、涼やかな目で、ただじっとオレの眼を見始めた。傍から観たら男と女が闃然たる団子屋で自面尽くだけでしかないが、ただ視線を交わすだけなのに、たかだが数秒程で根を上げそうになってしまう。逃げようとしたら、妹に両手で頭を掴まれてしまった。燻ぶろうにもコレではムリだ。声には出さないが、能面のこころは畏怖しているハズだ。
存乎人者,莫良於眸子。眸子不能掩其惡。胸中正,則眸子瞭焉;胸中不正,則眸子眊焉。聽其言也,觀其眸子,人焉廋哉?
「あの、輝夜」
「少し黙ってください」
「はい」
元からないが兄としての威厳を保つため、どうにか舌戦という干戈を交えようとしたが、無血開城して即座に旗を下ろす。蟷螂の斧だった。姉さんを彷彿とさせる今の実妹に、オレには為す術がないのだ。
オレの瞳の奥でなにを見つめていたのか、意を得た輝夜は伏し目がちに両手を離して数歩下がる。ほんの数十秒だったが、一刻以上経っているように感じた。あー、ビックリした。実妹とはいえ、みめよいのだからやめてほしい。今すぐ閨に連れ込んで犯したくなる。
本懐を遂げ、なにかを察した実妹は股肱のメイドをまた観た。
「......いつものね?」
「はい。いつものです」
「いつものってなんだ。コレは判るモノには判るコトであってだな」
「私はお兄様のソレを理解できたことがないです」
「……マジか」
「マジです」
儒教の経書・孟子には『夫尹士惡知予哉?千里而見王,是予所欲也;不遇故去,豈予所欲哉?予不得已也。』という記述がある。
オレは酈食其とは違う。以前、青娥はオレを、箕子と蒯通がしたように狂人のフリをしているだけ、と言った。旧約聖書にも狂人のフリをしたという記述がある。だが、アイツはそう言っても、実際はそうではない。演じているワケではないのだ。晏子之御のフリでもない。オレは陽狂ではなく、ましてや瘋癲を装っているワケでもなければ、偽るコトなんて何一つしていない。
オレは神話と記述と思想に従っているだけだッ! ソレが狂人のフリというコトはない。どこぞの小人のように、識見がない自惚れの塊のような、知らないモノからすればオレを狂人扱いするのだろうが、ソレは達識も知識も素養も教養もないからだ。そのような小人は学が浅いだけなのだよ。ソレを理解できないから、オレを狂人扱いしているのだよ。無知とは怖い。対処の仕方も、ソレを上手く扱うコトも、出来ないのだから。故に一つ間違うだけで爆発する危険物にしか、観えないのだろうな。しかし蓬莱山 弘天というのは、名というのは、げに恐ろしい。こうして謬見や僻見、歪曲・曲解するのも大変だ。
上士聞道,勤而行之;中士聞道,若存若亡;下士聞道,大笑之。不笑不足以為道。故建言有之:明道若昧;進道若退;夷道若纇;上德若谷;太白若辱;廣德若不足;建德若偷;質真若渝;大方無隅;大器晚成;大音希聲;大象無形;道隱無名。夫唯道,善貸且成。
「オレの崇高な思想に共感もしないのか」
「崇高ではなく鄙賤、共感ではなく反感ならあります。よくて無関心かも」
「バカな! あれだけ光陰者百代之過客してきたというのに」
「お義姉様たちもお兄様を傾慕しているようですが、ソレだけは理解しているようには見受けられませんね」
oh……なんてコトだッ! 妻も従者も、オレの言に従いはしても、思想以外にしか心酔していなかったなんて、捍格していたなんてかなりショックだよ! こんな衝撃は、××神話があった時に永琳と初めて夫婦喧嘩をしたおり、一時期避けられたとき以来だぞ……。傷心を癒してもらうため、よく輝夜と姉さんに慰められたモノだ。
しかしだ。古代中国の詩人の詩って、困ったコトに教養がないと判らないモノばかりなのは有名だよ。そうでないモノもあるが、そういう詩がかなりある。儒教・道教・仏教の知識がないと判らないモノも多い。それだけ知識があるモノは多くいたというコトだ。
あの儒教が宗教ではないとぬかすヤツもいるが、儒教が宗教ではないとほざくヤツは信用に値しない。コレを言うヤツは都合のいい記述しか観ていないクソ猿か、断章取義しているクズ共だけだ。論語だけではなく、儒教の聖典全てを閲読し、儒教以外の宗教の聖典も披見しているならば、そんなふざけたコトを言えるワケがないのだよ。だから此処に於ては儒教が宗教でしかないときっぱり断言してもいい。
仏教も哲学ではない、アレは宗教だ。オウム真理教は宗教ではない、アレは哲学だ。オウム真理教なんてたかだがテロを起こして人を殺し、その他諸々をしていただけだよ。大体、あの行為自体は、日本の仏教の歴史を顧みても、オウム真理教と似たようなコトをしていたのは明白ではないか。
それ以前にだ。オウム真理教や創価学会や幸福の科学は宗教扱いにし、儒教や仏教が宗教ではないと意味不明なコトを言い出すのはおかしな話でな。明確な線引きもないというのに。よってソコにあるのは、どこぞのクソ共の基準と、どこぞのクズ共にとって都合がいいモノか、または興味があるモノかどうかというコトだ。コレは公平ではない。
「まあどうでもいいや。輝夜も団子を食うか」
「そうですね。いただきます」
場の雰囲気がガラリと変わって談笑が始まる。どこからどう観ても、仲のいい兄と妹が楽しく過ごしているようにしか観えないだろう。こころは黙々と食べていたが、まだ団子は残っている。お腹いっぱいになり満足したらしく、能面へなってオレの側頭部に貼り付いている。
それで山城国や妹紅のコトを尋ねてみたら、普段と変わらず良好な関係を築けているらしい。あとは慧音の能力で日本書紀の改竄も終えたようだ。コレで記憶がないモノ、またはあの時代にいなかった人間はソレに気付けないだろう。この世界が、記憶が、日本書紀のような文献が改竄されたと知っているのは古のモノだけだ。
しかし一つだけ聞き逃せずに再度尋ねる。
「慧音が来ているのか」
「本人が諏訪へ行きたいと言うから、ついでに連れてきました」
「そうか。なら後で会いに……」
行こう、とは言えなかった。久しぶりの吉報で熱に浮かされたが、それも訃音を聞かされたように地の底へと澱む。る~ことの飛報が脳裏を去来したからだ。仕方ないので妹にしてもらうコトにした。
「実はこの後、神綺の元へ向かわねばならんのだよ」
「それは、魔界が熄滅したことに関与して?」
「いや、リグルって妖怪を神綺に預けていたんだが、そろそろ必要になってさ」
アリスも連れて行こうとした。が、何度も説得してみたけどやはりダメだった。いくらなんでも嫌われすぎだろ。一体何をしたんだ神綺よ……。
日本で病を蔓延させるためには、八ヶ岳で引きこもっているヤマメも風土病を各地に潅流させるため使うが、リグルが持つ能力はヤマメの能力と相乗するため、魔界から諏訪國へと拘引しておきたい。だがソレをするというコトは、神綺と会わねばならんというコトだ。魔界へ赴くのは別に面倒ではなく、煩瑣な手続きがあるワケではない。入るのはすんなりと行くだろう。そう、入るのは。
「だから慧音に寺子屋の場所と、ソコは好きに使ってくれと伝えてくれないか」
「いいですよ」
「助かる。久々に会えたがもう逢えないかもしれん。一緒にいてやれなくてすまないな」
「永別するかのような口ぶりですね。暫くは留まるので、魔界から帰ったらすぐに逢えますよ」
「帰る、コトが出来るのだろうか……」
「......永琳お義姉さまへ口添えしてもらいましょうか」
明察した輝夜は得心が行った模様で、あえて穿つコトはせずに機転を利かせる。機知に富む妹である。ただ輝夜の枠外にいる神綺は、永琳が掣肘したとしても唯々諾々の女ではない。あの天馬空を行く悍馬はオレでさえ御しにくい。オレの知っている限り、それができるのは姉さんくらいかな。
あ、魔界へ足を延ばす前に、無辜の子を忘れない内に先にしておこう。
「念のため、こころは残るんだ」
「......え?」
能面のままだが、こころは頭の中を疑問符で埋め尽くされただろう。しかし歯牙にもかけず、なにもない、虚空に能面を差し出す。するとスキマが僅かに生じた。紫が取りやすいようスキマへ突っ込もうとしたその時、右手が飛び出し、ぐわし、という音の吹き出しが出そうな感じで能面を掴み、不気味な目玉しかない暗澹とした闇へ引き摺り込んだ。決してまことちゃんの方の意味ではない。こころの悲鳴が木霊したが、スキマが閉じるとそれも霧散する。ホラー映画みたいだった。もう慣れたが。
「じゃあ行ってくる。留守は頼んだ」
「はい」
「とうとう着いてしまった……」
魔界へ光臨したのはいいが、魔界を統べるモノとして相応しい鳳閣、ではなく、ただの一軒家だった。魔界の神がこんなところに住んでいるのか。相変わらずココは万華鏡の世界だなあ。
ノックをするため右手を扉に近づける。だがやめた。最初が肝心だ、神綺に舐められたら、場に呑まれたら終わる! よってここは無礼に、言動もいつもより大げさに、驕傲しく威圧的にした方がいい。神綺次第では××神話の主神らしく権柄尽いてくれる。
「って開かないではないかッ!」
ドアノブを掴み引いたり押したりしてもうんともすんとも言わない。せっかくの意気込みが台無しだった。
「ええいこしゃくな」
神綺と会うには中へ入るしかない。押すのも引くのもダメなら、スライド式かと思ってしてみたが、梃子でも動かぬ。上にも下にもダメだ。もう面倒だし帰ろうかな。リグルを引き取りに来たけど、咲夜とかに頼んでもいいワケだし。うん、そうしよう。すぐしよう。魔方陣で諏訪國へ帰ったらよかったのに、この時のオレは、その考えが出てこなかったのだ。
踵を返そうとした直後、あっさり帰るなと言わんばかりに扉が開いた。
……なんだ、もしかして自動ドアだったのか。運悪くセンサーの調子が悪かったのかもしれん。忘れてなければ神綺に伝えておこう。しかし自動ならドアノブなんて付けるんじゃない、紛らわしいではないか。
「入るぞー」
予定していたのとは180度違うが、そんな青雲の志を抱いていた時のオレはいない。もう死んだ。
ココは木造建築らしく、木の匂いが充満していた。しかし一軒家のくせに妙な広さを感じる。さしあたってあちこち歩いてみた感想としては、迷路だな。おかげで暫し迷った。一般的に家とは住むためにあるが、なんのために迷路状へしたのやら。
「おかしい。全部観て回ったハズだが」
この家、三階建てらしく、虱潰しに当たってみたけど魔界の神が見つからん。名を呼んでも無反応、虚しいだけだ。念話もしてみたが応答はない。地下、あるいは秘密の入り口でもあるのかと、もう一度探したが、それらしきモノはなかった。
コレは早急に帰った方がいい。つくねんと沈滞してもいつ戻ってくるかは判らないし、神綺がいないんじゃ話にならない。魔界の住人はココに神綺が、たまにサリエルも住んでいると言ってたから来たんだが、無駄足だったようだ。ただならない予感もあり、憂慮してきたのでさっさと帰ろう。
「こんなのさっきまでなかったような」
玄関まで戻ったところ、なぜか部屋の中央に瑶台の玉座があった。何度も記憶を鋤くが、やはりこの玉座を観た覚えがない。初めてココへ入った時にはこの玉座はなかった。しかし入って来た時にはなかったというコトであり、初めて観たモノというコトではない。まさか、どこかで転移したのか。そんなバカな。確かにオレは記憶力が悪いし、お世辞にも頭がいいとは言えない。だが意図的にならまだしも、そのようなモノを看過してはいない。神綺がコレを持ち帰ったと仮定するなら、どこかですれ違ったのかな。ここムダに広いし迷うからなあ。
縹眇としているが、このオレでさえどこかで服膺していたのか、網に掛かる銘記から強引に牽引すると、無意識に言葉をすべらせる。
「ああ、コレってあの時の……」
××神話が終わった余燼で、コレも滅却したモノの一つだ。記憶と照らし合わせてみるが、何一つ変わっていない。資材は同じモノなのだろう。オレが観ても同じモノだと言える。他のモノもきっとそう言う。
しかしオレ達は変わってしまった。この玉座も一見すると疑いの余地なく同一のモノと言えよう。微に入り細を穿ちだ。だが、厳密には違う。一如ではない。なぜならこの玉座は、××神話があった頃に造られたモノではないからだ。
仮にコレを神綺が創り直したとする。しかし前述のとおり、あの玉座は滅却している。だからコレはダレカが拵え、創り直した言わば模造品。なにより根源的に言うならば、××神話があったあの世界でコレを造ったのは、神綺ではないのだ。
「懐かしいな」
創り直すのはいい。あの頃のモノを再現したり佩用するのは、過去を懐かしむのもまだいい。あの時代に帰りたい、などと出る船の纜を引くのは1000歩譲って認めよう。ただ終わった××神話を戻そうとしたり、頭を擡げたり、中興するのだけはダメだ。そのような思想を持つモノがいた場合、例え妻でも、例えあの永琳でも、オレはソイツを殺さねばならん。紹隆ならまた違っただろう。しかしそうではない、変わったのではなく終わったのだ。途切れているのだ。無くなったのだ。
こればかりは妥協しない。譲歩もない。躊躇もしない。首鼠両端なんてありえない。どんな理由があろうと、どれだけ請われようと、どんな目的があろうとも、感情論だろうが伝統だろうが、ソレだけはダメだ。その行為は徒爾でしかない。妻であれば可能な限り諫止するかもしれんが、ソレを認めはしない。蠢動だろうが、再興に驀進し、ソイツに利益があるなら、猶のコト弾圧せざるを得ないだろう。閑人でいつもは穀潰しのように放縦しているが、コレだけは、オレも能力を吝嗇せずに出し惜しみは一切しない。持てる力全てを使い、徹底的に潰す。いよいよもって死ぬがよい。そしてさようなら。
「……帰るか」
自動ドアへゆっくり歩を進める。想像よりも揺蕩うコトはなかった。一縷くらいは可惜に恋々としてすがりつくかもしれんと思ったが、湧出しないというコトは、粛然とする心も、アレを終わったコトと認識しているのだな。頭の上の蠅を追うコトもなくほっとした。
今度はセンサーもちゃんと機能し、ドアが開く。儵忽反応がなかったようにも観えたが、それも儵忽。注目するほどのコトではない。後は帰るだけ。帰るだけだったんだ。
「あ」
「お久しぶりです。弘君」
出た転瞬、そんなオレの料簡は黙許も宥恕もしない、もう二度と帰さない、とにじませている××神話の
望郷の念にかられるオレを疎漏する、就中神綺は嫣然し、早く自分を抱きよせてと仄めかすように両手を広げた。
「待ってたよひろー!」
しかしオレは妻の願いを成就させるコトはせず華麗にスルー。
「おじゃましましたー」
「どうして抱擁せずに帰ろうとするのー!」
「たれか、蓬莱山 弘天を捕らえなさいッ!」
「なんだと!」
まさかのサリエルが返り忠で雷神なのに雷に打たれる。大天使が配下に命じたコトは、いつもなら神綺が言っているコトで、ソレをサリエルが宥めるというのが日常のワンシーンだったハズなのに、コレでは真逆ではないか。バカな、獅子身中の虫だったとは……気付かなんだ。
「サリエル貴様正気か!? 仮にも××神話の主神であるオレになんたる仕打ちだ!」
「譴責や勅勘はいかようにも。ですが、今諏訪國へ還幸されては呻吟になるかもしれません」
「どうせ神綺が原因なんだろ」
「今回は私じゃないよ!」
剛速球の会話のキャッチボールをしていると、サリエルの僕が陳謝しながらにじり寄ってくる。雷霆を使って逃げようとしたが、この魔界はまだ創り直されたばかりでハリボテ。そんなところであの雷霆にいくら加減の調節をしてもまた魔界は消滅するだろう。
「アレを、観ましたか?」
「……玉座のコトか」
アレ、と言われて浮揚したのはそれしかなかった。誤答ではなかったらしく、サリエルは一度頷き、肯定の意を表す。会話しながら
「神綺が創り直したんだろ。また懐かしいモノを出したな、オレなんか忘れてたよ」
あそこまで再現できるのは神綺くらいなモノだ。あの永琳でさえ、××神話の中で真っ先にその名を出してくるだろう。豊姫や依姫だってそうだ。相識しているモノでソコを腑に落ちないとするモノはいない。だからこそ、オレは魔界の女神へ昔の話を楽しむように問いかけた。
しかし、糺すように首を横に振る。
「私じゃないんだなー」
「ならサリエルか」
「いえ。私でもありません」
一瞬、永琳が擡頭する。永琳は
「どうしてアレがあるのかは判りません。本当に、最初から存在したように置かれていました」
「因子は不明だが、忽然とソレを認識できるようになったと言うのか」
「はい。それも最近になって」
神綺とサリエルは一切触れてないらしい。二柱とも、あえて薮蛇をつつくことは避けて放置していたようだ。つまり同じ場所のまま置いているというコトになる。だが玄関の、しかも部屋の中央にあってて気づかないなんてありえない。いくらオレでも、そんなところにあったら気付く。あれだけ目立つのに。いや、最初はオレも入った時に気付かなかったが。
頭の中で鉛色の雲のようなナニかがちらついた。継起するナニかを廓清するためかぶりを振る。邪魔だ。
「ひろ」
いつもはテンションが高いのに、鳴りを潜める神綺はオレの名を呼ぶ。そのしめやかな声に触発され、引き千切るような勢いで頓悟しかけた意識を手繰り寄せる。また爛れかけた。一体なんだというのだ、こんな出来事オレは知らん。寝耳に水だ。青娥を娶ってから真新しいコトばかりだが、そこまで劇的な変化を求めているワケじゃない。女を侍らせられたらそれでいいんだ。
「……どうした神綺」
「どうあれ、現にあの玉座はココにある」
「ああ」
「でもね......無始曠劫の××神話があった時の玉座とアレが――」
破邪顕正する神綺の言い回しは、アレを模造品とするモノではなく、雪に白鷺ではないかと、どこか同一のモノだと匂わせるモノだった。まだ半信半疑ではあるが、違うと断定できない部分もあるからだろう。だがそんなコト、水掛け論にしかならん。
「大同小異だって、ひろは今も言い切れる?」
ダレがアレを造ったのかはさておき、例え消滅したハズの玉座が戻って来たとしても、ソレがなんだというのか。アレがかつての玉座だろうと、それは××神話自体があってこそ、同一のモノと言える。しかしその××神話は終わっているのだ。オレ達はココにいるが、昔のオレ達はいないよ。したがって可能性や仮定の話を持ち出すこともムリだ。これには水掛け論も起きない。いくら片方が同じでも、もう片方が死んでいるのだ。あの玉座に坐していたオレでさえ、もういない。同じではない。それ以前に二回も死んでいる。
だからこう返す。
「言い切るさ」