数年の歳月が流れた。
新たな舞台はアメリカ・フロリダ州、ケープ・カナベラル。
時は2012年3月21日。
頭上の空では、太陽と月が狂った独楽のように猛烈な速度で回転を続け、昼と夜の境界が瞬きほどの間に目まぐるしく明滅を繰り返していた。海原の波は沸騰した湯のように激しく波打ち、吹き荒れる風は音の壁を突き破る速度で大気を切り裂いている。
プッチ神父――エンリコ・プッチのスタンド、『メイド・イン・ヘブン』によってもたらされた「特異点へ向かう時間の加速」――彼を除く生物以外の全事象が光の速度へと向かって加速するこの終末の空間において、神速を手に入れたプッチの姿は、もはや人間の動体視力で捉えられる領域を遥かに超えていた。
「くそっ! 速すぎるッ! どこから来るのかすら見えやしねえッ!」
エルメェス・コステロが血に濡れた頬を拭い、激しく息を切らしながら叫んだ。彼女の『キッス』のシールで複製した防御壁も、音速を超えて叩き込まれる飛来物の前に紙屑のように破断していく。
「徐倫、下がっていろ! 奴の標的はお前だ! 俺のスタンドをお前の盾にする!」
ナルシソ・アナスイが自らの『ダイバー・ダウン』を周囲へ潜航させ、徐倫を庇うように立ち塞がるが、その胸元にはすでに浅からぬ裂傷が刻まれていた。
「やめて、アナスイ! 全員で生き残るのよッ! あたしたちの糸は、まだ切れてなんかいない!」
空条徐倫は全身に痛々しい傷を負いながらも、その瞳に宿る不屈の炎を絶やすことなく『ストーン・フリー』の糸を周囲に張り巡らせていた。
「だけどおねえちゃん! ミスタさんが――!」
エンポリオ・アルニーニョが悲痛な声で叫ぶ。
彼らの傍らには、黄金のオーラを纏ったジョルノ・ジョバァーナと、その腹心であるグイード・ミスタの姿があった。
しかし、ミスタの方は先程エンポリオを庇い、遠くの方で気絶している。
致命傷では無いようだが、『時の加速』という状況下のままでは死ぬのも時間の問題だろう。
血脈の引力に導かれ、この災厄の地へと駆けつけたジョルノは、掌から生命の蔦や小動物を生み出して神父の突進軌道を阻もうと試みていた。しかし、平時の状態である『ゴールド・エクスペリエンス』の生命創造速度を、宇宙の運行そのものが加速するメイド・イン・ヘブンの奔流が容赦なく置き去りにしていく。
「駄目だ……! 生命の芽吹きが、時間の加速に追いつかない……! 奴はこの加速された世界そのものと同調している!」
ジョルノの額を冷たい汗が伝い落ちる。どれほど冷静沈着な彼であっても、全人類の運命が不可逆の絶望へと向かって巻き戻されていくこの規模の現象には、防戦一方にならざるを得なかった。
「全員動くな! 奴が間合いに入ったその一瞬……コンマ数秒の停止時間にかけるしかない」
重々しく告げたのは、空条承太郎だった。
その瞳は白く濁りかけるほどの極限の集中を保ち、いつでも『スタープラチナ・ザ・ワールド』の時を止める能力を発動できるよう、全身の神経を張り詰めている。だが、時間の加速は「止まった時の長さ」さえも無慈悲に削り取っていた。かつて5秒あった猶予は、今や瞬き一つの僅かな時間にまで凝縮されている。
空間の歪みの中から、神父の冷徹で神聖さを帯びた声が全方位から降り注いだ。
「無駄な足掻きはやめろ承太郎……お前たちがいくら絆を紡ごうと、加速する時の流れを止めることは出来ない……人間が真の幸福に到達するためには、未来の絶望を受け入れねばならないのだ……『天国』の時は、すでに来たッ!」
大気が爆縮するような凄まじい衝撃波と共に、プッチの輪郭が現実の隙間から滑り出た。
人の目には残像すら残らない神速。
そのスピードから生み出される鋭利な手刀が、徐倫を庇い、時を止めようと身構えた承太郎の眉間へと、寸分の狂いもなく肉薄する。
「父さんッ!」
徐倫の悲痛な叫びが木霊する。
承太郎の瞳孔が開き、スタープラチナの拳が繰り出されようとする――だが、スピードの絶対的な差が、承太郎の反応速度をコンマ一秒だけ上回っていた。
絶対なる死が、漆黒の絶望を伴って空条承太郎の目前へと迫ったその刹那。
「ぎゃあぁぁぁーッ! 死ぬぅぅぅーッ! 顔面が時速五百キロの風で引き裂かれるゥゥゥーッ!!」
はるか上空の裂け目から、物理法則を完全に嘲笑うような鋭い叫び声が、加速する大気を突き破って響き渡った。
「そこだッ! フォルゴレ、右斜め三十度へ跳べッ!!」
「だぁーっ!」
天空を劈くような青年の鋭い号令とともに、猛烈な突風の渦を切り裂いて2つの人影が降下。
その内の1人が青年の正確無比な指示を受け、弾丸のような勢いでプッチにダイブしようとしていた。
「――なっ!?」
プッチは舌打ちし、体を後ろに逸らし、何とかそれを避ける。
結果、1人は見事着地。しかしもう1人は水泳における素人の飛び込みの様に全身をしたたかに打ちつけた。
「計算通りだ。……実質時速八百キロの無人貨物機の残骸から気流を読み切ってダイブするのは、二度と御免だな」
加速する時の中を、極限の角度で滑空することによって相殺し、死角から突入してきたのは『高嶺清麿』だった。
その瞳には、幾何学的な同心円状の光――森羅万象の答えを導き出す『アンサートーカー』の輝きが宿っている。
そして地面にめり込む程のダイブをしたもう1人は――。
「……清麿君、僕の心配はしてくれないのかい?」
「……アンタはそれ位じゃ死なないだろ」
「はは、冷たいね……だがその通り! 私は鋼の肉体を持つ無敵の英雄――人呼んで『鉄のフォルゴレ』!」
その言葉と共に鉄のフォルゴレ――『パルコ・フォルゴレ』が地面にめり込んだ状態からギリリ、とまるでワイヤーによって引き起こされたように体を起こし、軍歌の様な曲とそれに合わせて『エイエイオー』のポーズを取る。
致命傷すら負いかねない衝撃を、規格外の肉体強度だけで強引にねじ伏せ、ついでに物理法則を無視しながら歌っている男の姿に、満身創痍の仲間たちの間に凄まじい衝撃が走った。
「う、嘘だろ……ッ!? パルコ・フォルゴレじゃねーか! 何で――何であたしの初恋の男がこんなフロリダの修羅場に空から降ってくるんだあッ!?」
エルメェスが血だらけの顔で目を丸くし、半ば素っ頓狂な声を張り上げる。
「パルコ・フォルゴレ……!? 本物なの!?」
徐倫が驚愕に息を呑み、その横でアナスイが警戒を露わにして眉を吊り上げた。
「誰だその男は! 徐倫の知り合いか!?」
「幽霊の部屋にあった雑誌で見たことがある……! 世界でトップクラスに有名な映画俳優だよッ!」
エンポリオが震える声で叫び、黄金のオーラを纏ったジョルノもまた、驚きに目を見張っていた。
「フォルゴレさん……! それに、あの男は……」
騒然となる戦場の中、帽子の庇を深く引き下げた承太郎だけが、低く重い声を落とした。
「……やれやれ、学会のツテで呼んだら、とんだ大物がくっついてきやがった。だがこれで――」
承太郎は困惑した表情を浮かべているプッチ神父へ視線を向け、啖呵を切る。
「『二手』、有利になったようだな……」
プッチ神父は神速の足取りを止め、異様な闖入者たちを冷酷に見据えた。
「何者だ……? スピードワゴン財団の差し金か? スタンド使いですらないただの一般人が、なぜこの加速された空間に割り込める……!?」
プッチの疑問は至極当然だった。本来、スタンド能力を持たぬ人間に、幽波紋(スタンド)の姿を視認することは不可能な筈。
だが、清麿の視界には、すべてが映っていた。
空気密度の急激な偏り、光の屈折率、地面に刻まれる微細な圧力――アンサートーカーが弾き出す膨大な情報が、脳内で『メイド・イン・ヘブン』の正確な輪郭と位置を完璧に再現していた。
「承太郎さんから託された観測データと、この加速空間における物理特性から導き出した答えだ! 奴のスタンドは、神速で動いてはいるが『無敵』ではない! 確かに視えているぞ、エンリコ・プッチ!」
清麿が鋭く叫ぶと同時に、フォルゴレもまた、荒々しい闘志をその双眸に宿してプッチを睨み据えた。
かつて幾多の魔物たちと戦い、死線を乗り越えてきた『心の力』の残滓――それが、世界の破滅を前にした極限のプレッシャーと共鳴し、フォルゴレの眠れる野生を呼び覚ましていた。
常人には見えないはずの異形のスタンドが、彼の網膜に強烈な殺気の像として焼き付けられていた。
「子供たちを傷つけるような奴を、このパルコ・フォルゴレが見過ごすわけにはいかないんでね……! さあ、悪党め、この無敵の男が相手になってやる!」
フォルゴレが堂々と立ち塞がる。 だが、プッチ神父の冷たい瞳に揺らぎはなかった。彼は静かに息を吸い込み、再び神速へとその身を沈める。
「見えているからとて、何ができるというのだッ! 加速する運命の前に、知識も、肉体も塵芥に等しいッ!」
空気が爆ぜ、メイド・イン・ヘブンの神速の手刀が、立ち塞がるフォルゴレと清麿の生命を刈り取らんと迫る。アンサートーカーの予測とフォルゴレの反応速度をもってしても、物理的な肉体の限界が、神速の領域に追いつかない。
アンサートーカーが告げる予測も、絶望の未来を示していた。
だが、フォルゴレと清麿の目に諦めの意思は微塵もない。
「――『覚悟』は良いか? 俺は出来てる」
「――ッ!」
清麿から発せられた言葉に、ジョルノは息を呑む。
ジョルノ達の前で仁王立ちする清麿の姿が、一瞬、かつての上司――『ブローノ・ブチャラティ』と重なって見えた。
「何を訳の分からない事を……死ねッ!」
絶体絶命の刃が二人の首筋に触れようとした、まさにその瞬間。
二人の胸の奥底で、『何か』が激しく脈打った。
世界が終焉へと向かい、未来への希望が断ち切られようとする極限の闇の中。諦めを知らぬ清麿の『覚悟』と、弱者を守るために張り裂けんばかりに燃え盛るフォルゴレの『魂』が、ひとつの純粋な『金色の意思』となって天を貫いた。
その瞬間、次元の境界が音もなく融解し、二人の懐へと温かな『奇跡』が流れ込む。
眩い金色の光の粒子が渦を巻き、清麿とフォルゴレの掌の中に、それぞれ一冊の魔本が実体化した。
かつて歴史の影で世界の命運を救ったあの黄金の輝き――全魔物の魂が宿る金色の本が、再び彼らの手の中に蘇ったのだ。
反射的に、清麿は1つの術の名を叫んでいた。
「ザケルゥ――ッ!」
鼓膜を突き破るような叫びとともに、清麿の後方から雷撃が走った。
一条の閃光となって伸びる雷撃は、神速で迫っていたスタンドの手刀を真正面から捉え、その衝撃波で神父の身体を数十メートル後方のアスファルトへと弾き飛ばした。
「ぐぅッ……!? 雷だと……!? スタンド能力ではない……何が起きたというのだ!?」
体勢を立て直し、信じがたいものを見る目で凝視するプッチの視界の先、立ち込める白煙を切り裂いて黄金の光が収束していく。
煙の中から現れたのは、二つの小さな影だった。 黒いマントを誇らしげに翻し、力強い双眸に決意を宿した金髪の少年。
そして、その後ろで大きな瞳を揺らす、アヒルのような口元をした少年。
「清麿ッ!」
「ガッシュ……!」
清麿の目から熱いものが溢れ出る。異界の王となったかつての相棒が、今、再び自らの隣に立っている。
ガッシュは言葉を交わさずとも、瞬時に今の状況を把握し、互いの魂が完全に通じ合っていることを理解していた。
だが、感動的な再会が結ばれたそのすぐ隣で、戦場の緊迫感を完全に粉砕する凄絶な悲鳴が上がった。
「フォルゴレぇぇぇぇぇーーっ! 会いたかったよぉぉぉーーっ!」
キャンチョメだった。
絶体絶命の状況であることなど露ほども意に介さず、滝のような涙と夥しい鼻水を顔面いっぱいに撒き散らしながら、猛烈な勢いでフォルゴレの胸元へと飛び込んだのだ。
「キャンチョメぇぇぇーーっ!」
フォルゴレもまた、端正な顔立ちを完全に崩壊させ、両目から大粒の涙を噴き出しながらその小さな身体を強く抱きしめた。頬と頬を擦り合わせ、互いの鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、二人は子供のように声を上げて泣きじゃくる。
この世の理を超越した異次元の光景を前に、「天国の時」の完成を確信していたはずのプッチ神父が眉間を激しく歪めた。
「……な、何なんだ、あの奇妙極まりない生き物は……!? スタンド、なのか……? いや、違う! 生命としての波長が根本から違いすぎる!」
『魔物』という存在を知るはずもない冷徹な神父に走った一瞬の動揺。 その隙を逃さない者が一人だけ居た。それは――。
『セックス・ピストルズ!』
グイード・ミスタの声と同時に放たれた『4発』の銃弾と、それにくっつく小人のようなスタンド。
ミスタの『覚悟』が、彼自身に深く根ざす『4』のトラウマを払拭させていた。
『フォルゴレ様ヲ守ルンダッ! 気合イ入レロヨォ~~~~ッ!』
『マカセロッ!』
「何ッ?!」
プッチ神父が銃弾に気付き、躱そうとするも、憧れの人と共に戦う高揚感でミスタのスタンドパワーが限界以上に引き出された結果、銃弾は縦横無尽にその起動を変えながら加速し、プッチの肩を貫く。
「ガッ! この……カス能力風情がああぁぁッッ!」
「へッ、何とでも言いやがれ……! フォルゴレさんが戦ってんのに、寝てる訳にはいかねーんだよ……! そして……真の『覚悟』はこれからだッ! エンリコ・プッチッ!」
「なッ――?!」
その言葉通り、満身創痍だった者たちの瞳に、再び鋭い闘志の火が灯る。
ジョルノ・ジョバァーナは、自らの胸元で激しく脈動する『ゴールド・エクスペリエンス』の鼓動を感じ取っていた。清麿とフォルゴレが掲げる魔本から溢れ出る輝き――それは、自らに宿った「黄金の精神」そのものと寸分違わず共鳴していた。
「あの光……ただの超常現象何かじゃあない。魂の奥底から湧き上がる、揺るぎない覚悟と生命の輝きそのものだ!」
ジョルノは傷だらけの身体を起こし、黄金のスタンドをその背後に力強く顕現させた。
「行きましょう承太郎さん、徐倫さん!……あの光は彼等だけが生み出しているものじゃない!」
「ああ、分かっている!」
承太郎は深く被っていた帽子の庇をわずかに押し上げ、怜悧な双眸でプッチ神父を見据えた。その傍らには、紫紺の闘気を纏った『スタープラチナ』が、爆発的な膂力を内に秘めて拳を握りしめている。
「細かい理屈は後だ! 彼等が命懸けで創り出してくれたこの一瞬……無駄にはしない!」
「ええ、父さん!」
徐倫もまた、唇の端の血を拭い、鋭利な眼差しで立ち上がった。その両手からは幾重にも重なる『ストーン・フリー』の糸が編み上げられ、いつでもプッチ神父を絡め取れるよう鋭く大気を震わせている。
「あの子たちと、あの男がくれた道――絶対に繋いでみせる!」
「へっ、訳はさっぱり分からねえけどな!」
エルメェスが荒々しく笑い、両手のひらに『キッス』のシールをスタンバイさせた。血走った瞳の先には、背中を向けて立つ憧れの男の姿がある。
「あたしの惚れた男が命を張ってんだ! ここで乗らなきゃ、女が廃るってもんだろうがァァァッ!」
アナスイもまた、徐倫の背後を音もなく固め、大地の下へと『ダイバー・ダウン』を深く潜航させていた。徐倫の進路を阻むすべての障害を、肉体を削ってでも排除するという冷徹な決意がその表情に張り付いている。
幾何学的な模様を瞳に宿した清麿が、振り返ることなく鋭い声を張り上げた。
「ジョルノ! キャンチョメの力で奴の超加速を利用して『知覚』を狂わせる! その隙にガッシュの術を叩き込む! 合わせられるか!?」
「ええ……! あなたの指示通りに!」
ジョルノが迷いなく叫び返し、生命エネルギーを両の掌に凝縮させる。
「ほざくな小僧共がァ……!」
その完璧な包囲陣の気配を感じ取り、プッチ神父は冷え切った瞳に再び狂信的な殺意を滾らせた。全身の筋肉が収縮し、『メイド・イン・ヘブン』の異形の馬頭が不気味に嘶く。
「理解不能な異物どもめが……! だが、何者を呼び出そうと無駄なことだ! この宇宙はすでに特異点へと向かっている! 神の意志たる加速の奔流の前には、貴様らの絆などただの塵芥に過ぎんッ!」
「それはどうかな? エンリコ・プッチ」
パルコ・フォルゴレが静かに告げる。
グシャグシャだった泣き顔は、既に消え去っていた。
爛々と輝くその双眸には、百獣の王すら退けるカバの意志――愛する者を守るために命を賭す、歴戦の戦士の覚悟が宿っていた。
「――キャンチョメ、いくぞ!」
「うん、フォルゴレ!」
キャンチョメもまた、鼻をすすると同時に、その小さな顔を引き締めてプッチ神父を真っ直ぐに見据えた。
大気が歪み、プッチの輪郭が再び神速の残像へと消え去ろうとする。 その瞬間、フォルゴレの力強い叫びが戦場に轟いた。
「『シン・ポルク』ッ!」
魔本から解き放たれた黄金の燐光が、大気そのものへと溶け込んでいく。
それは物質を破壊する術ではない。精神と認識、心と脳の境界を書き換える、幻惑の極致たる術。
「何ッ!? 空間がッ……!?」
プッチ神父が突如として絶叫した。
神速で突進していた彼の視界が一瞬にして歪曲する。目の前にあったはずの海原が、無数の巨大なキャンチョメの群れへと変わり、天と地が逆転し、自らが切り裂こうとしていた承太郎たちの位置が八方へと無限に増殖していく。
――それは正しく、『理解不能』な状況。
加速し続けるが故に、プッチ神父の脳は毎秒数千コマのスピードでこの『偽りの世界』を処理し、疑う間もなく誤認させられていく。
――つまり、キャンチョメの『シン・ポルク』はプッチの『メイド・イン・ヘブン』とって天敵と言っても良い魔法だった。
「どこだッ!? 本物はどこにいるッ!? ええいッ! 消えろッ! 消え失せろッ!」
プッチは猛烈な勢いで手刀を振り回す。が、手応えは無し。その勢いのまま、彼は自ら巨大な岩壁へと激突し、派手に体勢を崩した。
「今だッ! ガッシュ、ジョルノッ!」
清麿のアンサートーカーが、神父の最大の隙を完全に捉えて叫んだ。黄金の魔本が眩い閃光を放ち、青年の魂が極限まで高まる。
「バオウ・ザケルガ――――ッ!」
ガッシュの口から解き放たれたのは、天を覆い尽くすほどの雷撃を纏った巨大な『金色』の竜だった。神話の魔獣そのものの威容を誇る雷竜が、大気を灼く山鳴りのような咆哮を轟かせながら虚空を奔る。
――本来、『バオウ・ザケルガ』は、清麿とガッシュが知る最強の術では無い。
『シン・ベルワン・バオウ・ザケルガ』が今の二人の知る最強の術であり、清麿の目に宿るアンサートーカーも、それが『確実』と清麿の脳内に語っていた。
だが、『あえて』清麿は数多もの魔物と戦ったこの呪文を唱えた。――そう、『あえて』だ。
それは何故か? 答えは、ジョルノの取った行動にあった。
雷竜の胴体へ、ジョルノ・ジョバァーナが全身全霊の跳躍で肉薄する。
黄金に輝く『ゴールド・エクスペリエンス』の両拳が、奔流となってうねる雷の鱗へと叩き込まれる。
「生まれろ……そして刻めっ!生命の鼓動(ビート)ッ!」
ジョルノが注ぎ込んだのは、爆発的な生命エネルギーそのものだった。
『金色』の雷竜に、あらゆる命を育む光が融合していく。雷の鱗の隙間から眩い程のエネルギーが溢れ、生命の波動が『金色』を超え、神々しい『黄金色』へと進化する。
『王の中の王』であるジョルノ・ジョバァーナと、『魔界の王』であるガッシュ・ベルの力が合わさればどうなるのか?
その答えを、ジョルノが叫ぶ。
「『アーク・エクスペリエンス・バオウ・ザケルガ』ッ!」
『シン(神)』をも超え、『アーク(至高)』に至る。
『運命の申し子』の境地に至り、『黄金の風』を身に纏うバオウが、『黄金の旋風』の如く、再び神速となって逃れようとするプッチ神父をやすやすと捉え、顎を開いて容赦なく喰らいつく。
誇り高き魂の雷撃に呑み込まれたプッチの口から鮮血が噴き出し、その身体は激しく弾き飛ばされ、世界を狂わせていた超加速の運行に、決定的なブレーキがかかる。
「ぐ、あああああッ! ば、馬鹿なッ! 私の『天国』がッ! 運命がッ! 乱れるッ!」
深手を負い、血まみれになってよろめくプッチの逃げ道を、幾重もの糸が瞬時に絡め取った。
因縁の相手――徐倫の『ストーン・フリー』だ。
「逃がさない――エンリコ・プッチ!」
「行くぞ、徐倫!」
「き、貴様ッ! ぐ、ぐうっ!」
徐倫の糸は、有無を言わさずプッチ神父をグルグル巻きにし、隣りにいる父――承太郎へ問いかける。
「この辺り?」
「ああ、そこだ!」
既にプッツンしている承太郎は、されど冷静に、正確な位置を指で示す。
『ここが一番――』
『ストーン・フリー』と『スタープラチナ』。親子のスタンドが、同時にその剛腕を限界まで引き絞る。
『拳を叩きこみやすい角度ッ!』
『メイド・イン・ヘブン』を失い、糸で完全に縫い止められたプッチ神父の絶望の瞳に、無数の拳の軌跡が映し出される。
『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ――――ッ!』
重なり合う親子の咆哮が、ケープ・カナベラルの大気を激しく震わせた。
大地すら粉砕する無数の打撃音が暴打の嵐となってプッチの肉体とスタンドへと叩き込まれ、骨の軋む硬質な破断音とともに、その狂信の器を徹底的に打ち砕いていく。
『オラァッ!!!!』
止めの一撃がプッチの顔面を捉え、その体は後方のコンクリートの残骸へと深々とめり込み、そのまま『再起不能』になり、崩れ落ちた。
狂ったように巡っていた空の明滅が、徐々に緩やかになっていく。
奔流のように流れていた雲がその足を止め、太陽の光が穏やかな夕暮れの橙色となって、激戦の地に静寂を取り戻していく。
崩れ落ちたコンクリートの粉塵が、夕凪の風に吹かれてゆっくりと飛んでいく。
――それは、全てが終わったという合図だった。
再起不能になったプッチ神父の肉体を見下ろしながら、徐倫は張り詰めていた糸の力を解き、荒く息をつきながら崩れ落ちそうになる膝を辛うじて支えた。
「終わった……。本当に……あたしたち、生き残ったのね……」
「ああ……よく頑張ったな、徐倫」
承太郎が崩れ落ちる傷だらけの娘を丸太の様な腕でガシッと支える。帽子の庇の下にある怜悧な双眸には、いつもの冷徹さの奥に、娘への温かな慈愛が宿っていた。
「へっ……へへっ、勝っちまった……! 勝っちまったよ、おい!」
エルメェスが、血と泥に汚れた顔を歪めて仰向けに倒れ、笑い声を上げる。
「なぁに、無敵の英雄、パルコ・フォルゴレにキャンチョメが加われば当然の結末さ!」
フォルゴレの声を聞いたエルメェスが、ガバッと起き上がり熱烈な視線を送る。
「キャーー♡ フォルゴレ様~~ッ! もうあげちゃうわッ、あたしのパンティー! 今ここで直に脱いじゃうやつぅぅッッ!」
「アッハッハッハ! 情熱的なレディ! 自分の身体は大事にすべきだ! 気持ちだけ受け取っておこう!」
熱烈極まりない賞賛を浴びせられ、フォルゴレは乱れた金髪を流れるような手つきでかき上げ、胸の前で親指を立ててみせる。
「……だが、勝利を掴み取ったのは私とキャンチョメの力だけじゃない。君たちが最後まで希望を捨てず、命を繋いでくれたからこそ起きた奇跡――いや、必然なんだよ!」
その声には道化の響きはなく、死線をくぐり抜けてきた者だけが持つ、深く温かな優しさが滲んでいた。
……余談ではあるが、男よりも男らしく、影では『兄貴』と慕われる事もあるエルメェスの求愛に等しい言葉を、嫌な顔一つせず、レディとして扱いながらも極々自然体かつ大人の対応でやんわりと断ったフォルゴレに対し、『人類の夜明けだ』と感じた人物が何人か居たが、本人の名誉の為、敢えて伏せておく。
「ふん……徐倫が無事なら、俺はどうでもいい」
アナスイは壁の瓦礫に背を預け、痛む身体を抑えながら吐き捨てるように呟いた。
その足元では、エンポリオが膝をつき、張り詰めていた恐怖から解放されて大粒の涙をボロボロと零しながら安堵の息を漏らしている。
承太郎は静かに歩みを進め、肩で息をする清麿とフォルゴレの前で足を止めた。
「やれやれだ……よく間に合ってくれた、高嶺清麿『教授』」
――そう。高嶺清麿をケープ・カナベラルに呼んだのは空条承太郎だった。
本来のヒトデの研究が一段落し、『スタンドの矢』について考古学を学んでいる途中、偶然出会ったのが彼だった。
「スピードワゴン財団から託されたデータと、アンサートーカーの計算通りのタイミングでした。何より、あなたたちが最後の最後まで諦めずに踏みとどまってくれたおかげです、承太郎さん」
清麿が額の汗を拭いながら、学者らしい理知的な瞳で深く頷き返す。 承太郎は帽子の庇を軽く押し上げると、隣に立つフォルゴレへと視線を向けた。
「……貴方のその規格外のタフネスにも、助けられた。感謝する、パルコ・フォルゴレ」
承太郎の口調は普段通りの低く落ち着いたものだったが、その言葉には偽りのない敬意が込められている。
彼の脳裏には、かつて研究の合間に一人静かに観たフォルゴレの主演作の数々――間抜けなストーリーと踊りで観る者を笑わせ、しかし決して倒れない男の姿が鮮烈に蘇っていた。
――承太郎もまた、パルコ・フォルゴレの大ファンだったのだ。
だが、百戦錬磨の男はそれをおくびにも出さず、ただ力強く握手を交わした。
「礼には及ばないさ、ミスター・クージョー。愛と正義のために戦う男を助けるのは、イタリアの英雄の務めだからね」
フォルゴレが白い歯を見せて微笑み返した、その時だった。
「あ……」
キャンチョメの小さな声が、静まり返った夕暮れの空気に溶け込んだ。 全員の視線が、二人の小さな影へと注がれる。
清麿とフォルゴレが抱えていた黄金の魔本が、温かな光の粒子となって、サラサラとその輪郭を夕空へと融かし始めていた。
黄金の粒子が夕暮れの風に舞い上がり、2つの魔本の表紙が淡い燐光となって解けていく。
その光の輝きは、この場にいる全員に、別れの刻が訪れたことを静かに告げていた。
ガッシュは自らの透き通り始めた小さな両手を見つめ、それから顔を上げて、隣に立つ清麿を満面の笑みで見つめた。大きな金色の双眸には、一筋の曇りもない。
「清麿! またお主と一緒に戦うことができて、私は……私は本当に嬉しかったのだ! お主はやはり、私の誇れる最高の友なのだ!」
清麿はその場に膝をつき、目線をガッシュと同じ高さに合わせると、愛おしそうにその小さな肩へと手を置いた。瞳からこぼれ落ちそうになる涙を堪え、誇らしげに微笑みかける。
「ああ、ガッシュ。お前のその真っ直ぐな瞳を見て安心したよ。……魔界でも、皆のために立派な王様をやっているんだな」
「ウヌ! 皆が笑って暮らせる優しい世界を、今も作っておる最中なのだ! 清麿が私に教えてくれた優しさを、胸を張って皆に届けておるぞ!」
胸を張って答える小さな王の姿に、清麿は深く、力強く頷いた。
ガッシュはくるりと振り返ると、静かに歩み寄ってきたジョルノを見上げた。
「黄金の髪のお主! バオウに注いでくれた命の力、とても温かかったぞ! お主の心の中にも、清麿と同じ強い光があるのを、私は確かに感じたのだ!」
ジョルノ・ジョバァーナとガッシュ・ベル。
王様同士の邂逅。
ジョルノは少年の前に片膝をつき、その清らかな瞳を真っ直ぐに見つめ返した。若きパッショーネの首領としての威厳を脱ぎ捨て、一人の人間として、最大限の礼節と敬意を込めて頭を垂れる。
「ありがとう、王様。……あなたが放った気高き雷撃こそが、僕たちの未来を救ってくれた。あなたのその純粋な魂に、心からの敬意を捧げます」
「やれやれ……立派な王様だな」
背後から歩み寄った承太郎が、珍しく柔らかい眼差しで短く告げる。
「達者でな」
「ウヌッ! お主たちも、怪我を早く治すのだぞ!」
ガッシュが元気に手を振る傍らで、キャンチョメの身体もまた、柔らかな光の粒子となって薄れ始めていた。
アヒルのような口元を震わせ、大きな瞳からポロポロと大粒の涙を零しながら、キャンチョメはフォルゴレのジャケットの裾をぎゅっと握りしめた。
「フォルゴレぇ……ぼく、立派なカバさんになれたかなぁ……?」
フォルゴレは膝をつき、その小さな身体を包み込むように優しく抱きしめた。溢れ出る涙を拭うこともせず、世界一優しい笑顔を浮かべる。
「もちろんだとも、キャンチョメ。君は誰よりも勇敢で、誇り高い……私の自慢の相棒さ。君がいてくれたから、私たちは世界を救えたんだ」
「フォルゴレぇぇぇ……! だいすきだよぉぉぉ……!」
夕暮れの茜空が、光の粒子を包み込んでいく。 魔本が完全に光となって天へと昇り、二人の小さな戦士の姿が、温かな余韻を残して静かに宙へと融け去っていった。
「また会おう、清麿ッ!」
「ああ……またな、ガッシュッ!」
声の残響が、風に乗って遠ざかっていく。 二人の手のひらには、奇跡の温もりだけが確かに残されていた。
空を見上げる清麿とフォルゴレの背中を、ジョルノは静かに見つめていた。
異界の友を呼び寄せた、あの黄金の光――本来交わるはずのなかった2つの世界が交錯する奇跡を起こした理由を、ジョルノは自らの胸の内で静かに確信していた。
彼らの心にあったのは、自分たちと同じものだ。
いかなる絶望の闇の中にあろうとも、決して未来を諦めず、他者のために命を懸けて正しき道を切り拓こうとする意志――『黄金の精神』。
その気高い魂の輝きが極限まで高まった時、奇跡という名の扉を開いたに違いないと。
――『運命』という言葉がある。
生きとし生ける物は皆その『奴隷』であり、『過程』は変える事が出来ても、『結末』は決して変えることが出来ない――。
かつての上司、ブローノ・ブチャラティから聞いた言葉を、今回の戦いの中で体感させられた。
あの二人――『高嶺清麿』と『パルコ・フォルゴレ』がやって来るまでは。
『運命』を覆す程の力。
――その正体はきっと、『運命』を否定する『大人になれない者達の強がり』。少年時代に走っては転び、体のあちこちに出来た『カサブタ』のような物なのだろう。
ジョルノは、そう結論付けた。