ライがボーダーに入隊してから、三ヶ月が経過した。
その三ヶ月は、彼が当初想像していた以上に慌ただしいものだった。
旧ボーダーの拠点は、いつしか「玉狛支部」と呼ばれるようになっていた。新しいボーダー本部の建設が進み、組織の体制も少しずつ整えられていく中で、ライ自身の生活にも変化が生じていた。
学校のある日は夕方から玉狛支部で訓練をつみ、休日は一日中戦闘シュミレーション加えた訓練を行っていた。そして空いた時間に勉強をするという忙しい時間をすごしていた。
そして、ときにはクローニンに連れられて、本部の開発室に顔を出すこともあった。
「ライ、ここの設計なんだが、少し意見を聞かせてくれないか?」
「僕でよければ」
最初こそ見学のつもりだった。
しかし、ライは開発室に並ぶトリガーの試作品や設計図に興味を持ち、技術者たちの説明を聞くうちに、いくつかの改善案を口にするようになった。
それは必ずしも、専門家顔負けの技術的な提案というわけではない。
むしろ、実際にトリガーを使う隊員の立場から考えた、素朴な疑問や発想だった。
「この機能は便利だと思います。ただ、これを使いたい場面と、別の機能が必要になる場面は違うんじゃないでしょうか」
「違う、というと?」
「たとえば、攻撃の間合いを伸ばしたい人と、相手の攻撃をいなして隙を作りたい人では、必要な機能が違いますよね。同じ孤月でも、使い方は人によって変わるはずです」
ライは設計図に目を落とした。
「だったら、基本のトリガーは共通にして、必要な機能を追加できるようにしたらどうでしょうか」
クローニンは腕を組んだ。
「追加機能を別のトリガーとして用意するわけか」
「はい。もちろん、トリオンの消費や操作の複雑さ、安全性の問題はあると思います。でも、最初から全部を一つにまとめる必要はないんじゃないかと」
ライの発想は、開発者たちにとっても考える価値のあるものだった。
そうしたやり取りを重ねるうちに、彼はノーマルトリガーの開発方針にも意見を求め
られるようになっていた。
ただし、ライが自分の意見を絶対視することはなかった。
「僕の案が正しいとは限りませんから。実際に使ってみて、問題があれば修正するべきだと思います」
その姿勢もまた、開発室の人間たちが彼の意見に耳を傾ける理由の一つになっていた。
もっとも、ライ自身は自分が特別なことをしているとは思っていなかった。
自分にできることを考え、思いついたことを伝えているだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。彼にとっては、それが自然なことだった。
しかしこれが後にノーマルトリガーがメイン四つ、サブ四つの合計最大8つのトリガーを使い戦うボーダーの基本戦闘の雛型となるのだった。
一方、ボーダーの組織そのものも変化を続けていた。
鬼怒田本吉と根付栄蔵が組織に加わったことで、技術開発と広報体制の整備が本格化していた。
鬼怒田はトリガー開発の責任者として、技術面から組織の基盤を固めていく。
根付は、ボーダーという組織を社会に認知させるための方策を考えていた。
その一環として、ライにも声がかかった。
「君には、ボーダーの看板として表に出てもらいたいんだよ」
根付は穏やかな笑顔を浮かべていた。
「若くして高いトリオン能力を持ち、戦闘の適応力も高い。加えて、技術開発にも意見を出して、ボーダーの進歩に貢献している君のような隊員がいると知れれば、ボーダーに興味を持つ人も増えるだろうねぇ」
「君なら、これからのボーダーを象徴する存在になれるよ」
「申し訳ありませんが、お断りします」
返答は早かった。
根付の笑みが、ほんのわずかに止まる。
「理由を聞いても?」
「自分はボーダーの広告塔になれる器はないですよ。訓練も十分とは言えませんし、実戦経験もありません。そんな僕が表に出ても、ボーダーにとって良い結果になるとは思えません」
「若さや将来性を含めて評価しているんだがねぇ」
「評価していただけるのはありがたいです。でも、僕はまだ、その評価に見合う人間ではないと思っています」
ライは丁寧に頭を下げた。謙遜というより、本心だった。
自分にできることがあるなら、それを磨いていけばいい。
だが、自分が組織の顔になるほどの人物かと問われれば、答えは否だった。
根付はしばらくライを見つめたあと、小さく息をついた。
「なるほど。君は、自分に対する評価がずいぶん厳しいようだ」
「そうでしょうか?」
「ええ。少なくとも、私にはそう見えるよ」
「……自分では、よく分かりません」
ライが首を傾げると、根付は苦笑した。
「今すぐ結論を出す必要もないでしょう。気が変わったら、いつでも相談してください」
「ありがとうございます」
ライはもう一度頭を下げた。
根付はその背中を見送りながら、『自分への評価が低すぎるというのも問題だねぇ』と思っていた。彼をどう売り出すべきかではなく、どうすれば本人が自分の価値を認識するのかを考え始めていた。
もっとも、今のライにその意図を察することはできなかった。
その頃、玉狛支部でも一つの大きな変化が起きていた。
瑠花と陽太郎の生活拠点が、それぞれ別になったのである。
瑠花は安全上の問題に加え、王族に伝わるワールドトリガーを運用し、ボーダー本部全体のトリオンを扱うという重要な役割を担うことになった。
そのため、彼女は忍田の養女という立場で、本部に居を移すことになった。
「ライ、今まで遊んでくれて感謝するぞ!」
引っ越しの準備が進む中、瑠花は少しだけ寂しそうに笑った。
「こちらこそ。玉狛での生活は楽しかったです」
「本部に来ても、ちゃんと会いに来るんだぞ」
「もちろんです。訓練や用事で本部に行くことは多いですから」
「約束だぞ」
瑠花は念を押すように言ってから、満足そうに頷いた。
一方、陽太郎は林藤の養子として迎えられることになった。
それぞれの事情を踏まえた上での決定だった。
ライはその経緯について、詳しいことまでは知らされていない。
ましてや、戸籍上の手続きに桐原泰三が関わり、唐沢が実務を進めていることなど、知る由もなかった。
ライが知っているのは、瑠花と陽太郎が別々に暮らして、これまでとは少し違う生活を送ることになった、ということだけだった。
環境が変わっても、ライの日常は大きく変わらなかった。
訓練を続け、開発室に顔を出し、受験勉強にも手を抜かない。
ボーダーの活動に関わる時間が増えても、学生としての責任を忘れるつもりはなかった。
夜、自室の机に向かい、参考書を開く。
問題を解き、間違えた箇所を確認し、もう一度解き直す。
その合間に、今日の訓練で気づいたことをノートに書き留める。
距離の取り方。相手の動きへの反応。攻撃を仕掛けるタイミング。
それらを整理したあと、ライは再び参考書に視線を戻した。
「……よし、次」
小さく呟き、鉛筆を動かす。忙しくはあった。けれど、充実してもいた。
自分に足りないものが何なのか、少しずつ見えてくる。
その不足を埋めるために、何をすればいいのか考える。
そうして一日一日を積み重ねていくことが、今のライにとって何より大切だった。
そして、ある日の朝。
いつものように支度を済ませたライは、玉狛支部を出てボーダー本部へ向かった。
本部の建設は、以前よりもかなり進んでいた。
敷地内では作業員たちが行き交い、建物の周囲では資材の搬入が続いている。
その入口に差しかかったときだった。
「お願いします! どうか俺をボーダーに入隊させてください!」
張り詰めた少年の声が響いた。
ライは足を止めた。
本部の入口付近で、一人の少年が地面に膝をつき、職員たちに向かって深々と頭を下げていた。
職員の一人が困ったように声をかけている。
「だから、ここでそういうことをされても困るんだ。まずは落ち着いて、話を聞かせてくれないか」
「話なら、何度でもします! お願いします!」
少年は顔を上げようとしなかった。
周囲を通りかかった人々も、何事かと足を止め始めている。
ライは少年の姿を見つめた。
年齢は、小学生だろうか?と思われるぐらい小さく見える。制服はきてない。
地面に額を近づけるほど頭を下げるその姿からは、並々ならぬ意志が伝わってきた。
一体、何があったのだろう。どうして、そこまでしてボーダーに入りたいのだろう。
ライは少しだけ考えたあと、少年のもとへ歩き出そうとした。
まだ、彼の名前も知らない。
その少年が、三輪秀次という名前であることも。彼が抱えている闇も。
ライは、まだ知らなかった。