六月中旬。
ボーダーが新体制へ移行し、最初の入隊組が正式に活動を始めてから、二か月が経過していた。
新本部の建設は着実に進み、隊員たちの訓練環境も少しずつ整いつつある。トリガーの開発も進み、防衛任務の運用体制も形になり始めていた。
入隊したばかりの隊員たちも、今ではそれぞれの実力に応じて防衛任務に参加している。
任務はシフト制。二人から三人の小グループを組み、街の巡回やトリオン兵への対処を行う仕組みだ。
もちろん、全員が同じ速度で成長できるわけではない。
それでも、ボーダーは着実に前へ進んでいた。
そして、その日の防衛任務を終えたライ・アッシュフォード、太刀川慶、風間蒼也の三人は、そろって本部の食堂に顔を出していた。
「……あー、疲れた。今日のトリオン兵、妙に動きがよかったな」
トレーをテーブルに置いた太刀川が、椅子に腰を下ろすなりぼやいた。
「動きがよかったというより、太刀川が先に突っ込みすぎたんじゃないか?」
風間は淡々と指摘しながら、食事を始める。
「いや、あれは行けると思ったんすよ」
「実際、行けていたでしょう。最後の一体も太刀川が倒しましたし」
ライが苦笑しながらフォローを入れる。
「ほらー、ライはわかってるねー」
「ただ、風間さんの援護がなかったら、もう少し時間がかかっていたと思うけど」
「おい」
「事実だろ?」
ライが涼しい顔で返すと、太刀川は不満そうに頬を膨らませた。
「お前、最近ちょっと遠慮なくなってきたよな」
「太刀川が遠慮するなって言ったんだろ?」
「言ったけどさあ……」
風間は二人のやり取りを横目で見ながら、小さく息を吐いた。
「食事中くらい静かにできないのか、お前は」
「風間さんも一緒に任務をした仲間なんだから、もう少し会話に参加してくれてもいいんじゃないか?」
「必要なことは話している」
「そういうところですよ、風間さん」
「何がだ」
そんな調子で軽口を交わしながら、三人は食事を進めていった。
ひとしきり食べたところで、ライがふと話題を変える。
「そういえば、入隊から二か月が経ったけど、隊員たちの状況はどうなんだろうね」
「俺たちの同期か?」
太刀川が箸を止めた。
「そう。前回の入隊組は三十四人だったよね」
「ああ。今じゃ、正隊員になったのは二十七人か」
風間が答える。
「ライたちを含めて、ということだな」
「残りの七人は、まだ訓練生で頑張ってるのかな?」
「全員がそういうわけじゃない」
風間は落ち着いた口調で続けた。
「適性や成長速度には個人差がある。訓練を続けている者もいるが、戦闘員としては難しいと判断された者もいる」
「そのうち三人は、もう技術部や後方支援に移ったんだったか」
太刀川が思い出したように言った。
「そっか。戦闘員としての適性が伸び悩んでいた三人だね。でも、技術部や裏方に移ること自体は悪いことじゃないと思う。ボーダーは戦える人間だけで成り立つ組織じゃないから」
ライは水を一口飲んだ。
「むしろ、早い段階で本人に合った役割を見つけられたなら、それはいいことだと思うよ」
「まあな。トリガーを作る奴がいなきゃ、俺たちだって戦えないわけだし」
太刀川は素直に頷いた。
「技術部の鬼怒田さんなんて、俺たちが何を言っても簡単には首を縦に振らないけどな」
「それだけ慎重なんだろう。実戦で使う装備なんだから、当然だよ」
「お前、技術部に顔を出すたびに、何か新しいことを提案してるらしいじゃねえか」
「必要だと思ったことを伝えているだけだよ」
「その結果、銃型トリガーまで出てきたんだろ?」
太刀川は少しだけ不満そうに、自分の箸を指先で回した。
「……あれ、アタッカーにはなかなか厄介なんだよな」
「やっぱりそう感じる?」
「感じるに決まってるだろ。こっちは相手に接近して、間合いに入って、攻撃を当てなきゃならないんだぞ。それなのに、向こうは距離を取って引き金を引くだけで攻撃できる」
「実際には照準やトリオン消費も考えないといけないけどね」
「分かってるって。分かってるけど、戦いやすくなったのは事実だろ?」
太刀川は背もたれに寄りかかった。
「特にアサルトライフル型。あれで連射されると、こっちが接近するまでに何発かもらう可能性がある。シューター型なら相手の技量次第だったけど、銃型は操作が分かりやすい分、使い始めるまでのハードルが低い」
「だからこそ、開発したんだけどね」
「作った本人が言うなよ……」
太刀川は大げさに肩を落とした。
ライは笑ったが、すぐに真面目な表情に戻る。
「ただ、アタッカーが不利になる一方というわけでもないよ」
「というと?」
「今、シールドの強化も進めているだろう?」
ライの言葉に、風間が反応した。
「銃型トリガーの普及を見越して、防御側の性能を見直しているという話か」
「そう。射撃が扱いやすくなるなら、それに対抗する防御手段も必要になる。もちろん、シールドを強くするだけじゃ解決しないけどね」
「シールドが強くなれば、今度は攻撃側が威力を上げたくなる。そうやって、また調整が必要になるわけか」
風間は納得したように頷いた。
「結局、武器と防御は一緒に進化していくんだな」
「そういうこと。だから、今の段階でアタッカーが不利になったと決めつける必要はないと思う」
「……まあ、俺は銃型が増えても勝つけどな」
太刀川が、すぐさま胸を張った。
「そこは疑ってないよ」
「お、言うじゃねえか」
「でも、相手が銃型を使うなら、今まで以上に接近するまでの動き方を考えないといけない。太刀川の技量なら対応できると思うけど、全員が同じようにできるわけじゃないから」
「結局、訓練しろってことか」
「そうだね」
「お前、ほんと容赦ねえな……」
三人がそんな話をしていると、不意に背後から明るい声がかかった。
「やっ、お三方。元気ー?」
振り返ると、迅悠一が片手を上げながら立っていた。
「おう、迅。お前、今日は防衛任務なかったんじゃなった?」
太刀川が尋ねる。
「うん、今日はお休み。だから、ちょっと本部をうろうろしてたんだよね」
「それにしては珍しい時間にいるな」
風間が時計に目を向けた。
「普段なら訓練室か、どこかで誰かに絡んでいる時間だろう」
「風間さん、俺のこと何だと思ってるの?」
「事実を言っただけだ」
「ひどいなあ」
迅は笑いながら、空いている椅子を引いた。
「座ってもいい?」
「どうぞ」
ライが答えると、迅は遠慮なく腰を下ろした。
「それで、何の話をしてたの?」
「銃型トリガーの普及と、アタッカーの今後についてだよ」
「ああ、なるほどね」
迅は頷き、テーブルの上に置かれたトレーを少し横へずらした。
「確かに、最近は銃型を試す隊員が増えたよね。前よりも戦い方の選択肢が増えたのはいいことだけど、使う武器が変われば、今までの戦い方が通用しなくなる場面も出てくる」
「だから、シールドの強化も進んでいるんだ」
ライが説明すると、迅は感心したように目を細めた。
「ライさんは、そういうところまでちゃんと考えてるんだね」
「考えるだけなら誰でもできるよ。実際に形にするのは技術部の仕事だから」
「いやいや、考える人がいなきゃ、技術部だって何を作ればいいか分からないでしょ?」
迅はいつもの調子で笑った。
「それでさ、今日は俺も武器の話をしに来たんだよね」
「武器?」
太刀川が身を乗り出す。
「まさか、お前も銃型トリガーを使うつもりか?」
「んー、銃型も面白そうだけど、俺が考えてるのはちょっと違うかな」
迅は少しだけ声を落とした。
「実は、クローニンさんが作ったトリガーに、面白いものがあるんだよ」
「クローニンさんが?」
ライは興味を引かれたように顔を上げた。
「どんなトリガーなんだ?」
「フェンガーリっていうんだけどね。見た目は、鞘が酒袋みたいな形をしてるんだ」
「酒袋……?」
太刀川が眉をひそめる。
「武器なのか、それ?」
「ちゃんと武器だよ。鞘から抜くと、刃の部分が鞭みたいに変形するんだ」
迅は自分の腕をしならせるような仕草をした。
「普通の孤月は、刀身の形が決まってるでしょ? でも、フェンガーリは刃を変形させることで、普通の剣じゃ届かない位置にも攻撃できる。相手の防御の隙間を狙ったり、動きを制限したりすることもできるんだ」
「面白いな……」
ライは思わず呟いた。
刃の形状を変える。
それは、単に攻撃の届く範囲を広げるだけではない。相手にとって予測しづらい軌道を生み出し、通常の剣術とは異なる攻撃を可能にする。
「ただし、問題もあるんだよね」
迅は指を一本立てた。
「強度は孤月より少し弱い。それに、変形できるのは鞘を抜いてから数秒だけ。長く使い続けるのは難しいんだ」
「変形状態を維持するためのトリオン消費か?」
ライが尋ねる。
「それもあるみたい。詳しい構造はクローニンさんに聞かないと分からないけど、少なくとも今のままじゃ、実戦で使える場面が限られる」
「なるほど……」
風間が口を開いた。
「だが、短時間でも相手の想定外の攻撃ができるなら、十分に価値はある。特に、接近戦で相手の間合いを崩す用途なら使い道がありそうだ」
「でしょ?」
迅は嬉しそうに頷いた。
「だから、あれをもっと使いやすくできないか考えてるんだ」
「使いやすく、というと?」
「もっと軽くして、変形を自在にできるようにしたい。今のフェンガーリは、変形できる時間が短すぎるし、動かし方にも制限がある。せっかく鞭みたいに動かせるのに、自由に扱えないんじゃもったいないでしょ?」
迅はテーブルに両肘をついた。
「だから、ボーダー本部の技術者たちとも相談してるところなんだ。軽量化できれば、機動力を活かした戦い方もできるようになると思う」
「武器そのものの性能だけじゃなく、使用者の動きまで考えているんだな」
風間は珍しく、興味を示していた。
「変形する刃を扱うなら、普通の孤月とは違う間合いの管理が必要になる。習熟すれば、かなり厄介な武器になりそうだ」
「そうなんだよね。普通の剣と同じ感覚で使ったら、自分の方が振り回されるかもしれない」
「お前が使うつもりなのか?」
太刀川が尋ねた。
「そのつもりだよ」
迅は即答した。
「今の孤月でも戦えるけど、これからは相手も強くなる。新しい武器を使いこなせるようになれば、戦い方の幅も広がるからね」
ライは腕を組み、少し考え込んだ。
「確かに、軽量化と変形の自由度が両立できれば、面白い武器になりそうだ。ただ、変形の自由度を上げるほど、制御も難しくなるんじゃないかな」
「そこは俺も考えてる。使い手が思い描いた通りに動かせるようになれば理想的だけど、まずはどこまで実現できるかだね」
「完成したら、一度見せてくれよ」
太刀川が言った。
「いいよ。ただし、見せるだけじゃつまらないからね」
迅はにやりと笑った。
「ちゃんと実戦形式で試そうよ」
「お、いいね。俺もその武器と戦ってみたい」
「太刀川、お前は新しい武器が出るたびに戦いたがるな」
風間が呆れたように言う。
「当たり前だろ。どんな武器でも、実際に戦ってみなきゃ強さは分からないんだからな」
「それはそうだけど……」
ライは苦笑した。
迅はそんな二人を見比べてから、ゆっくりと立ち上がった。
「まあ、そういうわけだから。完成までにはもう少しかかると思うけど、楽しみにしててよ」
そして、食堂を出ていく前に、ふと思い出したように振り返る。
「そうそう。二人とも、あんまり油断しない方がいいよ」
「何の話だ?」
太刀川が眉を上げた。
迅は自分を指さし、いつもの軽い笑みを浮かべた。
「俺は、ライさんにも太刀川さんにも負けないからね」
「……言ったな、迅」
太刀川の口元に、挑戦を受けた者の笑みが浮かんだ。
「その新しいトリガーが完成したら、俺が相手をしてやるよ」
「お手柔らかにお願いしまーす」
迅はひらひらと手を振った。
「ライさんも楽しみにしててね」
「もちろん。どんな武器になるのか、僕も興味があるよ」
ライが答えると、迅は満足そうに笑い、今度こそ食堂を後にした。
残された三人の間に、しばし沈黙が落ちる。
「……あいつ、本当に自信満々だな」
太刀川が呟いた。
「自信だけで言っているわけじゃないだろう」
風間は食事を再開した。
「新しい武器を使うなら、それに合わせた戦い方も身につけるはずだ。迅が本気で取り組むなら、警戒しておくに越したことはない」
「そうだね」
ライは頷いた。
「武器が変われば、戦い方も変わる。僕たちも今までのやり方にこだわってはいられない」
「……お前までそんなこと言うのかよ」
太刀川はため息をついたあと、すぐに笑った。
「まあいいや。迅が新しい武器を完成させたら、俺が一番最初に勝ってやる」
「その前に、お前は高校の課題についてを考えたらどうだ?」
「風間さーん。それは言わないお約束じゃないっすか」
食堂に太刀川の声が響く。
ライは二人のやり取りを眺めながら、静かに笑った。
ボーダーの武器は、今も日進月歩を続けている。
銃型トリガーが戦い方に変化をもたらしたように、迅が目指す新たな武器も、いずれ誰かの戦術を変えることになるのかもしれない。
そして、その変化に対応できるかどうかは、武器を作る技術者だけでなく、それを使う隊員たち自身にかかっているのだった。