ライと小南は、互いに武器を構えて向かい合っていた。
ライの手には、標準的な刀型の孤月。
対する小南の手には、通常の孤月とは形状が異なる、彼女専用に調整された斧型の孤月が握られている。
小柄な身体には不釣り合いなほど大きな斧だが、小南はそれを片手で軽々と扱っていた。
「先に言っておくけど、手加減なんてしないからね!」
小南が自信満々に宣言する。
「うん。僕も、できる限り全力で挑ませてもらうよ」
「ふん。さっきトリオン兵を倒したくらいで、いい気にならないことね!」
「肝に銘じておくよ」
ライが穏やかに答えると、小南は少しだけ拍子抜けしたような顔をした。
挑発に乗ってくると思っていたのかもしれない。
「……なんか調子狂うわね、あんた」
「そうかな?」
「そうよ!」
小南は斧を肩に担ぎ直した。
「とにかく、十本勝負! あんたが何本取れるか、私が試してあげる!」
「十本勝負か。わかった。よろしくお願いします、小南さん」
「だから、いちいち丁寧なのよ!」
そんなやり取りを交わしながら、二人は開始位置についた。
周囲では、林藤、ゆり、木崎、迅が観戦の準備を整えている。
「十本勝負か。小南もずいぶん張り切ってるねえ」
林藤が苦笑する。
「桐絵ちゃん、ああ見えて負けず嫌いですからね」
ゆりも頷いた。
木崎は腕を組み、二人を注意深く観察している。
「問題はライがどこまで対応できるかだな。トリオン兵との戦闘と、人間相手の剣術は別物だ」
「そこは同感」
迅は楽しそうに笑った。
「でも、ライ先輩なら面白いものを見せてくれそうですけどね」
「お前は本当に、あいつのことを気に入ったんだな」
「まあね!」
迅はあっけらかんと答えた。
その視線の先で、小南が斧を構える。
「それじゃあ、始めるわよ!」
ライも刀を正眼に構えた。
「お願いします」
次の瞬間、小南の姿が動いた。
「はあっ!」
開始直後、小南が一気に距離を詰めた。
ライは迎撃しようと刀を振るう。
だが、小南はその剣筋を見切ると、斧の柄で刀身を弾き、返す動作で斧を叩きつけた。
ガキンッ!鈍い音が響く。ライの孤月が、根元から砕け散った。
「……っ!」
一瞬、何が起きたのか理解が追いつかなかった。
刀を失ったライのトリオン体が砕けて敗北を告げられる。
「一本!」
迅が声を上げた。
「えへへっ! どう? これが私の実力よ!」
小南は得意げに胸を張った。
ライは自分の手元を見つめ、それから小南へ視線を戻した。
「……すごいな」
「え?」
「剣を振るった瞬間には、もう僕の攻撃を見切っていた。しかも、刀を弾く動作から、そのまま破壊する動作へつなげている。無駄がないね」
「そ、そんなの当たり前でしょ!」
褒められた小南は、少しだけ頬を赤くしながらそっぽを向いた。
「さあ、次よ! 今度はもう少し頑張りなさい!」
ライはまた孤月を構えた。
二本目。
今度は、相手の動きを見極めることを優先する。
小南が踏み込む。
ライは斧の軌道を予測し、刀を斜めに構えて受け流そうとした。
しかし、斧の重さと小南の技量は、ライの想定を上回っていた。
受け流すどころか、刀ごと押し切られる。
ガキンッ!再び孤月が砕けて倒される
「二本!」
小南が勝ち誇ったように笑う。
「どうしたの? まだ二回よ!」
ライは自分の手のひらを眺めながら静かに息を吐いた。
「……なるほど。正面から受けるのは駄目だね」
「え?」
「僕の刀と小南さんの斧では、武器の形状も重さのかけ方も違う。斬撃を受け止めようとすれば、こちらの武器が先に壊される」
ライは、相手の斧を改めて観察した。幅広い刃。大きな破壊力。
そして、それを振り回している小南の身体には、武器の大きさを感じさせないほどの速さがある。
単純に力負けしているだけではない。
彼女は、相手の武器を破壊することまで含めて、自分の戦い方を組み立てているのだ。
「……これは、考え方を変える必要があるな」
ライがつぶやくと、小南は少しだけ不満そうに眉を寄せた。
「なによ。まだまだこれからなんだからね!」
「もちろん。そのつもりだよ」
ライは微笑んだ。
その表情には、悔しさよりも、未知の技術に触れた喜びが浮かんでいた。
小南はそれが気に入らないのか、頬を膨らませる。
「……なんか、腹立つわね!」
「そうなの?」
「そうなの!」
観戦していた迅が、腹を抱えて笑った。
「小南、二本取ったのに全然効いてないぞ!」
「迅! あとで覚えてなさい!」
三本目。
ライは、最初から小南を倒そうとはしなかった。
まずは距離を測る。小南がどこから踏み込んでくるのか。斧を振り下ろすまでに、どれほどの時間がかかるのか。攻撃後、次の動作へ移るまでにどれほどの隙が生まれるのか。
ライは、ひとつずつ確かめていった。
「逃げてばっかりじゃ、勝てないわよ!」
小南が叫び、斧を横薙ぎに振るう。
ライは大きく後退せず、斧の届く範囲の外縁を維持した。
攻撃を避け、時には刀の峰で斧の柄を押し返し、決して真正面から力比べをしない。
小南の攻撃は鋭い。一歩間違えれば、刀ごと身体を持っていかれるだろう。
それでもライは、少しずつ小南の動きに慣れていった。
一分。二分。三分
戦闘が長引くにつれ、小南の表情にも驚きが浮かび始めた。
「……ちょっと! あんた、いつまで避け続けるつもりよ!」
「ごめんね。今は、君の動きを覚えているところなんだ」
「覚えるって……!」
小南は斧を振り下ろした。
ライはぎりぎりで身をかわし、その隙に距離を取る。
さらに数分。ついに五分が経過した。
林藤が感心したように声を上げる。
「へえ。小南相手に、ここまで粘るとはね」
「攻撃を当てることより、まずは生き残ることを優先しているんですね」
ゆりもライの意図を読み取っていた。
「相手の攻撃を知ることを、勝つための準備にしているんだわ」
木崎は黙って頷いた。
そして、ライが小南の斧をかわした直後。
「……そこだ!」
ライは踏み込み、刀を振るった。小南の肩口を狙った一撃。
しかし、小南は身体をひねり、斧の柄で刀を弾いた。そのまま斧を振り抜く。
ライは間一髪で回避したものの、反撃の機会を失った。
やがて、ライの動きがわずかに遅れた瞬間、小南の斧が刀身を捉えた。
孤月ごとトリオン体を砕かれる。
「三本目も、私の勝ち!」
小南は息を弾ませながら、得意げに笑った。
一方、ライは敗北判定を受けながらも、どこか満足そうだった。
「五分か……。最初の二本よりは、ずっと長く戦えたね」
「当たり前でしょ! でも、まだ私には勝てないわよ!」
「うん。今のままでは、そうだろうね」
あまりにもあっさり認められ、小南はまたしても調子を狂わされたようだった。
四本目。
ライは、今度こそ攻撃を当てることを意識した。小南の斧が振り下ろされる。
ライは横へ踏み込み、斧の軌道から外れた。そして、すれ違いざまに刀を振るう。
浅い一撃だったが、確かに小南の胴体を捉えた。
「……っ!」
小南が目を見開く。
ライはすぐさま距離を取った。
「当たった……!」
思わず漏れた声には、純粋な喜びがあった。
だが、小南はすぐに態勢を立て直した。
「一回当てたくらいで、いい気にならないでよ!」
斧が唸る。ライは攻撃を避けたものの、次の一撃への対応が遅れた。
四本目も小南の勝ちとなった。
五本目。
ライは、さらに攻撃のタイミングを変えた。
相手の踏み込みに合わせて前へ出る。斧が振り下ろされる直前、柄の内側へと潜り込もうとした。
小南の目が鋭くなる。
「甘い!」
斧の柄が、ライの刀を下から弾き上げた。
ライは体勢を崩しながらも、すぐに刀を持ち直す。しかし、立て直すよりも早く、小南の斧が襲いかかった。孤月で薙ぎ払うがすぐに次の斬撃がきてトリオン体が砕ける。
五本目も敗北。
それでも、ライの動きは最初とは明らかに違っていた。
ただ逃げ回るのではなく、相手の懐へ入り、攻撃を当てる機会を作れるようになっていたのだ。
小南も、それを認めざるを得なかった。
「……あんた、少しずつ動きがよくなってるじゃない」
「ありがとう。君のおかげだよ」
「べ、別に! 褒めたわけじゃないんだからね!」
小南はそっぽを向いた。
だが、その表情には先ほどまでとは違う、真剣な色が浮かんでいた。
ライは刀を下ろし、林藤へ向き直った。
「すみません。少しだけ、休憩をいただいてもいいでしょうか?」
「もちろん。ちょうどいい頃合いだな」
林藤は頷いた。
「無理をして続けても、得られるものが少なくなる。五分ほど休もうか」
「ありがとうございます」
ライは壁際へ移動し、腰を下ろした。
そして、目を閉じた。
次の戦いに備えるために。
六本目――頭の中で組み立てる
目を閉じたライの脳裏に、これまでの五本の戦いが次々と蘇り、頭の中を整理する。
小南の斧は、単純に威力が高いだけではない。踏み込みの速さ。斬撃の重さ。攻撃後の姿勢。そして、こちらが反撃に移ろうとした瞬間に、それを潰す判断の速さ。どれも、ライの想定を上回っていた。
(正面から打ち合えば、僕の刀が先に壊される。かといって、逃げ続けても勝てない)
ライは、指先で膝を軽く叩きながら考える。
(必要なのは、避けることそのものじゃない。避けたあとに、自分が有利になる位置へ移動することだ)
小南は斧を振るう際、必ずしも大きく身体を開いているわけではない。
むしろ、攻撃後の隙は少ない。斧の柄を利用した防御も巧みで、ライが懐に飛び込もうとすれば、その動きを察知して迎撃してくる。
しかし、斧という武器の性質上、攻撃には一定の軌道が生まれる。
刃の大きさと重さを活かす以上、どうしても動作には癖が生じる。
そして、小南はその癖を熟知しているからこそ、あれほど自在に扱えているのだ。
(なら、彼女の動きに合わせるんじゃない。彼女が次に動きたくなる状況を、こちらから作る)
ライは目を開けた。
「……よし」
立ち上がり、刀を握る手を確かめる。
六本目。
開始位置に戻ったライを見て、小南が不敵に笑った。
「もう休憩は終わり? 思ったより元気じゃない」
「おかげさまで。少し考えを整理できたよ」
「ふーん。何を考えたか知らないけど、結果は変わらないわよ!」
小南が踏み込む。
ライは、最初の五本とは違う動きを見せた。
斧の間合いに入る直前、わずかに進路を変える。小南の攻撃を誘い、刃が振り下ろされる瞬間に横へ滑った。そして、逃げるのではなく、一歩踏み込む。
「っ!」
刀が小南の腕をかすめた。
小南は即座に斧を返すが、ライはすでに間合いの外へ抜けている。追撃を受ける前に離脱し、再び構え直した。
「今のは……!」
ゆりが思わず身を乗り出す。
「さっきまでと違うわ。小南ちゃんの攻撃を避けるだけじゃなく、攻撃後の動きを利用している」
木崎も頷いた。
「相手の攻撃を避けた結果として反撃するんじゃない。反撃するために、避ける位置を選んでいる」
「へえ……」
林藤が感心したように唸る。
「短い休憩で、そこまで考えたのか」
小南は悔しそうに歯を食いしばった。
「……やるじゃない!」
彼女は斧を構え直し、今度はフェイントを交えて接近する。ライも対応を変える。
先ほどまでの動きをそのまま繰り返せば、見切られる。
小南が何を狙っているのか、動きを観察しながら判断しなければならない。
斧と刀が交差する。
金属音が、何度もシミュレーションルームに響いた。
五分。
十分。
やがて、十五分が近づく。
互いに決定打を与えられないまま、二人は何度も攻防を繰り返した。
ライは、初めて小南の攻撃を受け流し、そのまま反撃へとつなげることに成功した。
しかし、小南も黙ってはいない。斧の柄で刀を押さえ、体勢を崩させようとする。
ライは踏ん張るのではなく、あえて後ろへ跳んで力を逃がした。
「くっ……!」
小南が追撃に出る。その瞬間、ライは横へ踏み込み、斧の軌道の外側へ回り込んだ。
刀が小南の胴体を切り裂いた。
「……一本!」
迅の声が響いた。
小南の動きが止まる。
ライは刀を下ろし、軽く頭を下げた。
「ありがとう。とても勉強になったよ」
「……まだ一本取っただけでしょ!」
小南は悔しそうに言い返した。
「次は絶対に当てさせないんだから!」
その言葉には、先ほどまでの余裕とは違う熱がこもっていた。
ライは静かに微笑んだ。
「うん。僕も、次はもっと工夫してみるよ」
「だから、そういうところが腹立つのよ!」
小南が叫び、周囲から笑い声が上がった。
六本目は、ライが初めて勝利を拾った一本となった。
七本目から十本目からは一進一退の攻防が続く
七本目。
小南は、もうライを新人だからと侮ってはいなかった。
斧を構える姿勢に、迷いがない。
「今度は、さっきみたいにはいかないわよ!」
「望むところだよ」
ライもまた、真剣な表情で刀を構えた。
開始の合図と同時に、小南が動く。
これまでよりも細かなフェイントを交え、ライの反応を誘う。
ライは簡単には飛び込まない。小南の肩、腰、足運び。視線だけでなく、身体全体の動きから次の攻撃を予測しようとする。
だが、小南もライの変化に気づいていた。斧を振るうと見せかけ、途中で軌道を変える。
ライの刀が空を切った。
「もらった!」
小南が踏み込む。
ライは紙一重で斧をかわし、反撃に移ろうとした。
しかし、小南はすでに体勢を立て直していた。
斧の柄がライの頭から振り下ろされる。
「七本目、私の勝ち!」
小南は勝ち誇るように笑った。
「どう? そう簡単に勝てると思わないことね!」
「うん。今のは見事だったよ」
ライは素直に称賛した。
「僕が反撃するところまで読んで、その前に武器を潰しに来たんだね」
「……っ、だからいちいち分析しないでよ!」
「ごめん。癖なんだ」
「知らないわよ!」
小南は顔を赤くした。
しかし、次の勝負が始まると、その表情はすぐに真剣なものへ変わった。
八本目。
今度はライが、あえて攻撃の回数を減らした。
小南が仕掛けてくるのを待ち、彼女が動いた瞬間に最小限の動きでかわす。
攻撃を避けるために大きく移動すれば、そのぶん次の動作が遅れる。
それならば、最初から余計な動きをしなければいい。
ライは斧の刃先を見極め、身体をわずかに傾ける。
斧が空を切った。
その一瞬。ライの刀が、小南を貫いた。
「……っ!」
小南が目を見開く。
「一本! ライ!」
迅が大きな声で宣言した。
「よし……!」
ライは思わず小さく拳を握った。
一方、小南は唇を尖らせていた。
「……また取られた!」
「ありがとう。今のは、君の動きに助けられたよ」
「はあ!? どういう意味よ!」
「君が速いから、判断を早くしなければいけない。おかげで、自分の動きの無駄にも気づけたんだ」
「……っ!」
小南は言葉に詰まった。
素直に喜ぶのも悔しいし、否定するのも何だか違う。
そんな複雑な顔をする小南を見て、迅がまた笑い始めた。
「小南、褒められてるぞー!」
「迅! あんた、本当にうるさい!」
「ははは!」
林藤は苦笑しながら、二人を見守っていた。
「いやあ、面白いね。ライ君、どんどん動きがよくなってる」
「最初は小南の攻撃に対応するので精いっぱいだったのに、今では攻防の中で自分の戦い方を組み立てている」
木崎の言葉に、ゆりも頷いた。
「それに、桐絵ちゃんも本気よ。相手に合わせて手を抜くんじゃなくて、ちゃんと勝ちにいっている」
「ああ。だからこそ、いい訓練になっているんだろう」
林藤は満足そうに笑った。
九本目。
二人の戦いは、さらに激しさを増した。
小南は斧の長所を最大限に活かし、広い攻撃範囲でライの動きを制限する。
ライは、刀の取り回しのよさを利用して、斧の内側へ入り込もうとする。
斧が振り下ろされる。
ライは踏み込む。刃と斧が交差する。
小南は柄で刀を押し返し、ライは力を逃がしながら体勢を立て直す。互いに一歩も譲らない。
しかし、わずかな差が生じた。
小南が斧を振り切った直後、ライはその場に留まらず、斜め前へと踏み込んだ。
小南が振り返るより早く、刀が胴体へと伸びる。
だが、寸前で小南が身体をひねってかわされる。
刃は浅く当たっただけで、決定打にはならない。そのまま小南が一本取った。
そのまま二人は距離を取り、再び構え直した。
「……今の、危なかったわね」
小南が息を弾ませながら言う。
「うん。あと少しだった」
ライもまた、呼吸を整えていた。
トリオン体だからといって、戦闘中の集中力まで無限に続くわけではない。
二人とも、これまでの勝負で確かな疲労を感じていた。
それでも、小南は笑っていた。
悔しさと、楽しさ。その両方が混じった笑顔だった。
「いいわ。次で決めてあげる!」
「僕も、最後まで頑張るよ」
十本目。
周囲の空気が、自然と引き締まる。
これが最後の一本。
小南は、斧を両手で構えた。
ライは刀を正眼に構える。
小南が踏み込む。
これまでにない鋭い一撃。
ライはそれを受けず、横へと逃れた。
小南はすぐに斧を返す。
ライは刀で柄を押し、攻撃の軌道をわずかに逸らした。
一瞬、二人の武器が交差する。
ライはその隙を逃さなかった。
斧を振り切る前に踏み込み、刀を走らせる。
小南も反応した。
斧の柄で刀を弾こうとする。
しかし、ライはそこで力を込めなかった。
斧の動きに逆らわず、刀を引きながら身体を回転させる。
小南の防御が空を切る。
その瞬間、ライの刀が小南の胴体を捉えた。ライの勝ちだ。
しばらくの間、シミュレーションルームには静寂が漂った。
そして、迅が改めて結果を告げる。
「十本勝負、結果は小南七本、ライ三本! 小南の勝ち!」
ライは刀を下ろし、深く息を吐いた。
小南は、斧を握ったまま立ち尽くしていた。
やがて、悔しそうに唇を噛む。
「……三本」
その目には、涙が浮かんでいた。
「素人に……三本も取られた……!」
「小南さん……」
ライが声をかけようとすると、小南は慌てて顔を背けた。
「泣いてないわよ! これは、その……汗! 汗だから!」
「うん。そういうことにしておくね」
「だから、そういう言い方が腹立つのよ!」
小南は涙目のまま叫んだ。
だが、しばらくすると、深く息を吐き、ライへと向き直った。
「……私の負けよ」
その言葉には、悔しさが滲んでいた。
「十本勝負では私が勝った。でも、あんたは最初の二本で何もできなかったのに、最後には私から三本も取った。しかも、戦いながらどんどん強くなっていった」
小南は斧を肩に担ぎ直す。
「そんな相手に、いつまでも素人だなんて言えないわ」
ライは、静かに頭を下げた。
「ありがとう、小南さん。君と戦えて、本当に勉強になったよ」
「……ふん!」
小南は顔を背けた。
「次は、絶対に一本も取らせないんだから!」
「うん。次もよろしくお願いします」
「……っ、だから丁寧すぎるのよ!」
そう言いながらも、小南の表情には、少しだけ晴れやかなものが戻っていた。
模擬戦が終わり、ライと小南はトリオン体から生身へと戻った。
ゆりが二人に飲み物を用意し、林藤は近くの椅子に腰を下ろす。
「いやあ、いい勝負だったね」
林藤が口を開いた。
「小南が勝つだろうとは思っていたけど、ライ君がここまで対応するとは予想していなかったよ」
「ありがとうございます」
ライが礼を述べると、林藤は首を横に振った。
「いや、褒めているだけじゃない。今回の勝負で、君の長所と課題がはっきりしたからね」
林藤は指を一本立てた。
「まず、状況を観察して、そこから自分なりの答えを導き出す能力。これはかなり優れている。初めて戦う相手でも、相手の動きを分析し、戦い方を変えられる」
「はい」
「ただし、実際の戦闘では、相手の動きを観察している時間がない場合もある。判断が遅れれば、それだけで致命的な隙になる。これから経験を積んで、考える前に身体が動くくらいまで技術を磨く必要があるね」
「肝に銘じます」
続いて、ゆりが口を開いた。
「私が特に印象に残ったのは、ライ君が自分の負けをきちんと受け止めていたことね」
「負けを、ですか?」
「ええ。最初の二本で孤月を壊されたあと、あなたは相手の強さを認めて、自分の戦い方を変えたでしょう? 負けたことに腹を立てて、同じことを繰り返すんじゃなくて、何が悪かったのかを考えていた」
ゆりは微笑んだ。
「そういう姿勢は、訓練を続けるうえでとても大切よ」
「ありがとうございます。小南さんの動きから学べることが多かったので」
「……べ、別に、あんたのために戦ったわけじゃないんだからね!」
小南が横から口を挟む。
「私は、あんたがどれくらいできるのか確かめたかっただけ!」
「うん。だからこそ、ありがたかったよ」
ライが素直に答えると、小南は再び言葉に詰まった。
「……もう!」
顔を赤くしてそっぽを向く小南を見て、ゆりはくすくすと笑った。
木崎も口を開く。
「俺から見ても、ライの戦闘能力はまだ未知数だ。剣術そのものは、基礎から鍛え直したほうがいい。小南との勝負でも、武器の扱いに粗さがあった」
「はい。自分でも、まだまだだと感じています」
「だが、相手の間合いを見極める力や、戦況に応じて立ち回りを変える能力は十分にある。そこを伸ばしていけば、かなり強くなるだろうな」
「ありがとうございます、レイジさん」
木崎は小さく頷いた。
「それと、もう一つ」
「はい?」
「お前は、戦闘中に周囲を見る余裕があった。相手だけじゃなく、空間全体を使って戦っていたな。それは大切なことだ。実戦では敵が一人とは限らないからな」
「確かに……。今回は小南さんとの一対一でしたが、実際には複数の敵や、守るべき人がいる状況も考えられますね」
「そうだ。そこは忘れるな」
「はい」
最後に、迅が満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「俺からの総評は、簡単です!」
「おっ、迅。何かあるのかい?」
林藤が面白そうに尋ねる。
「小南、これから大変だな!」
「……は?」
小南の眉がぴくりと動いた。迅は構わず続ける。
「今まで小南より強い相手って、そう簡単にはいなかっただろ? それなのに、入隊初日のライ先輩に三本も取られちゃったんだからさ!」
「迅……」
小南の声が低くなる。
「これからライ先輩みたいのがいっぱい入隊したら、一気に追いてかれるかもしれないぞ?」
「……迅!」
「はははは!」
迅は笑いながら逃げ出した。
「待ちなさい! 絶対に許さないんだから!」
小南が追いかけようとするが、林藤が慌てて止めた。
「こらこら、二人とも! ここは訓練場だぞ!」
ゆりは呆れながらも笑っていた。
木崎はため息をつく。
「……本当に、いつもこうだな」
ライはその光景を眺めながら、自然と笑みを浮かべていた。
賑やかで、遠慮がなくて、それでいて互いの実力を認め合っている。
自分も、いつかこの輪の中に自然と溶け込めるだろうか。
そんなことを考えていたときだった。
「……ライ」
小南が、少しだけ気まずそうに声をかけてきた。
「はい?」
「……その。さっきの勝負だけど」
小南は視線を逸らしながら、ぼそぼそと続けた。
「……楽しかったわよ」
ライは一瞬、目を丸くした。
「……本当?」
「な、何よ! 悪い!?」
「いや。そう言ってもらえると嬉しいよ」
ライは穏やかに微笑んだ。
「僕も、とても楽しかった。ありがとう、小南さん」
小南は、ますます顔を赤くした。
「……ふ、ふん! 次は絶対に勝つんだからね!」
「うん。楽しみにしているよ」
「……っ!」
小南は顔を覆い、そっぽを向いてしまった。
迅が遠くから叫ぶ。
「おーい、小南! 顔真っ赤だぞー!」
「迅! あんた、あとで覚えてなさい!」
再び騒がしくなるシミュレーションルーム。
そんな中、ライは改めて小南へ向き直った。
「小南さん」
「……な、何よ」
「君は強いよ」
小南の動きが止まった。
「今回、僕が三本取れたのは、君が戦い方を変えてくれたからでもある。君は最後まで僕の動きを見て、こちらの工夫に対応しようとしていた。あれだけの技術を持っているのに、決して油断しなかった」
ライは、真剣な眼差しで続ける。
「僕が君と同じくらい戦えるようになるには、まだまだ時間がかかると思う。だから、今回の結果だけで自分を責める必要はないよ」
「……ライ」
小南は、今度こそ何も言い返せなかった。
自分が負けたわけではない。
十本勝負では、七本を取って勝っている。
それでも、今日初めて戦う相手に三本も取られたことが悔しかった。だが、ライはその悔しさを否定することなく、同時に自分の実力も認めてくれた。
小南はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
「……それと」
小南は、少しだけ恥ずかしそうにライを見上げた。
「……ライさん」
「うん?」
「……ライさんって呼んでも、いい?」
それまでの勢いが嘘のように、小さな声だった。
ライは微笑んだ。
「もちろん。好きなように呼んでくれていいよ」
「……そ、そう。あと私のことはさんいらないです。」
小南は、また顔を赤くした。
「……じゃあ、ライさん。次は絶対に勝つからね!」
「うん。楽しみにしているよ、小南」
小南は満足したように頷いた。
その様子を見ていた迅は、ニヤニヤしながら何かを言いたそうに口を開いた。
しかし、小南に睨まれ、すぐに口を閉じた。
「……何でもないです!」
「ならいいわ!」
ライは、そのやり取りを微笑ましく眺めていた。
こうして、ライと小南の間には、少しだけ新しい関係が生まれたのだった。
そのとき。
シミュレーションルームの外から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「姫様! お待ちください! そちらは今、何も知らないひとが―!」
「いいから、どいて!」
少女の声が響く。
続いて、扉が勢いよく開かれた。
「……あっ!」
入ってきたのは、十一歳ほどの少女だった。その腕には、赤ん坊が抱えられている。
少女――瑠花は、室内にいる面々を見回し、すぐにライを見つけた。
その後ろから、ミカエル・クローニンが慌てた様子で入ってくる。
「瑠花様! だから、勝手に入ってはいけないと……!」
「だって、気になるんだもの!」
「気になるからといって、何でも自由にしてよいわけではありません!」
「クローニン、うるさい!」
「うるさいじゃないですよ」
普段は冷静なクローニンが、珍しく必死になっていた。
何しろ、彼はルカの護衛である。
今はボーダー本部の設立前で、組織としての規則や区分も整っていない時期だ。ネイバーであることを知られてはいけないのだ。
それなのに、ルカは赤ん坊を抱えたまま、訓練場へと突入してきたのである。
「……ええと」
ライは、突然の来訪者に戸惑った。
瑠花はそんなライの前まで歩いてくると、堂々と胸を張った。
「あなたがライね?」
「はい。ライ・アッシュフォードです。ええと……」
「私は瑠花。こっちは陽太郎よ」
瑠花は、腕の中の赤ん坊を少しだけ持ち上げた。陽太郎は、状況を理解しているのかいないのか、きょとんとした顔でライを見ている。
「……こんにちは、陽太郎君」
ライが穏やかに声をかけると、赤ん坊は小さく手足を動かした。その様子を見て、ライの表情が自然と柔らかくなる。
「かわいいね」
「でしょ!」
瑠花は満足そうに頷いた。
「それで、ライ。あなた、私たちの護衛になりなさい!」
「……はい?」
ライは、思わず聞き返した。
周囲の面々も、揃って動きを止めた。
「瑠花様!?」
クローニンが悲鳴に近い声を上げる。
「いきなり何をおっしゃっているのですか!」
「だって、すごかったんだもの!」
瑠花は、ライを指さした。
「さっきの戦い! 最初は小南に負けてばっかりだったのに、どんどん動きがよくなって、最後には三本も取ったでしょう!」
ライは驚いたように目を見開いた。
「……見ていたのですか?」
「もちろん!」
瑠花は得意げに笑った。
「林藤に頼んで、遠隔モニターで見せてもらっていたの!」
「……林藤さん?」
ライが振り返ると、林藤は困ったように頬をかいた。
「いやあ……。興味があるって言うから、少しだけ見せてあげたんだよ」
「少しだけじゃないわよ! 最初から最後まで見ていたんだから!」
「瑠花様、そういう問題では……!」
クローニンは頭を抱えた。しかし、瑠花はまったく気にしていない。
「だって、あんなにすごい人、初めて見たんだもの!」
彼女はライの前に立ち、真剣な眼差しで見上げた。
「最初は小南に全然勝てなかったのに、何が悪かったのか考えて、少しずつ戦い方を変えていったでしょう? しかも、最後には小南の攻撃を見切って、ちゃんと勝ちを取った!」
瑠花の声には、興奮が滲んでいた。
「あなたなら、きっと私たちを守れるわ!」
ライは、しばらく言葉を失った。
自分は、まだボーダーについて学び始めたばかりだ。
トリガーを扱ったのも今日が初めて。
小南との勝負だって、十本のうち三本を取っただけで、全体では負けている。
それなのに、目の前の少女は、自分に護衛を任せたいと言っている。
「……あの、瑠花さん」
「瑠花でいいわ!」
「では、瑠花。僕はまだ、戦闘技術も十分ではありません。今日の勝負も、小南さんのほうが多く勝っています」
「そんなこと、関係ないわ!」
瑠花は即座に言い切った。
「大事なのは、あなたが強いかどうかだけじゃないもの!」
その言葉に、ライは少しだけ目を見開いた。
瑠花は、陽太郎を抱き直しながら続けた。
「あなたは、負けても諦めなかった。自分に何が足りないのかを考えて、何度も挑戦したでしょう? それに、勝っても小南を馬鹿にしなかった。ちゃんと強いって認めていたわ」
「……」
「そういう人なら、私は信じられると思うの!」
瑠花は、まっすぐにライを見つめた。
「だから、ライ。私と陽太郎の専属護衛になりなさい!」
シミュレーションルームに、再び静寂が落ちた。
迅は、目を丸くしていた。ゆりは驚いた表情で瑠花を見つめ、木崎は腕を組んだまま考え込んでいる。小南はというと、先ほどまでの悔しさを忘れたように、二人のやり取りを見守っていた。
クローニンだけが、頭を抱えていた。
「……瑠花様。護衛というのは、そんなに簡単に決められるものではありません」
「わかってるわよ!」
「わかっていらっしゃるようには見えません!」
「クローニンは黙ってて!」
「黙れません!」
二人の言い合いが始まる。
ライは、困ったように微笑んだ。
そして、腕の中の陽太郎へと視線を向ける。
赤ん坊は、何もわからないまま、ライの顔をじっと見つめていた。
「……なるほど」
ライは、小さくつぶやいた。
「どうやら、僕が思っていた以上に、ここには知らないことがたくさんあるようだね」
迅が、にやりと笑った。
「そうですねえ、ライ先輩。どうやら次の問題は、戦闘訓練じゃなさそうですよ?」
「……そのようだね」
ライは苦笑した。
目の前には、護衛を任せたいと主張する王女。
その後ろには、必死に止めようとする護衛兼エンジニア。
そして、事情を把握しきれずに笑っている旧ボーダーの面々。
ライ・アッシュフォードの新しい日々は、どうやら想像していた以上に賑やかなものになりそうだった。