世界の余白に転生した俺は、物語に存在してはいけない   作:Suinovel

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第24話 灰に残る道筋

ラウネから届いた調査書は、思っていたより薄かった。

水車小屋の作業台に置かれた紙束は、麻紐で二度巻かれている。

表紙には火災の発生日と、焼失した建物の数が記されていた。

その下に並ぶ負傷者の数を見て、レイは思わず指を止めた。

以前、村で聞いた噂よりも少ない。

しかし、それが被害の実態を正しく表しているのか、調査の途中で数えられたものなのかは分からなかった。

 

「全部で七枚だ」

 

ベルクは椅子を引き、こちらの向かいへ腰を下ろした。

昨日までの疲れが残っているのだろう、頬の傷の周りが少し青白い。

それでも、帳面を開く手つきには迷いがなかった。

 

「現地で聞き取った証言と、守備隊がまとめた報告だ。原本はラウネに残してある」

「こんなに早く届いたんですね」

「昨日、伝令が町へ戻るところだった。事情を説明して、写しを持たせてもらった」

 

ベルクは紐を解き、紙を一枚ずつ広げた。

最初の頁には、出火した場所と延焼の経路が簡単な図で描かれている。

火は倉庫の一角から始まり、隣接する建物へ移ったらしい。

風向きも記録されていたが、火元がどこだったのかについては、証言が一致していなかった。

 

「魔石の箱を運んでいた男の話はありますか」

「ある。ただし、これを見てくれ」

 

ベルクが示したのは、二人の目撃者の記録だった。

一人は灰色の上着を着た男が倉庫の裏口から箱を運び出すのを見たという。

もう一人は、同じころに裏口へ入っていく人影を見たと答えている。

しかし、二人が証言した時刻には、かなりの開きがあった。

 

「同じ人物とは限らないんですね」

「ああ。そもそも二人目は服の色も見ていない。箱の中身についても、最初の証言者が魔石だと思っただけだ」

「なぜ、そう思ったんでしょう」

「倉庫が魔石を扱う商家のものだったからだそうだ」

 

レイは紙を見つめた。

森で出会った灰色の外套の男。

ラウネで目撃された灰色の上着の男。

北の林で見られたという、灰色の外套の人影。

色だけを頼りに一人の人物へ結びつけるには、あまりにも頼りない。

 

「こちらも、まだ何も決められませんね」

「それが分かっているなら十分だ」

 

ベルクは別の頁を開いた。

そこには、火災の前後に見られた奇妙な出来事が箇条書きにされていた。

止まった時計。

青白く光った魔石灯。

決まった時刻ではないのに鳴った鐘。

どれも以前、村人たちから聞いた話と大きくは違わない。

ただし、調査書にはそれぞれの現象について、火災の熱や魔石の破損による可能性も添えられていた。

 

「鐘は誰が鳴らしたんですか」

「分かっていない。火事を知らせるために撞いたという者もいれば、その前から鳴っていたという者もいる」

「時計は、全部止まったわけではない?」

「少なくとも、そう書かれている。動いていた時計もあったそうだ」

 

その一文に、レイは小さく息を吐いた。

世界の一部分だけが止まった村の広場を思い出す。

あのときも、葉と鳥は動かず、人々は歩き続けていた。

似ているようで、同じ現象とは限らない。

それでも、動くものと動かないものが同時に存在したという点は、胸に引っかかった。

 

*

 

「昨日の布を持ってきた」

 

ベルクは懐から小さな包みを取り出した。

北の林でユルクが拾った麻布の切れ端だった。

乾いた泥が表面にこびりつき、隅には三本の線と丸い印が残っている。

 

「ラウネの商家が使っていた印を、こちらの資料で探した。似たものが一つある」

 

彼は調査書の最後の頁を裏返した。

裏面には、火災で焼けた荷物の管理印がいくつか写されている。

その一つに、三本の線があった。

ただし、丸い印は線の下ではなく、右側に描かれていた。

 

「同じものに見えますか」

「……似ています。でも、違いますね」

「そうだ。荷袋の印は珍しくない。数を表す線なら、どこの商人でも使う」

 

ベルクは布を畳み直した。

 

「それでも、確かめる価値はある。ラウネへ行けば、商家の帳簿が残っているかもしれん」

「僕も行けますか」

「今の身体で?」

 

即座に返され、レイは言葉に詰まった。

肩はまだ熱を持ち、長く歩けば脇腹が痛む。

馬車に揺られるだけでも傷に響くことは、想像に難くなかった。

 

「行きたい理由は分かる。だが、調べることと、自分で現地へ行くことは同じじゃない」

「……そうですね」

「俺が確認する。お前はここで、覚えていることを整理してくれ」

 

その提案は正しかった。

だからこそ、簡単には頷けなかった。

自分の目で見たものだけが確かなものだと思い始めていたのかもしれない。

他人の記憶から消えてしまうなら、他人に任せたことまで失われる気がしていた。

 

「一つ、お願いしてもいいですか」

「何だ」

「調べた結果を、僕がいなくても分かる形で残してください。誰かの名前が消えても、何を確かめたかは追えるように」

 

ベルクは少し考え、頷いた。

 

「日付と場所、見たものと聞いたものを分けて書く。それならできる」

 

*

 

午後、リシアが薬草を届けに来た。

 

治療所の老人に頼まれたらしく、乾燥させた葉を布袋へ分けている。

その手つきは慣れていたが、右の手首には新しい包帯が巻かれていた。

昨日、湿地で転んだ際に擦ったのだという。

 

「また怪我をしたの?」

「たいしたことはありません。先生に見つかって、少し大げさに巻かれただけです」

「それならいいけど」

「人のことを心配する前に、ご自分の肩を見てください」

 

言い返せずにいると、彼女は小さく笑った。

笑顔の奥に疲れがあることは、近くで見れば分かる。

魔物の襲撃から数日しか経っていない。

誰もが普段どおりに動こうとしながら、少しずつ無理を重ねていた。

 

「ベルクさんは、まだ村にいるんですか」

「今は北門の調査に行ってる。夕方には戻ると思う」

「そうですか。……あの、ひとつ聞いてもいいでしょうか」

 

リシアは袋の口を結ぶ手を止めた。

 

「私を森で助けてくれた人のことです」

 

レイは黙って彼女を見た。

彼女は以前と同じように、救われた事実を覚えている。

しかし、その相手の名も顔も、今は思い出せない。

 

「村長さんから、兵士の方がその人を探していると聞きました」

「そうみたいだね」

「見つかったら、お礼を言いたいんです。あのとき何があったのかも、ちゃんと聞いてみたい」

 

その言葉に、胸の奥がわずかに疼いた。

目の前にいると伝えたところで、彼女の記憶が戻るわけではない。

むしろ、確かな証拠のない話で混乱させるだけかもしれなかった。

 

「……聞けるといいね」

「はい」

 

リシアは頷き、少しだけ視線を落とした。

 

「不思議なんです。顔も名前も分からないのに、その人がひどく怪我をしていたことだけは、なぜか覚えていて」

 

呼吸が止まりかけた。

彼女が見たのは、森の中で負った右肩の傷だろうか。

それとも、別の場面の印象が混ざっているのだろうか。

 

「どこを怪我していたか、分かる?」

「そこまでは。血の匂いと、誰かが痛みを堪えていたような感じだけです」

 

彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「曖昧なことばかりで、ごめんなさい」

「謝る必要はないよ。無理に思い出さなくてもいい」

 

その答えに、リシアは少し安心したようだった。

彼女が去ったあとも、薬草の青い匂いが部屋に残っていた。

記憶が消えても、感情や身体の感覚は残ることがある。

それは以前から見てきたことだったが、何が残り、何が失われるのか、その境目は今も分からなかった。

 

*

 

夕暮れ前、ベルクが北門から戻った。

 

靴には湿った土がつき、手には薄い木板を抱えている。

北門の壊れた柵から外してきたものらしい。

 

「これを見てくれ」

 

板の表面には、深い爪痕が三本刻まれていた。

魔物の前脚がつけた傷だろう。

だが、ベルクが指さしたのは、そのすぐ脇にある細い擦り傷だった。

 

「この線は?」

「柵の内側からついている。外から押し破られたときの傷とは、向きが違う」

「内側に何かが当たったんですか」

「その可能性がある。門を補強したときの作業痕かもしれん」

 

レイは板を傾け、光の当たる角度を変えた。

細い傷は何本も重なり、一か所だけ木が深く削れている。

そこには、黒ずんだ小さな粒が挟まっていた。

 

「これは何でしょう」

「分からん。炭か、土か」

 

ベルクは小刀の先で粒を取り出し、紙へ落とした。

石のようにも見えるが、指で押すと簡単に砕けた。

灰色の粉が紙の上に広がる。

 

「魔石の欠片には見えませんね」

「見た目だけではな。ノルドなら分かるかもしれん」

 

ノルドは村で魔石灯を修理している男だった。

ラウネで青く光った灯りの話も、以前彼に相談したことがある。

 

「今から行きますか」

「いや、明日だ。今日はもう暗くなる」

 

ベルクは粉を包み、板のどの位置から採ったものかを書き添えた。

それを見ながら、レイは昨日の空白の紙を思い出した。

彼は何かを見つけるたび、すぐに答えを出そうとはしない。

分からないものに名前をつけず、ただ次に確かめるべきことを増やしていく。

そのやり方が、少しずつ自分にも必要になっていた。

 

「ラウネの調査書で、気になったところがもう一つある」

 

ベルクは新しい紙を取り出した。

そこには、火災のあとに確認された荷物の移動先が書き写されている。

 

「倉庫にあった魔石の一部は、火事の前日に別の町へ送られている。普通の取引だが、運び先が二つある」

「二つ?」

「ああ。一つは東の街道沿い。もう一つは、村の北を通る旧道の先だ」

 

北の旧道。

その言葉に、胸の奥が小さく動いた。

以前、森で消えた道標を調べたとき、西へ延びる古い道の痕跡を見つけた。

今ベルクが話している旧道と、同じ道なのだろうか。

地図を見なければ分からない。

 

「その道は、今も使われていますか」

「荷車が通れるところまではな。先は荒れているらしい。昔は小さな集落があったと聞くが、詳しくは知らん」

「集落の名前は?」

「調査書にはない。荷物の受取人も、商会の名前だけだ」

 

ベルクは紙を折り、帳面に挟んだ。

 

「明日、古い地図を借りてくる。お前が見た道標の場所も、そのとき教えてくれ」

「分かりました」

 

答えながら、レイは奇妙な感覚に囚われていた。

これまで消えた石碑も、道標も、名前も、ただ自分の周りから失われていくものだと思っていた。

だが、道が消えたなら、その先に何があったのかを調べることはできる。

失われたものの形は、周囲に残る痕跡から少しずつ確かめられるのかもしれない。

 

*

 

夜、村の鐘楼に仮の見張り台が組まれた。

 

鐘はまだ修理できず、代わりに木の拍子木が用意されている。

打てば乾いた音が広場に響き、近くの家々から人が顔を出した。

誰かが笑い、誰かが肩をすくめる。

村はまだ傷ついていたが、危険を知らせる方法を一つ取り戻した。

 

レイは宿の小さな机で日記を開いた。

ベルクから聞いた事実と、そこから浮かんだ疑問を分けて書く。

 

『ラウネの火災では、魔石を運んだとされる男の目撃証言が二つある。時刻と服装は一致しない』

『止まった時計と動いていた時計があった。原因は不明』

『北の林で見つかった布の印は、ラウネの荷物の印に似ているが一致しない』

『北門の柵の内側に傷があり、黒い粉が残っていた。明日ノルドに確認する』

『ラウネから旧道の先へ運ばれた荷物がある。消えた道標との関係は未確認』

 

最後の一行を書き終え、筆を置いた。

日記の頁は、まだ白い余白を残している。

そこへ何かが勝手に書き込まれるのではないかと、今でも時折考える。

だが、今日は何も起こらなかった。

 

窓の外では、拍子木の試し打ちがもう一度響いた。

鐘とは違う、短く乾いた音。

村人たちが自分の手で選び、用意した音だった。

 

その響きを聞きながら、レイは日記を閉じた。

明日になれば、ベルクはまた自分の顔を忘れているかもしれない。

それでも、彼の帳面には調査の順序が残る。

名が消えた紙も、傷のついた木板も、まだ何かを語っている。

 

すべてが一つの原因から生まれたのかは分からない。

むしろ、無理に一つへまとめれば、見落とすものが増えるだろう。

だから、今は道筋を辿る。

灰の中に残った足跡が、どこへ続いているのかを確かめるために。

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