「ルイナ、情報収集の成果は? それと、『B2号作戦』の準備はどうなっている?」
夜も更けた自室で、僕は声を潜めながら尋ねた。
返答はすぐに返ってきた。
<人形や武装の準備、公文書の偽造を含め、全工程が完了しております。情報収集の結果についてもご報告いたします。
現在、マリエ派は少しずつ勢力を拡大している模様です。明日のパーティーで彼女があえて制服で行って同情心をもぎ取り、会場に集まった生徒たちの視線を釘付けにしたうえで、大規模な攻勢を仕掛けるものと推測されます>
「了解。それじゃ、明日も早いし、おやすみ」
<はい。明日が楽しみですね、マスター……>
最後の言葉に、ルイナの声がほんの少し弾んでいた。
……楽しみ、か。
僕としては、できれば何事もなく終わってほしいところなんだけど。
まあ、準備してしまったものは仕方がない。
そもそも、さっきから飛び交っている物騒な単語の数々は、すべて僕自身が命じたものなのだから。
B2号作戦。
その概要は、いたって単純だ。
ヒューマノイド、通称「人形」で構成された偽の警備部隊を用意し、指定したタイミングでパーティー会場へ投入する。
ただし、校則違反や不法侵入といった面倒な問題を避けるため、あくまでも学園の警備員として投入するのであり、僕自身の警護を目的として連れ込むのではない。
あらかじめ用意しておいた公文書に従い、偶然にも僕の到着と同じタイミングで会場に入ってきた部隊として振る舞わせるのだ。
そのうえで、ルイナが作ってくれたニューラルLANキャップという帽子を介し、人形たちへ直接指示を送る。
声を出す必要はない。頭の中で命令を組み立てれば、それだけで伝達できる。
僕が会場に滞在している間、人形たちには周囲の警戒を続けさせる。
それだけで十分だった。
何しろ、この学園に通っている貴族の子息たちは、身分や家柄、実家の権力といったものに敏感だ。
そんな場所へ、統率の取れた武装集団が正式な書類を携えて現れたらどうなるか。
事情を知らない連中は警戒するだろうし、日和見を決め込んでいる連中も、こちらの出方を窺うようになる。
そして、マリエを中心に集まっている5馬鹿も、少なくとも僕の前で好き勝手に振る舞うのは難しくなるはずだ。
別に、誰かを傷つける必要はない。
武装した人形たちが規律正しく並んでいるだけでいい。
人間というのは、目の前に自分より強い存在がいると分かった途端、驚くほど大人しくなるものだから。
……まあ、これはこれで相当に悪趣味な作戦だとは思う。
けれど、僕だって好き好んでこんな準備をしたわけではない。
明日のパーティーでは、原作における大きな転換点が訪れる。
姉上と王太子殿下の婚約破棄。そして、マリエを巡る5馬鹿との対立。
この世界の流れを知っている僕にとって、それは避けて通れない出来事だった。
だからこそ、余計な介入をせずに済むよう、念のための保険を用意したのだ。
必要になれば動く。
必要がなければ動かない。
それだけの話である。
……うん。そういうことにしておこう。
僕はスマホの画面を閉じ、ベッドに身体を投げ出した。
明日、何事も起こらなければいい。
そんな願いを胸に抱きながら、僕は目を閉じた。
なお、この時点ではまだ、B2号作戦が発動されることはなかった。
1学期も残すところ、あと僅か。
学園では毎年恒例となっている学年別のパーティーが開催されていた。
会場となった学園施設は、普段の授業で使用している建物とは思えないほど華やかに飾りつけられている。
壁には装飾が施され、天井からは豪華な照明が吊るされていた。会場のあちこちにはテーブルが並び、その上には見た目からして高級そうな料理が所狭しと置かれている。
肉料理に魚料理、色鮮やかなサラダに、普段なら滅多にお目にかかれないような菓子類まで揃っていた。
しかも、これだけの催しを学年ごとに3箇所で開催しているというのだから恐れ入る。
男子生徒たちは基本的に学生服で参加していたが、女子生徒たちの多くは美しいドレスを身にまとっていた。
その傍らには亜人の使用人が控え、主人の世話を焼いている。
着飾った女子たちを眺めては鼻の下を伸ばす男子生徒たち。
そんな光景を目にしたリオン・フォウ・バルトファルトは、真剣な表情で会場を見渡していた。
「今の胸はFカップ……。いや、違う。凄い料理だね」
口から出かかった本音を誤魔化すように、彼はテーブルへ視線を戻した。
その隣では、ダニエルが肉料理を皿に山盛りにしている。
「こんな大きなパーティーは初めてだ。学園って凄いんだな」
「ダニエル、口に物を入れて喋るなよ。……それにしても、これだけの規模のパーティーを3箇所で開いているんだ。王都はやっぱり凄いね。地方の貧乏男爵家とは大違いだ」
レイモンドは呆れた様子で友人を窘めた。
彼らにとって、これほど豪華な催しは珍しいのだろう。
もっとも、僕からすれば、こうした光景は単純に羨ましいというだけでは済まなかった。
原作でも説明されていたことだ。
学園に地方貴族の子弟を通わせるのは、王都の財力や権威を見せつける意味もある。
地方で多少の財産を持っている程度では、王都の貴族社会においては大した力にならない。
こうして金をかけた催しを見せつけるだけでも、地方の貴族たちは自分たちと王都との格差を思い知らされることになる。
なるほど、よくできた仕組みだ。
性格が悪いとは思うけれど。
ただ、僕も似たようなことをやろうとしていたのだから、人のことは言えない。
そんなわけで、僕は会場の2階にある席で食事をしていた。
向かいには乃蒼と麻璃が座っている。
リオンたちの姿も遠目には確認できたが、公衆の面前でイチャつくつもりはなかった。なんせ、僕たちはただの友達だから。
もちろん、僕が2人と食事をしているのには理由がある。
レッドグレイブ家の末っ子とはいえ、僕にも貴族としての立場がある。
このような大規模な社交の場で婚約者がいないと見做されるのは、今後の家同士の関係を考えても、あまり好ましくない。
かといって、適当な相手と婚約するつもりもない。
そこで、以前から付き合いのある2人と一緒に過ごすことにしたのだ。
……もっとも、これが別の意味で面倒な噂を呼ぶ可能性はある。
何しろ、僕がPMCを経営する一家の姉妹と結ばれるのではないか、などという根も葉もない話が広まる可能性だってあるのだから。
どちらに転んでも厄介だ。
それでも、婚約者のいない貴族の子弟として扱われるよりはマシだろう。
「……それにしても、個人的には『地方に楔を打ち込む』っていう欲が丸見えで悪趣味なのよね。さっさと帰りたいわね」
中間くらいの価格設定のドレスを着た乃蒼が料理を口に運びながら、心底嫌そうな顔をした。
彼女は周囲の華やかな雰囲気にも、貴族たちが繰り広げる駆け引きにも、あまり興味がないらしい。
「でも、ドレスって値段は上から下まで幅広いんだよ~。2000ディアもあれば、1着用意できるらしいよ~♪」
対する麻璃は、背丈に見合った可愛らしいドレスを着ながら、相変わらずのんびりとした口調で答えた。
「1着2000ディアって……」
僕は思わず料理を食べる手を止めた。
円換算すれば、最低価格でも20万円ほどになる。
いや、貴族の社交用のドレスだと考えれば、そんなものなのかもしれない。
けれど、普段着ですらそれなりの値段がする世界で、わざわざ1回のパーティーのためにそれだけの金をかけるのだ。
僕の金銭感覚では、どうにも理解しがたい。
「……貴族って面倒くさいですね。」
「今さら何を言ってるのよ」
「今さらだね~」
2人から同時に突っ込まれた。
ぐうの音も出ない。
僕だって、自分が貴族の家に生まれたことくらい理解している。
ただ、理解することと、納得することは別なのだ。
そんな話をしていると、会場の入り口付近がにわかに騒がしくなった。
何事かと思って視線を向けると、そこには制服姿の少女が立っていた。
マリエだ。
周囲の生徒たちが彼女の姿を見て、ひそひそと話し始める。
彼女は今、学園で最も注目を集めている女子の1人だった。
やはり、ルイナの読み通り制服姿か。
特待生であるオリヴィアさんも制服で参加しているため、これではマリエだけが目立つわけでもない。
ただし、彼女の場合は事情が違う。
子爵家の娘であるなら、社交用のドレスを用意することくらいできそうなものだ。
しかし、原作で描かれていた彼女の実家は、名前こそ子爵家でも、その実態はかなり厳しいものだった。
自力でドレスを用意できないのであれば、5馬鹿に頼るしかない。
そして、その状況すらも、彼女にとっては自分を可哀想な立場に見せる材料になり得る。
やがて、マリエは王太子殿下たちのもとへ向かっていった。
そして、ほぼ同じタイミングで、リオンたちも動き始めた。
彼らは会場内にいた女子生徒たちを見つけ、さっそく声をかけたようだった。
ところが――。
ドンッ!
遠くからでも分かるほど大きな音が響いた。
リオンたちが、話しかけた相手の従者に突き飛ばされたのだ。
「……」
僕は思わず黙り込んだ。
「うわ……。いくらなんでも、あそこまでやる必要はないでしょ。悪趣味すぎて反吐が出るわね」
乃蒼が露骨に顔をしかめた。
「青春って、酸っぱくて甘いものだと思ってたけど……。あれは酸っぱくもなければ、美味しくもないね~」
麻璃も珍しく、どこか困ったような表情を浮かべていた。
僕たち3人の間に、何とも言えない気まずい空気が漂う。
リオンたちが悪いのか、女子生徒たちが悪いのか。
事情を知らない第三者が見れば、そんな単純な話にまとめてしまうのかもしれない。
けれど、あの光景を見て笑えるほど、僕は割り切れていなかった。
かといって、ここで騒ぎ立てれば、僕たちまで厄介な立場に置かれる可能性がある。
それも理解している。
だからこそ、何も言えなかった。
……後でリオンたちに夜の店でも紹介してやろうかな。
そんな、どうでもいいことを考えて気を紛らわせるしかなかった。
パーティー会場の外。
夜風の吹く中、ダニエルは怒りを隠そうともせずに声を荒らげていた。
「くそっ! 調子に乗りやがって!」
その隣では、レイモンドがベンチに腰掛け、膝を抱えるようにして夜空を見上げていた。
「人生をやり直せって……。そこまで言うのかよ」
会場の中からは、楽しげな音楽や笑い声が聞こえてくる。
つい先ほどまで、彼らもあの場所にいた。
だが、周囲から向けられる視線や言葉に耐えきれず、逃げるように外へ出てきたのだ。
そんな彼らを見送った女子生徒たちの中には、面白がるように笑っていた者もいた。
主に上級クラスの女子生徒や、マリエの周囲にいる奴隷たちだ。
普通クラスの女子生徒たちは、同情するような目を向けるか、厄介事に巻き込まれないよう視線を逸らしていた。
そして、2階の席にいる僕たちは、食事を終えた皿を前にして、何とも言えない表情でリオンたちを見下ろしていた。
ルクル先輩が話していたことを思い出す。
学園で女に嫌気が差し、そのまま男に走る男子生徒がいる。
原作でも、そんな話があったはずだ。
もちろん、誰が誰を好きになるかは本人の自由だろう。
ただ、誰かを傷つけることを当然のように受け入れ、周囲がそれを笑い話にしてしまう環境は、健全とは言い難い。
正直なところ、僕は人権問題に熱心な人間ではない。
社会問題について真剣に考えた経験も殆ど無い。
けれど、目の前の光景には、何か見過ごしてはいけないものがあるように思えた。
いずれ誰かが向き合わなければならない、社会の膿。
そんな言葉が、頭の片隅に浮かんでいた。
……とはいえ、今すぐ僕に何かできるわけでもない。
結局、気まずい沈黙の中で時間だけが過ぎていった。
やがて、ふと気がついた。
音楽が聞こえない。
先ほどまで会場内では生演奏が行われていたはずだ。
パーティーが終わるには、まだ時間がある。
休憩に入ったのだろうか。
そう考えたものの、耳を澄ませてみると、どうにも様子がおかしい。
笑い声が聞こえないのだ。
代わりに、ときおり誰かが叫ぶような声が響いてくる。
何かが起きている。
僕は椅子から立ち上がりかけ、思わず口を押さえた。
(……姉上!?)
驚きのあまり、声を上げそうになったのだ。
だが、すぐに思い直す。
まだ状況は分からない。
それに、いつの時代でも数の暴力は恐ろしいものだ。
感情に任せて飛び込んだところで、事態を悪化させるだけかもしれない。
「……とりあえず、アタシは1度下に行くわ。この情勢が今後の取引に影響するかもしれないし」
乃蒼はそう言って立ち上がった。
「私も行くよ~。こういうときの野次馬根性って、大切だと思うんだ~」
麻璃も椅子から降りる。
「じ、じゃあ僕も行きますね……」
僕は2人の後に続いた。
結局、気になって仕方がなかったのだ。
会場へ戻ると、そこには先ほどとはまるで違う光景が広がっていた。
壁際に集まった生徒たちは、誰もが中央の様子を窺っている。
ざわめきはあるものの、先ほどまでの華やかな雰囲気は消え失せていた。
中央で騒ぎを起こしている集団だけが、周囲の空気から切り離されたように目立っている。
僕たちは人混みに紛れながらリオンたちの近くへ移動し、オリヴィアさんを見つけた。
「いったい、何があったんですか?」
僕が尋ねると、オリヴィアさんは困惑した表情で答えた。
「最初は、ちょっとした言い争いだったんです。けど……」
彼女の視線の先には、マリエを囲むように立つ5人の男子生徒がいた。
その中には、金髪碧眼のエルフの少年、カイルの姿もある。
そして、彼らと対峙しているのが姉上だった。
赤いドレスに身を包み、きちんと化粧を施した姉上は、いつも以上に美しく見えた。
その姿は、決して見劣りするものではない。
むしろ、貴族令嬢としての気品という点では、マリエとは比較にならないほど堂々としている。
だが、今の会場では、そんなことは何の意味も持たなかった。
姉上の周囲には誰もいない。
対して、マリエの周囲には王太子殿下たちが集まり、彼女を守るように立っていた。
人数だけを見れば、勝負は最初から決まっているようなものだった。
「どうして私の話を聞いていただけないのですか! 私は――私は殿下のために!」
姉上の声が会場に響いた。
その声には、怒りだけでなく、悲しみや焦りも混じっているように聞こえた。
対する王太子殿下の表情は、驚くほど冷淡だった。
「お前の言葉は聞くに堪えない。それだけの話だ」
「待ってください! その者の性根を知って、どうして受け入れられるのですか!」
話の流れは分からない。
けれど、原作と同じ展開が始まっていることだけは理解できた。
僕がオリヴィアさんに視線を向けると、彼女は少し戸惑いながら説明を続けた。
「えっと……。マリエさんが、王太子殿下とは別の男性と手を繋いでいるのをアンジェリカさんが見て、それで怒ってしまったんです。そしたら、王太子殿下は、その程度のことで騒ぐ必要はないって……」
なるほど。
自分の婚約者が別の男と手を繋いでいても、まったく問題ない。
そんな度量の大きさを見せつけているわけだ。
……いや、僕なら絶対に嫌だけど。
そもそも、婚約者がいる立場で、他の異性と親密な関係を築くこと自体が面倒の種になる。
それを問題ないと言い切れるのだから、王太子殿下の価値観は僕とは根本的に違うのだろう。
制服姿のマリエは、殿下の背後に隠れるように立っていた。
不安そうに身を縮める姿は、見る者の庇護欲を刺激するのかもしれない。
対する姉上は、背筋を伸ばして殿下たちを睨みつけていた。
その姿は凛としている。
けれど、周囲から向けられる視線は、彼女に味方するものではなかった。
ブラッドが1歩前に出た。
「レッドグレイブ家の娘も、こうなると惨めなものだな。見ろよ。お前に賛成する奴なんて、この場にはいないぞ」
姉上は周囲を見渡した。
これまで彼女の取り巻きとして振る舞い、その立場から利益を得ていた生徒たち。
入学当初は、彼女の顔色を窺っていた者たち。
その誰もが、今は視線を逸らしていた。
積極的に敵対しているわけではない。
だが、助けるつもりもない。
ただ、自分に火の粉が降りかからないように黙っているだけだ。
反対に、これまで姉上に反感を抱いていた生徒たちは、面白い見世物でも見つけたかのように笑っている。
……そろそろ、我慢の限界かもしれない。
僕は拳を握りしめた。
本当なら、こんなことはしたくなかった。
けれど、あまりにも好き勝手に振る舞う連中には、1度くらい現実を思い知らせる必要があるのではないか。
そう考えてしまう。
もちろん、B2号作戦を発動すれば、会場の空気は大きく変わるだろう。
しかし、まだその時ではない。
今ここで僕が動けば、リオンが行動する機会を奪うことになるかもしれない。
それだけは避けたかった。
「誰に口をきいている? 私は公爵家、レッドグレイブ家の娘だぞ。辺境伯風情が調子に乗るな。お前たち、その女が何をしたか知っているのか? お前たち全員に――」
「それくらい知っている」
姉上の言葉を遮ったのは、青髪のクリスだった。
「なっ!?」
姉上が驚いたように目を見開く。
クリスはマリエへ視線を向けた。
その瞬間、彼の表情がほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。
普段は無表情で剣を振るっているような男が、そんな顔をすればどうなるか。
周囲の女子生徒たちは、たちまち頬を染めていた。
……結局、顔なのか?
顔がいいだけで、何をしても許されるのか?
僕は内心で頭を抱えた。
そして、とうとう決断しかける。
ニューラルLANキャップを通じて命令を送り、B2号作戦を実行する。
そうすれば、少なくとも会場の連中は大人しくなるはずだ。
だが、その直前で思いとどまった。
(落ち着け、僕。よく考えなくても、こいつらへのお仕置きはリオンがやってくれる)
僕がここで出しゃばる必要はない。
そもそも、リオンが代理人として立ち上がるのは、原作でも重要な場面だった。
彼の行動によって、この世界の流れが大きく変わっていく。
ならば、今は見守るべきだ。
そう自分に言い聞かせ、僕は作戦の実行を取りやめた。
その間にも、クリスはマリエを見つめながら言葉を続けていた。
「私は彼女に救われたんだ。悩みを聞いてくれた。そして、彼女を守りたいと思ったんだ」
……すごいな。
学年中の生徒が見ている前で、堂々とそんな告白ができるのか。
前世では人目を気にしてばかりいた僕からすれば、ある意味で尊敬に値する精神力だった。
もちろん、尊敬できるかどうかと、その行動に賛成できるかどうかは別の話だけど。
続いてグレッグ、ブラッド、ジルクも、それぞれマリエへの想いを口にした。
公衆の面前で次々と愛を告げる姿は、もはや告白大会である。
……これ、何かの罪に問われたりしないのかな。
いや、そんな法律があるのかは知らないけど。
ともあれ、彼らは自分たちが何をしているのか、まるで疑問に思っていないようだった。
姉上は言葉を失い、最後に王太子殿下の顔を見た。
殿下は、少し不機嫌そうに眉を寄せていた。
「ジルク、例えお前でも、それは違うと思うぞ。マリエを1番愛しているのは、この俺だ」
その言葉に、周囲の女子生徒たちが歓声を上げた。
「今の聞いた!?」
「私も、あんなこと言われてみたい!」
「羨ましいわ。それにひきかえ、公爵令嬢は無様よね」
クスクスという笑い声が、あちこちから聞こえてくる。
姉上を嘲笑する声は、少しずつ大きくなっていた。
僕は俯いた。
気づけば、手を強く握りしめていた。
姉上もまた、同じように俯いている。
その表情を見ていると、胸の奥が嫌な感じに締めつけられた。
……何をやっているんだ、僕は。
ここで動けば、事態が悪化するかもしれない。
それは分かっている。
でも、何もしなければ、このまま姉上が追い詰められていくのを見ているだけになる。
どちらを選んでも、簡単には割り切れそうになかった。
「……殿下は、在学中のお遊びで終わらせるつもりはないということですか?」
姉上の問いかけに、殿下は少しだけ視線を落とした。
「俺にとって、かけがえのない女性は1人だけだ。アンジェリカ、学園に入学する前なら、お前のことは少なくとも嫌いではなかった。だが、マリエを傷つけるようなら容赦はしない」
……あいつら、本気で自分たちが正しいと思っているんだ。
そして、周囲の連中は本当にうるさい。
誰かが苦境に立たされると、何の責任も負わない安全圏から石を投げる。
前世のSNSで、僕も同じようなことをしていた。
相手の事情など考えず、画面の向こうから好き勝手な言葉を投げつける。
今の光景は、それとよく似ていた。
違うのは、ここでは言葉を投げつけられている相手が、目の前に立っているということだ。
そして、逃げ場もない。
「お、おい。やばくないか?」
ダニエルの声が聞こえた。
「なんか、今にも凶行に及びそうな顔をしているね……」
レイモンドも心配そうに呟く。
姉上は、いつもの凛とした姿を保とうとしていた。
だが、その表情には明らかな変化があった。
何かを諦めたような、覚悟を決めたような、そんな無表情。
これまで瞳に宿っていた光が、少しずつ消えていくように見えた。
そして、姉上は手にしていた白い手袋をマリエへ投げつけた。
「――へ?」
マリエが呆気にとられる。
手袋は彼女の身体に当たり、床へ落ちた。
「拾え、売婦。殿下たちを誑かした魔女め」
会場の空気が凍りついた。
決闘の申し込み。
この世界では、相手に投げつけられた手袋を拾うことが、決闘を受ける意思表示になる。
女子は決闘の代理人として男子を立てることができる。
しかし、男子側から代理人を立てることはできない。
それが原作で説明されていた、この学園の決闘に関するルールだった。
……とうとう、ここまで来たか。
「……アンジェリカ、俺を失望させたな」
王太子殿下は眉間にしわを寄せ、婚約者だった女性を侮蔑するような視線で見つめていた。
僕としては、むしろ殿下に対して「僕もあなたには失望しました」と言いたいところだった。
もちろん、そんなことを口にすれば面倒な事態になるのは目に見えている。
だから、黙っている。
「マリエ、拾え。大丈夫だ。お前には俺がついている。お前の代理人には俺がなる」
殿下がそう告げると、ジルク、グレッグ、ブラッド、クリスも次々と名乗り出た。
マリエは指で涙を拭い、彼らを見上げた。
「みんな……。私、怖いけど、みんながいれば安心だね。私、この決闘を受けるよ。アンジェリカさん、私はみんなと戦います」
……いや、あなた自身は戦わないでしょう。
思わず心の中で突っ込んでしまった。
そんなマリエの様子を見て、カイルが呆れたように肩をすくめる。
「本当にお馬鹿なご主人様ですね。僕がいるのを忘れていませんか? 応援くらいできますよ」
マリエは笑顔を取り戻した。
「ありがとう、カイル」
原作通りだ。
あまりにも原作通りすぎて、逆に怖くなってくる。
そして、我がレッドグレイブ家は圧倒的に不利な立場へ追い込まれていた。
こうなれば、決闘でリオンが原作と同じだけの活躍をしてくれることを祈るしかない。
殿下は成績上位者だ。
他の4人も、それぞれ優れた能力を持っている。
中でもクリスは、次期王国最強剣士の筆頭候補とまで言われる人物だ。
そんな5人を相手に、まともに戦える男子生徒が、この場にどれだけいるだろうか。
「殿下は普通に成績上位だし、他の連中もみんな凄い成績だからね。5人を相手に戦える男子なんて、この場にはいないよ。そもそも、クリスがいる時点で勝ち目なんてないだろうね」
レイモンドが小声で呟くと、乃蒼が苦々しい顔をした。
「だからって、あんなに偉そうにしていい理由にはならないでしょ」
「そうだね~。強いことと、正しいことは別だもんね~」
麻璃も静かに頷く。
その通りだ。
けれど、正論だけで状況が変わるわけでもない。
会場にいる男子生徒たちは、誰も決闘の代理人になろうとしなかった。
今まで姉上の取り巻きとして振る舞っていた者たちでさえ、関わり合いになるのを避けている。
入学当初、姉上の後ろについて大名行列のように歩いていた連中も同じだった。
姉上が周囲を見渡す。
しかし、目が合った男子たちは、申し合わせたように視線を逸らした。
グレッグが、そんな彼女を見て笑った。
「おい、誰かこいつを助けてやろうって思う奇特な奴はいないのか? 取り巻きもいただろうに、ここまで人徳がないと同情したくなるぜ。まあ、しないけどな。……決闘を申し込んだんだ。代理人が用意できなくても、逃げるんじゃねぇぞ」
笑い声が会場を満たす。
誰も助けない。
誰も止めない。
ただ、目の前で追い詰められていく姉上を見ているだけだった。
原作の設定では、学園の決闘に外部の代理人を連れてくることは禁止されていたはずだ。
正確には、学生同士の決闘に大人が介入するのは好ましくない、という暗黙の了解に近いものだったと思う。
だからこそ、今ここで助けを求められる相手は限られている。
そして、誰も手を挙げない。
女子生徒たちの態度も酷いものだった。
入学当初は、姉上の前では大人しくしていたはずなのに。
立場が変わった途端、ここまで強気になれるのか。
今回の失態で婚約を破棄されれば、姉上の人生は終わりだとでも思っているのだろうか。
だから、今のうちに笑っておこうというわけだ。
……本当に、嫌な世界だ。
もっとも、僕もこの世界の仕組みを利用しようとしている側の人間なのだから、偉そうなことは言えないのだけれど。
姉上は気丈に振る舞っていた。
だが、その目には焦りが浮かんでいる。
やがて、彼女の視線がリオンへ向いた。
普段は凛としている姉上が、目に見えて狼狽えていた。
藁にもすがるような、助けを求めるような視線。
それでも、姉上はすぐにリオンから目を逸らし、俯いた。
「た、例え誰かに代理人になってもらわなくとも……」
声が震えていた。
グレッグが鼻で笑う。
「どうした? さっきの威勢はどこにいったんだ?」
……あいつ、熱血で脳筋なだけかと思っていたけれど、敵と判断した相手には容赦がないらしい。
相手が劣勢になった途端、ここまで露骨に煽るとは。
もっとも、グレッグもまだ15歳だ。
これから変わる可能性だってある。
人間は成長する。
少なくとも、僕はそう信じたい。
だからといって、今の彼を信用できるかと聞かれれば、答えは否だ。
僕は5馬鹿を信用していないし、信頼もしていない。
その中でも、今の殿下に対しては特に軽蔑の感情を抱いていた。
何しろ、元婚約者がこれほど追い詰められているのに、助けるどころか、率先して彼女を責め立てているのだから。
「アンジェリカ、覚悟はできているんだろうな? 今さら、なかったことにはできないぞ」
殿下の言葉が、冷たく響いた。
僕は歯を食いしばった。
ここでB2号作戦を発動すれば、少なくとも周囲の連中は黙るだろう。
だが、それではリオンが出てくる意味がなくなる。
最悪の場合、原作の流れを変えてしまうことにもなりかねない。
姉上を助けたい。
この場の連中に、少しは自分たちの行いを恥じてほしい。
そう思う一方で、僕は自分が介入することで起きる結果を恐れていた。
結局、僕は何もできずに立ち尽くしていた。
その時だった。
リオンが、1歩ずつ前へ歩き出した。
「あ、あの……。リオンさん、どうするつもりなんですか?」
オリヴィアさんが不安そうに声をかける。
僕は彼女の表情を見ながら、奇妙な感覚に襲われていた。
どうして、彼女は原作通りにここにいるのだろう。
そして、どうしてマリエも、原作通りにこの場所にいるのだろう。
……答えは分かっている。
この世界は、僕が知っている物語に沿って動いている。
けれど、すべてが決まっているわけではない。
僕の行動次第で、変わる可能性だってあるはずだ。
「馬鹿。なんで関わろうとするんだよ。関わったら駄目な奴らだろうが」
ダニエルがリオンを引き止めようとした。
レイモンドも慌てて続く。
「こんな決闘、戦う前から勝負なんて決まっているようなものだよ。それに、勝っても負けても代理人だってただじゃ済まない。相手は王太子殿下なんだよ?」
2人の言葉は正しい。
勝てる見込みは薄い。
仮に勝ったとしても、殿下たちを敵に回すことになる。
貴族社会で生きていく以上、無視できない問題だ。
それでも、リオンは足を止めなかった。
そして、振り返ると、いつもの軽薄そうな笑みを浮かべた。
「俺さぁ……。あいつら、嫌いなんだよね」
その言葉を聞いて、僕は思わず息を呑んだ。
姉上とリオンは、決して親しい間柄ではない。
それなのに、彼は前へ進もうとしている。
原作通りだ。
だが、僕はそれを素直に喜べなかった。
リオンが負ける可能性だってある。
彼が勝つと決まっているわけではない。
そう考えてしまう自分が、少し嫌になった。
姉上の心配をするよりも、世界線が原作通りに進むかどうかを気にしている。
そんな自分に、思わず拳を叩き込みたくなった。
それでも、今は見守るしかない。
リオンは人混みをかき分け、会場の中央へ進んでいった。
そして、周囲の視線が集まる中、勢いよく手を挙げた。
「はい、は~い! 俺が決闘の代理人に立候補しま~す!」
あまりにも軽い口調だった。
会場中の視線が、一斉に彼へ向けられる。
そこに込められていたのは、驚きと困惑、そして明らかな嘲笑だった。
何だこいつ。
空気を読め。
そんな声が聞こえてきそうな雰囲気である。
グレッグがリオンを睨みつけた。
「お前、いったい誰だよ?」
本当に知らないらしい。
まあ、リオンは自他ともに認めるモブだ。
王太子殿下たちと比べれば、知名度が低いのも仕方がない。
ブラッドはグレッグよりも知性的な笑みを浮かべ、リオンを見下ろした。
しかし、リオンはそんな視線を気にする様子もなく、話を進めた。
「あの、立候補したんで認めてほしいんですけど? アンジェリカさん、ほら、早く認めないと」
「え、あ……」
姉上は戸惑っていた。
突然現れた男子生徒が、何の躊躇もなく決闘の代理人を申し出たのだ。
無理もない。
「ほら、認める。それだけ言えば万事解決ですって」
「み、認め……る」
姉上が、ようやく答えた。
リオンは満足そうに頷き、今度は殿下たちへ向き直る。
「というわけで、リオン・フォウ・バルトファルトが決闘代理人を引き受けました。そちらは殿下たち5人で間違いないですよね? 決闘方法の確認もしたいんですけど、その前に何を賭けるんです?」
あまりにも自然に話を進めるものだから、周囲の生徒たちは呆気にとられていた。
マリエも、予想外の人物が現れたことに驚いているようだった。
……やっぱり、あいつも転生者なのだろうか。
リオンの登場に対する反応が、どこか不自然に思えた。
ただ、それを確かめる余裕はない。
リオンは姉上へ向き直った。
「ちなみに、アンジェリカさんが決闘を申し込んだ理由って何ですか? そこをはっきりさせてもらわないと困るんですよね」
姉上は再び戸惑った。
周囲の生徒たちも、何を言い出すのかという顔をしている。
けれど、姉上は少しだけ考えた後、自分の望みを口にした。
「……殿下に近づくな。私の望みはそれだけだ」
その言葉に、周囲からひそひそと声が上がった。
僕は俯き、歯を食いしばった。
乃蒼も、麻璃も、何も言わなかった。
この場にいる誰もが、これから何が起こるのかを見守っている。
リオンがどんな判断を下すのか。
姉上の運命がどうなるのか。
そして、マリエを巡る5馬鹿との決闘が、どんな結末を迎えるのか。
すべてが、これから始まる。
……と、格好よく締めくくりたいところだったのだが。
「うぐッ……!」
突然、腹部に鈍い痛みが走った。
嫌な予感がした。
いや、これは予感などという生易しいものではない。
腹の中で、何かが明確に警告を発している。
まずい。
非常にまずい。
腹を下した。
こんな大事な場面で、どうして今なんだ。
僕は周囲の視線を気にしながら、そっと会場の端へ移動した。
リオンが原作通りに代理人として名乗り出たところまでは確認できた。
ならば、ひとまず問題はないだろう。
詳しい経緯は、後でルイナに確認すればいい。
そう自分に言い聞かせながら、僕は会場の隅にあるトイレへ向かった。
幸い、間に合った。
……本当に、間に合ってよかった。
個人的には、今夜の最大の危機はこれだったのかもしれない。
そして、用を済ませながら、僕は改めて考えた。
B2号作戦を発動しなくてよかった。
もしあそこで人形たちを投入していたら、リオンが代理人として名乗り出る機会を奪っていた可能性がある。
そうなれば、原作の流れが変わっていたかもしれない。
もちろん、原作通りに進めることが正しいとは限らない。
それでも、今の僕には、まだ判断できないことが多すぎた。
だから、今は見守る。
必要な時が来れば、その時に動けばいい。
……まあ、次に動く前に、まずはこの腹痛を何とかしなければならないのだけれど。
僕は深く息を吐いた。
こうして、B2号作戦は発動されないまま、学園のパーティーは決闘という新たな局面へと進んでいくのだった。
蛇足になってしまって申し訳ありません。