※お知らせ:作品の雰囲気を整えるため、第1話〜第11話における主人公の口調を「タメ口」から「敬語」へ一括修正いたしました。ストーリー展開自体に変更はありません。
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艦艇を発見してから、1日が経過した。
因みに、「受験のラストスパート」に突入したが故に乃蒼と麻璃の2人とは1か月前から電話やメッセージなどでは話しているがビデオ通話で顔を合わせてはいない。
その謎の線引きの原因が生塩家と我が家が「一定期間互いに顔を合わせない事で集中力上昇を図る」という謎の考え方だと判明したのは、ちょうど昨日だった。
「父上。ようやく修理計画が完成しましたので、先ほど送信しておきました」
「そうか。助かる。執務が終わり次第、目を通しておこう。それまでは勉強でもして、夕飯は温かいものをしっかり食べておけ。それと、乃蒼と麻璃は2人とも合格だそうだ。」
「…!?ッ、分かりました。お仕事、頑張ってください」
「ああ。お前も無理はするなよ」
友人として2人の合格を祝いたい気持ちを抑えながら、僕は通話終了ボタンを押した。
僕は通信端末を机の上に置くと、ふう、と息を吐いた。
これで一段落だ。
今回作成したのは、先日発見した31隻の艦艇について、修繕および改装の内容をルイナがまとめてくれた計画書である。
もっとも、改装といっても大したことはない。
フリゲートやコルベットに搭載されている機関砲、ミサイルランチャー、重力操作装置などを点検し、破損している箇所を修繕する。必要に応じて部品を交換し、各種機能を本来の状態に戻す。
つまり、基本的には原状復帰だ。
僕としては、せっかく手に入れた戦力なのだから、多少なりとも性能を向上させたかった。
だが、父上からは明確に釘を刺されている。
攻撃能力を高めるような改修は一切認めない、と。
まあ、当然といえば当然だろう。
田舎の男爵家あたりならともかく、我が家はホルファート王国でも有数の権力を持つレッドグレイブ公爵家である。
そんな家が、王家に報告済みとはいえ艦艇を大量に保有し、さらに攻撃能力まで強化していると知られればどうなるか。
敵対派閥にとっては、格好の攻撃材料になる。
王宮からも警戒されるだろうし、最悪の場合、余計な政治問題に発展しかねない。
せっかく手に入れた戦力を政治的な都合で取り上げられたり、面倒な説明を要求されたりするのは勘弁してほしい。
僕の目標は世界征服でも軍事大国の建設でもない。
平穏無事に生き延びて、できれば楽な人生を送ることだ。
そのための準備として戦力を確保しているのに、その戦力が原因で面倒事を抱え込むのでは本末転倒である。
……もっとも、世界の破滅を防ぐためには、ある程度の備えが必要なのも事実なのだが。
僕は机の上に置かれた別の端末へ目を向けた。
そこには、僕が独自に進めている計画の一部が表示されている。
31隻の艦艇に加え、ファイグ、そして紀伊。
この計画において重要なのは、単に戦力を保有することではない。
必要なときに、必要な戦力を、僕自身が危険に身をさらさず運用できる体制を整えることだ。
そのため、僕はルイナに協力してもらい、艦艇類とファイグ、紀伊に遠隔操作型のバックドアを仕掛けておいた。
もちろん、父上やほかの人間に知られないよう、細心の注意を払っている。
これによって、いざというときには僕がファイグの遠隔操縦に集中し、ルイナが31隻の艦艇を自律的に指揮するという運用が可能になる。
僕が1機の操縦に集中している間も、ほかの艦艇が独立して動けるわけだ。
戦力の分散運用という意味では、悪くない仕組みだと思う。
……地球で同じことをやろうとしたら、間違いなく問題になるだろうけど。
自律型致死兵器システム、いわゆるLAWsの問題だ。
人間の判断を介さず、機械が標的を選んで攻撃する兵器。
そんなものを自由に運用できるようにしたら、倫理的にも政治的にも大騒ぎになるのは目に見えている。
幸い、この世界では僕が把握している限り、国際法だのウィーン条約だのそういったものが無いので民間人の安全などの面で倫理的な批判はあってもそうした問題を厳密に規制する仕組みはない。
だからといって、何をしてもいいわけではないが。
少なくとも、僕は自分の意思で人を殺すことの重さを、簡単に扱うつもりはなかった。
……まあ、その覚悟が本当に必要になる日が来るのは、もう少し先の話だと思いたい。
僕はスマホを操作し、別のファイルを開いた。
そこに記されているのは、僕が勝手に名付けた長期計画――914計画の概要である。
この計画の根幹は、すでに決まっていた。
もっとも、計画と呼ぶには、あまりにも自分勝手な願望が混じっているのだが。
まず、リオンと5馬鹿の決闘騒ぎ。
ここでは、表向きはレッドグレイブ家の跡取りではない、ただの次男として振る舞う。
公爵家の人間という立場は隠せないが、余計な政治的主張をせず、どの陣営にも深く属さない人間として扱われるのが理想だ。
その一方で、裏ではルイナを使って必要な工作を行い、リオンが負ける可能性をできる限り潰す。
もちろん、彼自身の活躍を奪うつもりはない。
あくまで、彼が本来の力を発揮できるように、致命的な障害を取り除くだけだ。
次に、学園祭。
ここでは出し物そのものには干渉せず、エアバイク戦を中心に立ち回る。
ジルクの代理人となったリオンが勝てるように裏から支援しつつ、クラリス先輩の陣営にも必要な工作を仕掛ける。
クラリス先輩の取り巻きであるダン先輩については、ジルクへの復讐に加担することが無意味だと理解させる方向へ誘導する。
そうすれば、クラリス先輩が無意味な争いに深入りすることも避けられるだろう。
そして、できることなら、彼女が自分を救ってくれたリオンに対して、少しずつ自分の意思で好意を抱くようになってほしい。
誰かに言われたからでも、状況に追い込まれたからでもなく、自分で考え、自分で選んだ結果として。
……まあ、他人の恋愛感情まで計画に組み込んでいる時点で、僕も相当な人間だとは思う。
だが、余計な横槍によって不幸になる人間が減るのなら、多少の誘導くらいは許してほしい。
次は空賊戦。
ここではリオンの意向を尊重し、彼と思想面で対立しない為にも空賊たちを殺さずに全員捕らえる。
僕が直接戦闘に出る場合も、ファイグの能力を使って敵を制圧し、可能な限り命を奪わない方針でいく。
ただし、それだけでは不十分だ。
カーラの問題にも対処する必要がある。
原作の彼女は、強者であるステファニーに逆らえない立場に置かれていた。その鬱憤を、自分より弱い平民のオリヴィアに向け、最終的には空賊と繋がったステファニーの取り巻きと見做されていじめられ、マリエによってリオンへの仕返し目的で拾われてしまう。
だからといって、彼女の行動が許されるわけではない。
しかし、彼女がそうした行動に走る背景まで無視してしまえば、同じことを繰り返す可能性がある。
僕は、カーラがステファニーに従わなければ生きていけないような状況から抜け出せるよう、できる範囲で手を打つつもりだ。
原作とは違う道を選べるのなら、彼女がリオンから見限られる未来も避けられるかもしれない。
もちろん、僕が何かしたところで、本人が変わる意思を持たなければ意味はない。
そこは、慎重に見極める必要がある。
そして、1度目の公国戦。
輸送小艦隊と紀伊の指揮はルイナに任せ、僕自身はファイグを遠隔操縦して敵と戦う。
敵兵は殺さず、捕らえる。
同時に、リオンの活躍を奪わないように立ち回る。
彼が本来果たすべき役割を僕が横取りしてしまえば、原作の展開が大きく変わってしまう可能性があるからだ。
それに、将来的にリオンとヘルトルーデの間に生まれるかもしれない関係まで、僕の都合で壊すつもりはない。
……いや、恋愛関係を壊すなという話をしている時点で、僕自身が余計なことを考えている気もする。
だが、ここで不用意に介入するのは危険だ。
次はエルフの里編。
ここでは、可能なら事前に僕が聖女親衛隊へ入れるように準備を進める。無論、目的はエルフの里に行く為であってキャリアアップやマリエへの心酔ではない。
入隊できなければ潔く諦め、入隊できた場合はリオンたちに同行する。
ただし、遺跡には立ち入らない。
僕がすべきなのは、ユメリアと話をすることだ。
彼女が本当は何を望んでいるのか。
何を恐れ、何を諦めようとしているのか。
それを聞いたうえで、原作と同じようにリオンが彼女を使用人として雇う流れを見守る。
ここでも、僕が主役になる必要はない。
必要なのは、誰かが自分の意思で未来を選べる余地を残すことだ。
そして、公国による本格的な侵攻が起きた場合。
原作では、フランプトン侯爵の影響力が強まっていたため、レッドグレイブ家は状況を大きく変えられなかった。
今世では、そこを少しでも改善しておきたい。
政治面については兄上や父上に頑張ってもらうとして、僕は輸送小艦隊と紀伊をルイナに任せ、自分はファイグで戦場を支援する。
避難民の輸送など、人命を守るための活動にも協力するつもりだ。
……この段階では、さすがに人を殺す覚悟を決めなければならないだろう。
僕が敵を殺さずに済ませたいと思っていても、相手がこちらの事情を理解してくれるとは限らない。
こちらが手加減した結果、守るべき人間が死ぬのなら、それはただの自己満足だ。
だからこそ、必要なときには決断する。
そうしなければならないことくらい、頭では分かっている。
その後の共和国への留学では、僕自身もリオンたちについていく。
ただし、戦場に直接出るつもりはない。
基本的には遠隔操縦による支援に徹し、帝国によるクーデター支援や聖樹問題についても、自分にできる範囲で対処する。
ノエルたちがリオンを好きになる可能性についても、余計な干渉はしない。
恋愛関係まで僕の都合で操作しようとすれば、どこかで必ず歪みが生じるはずだ。
そもそも、僕は誰かの人生を完璧に管理できるほど立派な人間ではない。
そして、帝国で起きるあれこれについては、基本的に安全圏から見守る。
全てが終わり、学園を卒業した後は、まともな婚約者を見つけて結婚する。
あとは実家でぬくぬくと暮らす。
……うん。
我ながら、実に素晴らしい人生設計だ。
世界を救う英雄になるつもりもなければ、歴史に名を残す偉人になりたいわけでもない。
できるだけ多くの人間を助け、できるだけ多くの面倒事を回避し、最終的には安全で快適な生活を手に入れる。
それが僕の目標である。
無論、この計画が全て思いどおりに進むとは思っていない。
原作の知識があるからといって、全ての出来事を正確に予測できるわけではないし、僕が何かを変えれば、それに伴って別の出来事が変化する可能性だってある。
それでも、何の準備もせずに事態が悪化するのを待つよりは、ずっとましだろう。
問題は、計画そのものよりも、僕がこれから置かれる環境にある。
……そう、学園だ。
騎士爵や準男爵といった騎士家の女子たちが集まる普通クラスについては、比較的大人しいらしい。
だが、男爵家以上の令嬢たちが集まる上級クラスは別だ。
原作の知識でも、今世で耳にした学園内の評判でも、面倒な人間が多いことは分かっている。
家格、派閥、婚約、恋愛、財産、権力。
それらが複雑に絡み合い、少しでも対応を間違えれば、あっという間に厄介事へ巻き込まれる。
正直に言えば、行きたくない。
できることなら、領地の屋敷に引きこもっていたい。
だが、僕はレッドグレイブ公爵家の人間だ。
次男だからといって、完全に責任から逃れられるわけではない。
それに、我が家の影響力は少しずつ低下している。
今の状況を考えれば、将来的な婚約者を見つけることも、僕にとっては重要な課題だった。
……本当に、面倒な世界である。
僕はスマホの画面を閉じ、椅子の背もたれに体を預けた。
ちょうど、そのときだった。
ぐう、と腹が鳴った。
「……もう昼か」
世界の命運について考えていたところで、腹が減るものは減る。
僕は難しいことを考えるのをやめ、昼食を取ることにした。
今はまだ、食事を楽しむくらいの余裕はある。
せめて、それくらいは大切にしておきたいものだ。
昼食を終えた僕は、再び机に向かった。
今度は艦艇の運用計画ではなく、学園の受験に備えた問題集を開く。
公爵家の人間だからといって、何もしなくても入学できるわけではない。
……いや、実際には家柄が大きく影響するのだろうが、それでも最低限の準備は必要だ。
何より、学園に入ってから勉強についていけなくなれば、それだけで余計な面倒事が増える。
そんな未来は御免だった。
僕は問題文を読み、解答を書き込んでいく。
だが、頭の片隅では別のことを考えていた。
この世界を、どうすればバッドエンドへ直行させずに済むのか。
そして、どこまで介入すればいいのか。
世界を救うために、自分の人生を捧げる覚悟は、まだない。
誰かを助けるために、自分の幸せを犠牲にする覚悟もない。
僕は聖人君子ではないし、そうなりたいとも思っていない。
自分にできることをする。
できないことは、できないと割り切る。
少なくとも、今の僕にはそれが精一杯だった。
そもそも、本来なら僕は、とっくに婚約者がいてもおかしくない立場なのだ。
女尊男卑が根付いた世界とはいえ、僕は公爵家の一員である。
家同士の都合によって、幼い頃から政略結婚の話が進んでいても不思議ではない。
結婚したらしたで、妻から必要以上に金をせびられたり、亜人奴隷を購入する許可を求められたりと、面倒な問題が山積みになる可能性はある。
そうなれば、僕の平穏な人生計画も大きく狂うだろう。
だが、この世界では、20歳を過ぎた男性は貰い手がなくなるとまで言われている。
結婚相手が見つからないこと自体が、貴族社会では大きな問題なのだ。
そして現在、僕には婚約者がいない。
原因は、例のバカ王子とマリエの一件である。
あの2人が色々とやらかしてくれたおかげで、我が家の立場は以前よりも悪くなっている。
その一方で、敵対派閥の長であるフランプトン侯爵家は、少しずつ勢力を伸ばしていた。
そんな状況で、わざわざレッドグレイブ家の次男と縁を結びたいと考える家が、どれほどあるだろうか。
政治的な事情もあって、僕の婚約者探しは難航しているらしい。
「……はぁ」
問題集を前に、思わずため息が漏れた。
世界を救うための計画を立てながら、自分の結婚相手の心配までしなければならない。
なんとも理不尽な話である。
もっとも、これも貴族に生まれた以上は避けられない問題なのだろう。
僕は気持ちを切り替え、再び問題集に目を落とした。
今できることを、一つずつ片付けていく。
それしかない。
そして、時は流れた。
王都は、大陸の中央に位置する巨大都市である。
原作の知識によれば、この大陸には古くからダンジョンが存在し、そこからモンスターが湧き出していた。
しかし、ダンジョンは脅威であると同時に、豊富な資源を生み出す場所でもあった。
内部で採掘できる魔石や鉱石は、王国の財源を支える重要な資源となっている。
それらを利用し、王国は国力を高めてきたのだ。
さらに、大陸そのものが非常に広大であり、海水から水をくみ上げて利用する施設も各地に設けられている。
自然環境にも恵まれた土地が多く、いつしか王都は『自然と調和する美しい大陸』などという宣伝文句まで生まれるほどに発展した。
その結果、王都だけでも百万人単位の人間が暮らす巨大都市となり、その一角に学園が存在している。
……というのが、原作から得た知識だった。
だが、実際に目の当たりにすると、話が違う。
「……いや、デカすぎない?」
僕は思わず呟いた。
目の前に広がる街並みは、想像していたものよりも遥かに大きかった。
遠くまで続く建物の列。
整備された道路。
行き交う人々と、空を飛ぶ飛行船。
見渡す限りの都市景観は、僕が領地で暮らしていた頃には想像もできなかった規模だった。
僕たちは領地から乗ってきた飛行船を、都市部に設けられた我が家の専用の港へ停泊させ、そこから王都へ降り立っている。
この世界の飛行船は、現代日本における自動車のようなものなのだろうか。
いや、比較するなら飛行機も混ざっている気がする。
そもそも、他の地方の貴族たちはバスのような定期便の飛行船で都市部から離れた浮島に降り立つとはいえ、空を移動する乗り物が一般的に普及している時点で、地球とは文明の発展の方向性が違いすぎる。
……まあ、今さらそんなことを考えても仕方がない。
それよりも、実家から王都まで直接移動できるのはありがたい。
長時間の移動を何度も繰り返す必要がないのは、素直に評価できる点だった。
そして、僕は今年で13歳、乃蒼と麻璃は15歳になった。
今日から、この王都にある学園へ通うことになる。…そう、僕"たち"は合格したのだ。
現在、僕たちは入学手続きを済ませるため、学園へ向かう人々の列に加わっていた。
でも、なぜか乃蒼と麻璃の姿が見えない。受かったって2人の実家から聞いたと父上から聞いたのに...。
ちなみに、ルイナは透明化させた状態で同行させている。
もちろん、周囲に気づかれないようにするためだ。
ルイナには、僕が指示を出せない状況でも必要に応じて情報を集められるよう、周囲の警戒を任せている。
何が起きるか分からない以上、用心しておくに越したことはない。
因みに、下りた直後には多くの生徒たちが僕を遠くから見ている。おそらく、本来なら15歳からである学園に飛び級で13歳で入学したからだろう。
「……帰りたい」
僕は小さく呟いた。
「駄目だ」
間髪入れずに返答が飛んできた。
「私も気が進まないのは分かる。だが、権威というものは一度落ちれば舐められる。そして、舐められればさらなる没落の原因になる。肩身の狭い暮らしをしたくなければ、大人しくしていろ」
隣を歩く姉上が、容赦なく現実を突きつけてくる。
「……はい」
反論する気力もなかった。
正直に言えば、僕は今すぐ屋敷に帰りたい。
何が悲しくて、こんな大勢の人間が集まる場所へわざわざ出向かなければならないのか。
しかし、姉上の言うことにも一理ある。
我が家の立場が弱くなりつつある今、家の人間が必要以上に弱気な態度を見せれば、それを利用しようとする者が出てくるだろう。
だからこそ、僕たちは家格にふさわしい振る舞いを求められている。
問題は、そのために必要な振る舞いが、僕の精神にとってあまりにも負担だということだ。
僕と姉上、そしてメイドたちが先頭を歩く。
その後ろには、姉上の取り巻きとなっている大勢の女子たちが続いていた。
さらに、彼女たちのそばには、美形の亜人奴隷たちが付き従っている。
……どうして、こんな悪趣味な登校風景になってしまうのだろうか。
まるで、自分たちの家格と財力を周囲へ見せつけるための大名行列ではないか。
いや、実際にそういう意味合いもあるのだろう。
周囲から向けられる視線には、羨望や嫉妬が混じっている。
男女を問わず、僕たちの一団を見て何かを囁き合っている者もいた。
この世界の価値観に染まった人間からすれば、これが当然の光景なのかもしれない。
だが、前世で一般庶民として暮らしていた僕にとっては、どうにも落ち着かない。
他人を従えて歩くことに、いまだに慣れないのだ。
もっとも、公爵家の次男である以上、いつまでもそんなことを言っているわけにもいかない。
僕は周囲の視線を気にしないようにしながら、学園へと続く道を歩いていった。
そのときだった。
周囲とは、どこか雰囲気の違う男子生徒が目に入った。
その少年を見た瞬間、僕は思わず足を止めそうになった。
「……リオンだ」
声に出したのは、ほんの一瞬だった。
幸い、周囲には聞こえていない。
僕の視線の先には、リオン・フォウ・バルトファルトがいた。
彼は、隣を歩く姉上の存在もあってか、僕のことを興味深そうな視線で見ている。
もっとも、現時点ではリオンと姉上の間に特別な関係があるわけではない。
今日が学園への初登校なのだから、まともに話をしたことすらないはずだ。
それでも、公爵令嬢であるアンジェリカの隣にいる原作にはいなかった少年という立場は、リオンにとって十分に興味を引くものなのだろう。
……まあ、気持ちは分からなくもない。
だが、僕には彼がこれから経験する出来事が、ある程度分かっている。
リオンは前世で、妹に「アルトリーベ」を押し付けられた人間だ。
そのため、この世界に関する知識を持っている。
ただし、彼が知っているのは、正確には「アルトリーベ」の世界だ。
一方、僕が知っているのは「モブせか」の物語である。
同じ世界を舞台にしているとはいえ、知識の出所が違う。
そして、本来ならこの世界に僕という人間は存在しない。
僕は、原作の知識を持っているがゆえに、リオンたちの動向をある程度予測できる。
しかし、リオンは僕の存在を知らない。
彼からすれば、僕はアンジェリカの隣にいる、正体の分からない公爵家の人間でしかないだろう。
……うん。
改めて考えると、面倒な立場である。
僕が余計なことをすれば、彼の知識にない出来事が次々と発生することになる。
そうなれば、僕が頼りにしている原作知識そのものが役に立たなくなるかもしれない。
だからこそ、慎重に動かなければならない。
必要以上に接触せず、必要以上に目立たず、それでいて致命的な事態だけは避ける。
それが理想だ。
「……はぁ。どうにかならないかなぁ」
僕は、誰にも聞こえないように呟いた。
そんな僕の横を、5馬鹿たちが女子たちに囲まれながら通り過ぎていく。
……あちらはあちらで、実に楽しそうだ。
原作を知っている身としては、今のうちに少しでも自分たちの立場を理解しておいてほしいところだが、僕が口を出すわけにもいかない。
余計な干渉は、余計な面倒を生む。
僕は五馬鹿たちから視線を外し、学園の門をくぐった。
学園は、王都の中でも広大な敷地を持つ施設だった。
人口密度の高い都市部に、これほどの土地を確保していること自体が驚きである。
校舎は大きく、敷地内の建物も多い。
学生寮に至っては、原作の説明を読んでいたときから規模の大きさに驚いていたが、実物を目の当たりにすると、その感想すら甘かったと思い知らされた。
僕たちは公爵家の人間なので、上級クラスの生徒が使用する寮へ向かうことになる。
……正直、すでに気が重い。
寮の建物は、学生が暮らす場所というよりも、貴族向けの高級宿泊施設に近かった。
広々とした玄関を抜けると、豪華な内装が目に飛び込んでくる。
床は美しく磨き上げられ、天井は高く、照明も上品に配置されている。
特に1階のロビーは、星5つの高級ホテルと表現しても差し支えないほどだった。
受付には実際に職員が立っており、生徒の家格に応じて対応を変えているらしい。
ここでも、貴族社会の階級制度が徹底されているわけだ。
僕たち公爵家の人間には、男爵家などとは異なる待遇が用意されていた。
荷物を運ぶ係までついている。
……いや、ありがたいのは分かる。
分かるのだが。
僕の前世は、現代日本で暮らしていたただのフリーターだ。
誰かに荷物を持ってもらうような生活とは、無縁だった。
ましてや、相手は僕のために働いてくれている人間である。
自分の荷物くらい、自分で運べばいいのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
しかし、ここで僕だけが荷物を持ち歩けば、それはそれで周囲から奇異な目で見られる可能性がある。
公爵家の次男が、わざわざ使用人の仕事を奪うような真似をするのか、と。
……本当に面倒だ。
「お荷物をお預かりいたします。お部屋までお運びしますね」
きちんとしたスーツに身を包んだ、美形の亜人の男が声をかけてきた。
学園に雇われている労働者であり、僕たちの荷物を運ぶことが彼の仕事なのだろう。
僕は鞄を見下ろした。
そして、目の前の男性を見た。
……申し訳ない。
そんな気持ちが、どうしても湧いてくる。
亜人が奴隷として扱われることが珍しくもない世界。
それが、この世界の常識なのだ。
だが、前世の価値観が残っている僕にとって、目の前の人間を当然のように使役することには抵抗があった。
頭の中に、危険な言葉が浮かび上がる。
――奴隷解放! 世界同時革命!
「……いやいやいや」
僕は心の中で首を振った。
何を考えているんだ、僕は。
今ここで革命を起こしてどうする。
そんなことをすれば、世界をバッドエンドルートから救うどころか、自分の人生が一瞬で終わる。
そもそも、僕にはそんな大それたことを成し遂げる覚悟も能力もない。
まずは目の前の問題を片付けるべきだ。
「……では、頼みますよ」
「かしこまりました」
僕は、少しばかり後ろめたい気持ちを抱えながら、敬語が出そうな気持を抑えてタメ口で言って鞄を渡した。
男性は丁寧に一礼すると、僕の荷物を持って部屋へ向かっていく。
その背中を見送りながら、僕は小さく息を吐いた。
……慣れるしかないのだろう。
少なくとも、今の僕にできることは限られている。
「じゃあ、私は少し先生たちに用事があるから、ゆっくり休んでおけ。あと、部屋は隣だから言っておくが、音量には気をつけろ。お前はいつもゲームをしているからな」
「分かりました、姉上」
姉上と別れた僕は、受付で受け取った鍵を手に、自分の部屋へと向かった。
ちなみに、姉上の部屋は本当に隣らしい。わざわざ念を押されたあたり、僕がゲームに夢中になって騒ぐことを警戒されているのだろう。
……失礼な。僕だって、時と場所くらいはわきまえる。
たぶん。
そんなことを考えながら、僕は部屋の扉を開けた。
「……広いな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
目の前に広がっていたのは、13歳の学生が1人で暮らすには、明らかに広すぎる部屋だった。
居間には上質な家具が並び、座り心地のよさそうなソファーまで置かれている。大きな窓からは学園の敷地が見渡せ、室内には生活に必要な設備も一通り揃っていた。
教科書をはじめとした学用品まで、あらかじめ用意されている。
下手な高級ホテルよりも快適なのではないだろうか。
……本当に、ここは学生寮なのか?
少なくとも、前世で暮らしていた僕の部屋とは比較にならない。
もっとも、これは僕自身が何かを成し遂げた結果ではない。レッドグレイブ公爵家の人間だからこそ与えられた待遇だ。
そう考えると、少しばかり複雑な気持ちになる。
とはいえ、せっかく用意されたものを使わない理由もない。
僕は室内を一通り確認すると、ソファーの前まで歩いていった。
そして、そのまま勢いよく体を預ける。
「……ああ、最高」
柔らかなクッションが体を受け止めてくれた。
これだよ、これ。
面倒な人間関係も、貴族社会のしがらみも、今だけは忘れていたい。
少なくとも、部屋の中にいる間くらいは自由でいたかった。
「……そういえば、乃蒼と麻璃はどこにいるんだろう」
天井を見上げながら、ふと思い出す。
2人も学園に合格したと聞いている。にもかかわらず、入学手続きのときには姿が見当たらなかった。
留学生という立場を考えれば、普通クラスに配属されている可能性もある。
……まあ、あの2人のことだ。
僕の知らないところで、何かしらの騒動に巻き込まれていても不思議ではない。
そんなことを考えながら、僕は目を閉じた。
寮を紹介されているのでもう学園生活は始まったも同然とはいえ、まだ入学式前だ。
先のことを考えるのは、少し休んでからでも遅くないだろう。
そうして、ようやく一息つこうとした、そのときだった。
コンコン、と扉が叩かれた。
「ねぇアル、向こうで面白いことやってるから来て」
「……くぁ……頼むから邪魔しないでください……」
眠気に負けそうになりながら、僕は扉の向こうへ返事をする。
せっかく人が休もうとしているのだ。
少しくらい放っておいてほしい。
……いや、待て。
今の声、聞き覚えがあるような。
「……乃蒼…ですか?」
慌てて体を起こし、扉を開ける。
そこに立っていたのは、見覚えのある2人だった。
「……乃蒼!? それに麻璃も!? っていうか、イメチェンしました!?」
「久しぶりね、アル」
「久しぶり~♪」
間違いない。
乃蒼と麻璃だ。
ただし、以前の2人とは外見がかなり変わっていた。
乃蒼は銀髪こそ変わらないものの、髪が最後に会った日以上に長くなっている。服装や雰囲気も相まって、どこか不良系の女子高生を思わせる姿になっていた。
(乃蒼:
)
一方の麻璃は、某ブルーなアーカイブにいる甘いものが好きなロマンチストの少女といった印象だ。
(麻璃:
)
……うん。
2人とも、どうしてそうなった?
いや、似合っているのは間違いない。
間違いないのだが、1か月の姿を知っている身としては、なかなか衝撃的だった。
「何だよ、その顔。人の格好を見て驚きすぎだろ」
「いや、その……」
僕は乃蒼と麻璃を交互に見た。
いったい、この短期間に何があったのだろうか。
「言っとくけど、アタシだって好きでこんな魑魅魍魎が跋扈する地獄に来たかったわけじゃないからね?」
乃蒼が露骨に嫌そうな顔をする。
「親父と王国政府の都合で、普通クラスじゃなくて上級クラスに回されたんだよ。もっと空気が澄んでる普通クラスがいいって言ったのにさぁ……」
「私も、甘いものがあるのは嬉しいけど、こんな場所に来たかったわけじゃないよ……(´・ω・`)」
麻璃まで、どこか遠い目をしていた。
なるほど。
どうやら2人とも、本来の希望とは違うクラスに配属されたらしい。
留学生という立場に加えて、それぞれの実家や王国政府の事情が絡んだ結果なのだろう。
……大人の都合って、本当に面倒だな。
もっとも、僕も公爵家の人間という立場に振り回されているのだから、他人事ではないのだが。
「ちなみに、アタシと麻璃の部屋はアンタの姉貴の部屋の近くだから」
「よろしくね~♪」
「……マジですか…」
姉上の近くということは、必然的に僕の部屋からも近い。
つまり、今後はこの2人が気軽に遊びに来られるということだ。
いや、別に嫌ではない。
嫌ではないのだが、せっかくの静かな生活が早くも崩れ始めている気がする。
「っていうかさ、そういうあんたはあんまり変わってないわね。」
「言われてみれば確かにね~」
(アル:
)
まあ確かに僕は10歳の頃から見た目も背丈もあまり変わっていない。身長は149cmでなぜか止まり、いまだに原因は分かっていない。
それはそうとして、僕は腕を乃蒼と麻璃に掴まれた。
「まあとりあえず、行くよ!」
「え、ちょっと待ってください。どこに連れて行くんですか!?」
「向こうで面白いことやってるって言ったんだけど、聞こえなかったの?」
「アル、一緒に行こうよ~♪」
そう言うなり、2人は僕の腕を取った。
「いや、僕は今、休もうとしていたんですけど……!」
「細かいこといちいち気にしてたら息苦しく感じるけど、それでいいわけ?」
「そうそう♪」
「今それって関係あります!?」
僕の抗議は、当然のように聞き入れられなかった。
こうして僕は、抵抗する間もなく2人に連れ出されることになった。
……入学式前日の初動。
僕の休息時間は、わずか数分で終わった。
学生寮を出て、しばらく歩く。
乃蒼と麻璃に連れてこられたのは、学園の外にある洒落た居酒屋だった。
学生が出入りする場所としては少々意外だが、貴族の子弟が集まる店ということもあって、内装は落ち着いている。
ちなみに、この王国における成人年齢は15歳だ。つまり、まだ13歳の僕は酒を飲めない。
そして、店内を見渡した僕は、すぐにここがどこなのかを理解した。
……ああ、ここか。
原作でリオンがダニエルとレイモンドの2人と知り合う場所だ。
どうやら、ちょうどその場面に遭遇したらしい。
「いや~、今年は大出世した話題の騎士がいるから、楽しみにしていたんだ。あ、俺はルクルって言うんだ。よろしく」
ちょうど、3年生のルクル先輩がリオンたちに声をかけたところだった。
「大出世の騎士?」
リオンが首を傾げる。
すると、レイモンドが呆れたように口を開いた。
「とぼけないでほしいね。入学前に冒険者としてほぼ成功した男爵家の三男は君だろう? 王都どころか、僕の実家にまで話が聞こえてきたよ」
ダニエルも驚いた様子でリオンを見ている。
どうやら、ここまでは原作とほとんど同じ流れらしい。
僕たちが店に入ってきたことにも、まだ誰も気づいていない。
……よし。
このまま目立たず、隅の席にでも座れれば理想的だ。
そう思っていた。
「仕方なかったんだ。金を稼がないと、変態婆との見合いコースだったんだ」
リオンの言葉を聞いた3人は、何かを察したように表情を変えた。
それ以上、事情を追及することはない。
貴族の男子にとって、結婚相手の問題はそれほど深刻なのだろう。
……うん。
その苦労については、僕は公爵家の次男とはいえ、没落対策をしなければあのバカ王子とマリエのせいでいずれ他人事ではなくなる。
できれば、あまり考えたくない話だ。
「そういえば、うちの実家は長男が継ぐんですけど……このグループにいたんですか? あ、名前はルトアートって言います」
リオンがそう尋ねると、ルクル先輩は少し考えるような仕草を見せた。
「去年卒業したルトアート先輩? 僕たちのグループにはいなかったね。スクールカーストの最下層はお呼びじゃない、とか言っていたよ」
「……うわぁ」
思わず声が漏れそうになった。
ルトアートといえば、バルトファルト家の長男だ。
原作でも色々と問題のある人物だったが、どうやら学園時代から似たような調子だったらしい。
「なんていうか、お金持ちのグループに混ざっていたね。無理して付き合っているようにも見えたけど、本人の希望なら仕方がないし。仲がよかったの?」
そう聞かれたリオンは、首を横に振った。
「だろうね」
ルクル先輩は、それ以上深く追及しなかった。
ここまでは、実に原作どおりだ。
……さて。
このまま何事もなく終わってくれればいいのだが。
「ん? ……君は確か、レッドグレイブ家の次男のアルフォンス君じゃないか?」
その声が聞こえた瞬間、僕は心の中で天を仰いだ。
ああ、終わった。
さっきまで僕たちの存在に気づいていなかった男子生徒たちが、一斉にこちらを振り向く。
頼むから、今までどおり談笑を続けていてくれ。
僕はただ、静かに過ごしたいだけなんだ。
「じゃあ、そちらの『噂の留学生姉妹』は君の婚約者か?」
「違います」
即答した。
そもそも、なぜそうなる。
確かに乃蒼は可愛いよりかっこいい方面で麻璃はロマンチスト故の幼さがまだ残るという意味で可愛いという意味では美少女だし、留学生という立場も珍しいのだろう。
だが、僕たちは友人だ。
婚約者などという関係ではない。
「少なくとも、彼女たちは僕の親友です」
誤解を解くため、僕は改めてそう告げた。
「こいつはアタシのダチなの。次に余計なことを喋ったら、その土手っ腹に風穴を開けてやるから」
「私も違うよ~♪」
……乃蒼、頼むから初対面の人間に物騒なことを言わないでくれ。
いや、気持ちは分かる。
分かるのだが、もう少し穏当な言い方があるだろう。
もっとも、麻璃も麻璃で、いつもの調子で笑っている。
2人とも、こういうところは変わらない。
それはそれで、少し安心した。
しかし、僕は肝心なことを忘れていた。
この国において、上級クラスの男子たちが考える『まともな女子』とは、必ずしも平民の感覚でいう普通の女子とは一致しないのだ。それ故に彼らは婚活で鍛え抜かれた観察眼で一瞬にして「乃蒼は口は悪いが根はまとも」だと気づいたのだろう。
「……あの、もしよろしければ、僕のお茶会に参加していただけませんか?」
男子生徒の1人が、勇気を振り絞るように乃蒼へ声をかけた。
「はぁ……? アタシみたいな口の悪い奴を誘ったところで、悪評が立つだけじゃないの?っていうかアタシは藍衛の経営者一家とはいえ美空には身分がないからアタシも麻璃も平民なのよ?!」
「構いません! 僕はもう、田舎の男爵家というだけで最底辺にいるので、これ以上評判は落ちません……!」
「いや、そこまで言わなくても……」
乃蒼が珍しく困惑している。
普段なら、相手が誰であろうと物怖じせず言い返す彼女が、どう対応すればいいのか分からずにいるのだ。
その様子は少し新鮮だった。
……いや、面白がっている場合ではないか。
僕は隣にいる麻璃へ視線を向けた。
「アル~……助けて~……」
こちらはこちらで、別の意味で大変なことになっていた。
麻璃に話しかけている男子生徒が1人。
そして、その周囲では複数の男子たちが集まり、何やら真剣な顔で話し合っている。
どうやら、麻璃と話す機会を得た男子が、ほかの者たちに順番や今後の対応を相談しているらしい。
……何をやっているんだ、こいつら。
原作の説明では、上級クラスの男子たちは、仮に同じ女子を気に入ったとしても、話し合いによって問題を解決することが多いとされていた。
そもそも、彼らが『まともな女子』と認める相手は、家格や財力で勝る男子に先に取られてしまうことが多い。そのため、女子を取り合うような事態そのものが珍しいのだという。
だが、今、目の前で起きていることは何だろうか。
婚活で悩む者たちが集う酒場に、条件のいい男子というフィルターを通さずにやってきた留学生である乃蒼と麻璃。
彼女たちは、この国の貴族社会における一般的な価値観に必ずしも当てはまらない。
にもかかわらず、男子たちは2人を将来の縁談相手として真剣に検討し始めている。
しかも、本人たちの気持ちを置き去りにしたまま。
「……何だよ、これ」
思わず、そんな言葉が漏れた。
別に、嫉妬しているわけではない。
乃蒼も麻璃も僕の大切な友人だが、2人が誰かと親しくなること自体は問題ない。
そうではなく、目の前の光景そのものに困惑しているのだ。
もちろん、貴族同士の縁談に家同士の事情が絡むことは理解している。
僕自身、いずれ婚約者を探さなければならない立場だ。
しかし、実際にこうして目の当たりにすると、想像していた以上に独特な世界だと実感させられる。
女子が男子を選ぶのが当然で、男子は選ばれるために努力する。
その価値観が徹底されているからこそ、彼らは自分たちの行動を特別おかしいとは思っていないのだろう。
……いや、だからといって、友人を囲んで会議を始めるのはどうなんだ。
麻璃が困っているじゃないか。
助けてやりたい。
だが、僕が口を挟めば、今度は公爵家の次男という立場が絡んでくる。
僕が2人を特別扱いすれば、余計な誤解を招く可能性もある。
かといって、放置するのも気が引ける。
どうしたものか。
そんな僕の考えをよそに、ルクル先輩が口を開いた。
「みんな、少し落ち着きなよ。2人とも文化も習慣も違う留学生なんだから、その辺にしてあげな」
その一言で、男子たちの動きが止まった。
どうやら、先輩の言葉にはそれなりの影響力があるらしい。
男子たちは名残惜しそうにしながらも、それぞれ距離を取っていく。
こうして、乃蒼と麻璃はようやく解放された。
「……助かった」
乃蒼が小さく呟く。
「ありがと~、ルクル先輩~……」
麻璃も、心底ほっとした様子だった。
僕も内心で先輩に感謝する。
危うく、学園生活初日から友人の縁談騒動に巻き込まれるところだった。
……いや、まだ何も解決していない気もするが。
とりあえず、今は考えないことにしよう。
ひとまず騒ぎが収まると、店内には再び落ち着いた空気が戻ってきた。
もっとも、それは表向きの話だ。
乃蒼と麻璃の周囲には、まだ未練がましい視線を向けている男子が何人かいる。
……懲りないな、本当に。
そんな中、ルクル先輩が新しい話題を口にした。
「そういえば、君たちの学年には特待生が1人入学するらしいよ。優秀な人材を拾い上げるために、貴族以外の生徒も入学させるとか、そんな話だったかな」
その言葉に、レイモンドが苦々しい表情を浮かべた。
ダニエルも、あまり面白くなさそうな顔をしている。
まあ、気持ちは分からなくもない。
彼らは田舎の貧乏貴族とはいえ、れっきとした貴族だ。
家柄によって立場が決まる社会で生きてきた以上、身分の異なる人間が同じ教室に入ってくることに、複雑な思いがあるのだろう。
前世の日本で暮らしていた僕からすれば、優秀な人間に学ぶ機会を与えること自体は、特におかしな話ではない。
だが、ここは日本ではない。
王国の人間にとって、身分というものがどれほど大きな意味を持つのか。
今日だけでも、その一端を何度も見せつけられている。
「特待生ですか? 普通クラスに入るんですよね?」
レイモンドが尋ねる。
しかし、ルクル先輩は首を横に振った。
「いや、上級クラスだよ。王太子殿下が入学する時期なのに、面倒なことにならなければいいけどね」
先輩は肩をすくめる。
「それに、何かあったら教えてくれない? その特待生、何の伝手もない平民だって噂なんだよね」
……なるほど。
どうやら、特待生の存在は、すでに一部の生徒たちの間で話題になっているらしい。
僕は内心で頷きながらも、周囲の反応に合わせて驚いた表情を作った。
もちろん、驚く理由はない。
その特待生が誰なのか、僕は知っている。
オリヴィア。
この物語において、重要な役割を担う少女だ。
作中内作品のアルトリーベとしての原作の知識が正しければ、彼女はやがて聖女の血筋に連なる存在だと判明し、周囲からの評価を大きく変えることになり、モブせかとしての原作では姉上と共にリオンと結ばれる。
入学時点では身分も後ろ盾もない平民。
しかし、物語が進むにつれて、その立場は大きく変化していく。
そして最終的には、作中のゲームであるアルトリーベ内では逆ハーEND、このモブせかの世界ではリオンやアンジェリカ、マリエたちを巻き込んだ一連の騒動の中心人物の1人となるのだ。
……もっとも、今ここでそんなことを口にするわけにはいかない。
僕が知っているのは、あくまで原作の展開だ。
僕自身の存在によって、すでに変化が生じている部分もある。
それに、オリヴィアが今後どのような道を選ぶのかは、まだ分からない。
彼女がどんな人間なのか、僕は実際に会って確かめたわけでもないのだから。
原作の知識だけを頼りに、彼女の未来を決めつけるのは避けるべきだろう。
……まあ、だからといって、何も知らないふりをするのも少々落ち着かないのだが。
それでも、今は黙っているべきだ。
ここで余計なことを話せば、どうして平民の特待生について詳しく知っているのかと疑われかねない。
何より、リオンがどの程度の知識を持っているのかも、まだ把握しきれていない。
彼は「アルトリーベ」の知識を持っている。
一方、僕は「モブせか」の物語を知っている。
同じ世界に関する知識でも、その内容は必ずしも一致しない。
だからこそ、今は互いに余計な情報を明かさず、慎重に立ち回る必要がある。
僕はグラスに手を伸ばし、静かに喉を潤した。
学園生活は、まだ始まったばかりだ。
これから何が起きるのか。
どこまで原作どおりに進み、どこから変化していくのか。
その答えは、これから少しずつ明らかになっていくだろう。
……願わくば、その過程で余計な面倒事が増えませんように。
僕は心の中でそう祈りながら、リオンたちの会話へと意識を戻した。
これでようやく入学まで辿り着きました。ひとまず頑張って2週間以内に決闘騒ぎの一番最初(アンジェが手袋をマリエに投げつけるところ)まで持っていくつもりです。