七海千秋(別人)のようこそ実力至上主義の教室へ。 作:ろやる
・今回は過去話です。
・今話は、ほぼ主人公は出ません。
・本文中で、現実ではまずあり得ない事がいくつも起こっていますが、ご都合主義ということで…ご容赦ください。
坂柳有栖は、物心ついた頃には既に聡明であった。1を聞いて10どころか100で返すような片鱗が、既にあった。小学1年生に入る頃には、中学の教科書を父に頼んで独学を始めていたくらいだ。
そうして少しずつ日々が退屈になりかけた時、彼女は父に連れられ、とある施設を訪れる。
そこはホワイトルームと言い、外部と隔離し、乳幼児の段階から徹底した英才教育を施す施設であり、世代ごとで子供を教育・競争させサンプルとすることで天才を作り出す教育システムを確立することを目的としている場所であった。
そこで圧倒的な成績を収めていたとある少年の姿を目撃した。この時、少年がチェスをしていた影響で、坂柳自身もチェスを始めるようになった。
チェスは奥深く、それでいて美しかった。一応最初の頃は他にも囲碁や将棋、リバーシなど他のボードゲームにも一通り手を伸ばした。
が、彼女の性に合ったのは、やはりチェスだった。
基本的なルールを覚えたら即実践に移った。対戦相手はネット上にならいくらでもいた。
最初は負ける事が多かった。いくら天才とは言っても、誰でも最初から勝ち星が多い事などないのである。
それでも、終わった後の棋譜の検討や実際にリアルで駒を動かしたり、脳内でシミュレートをしたりと、そう言った事を何度も繰り返すうちに勝ち星が多くなってきた。
負けた時も、敗因は、ほんの少しの読み違えだったり後攻故の負けと言うものばかり。
それすらも無くなってもはや無敗と言える戦績になった時、その様子をたまたま見ていた父がふと言葉を漏らした。
ーーまるで、あの子みたいだ、と。
聞こえていた坂柳は当然、あの子とはホワイトルームのあの少年だろうと思いながら、父に「◯◯◯くんみたいに、ですか?」と聞いた。
父はしまった、と言った具合に顔を曇らせる。まるで、言ってはいけない事を口にしたかのように。
「……?違うのですか?」
坂柳は小首を傾げながらも、父に問いかけるが返事はない。何か、まずい事を言ったのだろうかーーいや、あの施設は表には存在してはいけないものだと理解はしているが、父も知っているためそれはない。だとすれば…
やがて深く考え始めようとした娘をみて、父は軽く首を振り、口を開く。
「……ちょっとだけ待っててくれ」
と言い残し、父は書斎へと向かい、やがて少し厚みのある紙束と、一つのDVDを持って来た。
「…あの、これは…?」
「見てごらん」
そう父に言われた坂柳は紙束を手に取り、開く。そこにはーーとんでもない棋譜が載っていた。
「こ、れは……」
「チェスのとある世界大会優勝者の棋譜だよ。」
それを聞いて合点がいった。少なくとも今の坂柳のレベルでは、逆立ちしても勝てないだろう相手。時にはセオリー通りに、時にはどのような思考回路でそのような手を打ったのか、推測すら出来ないような手。
坂柳は思い知った。自分など、まだまだ井の中の蛙なのだと。大海を知らなかっただけなのだと。
決勝の棋譜に至っては明らかに次元が違った。相手のレベルも相当高いが、それに対して優勝者の手は、最初から最後まで相手がこう動くとわかっているかのような、相手の駒を一つ一つ誘導するような、そんな末恐ろしい手だったのだ。
そんな棋譜を見て、チェスへの熱が無意識に冷めかけていた坂柳の目に光が灯る。是非いつか会って戦ってみたい。
「お父様、この優勝者の方はどちらに…」
「その前に、こっちも見ておいた方がいい。」
そう言って、父はDVDの映像をテレビ画面に映し出す。
「白の出番の方が、優勝者の子だよ」
と言い残し口を閉じる。はて、先ほども父は、あの子と言っていなかったか?子?もしや…
白の方に座っていたのは、5〜6歳くらいの小さな女の子だった。
淡いピンクがかった色素の薄いボブカット。ほんの少し外ハネしたクセのある髪型が、少女らしい可愛らしさを演出している。
瞳の色は、髪色に合わせた優しげなピンク色をしており、どことなく眠たげに見える。
「うそ……こんなに小さな子が…?」
「僕も、初めて知った時は耳を疑ったよ。けれど、間違いなくこの子自身が打っている。それは映像からも間違いない。」
坂柳は信じられないと思うと同時に、どこか納得していた。この子は、私と同類だとーーそう確信していた。
ーーなお、映像の女の子は当時ありとあらゆるゲームに関する才能がずば抜けており、女の子がゲームを続けられるためだろうか、瞬間記憶能力もずば抜けていた。そのため学校の成績も常に満点であった。
閑話休題
そして、いよいよ決勝戦が始まると、少女の顔の様子が変わる。その顔はとても真剣に、でもそれ以上に楽しそうにしていた。待ち侘びていたゲームをやっと出来て素直に喜ぶ子供のように。いや、実際子供ではあるのだが。
そんな様子を見ていた坂柳は、憧れを抱く。
(あぁ…こんな風になりたい。不敵な笑みで、どんなことでも楽しめるように…!!)
それは、幼い子が憧れるヒーローのように。小さい子がなりたいと願う魔法少女のように。
彼女の心に、暖かな光を灯した。
ーー
まるで一本の映画を見終わったかのように、坂柳は満足げな表情を浮かべていた。
しかし、父も同じような表情を浮かべながらも、その顔に影を落とす。
「……お父様、この子は今何処にいらっしゃるのですか?」
そう、まだ幼い有栖は問いかける。先ほどからずっと気になっていた、父の表情。もしや、亡くなってしまったのかと思い表情を暗くするも、父は首を振る。
「いや、死んではいないよ。あの子は今も元気に生きてる。」
「では、どうして場所を…「わからないんだ」…えっ?」
思わず被せるように父が言葉を搾り出す。
「わからないんだ。と言うより、知らされていないと言った方が正しい。」
その顔には、一人の大人としての後悔の顔が浮かんでいた。
「お父…様?」
「有栖、これから話すことは全て抹消された出来事だ。だから、この事は誰にも漏らさないと約束してくれるかい?」
父は今まで見たことがないくらい真剣な表情で有栖に問いかける。有栖は一度考え、しっかりと頷く。
「本当に、あれは馬鹿げた争いだった。」
そう、今まで口にしたこともないような言葉を口にしながら語りだす。
ーーやれ、あんな幼い子供が優勝などおかしい。何か不正でもしたんじゃないのか。
ーーやれ、あの子はそんなことはしていない。何も知らない奴が知ったような口を聞くな。
ーーやれ、あれは八百長だったんじゃないのか。棋譜を見てみればわかる。まるで何処に相手が置くのかわかっていたような流れじゃないか。
ーーやれ、それは選手への侮辱だぞ。そもそもあの場面で、八百長で置く場所を記憶できるはずがないだろう。
ーーやれ、ーー
ーーやれ、ーー
耳にしているだけでも、悍ましいほどの内容だった。
果てには七海家への爆破予告、国際チェス連盟の大会結果の改ざんや不正疑惑など、有る事無い事しっちゃかめっちゃかに書かれてしまっていた。
後日、七海家から、国際チェス連盟を通して声明がなされた。簡単に纏めると以下の通りである。
『今後、七海千秋はプロ、アマ問わず全てのチェス大会に出場することは金輪際ありません。
それでも尚謂れのない誹謗中傷や直接的・間接的接触を行うようでしたら、七海家は然るべき法的措置を直ちに取り、国際チェス連盟も協力を惜しむつもりはありません。これまでの書き込みや誹謗中傷を行った方やニュースで有る事無い事品評した方の情報は全て保存しております。』
とーーそれ以来、まるで以前までの争いが無かったかのようにSNS上での争いはパタリと止み、ニュースも一切報じられなくなった。国際チェス連盟が協力すると言う事は、全世界のチェスプレイヤーを敵に回す発言になるからだ。
なお、実際の七海(別人)の当時の心境はと言うとーー
(いやぁ、プロチェスプレイヤーになるつもりは無かったし、あの騒動のお陰でこれからは自由にゲームしながら学校生活を過ごせるから良かったぁ。)
周囲の反応とは清々しいほどのすれ違いであった。