占いを信じた森亜るるかたちは、探偵事務所を休みにしてピクニックへ出かけることに。
しかし、そんな彼女たちの前に、思いがけない依頼が舞い込んでくる――。
名探偵とはどうあるべきか、を問う作品。
森亜るるかは、暗闇の中を歩いていた。
数センチ先も見通せない中、どこか遠くでたくさんのひとが笑っている。るるかは、その笑い声に交じりたくて、声を求めて歩き続ける。
久しぶりに見る夢だ、とるるかは気づく。それは――るるかがまだ、幼いころ、ロンドンにいたときから見ていた悪夢。
あの頃は、たどり着けるはずがないと思っていた。しかし、今はもう、そんなことはない。
くれあ、あんな、みくる。
仲間の顔を思いながら、るるかは歩を進め――
「起きなさい、るるか」
耳元で、はっきりとした声がした。
るるかの枕元に、小さな影が浮かんでいる。紫がかったふわふわとした毛並みに、両頬のハート型の模様。占いの妖精・マシュタンだ。るるかのおとも妖精であり、るるかを甘やかすことを得意とする彼女は、今朝も当然のようにるるかのベッドサイドに陣取っていた。
るるかは布団の中で小さく身をよじり、目を閉じたまま返事をした。
「……あと五分」
「五分じゃないわよ。もう十分経ってるわよっ」
マシュタンの声は、いつもより少しだけ厳しい。るるかはそれでも布団を頭まで被ろうとしたが、小さな手が容赦なくそれを引きはがした。
「前はよかったのよ。くれあと一緒に暮らしていた頃は、私が起こしても二度寝して、結局くれあがわざわざ起こしに来てくれてたでしょ。でも今は違う。かわいい後輩たちがいるのよ? あんなとみくるに、だらしないところばかり見せてどうするの」
るるかは、布団の中で小さく息を吐いた。
……そうだった。
十六歳の彼女は、かつて怪盗団ファントムの一員として活動していた過去を持ちながら、今は名探偵プリキュアの一員として、まことみらい市のキュアット探偵事務所に身を置いている。マイペースな彼女を朝から起こすのが、マシュタンの日課だった。
くれあとふたりで暮らしていた頃は、朝の弱さを甘えてもよかった。けれど今は違う。自分が先輩として、少しでもきちんとしたところを見せなければいけない相手がいる。
マシュタンの言葉が、るるかの意識を少しずつ現実に引き戻していく。
「……わかった」
るるかは、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。まだ体は重く、布団の温もりが名残惜しくまとわりついてくる。それでも彼女は、どうにか腕に力を込めて上半身を起こした。布団から身体を引きはがすようにして、ベッドの端に腰を下ろす。
そのとき、自然と隣のベッドに目が向いた。
そこは、すでに空っぽだった。
彼女の同室の相棒、帆羽くれあは、もうとっくに起きているのだろう。
ふたりで暮らしていた頃から、くれあはいつも先に起きていた。るるかが二度寝をしている間に、すでにキッチンに立って朝食の支度を始めている。朝食の香ばしい香りが廊下まで漂ってきて、それがるるかを本格的に起こす合図だった。今もきっと、くれあは先に起きて、いつものように朝食を作っているのだろう。
マシュタンが窓を開け放っていた。
カーテンの隙間から差し込んでいた光が、一気に部屋の中に広がる。まぶしい。るるかは目を細めながら、窓の向こうを見た。
澄みきった秋の空が、どこまでも青く広がっていた。柔らかな陽光が木々の葉を透かし、金色に輝かせている。
るるかは、その光を受けながら、小さくあくびをした。
「……今日も、いい天気ね」
マシュタンは満足げに頷くと、るるかの髪を軽く撫でた。
「ええ。だからちゃんと起きなさい。後輩たちに、だらしない先輩だなんて思われたくないでしょ?」
るるかは、静かに微笑んだ。
「……わかってる」
そして彼女は、ゆっくりと立ち上がった。まだ眠気が残る体を、秋の朝の光が優しく包み込んでいる。
るるかがもぞもぞとパジャマを脱ぎ、私服に着替えている間に、マシュタンは朝の日課を始めていた。
小さな手が水晶玉を丁寧に磨き上げ、部屋の中央に置く。占いの妖精であるマシュタンは、毎朝欠かさずるるかのために一日の運勢を占ってくれる。結果はたいてい抽象的で、はっきりとした意味が掴みにくいものが多い。それでもその精度は高く、その結果にるるかは全面的に信頼を置いていた。
「マシュー!」
マシュマシュと呟いていたマシュタンが、ひときわ声高く呪文を唱える。水晶玉の中で淡い光が揺らめき、やがて何かを映し出す。
「あら?」
戸惑ったような声が漏れたのが耳に入る。
ようやく着替えを終えたるるかは、その声音に怪訝な表情を浮かべてマシュタンに目を向けた。
「どうしたの?」
マシュタンは、困ったような、すまなそうな、下がり眉毛の表情を浮かべている。普段の自信に満ちた様子とは明らかに違っていた。
「るるか……」
彼女は少し間を置いてから、静かに言った。
「今日の依頼は受けないが吉、だそうよ」
「依頼を受けないが吉?」
るるかはマシュタンの言葉を復唱しながら、自然と眉をひそめた。
今、まことみらい市のキュアット探偵事務所には、四人の探偵が所属している。2027年からタイムスリップしてきた明智あんなと、名探偵を目指す小林みくる。パティシエをしながら探偵も務める帆羽くれあ。そして、かつて怪盗団ファントムに身を置いていた自分、森亜るるか。零細ながらも、毎日ではないが、依頼が来ることは多い。大手の探偵事務所であれば、事情を聞いて断る場合もあるだろう。しかし、キュアット探偵事務所のような小さなところでは、そう簡単に断るわけにはいかない。なにより「困っている人を救う」ことを至上の目的としている後輩の二人―あんなとみくる―が、目の前で困っている依頼主を前にして、依頼を断ることは難しいだろう。
るるかは静かに息を整え、マシュタンを見た。
「……みんなに相談すべきでしょうね」
彼女は立ち上がると、髪を軽く整えた。
「行こう、マシュタン」
るるかはそう声をかけ、すでに皆が揃っているであろう朝食の場所へと足を向けた。
*
るるかが事務所のダイニングキッチンに足を踏み入れると、案の定、三人の姿があった。
くれあと、かわいらしい後輩の二人―あんなとみくる。
「おはよう、るるか」
いち早く気づいたくれあが、優しく微笑みを向ける。
「おはようございます!」
あんなとみくるが、揃って元気な声をかけてきた。
るるかは一瞬、目を細めた。ひとりで苦しんでいた時期を思うと、みながこうして揃っている光景が、毎日ひどくまぶしく感じられる。
「……おはよう」
気恥ずかしそうに小さく答えて、るるかは定位置の席に腰を下ろした。
テーブルの上には、朝の光を浴びて美味しそうな朝食が並んでいる。焼きたてのトーストに半熟卵、色とりどりのサラダ。くれあが丁寧に盛り付けたフルーツと、甘い香りのする小さなタルト。湯気の立つ紅茶のポットも、すでに用意されていた。
「じゃあ、食べましょうか」
くれあの穏やかな掛け声に合わせて、皆が「いただきます」と手を合わせる。
「これ、私が作ったの」
あんながフォークで半熟卵を刺しながら、少し得意げに言った。
「最近、お野菜が少し高いのよねぇ」
くれあが、まるで主婦のような口調でぼやいている。
るるかは無言でもぐもぐと咀嚼を続けながら、皆の会話の合間を測っていた。やがて、ふと沈黙が訪れたタイミングを見計らい、静かに声を上げる。
「聞いてほしい」
三人の視線が、一斉にるるかに向いた。
るるかは全員の顔をぐるっと見まわしてから、はっきりと告げた。
「今朝のマシュタンの占いで、『今日の依頼は受けないが吉』と出た」
突然の言葉に、みくるが戸惑いの声をあげる。
「依頼を、受けちゃダメってことですか?」
「占いのとおりだとするならば」
るるかはこくりと頷いた。
「なにか良くないことでも起こるんだと思う」
そう言って、同意を求めるように胸元のマシュタンを見下ろす。
マシュタンは少し困ったような表情で肩をすくめた。
「そうね。依頼を受けたら破滅する、とかそこまで激しい結果じゃないとは思うけど」
良くないことが起こるであろうことは、否定しなかった。
「で、でも、困っている人が来たら断れないよ」
案の定、あんなが困ったように声をあげる。
「今日は依頼が来ないことを願うしかないのかな?」
確かに、日によって依頼が来ない日もある。一週間のうち、依頼があるのは二日程度というのが普通だ。
しかし、今回の場合は違う。
「マシュタンの占いに『依頼を受けないが吉』と出た以上、鶏と卵の議論になるけれど……依頼自体は必ず来ると思う」
マシュタンの占いに絶大な信頼を置くるるかは、確信をもってそう言った。
「だから、方針を決めたい。どうするか」
あんなとみくるが困ったように押し黙ったところで、くれあが明るい声をあげた。
「今日はいい天気よね。依頼が来ても断ることを考えないといけないのなら……いっそのこと、今日は事務所を閉めて、みんなでピクニックに行かない?」
それは良いアイデアかもしれない、とるるかは思った。
ただ事務所を閉めるだけでは、後輩の二人に「危険を避けるためにサボっている」という罪悪感を植え付けてしまうかもしれない。いい天気だしピクニックに行く、ということであれば「たまには休息も必要だよね」と思えるし、実際、今日の陽気であれば外に誘われても不自然ではない。
あんなとみくるも「どうせ依頼を受けられないのなら」と、くれあの提案にぱっと顔を輝かせた。
「ちゃちゃっとサンドイッチでも用意して、みんなでお外に繰り出しましょう」
くれあの号令の下、皆は朝食を手早く片付けると、ランチボックスの準備をはじめた。パンを切り、具材を並べ、飲み物を詰める。軽やかな手つきで作業が進む中、るるかは彼女たちの邪魔をしないように部屋の片隅に座り、静かにマシュタンの占い結果の意味を考えていた。
マシュタンはるるかのために占いをしてくれている。ならば、あの「今日の依頼は受けないが吉」は、るるか本人だけに当てはまるものなのか。それとも、ここキュアット探偵事務所全体に対する警告なのか。
また、「受けないが吉」ということは、受けた場合には凶なのか、大凶なのか。その良くないことの及ぶ範囲は、どの程度なのか。
考えても答えの出ない問いに、るるかは没頭していた。
「るるか、準備、できたよ」
くれあの声に、現実へと意識を引き戻される。
少しだけ心配そうな顔をしたくれあが、るるかの顔を覗き込んでいた。
「これでマシュタンの占い、外すこと、できるかしら?」
くれあの問いに、るるかは答えられなかった。
次回公開予定:10/11 18:00
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