そう指摘したとたん、それまで黙っていた鬼島家のひとりの女性が、金切り声を上げた。
「あなたっ、なにを言ってるの!」
三十歳前後だろうか。とげとげしい雰囲気をまとった、気の強そうな女性だった。もしかしたら、るるかが想定した「もうひとり」の母親かもしれない。
「……なにを言っているの、とは? お子さんの存在を否定されるのですか?」
「そ、そうは言っていないでしょう!」
「でしたら、こちらに連れてきていただけませんか。事件の登場人物が揃っていないというのは、作劇的にも手落ちでしょう」
るるかの物言いにカチンときたのか、それとも他の理由があるのか。女性は顔を真っ赤にして支配人に訴えた。
「なんなんですかっ、この外人は! ずっと変なリアクションをして私たちをイライラさせていたと思ったら、突然にうちの子を呼び出せですって!?」
「あの、お子さんがいらっしゃるのは本当なんですか? 私がここに来た時には、もういませんでしたよね?」
支配人が女性の権幕に押されながらも、恐る恐ると問いかける。
「うちの息子はまだ四歳ですよ! こんな人が死んだ場所にいたら、怖がるでしょ!」
だから、部屋の外で待たせている、ということらしい。四歳の子供を、保護者のひとりも置かずに放置しておくこと自体が問題だが、その行為はまるでその子を支配人たちから隠したかのようにも思えた。
「その子を、彼女の息子さんをここに連れてこれますか、支配人さん」
ぎゃんぎゃんと文句を言い続ける女性を放置して、るるかは支配人に指示を促すように言った。支配人は人を呼び、外にいるであろう子供を探してくるよう命じる。もちろん、その間も誰も部屋から出ないよう、監視を続けさせていた。
るるかは、ほうっとひとつため息をついた。そして祈る。
現れる少年が、年相応の何も知らない無垢な子供であることを。
もしくは、狡猾で姑息な生まれながらの悪鬼であることを。
しかし――
現れた子供は、その瞳に四歳とは思えない知性と理性を湛え、なによりも最悪なことに、何かに押しつぶされるのを耐えるかのように震えるこぶしをぎゅっと握りしめていた。
「お母さん……」
助けを求めるように母親を呼ぶ少年に、先ほどのこわもての女性が駆け寄り、その身体を強く抱きしめて言った。
「さとるちゃん。あなたはなにも言わなくていいの。あなたはなにも知らない。良いわね!」
強く、少年の意思を塗りつぶすかのように繰り返される言葉に、少年はうなずくでもなく、ただ茫然と立っている。ちらりと亡くなった鬼島源治の方を見て、悲し気に目を伏せた。
るるかは、マシュタンの占いの意味をはっきりと理解した。
『今日の依頼は受けないが吉』
その通りだ。
犯人は明快だ。トリックだって児戯に等しい。名探偵が出てくるまでもなく、警察がきちんと捜査をすれば、真実はすぐに明らかになっただろう。
いや、るるかが出張らなければ、強引に源治の自殺ということで処理されたかもしれない。
でも、そうはならなかった。
るるかは名探偵として、すべてを明らかにしなければならなかった。それは、まだ幼く守られるべき小さな存在でありながら、かつてのるるかのように知性が高く、しかしかつての彼女より運が悪く、道を誤ってしまったものの罪を詳らかにすることだった。
知らず足が震える。
かつての自分のありえた未来を垣間見るようで、ひどい喪失感がるるかを襲った。
「さて、さとるくん、だろうか。キミは今、真実と虚構の狭間にいる。苦しい真実に向き合うか、虚構に満ちた世界に耽溺するか。キミならばどちらを選ぶ?」
女性に抱きしめられながらも、この部屋の主役ともいうべき名探偵に怯えた目を向ける少年に、るるかはわざと難しい言葉を述べた。理解してくれなくていい。理解しないで欲しい。るるかが事件の真相を詳らかにする間、なにも分からない、その程度の知性であって欲しい。
るるかはそう願ったが、さとるはるるかの言葉にぽろぽろと涙を流した。
「ぼくは……」
さとるが口を開こうとした途端、女性が再び少年を隠すように抱きしめて叫ぶ。
「さとるっ! あなたはなにも言わなくていいっ! 言うなっ! 愛してるっ! 私はあなたを愛してる!」
さとるの顔は見えなかった。るるかも、見る勇気はなかった。ただ、静かに支配人に向き直る。
「源治さんを毒殺した犯人は――さとるくんです」
「し、しかし、あの子はまだ四歳だって……」
「ですが、今回の殺人を実行するに十分な知性があります。それに、毒を入れるトリックも簡単です。足元まで隠れるテーブルクロスの中を這っていけば、周りに悟られずに源治さんのところにたどり着くことは可能でしょう。そして、その際に、毒を入れることも……」
るるかを悲しくさせるのは、さとるが源治のもとにたどり着いたとき、大事にならなかったらしいことだ。もしも源治が本当に人嫌いで、誰も愛していなかったのなら、床を這って現れた孫を行儀が悪いと叱り飛ばしたことだろう。しかし、ニジーが気づかないほどになにもなかったということは、源治はさとるの奇行を受け入れたということだ。そこに悪意を見ることなく、可愛い孫の秘密のいたずらとでも考えたと想像できる。
さとるの四歳らしからぬ賢さは、源治に彼の将来を夢見させたことだろう。食事の時すらも彼に近寄ろうともしない冷たい他の家族よりも、この賢くも優しい孫を愛していたのかもしれない。
だが、さとるの賢さは、彼の母親にも夢を見させてしまった。賢いさとるなら、幼いながらに母親の言う通り、殺人のトリックを完遂し、源治を殺せるだろう、という残酷な夢。
このトリックは、さとるという幼子ひとりではなしえない。毒を用意する人物が必要で、それが母親ならば、さとるは母親の言葉に従っただけかもしれない。理性があり、知性があり、祖父からの愛を知りながら、それでも、母親の偽りの愛の前ではそれらは機能しなかった。
そう思うと、るるかはひどく悲しかった。
「テーブルクロスの下。もしも彼らに証拠を隠滅するほどの知性がなければ、さとるくんが這った跡が、この毛足の長いじゅうたんに残っているかもしれませんね」
母親だけじゃない。他の親族も、足元を這うさとるにひとりも気づかなかったとは思えない。積極的に協力したのか、見て見ぬふりという消極的なものだったのかは分からない。それでも、誰もこの幼い少年が罪を犯すのを止めず、犯してしまった罪を贖うように促すこともなかった。そのことも、るるかを絶望させる。
「事件の真相は以上です。もちろん、異なる可能性もあるでしょう。しっかりと、さとるくんを含めての捜査を警察に依頼してくださいね」
るるかは女性から、そして鬼島家の人々から浴びせられる罵倒の言葉をすべて聞き流し、ただ、マシュタンを求めた。あの優しい妖精を胸に抱いて、早くキュアット探偵事務所のみんなのところに戻りたい。ただ、そう願った。
次回公開予定:10/20 18:00
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