ことの始まりは、今から数百年前のこと。
新卒でブラック企業に入社した俺は、買ったは良いものの遊べなかったゲームを休日丸一日使ってクリアし、達成感に浸ったまま布団へ倒れ込んだ。
気づけば空は白み始めていて、「あと、1日でまた仕事だ……」なんて考えながら、そのまま意識を手放した。
──そして、目を覚ますと
「……どこだ。ここ」
何もかもが色を失った世界だった。
音がなく、日に当たって感じる
生き物の気配すらなく、世界にただ一人取り残された感覚に襲われた。
まるで世界から不必要なものが抜き取られたような、静寂だけが支配する空間。
そんな空間にあるのは、どこまでも続く寝殿造りの建物。
柱も床も庭も、無色で構成された無機質な景色だった。
夢にしては妙に現実味がある。
試しに頬をつねってみるが、 触れている感覚はないのに指先が頬に触れている。
簡単に言えば、痺れて触れても感覚のない足が全身になったような不思議な状態。
「……嘘だろ」
混乱したまま辺りを見回すと、いつの間にか何人もの人影がこちらを囲んでいた。
……いや、人と言っていいのか。
全員、頭が提灯だった。
顔があるべき場所に、淡く灯る提灯が載っている。
表情は分からないのに、全員がこちらを見ていることだけは不思議と理解できた。
「えっと……ここ、どこですか?」
試しに聞いてみても返事は返ってこず、ただ不気味に立ち尽くしたままだった。
「誰か説明してくれない?」
再び問いかけても返事はなく、提灯たちは無言のまま一斉に踵を返し、「ついて来い」と言わんばかりに歩き始めた。
「いや、せめて誰か──」
教えてくれよ、そう言い終わる前に最後尾にいた一人がこちらに振り返る。
提灯の灯が一瞬だけ揺れた。
黙って付いてこい
……なんとなくそう言われた気がした。
また聞いたらなにかされそうだ。
内心冷や汗をかきながら、大人しく後をついていくことにした。
長い廊下を歩き続け、その先にあった一室に入ると、一人の少女がいた。
少女は机に向かい、黙々と巻物に筆を走らせている。
年は十代半ばほどだろうか。
艶のある長い髪に整った顔立ち。
アイドルやモデルとして通用できそうな姿に思わず見惚れてしまったが、彼女の瞳と目があった瞬間、ゾッとした。
その瞳には何の感情も宿っていなかった。
時折、小さくため息を吐いては、また無言で巻物へ筆を走らせる。
そんな少女の隣に置かれた机の前で俺は半ば強引に座らされた。すると提灯たちが、俺の前へ山のような巻物を積み上げ始める。
一つ、二つ、三つ。
置かれ始めた巻物は勢いが留まることを知らず、まだ増え続ける。
「いやいやいや、待て待て待て」
積み終えた提灯たちは満足そうに一度頷くと、そのまま襖へ向かった。
「え、終わり?説明は?」
誰も振り返らずそそくさと部屋から出ていく。
最後に残った提灯はこちらに向かって「じゃ、頑張って」と言うかのように、お辞儀をすると襖の引き手に手を掛けた。
「せめて何するかくらい教えて──」
ぴしゃり。
言い切る前に閉められた部屋には、俺と少女だけが残された。この巻物はなんなのか。試しに隣の少女に聞いてみようとしたが、まともに話してくれるのかどうか分からず、恐る恐る一番上の巻物を開いてみることにした。
中身は見たこともない文字の羅列。
というより、文字なのかすら分からない。
恐らく、少女のように何かしらしないといけないのだろう。しかし──
「……どないせぇちゅうねん」
とボヤきながら、他の巻物の中身を見ていると、ふと横から視線を感じた。
横に視線を向けると隣にいた少女が筆を止め、ハイライトのない瞳でじっとこちらを見つめていた。
ただ、初めて見たときとは違ってどこか期待しているかのようにも見えた。
……え、何?
突然向けられた視線に理解できず、固まっていると少女は何事もなかったように再び筆を手に取った。
何だったんだ……
考えの読めない少女の行動に不気味さを覚えることしかできなかった。
この時の俺は、まだ知らない。
目の前にいるこの無表情な少女が、これから先、数百年にわたって俺の人生を振り回し、未来を滅茶苦茶にすることになる存在だということを。