数百年という時間は、人間一人が生まれ、歴史書に名を残し、やがて忘れ去られるには十分すぎる年月だった。
そして、俺はその年月を人間時代に勤務していた会社よりもブラックな職場──月で過ごしていた。
「終わった……!」
最後の巻物へ筆を置き、俺は机へ突っ伏す。
目の前には、処理済みの巻物が天井に届きそうなほど積み上がっていた。
この数百年で、読めなかった文字は読めるようになり、意味不明だった仕事もこなせるようになった。
提灯ことリョウサン型月人の考えることもなんとなく分かるようになった。
なんとなくなのは、俺が純粋な月人ではなく、地球にいた頃の記憶が大部分を占めていることが関係しているのだろう。
それにしても……人間の適応力とは恐ろしい。
………いや、適応しなければ終わってた。
少しでも処理が遅れたら追加の仕事が溜まる一方だった。つまり、楽をしたければ仕事を全力でこなすしかないのだ。
処理済みの巻物をせっせと運ぶリョウサン型を横目に、隣にいる少女に目を向ける。最初に出会った時とは違って、彼女とはよく話す関係になれたと思う。
表面上には出さないが、彼女も月での生活は退屈なのだろう。俺と話すようになってからため息も少なくなった。
月人達は、彼女の仕事効率が落ちたことを察し、補助役として俺を配属させたらしい。おかげで一時は改善したが、最近になってまた効率が落ち始めていた。
現場にいる人として言えるのは、お偉いさん達は彼女と俺に休みを取らせるべきだ。退屈以前に仕事で限界を迎えそうだ。
そんな俺の考えとは裏腹に月人が新たな巻物を積み上げる。
「……まだあるの?」
月人は無言で頷いた。
俺は黙々と巻物に手を伸ばして開く。
俺も立派な社畜……いや、月畜である。
隣へ視線を向ける。
少女は相変わらず無表情で筆を走らせていた。淡々と仕事をする姿はまるでロボット。だが、どこか人間味のある動き方だった。
月での生活が退屈ならば、なぜ彼女は他のことに目を向けたりしないのだろうか。他のことに目を向ければ、少しは退屈さを紛れるかもしれないのに。そんなことを考えていると故郷である地球のことがふと頭に浮かんだ。
「そういえばさ……」
再び筆を動かしながら俺は彼女に聞いた。
「君って、地球って知ってる?」
その問いにぴたりと少女の筆が止まった。
「……地球?」
「そう。月の目の前にある星で、70億を超える人が住んでる。俺のいた場所だと春には桜が咲いて、夏は湿気のせいで死ぬほど暑い。冬は場所によるけど雪が積もったりしてたなぁ」
「……?」
顔を見ると彼女はなにを言っているんだ?と理解し難い顔をしていた。
あ、そっか。ここの生活に慣れていたから忘れてたけど、そもそも月人に色や温度、死ぬという概念がないんだった。
俺は記憶でどんなものか理解してるけど、月人の彼女には理解できない話なのだろう。
「まあ、とにかく退屈はしない場所だよ。」
祭りがあって、ゲームがあって、映画があって、漫画があって。
仕事は最悪だったけど、それでも娯楽と刺激が多くて楽しかった。
そんな他愛もない話を一人で話しているうちに、彼女は初めて手を止めて最後まで聞いていた。
「……もっと聞かせて」
何気ない一言だが、出会って初めて見せた彼女の自我に俺は嬉しくなって、つい調子に乗って話してしまった。
それが全て自分に返ってくるとは知らずに。
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さらに数百年後。
「もうやだぁ〜!つまんない!地球に行〜き〜た〜い!」
俺の隣にいた無表情が似合う少女は駄々っ子になっていた。
あれほど真面目に取り組んでいた仕事も床の上で大の字になって放棄していた。
そんな様子を俺は呆れて見ていた。
俺と彼女が中心となっているプロジェクトが彼女の駄々で止まってしまっているのだ。
いや、ほんの百年前までは以前のような無表情フェイスを保ってたんだよ。いっときから抑えていた感情を爆発させるようになった。初めて騒ぎ出したときは同一人物か疑ったほとだ。
「いや、まぁ、そう言われても〜」
言い訳しようにもできない。
彼女がこうなった原因としては、地球の話をしたら興味深そうに俺の話を聞くので、つい楽しくなって文化や娯楽を教えていたら地球に対する興味が限界に達したようだ。
お前がなんとかしろよ、という圧を感じたので彼女を宥めようとしたらとんでもないことを言い始めた。
「もういい!私、地球に行くから!」
「……は?」
起き上がった彼女は一人乗りの宇宙船、もと光る竹に向かった。俺と月人達は急いでその後を追った。
「え、ちょっ!仕事どうすんの!?」
「君もできる内容だから大丈夫だよ」
「肝心なところは君が全て担ってたじゃん!地球に行くのは許すからせめて引き継ぎして!」
「あ〜あ〜!私なんにも聞こえない〜!」
音じゃなくて思念で会話してるのに、人のように耳を塞ぐ素振りをする彼女。誰だ!音の概念を教えたやつは!
(((お前じゃい!)))
後ろにいる月人達が一斉にツッコんだが、当の本人は仕事が増えそうになっている現状を防ごうと手を掴むことで精一杯だった。だが、彼女は彼の手をなんなく振り払って宇宙船に乗り込んだ。
「あうっ!」
振り払われた勢いで後ろに倒れてしまうが、彼女は気にせず宇宙船のハッチを閉めた。
「じゃ、行ってきま〜す!」
「待って!私も連れて行って!一人は嫌だ!」
月から発射された宇宙船は軌跡を残しながら地球へと向かった。
「………ウソ、だろ」
その光景を見ながら俺は力なくぺたんと座る。
現実だと認めたくない。そんな心境を無視するかのように月人達は彼女が担っていた
「わぁ…………わぁ………!」
ネタになると思って軽々しく話した地球の話は数百年の歳月に渡って自分に返ってきた。
目の前で増えていく巻物に俺は泣くことしかできなかった。
少女(かぐや)
自身を「異端」だと悩んでいた時に補助役として現れた月人が、自分以上にイカれていて悩みが吹き飛んだ人。
何でも肯定して面白い話をしてくれる彼に素を出し続けた結果、月で一番の問題児になってしまった。
地球産月人(主人公)
喋らない月人たちに囲まれ、孤独死しそうだった元人間の月人。
唯一話を聞いてくれる少女(上司)に地球の話をしまくったら、意味を理解し始めたので焦って使う言葉を慎重にし始めた。少女がワガママ言いたい放題の問題児になったのは完全に想定外。