時は流れ二十六年後。
「やっと仕事終わったー!!」
右足を机に乗せ、左手の拳を天高く突き上げた少女は仕事から解放された喜びからいつもより騒がしくはしゃいでいた。
「見てみて!じゃじゃーん! 三十年かかるって言われてた仕事を、かぐやちゃんは二十六年で終わらせちゃいました〜! つ·ま·り! 地球に行っても誰も文句言えないよね!」
かぐやがそう聞くと、月人は頷いた。以前の来訪とは違い、今回は正式な許可が下された休暇だ。やるべき仕事を終えたのだから、彼等に拒否する理由はない。
「やった〜!やっと彩葉に会える〜!」と喜びながら鼻歌を奏でる少女を傍らに、ボロ雑巾のように床に突っ伏した月人が一人。
彼は本来、二十六年前に月を出発して刺激に満ちた地球の娯楽を堪能するつもりであったのだが、かぐやの姑息な手によって残らされた挙句、仕事を手伝う羽目になったのだ。
月人は本来、思念体のため疲労という概念がないのだが、彼は地球人だった頃の記憶を持つバグ個体なので精神的疲労を緩和する目的で寝ていた。と、言ってもデータを整理するために思念を意図的に切って目を瞑っているだけなのだが、その様子は他人からすると扇情的な姿だった。
中途半端に着崩れた着物からは白い肩や鎖骨が覗き、ほどけた白銀の長髪が床一面へ流れるように広がっている。 力なく横たわるその姿はどこか儚く、事情を知らぬ者が見れば眠る姫君と見間違えても不思議ではなかった。
◇
「……うん、何回見てもそっくり」
眠っている彼の顔を覗き込み、かぐやは一人納得したように頷く。かぐや曰く彼の容姿は「ポニテールをした少し小さいヤチヨ!」なんだとか。
彼とかぐやの関係は長いもので千年は超えていた。
最初は、月での生活に退屈を感じ、仕事を放り出すことが増えたかぐやの為に補助役として送り込まれた存在だった。
どうせ、また仕事をするように催促してくるだけなんだろう。最初はそう思っていたが、彼は
退屈な月での生活を紛らわすために、彼は頻繁にかぐやに話しかけていた。うまく返事ができなくて、黙っていたが彼は気にせず話しかけ続けた。
自身を異物だと思っていたかぐやにとっては、堂々とした姿で居続ける彼は憧れの存在だった。
長い時を同じ部屋で過ごしていく内に、灰色だった月での生活は楽しく思えるようになっていった。
その時からだろうか。
本心を隠さなくなり、彼の前だけは、素直でいられるようになったのは。
業務に慣れて大人しくなった彼に構ってほしくてイタズラや仕事をサボったりしたのは恥ずかしい記憶だ。
………よく思えば、とんでもない悪童だった。
あんな私を彼も彩葉もよく受け入れてくれたものだ。
自分でも呆れてしまうような所業を思い出し、かぐやは小さく笑う。
そして、そっと彼の頬へ手を伸ばす。指先が白銀の髪を掠め、頬へ触れた。
整った顔立ちに、ほどけた髪。普段はきっちり着こなしている着物も今は少し着崩れ、
「………」
彼に触れてどれくらい時間が経ったのだろう……
無意識に触れていた彼の肌から手を離し、着崩れた着物を大まかに元に戻していく。
「……よしっ」
一度だけ深呼吸をすると、さっきまでの妖艶とした表情はどこへやら。
「起きて起きて! 出発するよ!」
いつもの元気なかぐやに戻ると大声と共にぐい、ぐいと肩を数回揺さぶると彼の瞼がゆっくりと開いた。
──
肩から伝わる振動に、俺はゆっくりと目を開けると、目の前には満面の笑みを浮かべたかぐやがいた。
「仕事終わったよ!」
「……おぉ」
ようやくか……
やっと、地球に行ける……!
待望していた地球観光にテンションが上がった俺は、いそいそと立ち上がろうとするが、違和感を覚えた。
……あれ?
なんでこんなに着崩してるんだろう?横になる際に楽な体勢にするために少し着崩したけど肌が見えるほど脱いだ記憶ないんだけど……ま、いっか。
「さてと、行く準備しますか」
服装を整えた俺は、地球に向かうための準備を始めた。
と言っても荷物は既に準備してあるので、必要な物があるか確認してかぐやを待つだけなんだが……
「あ、そうだ」
かぐやを待ちながら、俺はふと思った。
「お金どうしよ」
「んー?なんの話〜?」
つい漏らした独り言に準備を終えたかぐやが反応してきた。
「いや、ほら、かぐやは彩葉さんのところに行くでしょ? 私は一人で生活するつもりだから、お金が必要なんだよね」
「?」
そう言うときょとん、と首を傾げるかぐや。
どこかおかしいことを言っただろうか?
「……なんで一人?」
「なんでって……」
今度は俺が首を傾げた。
「君を彩葉さんのところまで送り届けたら、私は自由に動くつもりなんだけど」
「え?」
数秒の沈黙の後。
「えええぇぇぇぇ!?」
月中に響きそうな勢いで、かぐやが叫んだ。
「なんで!? 一緒に行動するんじゃないの!?」
「そんな約束した覚えないけど」
「いつも一緒だったじゃん!」
「いやいや。私だって初めての休暇なんだから、好き勝手遊びたいよ」
「え〜そんな〜………私と遊ぼうよ〜!」
「君には彩葉さんがいるでしょ?」
「君も一緒じゃなきゃヤダ! こう見えても私、百万人のファンを持つライバーなんだよ! 君一人くらい余裕で養えるよ!」
「うーん、さすがにヒモは嫌だなぁ……」
とはいえ、地球で遊ぶために働くのは嫌だ。
「私たちの家においでよ!」と言われても、記憶の中にある彩葉という少女は、俺と瓜二つの月見ヤチヨというAIに夢中なオタクだったはずだ。
一緒に住んでまともな生活を送れるだろうか。
う〜ん………
頭を悩ませていると1つの手を思いついた。
「あ、そうだ。データ改竄して電子マネー増やせばいいんじゃん」
思念体である月人なら、データを改竄したらネット口座を開設するくらいなら簡単にできる。地球で活動していく上で必要な金額だけを増やして、帰る際に消してしまえばいい。
なんて天才的な発想!自分の発想力に感嘆しているとかぐやが怒った表情を見せた。
「ダメ!それ犯罪だから!」
「ま、ですよね〜」
元地球人だ。それくらいの倫理観は残ってる。 ただ、数百年も月で過ごしていると、少し感覚が緩くなっていただけで。
「冗談だよ。じゃあ、これは?」
そう言って取り出したのは、一つの金の延べ棒。
「皆大好き金」
「……いつ作ったの?」
「いま」
月の技術なら、純金を作るくらい造作もない。
「これを売るのは大丈夫でしょ?」
データを弄るよりよっぽど健全で法も犯していない。なにより金は価値が高いのでお金を得るには手っ取り早い。
「……うん。それなら大丈夫かも」
渋々頷くかぐやを横目に金の延べ棒を生成して『もと光る竹』に積み込んでいく。かぐやが「ねー?本当に一人になるつもりなの?」と聞いてくるが、俺の意思は変わらない。
だって、かぐやの言う「私たちの家においでよ!」って、旅行先の地域に住む友達に「泊まっていきなよ!」って誘われて、気楽に一人暮らしだと思って行ったら、普通に奥さんと子供が勢揃いだった……みたいな状況でしょ?
リフレッシュしたくて旅行に行ってるのに、なんで初対面の相手に気を遣わないといけないのやら。
それに、彩葉さんは月人に良い印象を持っていないはずだ。
目の前でかぐやを連れ去った連中と、同じ月人なのだから。あの場に俺はいなかったとしても、その印象は変わらないだろう。
だから、俺は一人で行動するつもりなのだ。 どれだけかぐやが文句を言っても。
「じゃあ、そろそろ行きますか」
延べ棒を積み終えた俺は、『もと光る竹』へ乗り込む。
地球へ行くのは初めてだから、行ったことのあるかぐやの機体に追従するように航路を設定して、と。
「準備オッケー! しゅっぱーつ!」
かぐやの宇宙船が先に飛び立つ。
少し遅れて俺の『もと光る竹』も、微かな振動とともに月面を離れた。
「グッバイ、月」
窓の向こうで白い大地が少しずつ遠ざかっていく。
次に帰ってくるのは……いつかは分からないけど戻るでは、思う存分、地球を満喫させてもらうよ。