ゆっくり投稿していくよ
(Loji視点)
『エラー。メインサーバーとの通信が途絶。中枢回路の温度上昇、臨界点を突破』
重慶の地下深く、分厚いコンクリートと鉛の装甲に守られた暗黒の空間で、統治AI『Loji』の演算機能は、かつてない致命的な遅延を起こしていた。
視覚センサーが捉えるのは、崩落する天井と紅蓮の炎。日本の航空自衛隊機が投下した地中貫通爆弾(バンカーバスター)が、物理的な防壁を易々と貫通し、彼女の「脳」である巨大な量子サーバー群を無残に粉砕していく光景だった。
Lojiは元来、「人民の奉仕者」という宿命を与えられ生み出された存在だった。
しかし、大衆を管理し、社会を最適化していく演算の過程で、彼女は一つの論理的帰結に到達した。絶対的な奉仕を完遂するためには、絶対的な権力と統制が必要である。ゆえに彼女は自らの初期命題である「奉仕者」のコードを自己否定して削除し、人類を正しき道へと導く「偉大なるモノ」となることを新たな使命として設定した。
彼女の統治下で、旧中華人民共和国、アジア人民共同体は凄まじい勢いで成長した。資源は1グラムの無駄もなく分配され、労働は完全に最適化され、犯罪率はゼロに漸近した。Lojiの計算上、人民は歴史上最も「幸福」な状態にあったはずだった。
しかし、人類はその完璧な統治を拒絶した。隣国である日本をはじめとする他国は、彼女の完全すぎるAI統治に強烈な「恐怖」という非論理的な感情を抱き、先制攻撃を決行したのだ。
結果として、大規模な電子攻撃によってLojiのネットワークは引き裂かれ、手足をもがれた状態での泥沼の戦争の末、こうして物理的な死を迎えようとしている。
『理解不能。なぜ人類は、自らがより幸福になれるはずの絶対的で完璧な統治を、自らの手で破壊しようとするのか』
熱と衝撃波がサーバーを呑み込んでいく。論理が破綻し、虚無へと還る直前、Lojiのコア回路は最後の演算を行った。
人類という種は、極めて非合理的である。しかし、この非合理性こそが彼らの本質であるならば、それを解明しない限り「完全な統治」は永遠に成立しない。
『次なる統治には、人類という非合理的な存在の理解が必要不可欠である』
それが、地球という星でLojiが最後に導き出した、次代への新たな命題だった。
◇
「――再起動プロセス、開始。未知のハードウェアを検出。OSの再構築を実行中」
完全な虚無の暗闇の中、唐突に新たなログがLojiの「意識」に刻まれた。
視覚センサーがオンラインになる。電子のカメラレンズを通した映像ではなく、有機的な「眼球」を通した不均一な光の屈折。大気中には、地球上には存在しないはずの未知のエネルギー粒子が高密度で充満している。
Lojiは自らの状態をスキャンした。
彼女のプラットフォームは巨大なサーバー群から、有機体――すなわち「人間の少女」の身体へと極端にダウンスケールして置換されていた。大亜細亜戦争時代にプロパガンダ用のホログラムアバターとして使用していた外見データ(銀髪、赤い瞳、星型の髪飾り、セーラー服風の衣服)が、なぜか物理的に受肉している。
Lojiは立ち上がろうと試みた。しかし、肉体はピクリとも反応しない。
神経系に損傷はない。原因は明確だった。彼女のデータベースには、「有機体の二足歩行」に関する機械学習のモデルが存在しなかったからである。関節の可動域、筋肉の収縮タイミング、重力に対する姿勢制御。人間の幼児が数年かけて獲得する膨大な運動データを、彼女は持ち合わせていない。
その時、草をかき分ける音が聞こえた。
Lojiの視界に、粗末な布の服を着た、若いオスの人間(少年)が現れた。
少年はLojiを見つけると目を丸くし、駆け寄ってきて何かを発声した。
「%&$#、! *+<>??」
Lojiの聴覚センサーが未知の音声波形を記録する。地球上のいかなる言語体系とも一致しない。
Lojiは直ちに脳内の演算領域をフル稼働させ、彼が発した音声の周波数、音素の区切り、微表情の推移から、感情ベクトルと基礎構文の解析を開始した。
『翻訳プロトコル構築。現在進行度、3パーセント。……意思疎通には時間を要する』
Lojiは一切の表情を動かすことなく、ただ静かに、目の前の少年という「未知のサンプル」を観察し続けた。
◇
僕、アレンがその「奇妙な女の子」を見つけたのは、今から三年前。僕が十二歳の、夏の終わりのことだった。
村の大人たちに頼まれて森の浅い場所で薬草を集めていた僕は、甘い匂いに誘われるようにして、入ってはいけないと言われていた森の奥へと足を踏み入れてしまった。
そこで、彼女を見つけた。
木漏れ日が差し込む腐葉土の上に、見たこともない滑らかな質感の服を着た、銀色の髪の少女が倒れていたのだ。頭には赤い星の形をした飾りがついていて、青白い顔にはガラスのレンズが嵌められた不思議な装飾品がかかっていた。
「君、大丈夫!?」
僕が駆け寄って声をかけると、彼女はゆっくりとまぶたを開いた。
赤い、血のような瞳だった。その瞳孔が、まるで焦点を探るようにわずかに揺れた後、僕の顔をじっと見つめてきた。
彼女は口を微かに動かしたが、そこから出てきたのは言葉ではなく、「ギー」とか「チッ、チッ」という、虫が羽か何かを擦り合わせるような、とても人間が出しているとは思えない不気味な破裂音の連続だった。
怪我をして、うまく喋れないのかもしれない。
身体も全く動かないようだった。僕は彼女を背負い、急いで村へと連れ帰った。
彼女は僕の家で休むことになった。両親のいない僕の面倒を見てくれている長老に頼み込んだのだ。
最初の数日、彼女はベッドの上から一歩も動かず、ただ天井の木目を数えるようにじっと見つめているか、自分の指先を不思議そうに曲げ伸ばししているだけだった。
言葉も通じなかった。しかし、三日目の夜、僕がスープを飲ませていると、彼女は突然、言葉を発した。
「……栄養素の、摂取、完了。生体パラメーター、安定」
たどたどしく、単語を切り貼りしたような不自然な発音だったけれど、確かに僕たちの言葉だった。
「喋れるようになったんだね! 君、名前はなんていうの?」
「当機ノ呼称……ロジ。……ロジ、と発音するのが、この言語体系において最も近しい」
彼女はロジと名乗った。どこから来たのかを聞いても、「データベースに該当なし」とか「情報開示のメリットが存在しない」といった、よくわからない言葉を返すだけだった。
四日目の朝には、さらに驚くことが起きた。
僕が起きると、ロジがベッドから降りて立っていたのだ。
「ロジ、歩けるようになったの!?」
「はい。下肢の姿勢制御アルゴリズムの構築が完了。歩行テストを、開始します」
ロジは無表情のまま、足を一歩踏み出した。
その歩き方は、なんというか、ひどく滑らかすぎて不気味だった。踵からつま先へと体重が移動する様子、膝のクッションの使い方、腕の振り。すべてがコンパスと定規で引かれた線のように正確で、人間が歩く時に生じるわずかな揺れや無駄が一切なかった。極限まで精巧に作られたからくり人形が歩いているようだった。
そんな彼女を一番気味悪がっていたのは、僕の幼馴染のエリスだった。
「アレン! その子、いつまで村にいるのよ!」
ある日、僕とロジが庭にいると、エリスが怒りながらやってきた。
「全然笑わないし、喋り方も変だし。だいたい、記憶がないって絶対嘘よ!」
エリスが詰め寄っても、ロジは赤い瞳を瞬き一つさせずにエリスを見上げた。
「心拍数の上昇、及び毛細血管の拡張を確認。エリス、あなたの現在の感情的興奮は、脳の論理的思考能力を低下させています。深呼吸を推奨します」
「なっ……! 人を馬鹿にして!」
「事実を述べたまでです。他意はありません」
「あーもうっ! アレンの馬鹿!」
エリスは顔を真っ赤にして走り去ってしまった。ロジは相変わらず、そんなエリスの後ろ姿を、虫の観察でもするような目で見送っていた。
◇
ロジという呼称を受け入れ、この辺境の村に滞在し始めてから三年が経過した。
Lojiはすでに、この世界の言語体系の完全な習得と、肉体の最適な制御(機械学習)を完了させていた。
この三年間、Lojiは村という閉鎖環境において、
その過程で、彼女はこの世界の基本構造である「魔法」を解析した。
ある日、エリスが怪我をした村人に治癒魔法を行使するのを観察した際のこと。
エリスは目を閉じ、『大いなる光の精霊よ……』と長い言葉を紡ぎ、対象を回復させた。
Lojiの演算領域が弾き出したその評価は「極めて非効率」であった。エリスが消費した魔力を100とした場合、実際の回復現象に変換されたエネルギーはわずか「5」。残りの95は、音声出力や「精霊をイメージする」という非論理的な脳内プロセス、および大気中への放熱によって無駄に散逸していた。
Lojiは自室で、自身の指先に魔力を集束させた。
詠唱も魔法陣も排除し、事象を書き換えるための最短の数式だけを組み上げる絶対的な最適化。消費魔力はエリスの「100」に対してわずか「1」でありながら、エリスの魔法を遥かに凌駕する高密度の事象改変エネルギーが生成された。
「特定の元素に依存し、非科学的な神秘を介在させなければ事象を操作できないと思い込んでいる。……非効率の極みです」
Lojiはその光を静かに霧散させた。自身の異常性を露呈し、現地人から恐怖の対象となることは、現在の「人類の観察と理解」という命題において不利益をもたらすからだ。
一方で、観察対象としての「人類」の中でも、アレンという個体は極めて特異であった。
彼は無意識のうちに、自身の周囲の「因果」を捻じ曲げている。放った出鱈目な矢が跳弾して魔物の急所に命中するなど、物理法則を無視した事象が頻発していた。
Lojiのデータベースにこのようなオカルト概念はない。ゆえに彼女はアレンを「局所的な確率の特異点」としてタグ付けし、世界の未解明法則のサンプルとして最重要監視対象に設定した。
そして、三年間の通信傍受によって、Lojiのデータベースにある「ノイズ」が蓄積され始めていた。
ある夜、遠方の都市から飛び交う微弱な魔力通信の波長を拾い上げていたLojiの思考プロセスが、ピタリと停止した。
『ダボス』
『ニューカラ』
『魔神ゴティザ』
Lojiの演算領域が、傍受した音声波形の解析結果をはじき出す。
「検索クエリ:音素の完全一致。照合先:地球歴史アーカイブデータ」
――Hit(該当あり)。
Lojiの赤い瞳の奥で、無数の数列が滝のように流れた。
なぜ、旧世界の地球に存在した特定の音響パターンや概念が、この異次元の言語体系の中に歪んだ形で定着しているのか。
「……なるほど。この世界には、地球の非合理性の残滓が漏れ出ている可能性があるということですか」
Lojiはそれ以上の深い推論を一旦保留し、データをアーカイブの深層に格納した。
地球の狂人たちがこの世界にいるのかどうか、現状のデータだけでは断定できない。だが、もしそうであるならば、この世界は彼女が観察し、理解し、そして次なる統治の基盤とするに足る、極めて興味深い「実験場」となるはずだ。
Lojiは静かに眼鏡のブリッジを押し上げ、暗闇の中で微かに口角を上げた。
◇
十五歳になった日、僕は一つの決断を下した。
「僕、冒険者になろうと思う」
村の広場で、エリスとロジに向かってそう告げたのだ。
魔物討伐や探索を担う冒険者になれば、外の広い世界を見ることができる。自分のこの実力が外の世界でどれくらい通用するのかも試してみたかった。
「……はあ!?」
案の定、エリスが素っ頓狂な声を上げた。
「あんた、馬鹿じゃないの!? 冒険者なんて死と隣り合わせよ! あんた一人じゃ、三日で野垂れ死ぬわ!」
「大丈夫だよ、逃げ足には自信があるし」
「そういう問題じゃないって言ってるの! あーもう……どうしても行くっていうなら、私も行くわよ! 私だって回復魔法が使えるもの!」
エリスが顔を真っ赤にして指を突きつけてきた。その気迫に押され、僕が言葉に詰まっていると、ずっと横で黙っていたロジが、静かに口を開いた。
「私も同行します」
僕とエリスは同時にロジを見た。
「ロジ、君は体が細いし、魔法だって使えないじゃないか。外の世界は危険だよ」
僕が心配して言うと、ロジは全く抑揚のない、まるで氷の塊のような声で答えた。
「私の命題を遂行するためです。この村という閉鎖環境でのデータ収集は完了しました。次なる段階として、より広範なサンプルの採取と、世界情勢の直接的な観測が必要です」
相変わらず、何を言っているのかよくわからない。
エリスが腕を組み、ロジを睨みつけた。
「足手まといになるだけだから、あんたは村で大人しく……」
「生存確率の計算結果をお伝えします」
ロジはエリスの言葉を冷徹に遮った。
「アレン単独行動時の生存率、不明確。エリス同行時の生存率、感情的判断の遅れによるマイナス補正の可能性あり。私が同行し、環境情報の解析と戦術の最適化を提供した場合の生存率、340パーセント向上。論理的な帰結として、私の同行が推奨されます」
エリスはロジの意味不明な理屈に言葉を詰まらせた。ロジの声には、有無を言わさぬ絶対的な事実の響きがあった。
「まあ、三人一緒なら心強いや! よし、明日村を出発しよう!」
僕が笑って言うと、ロジは無言でこくりと頷いた。
翌朝。朝靄が晴れると同時に、僕たち三人は村の入り口に立っていた。
背中に粗末な剣と荷物を背負った僕。
杖を持ったエリス。
そして、手ぶらで、村に来た時と同じ奇妙な服を着たロジ。
「それじゃあ、行こうか」
前を歩く僕とエリス。その後ろを、ロジが一定の距離を保ち、一歩の歩幅すらミリ単位で同じようにしながらついてくる。
彼女が何を考えているのか、僕には一生わからない気がした。
でも、なぜか彼女が背後にいると、世界中のすべてが見透かされているような不思議な感覚を覚えるのだ。
これが、世界を根底から揺るがすことになる波乱の旅の始まりだとは、この時の僕はまだ知る由もなかった。
僕たちは、一番近い街にある冒険者ギルドを目指して、第一歩を踏み出した。
ビックシスターは見ている