30歳まで童貞を守ったら妖精が見えるようになった〜チートスキル「魔法少女」で美少女TS無双〜 作:へべれけ斉藤
うららは「魔法少女ちゃんねる」の記念すべき初配信をスタートさせる。
視聴者との和やかなトークの最中、安全保障部の大熊から港湾地区への怪人出現連絡が入り、サンフラワーと合流して現地へ急行。
出現した蟹怪人は、これまでにない「人語を話す知性を持った怪人」であり、チャット欄と現場は騒然となる。
いつも「大丈夫」と言っていたマスコットのぷいぷいやくまごろうも知性ある怪人の存在を知らず、動揺してフリーズしてしまう。
二人は息の合った連携で蟹怪人のハサミを破壊して追い詰めるが、怪人はダメージを受けながら恍惚とし始める。
第15話 ブラックロータス出撃!
「な、に……これ……」
「足が……沈んでる……!?」
くるぶしまで泥に埋まった足が、どれだけ力を込めても抜けない。身体が、まるで鉛を詰められたように重かった。
「心象風景を、怪人が……?そんなの、ありえないプイ!あっちゃいけないプイ!」
ぷいぷいが、悲鳴を上げながら頭を抱える。
アドバイザーであるはずのマスコットが、完全に冷静さを失っていた。何をすればいいのか、どうなっているのか、何ひとつ分析できていない。
『やばいやばいやばい』
『心象風景って魔法少女の専売特許だろ!?』
『なんで怪人が使えるんだよ!』
『待って、心象風景ってアレだよな?』
『心象風景って何?』
『あれ発動した魔法少女、今まで負けたことないぞ』
『勝率100%』
『しかも全部圧勝、勝ち確演出って言われてる』
『え?』
『つまり、これ……』
チャットは、悲鳴の渦だった。
蟹怪人が、ざぶりと泥を掻き分けて近づいてくる。この領域では、泥はすべて、彼の味方だった。
「いかがです、私の海は。美しいでしょう」
ハサミが、水平に薙ぎ払われた。
「きゃああっ!」
「あおいちゃんっ!」
葵の華奢な身体が弾き飛ばされ、岩礁に叩きつけられる。駆け寄ろうとしたうららの前に、巨大な影が立ちはだかった。
「次は、あなたです」
ステッキを握る手が、がたがたと震える。
怖い。逃げたい。足は泥に沈んで、動かない。それに、背後で倒れている親友を置いてはいけなかった。
「大熊さん!応援はっ!?まだですか!?」
うららは、ヘッドセットに向かって叫んだ。
数秒の沈黙のあと、ノイズ混じりの声が返ってきた。
『いま、ホワイトリリーが急行中だ!何とか、何とか持ちこたえてくれ!』
懇願とも悲鳴ともつかない、その声。
うららの顔から、すっと血の気が引いていった。
大人たちも、わからないのだ。誰も、この状況を想定していなかったのだ。
視界の端で、チャット欄が濁流のように流れ続けていた。
『こういうのを防ぐための配信だったんじゃないのか』
『省は何やってんだ』
そんな言葉のうち、その一つをうららは見てしまった。
『じゃあ、死んじゃうの?チェリーブロッサムちゃん』
無常にもコメントは更に流れて行く。
『子供になんてことさせてんだ』
『誰か助けて』
『見てるしかできないのかよ、俺ら』
『死んじゃヤダ!』
「あ、あぁ……」
死ぬの?わたし……
*
子供部屋のモニターの前で、俺は、ただ拳を握りしめていた。
午後三時から、俺は正座していた。
全裸待機である。いや、靴下は履いている。
推しの初配信を、誠意を持って迎えるための、一番正しい姿勢だったはずなのだ。
それなのに今、画面の中でその推しが、泥の中に膝をついている。
「あ……あ……」
声が、出ない。
チェリーブロッサムちゃんは、震える足で、それでもステッキを下ろしていなかった。倒れた友達を庇うように、巨大な怪人の前に立ちふさがり続けている。
「健二くん……これ、まずいよ……」
モニターの縁に座ったリャナンシーが、青ざめた顔でつぶやいた。
いつもの能天気な明るさは、そこになかった。
俺は、立ち上がっていた。
自分でも驚くほど静かに。ゆっくりと。
「リャナンシー君」
「……健二くん?」
「俺は、行く」
「だ、だめっ!」
リャナンシーが、俺の顔の前に飛び出してきた。両手をいっぱいに広げて、必死の形相で。
「だめだよ、健二くん!あんな怪人、私だって知らない!聞いたことないよ!行ったら、死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「わかっている」
「わかってない!だって健二くん、決めてたじゃない!推しには近づかない、遠くから応援するのがオタクの鉄の掟だって、言ってたじゃない!」
小さな手が、俺の鼻先で震えていた。
その声に、いつもの無邪気さはなかった。本気で怯えているように聞こえた。
「……ああ。言った」
俺は、静かに息を吐いた。
「それが、一番綺麗な形だと思っていた。推しにとっても、俺にとっても」
「だったら、行かないで……」
「だが、あれは本当に、推しのための掟だったのか?」
口にした瞬間、胸の奥で何かが、ことりと音を立てた。
「画面の向こう側でしか会わない。そう決めたのは、俺だ。でも、それは……」
言葉が、喉に引っかかる。
三十年。誰にも必要とされず、誰からも拒絶され、そして俺自身も、世間を拒んできた。
「拒絶されるのが、怖かっただけなんじゃないのか。画面の向こうなら、傷つかない。安全圏から叫んでいる限り、誰にも嫌われない。俺は、そうやって三十年、ずっと逃げてきただけなんじゃないのか」
「健二くん……」
リャナンシーが、息を呑んだ。
モニターの中で、チェリーブロッサムちゃんが、ぎゅっとステッキを握り直す。泣きそうな顔をしているのに、それでも前を向いていた。
「あの子は、逃げていないんだ」
俺は、その横顔を見つめた。
「あんなに小さな背中で、逃げていないんだ。……だったら、俺が逃げていい理由なんて、どこにもないだろう」
リャナンシーは唇を噛みしめ、何かを言いかけて、けれど言葉にならずにうつむいた。
口では格好いいことを言っていた。しかし、俺の膝は小刻みにガクガクと震えていた。
全世界へ生配信される画面の前。そこは、ずっと自室の暗闇に逃げ込んできた俺にとって、もっとも恐ろしく、もっとも忌避してきた『現実そのもの』だった。
生の世間に晒される恐怖で、頭がどうにかなりそうだ。このまま飛び出せば、恐怖で一歩も動けなくなる。
そんな人間が、全世界に生配信されているカメラの前に飛び出すのだ。
せめて。
せめて、なにか世間と自分を隔てる何かが欲しい。
その時、棚の上の黒い影が、視界に飛び込んできた。
黒地の仮面。中央に、白い線で描かれた左瞳のシンボル、『ホルスの目』を模したデザインだ。
アニメの秘密組織の少女、アイリスちゃんがかぶっていた、あの仮面だ。
「……これだ」
手に取ると、記憶の中にあるよりもずしりと頼もしい重みがあった。
顔を隠すための物ではない、世間から自分を隔てるための物。
アニメグッズ。ただのファンアイテム。それなのに、今の俺には、鎧のように頼もしく思えた。
「変身ッ!」
黒と白の光が弾け、黒蓮の花びらが部屋中に舞い散る。
靴下しか身に着けていなかった俺の重たい肉体が羽のように軽くなっていく。
鏡の中に立つゴスロリの美少女が、そっと仮面を顔に当てた。
白い瞳のシンボルが、鏡越しに静かにこちらを見返してくる。
「……リャナンシー君。止めても、無駄だ」
「……もう。健二くんの、バカ」
リャナンシーは泣き笑いのような顔で、俺の袖をぎゅっとつかんだ。
「私も行く。絶対に、離さないからね」
俺は何も言わず、窓を開け放った。
夕暮れの空の向こう、遥か彼方に、かすかな光が瞬いている。港湾地区の方角だ。
窓枠を蹴って屋根の上へ躍り出る。
そのまま屋根から屋根へと、飛び移り駆けていく。
そして、ある瞬間直感が告げた。
――射線が通った。
あまりに遠くて、怪人の姿など、見えるはずもない。
それなのに、なぜか確信があった。
走りながら、ステッキを槍投げの槍のようにかまえた。本能が囁いている。イケる、と。
そう強く念じた瞬間、前方の空間に光の線が走った。
蓮の花を模した、幾何学模様の魔法陣。その中心点の向こう側、一直線上に、敵はいる。
「その汚い顔を、フッ飛ばしてやる」
運動不足の三十年がまるで嘘のような、惚れ惚れするほど美しいフォームで、ステッキを魔法陣の中心へと投げ入れた。
魔法陣をくぐった瞬間、ステッキが消えたかと思うほどの急加速で飛んでいく。
完璧だった。ここまでは。
グキッ。
「いっっ!?」
屋根瓦に引っかかった左の足首が、嫌な音を立てた。
勢いのまま、前傾姿勢でつんのめりバランスを崩して、もんどりうつ。
袖をつかんでいたリャナンシーの小さな手が、勢いに負けてすっぽ抜けた。
視線の先、勢い余って頭から突っ込むような位置にあったのは自分で展開したばかりの魔法陣だった。
そして、そのまま誤って魔法陣の中に飛び込んでしまう。
「う……そ……だ……ろ……ーーーー!!」
「けんじくーーーーーーん!!!」
ドップラー効果の効いた絶叫を残して、ブラックロータスは遥か彼方へと吹っ飛んでいった。
あっという間に小さな点になり、夕暮れの空に溶けて消える。
先ほど「絶対に、離さないからね」と言ったリャナンシーを残して。
推しのピンチに駆けつける、記念すべき初出撃。
そのスタートは、あまりにも格好のつかないものだった。