30歳まで童貞を守ったら妖精が見えるようになった〜チートスキル「魔法少女」で美少女TS無双〜 作:へべれけ斉藤
マスカレイド仮面の活躍から数日後、ネット上では大きな話題となっていた。
住民たちは怪人の心象風景を塗り替えた圧倒的な戦闘力を称賛する。
長すぎる名乗りから、いつの間にか「マママ仮面ちゃん」という愛称まで定着してしまった。
また、無報酬で命懸けに戦う未承認魔法少女であることから、その人格を高く評価する声も多く上がる。
さらにスレ住民は、黒い蓮をモチーフとするマスカレイド仮面の本当の魔法少女名について考察を開始する。
第21話 追うもの、追われるもの
魔法少女省、安全保障部部長室。
デスクの端末に表示された掲示板のログを最後まで読み終えて、高城冴子は静かに画面を消灯させた。
「……」
視界が、じわりと滲む。
連日の情報収集と、ろくに取れていない睡眠。冴子は眼鏡を外してデスクに置くと、目頭に親指と人差し指を当て、ゆっくりと揉みほぐした。鈍い痛みが、固まった神経をわずかにほどいていく。
ノックの音が響いた。
「部長、大熊です。例の件の追加資料をお持ちしました」
「どうぞ」
眼鏡をかけ直したときには、冴子の顔は、いつもの冷徹な安全保障部部長のものに戻っていた。
入ってきた大熊次席が、タブレットを差し出す。
「当該魔法少女に関する、現時点での目撃情報と解析結果です。省内の呼称は、先日の協議通りに統一しています」
「確認するわ」
「はい。公式には『不明魔法少女』。内部資料では『推定マスカレイド仮面』。本人の名乗りに基づき、当面は『マスカレイド仮面』と仮称する、という扱いです」
「それでいいわ」
タブレットの画面を指で滑らせながら、冴子は小さく息をつく。
「ネットでは、愛称で呼ばれているようね」
「例の掲示板でしょうか。『マママ仮面』とのことです」
「……頭の悪い愛称ね」
ほんのわずかに、冴子の口元が緩んだ。
けれどそれは一瞬のことで、すぐに表情を引き締める。
「外では、私たちは『未承認の魔法少女を追い立てる、冷酷なお役所』ということになっているようね」
「実際は、真逆ですがね」
大熊が、苦笑まじりに肩をすくめた。
冴子は、デスクの引き出しに視線を落とした。
「私が現役だった頃は、もっと酷かったわ。魔法少女の力に目覚めても、届け出の制度そのものを知らない子が大勢いた。初戦闘のあとにメディアに映って、周りに騒がれて、そこで初めて慌てて申請に来る。そんな子も珍しくなかったのよ」
「今は、力に目覚めたら、まず届け出る。それが一般常識として浸透しましたからね」
「だからこそ、久しぶりの未確認なの。逮捕も拘束も、私たちは考えていない。ただ、早く自分から名乗り出てくれればいい。それだけよ」
深刻に捉えすぎる必要はない。冴子は、そう結論づけていた。
あの魔法少女は、少なくとも市民を助け、仲間を守って戦った。危険な存在ではない。むしろ、守られるべき存在だ。
問題は、そこではない。
「……それで」
冴子の声が、一段低くなった。
「もう一つの件はどうなっているの」
大熊の表情が、すっと強張る。
室内の空気が、温度を一気に失った。
「知性型怪人の件については。解析班は昨夜から泊まり込み。広報課の電話は鳴りっぱなし。国会対応の準備も、各部署から同時に上がってきています」
それも当然だった。
怪人が人の言葉を話し、丁寧に敬語を使い、会話を成立させながら攻撃してきた。そのうえ、魔法少女にしか使えないはずの『心象風景』まで展開してみせた。過去に一度も例のない事態だ。これまでの前提が、根底から揺らいでいる。
「現場にいたマスコットたちの様子は?」
「ぷいぷいとくまごろうについてはチェリーブロッサムとサンフラワーの証言を精査しました。あの動揺は本物としか思えないということなんですが、何せ演技の上手いやつらですから……」
「そう」
冴子は、組んだ指に顎を乗せた。
もしそれが本当だとしたら、つまりそれは彼らもまた事態の外側にいるということだ。
「引き続き、解析を急がせて。それと、省内に箝口令を。マスコットに関する情報は、これまで以上に慎重に扱うこと」
「承知しました」
一礼して、大熊が退室していく。
重い扉が閉まる音を聞いてから、冴子は、視線を動かさないまま口を開いた。
「……聞いていたでしょう、ケットシー」
部屋の隅のソファの上で、黒い毛並みが、もぞりと動いた。
「にゃふ〜。難しいお話は、僕みたいな猫にはさっぱりにゃん」
ソファの上の巨大な黒猫が、のんびりと伸びをしながら身体を起こした。胸元の白いフサフサの毛を揺らして、ふにゃりと口元を緩める。
いつの間にそこにいたのか、冴子には分からない。分からないのはいつものことだった。
「とぼけないで」
冴子は、立ち上がった。
ヒールの音を響かせてソファの前まで歩み寄り、真正面から黒猫を見下ろす。
「知性を持って、言葉を話して、自分で心象風景まで展開した怪人。あなたたちマスコットの側が、本当に何も知らないとでも言うつもり?」
「知らないにゃん」
即答だった。
「僕はただの、気まぐれな街の猫にゃん。美味しいミルクと日向ぼっこがあれば、それで十分にゃんよ」
「契約している魔法少女もいないのに、毎日この庁舎に入り浸っておいて?」
「ここのソファが、座り心地いいからにゃん」
ケットシーは、ふかふかのクッションに顔を埋めて、ごろんと転がった。
悪びれた様子は、微塵もない。冴子は、深く息を吐いた。何を問い詰めても、のらりくらりとかわされる。これまでも、ずっとそうだった。
「……もういいわ」
「高城部長こそ、眉間のシワが取れなくなっちゃうにゃんよ。ほら、にゃふ、こんな感じにゃん」
ケットシーは、自分の眉間を前足でぐりぐりと押さえて見せた。
冴子は何も答えず、踵を返して窓際に歩いていく。その背中に向けて、黒猫はぴょん、とソファから飛び降りた。
「じゃあ僕は、給湯室に行ってくるにゃん。煮干しを貰う約束があるにゃ〜」
そう言いながらひらひらと前足を振ると、笑顔だけ残して存在感が薄れていって消えていなくなった。
静かになった部長室で冴子は先ほどまで黒猫が丸まっていたソファをしばらく無言で見つめていた。
*
屋上に現れると、不吉に吹きすさぶ風を受けながら夜景を眺める。
「……」
先ほどまでのふにゃふにゃした笑顔は、跡形もなく消えていた。
黒猫は、ゆっくりと自分の前足を見つめる。
(知性のある怪人……)
喉の奥が、乾いていた。
(しかも、心象風景を使った。そんなこと、あり得ないにゃん)
冴子の前では、飄々とはぐらかして見せた。
けれど、あれは演技だけではなかった。本当に、何も知らなかったのだ。
(怪人は、意思もなければ、言葉もなく、ただ現世に現れて、暴れるだけの存在。それが、あんな風に話しかけてきて……)
それは、あまりにも不自然だった。
災厄が自ら考え、選び、意思を持って魔法少女の前に立つ。そんなことが起きる理由は、ひとつしか思いつかなかった。
(「誰か」の、意志や思惑を感じるにゃん)
誰が。何のために。妖精界の誰かか、それとも、もっと別の何かか。
そして、もうひとつ。
(それと、あの子……マスカレイド仮面にゃんね)
突然現れて、怪人の心象風景を塗り潰した少女。
偶然とは、とても思えなかった。
あの子が現れたタイミングも。あの子の力の質も。何もかもが、この異常と無関係には思えない。
「面白くなってきた、なんて、言ってる場合じゃないにゃんね」
誰に聞かせるでもなく、ケットシーは小さくつぶやいた。
長い尻尾が、不満げに揺れる。
夜の街が静かに明滅していた。
その光のどこかに、まだ名前を知らない少女が、息を潜めている。
黒猫は夜景を背後に音もなく溶けていった。