――ゴールデンボールブリッジ。
シンヤが次々と挑戦者たちを迎え撃ち、100連続バトルという前代未聞の挑戦に臨んでいた頃。
その少し離れた場所では、彼の戦いを見守るレンが、何人かの女性たちと一緒にいた。
女性たちはそれぞれ、友達や恋人、あるいは気になる相手を応援するために橋を訪れていたらしい。
そして、彼女たちの話題はいつしか――現在進行形でバトルを続けている、ひとりの少年へと移っていった。
「それにしても、あの子……すごいわよねぇ」
「ええ。まだ十歳くらいでしょう? それなのに、ポケモンの動かし方がとっても上手なの」
「そうそう! ただ強い技を使わせるだけじゃないのよね。相手の動きを見て、地形を利用して、ポケモンの得意なことを引き出している感じ」
「しかも、ポケモンが疲れてきたら、ちゃんと休ませているみたいだし」
女性たちは、遠くで戦うシンヤの姿を眺めながら、口々に感想を述べていた。
シンヤは確かに、年相応の少年に見える。
時折、勝利を喜んで笑顔を見せることもあるし、ポケモンたちに話しかける様子にも、子供らしい素直さがあった。
しかし――。
「なのに、バトルになると急にかっこよくなるのよね」
「わかるわ! 相手が強くても慌てないし、ポケモンのことをちゃんと見ているし……」
「負けそうになっても、すぐに諦める感じがしないのよね。あの落ち着き、どこから来るのかしら?」
「私、ああいう男の子って好きかも」
「えっ、あなた彼氏いないからって、もう目をつけたの?」
「だ、だって! あんなに一生懸命で、ポケモンにも優しくて、しかもかっこいいのよ? いいじゃない!」
「ふふっ。確かに、将来が楽しみな男の子よねぇ」
そんな会話が続く中――。
「……」
レンは、黙ってシンヤの姿を見つめていた。
最初は、ただ一緒に旅をすることになった仲間として、彼の活躍を誇らしく思っていた。
オツキミ山では自分が怖がらないように気遣ってくれた。
ピッピたちのお月見の踊りを一緒に見届けてくれた。
ハナダシティまで来る道中も、彼と一緒なら退屈する暇がなかった。
そして今も、シンヤは自分のポケモンだけでなく、家に預けている仲間たちまで大切にしながら、100人もの挑戦者に立ち向かっている。
――うん。シンヤって、やっぱりすごいわよね。
そう思う。
そう思うのだけれど。
「……私も、そう思うわ」
レンは小さく頷いた。
「でしょう? あの子、いいわよねぇ!」
「ねえ、まだ彼女はいないのかしら?」
「さあ? 少なくとも、今のところ一緒にいるのは、あの可愛い女の子だけよね」
「えっ、あの子? あの、まるでお人形みたいな女の子?」
「そうそう。紫色の髪の、フリルいっぱいの服を着た子。あの子も可愛いわよねぇ」
「でも、二人ともまだ子供でしょう? 今すぐどうこうっていう話でもないんじゃない?」
「それはそうだけど……あんな男の子と一緒に旅ができるなんて、ちょっとうらやましいわ」
「私が十歳に戻れるなら、ああいう子と旅をしてみたいわねぇ」
「わかる~~!」
女性たちの笑い声が響く。
レンも、いつものように微笑もうとした。
けれど――。
「……っ」
胸の奥に、何かがちくりと刺さった。
ほんの小さな痛み。
けれど、一度意識してしまうと、なぜか気になって仕方がない。
(……あら?)
レンはそっと胸元に手を当てた。
(今の、何かしら?)
シンヤが褒められるのは嬉しい。
彼がかっこいいと言われるのも、当然だと思う。
実際、レンだって彼のことを頼もしいと思っている。
なのに――。
(どうして、少しだけ嫌な気持ちになったのかしら?)
別に、シンヤが誰かに褒められたからといって、困ることなど何もないはずだ。
むしろ、自分が認めている人が周囲からも評価されるのは、喜ばしいことではないだろうか。
それなのに。
「私が十歳に戻れるなら、あの子と旅をしたいわねぇ」
先ほどの女性の言葉を思い出すと、胸の奥がまた、ちくりとした。
(…………)
レンは無意識のうちに、シンヤの姿を目で追っていた。
ちょうどその時、シンヤが対戦相手のポケモンを倒し、自分のポケモンを労うように頭を撫でていた。
その表情は、戦っている時の鋭さとは違う、優しい笑顔だった。
(……あ)
レンは、思わず見入ってしまった。
(……あの顔、好き)
そこまで考えて――。
(…………え?)
レンの思考が止まった。
好き?
今、自分は何を考えたのだろう。
いやいやいや。
別に、そういう意味ではない。
きっと、ポケモンに優しいところが好きだという意味だ。
そうに違いない。
……たぶん。
「ねえ、レンちゃん?」
「……えっ?」
不意に声をかけられ、レンはびくりと肩を震わせた。
隣にいた、彼氏持ちの女性が不思議そうに顔を覗き込んでいる。
「どうかしたの?」
「な、何でもないわよ?」
レンはいつもの調子を取り戻そうと、にっこり微笑んだ。
「ふふっ。私が何か考え事をしていたように見えたのかしら?」
「ええ。ずっと何か考えているみたいだったから」
「気のせいよ。私はただ、シンヤのバトルを見ていただけだもの」
そう言いながら、レンは視線を再びシンヤへと向けた。
――しまった。
女性は、その視線を見逃さなかった。
レンの顔。
レンの目。
そして、その視線の先にいる少年。
女性は二人を交互に見て、数秒ほど考えた後――。
ぽん、と手を打った。
「なるほど!」
「……?」
「彼氏の心配ね!」
「ち、違うわよぉ?!」
レンの頬が、一瞬にして真っ赤に染まった。
「ふふふっ。あら、違ったかしら?」
「違うったら! シンヤはただの旅の仲間よ!」
「ただの旅の仲間、ねぇ?」
女性は、にんまりと笑った。
「ええ、そうよ! 私たちは一緒に旅をしているだけで……」
「じゃあ、どうしてそんなに顔が赤いのかしら?」
「そ、それは……!」
「どうして、さっきから彼のことを目で追っているのかしらねぇ?」
「~~~~っ!」
レンの口が、ぱくぱくと動いた。
いつもなら、相手の反応を見ながら巧みに言葉を返し、少し意地悪な笑顔で相手をからかう側だ。
それなのに、今はどうだろう。
顔を真っ赤にして、言葉に詰まり、目を泳がせている。
「あ、あう……!」
「きゃあっ! 何、この子、可愛すぎるんだけど!」
「普段はあんなにおすまししているのに!」
「お人形さんみたいな子が、恋の話でこんなに慌てちゃうなんて!」
「ち、違うって言っているでしょう?!」
レンは必死に反論した。
しかし、反論すればするほど、女性たちの顔には笑みが広がっていく。
そしてついに――。
「はいはい。わかったわかった」
女性は、レンの頭を優しく撫でた。
「まだ自分でもよくわからないのよね?」
「…………」
レンは答えられなかった。
その沈黙が、女性には何よりの返事に見えたらしい。
彼女は少しだけ表情を和らげ、レンの目を覗き込んだ。
「ねえ、レンちゃん」
「……何かしら?」
「自分の気持ちに気づいていないなら、今は仕方のないことよ。でもね――」
女性は、遠くで次の挑戦者と向き合うシンヤを見た。
「あまりのんびりしていると、取り返しのつかないことになるかもしれないわよ?」
「……え?」
レンの表情から、笑みが消えた。
「それは、どういう意味……?」
「女の子が恋を自覚してから告白するまでの時間って、人によって全然違うのよ。すぐに気持ちを伝える子もいれば、ずっと悩んでしまう子もいるわ」
女性は、あくまで優しい口調で続けた。
「でもね。好きになった相手に何も伝えないままでいたら、いつの間にか別の女の子が告白して、そのまま付き合うことになっちゃった……なんてこともあるの」
「…………!」
レンは固まった。
別の女の子。
シンヤに告白する女の子。
シンヤが、その女の子と一緒に旅をするようになったら?
一緒に笑って。
一緒に食事をして。
自分に向けてくれていた、あの優しい笑顔を――別の女の子に向けるようになったら?
(…………)
想像してしまった。
そして。
(…………いや)
胸の奥が、先ほどよりも強く締めつけられた。
(……それは、嫌)
レンは、自分の胸元をぎゅっと握りしめた。
なぜ嫌なのか。
どうして、そんなことを想像しただけで胸が苦しくなるのか。
自分でも、まだわからない。
けれど、ひとつだけはっきりしていることがあった。
――シンヤが、誰か別の女の子と特別な関係になる。
それを考えただけで、どうしようもなく落ち着かなくなるのだ。
「そうね~~」
別の女性が、会話に加わった。
「男の子って、意外と単純なところもあるのよねぇ。自分の好みにぴったりの可愛い子に告白されたら、急にその子を意識し始めることだってあるんだから」
「そうそう。もちろん、人によるけどね」
「だから、好きになったら絶対に告白しなさい、なんて言うつもりはないわ。あなたたちくらいの年齢なら、焦る必要はないもの」
最初の女性は、レンの手をそっと握った。
「ただね。一緒にいたいと思うなら、その気持ちは素直に言葉にして伝えることも大切よ」
「……言葉に?」
「ええ。『あなたと一緒にいると楽しい』とか、『これからも一緒に旅をしたい』とか。そういう気持ちを伝えるだけでも、相手はあなたを意識するようになるかもしれないでしょう?」
「そ、それは……」
レンは、シンヤと一緒に旅をすることになった時のことを思い出した。
自分から、これからも一緒に旅をしたいと伝えた。
シンヤは驚きながらも、笑って了承してくれた。
――あの時、自分は何を思っていたのだろう。
単純に、一緒にいると楽しいから。
珍しい冒険に出会えるから。
怖い場所でも、彼がいれば心強いから。
それだけだと思っていた。
でも、それだけだったのだろうか。
「それと、もうひとつ!」
女性は人差し指を立て、いたずらっぽく笑った。
「相手に自分を意識してもらうことも大事よ。そうすれば、ほかの女の子が近づいてきた時だって、少しはあなたのことを思い出してくれるかもしれないでしょう?」
「なっ……!?」
レンの顔が、再び赤くなった。
「わ、私は別に、シンヤにほかの女の子が近づくのを気にしているわけでは……!」
「ふふっ。まだ誰もそんなこと、言っていないわよ?」
「~~~~っ!」
「きゃあああっ! 可愛い~~!」
ついに、別の女性がレンをぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、ちょっと! 何をするのよぉ?!」
「だって可愛いんだもの!」
「そうそう! こんなに可愛い反応を見せられたら、構いたくなっちゃうわよ!」
「は、離しなさい! 私はお人形じゃないのよ?!」
「わかっているわよぉ。ふふふっ」
女性たちの笑い声が重なる。
レンは腕の中でじたばたと抵抗したものの、周囲の女性たちはすっかり彼女を気に入ってしまったらしい。
「ねえ、レンちゃん」
「……な、何よ?」
ようやく解放されたレンは、乱れた服を整えながら、じとっと女性を睨んだ。
その仕草すら、彼女たちには可愛らしく見えてしまう。
「シンヤ君のこと、好きなの?」
「…………っ!」
今度こそ。
レンは何も言えなくなった。
口を開こうとしても、声が出ない。
否定しようとすれば、胸の奥が何かを拒むような気がする。
肯定しようとすれば、顔が熱くなってしまう。
「…………」
レンは俯いた。
自分の感情が、まだわからない。
シンヤのことは好きだ。
一緒にいると楽しいし、彼のことをもっと知りたいとも思う。
彼が自分を気遣ってくれると嬉しい。
彼が笑うと、こちらまで楽しくなる。
そして――ほかの女の子が彼を褒めると、少しだけ胸がざわつく。
その感情に、どんな名前がついているのか。
レンは、まだ知らなかった。
いや。
本当は、ほんの少しだけ気づき始めていたのかもしれない。
けれど、その答えを口にするには、まだ心の準備ができていなかった。
「……もう。皆さん、意地悪ね」
レンは、なんとかいつもの笑顔を取り戻そうとした。
「ふふっ。私をからかって、そんなに楽しいのかしら?」
「ええ、とっても!」
「即答しないでちょうだい!」
女性たちは、また楽しそうに笑った。
その輪の中で、レンは頬を膨らませながらも、何度もシンヤの姿を見てしまう。
シンヤはまだ、こちらの騒ぎに気づいていない。
目の前の挑戦者と向き合い、自分のポケモンに声をかけ、勝利を目指していた。
――彼は、知らない。
自分が100人とのバトルに挑んでいるその裏側で、同行している少女の心に、今まで知らなかった感情が芽生え始めていることを。
そしてレン自身も、まだ知らない。
この日、女性たちから浴びせられた言葉が、これからシンヤと過ごす時間の中で、何度も何度も頭をよぎることになるのを。
「…………シンヤ」
レンは、小さな声で彼の名を呼んだ。
その頬は、まだほんのりと赤い。
「……別に、誰かに取られたくないとか、そういうことじゃないんだから」
誰に言い訳しているのか、自分でもわからなかった。
ただ、そう口にしなければ、胸の奥にある気持ちが本当に形になってしまいそうだった。
「……ふんっ」
レンは顔をそらす。
けれど、数秒後には、またシンヤの姿を目で追っていた。
それを見た女性たちは、顔を見合わせ――。
「「「きゃ~~~~っ! 可愛い~~~~っ!!」」」
再びレンを抱きしめるのだった。
「だ、だから! 何度も言わせないでちょうだい~~~っ!」
――こうして。
シンヤが100人とのバトルを繰り広げていた、その傍らで。
ひとりの少女は、自分の心に芽生えたばかりの小さな感情に振り回されていた。
それは、まだ恋と呼ぶには本人の自覚が足りない、淡くて、くすぐったくて、少しだけ胸が痛む気持ち。
けれど確かに――。
レンにとって、シンヤは少しずつ「ただの旅の仲間」ではなくなり始めていたのだった。
というわけでレンsideの話でした。
ちなみにレンの手持ち達はその光景をボールから見てたので呆れていたりする。