『天雲星系・銀河の記憶』   作:DanhDu_Chronicle

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第37話 息吹が戻る

海風は、もう前ほど冷たくなかった。

ただ、湿った空気が肌を優しく撫でていく。

 

バオ・ウエンは水際に跪いていた。

両足はまだ川の中に浸かっている。

 

彼女は、もう先へ進まなかった。

 

進めないからではない。

ここから離れたくなかったからだ。

 

彼女は小さく呟く。

 

「……ここにいよう……」

 

ヴァン・ティエンは彼女によって横たえられていた。

頭は彼女の太ももに預けられている。

 

濡れきった髪が額に張り付き、顔は青白い。

 

けれど……

さっきほど冷たくはなかった。

 

バオ・ウエンは震える手で、彼の顔にかかった髪をそっと払う。

 

「……私の声、聞こえる……?」

 

返事はない。

 

ただ、かすかな呼吸だけが聞こえる。

 

彼女は、彼の手を強く握りしめた。

 

まるで、手を離した瞬間――

彼がまた消えてしまうのではないかと恐れるように。

 

「……どこにも行かないで……」

 

彼女の声は小さい。

 

けれど、強い意志がこもっていた。

 

「病院にも……誰にも渡さない……」

 

彼女は身をかがめ、額を彼の額にそっと触れさせる。

 

「……ここで目を覚まして……」

 

風が吹く。

 

その背後で、川面がかすかに揺れた。

 

バオ・ウエンの首に掛けられたペンダントが――

再び震える。

 

「……?」

 

彼女は驚いて顔を上げる。

 

青と桃色が混ざった光。

 

今度は、一瞬だけの閃光ではなかった。

 

細い光の流れがペンダントを伝い、彼女の手へと流れていく。

 

そして――

ヴァン・ティエンの手を握っている場所へ。

 

「……何……?」

 

光は、彼の身体へと広がっていった。

 

優しく。

 

温かく。

 

一拍。

 

そして――

 

「……ゴホッ……!」

 

ヴァン・ティエンの身体が、かすかに跳ねた。

 

バオ・ウエンは固まる。

 

「……あなた……?」

 

小さな咳。

 

口元から水が流れ出る。

 

途切れ途切れだった呼吸が……

少しずつ安定していく。

 

まぶたが震える。

 

そして――

ゆっくりと開いた。

 

「……う……」

 

視界はまだぼやけている。

 

焦点も合っていない。

 

「……ティエン兄ちゃん!」

 

バオ・ウエンの声が、弾ける。

 

彼女は身をかがめ、両手で彼の顔を包み込んだ。

 

「私の声、聞こえる!? ねぇ……!」

 

ヴァン・ティエンは何度か瞬きをした。

 

目の前の景色が、少しずつ鮮明になっていく。

 

そこにあったのは――

 

涙で濡れた顔。

 

「……ウエン……?」

 

掠れた、弱々しい声。

 

けれど――

確かに聞こえた。

 

バオ・ウエンは動きを止める。

 

そして、すぐに――

 

「目を覚ました……!」

 

彼女は彼を強く抱きしめた。

 

もう、涙を抑えることはできなかった。

 

身体が震える。

 

「あなた……私がどれだけ怖かったか分かる……?」

 

声が詰まる。

 

「私……あなたを失ったと思った……」

 

ヴァン・ティエンは、すぐには何も言わなかった。

 

ただそこに横たわり、頭を彼女の太ももに預けたまま――

彼女の温もりと、激しく鳴る心臓の鼓動を感じていた。

 

しばらくの沈黙。

 

そして、彼は小さく口元を上げる。

 

「……言っただろ……」

 

弱々しい声。

 

それでも、いつもの彼らしさが残っていた。

 

「……お前を……家まで連れて帰るって……」

 

バオ・ウエンは固まった。

 

そして俯く。

 

再び涙が落ちる。

 

「……バカ……」

 

彼女は彼の肩を軽く抱きしめる。

 

「次からは……あんなふうに消えないで……」

 

ヴァン・ティエンは小さく笑う。

 

だが、すぐに顔をしかめた。

 

「……痛い……」

 

「……当然よ。」

 

そう言いながらも、彼女の手は優しくなった。

 

彼女は彼を見下ろす。

 

「……まだ動ける……?」

 

ヴァン・ティエンは手を上げようとする。

 

ゆっくり。

 

重い。

 

「……とりあえず……まだ死んでない……」

 

「……そんなこと言わないで!」

 

彼女はすぐに言い返した。

 

ヴァン・ティエンは少し黙り――

やがて小さく息を吐いた。

 

彼の視線は灰色の空を通り過ぎ、背後の川へ向けられる。

 

バクダン川。

 

今は、不思議なほど静かだった。

 

「……家に帰ろう……」

 

彼が小さく言う。

 

「ダメ。まだ身体がひどく傷ついてる。ここで休んでて。」

 

バオ・ウエンはすぐに答えた。

 

ヴァン・ティエンは軽く笑う。

 

「分かった……君の言うことを聞くよ……もう少しここで休もう……」

 

バオ・ウエンの手は、まだ彼の手を強く握っていた。

 

その時――

 

ヴァン・ティエンの視線が、彼女の首に掛かったペンダントへ止まる。

 

光はもう消えている。

 

けれど……

その余韻はまだ残っていた。

 

「……そのペンダント……?」

 

バオ・ウエンは彼を見て、少し眉をひそめる。

 

「今もそれを聞くの……?」

 

ヴァン・ティエンは小さく笑う。

 

「だって……俺はただ知りたいんだ……そのペンダントが……」

 

彼女はしばらく彼を見つめる。

 

そして、ため息をついた。

 

「……分かった……じゃあ、話す……」

 

風が静かに吹く。

 

川面は静かだった。

 

「……本当は……このペンダント……」

 

彼女は言葉を止める。

 

「……昔、あなたが私にくれたものなの。」

 

ヴァン・ティエンは目を見開いた。

 

「……俺が……君に……?」

 

バオ・ウエンは、すぐには答えなかった。

 

彼女は静かに流れるバクダン川を見つめる。

 

まるで、遠い昔の何かを思い出しているように。

 

そして、再び彼を見る。

 

「……覚えてる……?」

 

「両側で髪をお団子にしていた女の子……」

 

ヴァン・ティエンは眉を寄せる。

 

「……両側で……髪を……?」

 

しばしの沈黙。

 

そして――

 

彼の頭の中に、一つの光景が閃いた。

 

小さな女の子。

 

両側で髪をお団子にしている。

 

ピンク色のワンピース。

 

川辺に立ち、彼に笑いかけている。

 

「お兄ちゃん……」

 

ヴァン・ティエンの目が大きく開く。

 

「……まさか……」

 

彼はバオ・ウエンを見る。

 

「……君が……あの女の子なのか……?」

 

バオ・ウエンは彼を見つめる。

 

その口元には、とても小さな笑み。

 

けれど、その瞳の奥には深い感情が宿っていた。

 

「……やっと……思い出してくれたんだね……」

 

海風が吹き抜ける。

 

静かに。

 

けれど今度は――

もう冷たくなかった。

 

遠くで、バクダン川の水面がかすかに揺れる。

 

ほんの少し。

 

まるで――

遠い昔の物語が、再び目を覚まし始めたかのように。

 

記憶が開かれた。

 

そして――

 

運命もまた、動き始めた。

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