『天雲星系・銀河の記憶』 作:DanhDu_Chronicle
狭い路地は真っ暗だった。
路地の入口から差し込む弱々しい黄色い街灯だけが、古びた苔むした壁を照らしている。
路地の空気が、急に冷たくなった。
ヴァン・ティエンの目の前には、黒い服を着た四つの人影。
そのうちの一人が、まだ少女を抱えている。
暗闇の中で、四人の目が赤く輝いていた。
中央に立つ男が、低く、しゃがれた声で笑う。
「さて……一人で、俺たち四人をどうやって相手する?」
ヴァン・ティエンは答えなかった。
ただ、捕らえられている少女を見つめる。
少女は怯えていた。
頬には涙が流れている。
「お兄ちゃん……助けて……」
その瞬間。
ヴァン・ティエンの目が冷たく変わった。
「……その子を放せ」
黒服の一人が鼻で笑う。
「お前、自分が誰に命令してると思ってる?」
その瞬間――
シュッ!
左側にいた黒服の男が、凄まじい速度で飛び出した。
拳が風を切り裂き、ヴァン・ティエンの頭部へ一直線に迫る。
ドンッ!
だが――
拳は空中で止まった。
ヴァン・ティエンが、その拳を片手で受け止めていた。
黒服の男の目に、驚きが浮かぶ。
「……何だと?」
ミシッ!
ヴァン・ティエンが、ほんの少しだけ力を込める。
男の手首の骨が砕けた。
「ぐああああっ!」
男が苦痛の声を上げる。
だが、反応する暇もない。
ドンッ!
ヴァン・ティエンの蹴りが横薙ぎに男を吹き飛ばす。
男の身体が石壁へ叩きつけられた。
バキバキッ!
壁に大きな亀裂が走る。
それを見た残りの三人が、すぐに散開した。
少女を抱えている男が目を細める。
「……こいつ、こんなに強かったのか」
別の一人が、奇妙な黒いナイフを取り出した。
刃からは、薄暗い赤い光が漏れている。
「だが、お前は一人だ」
三つの黒い影が、同時にヴァン・ティエンへ飛びかかった。
その動きはあまりにも速く――
もはや、残像しか見えない。
シュッ!
ナイフが首を横薙ぎにする。
シュッ!
背後から蹴りが飛んでくる。
ドンッ!
右側から拳が突き出される。
三方向から、同時に攻撃。
だが――
ヴァン・ティエンは、ほんの一歩だけ足を動かした。
ナイフが空を切る。
蹴りが身体の横を通り過ぎる。
そして、右側から飛んできた拳を――
ヴァン・ティエンは途中で掴んだ。
男が反応するより早く。
ドォン!
ヴァン・ティエンが、その身体を地面へ叩きつける。
石畳が砕け散った。
残りの二人が、その場で動きを止める。
「……あり得ない……」
少女を抱えていた男が、低く唸る。
「もういい」
その瞬間。
男の赤い瞳が、強烈な光を放った。
身体が変化し始める。
首筋には黒い血管のような筋が浮かび上がっていく。
男の声が、歪んで響いた。
「どれだけ耐えられるか……見せてもらおう」
男は少女を背後の地面へ下ろした。
そして――
シュッ!
一瞬でヴァン・ティエンへ突っ込む。
先ほどの二倍近い速度。
拳には、奇妙な赤い気流がまとわりついている。
ドォン!
拳がヴァン・ティエンの腕へ叩き込まれた。
足元の地面が大きくひび割れる。
路地全体が揺れた。
残りの二人が、その光景を見て笑う。
「当たった!」
「やったぞ!」
しかし――
土埃が晴れる。
そこには、まだヴァン・ティエンが立っていた。
腕で拳を受け止めたまま――
微動だにしていない。
その目は、恐ろしいほど冷静だった。
「……もう終わった?」
黒服の男が固まる。
「……そんな……」
ヴァン・ティエンは小さく息を吐いた。
首にかかった十字架のペンダントが、淡い光を放つ。
「俺は……ここで戦いたくないんだ」
そう言って――
ヴァン・ティエンは、ゆっくりと手に力を込めた。
ミシッ!
男の腕の骨が砕ける。
「ぐああああっ!」
その瞬間。
ドォン!
ヴァン・ティエンの拳が、男の腹へ真正面から叩き込まれた。
男の身体が吹き飛ぶ。
そのまま路地の奥の壁を突き破った。
レンガと石が砕け散る。
男は瓦礫の中から、ゆっくりと立ち上がった。
そして――
「……面白い」
「なら……これを使うしかないな」
男は懐から一本の注射器を取り出した。
中には、赤い液体が入っている。
男はそれを自分の腕へ突き刺した。
ブスッ!
赤い液体が身体の中へ流れ込んでいく。
すると――
身体が徐々に変化し始めた。
筋肉が膨れ上がる。
身体が一回り、また一回りと大きくなっていく。
腕も。
脚も。
異常なほど太くなっていく。
そして――
赤い瞳が、さらに凶暴な光を放った。
ヴァン・ティエンは目を細める。
「……何をした?」
答えるより早く。
男が突っ込んできた。
ドォン!
巨大な拳が、ヴァン・ティエンへ叩き込まれる。
ヴァン・ティエンは咄嗟に腕を上げて防御する。
だが――
身体ごと吹き飛ばされた。
ドォン!
背中から壁へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
口から血が吐き出される。
ヴァン・ティエンは男を見つめながら、ゆっくりと身体を起こした。
だが、黒服の男は止まらない。
再び突っ込んでくる。
ヴァン・ティエンは横へ避ける。
しかし――
「捕まえたぞ!」
男がヴァン・ティエンの脚を掴んだ。
そして――
ドォン!
地面へ叩きつける。
ドォン!
もう一度。
ドォン!
さらにもう一度。
男はヴァン・ティエンの身体を何度も地面へ叩きつけた。
そして最後に――
ブンッ!
身体を投げ飛ばす。
ヴァン・ティエンは壁へ叩きつけられた。
「ぐあっ……!」
全身に激しい痛みが走る。
男が笑った。
「どうした?」
「さっきまでの威勢はどうした?」
「もう耐えられないのか?」
ヴァン・ティエンは答えなかった。
ただ、ゆっくりと立ち上がる。
そして――
男を見つめる。
男がニヤリと笑った。
「終わりだ」
再び、男が突っ込んでくる。
拳が振り下ろされる。
ドォン!
男は勝ち誇ったように笑った。
だが――
その表情が、一瞬で変わった。
土埃の中。
男の拳を――
ヴァン・ティエンが、しっかりと掴んでいた。
首にかかった十字架のペンダントが、淡い青い光を放っている。
その光は、彼の鼓動に合わせるように明滅していた。
ドクン……
ドクン……
ヴァン・ティエンは男の目を真っ直ぐに見つめる。
そして、両手を使って――
男の身体を投げ倒した。
ドォン!
男の身体が地面へ叩きつけられる。
「ぐああっ!」
男は苦しみながら立ち上がる。
そして、再び拳を振るう。
一発。
二発。
三発。
だが――
ヴァン・ティエンは、そのすべてを簡単に避けていく。
そして最後。
男が全力で拳を振り下ろした。
ドォン!
ヴァン・ティエンは、その拳を正面から受け止めた。
その眼差しは、揺るがない。
そして――
拳を握りしめる。
ドスッ!
男の腹へ、拳を叩き込む。
「ぐっ……!」
続いて――
ドゴッ!
男の下腹部へ強烈な蹴りを叩き込んだ。
男の身体が真っ直ぐ吹き飛ぶ。
そのまま路地の奥の壁へ激突した。
ドォン!
男の身体は、その場で動かなくなった。
残りの二人が青ざめる。
「撤退だ!」
二人は振り返り、逃げようとする。
だが――
シュッ!
ヴァン・ティエンの姿が消えた。
次の瞬間。
彼は二人の目の前に立っていた。
「なっ――!」
二つの拳が、ほぼ同時に閃く。
ドスッ!
ドスッ!
二人の身体が、その場に崩れ落ちた。
路地は再び静寂に包まれた。
聞こえるのは――
少女の荒い呼吸だけ。
ヴァン・ティエンは少女へ近づく。
そして、しゃがみ込む。
優しく声をかけた。
「もう大丈夫だ」
その言葉を聞いた瞬間。
少女は大声で泣き出した。
ヴァン・ティエンは少女を抱き上げ、背中を優しく叩く。
「大丈夫だよ」
「悪い奴らは、兄ちゃんが全部追い払ったから」
「もう怖くないよ」
少女はヴァン・ティエンの胸に顔を埋め、泣き続ける。
ヴァン・ティエンは、ふと背後を見る。
倒れていた四人の黒服。
その身体が――
徐々に崩れ始めていた。
黒い粒子。
まるで分子のような黒い光の粒が、身体から溢れ出していく。
そして――
四人の身体は、空気の中へ溶けるように消えていった。
最後に残ったのは――
いくつかの砕けた石だけ。
ヴァン・ティエンは空を見上げる。
夜のハノイ。
静かな夜空に、星が浮かんでいる。
彼は心の中で呟いた。
「……これで、すべて終わったのか……?」
「それとも……」
「これは、ただの……始まりなのか」