恋姫†無双 外史・紅蓮ノ章   作:黒猫箱

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第二章『成都』

 

 

 

「……着いたか」

 

 益州・成都近郊の、とある森林。その森を流れる小さな川辺に、一人の女性が白馬を伴って現れた。

 腰元まで届く長い真紅の髪を揺らめかせ、その色にも劣らない紅い衣服を纏った彼女の姿は、誰が見ても美しいと息を呑むだろう。しかし、彼女の腰に差さる身の丈ほどもあろう長さの長刀は、彼女がただ美しいだけの女性ではなく、武人である事を十二分に示していた。

 

 名は──張仁。真名を(なつめ)

 

 ここ益州を治める太守・劉璋が誇る猛将である彼女の朝は、愛馬と共にこの川辺を訪れる事から始まるのであった。

 

「さて……」

 

 そう小さく呟き、棗は愛馬と共に川に入る。緩やかに流れる清流の冷たさが、今の季節には心地いい。

 しばらくその快感に浸っていると、隣でぶると嘶く声と、バシャバシャと水面を叩く音。

 

「フフ、分かっている。少し待て、白嵐(びゃくらん)。すぐに身体を洗ってやるからな」

 

 そう微笑んでから棗は手に持っていた藁で愛馬──白嵐の身体を擦る。すると白嵐は犬のように尾をパタパタと振り始めた。

 

「まったく、現金な奴め……まあ、可愛げはある方だが」

 

 そうしてしばらく、河の水を飲む白嵐の身体を丹念に洗っていると、不意に白嵐が何かに気付いたように首を上げた。

 

「? どうした?」

 

 訊ねたものの当然返事が返ってくるはずはなく、白嵐は棗の元を離れて駆けて行った。

 白嵐がその脚を向けたのは、対岸にいつの間にか流れ着いていた大きな“何か”。さっきまでは無かったはずのそれに鼻先を擦りつけ、棗を呼びつけるように嘶いた。

 

「一体何だというんだ……?」

 

 棗は首を傾げながら白嵐の元に向かった。段々と対岸に近づくに連れて白嵐が見つけた“何か”の正体がはっきりし、それに比例するように棗の足取りも早くなっていった。

 

「こ、これは……!?」

 

 それは人、それも子供だった。どこからか流されて来たのかずぶ濡れで、その上全身に傷を負っている少年。

 

「一体どこから……いや、今はそれどころではないか……!」

 

 棗はすぐに傷だらけの少年を川辺から引き上げ、その生死を確かめる為に彼の胸に耳を当てた。

 僅かに聞こえる、トクトクという心臓の鼓動音。少年は生きていた。しかしその鼓動は、ふとした拍子に止まってしまいそうなくらいに弱々しい。

 

「生きてはいるが、このままではマズイか……」

 

 棗が眉を潜めていると、少年の方から動きがあった。肺の水を吐き出し、大きく咳き込んだ少年は、うっすらとその目を開く。

 

「こ……こ、は……あなた、は……だれ……?」

 

「ここは益州・成都郊外の川辺だ。そして私は張仁。益州太守・劉璋様に仕える武人だ」

 

「せいと………ちょう、じん……」

 

 そう小さく呟いて、少年は再び目を閉じて気絶した。棗は少年を優しく持ち上げ、近くに控えていた白嵐を呼び寄せてその背に彼を乗せた。

 

「思ったよりも衰弱している。急いで成都に戻って紫苑に診せなくては」

 

 一軍を率いる武将でありながら医療の造詣も深い彼女ならば、きっと適切な治療を行ってくれるだろう。であれば、すぐに行動せねば。

棗はヒラリと少年を前にする形で白嵐の背に跨り、手綱を握り締めた。

 

「全速力で成都まで駆けてくれ、白嵐。だが、最大限この少年に負担をかけぬよう気を付けろ」

 

 白嵐の首に手を置いて語り掛ける棗。すると、彼女の言葉を理解したのか、白嵐は大きく嘶いた。

 

「さあ、行け!」

 

 パシンと手綱を打つ。その瞬間には、白嵐は目にも留まらぬ速さで森林を駆け抜けていた。

 広大で複雑な獣道から整備された林道に出、森を抜けてさらに荒野へと出る。そうして駆け、遠くに微かに見えて来るは、成都の街。益州太守・劉璋が治める州都である。

 

「道を開けよ! 張仁が通る!」

 

 成都に入ってすぐ、街の中央通りを駆けながら棗は叫んだ。民や商人たちは驚き、大慌てで道を開ける。少し進んだ辺りからは兵士たちによって自発的に道が開けられたので、白嵐の走らせる速度を落とす事なく棗は居城である成都城に辿り着いた。

 

「何事じゃ棗! 人の多い大通りを馬で、しかも全速力で走らせおって!」

 

 成都城に入った棗を迎えたのは、艶やかな銀髪を揺らす女性だった。

 彼女の名は厳顔、真名は桔梗。劉璋の旗揚げ時から従っている最古参の武将ある。

 

「桔梗か! ちょうど良かった、すまないが紫苑を呼んできてくれ!」

 

 慌ただしく城内に飛び込んできた棗を、一部始終を城壁の上から見ていた桔梗は咎めるような表情で詰め寄るが、棗のその言葉と、彼女が抱き抱えていた傷だらけの少年を見て態度を一変した。

 

「その童は一体……!? 何があった?」

 

「説明は後だ! すぐに紫苑を医務室に連れて来てくれ!」

 

「りょ、了解じゃっ!」

 

 慌てて走り去っていった桔梗を見送る事なく、棗も急いで医務室に向かった。医務室に着くと棗は空いている寝台に少年を寝かし、すぐに自分にできる限りの応急処置を施す。そうしていると、不意に医務室の扉が開けられ、紫色の髪をした女性が入ってきた。

 

「棗、話は桔梗から聞いたわ。その子がそう?」

 

 名は黄忠、真名は紫苑。士官時期は桔梗よりもわずかに遅いが、彼女もまた古くから劉璋に仕える宿将である。

 

「紫苑、すまないが頼めるか?」

 

「ええ、任せて……けどこの子、一体どこで見つけて来たの?」

 

 棗の頼みに頷いて、すぐに少年の手当てを開始する紫苑。それを見た棗は一安心と深く息を吐き、紫苑に事の顛末を話した。

 

「……なるほど、そんな事が」

 

「ああ、ひとまずこの事は私が後で蘇芳(すおう)様に報告して──」

 

「──その必要はない」

 

 棗の言葉を遮り、突如として医務室内に響いた男性の声。その声を聞いた棗と紫苑は慌てて声の聞こえた出入り口に振り返り、声の主を確認した。

 

「蘇芳様っ!?」

 

 そこにいたのは、一人の隻腕の男。左腕の肩から先を消失し、衣服の袖をだらりと垂らす彼は、しかしそれでも確かな覇気を纏っていた。

 益州太守・劉璋。目の前に立つ己の主君の姿を確認した棗と紫苑の二人はすぐに姿勢を正して拱手の構えを取るが、劉璋はスッとそんな二人を制す。

 

「そのままでいい。大まかな事情はすでに桔梗から聞いている」

 

 と、そう言う彼の後ろでは桔梗が控えていた。

 紫苑の手当てを受けていた少年の前までやって来た劉璋は、その無残な姿を見て険しめに眉をひそめた。

 

「これは……酷いな……大丈夫なのか、紫苑?」

 

「そうですわね……衰弱はしていますが、命には別状はありませんわ。ですが……」

 

 命に別状はないと聞いた一同は安堵の息を溢すが、次いで紫苑の口から出た言葉に、その安堵が再び引き締められた。

 

「ですが……何だ?」

 

「はい……つい先程も言いましたように、この子の命には別状はありません。身体中についている痣や擦り傷も、おそらく流された時に岩や流木などに当たったためでしょう。……しかし、どうやらこの子は、ただ流されてしまっただけではないようです」

 

 そう言った後、紫苑は「見てください」とある部分を指差した。

それは、足。劉璋、棗、桔梗の三人は指されたその部分を覗き見て、途端に表情を歪めた。

 

「この傷は……」

 

「見たところ、矢傷……か?」

 

「左様ですわ、蘇芳様。この傷付き方は、どう見てもこの子が足に矢を射かけられたとしか言いようがありません」

 

「そうですな。確かに紫苑の言う通り、この童の足の傷は矢によるものです」

 

「ふむ……弓に長けている二人がそう言うのなら、そうなのだろう」

 

 とういう事は……。そこまで言って劉璋は言葉を切る。その先、彼が何を言いたいのかなど、その場にいる三人は既に理解していた。

 つまりこの少年が川に流される前──流された経緯はどうあれ──彼は何者かに矢を射かけられたという事。では、誰が射たのか……その答えもまた、劉璋たちには予想ができた。

 

「この少年は、賊に襲われた村の生き残り、か……桔梗、紫苑、二人は調査隊を編成してこの少年が流れて来た川を辿り、賊に襲われたと思しき村を探すのだ」

 

「「御意!」」

 

 劉璋の命令を二つ返事で快諾し、拱手をして部屋を出て行く桔梗と紫苑。その背を見送り、残った棗に当時についての詳しい説明を聞いていると、医務室に一人の少女が入って来た。

 

「おとうさま……」

 

「む、桜花(おうふぁ)か。どうした?」

 

 少女の名は劉循。劉璋の実の娘であり、顔立ちは劉璋に非常によく似た少女である。ちなみに、劉璋曰く「目元は母親にそっくり」だそうである。

 閑話休題。

 劉璋の問い掛けに対し、劉循は「えっと……」と言葉を濁しながら寝台に横たわる少年に目をやった。

 

「傷だらけの子供が運ばれたって、城の人たちが話していたのを聞いて……それで、その子の事が心配になって……」

 

 人差し指と人差し指を突き合わせてモジモジと独り言のように呟く劉循。劉璋はしっかりと彼女の言葉を聞き、笑みを浮かべて劉循の頭を撫でた。

 

「わざわざ見舞いに来てくれたのか。いい子だ。安心しなさい、彼は無事だ」

 

「ほ、ほんとう?」

 

「ああ、本当だとも。今はぐっすり眠っている。そうだ桜花、ならば私の代わりに彼の事を看ていてくれないか?」

 

「うん!」

 

 劉循は元気に返事をしてトテトテと少年の元へ駆け寄って行く。それを見てから劉璋は棗の肩に手を置いた。

 

「とりあえず、後は桔梗たちの報告を待つとしよう。こんな時に悪いが、私はこの後軍議に顔を出さなければならない。すまないが二人を頼む」

 

「御意」

 

 医務室を出て行った劉璋を見送り、棗は寝台に振り返った。眠る少年の枕元で、劉循は濡れた布巾で少年の額に浮かんだ汗を拭いたり乱れた着衣を直したりと、慣れた手つきで甲斐甲斐しく看病をしていた。

 それを見て、「ほほう……」と棗は感嘆。

 

「見事な手際ですね」

 

「うーん……ちょっと不恰好かもしれないけど……」

 

「いえ、そんな事ありませんよ。よくできていらっしゃいます」

 

「そ、そお? えへへ、ありがとっ」

 

「………………」

 

 えへへ〜、と恥ずかしそうに笑う劉循。その愛くるしさに張仁は表面では涼しい顔をしながら心の中では悶えた。

 劉循はその可憐な容姿と純真無垢な性格から「蜀の至宝」と老若男女問わず絶大な人気を誇っている。そんな天女のような彼女が笑い、更には恥ずかしそうに頬を染めてモジモジした日にはもう昇天してしまうほどの愛くるしさなのであるそもそも棗が劉璋に仕えているのは根源は劉循の存在があったからであって彼女がいなかったら今の張仁という人間は決して存在しなかったと言っても過言では──

 

「な、なつめ……? 鼻血が出てるよ……?」

 

「これは失礼」

 

 あまりの劉循の可愛さについ興奮してしまったようだ。主君の娘の前ではしたないと棗は己を戒める。

 

「………う、ん……」

 

「あ、起きたみたい!」

 

 しばらく少年の容態を見守りながら、訊ねられたので劉循に事のあらましを説明していると、不意に少年が小さな呻き声を上げて目を覚ました。

 

「…………ここ、は……」

 

「目が覚めたか、少年。河原でも説明したが、ここは成都。益州太守・劉璋様が治める地だ」

 

 棗が答えると、少年は視線を棗に向けた。

 

「あなたは……?」

 

 どうやら記憶が曖昧になっているらしく、少年は河原での出来事を覚えていなかった。あの時はかなり衰弱していたので無理はないだろうが。

 

「私の名は張仁、そしてこちらは劉璋様のご息女であらせられる劉循様だ」

 

「劉循よ、よろしくね! それで……あなたのお名前は?」

 

「なまえ? なまえ……えっと……り、呂翔……」

 

「字は?」

 

「…………白成」

 

「どこから来たの?」

 

「どこから………どこ………うっ!?」

 

 自分の名前まではしっかりと答えられていた少年──呂翔だったが、出生地を訊ねられた途端、苦しそうに表情を歪ませ頭を抑え出した。

 

「ご、ごめんなさい! 無理しなくてもいいよ!」

 

「ぐ、ううっ……!! わ、わからない……!」

 

「え……?」

 

「わからないないんだ……! 自分の名前以外……何も思い出せない……!」

 

「それって……」

 

「……記憶喪失か」

 

 苦しそうに唸る呂翔を抑えて落ち着かせる棗と劉循。滝のように流れる彼の汗を濡れ布巾で拭いながら痛みが和らぐのを待つ。しばらくすると痛みが無くなったのか、少年の呼吸も安定してきた。

 

「……ごめんなさい、二人に迷惑をかけてしまって」

 

「ううん。わたしこそ、起きたばかりなのにいろいろ聞いちゃってごめんなさい。あなたのことが心配だったから、つい……」

 

 申し訳なさそうに謝る呂翔に対し、劉循もペコリと頭を下げる。そんな彼女の姿を見て一瞬面食らった呂翔は、しかし次の瞬間小さく笑って、

 

「──ぁ……」

 

 或いはそれは、彼の癖なのかもしれないと棗は分析した。小さく笑った彼の手はごく自然に、まるでいつもやっているかのように軽やかな動きで劉循の頭を撫でていた。

 

「ありがとう。君は優しいんだね」

 

「〜〜〜〜〜っ!?」

 

 優しい動きで劉循の頭上を動く呂翔の手。劉循は顔を赤くするが、彼の手を払うことはせずに身を任せていた。何故だろう。彼の手の感触は、まるで父──劉璋に撫でられている時のような心地良さがあった。

 だが、

 

「……えっ?」

 

「………っ!?」

 

 二人は、その異変に気が付いた。

 笑顔で劉循の頭を撫でる呂翔。その目から一筋の涙が流れていた。

 

「あなた……どうして、泣いているの……?」

 

「え──」

 

 劉循に指摘され、呂翔は初めて自分が泣いている事に気が付いた。目尻に指を這わせ、涙を拭う。それが合図であるかのように、次の瞬間にはポロポロと大粒の涙が溢れ始めた。

 

「あ、あれ? なんで……なんで俺、泣いているんだろう……?」

 

 可笑しいなと笑いながら懸命に涙を拭くが、拭けば拭くほど涙は彼の目から溢れていった。

 

「何も覚えてないはずなのに……なんで、こんなに……悲しいんだろう……?」

 

 “悲しみ”……それが、呂翔に涙を流させる原因だった。

 川に流される前に何があったのか、呂翔は何一つ覚えていない。しかし、呂翔の“心”は覚えていた。己の悲惨で残酷な体験を。だから悲しかった。

 

「──大丈夫っ!」

 

 しかし、そんな悲しみを包み込み癒す者がここにいた。涙を流して困惑する呂翔を、劉循は優しく抱き締めた。

 

「大丈夫、あなたは一人じゃない。だって、わたしがいるもの」

 

 劉循は、まるで子をあやす母のように優しい声音で囁く。すると、消えかかっていた呂翔の瞳に、再び光が宿った。

 

「わたしだけじゃない、なつめもおとうさまもしおんもききょうも、みんなみんなあなたの側についてるわ。どんなに悲しくなっても、どんなに泣きたくなっても、こうして抱き締めてあげるから、だから……泣いてもいいんだよ?」

 

「────っ!!」

 

 そこで、とうとう呂翔は耐え切れなくなり、声を上げて泣き始めた。劉循はそんな彼をずっと抱き締めていた。

 結局のところ、どうして泣いてしまうのかは分からなかったけれど。

 この涙と共に彼の悲しみも流れてしまえばいいと祈りながら、棗もまた劉循と同じように悲しみを少しでも癒す為に、呂翔を抱き締めるのだった。

 





投稿したはいいものの、最近スランプ気味で自信が無いので、おかしいな、変だな、と思ったところまたは誤字脱字等ございましたらどんどん感想として送ってください。修正致します。

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