覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録 作:フリッツⅩ
今後増えたら嬉しいです。
明日は人里へ出て、頼まれていた品物を届ける予定らしく、帰りには米や味噌を買い足し、時間があれば親類の家にも顔を出すつもりだと、父は母に伝えていた。
「今度は早めに帰ってきてくださいね。日が暮れてから川沿いを歩くのは、あまり気持ちのいいものではありませんから」
そう言いながら、母は俊宏の椀に煮物を取り分けた。
父は苦笑しつつ、昼過ぎには用事を済ませるつもりだと答えると、俊宏は箸を止めて二人を見上げた。
「お父さん、僕も人里に行きたい!」
両親は顔を見合わせてから、そろって穏やかな笑みを浮かべた。
「いいぞぉ」
「それなら、私も一緒に行きましょうか」
二人の返事を聞き、俊宏は明日の外出が楽しみになった。
魚の骨を丁寧に取り除きながら、買い物の帰りに何か甘いものを買ってもらえないかと思案する。
人里の店先には、ときどき普段の食事では口にできない菓子が並んでおり、明日はそれを買ってもらえるかもしれないと期待していた。
俊宏たちの家は、人里から離れた川辺に建っていた。
茅葺き屋根の小さな一軒家で、壁にはところどころ隙間があり、冬になれば冷たい風が吹き込んでくる。
庭と呼ぶには狭い土地には母が手入れする畑があり、その向こうには川へ降りる細道が続いていた。
父の稼業は、小さな畑を耕して作物を育てることだった。
季節ごとに収穫した野菜や穀物は、まず家族の食卓に回し、余った分を人里へ運んで売っていた。
また、川の近くで暮らしているため、折に触れて魚を捕り、食料にすることもあった。
農作業の手が空く時期には、川辺で荷物を運ぶ仕事なども請け負い、わずかな収入を補っていたのである。
裕福とは言えない暮らしだったが、父は畑と川から得られるものを大切にしながら、家族が困窮しないよう働いていた。
人里の中に住まいを構えるだけの蓄えはなく、父の畑も、魚を捕る川も、この土地を離れれば失うことになる。
住居を確保する費用に加えて、生業を一から立て直す余裕も必要だったため、危険を承知していても、簡単には移り住めなかったのだ。
両親は、森際で暮らすことの危険を知らなかったわけではない。
日が暮れる前に帰ることや、森の奥から妙な音が聞こえても近づかないことは、二人が昔から守ってきた心得だった。
それでも、危険を知っていることと、危険な場所から離れられることは別であり、家族の生活を守るためには、慣れ親しんだ土地で働き続ける必要があったのである。
俊宏にとって、朝早くから仕事に出かけ、夕方には疲れた顔で帰ってくる父の姿は、家族の穏やかな日常を支える見慣れた光景だった。
両親がどれほど苦労して暮らしを成り立たせているのか、幼い彼はまだ十分に理解していなかったが、二人が自分を大切にしてくれていることだけは、日々の暮らしの中で感じ取っていた。
食事が終わると、父は翌日の荷物を確かめるために土間へ下り、母は食器を片づけ始めた。
俊宏も手伝おうとしたものの、まだ子供に任せられる仕事は少なく、結局、母に頭を撫でられながら先に寝るよう促されてしまう。
明日の外出を楽しみにしながら、彼は言われたとおり寝床へ向かった。
寝床に入った俊宏は、いつものように天井を眺めていた。
茅葺き屋根の内側には補修に使った木材が何本も渡されており、その並びをぼんやり見つめていると、説明のつかない懐かしさを覚えることがあった。
自分が今まで暮らしてきた家を懐かしく思うのは当たり前のはずなのに、ときおり、それとは別の場所を思い出しかけているような感覚が胸をよぎるのである。
俊宏には、ときおり不思議な夢を見る癖があった。
夢の中には、夜になっても昼間のように明るい街が広がり、道を走る鉄の箱や、手のひらほどの機械を見つめる人々、壁に映し出される映像など、この世界では見たことのない光景が次々と現れる。
時には、画面いっぱいに広がる光の弾や、空を飛ぶ少女たちの姿が混じることもあったが、それらが何を意味するのか、幼い彼には分からなかった。
目を覚ましたあとも、夢の断片は頭の隅に残っていた。
しかし、どこにある何なのか、なぜ懐かしく感じるのか、彼自身にも説明できない。
現実の家や家族とは異なる風景が脳裏をよぎることに不思議さを覚えながらも、俊宏はそれらを少し変わった夢として受け止め、再び眠りにつくのだった。
――
―
――
翌朝、父は夜明けとともに起き出し、母は弁当の用意を始めた。
俊宏も普段より早く目を覚まし、二人の手伝いをしながら、今日の買い物についてあれこれと尋ねていた。
母は必要な品を忘れないよう指折り数え、父は届ける荷物を背負い直すなど、家の中ではいつもと変わらない朝の支度が進んでいた。
人里までは、それなりに歩かなければならない。
三人は道すがら畑の様子や川の水量について話しながら進み、日が高くなるころには人里へ着いた。
俊宏は見慣れた道を抜けて町並みが広がる場所へ入ると、家の近くではあまり目にすることのない人々や店先の様子に、自然と視線を巡らせていた。
人里の入口を抜けると、踏み固められた土の道の両側に、木造の家々が軒を連ねていた。
瓦葺きの屋根もあれば、茅葺きの屋根もあり、大きな店の軒先には木の看板が掲げられ、入口には色褪せた暖簾が揺れている。
通りから一本外れた路地には低い板塀に囲まれた家が並び、その向こうでは、庭先に張った縄へ洗濯物を干す女の姿も見られた。
店先には籠に盛られた野菜や、縄で束ねた薪、竹細工の道具などが並んでいた。
反物を扱う店では、店員が布を広げて客に見せ、軒下に吊るされた干し魚は通りを吹き抜ける風に揺れている。
米屋の店頭では商人が升を使って米を量り、客は手元の銭を確かめながら必要な量を相談していた。
通りを行き交う人々の多くは、木綿や麻の着物を身につけていた。
農作業を終えたらしい男たちは袖をたすきで留め、裾をからげて歩き、荷を運ぶ者は脚絆を巻いて草鞋を履いている。
買い物に出てきた女たちは着物の上に前掛けをつけ、手に提げた籠を覗き込みながら店先を回っていた。
商家の者たちは客を呼び止め、道端では荷を担いだ男たちが互いに声を掛け合っていた。
少し離れた寺子屋からは子供たちのはしゃぐ声が響き、粗末な着物を着た少年たちが布袋や木の筆箱を抱えながら、友人と肩をぶつけ合うように通りを駆け抜けていく。
誰かが叱る声が聞こえたかと思えば、別の場所では、それを見ていた大人たちが呆れたような笑い声を漏らしていた。
さまざまな声が重なり、通りには絶えず人の気配があった。
店先から聞こえる値段交渉、荷車の車輪が土を踏む音、どこかの家から響く木槌の音が混じり合い、その合間には茶屋から漏れる笑い声や、商人の威勢のよい呼び声が聞こえてくる。
人々はそれぞれの用事を抱えて歩いているが、誰もが自分の生活を営むことに慣れているらしく、通りの賑わいには落ち着いた日常の空気が漂っていた。
風に乗って漂ってくるのは、炊きたての米や味噌汁の匂いだけではなかった。
店先で焼かれる餅の香ばしさや、醤油や味噌の濃い香り、軒下に吊るされた干し魚の匂いに、薪を燃やす煙と日差しを浴びた土の匂いが重なっている。
俊宏にとって、人里は買い物をする場所であると同時に、人々が働き、食事を用意し、家族や友人と顔を合わせながら暮らしている場所でもあった。
父は頼まれていた品物を届けに向かい、母は店先で米や味噌、油を選び始めた。
俊宏は母のそばを離れないようにしながら、籠いっぱいの野菜を運ぶ男や、反物を手に取り色合いを確かめる女、店先で菓子を買って嬉しそうに頬張る子供などを眺めていた。
甘い匂いが漂ってくるたびに、俊宏はそちらへ目を向けずにはいられず、母に気づかれて小さく笑われる。
「帰りに時間があったら、何か甘いものを買ってあげるわ」
「買い物が早く終わったら、本当に何か甘いものを買ってもらえるの?」
「ええ。でも、ちゃんと買い物が終わってからにしましょうね」
母の言葉に俊宏は嬉しそうに頷き、買い物が終わるのを心待ちにした。
通りの向こう、道が少し広くなった場所には、龍神を祀る石像が立っていた。
人里の者なら誰もが知る像で、買い物帰りに手を合わせる者もいれば、眼の色を確かめて空模様を占う者もいる。
その日の眼は、晴れを示す白でも雨を示す青でもなく、濁った赤に染まっていた。近くで籠を置いた老人がそれに気づき、傍らで商いをしていた男へ声をかけている。
「今日は赤いね。天気が読めないということかい」
「さあな。妙なことが起きるときにも、ああなるらしいが」
老人は首を傾げたものの、いつまでも像を見ているわけにはいかなかった。
商人も話を切り上げ、二人はそれぞれの仕事へ戻っていく。
母が買い物の続きを始めたため、俊宏もすぐにそちらへ意識を戻し、帰りに甘いものを買ってもらう算段を続けていた。
しかし、昼過ぎには用事が済むはずだったものの、父の届け先で話が長引き、買い物にも予想以上の時間がかかってしまった。
さらに親類の家にも立ち寄ったため、三人が帰路についたころには、西の空が赤みを帯び始めていた。
「少し急ごう。陽が落ちる前に家へ戻りたい」
父は背負った荷物の位置を直し、母も頷いて俊宏の手を取った。
彼らの家は人里の中にはなく、人の行き来が少なくなった道を抜け、川沿いの細い道をさらに進まなければならない。
両親にとっては何度も通ったなじみ深い帰り道だったが、森際を通る以上、日暮れ前に抜けることは欠かせなかった。
森の奥から妙な音が聞こえても近づかず、何か気配を感じたら立ち止まらずに歩き続ける。それは、両親が昔から守ってきた心得だった。
危険な場所を避けることが大切なのは分かっていても、生活のために働く場所と住まいがそこにある以上、毎日の暮らしから危険を完全に遠ざけることは難しかったのである。
帰り道の半ばを過ぎたころ、母がふと足を止めた。
「今、何か聞こえませんでしたか」
父も歩みを緩め、周囲に耳を澄ませると、川音に混じって森の奥から何かを引きずるような音が聞こえてきた。
獣の足音にしては重く、風に揺れる枝の音とも違っていたため、父はしばらく森の方を窺ってから、母に帰りを急ぐよう促す。
「何かの獣かもしれない。早く行こう」
母は俊宏の手を握り直し、彼が遅れないよう歩調を合わせた。
俊宏は頷いたものの、森の奥から聞こえてきた音が頭から離れず、何かがこちらを見ているような気配まで感じていた。
やがて川のせせらぎが不意に遠のいたかと思うと、草むらを踏み分ける音がすぐ近くで鳴り始める。
父が振り返るより早く、森の陰から黒い影が飛び出してきた。
獣のような輪郭をしているのに四つ足ではなく、人間にも見える一方で、手足は不自然に長く、首もあり得ない角度に曲がっている。
顔らしき場所に並ぶ二つの目の奥では濁った光が揺れており、俊宏には、それが自分の知るどんな生き物とも異なる存在に思えた。
少年は息をのみ、足がすくんで一歩も動けなくなった。
父は一瞬立ちすくんだものの、すぐさま母と俊宏を背後へ押しやり、手にしていた荷物を地面へ放り出すと、腰の小刀を抜き放つ。
農作業や川辺の仕事で普段から使うそれは妖怪と戦うにはあまりにも心もとないが、父は刃を構え、家族を守ろうと立ちはだかった。
「ここは俺が引き付ける。お前らは今すぐ人里へ向かって全力で走れ!」
父が叫ぶと、母は俊宏の腕を引いて来た道を戻ろうとした。
しかし、妖怪の動きはそれよりも速く、地面を蹴ったのか影そのものが滑ったのか、俊宏には見分けることすらできない。
次の瞬間には妖怪が三人のすぐ目の前まで迫り、父が小刀を振るうと、刃が何かに当たったような乾いた音が響いた。
だが、妖怪は怯む気配すら見せなかった。
直後、父の腕が大きく弾かれ、その身体が道の脇へ吹き飛ばされる。
背中を地面に叩きつけられた父の口から苦痛の呻きが漏れ、手を離れた小刀は道端に転がっていった。
「お父さん、しっかりしてください!」
俊宏は母の手を振りほどき、父のもとへ駆け寄ろうとしたが、その前に母が彼の肩をつかんだ。
母の顔は恐怖にこわばっていたものの、その手には息子を守ろうとする強い力がこもっており、俊宏は自分の身体が再び彼女の背後へ押し戻されるのを感じた。
「俊宏、今すぐ全力で走って、人里まで戻って!大人を呼んで、絶対に振り返らないで!」
母は俊宏の顔を両手で包むようにして目を合わせ、息子が言葉を理解したことを確かめると、力いっぱい背中を押した。
俊宏はすぐには動けなかったが、母が自分を逃がそうとしていることだけは分かった。
父のもとへ駆け寄りたい気持ちを振り切り、彼は震える足で帰り道へ走り出した。
背後では、母が妖怪に向かって声を上げていた。
彼女は俊宏を追おうとするように見えた妖怪の注意を自分へ引きつけるため、落ちていた荷物を投げつけ、さらに大きな声で呼びかけていた。
父を見捨てて逃げることはできず、かといって幼い息子まで失うわけにもいかない母にとって、自分が囮となって俊宏を遠ざけることが、残された唯一の手段だったのである。
俊宏は母の言葉どおり、振り返らずに走り続けた。
背後からは、獣の唸り声や、何かが地面に打ちつけられる音が聞こえ、ときおり母の声も混じっていたが、彼は足を止めなかった。
自分が戻れば母の行動が無駄になると、幼いながらも理解していたからだった。
やがて、母の声が途切れた。
代わりに、何かを噛み砕くような湿った音が、川音に混じって遠くから聞こえた。
俊宏は、それが何を意味するのか考えたくなかったが、頭の中では先ほどの妖怪の姿と、倒れた父、母の必死な表情が何度もよみがえっていた。
月明かりが雲間から差し込み、夜道の輪郭をかろうじて照らしていた。
俊宏は足元の石や木の根につまずきながらも、立ち止まることなく走り続ける。
森の奥から聞こえる音は距離とともに小さくなり、やがて何も聞こえなくなったが、それでも彼は母に言われたとおり、振り返らずに人里を目指した。
人里の入口にたどり着いたころには、夜はすっかり深まっていた。
俊宏は残っていた力を振り絞り、まだ行灯の灯りが見える家の戸を叩いたものの、指先が震えてうまく音を立てられない。
ようやく家人が戸を開けると、泥まみれで息を切らした少年が立っており、その姿を見た大人たちは驚いて彼を家の中へ招き入れた。
「妖怪がお父さんとお母さんを襲って、僕だけ逃げてきたんです!」
俊宏は必死に事情を伝えようとしたが、息が乱れ、言葉は途切れ途切れになっていた。
人々は彼を座らせて水を飲ませ、身体についた泥を拭いながら、どこで襲われたのかを確かめようとしたが、彼は両親がいた場所を指し示すことしかできなかった。
事情を聞いた家人はすぐに親類へ知らせを送り、俊宏は人里の住民たちに保護されることになった。
それでも、夜のうちに森際へ向かう者はいなかった。
妖怪がまだ近くにいる可能性があり、暗闇の中で不用意に動けば、助けに行った者まで襲われるおそれがあったからだ。
俊宏は温かいものを与えられ、親類の家へ移されて休むよう言われたものの、目を閉じるたびに両親の姿が浮かび、ほとんど眠ることができなかった。
――
―
――
夜が明けると、事件の知らせを受けた当代の博麗の巫女が現場の確認に向かった。
彼女は人里の周辺と川沿いの道を調べ、地面に残った血痕や乱れた草むら、引きずられたような跡を丹念に確かめていった。
父の小刀も道端で見つかり、刃には大きな傷がついていたが、肝心の両親の姿はどこにも見当たらなかった。
巫女は現場の痕跡を調べ終えると、人里へ戻り、俊宏を保護している親類や周囲の者たちに調査結果を伝えた。
俊宏もまた、布団から起き上がることはできずとも、部屋の中で交わされる話に耳を傾けていた。
目の前にいる巫女は、自分と同じ人間でありながら妖怪退治を担う者として落ち着いた態度を崩さず、状況を一つずつ説明していた。
「現場には二人の遺体が残っていませんでした。血痕や衣服の裂け方、森の方へ続く跡を見る限り、人を喰らう妖怪に襲われた可能性が高いでしょう」
巫女はそう述べ、父が携えていた小刀を卓の上に置いた。
刃の損傷や周囲の足跡からは、父が抵抗した形跡がうかがえた一方、母が道の中央付近で妖怪の注意を引きつけるように動いた痕跡も残っていたという。
両親がその場で命を落とし、遺体を妖怪に食べられたと考えるのが、現時点では最も自然な見立てだった。
「お父さんとお母さんは、何も悪いことをしていないのに食べられたのですか?」
俊宏がかすれた声で尋ねると、巫女はしばらく言葉を選ぶように沈黙した。
彼女は、襲撃の正確な経緯まで目撃したわけではなく、今述べていることは現場の痕跡から導いた推測にすぎないと前置きしてから、森際で人を捕食する妖怪に遭遇したのだろうと説明した。
両親が妖怪を挑発した証拠はなく、暗くなりかけた道を歩いていた一家が、餌を探していた妖怪に見つかったと考えるのが妥当だった。
「お母さんは、あなたを逃がすために自分が囮になったのでしょう。小さな足跡は人里の方へ続いていましたが、妖怪がそのあとを追った形跡は見つかりませんでした」
巫女は、母が声や動きで妖怪の注意を自分に向けている間に、俊宏が十分な距離を稼いだのだろうと推測した。
あの妖怪は、目の前で捕らえた人間をその場で食べる性質が強く、逃げる者を執拗に追跡するより、手近な獲物を優先した可能性があるという。
確かなことは分からないが、母が注意を引きつけ、俊宏が振り返らずに人里まで走り切ったことが、生き残った理由として考えられた。
「つまり、僕が逃げられたのは、お母さんが僕を守るために残ってくれたからなのですか?」
巫女は俊宏の問いに頷き、少なくとも現場の痕跡からは、母が息子を逃がそうと行動したと考えられると答えた。
妖怪が俊宏を特別に見逃したのではなく、母が囮となって注意を引き、逃げた俊宏が人里まで距離を取ったことで、追跡を免れたのだろう。
彼女は最後に、妖怪の正体まではまだ特定できていないものの、同じような被害が続かないよう周辺の調査を続けると伝えた。
――
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俊宏は布団の中で、卓の上に置かれた父の小刀を見つめていた。
両親の姿がどこにもないことは、彼らが本当に戻ってこないという現実を突きつけていたが、母が自分を逃がすために囮となったという説明は、昨夜の記憶をさらに鮮明にした。
恐怖で頭の中がいっぱいだったはずなのに、今になって、母が自分を押し出した手の感触や、振り返るなと叫んだ声が、何度もよみがえってくる。
そのとき、巫女が自分を「博麗の巫女」と名乗ったことが、俊宏の記憶の奥に引っかかった。
紅白の巫女服を着た少女や、黒い魔法使いの帽子をかぶった少女、境界を操る妖怪など、これまで夢の中にしか現れなかった光景が、ばらばらの断片ではなくなっていく。
前世で知っていた東方Projectの世界、そこに登場する人物たち、そして幻想郷という名前が、ようやく一つにつながったのである。
彼は、自分が転生していたことを初めて明確に理解した。
しかし、その認識は単に前世の知識を思い出したというだけでは終わらなかった。
物語として知っていた妖怪は、父と母を食べた現実の存在であり、幻想郷の危険性は、画面の向こうにあった設定ではなく、自分が生きる世界の問題となっていた。
人間の里があり、妖怪の山があり、博麗大結界が外界と幻想郷を隔てている。
人間より強い妖怪が人里の外を徘徊し、普通の人間には抵抗する力がない。
前世で知っていた設定の一つひとつが、昨夜の出来事と結びつき、俊宏にとって別の意味を持ち始めていた。
人里が比較的安全に保たれていることは、そこに暮らす人々にとって大切なことなのだろう。
しかし、そこから離れて暮らす人間まで守られるわけではなく、危険な場所から離れるだけの余裕がなければ、日々の生活を維持するために危険を引き受けなければならない。
両親は危険を知らずに森際で暮らしていたのではなく、畑と川で家族を養うため、できる範囲で注意を払いながら生活を続けていただけだった。
それでも、妖怪に遭遇すれば、積み重ねてきた努力も、家族と過ごしてきた時間も、あっけなく奪われてしまう。
残された人々にできるのは、危険な場所を避ける心得を伝え、同じような被害が起きないよう注意を促すことくらいであり、普通の人間が自分たちの力だけで状況を変えることは難しかった。
俊宏はその現実を、前世の知識を取り戻したことで、かえって冷静に理解できるようになっていた。
彼の中で、恐怖は次第に怒りへと形を変えていく。
家族を食べた妖怪への憎しみは消えなかったが、それだけを仇として倒しても、人間が妖怪に脅かされる現実そのものは残る。
人間の弱さを前提に成り立つ幻想郷の秩序、人間が安全に暮らすために妖怪側の仕組みに依存しなければならない社会、そして、その現実を当然のものとして受け入れることを求められる世界が、俊宏には許せなかった。
巫女が調査のために持ち帰った父の小刀を手に取ると、俊宏は使い込まれた柄を強く握りしめた。
刃は傷ついていたが、父が最後まで抵抗しようとしたことを示す唯一の品だった。
彼はそれを手放さず、両親が自分を守ろうとしてくれた事実だけは、決して忘れまいと心に刻んだ。
俊宏はまだ七歳であり、妖怪と戦う力も、幻想郷を変える力も持っていない。
自分が何をすべきなのか、そのすべてが分かっているわけでもなかったが、この世界を当然のものとして受け入れ、ただ怯えて生きていくことだけは、もうできなかった。
まずは幻想郷から脱出する方法を探し、外の世界でこの世界の仕組みを見つめ直し、妖怪に対抗するための知識と力を得る必要があると考えたのである。
その先にある目標は、家族を食べた妖怪への復讐だけではなかった。
危険を避けたくても避けられない人間がいて、自分たちの暮らしを守るために働いても、その日常を妖怪の力一つで奪われてしまう。
そうした理不尽を当たり前のものとして受け入れなくて済むように、人間を妖怪の支配から解放することが、俊宏の生きる目的になろうとしていた。
目の前の現実に抗う術はまだなくとも、それを当然のものとして受け入れないという決意だけは、俊宏の心に刻まれていた。
前世の記憶を持つ少年は、家族の死によって、自分が転生した世界の正体と、その世界で人間として生きることの意味を知ったのである。
かくして、井深俊宏の復讐が始まるのであった。
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