覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録 作:フリッツⅩ
三人目の失踪からしばらく経ち、井深俊宏は、他人の行方を追うことよりも、自分が幻想郷から脱出するための準備に力を注ぐようになっていた。
二十五歳になった彼に残された時間は、まだ五年ほどあるが、博麗神社で外来人として扱われるという計画には、服装や振る舞いを含めて整えなければならない要素が多い。
幻想郷生まれの人間であることを悟られずに霊夢へ接触し、通常の帰還対象として送り出してもらうには、相手が疑問を抱きにくい姿を用意する必要があった。
境界を操る力はなくても、自分の外見や言動なら工夫できる余地があると考えた俊宏は、外界から流れ着いた衣服や道具について知るため、人里でも品揃えの豊富な霧雨店へ足を運ぶことにした。
霧雨店は、人里で長く商いを続けている大手の道具店で、農具から日用品、職人が使う道具まで幅広く取り扱っていた。
店の中には使い込まれた品が整然と並ぶ一方、用途をすぐには判断できない珍しい物も置かれており、客の求めに応じて店主や奉公人が品物を探し出してくれる。
俊宏が訪れた日、店先では何人かの客が店主と話しており、奥の棚では、若い男が品物を一つずつ確かめながら帳面に記録していた。
彼が森近霖之助だと知ったのは、店の者から、外来の品物に詳しい修業人として紹介されたときだった。
霖之助は、俊宏が持参した農具の部品を受け取り、傷んだ箇所を確かめながら、交換すべき部品と修理に使える材料について説明した。
受け答えは落ち着いており、必要なことだけを話す一方で、品物の構造に関する説明になると、細部まで言葉を尽くす。
俊宏が代金を払って部品を受け取ると、霖之助はそれを脇へ置き、今度は店先に積まれた商品の整理へ戻ろうとした。
そのとき、俊宏は奥の棚に、見慣れない黒い上着が畳まれているのに気づいた。
「その上着は、どこから仕入れたものなんですか」
俊宏が尋ねると、霖之助は手を止め、棚の品へ目を向けた。
「仕入れたというより、流れ着いた品だね。外の世界から来た物らしいが、持ち主がどこの誰だったのかまでは分からない。衣服そのものは珍しくないけれど、こちらで作られる物とは仕立てが違うようだ」
霖之助は上着を取り出し、布地の手触りや縫い目を確かめながら、肩や袖の形を説明した。
見た目には単なる黒い衣服だが、襟の形や前合わせの作り、同じ布地で仕立てられたらしい下衣など、人里で一般的な着物とは異なる特徴がある。
俊宏は、前世の記憶にある背広の姿と目の前の品を重ね、これが自分の計画に必要な服装を考えるうえで参考になるかもしれないと思った。
ただし、外界由来の衣服が一着あるだけで、望みどおりの装いを整えられるわけではなかった。
「外の世界では、こういう服を着る人が多いんでしょうか」
「多いかどうかは、僕にも断言できないね。外の世界といっても、地域や時代が違えば衣服も違うだろうし、この品を見ただけで向こうの人々の暮らしまで分かるわけではない。僕の能力は道具の名前と用途が分かる程度で、そこから先の事情まで教えてくれるものではないからね」
霖之助は上着を持ち上げ、裏地の縫い目を確かめた。
俊宏は、彼の能力が品物の名前と用途を知るものであっても、その使われ方や社会的な意味まで自動的に理解できるわけではないことを改めて意識する。
前世の知識を持つ俊宏には、背広が外界の男性に用いられる衣服だという認識があるが、幻想郷の人間が同じ物を手にしたからといって、自然に着こなせるとは限らない。
彼に必要なのは珍しい品を一つ手に入れることではなく、外界の人間らしく見える服装を、ここで用意できる範囲から組み立てることだった。
「これと似た服を、店で注文することはできますか。仕立て方が違うのなら、作るのも難しいんでしょうか」
「形を似せるだけなら、仕立ての職人に相談する手はある。ただ、元になる見本が一着しかないのなら、同じ物を作るには寸法も縫い方も調べなければならない。見た目だけをまねればよいというものでもないし、着る人間の体格に合わなければ、かえって不自然に見えるだろうね」
霖之助の返答は、俊宏が期待していたほど簡単なものではなかったが、現実的な問題を整理するには十分だった。
既製の衣服を手に入れられる保証はなく、見本から仕立て直すとしても、必要な寸法や材料をそろえなければならない。
さらに、服装だけ整えても、着慣れていない動きや話し方が目立てば、外界から来た人物としての印象を損なう可能性がある。
俊宏は、今の段階で一式を完成させようとするのではなく、まずは外界の衣服について分かることを増やし、必要な物を少しずつ集めるべきだと判断した。
「この服は、売り物なんですか」
「そのつもりで棚に置いてある。だが、用途や状態を理解せずに買うのは勧めないね。見た目が珍しいというだけなら、もっと扱いやすい衣服はいくらでもあるだろう」
「珍しいから欲しい、というわけではありません。こういう服を着る人がいるのなら、どんなものか知っておきたいと思っただけです」
俊宏は、外界風の衣服に興味を示す理由を、珍しい品物への関心という範囲にとどめた。
霖之助は彼の顔を少し眺めたが、問い詰めるようなことはせず、上着を元の棚へ戻した。
「外の世界に興味があるのかい。人里で暮らしていれば、わざわざ見たこともない場所の服まで調べる必要はないと思うが」
「人里の外にどんな物があるのか、知っていて損はないでしょう。見慣れない道具や衣服には、こちらでは考えつかない工夫があるかもしれませんし」
「それは否定しない。外の世界から流れ着いた物には、こちらで作られた品とは違う考え方が見えることもある。ただし、珍しいという理由だけで価値があると決めるのは早計だよ。用途が分かっても、使い方を誤れば役に立たないこともあるからね」
霖之助の言葉には、品物を扱う者としての慎重さがあった。
外界の道具が流れ着くこと自体は幻想郷では知られた現象でも、それがどのような社会で使われていたのか、どの程度普及していたのかまでは、品物だけから判断できるとは限らない。
俊宏は、彼の話を聞きながら、前世の知識を持つ自分にも同じ制約があることを意識した。
記憶にある外界の姿をそのまま再現することはできず、手元にある品や人里で得られる材料を組み合わせて、実現可能な形へ落とし込む必要がある。
その日は、衣服について詳しい結論を得られたわけではなかったが、俊宏は店を訪れた当初よりも具体的な課題を把握できた。
霧雨店には、外界から流れ着いた品物が保管されており、霖之助のようにそれらを観察し、特徴を説明できる人物もいる。
彼を計画に引き込む必要はなく、店に出入りする中で品物を見て、必要な知識を得られれば、それだけで準備を進められる。
俊宏は農具の部品を持って店を出る際、次に訪れたときには別の外界由来の品も確かめてみようと考えた。
その後も俊宏は、日用品の買い足しや道具の修理など、自然な用事を作って霧雨店へ通うようになった。
毎回、外界の衣服について尋ねるのではなく、店に並ぶ道具や流れ着いた品物を眺め、霖之助が説明する内容から必要な情報を拾い集めていく。
霖之助も、彼が外界の品に関心を持っていることは覚えていたが、特別な目的があるとは考えず、問われれば分かる範囲で答えていた。
二人の間には、品物への関心を通じた接点が少しずつ生まれたものの、俊宏が幻想郷から脱出しようとしていることを知る者はいなかった。
霖之助は、外界由来の品物について詳しい一方、それらを手に入れた人間が何を考えているのかまで把握できるわけではない。
俊宏もまた、彼が持つ知識を利用しているとはいえ、すべてを聞き出そうとしたり、計画を打ち明けたりする必要はないと考えていた。
自分の目的を知る協力者を増やせば、情報が外へ漏れる可能性も高まる。
だからこそ、彼は霖之助を信頼して秘密を共有する相手とはせず、外界を知るための間接的な窓口として接し続けた。
霧雨店を訪れるたび、俊宏は少しずつ外界の衣服や道具についての理解を深めていった。
必要な品物がすぐにそろうわけではなく、外界の人間に見える姿を完成させるには、さらに時間をかけなければならない。
だが、三人の失踪を通じて確かめられなかった境界の仕組みとは異なり、服装や持ち物、話し方を整える作業ならば、自分の判断で前へ進める余地がある。
俊宏は、次の五年間で準備を完成させるため、手に入る物と得られる情報を見極めながら、計画を着実に具体化していった。