覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録 作:フリッツⅩ
道路脇に立ったまま、田中誠治は、自分が最初に何をすべきなのかを考えていた。
博麗神社を離れてから、それほど時間は経っていなかった。
振り返っても戻る道は見当たらず、目の前には見知らぬ郊外の風景が広がっている。
前世の記憶に残る日本の景色と大きく違わないことは分かったが、実際にその中へ戻ってきた今、懐かしさに浸っている余裕はなかった。
道路を走る車の音が近づき、一台の乗用車が風を巻き上げながら通り過ぎていった。
誠治は車体が遠ざかるまで目で追っていたものの、そればかり気にしていても仕方がないと思い直し、抱えていた荷物を持ち直した。
まずは人の行き来がある場所を探し、現在地を確かめる必要があった。
歩き始めて間もなく、彼は道沿いに小さな商店を見つけた。
店先には商品を並べた棚があり、ガラス越しには、店員らしい人物が何かを整理している様子が見える。
建物の造りも看板の文字も、彼が知っている現代社会の店舗と同じだった。
少なくとも、前世の記憶とは異なる世界へ来てしまったわけではないらしい。
しかし、店へ入る前に荷物を確かめると、外界で買い物をするための現金も、本人確認に使える身分証明書も持っていなかった。
幻想郷を出るために準備した衣服や身の回りの品は残っていたが、携帯電話もなく、連絡先として示せる相手の名前も思い浮かばない。
外界の暮らしを知っていることと、その社会の一員として実際に行動できることの間には、想像していた以上の隔たりがあった。
身分を確認できなければ、仕事を探すにも住む場所を借りるにも苦労するだろう。
それ以前に、現在地を調べる手段さえ、今の誠治にはなかった。
そのとき、商店から出てきた中年の男性が、道端に立つ誠治へ目を向けた。
服装と荷物を見たあと、体調を気遣うような様子で、何か困っていることがあるのかと声をかけてきた。
「先ほどから、こちらに立っているようですが、何かお困りですか。どこか具合が悪いのでしたら、店の中で休んでもらっても構いませんよ」
誠治は、相手を過度に警戒させないよう落ち着いた口調を心がけながら、道に迷って現在地が分からないこと、身分を証明するものや連絡先を持っていないことを説明した。
これからどう動けばよいのか困っていると伝えると、男性は警察に相談することを提案した。
誠治も、その判断が妥当だと考えた。
ここで一人で動き回るより、現在地を確認し、必要な手続きを教えてもらう方が確実だった。
彼は申し出を受け入れ、男性が携帯電話で連絡する様子を少し離れた場所から見守った。
画面を操作する指先や電話で話す声には、誠治がかつて知っていた日常の感覚があった。
幻想郷では見かけることのなかった道具が、この世界ではごく当たり前に使われている。
その事実に安堵する一方で、自分だけが当たり前の仕組みから取り残されていることも、彼は意識せずにはいられなかった。
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やがて警察官が到着し、誠治の体調や現在の状況について確認を始めた。
どこから来たのか、移動中に事件へ巻き込まれた覚えはないか、何かを思い出せない状態なのかと、質問は順に続いた。
誠治は、分かる範囲で答えた。
山道を歩いていたはずなのに、気づいたときには見知らぬ場所へ出ていたこと、移動の途中についてはっきりと思い出せない部分があることを伝えたのである。
幻想郷のことをそのまま話すわけにはいかず、かといって、普通に移動していて道に迷ったという説明だけで事情のすべてを説明することもできなかった。
分からない部分に細かな説明を付け足せば、かえって矛盾が増える可能性がある。
誠治は、確かなことと説明できないことを区別し、無理に答えを作らないようにした。
名前については「田中誠治」と名乗ったものの、その名前を裏付ける書類は何一つなかった。
住所や勤務先を尋ねられても、現在の日本社会で確認できる具体的な情報を示せず、家族や知人への連絡もできない。
本人の受け答えに大きな混乱は見られなかったが、申告だけでは来歴を確認できないため、警察官は体調や記憶の状態も含めて調べる必要があると判断したようだった。
誠治は、医療機関で診察を受けるという提案に従った。
移動する車の窓から、街の景色が流れていった。
住宅の並ぶ区域を抜け、信号のある交差点を曲がり、通り沿いの建物が次々と後方へ遠ざかる。
人々は仕事へ向かい、買い物をし、誰かと連絡を取りながら日常を送っていた。
誠治が思い描いていた現代社会は、確かにここで動いている。
けれども、その社会が自分を一員として受け入れてくれるとは限らなかった。
病院では、身体に明らかな外傷がないか、会話や受け答えに問題がないかといった確認が行われた。
誠治は質問に応じたが、いつ、どこから来たのかを説明できる材料がない以上、医療関係者にも状況を特定することは難しかった。
記憶が途切れている可能性も考慮され、これまでの経緯について慎重な聞き取りが行われた。
ここでもまた、誠治は幻想郷から外界へ戻るまでの出来事をそっくりそのまま説明した訳ではなかった。
妖怪が存在する世界で生まれ育ち、博麗神社を経由してこちらへ戻ってきたと話しても、相手に信じてもらえるとは思えない。
何より、今は脱出の経緯を理解してもらうことより、一刻も早く現代社会での生活を始められる状態を整える方が先だった。
彼は、必要な質問には答え、分からないことについては無理に説明を作らなかった。
その結果、身元を確認できない人物として保護され、今後の対応を相談することになったのである。
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数日後、誠治は警察と支援機関の紹介を受け、当面の生活を落ち着かせるための相談を続けていた。
すぐに仕事が見つかり、安定した住居を確保できたわけではない。
身元の確認には時間がかかり、手続きを一つ進めるにも、必要な情報を確かめるところから始める必要があった。
それでも、相談できる相手がいることは、彼にとって大きな助けになった。
幻想郷にいたころ、俊宏は外界を、現代的な道具や制度が整った場所として記憶していた。
その認識自体は間違いではない。
しかし、そうした仕組みを利用するには、社会の中で自分が誰なのかを示さなければならない。
便利な制度が存在していても、その入口にたどり着けなければ、すぐに利用できるわけではなかった。
この経験は、誠治にとって予想外の学びになった。
将来、幻想郷の人間たちが外界へ出ることになれば、彼らもまた、自分の身元や来歴を説明できない問題に直面するかもしれない。
幻想郷で暮らしていた証拠が外界の社会で通用するとは限らず、本人がどれほど正直に事情を話しても、それを裏付ける記録がない可能性がある。
生活を立て直すためには、仕事や住居を探す以前に、どこへ相談し、どのような支援につながればよいのかを知る必要があるだろう。
誠治は、自分の手続きで必要になったことを少しずつ整理していった。
身元を証明できない場合に、どこから相談を始めればよいのか。
来歴を説明できない人間が生活を立て直すには何が必要なのか。
本人の身元が確認されるまで、住まいや仕事についてどのような支援を求められるのか。
これらは、幻想郷を外界へ再接続するという長期的な目標を考えるうえで、無視できない問題だった。
脱出の準備をしていたころは、まず幻想郷を出なければ何も始まらないと考えていた。
けれども、実際に外界へ来た今、単に名前を用意するだけでは生活を築けないことが分かった。
必要なのは、目の前の問題を一つずつ解決し、食べ、眠り、働き続けられる基盤を整えることだった。
誠治は、焦らずに取り組むことにした。
彼の計画は、幻想郷を出たところで終わるものではない。
生活を立て直し、自分の力で生きていける状態を整え、その先で創作活動を始める必要がある。
今は、自分がどこから来たのかを他人に理解させることよりも、目の前の社会で暮らし続けるための足場を作ることが先だった。
当面の課題が明確になったことで、誠治はほんの少し落ち着きを取り戻した。
身元不明者として扱われる状況は簡単には変わらず、「田中誠治」という名前を裏付ける公的な記録も、まだ見つかっていない。
外界へ戻ったことは事実でも、その事実を社会の中で説明する方法は、これから探さなければならなかった。
誠治は、その現実を受け入れ、次の手続きを確認するために相談窓口へ向かった。
三十年近くかけて実現した脱出は、新しい人生の始まりにすぎなかったのである。