覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録 作:フリッツⅩ
井深俊宏少年は父と母がまだ生きていたころ、特に農閑期には週に何日か、人里にある稗田寺子屋へ通っていた。
家から人里までは、それなりの距離があった。
朝、母親に送り出されると、俊宏は畦道を歩き、途中で近所の子供と合流しながら里の中心へ共に歩を進める。
道沿いには田畑が広がり、季節によっては農作業に励む大人たちの姿も見られた。
顔見知りに挨拶を交わしながら歩くのが、彼にとって当たり前の日課だった。
人里の中心へ近づくと、通りの広場に立つ龍神像の前を通ることになる。
子供たちは足を止めて眼の色を確かめ、白なら晴れ、青なら雨、灰色なら曇りと、遊び半分にその日の天気を予想していた。
大人の中には像の前で手を合わせていく者もいたが、子供たちにとっては、傘や洗濯物の心配をするための身近な目安でもあった。
俊宏も、そうした光景を特別なこととは思っていなかった。
龍神が何者なのかを詳しく知っていたわけではなく、人々が昔からそうしてきたから、自分たちも同じように振る舞っているのだろうと考えていた。
彼にとって人里の暮らしは、そうした小さな習慣が積み重なって成り立つものであり、その由来を一つずつ確かめようとする理由もなかったのである。
寺子屋に着くと、教室にはすでに何人かの子供たちが集まっていた。
年齢はまちまちで、文字を覚え始めたばかりの幼い子もいれば、簡単な計算を難なくこなす年長の子もいる。
広い部屋に机を並べただけの質素な造りだったが、子供たちの話し声が絶えず、朝から活気に満ちていた。
俊宏が席に着いて筆記用具を取り出すと、隣の少年が、昨晩に父親から聞いたという妖怪の話を始めた。
森の近くで妙な影を見かけた者がいるらしいものの、話し手自身が目撃したわけではないらしい。
周囲の子供たちは興味深そうに耳を傾けていたが、俊宏は曖昧な返事をするにとどめ、積極的に話へ加わろうとはしなかった。
人里の子供たちは、妖怪の存在を珍しい話として聞いているわけではない。
実際に遭遇した者は少なくても、夜道を避けることや、村の外へ出る際には用心することを、親から繰り返し教えられていた。
俊宏も母親から、日が暮れる前に帰るよう何度も念を押されている。
そんな日常の一方で、俊宏には他の子供とは少し違うところがあった。
時折、夢の中に見知らぬ街並みや、手のひらに収まる小さな機械、遠く離れた相手と話すための道具などが現れるのである。
そこでは見たこともないものが当たり前のように使われていたが、目覚めると細部はすぐにぼやけてしまった。
それでも、夢の中で人々が何をしていたのかだけは、不思議とおぼろげに理解できることがあった。
俊宏は、それらを前世の記憶だとは考えていなかった。
ただ、自分はほかの子供よりも変わった夢を見るのだと思っていたのである。
誰かに話したところで、うまく説明できる気がしなかったし、わざわざ話題にするほどのことでもないと感じていた。
やがて、教室の入口から上白沢慧音が姿を現した。
膝まで届く青いメッシュが入った銀髪は、その性分から手入れを怠ることがないためか、常にキラキラさらされとした清楚な質感がある。
胸元に赤いリボンを付けた上下一体の青い服を身に纏い、そして頭には何とも形容しがたい特徴的すぎる帽子を被っているのだ。
そんな彼女は、落ち着いた足取りで教壇へ向かい、教科書や帳面を机に並べていく。子供たちが席に着いたことを確かめると、いつものように授業を始めた。
慧音は、声を荒らげて子供たちを従わせるような教師ではなかった。
話を聞くべきときには注意を促し、答えを間違えた子には、どこで考え違いをしたのかを説明しながら学び直させる。
俊宏にとって、分からないことを尋ねても責められない彼女の教室は、安心して過ごせる場所だった。
最初の授業は読み書きだった。慧音は黒板に日常生活に関係する文章を書き、子供たちに順番に読ませていく。
俊宏も自分の番になると、文字を一つずつ目で追いながら、間違えないよう丁寧に読み上げた。
続く算術では、米や野菜の値段、収穫した作物の数などを題材にした問題が出された。
商店で買い物をしたり、家の仕事を手伝ったりするときに困らないよう、身近な例を使って計算の仕方を教える授業だった。
俊宏は問題を解きながら、こうした知識が暮らしていくうえで欠かせないことを理解していた。
しかし、勉強を続けるうちに、彼の頭には別の疑問が浮かんだ。
読み書きや算術は教わっているのに、自分たちが暮らす人里の昔については、ほとんど何も知らない。
道や家並みはずっと以前からそこにあったように思えるが、いったい誰が最初に作ったのだろう。
人里は、どのような経緯で今の姿になったのだろうか。
夢の中で見たことのある学校の光景が、かすかによみがえった。
あの場所では、過去に何が起きたのかを学ぶ授業もあったような気がする。
しかし、そこで何を教わり、どんなことを覚えたのかまでは思い出せなかった。
午前の授業が終わると、子供たちは外へ出て、弁当を食べたり友達と遊んだりし始めた。
俊宏も縁側に腰を下ろして弁当箱を開いたものの、先ほどの疑問が気にかかり、時折、寺子屋の建物へ目を向けていた。
古くから人を教えてきた場所なのだろうが、そこに通う自分たちは、人里の歩んできた道筋をほとんど知らない。
そのことが、彼には少し不思議だった。
昼休みが終わると、子供たちは再び教室へ集まり、午後の授業が始まった。
この時間に扱われたのは、人里で暮らすための決まりや作法だった。
人と話すときの礼儀や、仕事を頼まれた際の応対、道具を扱うときの注意など、毎日の生活に直結する内容が中心となっていた。
授業の終わりに、慧音は今日習ったことを家でも復習するよう子供たちに伝えた。
分からなくなったところがあれば、次の日に尋ねればよい。
覚えられなかったことを放置せず、一つずつ確かめていくようにと話すと、彼女は帳面を閉じて帰り支度を始めた。
周囲の子供たちが教室を出ていくなか、俊宏は自分の席に残っていた。
授業が終われば、先ほどの疑問を先生に尋ねられると思ったのである。
慧音が机の上を片づけ終えるのを待ち、教壇のそばへ歩み寄ると、彼女は俊宏の顔を見て、何か聞きたいことがあるのかと尋ねた。
「先生、僕たちは読み書きや算術を習っていますけれど、この里が昔どうだったのかは、誰に尋ねればいいんですか。道や家を最初に作った人のことも、あまり知りません」
慧音は、帳面を重ねていた手を止めた。
子供が授業で習う内容ではなく、人里そのものの成り立ちに関心を向けたことが、少し意外だったらしい。
彼女は俊宏の顔をあらためて見つめたあと、すぐに答えを与えるのではなく、何から説明すればよいか考えるように首を傾けた。
「道や家を作った人、か。毎日見ているものでも、誰が始めたのかとなると、案外分からないものだな。俊宏は、そういうことが気になったのか」
穏やかな口調だったが、問いを軽く受け流すような様子はなかった。
俊宏がうなずくと、慧音は少し表情を引き締め、家に伝わる話や古い記録、年長者の記憶などから、昔のことを知る方法はあると説明した。
ただし、どの家にも詳しい記録が残っているわけではない。
誰かの話と記録の内容が食い違うこともあるため、知りたいことに応じて手掛かりを探し、何が確かなのかを考える必要があるという。
俊宏は、その話から、人里に古くからの記録を残している稗田家を思い出した。
名前を聞いたことはあっても、どのような記録が保管され、何が書かれているのかまでは知らなかったのである。
「それなら、先生は昔のことも知っているんですか。僕たちの知らないことでも、先生なら分かるんじゃないかと思って」
慧音は小さく笑った。
子供らしい率直な期待を向けられたことが、少しおかしかったのかもしれない。
しかし、安請け合いをすることはなかった。
笑みを残したまま、彼女は俊宏に分かるよう、言葉を選んで答えた。
「私が知っていることなら教えられる。ただ、知っているつもりでいることと、確かめられていることは同じじゃないんだ。分からないことがあれば、一緒に調べることもできる。教師だからといって、何もかも知っているわけではないからな」
そう話す慧音の声には、教える立場にある者としての慎重さがあった。
答えを知らないことそのものを恥じるのではなく、曖昧なまま決めつけないことを大切にしているらしい。
俊宏がその違いをどこまで理解したかは分からなかったが、少なくとも、先生が質問を面倒がっているのではないことは伝わった。
「ただ、今はまず、読み書きや算術を身につけてもらいたい。記録が残っていても、そこに何が書かれているのか読めなければ、自分で確かめることもできないからな」
慧音はそう付け加えると、教壇の上に残っていた筆をそろえた。
説明を打ち切ろうとしているのではなく、今の俊宏が学べることから始めてほしいと考えているようだった。
彼女の言葉には筋が通っていたため、俊宏も読み書きを先に学ぶ理由には納得した。
それでも、人里の昔について手掛かりが見つかったわけではなかった。
彼の疑問は歴史だけにとどまらない。人里の外には、なぜ人間にとって危険な妖怪がいるのか。
どうして人々は、暗くなる前に帰らなければならないほど、外を歩くことに気を配っているのか。
大人たちは危険を避ける方法こそ教えてくれたが、その危険がなぜ当たり前のように存在しているのかを、詳しく話すことはなかった。
俊宏はそれ以上質問を続けず、慧音に礼を言って教室を出た。
帰り道では友達と授業の話をしながら、人里の店先を眺めて歩いたため、頭の中を占めていた疑問も少しずつ薄れていった。
その日の授業について母親に尋ねられたときも、彼が話したのは読み書きと算術のことばかりだった。
七歳の俊宏にとって、昔のことを知らないという疑問は、すぐに暮らしを変えるほど差し迫ったものではなかった。
それでも、慧音に尋ねたことと、明確な答えを得られなかった感覚は、記憶の片隅に残り続けたのである。
人里には古い記録があり、昔から続く暮らしがあり、子供たちを教える寺子屋もある。
それなのに、自分たちがどのような世界に暮らし、なぜ人里の外に危険があるのかについて、誰もが十分に知っているわけではない。
俊宏はまだ、その二つの疑問がどこでつながるのかを理解できていなかった。
やがて彼が自分の暮らす世界の正体を知ったとき、慧音との何気ない会話は、幼いころに抱いた素朴な疑問以上の意味を持つことになる。
ここまで読んでくれてありがとうございます!
よろしければ、高評価・感想・お気に入りをお願いします。
モチベーションの回復に直結します!