覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録 作:フリッツⅩ
日付が変わる頃になっても、男の机ではスタンドの明かりが消えず、翌日の仕事に備えて眠るつもりだった彼は匿名掲示板を閉じられずにいた。
画面には、山道で道に迷った話や夜中に見知らぬ人影を見た話、地元に伝わる不思議な噂など、見慣れた怪談がいくつも並んでいる。
どれも真偽を確かめようのない話ばかりで、普段の男は、面白ければそれで十分だという気持ちで読み流していた。
その夜、男の目に留まったのは、山奥で道に迷ったという人物の投稿だった。
書き手によれば、登山道から外れたあと、見覚えのない集落へ入り込んでしまったらしい。そこには古い時代を思わせる家並みが続き、住民たちは見知らぬ訪問者を不思議そうに眺めていたという。
助けを求めようにも、彼らの身なりや話し方は普段見慣れたものとは異なり、日が暮れる頃には住民から不用意に外を歩かないよう忠告されたところで、投稿は途切れていた。
読み終えた男は画面を上へ戻し、文章の細部を確かめるように最初から読み直した。
描写には実際の体験を語っているような具体性がある一方で、場所の名前や正確な道順は伏せられ、書き手自身も何が起きたのかを説明しきれていない。
返信欄では、創作にしては描写が細かいと評価する者もいれば、設定が整いすぎているため作り話らしいと疑う者もいた。
男自身も、山中で方向感覚を失った人間が見知らぬ場所へ出たように感じた可能性はあると考え、ひとまず出来のよい怪談として受け止めた。
ところが、返信を読み進めたところで、男の目がひとつの書き込みに留まった。
ある利用者が、以前にも似た話を読んだことがあると指摘し、別の山で迷った人物が古い時代のような集落へ入り込んだという過去ログを紹介していたのだ。
そちらの話では、住民の中に人間ではないものが交じっていたらしいと語られており、筋書きこそ異なるものの、山中で道を失うことや、外の世界とは隔絶した集落にたどり着くことは共通していた。
男はリンク先の過去ログを開き、投稿された時期や文章の内容を新しい話と見比べた。
記録は数年前のもので、書き手の素性も体験の真偽も分からず、舞台となる地域についても具体的な手掛かりは残されていない。
それでも、掲示板の検索機能を使って関連する言葉を調べると、山奥の集落や古風な暮らし、外部の人間を警戒する住民、普通の人間では説明しにくい目撃談といった要素が、別々の投稿にも繰り返し現れていた。互いに関係のない土地で語られた話まで見つかり、すべてを一人の書き手による創作として片づけるのは難しそうだった。
*
過去の書き込みをたどるうち、男は以前に別の掲示板で話題になっていた古い新聞記事を思い出した。
山の近くで保護された身元不明者についての記事で、当時の人々には見慣れない古風な服装をしており、本人の説明も周囲とうまくかみ合わなかったため、身元の確認に時間がかかったという。
男はブラウザーの履歴から当時の記事を紹介していたページを探し出し、新聞の縮刷版を撮影した画像と、内容を要約した投稿を見つけた。
記事そのものは短く、服装が珍しかったことや保護後の経緯が記されているだけで、妖怪や奇妙な集落を思わせる記述はなかった。
本人が混乱していたのなら、事故や病気などの事情で説明できる可能性もあり、どこから来た人物なのかも記事からは判断できない。
男はその内容をメモに残したものの、最初に読んだ怪談と結びつける根拠が足りないと考え、さらに別の資料を探した。
続いて見つかったのは、山中で行方不明になった人物が、後日になって奇妙な集落について話したという記録だった。
ただし、情報の出どころは明らかでなく、公的な資料なのか地元の噂をまとめたものなのかも判別できない。
記述も断片的で、住民が人間ではなかったと断言できるような内容ではなかったが、そこには、山で道を失った者が見知らぬ集落へ入り込み、帰還後に体験をうまく説明できなかったという、掲示板の怪談と重なる部分があった。
男は椅子の背もたれに体を預け、画面に開いた情報を順番に眺めた。
古風な服装の身元不明者も、山中での失踪も、それぞれ単独なら現実的な説明を考えられるし、匿名掲示板の投稿が創作である可能性も十分に残されている。
けれども、複数の話を並べてみると、山で道を失った人間が外の世界とは異なる暮らしを営む集落へ入り、そこに住む者たちを人間とは違う存在のように感じるという、ひとつの輪郭が浮かび上がった。
細部は一致していなくても、似た体験を語る話が複数の時代や場所に散らばっていること自体は、男にとって気になる点だった。
男は掲示板へ戻り、見つけた過去ログと古い記事について簡単な返信を書き込んだ。
怪談を実話だと決めつけるのではなく、以前にも似た投稿があり、古い記録にも一部重なる記述が見つかったという事実だけを紹介したのである。
送信前に文章を読み返すと、断定を避ける言い回しが多くなっていたが、自分の推測を確かな情報のように書くわけにはいかなかった。
返信が投稿されると、利用者たちの意見はすぐに分かれた。
似た話が見つかるのは怪談ではよくあることだと指摘する者もいれば、古い記録と結びつけるのは考えすぎだと疑う者もいた。
一方で、別の地域で聞いた集落の噂を思い出したという書き込みも現れ、話題は新たな体験談へと広がっていった。
しかし、紹介された噂にも具体的な場所や時期は記されておらず、投稿が増えても、現実の出来事として確かめられる情報が急に増えるわけではなかった。
男はしばらく議論を眺めながら、これまで自分が集めた情報を整理し直した。
そこにあるのは、怪談と古い記録、そしてそれらを結びつけようとする人々の推測であり、何かを証明できる資料が揃ったわけではない。
それでも、最初の投稿だけを読んでいたときには意識しなかった共通点が、複数の話を比較することで見えるようになったのは確かだった。
*
時計を確かめると、夜はすでに深まっていた。
男は開いていたページを順番に保存し、投稿の題名や時期、古い記事の概要をメモにまとめて、最後に確認が必要な点を書き添えた。
どの話が事実に基づいているのか、異なる事例を同じ出来事として扱ってよいのか、判断するための情報はまだ足りない。
今夜の調査で答えが出たわけではないが、後から読み直せるように手掛かりを残しておくことにした。
画面を閉じる前に、男は最初に見つけた怪談をもう一度開いた。
書き手は見知らぬ集落からどうやって帰ったのかを詳しく説明せず、気がつくと山道に戻っており、そこから人里へたどり着いたとだけ記している。
物語の結末としては曖昧だったが、体験したことをすべて言葉にできない人間が覚えている範囲だけを語ったのなら、こうした終わり方もあり得るのかもしれない。
男はその一節を読み返し、保存したページの一覧を閉じた。
机の明かりを消して布団に入っても、男の頭には山奥の集落や古い服装の身元不明者、帰還後に体験をうまく説明できなかった人々の話が浮かんでいた。
外の世界から隔絶された集落が本当に存在するのか、そこで暮らす者たちは昔話に登場する妖怪と関係があるのか、それとも似た伝承が各地で語り直されているだけなのか。
考えられる説明はいくつもあったが、今夜集めた情報だけでどれかひとつを選ぶことはできなかった。
翌朝、仕事へ向かう電車の中で、男は昨夜のメモについて思い返していた。
通勤客に混じって見慣れた車窓の景色を眺めていると、山奥の集落も古い時代のような世界も、遠い場所で語られる怪談へと戻ったように感じられる。
その感覚には安堵したものの、帰宅後に保存した記録をもう一度調べようという考えまでは消えなかった。
仕事を終えたら、今度は投稿の時期や記述の違いを整理し、ほかに手掛かりがないか確かめてみるつもりだった。
その日も匿名掲示板には新しい投稿が増え、ほとんどは一時の興味を集めたあと忘れられていくのだろう。
けれど、ある話を読んだ人間が過去の記録を思い出し、別の話を知る者が新しい情報を付け加えれば、個別の怪談は少しずつ同じ場所へ集まっていく。
書き手たちは自分の経験や聞き覚えのある噂を語り、読み手たちはそこに見覚えのある要素を見つける。
そうして誰も全体を把握していないまま、互いに無関係だったはずの断片が、少しずつつながり始めていた。
男はまだ、幻想郷という名を知らなかった。自分が調べた怪談や古い記録が、実在するひとつの世界につながっているとも考えていない。
それでも、異なる時代や場所から集めた話を並べたとき、単なる恐怖や娯楽だけでは説明しきれない何かが、その向こうに潜んでいるように感じられた。
彼が手にしたのは世界の秘密を明らかにする答えではなく、これまで別々に見えていた話を、もう一度確かめるべきだという小さな疑問だった。