覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録   作:フリッツⅩ

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第3.5話 報告書に書けないこと

 井深俊宏が母方の伯父夫婦に引き取られてから、しばらくの時間が過ぎていた。

 この家の朝は、以前よりも少しだけ賑やかになっている。

 初めの頃は、声を掛けられても必要な返事をするだけだった俊宏が、今では自分から家事を手伝い、食卓でも学校であった出来事を話すようになったからだ。

 

 私は、この家に住み着いている座敷童子である。

 人間たちは、私のような妖怪が家にいると福が訪れるなどと言うけれど、私にはもう一つ、人里で暮らす人間たちの様子を観察し、得られた情報を紫さまへ報告する役目があった。

 家族と一緒に食事をし、何気ない会話を交わす一方で、誰がどこへ出掛け、どんな暮らしを送っているのかにも目を配っている。

 

 俊宏についても、毎日の行動や交友関係、興味を示した事柄などを記録していた。

 彼が何を話し、どんな表情を見せたのかは、私が見聞きした範囲で報告できる。

 しかし、妖怪だからといって、人間の胸の内まで覗けるわけではない。

 俊宏が抱えている思いについては、彼自身が言葉にしないかぎり、私にも確かなことは分からなかった。

 

 

――

 

―

 

――

 

 

 ある夕方、私は台所と居間の間に座り、夕餉の支度を手伝う俊宏を眺めていた。

 養母に頼まれた食器を食卓へ運び終えると、彼は寺子屋であった出来事を自分から話し始めたらしい。

 算術の問題で間違えたことや、休み時間に友達と遊んだことまで、誰かに促されるでもなく、次々と話題にしている。

 

 養母は料理の手を休めず、時折、俊宏の話に質問を挟んでいた。

 失敗した話を聞いても責めることはなく、友達と楽しく過ごせたと聞けば、嬉しそうに笑っている。

 俊宏も、話を聞いてもらうことに以前ほど戸惑わなくなったのか、自分の言葉で一日の出来事を説明し続けていた。

 

 私は頬杖をつきながら、その様子を眺めていた。

 人間というものは、ずいぶん不思議な生き物である。

 何か特別なことをしなくても、毎日顔を合わせ、食事を共にし、取り留めのない話を聞いているだけで、少しずつ距離が縮まっていくらしい。

 俊宏と養父母の間にも、そんな穏やかな変化が生まれ始めていた。

 

「今日はずいぶん楽しそうに話すのね。寺子屋で、何かいいことでもあったの?」

 

 私が尋ねると、俊宏は少し考えてから、算術の問題を間違えたものの、先生に教えてもらって解き直せたことや、授業の後に友達と遊んだことを話してくれた。

 失敗を恥ずかしがって隠す様子もなく、かといって大げさに自慢するわけでもない。

 その素直な話し方が、私はなんだか嬉しかった。

 

 報告する立場から見ても、少年が家族との会話を増やしていることは記しておくべき変化だった。

 ただ、私にとって俊宏は、報告書の中に名前を書く相手である以前に、同じ屋根の下で暮らす家族の一人でもある。

 夕食の席で楽しそうに話す彼を見れば、今日も無事に一日を過ごせたのだと、ほっとする気持ちがあった。

 

 

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―

 

――

 

 

 それから数日後、俊宏は養父の用事に付き添って卸売へ出掛けた。

 帰宅した少年は、頼まれた仕事を済ませたことを報告し、養父から労いの言葉を掛けられる。

 養母も帰りが遅くなったことを気遣いながら食事を用意し、俊宏は礼を述べて席に着いた。

 

 私は居間の隅から、そのやり取りを見守っていた。

 養父母は俊宏を必要以上に特別扱いすることなく、できるようになったことは認め、困っていれば手を貸している。

 少年もまた、二人の言葉を素直に受け止められるようになっていた。

 以前なら少しの物音にも身構えていた彼が、今では養父の話に笑顔を見せることもある。

 

 けれど、過去の出来事がすべて消えたわけではなかった。

 夜中に物音がすると、俊宏が目を覚まして戸口の方を確かめることがある。

 人里で妖怪の姿を見掛けたときにも、ほんの一瞬だけ表情を硬くし、相手が立ち去るまで視線を外さないことがあった。

 

 そういう姿を見ると、私は少しばかり困ってしまう。

 紫様へ報告する以上、観察したことを都合よく隠すつもりはなかったが、見たものを何もかも書き連ねればよいというわけでもない。

 俊宏が妖怪を警戒したという事実は記録できても、それだけで少年が何を考えていたのか、どの程度の恐怖を抱いていたのかまで説明できるわけではなかった。

 

 彼が家族を妖怪に殺されたことは、すでに知られている。

 そうした経験を持つ人間が、妖怪の姿を見て身構えたとしても、少しも不自然ではないだろう。それどころか、いつも平然としているからといって、過去の恐ろしさを乗り越えたと決めつけることもできない。

 私は、目の前で起きたことを記録しながら、報告書の一行が人間の姿をどこまで伝えられるのか、時折考えるようになっていた。

 

 私が担っているのは、人里の暮らしを見守り、幻想郷の秩序を保つために必要な情報を届ける役目である。

 その務めを忘れたことはないし、紫様から求められた報告を怠るつもりもなかった。

 ただ、この家で共に暮らす俊宏を、名前と行動だけで片づけてしまうことには、どうにも馴染めない気持ちがあった。

 

 

――

 

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 ある日、養母が物置の整理を始めた。

 日常ではあまり使わない道具を引っ張り出し、傷んだものと、まだ使えるものに分けていく。

 俊宏も手伝いを頼まれ、養母の向かいに座って、古い道具箱の中身を一つずつ取り出していた。

 

 箱の底から現れたのは、以前の家で使われていた農具の一つだった。

 俊宏が手に取ったのは、柄に細かな傷の残る小さな道具である。

 彼は表面を確かめるように指先でなぞったあと、突然、作業の手を止めた。

 養母が次の品物を取り出しても、俊宏は顔を上げず、しばらく黙ったままでいた。

 

 私は少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 俊宏が何かを思い出したのかもしれないし、ただ古びた道具を珍しく思っただけなのかもしれない。

 けれど、養母は少年の様子に気づくと、自分の手を止め、無理に話しかけることなく隣へ腰を下ろした。

 

 しばらくして、俊宏は手にしていた道具を元の場所へ戻し、再び片付けを始めた。

 養母も理由を尋ねず、残っていた品物を一緒に整理していく。何か特別な言葉が交わされたわけではない。

 それでも、少年の手が止まったことを責めず、話したくなるまで待っていた養母の姿は、私の目にはよく残った。

 

 人間の心というものは、目に見える姿だけではなかなか分からない。

 涙を流すこともあれば、何も言わずに黙り込むこともあるし、悲しい出来事を思い出していても、いつもどおりに手を動かせる者もいる。

 私は長く人間の家に住み着いてきたけれど、そうした違いをすべて理解できているわけではなかった。

 

 その夜、家族が寝静まったあとで、私は報告書を広げた。

 俊宏が古い道具を手に取ったこと、しばらく作業を止めていたこと、養母がそばに座って待ち、やがて二人で片付けを再開したこと。それらは、確かに私が見た出来事だった。

 けれど、なぜ彼が手を止めたのか、養母がどんな思いで黙っていたのかまでは、書こうにも書けなかった。

 

 かといって、目の前で起きたことを「道具を整理した」とだけ記してしまえば、あの場面の様子はほとんど伝わらない。

 養母が少年を急かさなかったことも、俊宏が自ら作業へ戻ったことも、単なる片付けの一工程としてまとめることはできるだろう。

 それでも、私が目にしたあの静かな時間には、二人が家族として共に暮らしているからこそ生まれたものがあったように感じられた。

 

 私は筆先を止め、報告書の文面を何度か読み返した。

 知らないことを勝手に書き足すわけにはいかない。

 だからといって、見たものを簡単な言葉に置き換えるだけでは、記録からこぼれ落ちてしまうものもある。

 その夜は、いつもなら迷わず書ける報告書が、妙に難しく思えた。

 

 

――

 

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――

 

 翌朝、私は改めて報告書を書き直した。

 俊宏が養父母の家で生活を続けていること、家の仕事を手伝い、寺子屋であった出来事を家族に話すようになったこと、人里で妖怪を見掛けた際に警戒する様子があること。

 いずれも、私自身が確かめた事実として整理した。

 

 古い道具を手にしたときの出来事についても、目にした行動と、養母が取った対応を記した。

 ただし、そこにどのような感情があったのかについては、何も付け加えなかった。

 推測を事実のように書けば、私が知らない少年の心まで見通せるかのように扱うことになってしまうからだ。

 

 書き終えた報告書には、俊宏が以前よりも家族との会話を増やし、日々の暮らしに少しずつ馴染んでいる様子が残された。

 一方で、古い道具を前にして彼の手が止まった理由や、養母がその時間をどう受け止めたのかは記されていない。

 紙の上に並んだ文字は間違いではなかったが、それだけで、この家で過ごした一日のすべてを伝えられるわけでもなかった。

 

 私は報告書をまとめ、紫様へ届ける支度をした。

 観察した事柄を正確に伝えることは、私の務めである。

 そこで暮らす人間たちの様子を自分の都合で変えて書くつもりはないし、見たことを意図的に伏せるつもりもなかった。

 ただ、報告書に記された内容だけで、そこにいた人間のすべてが分かったと考えてほしくないという気持ちが、私の中には残っていた。

 

 それからも、俊宏の日常は続いていった。彼は寺子屋へ通い、養父の手伝いをし、養母と食卓を囲んでいる。

 私もまた、家族の一員として同じ家で暮らしながら、必要な情報を記録し、紫様の側へ報告し続けた。

 以前よりも穏やかな時間が増えたことは、日々の様子を見ていれば分かる。

 それでも、俊宏が何を胸に秘め、どのような未来を思い描いているのかについて、私が答えを持つことはなかった。

 

 ある朝、俊宏は出掛ける前に、養母から頼まれた用事を確認していた。

 持ち物を確かめ、養父に行き先を告げると、少年は玄関を出て人里の通りへ向かう。

 私は座敷の隅からその背中を見送り、家の中に残った静けさを感じていた。

 

 今日も、彼は一人の人間として暮らしていく。私が記録できるのは、その日々に現れた行動や、彼自身が口にした言葉である。

 けれど、帳面には書ききれない時間も、確かにこの家の中には流れていた。

 

 私は筆を取り、いつものように報告を整えた。人間の暮らしは、記録するためだけにあるわけではない。

 私はそのことを、俊宏と家族の何気ない毎日から、少しずつ覚え始めていた。

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