覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録 作:フリッツⅩ
親類の家で暮らし始めてしばらくすると、俊宏は人里の道を一人で歩くようになった。
養父は、人里の農家や職人から品物を仕入れ、町の商店へ納める小さな商いを営んでいた。
大きな店を構えるほどの規模ではなかったが、仕入れ先との交渉から商品の受け渡し、店への配達まで自分でこなしており、顔なじみの店主や職人も少なくなかった。
俊宏も、ときには伯父から頼まれた品物を商店へ届けたり、荷物の整理を手伝ったりしていた。
そうした用事をこなすうちに、家の周囲にある通りや店の場所だけでなく、商人や職人たちの顔も少しずつ覚えていったのである。
伯母の買い物についていくこともあり、人里の様子を知ることは、いつしか彼の日常の一部になっていた。
朝の市場には野菜や魚、山で採れた木の実などが並び、商人たちは客を呼び込んでいた。
食堂からは煮炊きの匂いが漂い、道具を扱う店では職人が壊れた農具を修理している。
子供たちは荷車の脇を駆け抜け、仕事を終えた大人たちは顔を合わせれば世間話を始める。
そこには、特別な出来事とは縁のない、人々の穏やかな暮らしがあった。
俊宏は、そんな光景を見るたびに、前世の記憶にある町並みを思い出した。
建物も道具も違うが、人が働いて食事を作り、家族を養い、明日の暮らしを考える営みは変わらない。
少なくとも、普段の人里は、妖怪の脅威に怯え続ける場所には見えなかった。
もちろん、住民たちが危険を忘れているわけではない。
夕方が近づけば子供を迎えに出る親がいて、人里の外へ用事に出た者は、日が暮れる前に戻ろうと急いでいた。
山道の様子や妖怪の目撃情報が話題に上ることもあり、住民たちはそれぞれの経験に従って用心しているようだった。
俊宏には、危険を避けるための振る舞いそのものが、人里の生活に組み込まれているように思えた。
しかし、それならば別の疑問も浮かぶ。
人々が妖怪を警戒して暮らしているのに、なぜ自分たちは、これほど多くの人に囲まれた場所で安心して生活できるのだろうか。
その疑問について考えるきっかけは、ある日の買い物の途中に訪れた。
俊宏が市場に近い通りを歩いていると、向こうから一人の女性がやって来た。
白を基調とした衣装に色鮮やかな飾りを身につけ、頭には帽子を載せている。
そこから狐の耳が覗き、背後には九本もの尻尾が大きく広がっていた。
俊宏は、その姿を見て思わず足を緩めた。前世の知識に照らせば、目の前の女性が誰なのかは明らかだった。
九尾の狐であり、八雲紫に仕える式神、八雲藍である。
ゲームの画面を通して知っていた人物が、今、自分の暮らす人里を歩いていた。
風が頬を撫で、近くの店から商人の呼び声が聞こえてくる。
足元を通り過ぎる人々の気配も確かで、夢を見ているのではないかと疑う余地はなかった。
俊宏にとって、藍は知識の中にいる登場人物ではなく、同じ場所で暮らす現実の存在になっていたのである。
藍は、周囲の視線を気にする様子もなく通りを進んでいた。
彼女の狐耳や尻尾に気づいた女性が荷物を抱え直して少し道を空け、店先にいた男が軽く会釈する。
子供たちも珍しそうに尻尾を眺めていたが、大人に促されると邪魔にならないよう道の端へ寄った。
悲鳴を上げて逃げ出す者も、彼女を取り囲んで騒ぎ立てる者もいなかった。
やがて藍は乾物を扱う店の前で足を止め、店主に品物について尋ねた。
店主は手慣れた様子で商品を包み、藍は代金を支払ってから買い物袋を受け取った。
二人のやり取りはごく自然なもので、周囲の人々もそれを特別な出来事とは考えていないらしかった。
俊宏は、その光景を見ながら、前世の知識にある藍の人物像を思い返した。
『東方求聞史紀』では危険度が高い存在とされる一方、人間に対する友好度は普通と評価されている。
九尾の狐としての力に加え、式神を使役する能力も持つ彼女は、普通の人間が力ずくで対抗できる相手ではない。
それでも、少なくとも今の藍は、人間を襲うためではなく、買い物をするために人里を訪れているように見えた。
藍が通りの先へ歩いていくと、商人たちは再び客との会話に戻り、子供たちも別の遊びを始めた。
九本の尻尾を持つ妖怪が目の前を通ったというのに、町の営みは少しも止まらない。
俊宏が驚いたのは、藍の姿そのものよりも、人々が彼女の存在を受け入れ、どう振る舞えばよいかを心得ているように見えたことだった。
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それから数日後、俊宏は別の妖怪を目にすることになる。
その日は伯母から頼まれ、夕食に使う野菜と調味料を買いに出ていた。
市場で必要なものをそろえて家へ戻ろうとしたところ、通り沿いにある種苗店の前に、一人の女性が立っているのが見えた。
長い緑色の髪に落ち着いた身なりをした女性は、手に日傘を持ち、店先に並べられた種や苗を品定めするように眺めていた。
遠目には、花を育てるのが好きな人間の女性と何ら変わらない姿だったが、俊宏はすぐに彼女の正体に気づいた。
風見幽香――花を操る能力を持ち、太陽の畑をはじめ花の咲く場所と深い縁を持つ妖怪である。
前世で東方Projectの作品や関連資料に触れていた俊宏にとって、幽香の名前は忘れようがなかった。
とりわけ『東方求聞史紀』に記された危険度と人間友好度の評価は、強く記憶に残っていた。
危険度は極めて高く、人間友好度は最悪とされている。
彼はその評価を思い出し、無意識のうちに買い物袋を握り直した。
家族を襲った妖怪の姿が、脳裏にかすかによみがえる。目の前の女性が同じように人間を襲うと決まったわけではない。
それでも、強大な妖怪に対して何もできなかった経験が、俊宏の警戒心を強めていた。
彼は無意識に身構えながら、少し離れた場所から幽香の様子を見守った。
ところが、店先では何事も起きていなかった。
店主は幽香の注文を聞き、いくつかの種袋を取り出して、育てる季節や土の状態について説明していた。
幽香は品物を一つずつ確かめて気に入ったものを選び、必要な道具もいくつか買い求めている。
彼女の口調は落ち着いており、店主を威圧したり、無理な要求を押しつけたりする様子は見られなかった。
ただし、藍のときとは、店主の態度にわずかな違いがあった。
応対そのものは丁寧だったが、必要以上に話を広げようとはせず、品物についての説明も要点を押さえていた。
幽香もそれを不快に思う様子はなく、選び終えた種袋を受け取って代金を支払った。
店主は、彼女が店を離れてからようやく別の客へ声をかけた。
俊宏は、幽香が通りを歩き始めるまで視線を外せなかった。
資料の評価が間違っているのだろうかと考えかけたものの、すぐに思い直した。
人間友好度が最悪とされていることは、必ずしも出会ったすべての人間を無差別に傷つけるという意味ではない。
彼女が今、店主と穏やかに取引をしていることと、非常に危険な妖怪であることは、両立するのだろう。
それでも、彼女が人里で買い物を済ませ、周囲の人々もその存在を受け入れているという光景は、俊宏にとって理解しがたいものだった。
藍のように人間に対して普通の友好度を持つ妖怪だけでなく、人間との関わりに危険が伴うとされる幽香までもが、人里の通りを歩いている。
そこには、俊宏がまだ知らない何らかの決まりが働いているように思えた。
家へ戻った俊宏は、買ってきた品物を伯母に渡してから、種苗店で見かけた女性について尋ねてみた。
花の種を買っていた人は妖怪なのかと話すと、伯母は少し考え、あの方は風見幽香という名で知られる妖怪だと教えてくれた。
声には特別な緊張も過剰な好奇心もなく、彼女を見かけること自体は、珍しくても大騒ぎするようなことではないという様子だった。
伯母は、妖怪が危険な存在であることを知らないわけではなかった。
俊宏の家族が妖怪に殺されたことも知っているし、彼が人里の外で暮らすことに不安を抱いている事情も理解している。
それでも、日常の買い物をするたびに妖怪を恐れていたら、人里での暮らしさえ成り立たなくなってしまう。
伯母の言葉からは、恐怖を忘れたのではなく、恐れながら生活を続けるしかないという現実が感じられた。
俊宏は、藍と幽香の姿を思い返した。
藍が通れば人々は道を譲り、幽香が店を訪れれば、店主は用心を怠らないようにしながらも商売を続けていた。
住民たちは妖怪の危険性を知らないのではなく、相手によって距離の取り方や接し方を変えているように見えたのである。
人里の人間が「妖怪は里の中には出ない」と口にすることがあっても、それは妖怪が一匹も存在しないという意味ではないのかもしれない。
人間を捕食しようとする妖怪が、人里を自由に襲うわけではないという一定の秩序があるのだろう。
しかし、その秩序が誰によって、どのような仕組みで維持されているのか、俊宏にはまだ分からなかった。
彼の脳裏には、養子先の家で暮らす少女の顔も浮かんだ。
彼女は家族の一員のように食卓を囲み、何気ない会話を交わし、俊宏のことも気遣ってくれる。
これまでの暮らしで、彼女が自分を脅かすような行動を取ったことは一度もなかった。
人間の姿をして里に溶け込む妖怪もいれば、藍のように耳や尻尾を隠さず、人々の前を堂々と歩く妖怪もいる。
幽香のように人間と変わらない外見をしていても、極めて危険な存在として知られる者もいた。
外見だけで相手の正体や危険性を判断することはできないのだと、俊宏は改めて理解した。
人里の暮らしは、確かに穏やかだった。
子供たちは通りで遊び、商人は店を開き、住民たちは明日の仕事や家族のことを考えながら日々を過ごしている。
しかし、その平穏は、人間が妖怪より強いから成り立っているのではない。
人間が危険な相手を見分け、必要な距離を保ち、何らかの秩序の内側で暮らすことで保たれているようだった。
俊宏は、通りの先に見える市場へ目を向けた。
ここは人間が集まって暮らす場所でありながら、人間だけの世界ではない。
妖怪を完全に締め出すことも、すべての妖怪を信頼することもできないまま、人々は生活を続けているのだった。
その平穏がどのような力や取り決めによって支えられているのかを、俊宏はまだ知らない。
だが、人里の安全が人間自身の力だけで保証されているわけではないという疑問は、彼の中に残り続けた。
そして、その疑問はやがて、彼が幻想郷そのものを見つめ直すための手掛かりとなっていく。