覚悟ガンギマリ系一逸転生者による幻想郷破壊録   作:フリッツⅩ

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第6話 人間を守る者

 俊宏が稗田寺子屋へ通い直すようになったのは、親類の家での暮らしに少しずつ慣れ始めたころだった。

 家族を失った直後は、朝になっても布団から起き上がることができず、食事を口にすることさえ億劫な日が続いていた。

 伯父と伯母は無理に彼を急かさず、身の回りの世話を続けながら、生活のリズムを取り戻せるよう気を配ってくれた。

 その勧めを受け、俊宏は久しぶりに寺子屋へ顔を出すことにしたのである。

 

 教室には、以前と変わらない光景が広がっていた。

 机には筆と紙が並び、窓から差し込む光が畳を照らしている。

 子供たちの話し声が響く中、教壇のそばでは上白沢慧音が授業の準備を進めていた。

 見慣れた場所に戻ってきたはずなのに、俊宏には、以前と同じ生活へ戻れたという実感がなかなか湧かなかった。

 

 隣に座る子供たちは以前と同じ顔ぶれだったが、彼に接するときには、どこか遠慮が感じられた。

 気遣ってくれているのだろうと分かっていても、以前のように気軽な話題で盛り上がることは難しい。

 家族を失った出来事が、周囲の子供たちとの間にも、目には見えない距離を作っていた。

 

 慧音は俊宏の姿に気づくと、手にしていた書物を机に置き、空いている席を示した。

 皆の前で事情を説明したり、特別な歓迎の言葉をかけたりすることはなく、彼の机にも今日の教材を用意してから、静かに声をかけた。

 

「無理に前と同じように振る舞う必要はない。授業を受けるのがつらければ途中で休んでもかまわないから、今の自分にできるところから始めればいいんだ」

 

 慧音は周囲の子供たちにも聞こえる程度の声でそう伝え、すぐに授業を始めた。

 俊宏だけを特別扱いすることも、皆の前で家族の死を話題にすることもなかった。

 その自然な配慮のおかげで、彼は悲しみについて説明を求められることなく、再び教室の一員として席に着くことができた。

 

 授業は、以前と同じ読み書きと算術だった。

 慧音が文章の読み方を教え、子供たちに順番に答えを述べさせる。

 間違いがあれば、どこで考え違いをしたのかを確かめながら説明を加えていった。

 俊宏も手元の紙に文字を書き、問題の答えを計算していく。

 意識は時折別のところへ向かったものの、身体は授業の進め方を覚えていたため、以前と同じように学習を続けられた。

 

 休み時間には、何人かの子供たちが俊宏の机のそばへやって来た。

 以前に一緒に遊んだときの話や、最近覚えた遊びについて話しかけてきたが、家族のことには触れようとしなかった。

 俊宏も相手の気遣いを感じ取っていたため、必要以上に無愛想な態度を取らず、できるだけ普段どおりに応じた。

 

 それでも、子供たちの笑い声を聞くと、俊宏は時折、返事をするのを忘れそうになった。

 以前なら自分もその輪に加わり、家へ帰れば父と母に寺子屋で起きたことを話していたはずだ。

 二人がいつもどおり家にいて、明日も同じ生活が続くと疑わなかったころは、もう戻ってこない。

 その事実は、何気ない日常に触れるたび、彼の中で確かな重みを増していた。

 

 授業が終わると、俊宏はほかの子供たちが帰るのを待ち、教室の前で書き物をしていた慧音に声をかけた。

 以前にも歴史について質問したことがある。

 今の自分がどんな質問をしても、彼女なら途中で遮らずに聞いてくれるだろうと思ったのである。

 

「先生は、家族を亡くした人が、どれくらいで元の暮らしに戻れるのか知っていますか。みんなは時間がたてば大丈夫になると言いますけれど、僕には、いつになれば前と同じように過ごせるのか分からないんです」

 

 慧音は筆を置き、俊宏の顔を見つめた。

 家族を失った悲しみを、一定の時間が過ぎれば解決する問題のように扱うことはできない。

 彼が目の前で泣いていないからといって、心の傷が癒えたと判断するのも早計だった。

 子供が何も話さず普段どおりに振る舞おうとするときほど、大人の側が勝手に立ち直ったと思い込まないようにする必要がある。

 

「前と同じ暮らしに戻れる日が来るのか、私にも分からない。失った人たちを忘れる必要はないし、無理に元気なふりをすることもないんだ。ただ、悲しみがあるからといって、これから先の時間まで失わなければならないわけではない。今できることを少しずつ続けながら、明日も生きていくことを考えてくれればいい」

 

 慧音は、いつか必ず立ち直れると約束することも、亡くなった家族のために強くなれと説くこともしなかった。

 自分の言葉だけで俊宏の悲しみを取り除けるとは思っていなかったからである。

 彼女にできるのは、無理に答えを出させず、彼が生きていくための時間と場所を残すことだった。

 

 俊宏は、その話を黙って聞いていた。

 自分の苦しみを無理に説明させず、悲しみが消えたふりをするよう求めることもない。

 慧音は、彼を哀れな子供としてではなく、一人の人間として扱ってくれていた。

 そのことに気づくと、胸の奥で張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。

 

 その一方で、彼には別の疑問も浮かんでいた。どうして慧音は、これほどまでに人間を守ろうとするのだろうか。

 

 前世の知識によれば、上白沢慧音はワーハクタクと呼ばれる半人半妖(半獣とも)であり、人里で寺子屋を開いて子供たちを教える存在だった。

 人間への友好度が高く、歴史に関する能力と知識を持ち、その力を人間のために役立てる人物として知られていた。

 目の前で自分を気遣ってくれる慧音の姿は、その知識と矛盾していなかった。

 

 しかし、俊宏にとって、それは単純に喜べる事実ではなかった。

 家族を殺した妖怪と、自分を支えようとしている慧音は、どちらも人間とは異なる存在である。

 一方は何のためらいもなく彼から家族を奪い、もう一方は教師として子供たちを教え、傷ついた人間にも手を差し伸べている。

 種族が同じだからといって、同じ心や考え方を持っているわけではないことは理解できたが、両者の違いを受け入れることは、彼にとって容易ではなかった。

 

 

――

 

―

 

――

 

 

 慧音は授業を終えたあとも、俊宏のことを気にかけていた。

 家族を失ったと知ったとき、何かしてやりたいと考えたものの、亡くなった人間を生き返らせることはできず、彼の悲しみを自分の言葉だけで取り除くこともできなかった。

 それでも、できることが限られているからといって、何もしなくてよい理由にはならないと考えていた。

 

 だからこそ、慧音は普段どおり寺子屋を開き、子供たちに文字や算術を教え続けていた。

 人里で暮らす人間が、自分の力で働き、家族を養い、危険を避けながら生活できるようにすることは、長く続けてきた仕事である。

 妖怪の脅威を知っているからこそ、人間が知識不足のまま危険へ近づくことを防ぎ、暮らしを守る手段を少しでも増やしたいと願っていた。

 

 慧音自身が人間とは異なる力を持つ存在であることを、彼女は恥じても隠してもいなかった。

 大切なのは、その力を何のために使うかということだった。

 人間を脅かすために振るうのか、それとも人間が安全に暮らせるよう支えるのか。

 その選択について、彼女は自分なりの答えを持っていた。

 

 ただ、人間を守りたいと願うことと、すべての人間を救いきれることは違う。

 人里の中で暮らす人々を助けることはできても、外へ出る者すべての行動を把握することは不可能だった。

 山道を通る者もいれば、仕事のために人里から離れて暮らす者もいる。

 妖怪がどこで活動し、誰がその危険に遭遇するのかを、事前にすべて知ることなどできなかったのである。

 

 俊宏の家族が襲われたのも、人里の外にある家へ戻る途中のことだった。

 慧音が事件を知ったのは、すべてが終わったあとである。

 もっと早く異変に気づいていれば何かが変わったかもしれないという思いはあったが、実際には事件を防ぐために動く機会すらなかった。

 その事実を、彼女は言い訳にするつもりはなかった。

 

 人間を守ることには、限界がある。

 それでも、できることをやめてしまえば、守れるはずの人間まで危険にさらすことになる。

 慧音はその現実を知りながら、子供たちに知識を伝え、彼らが少しでも安全に暮らせるよう努め続けていた。

 

 俊宏が寺子屋へ戻ってきたことを、彼女は心から喜んでいた。

 彼が悲しみを抱えたままでも学びに来られたのなら、その小さな変化を大人の都合で急かす必要はない。

 今日一日を過ごせたことを受け止め、明日も安心して教室へ来られるようにする。

 それが今の自分にできる支え方だと、慧音は考えていた。

 

 

――

 

―

 

――

 

 

 寺子屋へ通う日々が続くにつれ、俊宏は慧音の人柄を少しずつ理解していった。

 彼女は子供たちが間違えれば理由を説明し、誰かが困っていれば手を貸す。

 体調を崩した子供がいれば家まで帰れるよう手配し、親の仕事の都合で遅れた子供を一方的に叱ることもしなかった。

 規則を守ることには厳しかったが、それは子供たちを従わせるためではなく、自分で考えて責任を持って行動できるようにするためだった。

 

 俊宏が悲しみを抱えているからといって、慧音が彼だけに特別な言葉をかけ続けることはなかった。

 必要な教材を用意し、授業を受ける機会を保ち、本人が望まないかぎり家族の死を繰り返し話題にしない。

 その小さな配慮は、誰かに褒められるためというより、彼女にとって当然の務めであるように見えた。

 

 ある日の授業後、俊宏は教室に残り、机を整えていた慧音に以前から考えていた疑問をぶつけてみた。

 彼女が人間を守ろうとする理由を、前世の知識ではなく、本人の言葉で聞いてみたかったのである。

 

「先生は半分だけ人間ではないんですよね。それでも、どうして人間の子供たちを守ろうとしてくれるんですか。妖怪の中には人間を襲うものもいるのに、先生は反対のことをしているように思えるんです」

 

 慧音は少し目を見開いたが、質問に腹を立てた様子はなかった。

 家族を失った少年が、人間と妖怪の違いについて考える中で抱いた疑問なのだろうと受け止め、答えを急がずに口を開いた。

 

「私は人間が好きだからだよ。それに、人間ではないという理由だけで、誰かを傷つけてよいとは思わない。反対に、人間であることだけで、すべての行いが正しくなるわけでもないだろう。大切なのは、自分の力を何に使い、相手にどう向き合うかだと私は考えている」

 

 慧音は、自分が人間を守ることを特別に立派な行為として語ろうとはしなかった。

 子供たちに知識を伝え、危険を避ける方法を教え、彼らが明日も自分の生活を続けられるようにする。

 それが彼女にとっての仕事であり、守りたいと思う人々に向き合う方法だった。

 

 俊宏は、返事をする前に少し考え込んだ。

 慧音の考え方は、彼が家族を殺されたときに抱いた感情とは大きく異なっていた。

 あの妖怪は、父親が抵抗し、母親が子供を守ろうとしても手を止めなかった。

 人間の命を奪うことに、何のためらいもないように見えたのである。

 

 しかし、慧音は自分の力を人間を守るために使い、他者が困っていれば手を差し伸べ、子供たちが生きていくために必要なことを教えている。

 前世の知識にあった人物像と、今目の前にいる彼女の姿は一致していた。

 俊宏は、妖怪の中にも、人間に危害を加えるのではなく、助けようとする者がいることを認めざるを得なかった。

 

 けれども、慧音の善意を認めることは、家族を殺した妖怪への怒りを消すことではなかった。

 彼女が人間を守ろうとしている一方で、家族が救われなかったという事実も変わらない。

 人里に教師がいて、親類が子供を引き取り、周囲の人々が助け合っていたとしても、人里の外で妖怪に襲われる危険を完全になくすことはできなかったのだ。

 

 俊宏は、慧音を責めることができなかった。

 彼女は家族を殺したわけではなく、事件を知りながら放置したわけでもない。

 むしろ、自分ができる範囲で人間を守ろうとし、今も彼が生きていけるように気を配ってくれている。

 彼女の目の前で怒りをぶつけることは、支えになってくれた人の善意まで否定するように思えた。

 

 だが、怒りを向ける相手が見つからないからといって、怒りそのものが消えるわけではない。

 慧音のような妖怪がいる一方で、人間の命を簡単に奪う妖怪も存在し、その両者が同じ世界で暮らしている。

 人間は相手を選んで信頼できるとは限らず、正体を知らないまま危険な存在に近づいてしまうこともあるだろう。

 

 もし幻想郷に慧音のような妖怪しかいなかったなら、俊宏はここまで妖怪を恐れずに済んだのかもしれない。

 しかし、現実には、彼女とはまったく異なる妖怪も存在する。

 その違いを人間が常に見分けられるわけではなく、危険を避けるための知識にも限界があった。

 

 人間の安全が、個々の妖怪の良心や振る舞いに左右される世界を、俊宏は信用することができなかった。

 

 

――

 

―

 

――

 

 

 寺子屋を出るころには、日が傾き始めていた。

 俊宏は人里の通りを歩きながら、夕食の支度をする家々を眺めた。

 子供を迎えに出てきた親が手を振り、商店では売れ残った品物を片づけている。

 彼らは今日も一日を無事に終え、明日も同じ暮らしが続くものとして行動していた。

 

 その姿に、俊宏はかつての父と母を重ねた。

 二人もまた、翌日の仕事を考え、家の中を整え、食事を用意し、家族で過ごす時間を当たり前のものとして受け止めていた。

 特別な幸福を求めていたわけではなく、今日と同じように明日も暮らしたかったのだろう。

 そのささやかな望みさえ、妖怪の襲撃ひとつで失われてしまった。

 

 俊宏は慧音の言葉を思い返した。

 人間ではないという理由だけで誰かを傷つけてよいわけではなく、自分の力を何に使うかが大切なのだと、彼女は言っていた。その考え方を間違っているとは思わない。

 むしろ、彼女がそうした信念を持っているからこそ、俊宏は彼女を信頼できるのだった。

 

 だからこそ、一つの疑問が残った。

 人間を守ろうとする妖怪がいることを、どうして妖怪社会全体への信頼につなげられるのだろうか。

 人間に親切な者が存在することも、人間を襲う者がいることも、どちらも事実である。

 その両方を含んだ世界で、誰もが安心して暮らせるといえるのだろうか。

 

 彼には、まだ社会を変える方法など分からなかった。妖怪と戦う力も、人間を守るための新たな仕組みを作る手段も持っていない。

 それでも、胸の中で怒りの向かう先が少しずつ変わり始めていた。

 家族を殺した妖怪への憎しみは消えていないが、仮にその相手を見つけて復讐を果たしても、同じように家族を失う人間がいるかぎり、問題は終わらないのではないか。

 

 人里には人間が平穏に暮らすための秩序があり、そこには人間を守ろうとする者たちもいる。

 しかし、住民自身がその秩序の成り立ちや限界を十分に理解しているとは限らなかった。

 危険な妖怪とそうでない妖怪を見分けることさえ難しいなら、人間が自分の命を守るために取れる行動は、初めから制限されていることになる。

 

 俊宏は、家族を守ろうとした父と母の姿を思い出した。

 二人の行動は何も間違っていなかった。

 それでも命を落とし、彼だけが生き残ったという事実は、個人の善意や努力だけでは埋められない力の差を示していた。

 

 慧音への感謝は、これからも変わらないだろう。

 彼女が人間を守ろうとしていることを、俊宏は疑っていなかった。けれども、彼女を信頼できることと、彼女が暮らす世界の仕組みを信頼できることは、同じではなかった。

 

 俊宏が求めているのは、妖怪がすべて消え去ることなのか。

 それとも、人間が妖怪の善意に頼らなくても、自分たちの意思で安全を確保できる場所を手に入れることなのか。

 今の彼には、二つの違いを完全に言葉にすることはできなかったが、個々の妖怪を倒すだけでは足りないという感覚が残っていた。

 

 人間を守ろうとする慧音がいても、人間を脅かす妖怪が存在する世界は続いている。

 その矛盾を生み出しているものが何なのか、俊宏はまだ知らない。

 しかし、家族を奪った相手だけに怒りを向けていても、同じ悲劇を防ぐことはできないのだろう。

 

 家路を急ぐ人々の間を歩きながら、俊宏は自分の中に残る怒りを見つめていた。

 その感情は、特定の妖怪への憎悪だけでは説明できなくなりつつある。

 人間を守ろうとする者がいることを認めながらも、人間の安全が個々の妖怪の善意に委ねられているような仕組みを、彼は受け入れられなかった。

 

 こうして俊宏の怒りは、家族を殺した妖怪への復讐心を残したまま、妖怪の存在を前提として成り立つ幻想郷の仕組みそのものへと向かい始めていた。

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