北神三世の兄-弟に勝つため本気出す- 作:ドゥンピドゥンピ
アルフレッドがアスラ王国を出て、一年。
二ヶ月に一度やって来る手紙を、イゾルテは楽しみにしていた。
毎朝、道場にて手紙が来ていないかを確認する。
朝から居る門下生が郵便の配達員から受け取った手紙を、イゾルテにと渡してくれるのだ。
毎朝確認するので、イゾルテが聞かずとも、門下生は「今日は来ていません」と答えるようになってしまったほどだ。
「ふふ……」
手紙を受け取れた日のイゾルテは気分が良い。
修行が身に入っていないので、レイダは少し呆れているが。
「……やれやれ」
孫娘が恋愛にうつつを抜かしている現状について、自分も過去に同様だった事もあり強く言えないのだ。
そんなある日のことだ。
「……え?今、なんと言いましたか……?」
耳にした言葉の意味が理解できず、イゾルテは立ち尽くしていた。
「あ、イゾルテさん……フィットア領で大規模な魔力災害があったんですって。そこにいた人は全員、消えてしまったとか」
門下生の一人が話していた内容が気になり、問い掛けてみれば……帰ってきた答えにイゾルテは立ち尽くしてしまった。
消えた?
誰が?
全員?
フィットア領で?
……アルフレッドは?
「…………あ」
呆然とするイゾルテに対して、レイダが肩を叩いた。
「大丈夫かい」
「だ、大丈夫では……アルフレッドさんは、フィットア領に居るんですよ……?なのに……」
「落ち着きな」
落ち着いていられる訳がない。
それでも、レイダの言葉を飲み込んだ。
「……はい」
イゾルテは努めて冷静で居ようとした。
袴を強く握りしめて、息を呑んで、身体を震わせて……下唇を噛んだ。
それでも、声を荒げなかった。
そんなイゾルテを見て、レイダは門下生達へ目を向けた。
「あんたたち、今日は好き勝手に訓練しな。あたしとイゾルテはちょっと、やる事があるさね」
そうして、震えるイゾルテを連れて、レイダは隣の家にまで戻った。
タントリスは仕事があり、家を留守にしている。
レイダはイゾルテを席につかせて、向き合った。
「……お師匠様」
「もう我慢しなくていいよ」
そうレイダに言われて、イゾルテは困惑した。
何を我慢しなくていいのか。
自分は何か我慢しているのだろうか。
分からなかった。
それでも目から涙が零れ落ちた。
そして、イゾルテは祖母であるレイダに抱き着いた。
「……お、お婆ちゃん……アルフレッドさんは、その、無事、なのでしょうか……?」
イゾルテは吃りながらも、レイダに質問を投げた。
レイダに分かる訳がないし、答えられる訳がない。
そんな事は少し考えれば分かるだろう。
それでも、その「少し考える」事が今、イゾルテには出来なかった。
「大丈夫さね。あたしが殺そうと思っても殺せない相手なんて、この世界にそうは居ないよ。そんな奴がどっかで勝手にくたばると思うかい?」
しかし、レイダははっきりと保証した。
明確な事実より、必要な言葉を優先したのだ。
イゾルテも、その言葉が気休めだとは理解できていた。
それでも、そうであったらいい……と少しだけ安心した。
「……ま、あんたはどっしり構えときな。あいつは人の気持ちに疎い朴念仁だが、不義理じゃあない。帰るって言ったんだから、帰って来るさ」
レイダに頭を撫でられ、イゾルテは頷いた。
歳は15を過ぎたとはいえ、レイダにとってイゾルテは、まだまだ小娘だった。
そして、期待している弟子であり、可愛い孫でもある。
少しぐらい優しい言葉をかけてやっても良い。
そうレイダは思ったのだ。
そして、数ヶ月が経過した。
イゾルテの日常は殆ど変わらなかった。
道場で稽古をして、祖母と鍛錬をし、若い水神流の門下生を指導する。
家事をして、兄と食事を取り、眠る。
アルフレッドがフィットア領に出てからと、何も変わらない。
ただ、心の内は変わっている。
今ここに居ないだけならば、心配など無かった。
今どこにいるのかも分からない。
生きているかも分からない。
だから、心配だった。
不安だった。
日常は殆ど変わらない。
それでも少しだけ、変えた事があった。
休みの日、イゾルテは時折り、冒険者ギルドへ足を運んだ。
(……今日も、変わりはない)
そして、掲示板に貼ってあるフィットア領の行方不明者リストを確認する。
そこに刻まれている『アルフレッド・C・ライバック』という名前。
それは、『フィットア領捜索団』に依頼して追記して貰った名前だ。
存在が確認できれば、追記される。
また死亡が確認されれば、斜線が引かれる。
王都アルスの冒険者ギルドにも、写しが記載されているのだ。
そんな行方不明者リストを、イゾルテは定期的に見ていた。
斜線が引かれていく、行方不明者の名前。
それがイゾルテの不安を掻き立てた。
きっと無事に違いない。
そう思っていても、不安は消えない。
冒険者ギルドへ向かった日、イゾルテは必ず、教会へ向かう事にしていた。
そして、祈っていた。
「……偉大なる聖ミリス様。どうか我が祈りを聞き届けてください……どうか、アルフレッドさんが無事に帰ってきますように」
聖堂には人が多く居た。
ミリス教のシンボルの前で、皆が祈っている。
祈る事で何かが変わるのか。
そう問いかける人もいる。
それでも、イゾルテは祈っていた。
気休めかもしれない。
何かをした、という事実が欲しいだけかも知れない。
それでも、祈る。
イゾルテは考えた。
フィットア領の捜索に手を貸すべきか。
今すぐにでも王都アルスを発ち、大陸中を探すべきか。
それは現実的に不可能な話だ。
イゾルテは水神レイダの孫である。
将来を約束された剣士である。
やらねばならぬ事が、ここにはある。
であれば、自分のやるべき事はここに残る事だ。
残って、アルフレッドが帰ってきた時に出迎える事である。
だから、何も出来ない。
だからこそ、祈っている。
自分に出来ることは、祈ることぐらいだ。
その祈りが届いて、もしかしたら助けになるかも知れない。
「…………」
イゾルテは僅かに後悔をしていた。
(……あの時、引き留めていたら)
アルフレッドは北神流の盗賊を狩るため……フィットア領に向かった。
イゾルテは思う。
強く引き留めていれば、きっと彼は行かなかった。
ここに留まっていてくれたに違いない。
そうすれば、魔力災害に巻き込まれる事はなかっただろう。
それでも、思う。
彼は彼の信念のために、フィットア領へ向かった。
引き留める事は出来なかっただろうとも。
それでも、あの時、ああすれば良かった……こうすれば良かった……なんて、後悔は尽きない。
決して短くない時間、教会で祈り、イゾルテはその場を後にした。
そんな日々が続いた。
自分に出来ることをして、出来ないことを祈り、ただ待つ。
そんな日々の中。
「イゾルテさん、手紙ですって」
「手紙……?」
受け取ったのは冒険者ギルドが使うような、飾りっ気のない安価で無地の封筒だった。
その、送り主を確認すべく、封筒をひっくり返すと。
「アルフレッドさん……!」
アルフレッドと、名前のみ書かれていた。
イゾルテは朝の稽古を無視して、封筒を持ち出して自分の部屋へと戻った。
そして、ペーパーナイフで封筒を開ければ……ただただ短い文字の羅列が書いてあった。
イゾルテは察した。
これは冒険者ギルド間で使われる速達便だった。
短い文字数のみしか送れないが、魔術を使って素早く送れる手紙。
その手紙の文面を、イゾルテは読んだ。
『我、無事。必ず帰る』
本当にただ、短い文章だった。
今何処にいるかも、どうしているかも分からない。
内容が殆ど存在しない、手紙と呼ぶにも短すぎる紙切れ。
それでも。
「……よかった」
そんな紙切れに、イゾルテの涙が落ちた。
アルフレッドが生きていた。
そして、必ず帰ると約束してくれた。
それだけで充分だった。
不安が和らいだ。
心に光が差した。
「……本当に、よかった」
嬉しい気持ちと、安心感で涙が溢れたのだ。
胸元から銀のネックレスを取り出し、握りしめた。
アルフレッドに贈って貰ったネックレスだ。
そんな銀のネックレスがどこか暖かく感じた。
瞬間、ドアが開いた。
「サボりとは感心しないねぇ」
「お、おば……お師匠様っ」
慌てて、イゾルテは立ち上がり、師匠であるレイダへ向き直った。
慌てていたので、手紙は持ったままだ。
「ん?……ああ、そうかい」
イゾルテが握る手紙を見てレイダは片眉を上げて……そして、得心して頷いた。
「お師匠様、アルフレッドさんが……」
「ちょっと、あたしにも見せな」
イゾルテはレイダに手紙を受け渡した。
「ふぅん……こんだけかい?」
「え?ええ、はい」
レイダはすぐに読み終えて、イゾルテに返した。
「ま、帰ってくるって言ってんなら、帰ってくるだろうよ。で?イゾルテ……あんたがやるべき事は分かるかい?」
レイダの言葉に、イゾルテは少し悩んだ。
いつか、アルフレッドは帰ってくる。
そして、その上で、イゾルテがやらねばならぬ事は。
「……この道場で、彼を待つ事ですか?」
そう、答えたのだが。
「違うよ。朝の鍛錬さ」
「あっ」
「こんな手紙を貰ったらサボりたくなるのも分かるけど、やるべき事はしっかりしな。そうじゃなきゃ、あいつも呆れちまうだろうさね」
「ご、ごめんなさい」
祖母に叱られ、イゾルテは手紙を机の上に……引き出しに入れた。
短い文章だ。
何度も読み直すものではない。
それでも、きっと何度も読み直すだろう。
イゾルテはそう確信して、机に手紙をしまった。
★
シーローン王国、首都ラタキア。
そのとある宿屋の一室。
「……何をそう不安そうな顔をしているのですか?アルフレッド殿」
アルフレッドの顔を見て、フィリップは質問を投げた。
紛争地帯を歩いていても、野盗と戦っていても、魔物に囲まれても、へらへらと笑っていたアルフレッド。
そんな彼が目に見えて不安そうな顔をしていた。
側にいるヒルダも、そんな彼を見て不安そうな顔をしていた。
自分も同様である。
この旅を引っ張る男が不安そうな顔をしている。
船頭が不安であれば、船員も不安になるものだ。
「いえ、フィリップ殿……別に不安という訳ではないんですよ」
「そうですか?そうは見えませんが……」
付き合いも長くなってきた。
当初は警戒していたフィリップも、心を許せるようになってきた。
ヒルダも距離感を測りかねてはいるが、信頼はしているだろう。
だからこそ、こうして気軽に会話が出来る。
「……そんなに、顔に出ていますかね?」
「ええ、出てますよ。私達に、話してみては?」
フィリップの言葉で、アルフレッドは観念したように頷いた。
「……王都アルスにですね、残してきた妹のような子が居るのですが」
「ほう」
妹のような子、という言葉にフィリップは邪推した。
アルフレッドは美男子である。
プレイボーイだった北神二世の血を引いているだけあり、顔はいい。
しかし、アルフレッドに自覚はない。
そして彼は、とても鈍感である。
そんな男が口にする妹のような子。
あまり、アルフレッドの言う言葉は信用できない。
「いや、先日、彼女に手紙を送ったのですがね。大陸の東西を跨ぐ手紙というのは金がかかるもので……短い文章しか送れなかったんですよ」
「なるほど」
「無事に帰るという言葉だけしか送れず、謝罪も送れなかったんです」
アルフレッドの言葉に、フィリップは首を傾げた。
「謝罪ですか?何か謝る事が?」
「帰りが遅れるからですよ。もっと早く帰ると約束していたので」
「……魔力災害で転移させられたのですよ?その女性も、納得している事でしょう」
「だとしても、ですよ。怒ってるかもしれませんから」
アルフレッドの言葉に、フィリップは片眉を上げた。
「怒るのですか?その、アルフレッド殿を待つ女性は。無事を知らせたのですよ?」
「まぁ……どうにも私は女性の気持ちに疎くて、ですね。アルスに居た頃も、よく怒らせていまして」
アルフレッドの言葉に、フィリップは察した。
(ああ、なるほど。これはアルフレッド殿が悪いね)
アスラ王国へ戻るための旅の中、彼が朴念仁であることは察していた。
そして、女性に奥手らしいことも。
デリカシーに欠けるのだ。
少しマシにはなったが、アルフレッドはヒルダと話す時、何処か怯えたような卑屈な態度を取っている。
それは、ヒルダが不快にならないよう、嫌われないように配慮しているのだと分かる。
しかし、露骨過ぎる。
まるで媚を売る下人のようである。
故にヒルダも警戒していたのだ。
今は……フィリップの説得もあり、そういう不器用な男だと納得しているが。
そんなアルフレッドが「よく怒られていた」と語る女性。
「アルフレッド殿。元々、王都アルスに帰ると約束していたのですか?」
「ええ、フィットア領に来る前に。帰って来て欲しいと言われましてね。なので約束を」
フィリップは察した。
妹のようだと語るからには、若い女性ぐらいだろう。
その女性が持つ感情が、恋愛感情かは分からない。
だが、アルフレッドのことを好いているのだと分かった。
そして、フィリップは考えた。
そんな女性が無事を知らせる手紙を貰って怒っているだろうか。
安心しているに違いない。
アルフレッドは信頼出来ない語り部である。
朴念仁で人の気持ちに疎い。
そんな彼が語る内容は、嘘……ではないにしても、勘違いが半分ぐらい存在する。
話を聞く時は、彼の所感を聞くより、事実を聴取していくといい。
そうフィリップは思った。
少しぐらい誤解を解いてあげようと、フィリップは口を開こうと思い──
「アルフレッド様」
「え?あ、はい?」
ヒルダが先に口を開いた。
とても、珍しいことだ。
「その女の子が怒るのは、きっとアルフレッド様を心配するからです」
「そ、そうですか?」
「そうに違いありません。帰って来て欲しいと、いじらしく願っているのですから……無事を知らせて怒る事はない筈ですよ」
「……そうですかね?」
「そうです」
「……はい」
ヒルダは気が強い。
入り嫁であるが、フィリップよりもサウロスに似ている。
語気も強い。
そんなヒルダの言葉に、いつの間にかフィリップは床へ正座していた。
「アルフレッド様は、もう少し女性の気持ちを考えてあげるべきです。前に滞在した村でもそうです」
「え?」
「村長の娘さん……アンジェリカさんと言いましたか?彼女の扱いに関しても、私は物申したかったのです」
「え?あ、アンジェリカさんですか?」
「はい。彼女が必死に、貴方へアプローチをかけているのに、アルフレッド様は何も返さなかったではありませんか?」
「……アプローチ?」
「食事の時、何度も貴方の隣に座っていたでしょう?」
「……それが何か?」
アルフレッドが首を傾げた瞬間、ヒルダはフィリップへ目を向けた。
言葉はなかった。
しかし、フィリップには分かる。
これは「信じられない、なんて事を言うの!」って顔だ。
「彼女の気持ちに向き合えばよかったのです!なのに、無視をするなんて!」
「……その、すみません。気付かなかったもので」
「そもそもアルフレッド様は、女性の気持ちに疎過ぎます!多少であれば可愛げと言えますが、限度があります!」
「そ、そんなに?」
「自覚がないのですか!?」
何故か、説教は始まってしまった。
フィリップは慌てて、ヒルダの肩を叩いた。
「あの、ヒルダ?少し落ち着いて──
「あなたは黙っていて!私はこの女の敵を、ちゃんとした男に育てる義務があります!」
ヒルダの剣幕に、アルフレッドは姿勢を正した。
「お、女の敵ですか?私が?」
「そうです!ああ、可哀想に!アルスに残した子が怒る理由も分かります!」
「……す、すみません」
故郷から遠く離れた地だというのに、なんとも賑やかな光景だった。
……しかし、どうやってこの事態を収めるべきか。
フィリップは助けを求めて部屋を見渡した。
「ん?」
ギレーヌが乾燥肉を齧っていた。
全く、頼りになりそうな気配はなかった。