北神三世の兄-弟に勝つため本気出す- 作:ドゥンピドゥンピ
イゾルテ・クルーエルは水神流の剣士である。
位階は聖級……齢十と少しにしてその地位に登り詰めた才ある少女である。
現代の水神レイダ・リィアの孫であり、直弟子でもある。
そんな彼女は祖母であるレイダと、兄のタントリスの三人で、道場の側にある家で暮らしていた。
父と母は居ない。
幼い頃に亡くなっている。
兄のタントリスは上級剣士である。
それでも、イゾルテにとっては頼れる兄である。
水神の仕事で家を留守にしがちな祖母に代わり、両親の代わりをしてくれているからだ。
兄には頭が上がらない。
そんなイゾルテは、道着に着替えて、手甲を身に付けて、道場まで来ていた。
「お師匠様、本日もよろしくお願い致します」
イゾルテが頭を下げた相手は、白髪の老婆……水神レイダである。
今日は水神流の道場も休みであり、門下生は来ていない……が、本来剣士に休みはない。
休みの日を使い、レイダは孫娘であり直弟子であるイゾルテに指導していた。
早速、イゾルテは剣を構えた。
構えを見せて、レイダから指摘して貰う。
イゾルテから見て完璧な構えだとしても、改善点があるとレイダは言う。
「ああ、そうじゃないよ。右手が上で、もっと力を抜いて……」
祖母の、水神レイダの言葉が止まった。
「お師匠様?」
家では、『おばあちゃん』と呼んでいる。
それでも、道場ではお師匠様と呼んでいる。
最低限の線引きであり、祖母と孫である前に、剣士であるという線引きだ。
「……誰か来たようだね」
レイダがそう口にしたと同時に、鳴子が鳴った。
来客を知らせる音だ。
「み、見てきます」
レイダが何かを言うより早く、イゾルテは門へと向かった。
雑事は弟子であるイゾルテの仕事だったからだ。
しかし、イゾルテは不思議だった。
鳴子の音より早く、レイダが反応したからだ。
それを不思議に思いながらも、イゾルテは駆け足で道場を離れて……門を開けた。
そこには黒髪、赤目の端正な青年がそこに立っていた。
「どなたですか?本日は休みだと門前にも、看板が立て掛けていると思うのですが……」
イゾルテはジロジロと観察しつつ、その腰に剣が差してあることを確認した。
それも、左右に。
三大流派で二刀流など、あまり聞いた事がない。
不思議に思いながら、この男は剣士なのだと理解した。
「あれ?そうなのですか?まいったな……水神レイダ殿とお会いしたかったのですが」
そう言いつつ、男は後頭部を掻いた。
目を細めて笑う姿からは、気迫を感じられない。
優男というか……剣士らしからぬ仕草だった。
その様子にイゾルテは警戒心を緩めて、息を吐いた。
「お師匠様は確かに居ますが……そもそも、貴方は何者ですか?」
「ああ、申し遅れました。私の名前はアルフレッドと申します」
男……アルフレッドは名を名乗りながら頭を下げた。
それに釣られて、イゾルテも頭を下げた。
「水神レイダの弟子、イゾルテ・クルーエルです。それで、用事とは?」
「レイダ殿に一手、御指南頂きたく」
その言葉に、イゾルテは眉を顰めた。
よく耳にする言葉だ。
力自慢の道場破りが、よく口にする常套句だ。
丁寧な口調と態度だったが、道場破りだったか。
そうイゾルテは判断して、ため息を吐いた。
「お帰り下さい。今日は休みですから、貴方のような手合いと戯れる時間などありません」
「そうですか……」
道場破りとは不快なものだ。
水神流を軽んじて、自分の方が上だと自惚れた輩達だからだ。
水神レイダのことを舐めている奴らなのだ。
イゾルテが不快に感じても、おかしくはない。
そう断ったのだが──
「いいじゃないか。入れてやりな」
「……お師匠様」
振り返れば、水神レイダがそこに居た。
気怠けにしながらも、どこか緊張感のある姿勢をしていた。
普段ならば、門前払いにしていた筈だ。
だというのに、どういう風の吹き回しだろうか。
困惑するイゾルテに対して、アルフレッドは笑みを浮かべた。
「おお、貴女が水神レイダ殿ですか?」
「そうだよ。そういうアンタは?」
「アルフレッドと申します」
「そうかい、血気盛んな若者だね。入りな」
「血気盛ん、ですか?」
「惚けるんじゃないよ」
「はぁ……?」
水神レイダの決定は絶対である。
イゾルテは不服に思いながらも、アルフレッドを道場に上げた。
レイダが先頭で、自分より歳上であろう青年アルフレッドが跡を追い、その後ろをイゾルテは歩いた。
背中は隙が丸出しだ。
警戒心など無いのだろうか。
そう思いながらも、三人は道場の大部屋である稽古場まで来ていた。
畳が並べられた部屋で、普段の鍛錬にも使われている部屋だ。
「さて、アルフレッドと言ったかい……あんた、あたしと戦いたいんだろ?」
「え?ええ、まぁ、はい。剣を交えてご指導頂ければと」
自身を低く見積もった口調。
だが、どこか傲慢に見える。
水神流の頂点に立つレイダに対して、無礼極まりない。
そうイゾルテは内心で憤慨していた。
尊敬する祖母であり、水神であるレイダを侮る事は、己を侮るより許せない事だった。
そんなイゾルテを見抜いてか、レイダは片眉を上げた。
「そうかい……ならまずは、うちの弟子とやってみな。それで勝ったら、考えてやるよ」
「よろしいので?」
「その子が良ければ、さね」
レイダの言葉に、イゾルテは頷いた。
納得が行かないならば、剣で捩じ伏せてみせろ。
そう言外に意味が込められていた。
そして、その意味をイゾルテは感じ取っていた。
「では……私、イゾルテがお相手させて頂きます」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
イゾルテの言葉に対して、アルフレッドは何も緊張した様子がない。
その仕草に少し苛立ちながら、イゾルテは壁に掛けてある木剣を二本、手に取った。
片方は普段使いしている自分用の木剣。
もう片方は誰の所有物でもない共用の木剣だ。
イゾルテはその後者を、アルフレッドに渡した。
「これを、お使い下さい」
「かたじけない」
イゾルテは剣を手渡しつつ、アルフレッドの腰に刺さった二本の剣を見た。
「……二本必要でしょうか?」
恐らくは二刀流……であれば、模擬戦でも木剣を二本握った方が良いだろう。
そう考えての問い掛けだったが。
「いえいえ、一本で構いませんよ」
「……そうですか」
また、イゾルテは少し苛立った。
まるで本気を出すなら二本必要だが、自分相手ならば一本で十分だと言っているように見えた。
「では、位置につきな」
レイダの言葉に、イゾルテはアルフレッドと向き合った。
そして、正面に構えた。
剣先は下に、足は揃えて……脱力。
水神流は後の先を極める流派である。
相手の一挙一動を打ち返し、反撃する。
受け流しと打ち返しを同時に行うことを理想とする。
「はじめ!」
イゾルテは待っていた。
相手が剣を振るうのを待っていた。
その動きを見切り、受け流し、返し一手で気絶させる。
そう考えながら、アルフレッドに目を向けた……だが。
「…………」
アルフレッドは自然体だった。
構える事もなく、殺気を放つ事もない。
ただ昼下がりに散歩する老人のように、全くの無警戒で無防備な姿だった。
今なら。
今攻めれば。
この男を打ちのめせるのではないか。
そう考えてしまうほど、無防備であった。
「…………っ」
舐められている。
イゾルテが、そう理解するのに時間は必要なかった。
「イゾルテ殿、来ないのですか?」
思えば、この男の敬語も不快であった。
敬う気持ちなどなく、ただ距離感を作るためだけの敬語に聞こえた。
水神流は、話術も扱う。
受身の剣術であり、後の先の術理だからだ。
相手を挑発し、攻撃を誘い、手痛い反撃で勝つ……そのための話術。
であればこそ、アルフレッドの敬語が形だけのものであることをイゾルテは理解していた。
「…………」
だからといって、イゾルテは先に動かなかった。
安い挑発には乗らない。
高い挑発にも乗らない。
迂闊に踏み込まず、相手のペースに飲まれない。
それが出来るからこそ、イゾルテは水神流の才能があるとレイダに認められている。
「来ないのなら、こちらから行かせて貰いますね」
対するアルフレッドは、何に縛られる訳もなく、一歩踏み込んできた。
剣は構えていない。
右手に緩やかに握っている。
左手は何もしていない、揺れているだけだ。
「…………」
イゾルテは困惑しつつも身構えた。
このような構えなど見た事がない。
そもそも構えだとは思えない。
かといって構えでなければ何なのか。
そう考えている間に、アルフレッドは間合いに踏み込んでいた。
「では……もう一歩」
そう気兼ねなく、口にした瞬間……アルフレッドの右手がブレた。
「……っ!」
右下からの切り上げ。
ノーモーションからの一撃。
それに対してイゾルテは、反応する事に成功した。
バチン、と木剣がかちあった。
「む……っ?」
その現象にアルフレッドは少し不思議そうな顔をしていた。
まさか反応されるとは思ってもいなかったのだろう。
腹が立つ。
打ち込んできた力をそのまま、木剣へと反射する。
その武器を吹き飛ばし、奪うために。
「はっ!」
水神流、『流』。
それは水神流の基礎であり、奥義である。
相手に攻撃を受け、その力を己と力とし、打ち返す。
極めれば如何なる攻撃をも防ぎ、どんな相手をも倒せるとされている。
その力を、アルフレッドの持つ木剣へと押し返した。
そして、アルフレッドの持つ木剣は吹き飛んだ。
(勝った……!)
そう考えた瞬間、己の持つ木剣が急に軽くなった。
「……っ!?」
視線を剣へ向けた。
そこには剣が無かった。
確かに、アルフレッドの剣を飛ばした筈だ。
だというのに、アルフレッドは手に剣を握っていた。
(何が……!?)
どういう訳か。
理解するより早く、イゾルテの足に衝撃が走った。
「くっ……!」
足払いをされた。
そう理解する頃には、イゾルテは稽古場の床に転がった。
咄嗟に受け身を取った瞬間、首元に木剣を突き付けられた。
「まだ続けますか?」
アルフレッドの持つ木剣を見て、イゾルテは気付いた。
その木剣は最初、イゾルテが握っていた剣だった。
鍛錬によって生まれた柄巻きに滲む血の汚れ……それが、アルフレッドの木剣にはあった。
「……いえ」
つまりは……自分が『流』で剣を弾いた瞬間、アルフレッドは剣を奪ったのだ。
あまりにも早く、同時に。
その瞬間を見ることも出来ず、戦いが終わってから気付いた。
完敗である。
悔しさと不甲斐なさから歯を噛み締めていると……アルフレッドが手を伸ばしてきた。
「立てますか?」
立ち上がれるよう、手を貸して来たのだ。
イゾルテはそれを無視して、膝を立て、自力で立ち上がった。
「結構です……!」
苛立ちながらも、イゾルテは一礼して……自分が吹き飛ばした木剣を拾いに行った。
アルフレッドはその様子を見て、虚空に伸ばした手を彷徨わせていた。
そして、視線をレイダへと戻した。
「レイダ殿は、驚かないのですね」
「意外でも何でもないさ。こうなるだろうと思ってたからね」
レイダの言葉に、イゾルテは木剣を拾いつ眉を顰めた。
自分が負けることを予測していた、と言ったからだ。
「私がお弟子さんに、怪我をさせると思わなかったんですか?」
「あんたにゃ殺気がなかった。それにイゾルテは弱くないよ。多少、怪我しても糧にするだろうさ」
レイダは、自身の孫であり弟子であるイゾルテが増長していることを知っていた。
威張り散らすような事はしなかったが、余分な自信を持っていたのだ。
もっと悪い増長の仕方なら素直に叱る事ができたのだが……そう思っている所に沸いた、殺意がなく、間違いなくイゾルテより強い相手。
手合わせが得になると、レイダは判断したのだ。
「なるほど。良い信頼関係ですね」
「あんたは素直過ぎて気色悪いね」
そうレイダが言えば、アルフレッドは苦笑した。
苛立つような様子ではなく、気まずそうな顔だ。
そんな様子をイゾルテは面白くないものを見るような目で見ながら、木剣を拾った。
「それで、次はレイダ殿が相手して頂けるのですね?」
「仕方ないねぇ、老骨に鞭打つなんて若者のやる事じゃないよ」
「それは申し訳ありません」
「言葉通りに、労わるんじゃないよ」
そう口にして、レイダが立ち上がった。
合わせて、アルフレッドはイゾルテに目を向けた。
「イゾルテ殿、申し訳ないのですが、もう一本、木剣を──
「いらないよ。その腰にあるのを使いな」
そう言い切って、レイダは腰から剣を抜いた。
「お師匠様……!?」
「……むっ」
イゾルテが声を上げると同時に、アルフレッドは木剣を投げ捨てた。
そして、レイダのように腰から二本の剣を抜いた。
「おや、鋭いね」
「恥をかかせる訳にはいきませんからね」
その言葉のやり取りの意図を、イゾルテは理解出来なかった。
しかし、互いに真剣で打ち合おうとしている事だけは分かった。
先程までの木剣での手合わせとは違う。
重圧が身体にのしかかっていた。