北神三世の兄-弟に勝つため本気出す- 作:ドゥンピドゥンピ
アルフレッド失踪から3年……甲龍歴422年。
アスラ王国の王都アルス。
その水神流道場宗家……鍛錬場にて。
「…………」
剣を振るう事もなく、ただイゾルテは座禅を組んでいた。
木剣ではなく真剣をすぐ側に置いて。
ただ集中していた。
その様子を、レイダは眺めていた。
そして、無音のまま真剣を抜き近付いて──
金属音が道場に響いた。
座禅を組むイゾルテにレイダが剣を振るった。
だが、その剣はイゾルテに受け流されていた。
(……随分と鋭く育ったもんだね)
制空権というものが存在する。
手を伸ばし、剣を伸ばし、届く自分の間合いの空間のことだ。
これを正確に把握して、相手が踏み込んできた時のみ反応する。
一切の無駄なく、過不足のない迎撃。
空間を支配すること、これこそ水神流の奥義である。
「……お師匠様?いかがしましたか?」
「いんや、ちょっと様子を見に来ただけだよ」
イゾルテは目を細めて穏やかな笑みを浮かべている。
それが彼女の本質であることを、レイダは否定しない。
穏やかで、優しく、お淑やかな女性である。
だが、それとは別に、内に激情を秘めた剣士であることもレイダは知っていた。
「……そうですか」
イゾルテは再び、座禅を組み始めた。
『水帝』イゾルテ・クルーエル。
水神レイダの直弟子であり、もっとも水神に近い剣士である。
そんな彼女から見て取れるのは、“焦り”だ。
(水帝って言っても、あたしから見りゃ小娘だね)
剣の腕と、心の強さというのは必ずしも合致しない。
イゾルテには余裕がない。
強くなりたい、強くならなければ、という心が先にある。
緩急がないのだ。
剣の技能が優れていても、争いの場では心の強さも求められる。
このままでも、自分より格下には勝てるだろう。
同格とも良い勝負をするだろう。
だが、格上には必ず勝てない。
そして、剣士とは必ず勝てる相手以外とも戦わなければならない生き物だ。
レイダから見れば、剣の腕は認めていたとしても、イゾルテは未熟だという印象だった。
(……そうさね)
ふと、レイダは思った。
先日、知人から手紙を貰っていた。
それを使えば、あるいは。
「イゾルテ、あんた前から剣の聖地に行きたいって言ってたろ?」
「え?ええ、はい」
剣の聖地。
それは中央大陸かた北、北方大陸の最西端に存在する場所だ。
剣神流の主、剣神が居座り剣を教える場。
強者こそ全てであり、常に下剋上が狙われる修羅の土地。
それこそが、剣の聖地である。
イゾルテは前々から、剣の聖地に興味があった。
殺伐とした場所だと有名であるが、強くなるためならば行ってみたいと思っていたのだ。
「行ってみるかい?」
「はい?よろしいので?」
「ああ、あたしの付き添いだけどね。ガルの坊やに呼ばれてんだよ」
「ガル……剣神ガル・ファリオン様ですか?」
「そうさ。なんでも、弟子を鍛えて欲しいってね」
「……弟子」
「良い機会だ。教えるついでに、あんたも剣神流を学びな」
「はい、お師匠様」
イゾルテは頭を下げた。
願ったり叶ったりだったのだ。
水神流の中でいくら鍛錬しようと、劇的な変化は訪れない。
自分と異なる流派を知ることで、得るものがあるに違いない。
そうイゾルテは考えていたのだ。
★
その晩、イゾルテは身支度をしていた。
「お婆ちゃんも急なんだから……」
レイダ曰く、明日にはもう水神流の道場を発つという。
イゾルテは思った。
鍛錬をしに行くとレイダは言ったが、ほんの数日、数ヶ月の話ではない。
それなりに長い期間、滞在するだろう。
だというのに、思い立ったが吉日と言わんばかりの行動だ。
呆れつつも、イゾルテは身支度をしていた。
荷物を詰める鞄に、必要なものを入れていく。
復習用の礼儀作法の本、衣服、下着……化粧品。
水神流は剣術であるが、剣を極めれば良いという話ではない。
その言葉で、その立ち振る舞いで、その姿で、相手の剣を誘い、勝つ。
であれば、必要なものである。
そして、青い宝石がはめられた銀の首飾りを手に取った。
「…………」
青い宝石は燻んでいる。
銀の鎖は破損していて、首から掛ける事もできない。
元々、安物の首飾りだった。
それほど長く、愛用することを想定されていないのだろう。
だが、イゾルテはそれを捨てる事など出来なかった。
「……アルフレッドさん」
イゾルテの年齢は十九。
それなりに、生きてきた。
そんな中の、たった数年、共にいただけの男。
イゾルテは、そんな男にまだ心を捉われていた。
「…………」
銀の首飾りを握りしめる。
貰ったものは、幾つもある。
だけど、形あるものはこれぐらいだ。
だから、大切に思っている。
忘れたくないものを、忘れないために。
「……仇は、私が必ず取りますから」
握りしめた首飾りを、鞄に入れた。
そして、イゾルテは鞄を閉じた。
★
馬に乗って一ヶ月。
剣の聖地へとイゾルテとレイダは到着した。
「お師匠様、ここが剣の聖地なのですね」
雪の積もる町だ。
少年少女が木剣を手に駆け巡っている。
若いながらも、剣士の卵なのだろう。
「そうさね。見りゃ分かるだろう?」
「緊張しますね」
「心にもないことを言うんじゃないよ」
レイダはイゾルテを一瞥した。
ぴりぴりとした気迫のようなものを感じていた。
この町の人々から発せられる剣に対する執着心……強さを求める貪欲さを、イゾルテは感じ取っているのだ。
「まずは宿を用意しますか?」
「いいさ。ガルの坊やの所に泊めて貰えばいい」
足を進めていく中、少しずつ町の人の姿が変わっていく。
冒険者や商人の姿は減り、木剣を手にした道着姿の剣士が増えていく。
雪の積もる町だというのに、薄着の道着だ。
「随分と薄着ですね。寒くないのでしょうか?」
「剣神流は早く動けなきゃ、木偶の坊なのさ」
「なるほど」
水神流は逆である。
自ら動く必要がないため、防御力を高める為に鎧などを身に纏う。
王宮剣術という事もあり、格式高い服装でも戦う技術を要求される……という理由もあるが。
足を進めると、道場が増えてくる。
剣神ガル・ファリオンの居る本道場には、剣聖以上のものしか入れない。
それ以下の剣士は、外の道場で鍛えるしかない。
そうして、更に足を進めると、道場も減っていく。
一面の雪景色の一本道が残っているだけだ。
その先に、塀に囲まれた大きな道場があった。
それこそが剣神流の総本山、剣の聖地の大道場だった。
大道場の入り口に到着すると、一人の門下生が出迎えてくれた。
名前をニナ・ファリオン……剣神ガル・ファリオンの娘である。
イゾルテは自身と同年代……ほんの少し若いであろう剣士を観察することにした。
身のこなし、態度、立ち振る舞い。
剣神流の剣士にしては礼儀正しいと、イゾルテは思った。
「若いのに随分と素直で、鋭いね。剣王ぐらいにはなったかい?」
「いえ、私などまだまだです」
「謙虚なことだね」
その言葉から王級には至っていないことを、イゾルテは察した。
つまり、聖級……剣聖だろう。
あまり、交流して利益のある相手ではないか、とイゾルテは思った。
「…………」
そんなイゾルテの様子を、レイダは横目で見て……そのままニナに連れられて『当座の間』まで到着した。
「……っ」
瞬間、イゾルテは身に殺気を感じて、腰の剣に手を伸ばし──
「やめな」
「……はい、お師匠様」
イゾルテは剣から手を遠ざけた。
そして、レイダと共に殺気の元へと目を向けた。
そこにいたのは青い髪をした強面の男だった。
「おいおい、また随分と鋭い弟子を連れてきたじゃないか。ええ?」
「私の可愛い孫娘だよ。あんまり意地悪してると、あたしが相手になるよ」
「そりゃいい……が、そういう目的で来て貰った訳じゃねぇんだ。今日はな」
当座の間、その奥に『剣神』ガル・ファリオンが座っていた。
「遠路はるばる来てやったってのに、随分な挨拶だねぇ。あんたが頭下げるっていうから、物珍しくて来ちまったってのに」
「フッ、くえねぇ婆さんだ。面白半分だけで、ここに来る訳ないだろ?」
ニナが座布団を用意したのを見て、レイダはガル・ファリオンの正面に座った。
ついでに、イゾルテも横に座った。
(これが剣神、ガル・ファリオン……)
研ぎ澄まされた気迫。
自然体だというのに全く隙がない。
今、彼が剣を抜いて、こちらへ襲い掛かったら……レイダは無事だろうが、自分は反応できるだろうか。
警戒していなければ無理だろう。
レイダはそう判断して、警戒心を強めた。
「それで、あたしは誰に何を教えりゃ良いんだい?そこのニナかい?まぁ、素直そうな子だ。水神流も使えんことはないだろうさ」
「……そう思うか?」
『剣神』ガル・ファリオンはどこか、面白そうな話を聞いているような雰囲気だ。
それを訝しみながらも、レイダは話を続ける。
「ただし、あたしからも条件があるよ。あんたが自分の弟子を鍛えて欲しいように、あたしも弟子を鍛えて欲しいのさ。剣神流を教える必要はないけどね」
「いいだろう、お安い御用だ。何だったら、うちの弟子と手合わせでもさせようか?」
その言葉は願ったり叶ったりである。
レイダの頷いた。
「そりゃいいね。じゃあ、そこのニナと──
「ニナ。エリスを呼んでこい」
おや?とレイダは首を傾げた。
確かに、水帝であるイゾルテに対して、剣聖であるニナでは力不足かも知れない。
水王であった頃ならば、ニナに勝ち目があっただろうが……今のイゾルテは鋭い。
アルフレッドを失ってから、鍛錬に身も心を注いで来た。
目にも止まらぬ剣速といい相性が良かろうが、それでもイゾルテに勝ち目はないだろう。
だとしても、同年代で一番の剣士の筈だ。
そう考えていたのだが。
★
ドン、と音がして、当座の間の扉が開いた。
乱暴な登場に、イゾルテは僅かに顔を顰めたほどだ。
そこにいたのは獣だった。
赤髪の獣……名をエリスというらしい。
人の形をしているが、まるで道端で魔物に遭遇したかのような感覚だ。
何をしでかすか分からない、そんな剣士がそこにいた。
「……よろしく」
飢えた獣のような激情。
それにレイダは覚えがあった。
孫娘であるイゾルテも、同じ激情を持っていた。
だが、このエリスという獣に比べれば、イゾルテは随分と人間なのだが。
(まるで野獣だね)
そう評価して、レイダはガル・ファリオンに目線を戻した。
「悪いけど、ガルの坊や。この小娘に水神流は向いてないよ」
「んな事は分かってる」
「……何が望みだい?」
「何も教えなくていい。婆さんところの弟子と同じだ。ただ水神流で相手すりゃいい」
レイダは察した。
ガル・ファリオンは自分と同じく、弟子に他流派の剣との戦い方を学ばせたいだけなのだ。
「で?なんで、あたしがこの子に水神流のことを教えてやんなきゃいけないんだい?あたしを殺させるつもりかい?」
「はっ、放っておいたら死ぬ婆さんを殺してどうなるってんだ」
呆れたガル・ファリオンに対して、レイダは鼻で笑った。
「じゃあ、誰を相手にさせるつもりなんだい?」
「龍神オルステッドだ」
「なっ……」
瞬間、レイダはイゾルテを見た。
表面上は何も変わっていないように見えた。
なら、安堵できるのか。
いいや、無理だった。
レイダは感じ取っていた。
イゾルテに渦巻く激情を。
怒りにも近い、気迫を。
「ほう……」
ガル・ファリオンも気付いていたようだ。
面白がるように笑っている。
対して、ニナは何事かとガル・ファリオンとレイダを交互に見ていた。
そして、残りのもう一人は。
「なによ、アンタ」
気迫をぶつけられた当人、エリスはイゾルテを睨み付けていた。
対するイゾルテも、目を細めながらエリスを見ていた。
「いえ……随分と大きな目標をお持ちなようで」
「馬鹿にしてんの?私はやるわ」
「そうですか」
納得したような顔をしているが、イゾルテは全く納得していないように見えた。
それどころか、少し見下すような視線を向けていた。
その様子を見て、レイダは呆れていた。
(……やれやれ、アルフレッドの坊やが来てからマシになったってのに。最近また、悪癖が出るようになってるね)
レイダは頭を掻きながら、ガル・ファリオンに目線を戻した。
そこには愉快そうな笑みがあった。
「婆さんはどう思う?」
「自信があるってのは何よりさね。けどね、あたしは才能のない奴に付き合うのは、まっぴらゴメンだよ」
「そうか、奇遇だな。俺もだ」
くっくっく、とガル・ファリオンは悪そうな顔で笑った。
「もう分かってるんだろ?」
「そうだな、好きなようにやらせりゃいい」
言外に意味を詰めて、言葉を交わす。
そして、レイダはイゾルテに目を向けた。
「“そういう訳”だよ。イゾルテ、相手してやりな」
レイダの言葉に、イゾルテは立ち上がった。
そして、エリスとニナの前に立った。
「『水帝』イゾルテ・クルーエルです。以後、お見知りおきを」
「『剣聖』ニナ・ファリオンです!よろしくお願いします……」
ニナは少し表情を強張らせていた。
対して、エリスはまだ、ふてぶてしい顔をしていた。
「エリス・グレイラットよ」
ボレアスという家名を捨て、ただの一人の剣士となったエリスはイゾルテと向き合った。
対してイゾルテは、口元に手を置き……小声で二人に話しかけた。
「師匠に言われて仕方なく相手をしてあげますけど……剣聖ごときが、私に触れられると思わないで下さいね」
小声といっても、レイダには聞こえていた。
寧ろ、わざと聞こえるように話したのだろう。
ガル・ファリオンも気付いており、笑いを堪えていた。
レイダは少し頭を抱えていたが。
これは水神流の、相手の攻撃を誘うための話術……でもあるが、イゾルテの本心でもあった。
自分は強くなる為に剣の聖地に来たのだ。
だというのに何故、こんな格下を相手しなければならないのか。
そして、こんな格下が自分と同じ目標を持っている。
その事実が腹立たしいのだ。
(仲良くやれとは言わないけどさ……もうちょっとぐらい、競い合うっていう心持ちは持てないもんかね)
殺気が満ちる道場で、レイダはため息を吐いた。