北神三世の兄-弟に勝つため本気出す- 作:ドゥンピドゥンピ
中央大陸の北方地帯、その最西端。
剣神流の総本山、『剣の聖地』。
木剣の打ち合う音が、何処からでも耳に聞こえる。
街だろうと、道場であろうと、居酒屋だろうと。
子供は、玩具より剣を持っている。
男児だろうと女児だろうと。
そんな場所である。
北方地帯は寒い。
一面の雪景色が広がっている中、道場が並ぶ。
彼等は剣神流の道着を身に纏い、剣を振るっている。
見ているだけで寒さを感じてしまうような格好だ。
そんな道場が並ぶ道を奥へ、さらに奥へ。
最奥に存在するのが、剣神流の本家である。
その、『当座の間』。
『剣神』ガル・ファリオンと『水神』レイダ・リィア……それとニナが見守る中、イゾルテはエリスと向き合っていた。
「…………」
「…………」
張り詰めた空気の中、互いに真剣な目を向け合う。
剣を構えて、向き合う。
エリスは自身の間合いに持ち込めるよう、躙り寄る。
対してイゾルテも、不意に間合いに持ち込まれぬよう距離を調整していた。
当座の間、その床の木の板を擦るような音だけが響く。
「くぁ……」
そんな二人を見て、ガル・ファリオンは欠伸をした。
単純に退屈だったのだ。
その欠伸の声に、二人は。
集中力を欠いたとは言わない。
だが、確かに、無意識のうちにほんの少し、一割にも満たない僅かな意識を割いたのは事実だ。
その隙に、エリスは大きく踏み込んだ。
「……ッ!!!」
静からの、動。
ほんの一瞬、瞬きにすら満たない一瞬での切り替わり。
その一瞬で、エリスはイゾルテに肉薄していた。
「……っ」
イゾルテには声を上げる余裕すらなかった。
だが、油断もなかった。
瞬時に剣を横に構えた。
刹那、エリスが木剣を振るった。
剣神流奥義『光の太刀』である。
その一瞬の手前、イゾルテも木剣を構えていた。
水神流奥義『流』である
「……ッ!」
「……っ!」
互いに、流派の基礎とも言える奥義。
だが、奥義とはその流派の真髄である。
エリスの放てる最速で最強の一撃。
それを、イゾルテは最高の精密さで受け流した。
「チッ!」
エリスは舌打ちをしつつ、床を蹴った。
あまりの威力に床を踏み抜いたぐらいだ。
宙で回転しつつ、『流』による反撃を受け流そうとしたのだ。
「…………」
しかして、イゾルテも黙ってそれを見ている訳がなかった。
宙へ飛ぼうとしたエリスの力の流れ、その方向を『流』によって誘導する。
自分が足で生み出した力が、そのまま回転力に変わる。
「……ッ!?」
エリスはそのまま空中で一回転し……しかし、制御を失っていなかった。
力を流されたとして、抗うことを辞めたのだ。
そのまま己の力を自らの手中へと引き戻し──
「だあぁぁあッ!!」
エリスは一撃を放った。
咄嗟の、苦し紛れの一撃。
「なっ」
だがしかし、確実にイゾルテの不意を突いた。
それでも木剣を防御に向かわせられたのは、イゾルテの経験がそうさせたからだ。
不意の一撃には慣れていた。
元々、何でもありの北神流の使い手と日頃から鍛錬していたのだから。
だがしかし、咄嗟に防御で何とかなるような一撃では無かった。
バキィッ、と。
木剣の折れる音が『当座の間』に響いた。
宙を木剣の剣身が舞った。
それは、イゾルテの木剣だった。
エリスの木剣もひび割れていた。
だが、辛うじて剣の形を保っていた。
「……私の負け、ですね」
イゾルテは長さが半分になってしまった木剣を、床に落とした。
「……っ、やったわ!私の勝ちよ!」
対して、エリスは嬉しそうに笑みを浮かべていた。
そして直ぐに、目の前のイゾルテに気付き、声を詰まらせた。
イゾルテは知っていた。
こうして見えて、エリスは気が利く。
負けた相手を前で、子供のようにはしゃぐのはどうかと、自制したのだ。
それが少し面白くて、イゾルテは笑みを浮かべた。
「エリスさん、別によろしいのですよ?」
「な、なにがよ……?」
「ふふ、何でも。ですよ」
負けた悔しさはある。
実践形式の手合わせで負けたのは、これが初めてだ。
次も同じ結果になるとは思わないが、そんな言い訳は実際の殺し合いでは成り立たない。
エリスは強くなったのだ。
イゾルテは関心しつつ、染み染みと思った。
そんな二人を見て、ガル・ファリオンはため息を吐いた。
「……勝った負けた、だってのに、随分と清々しい顔じゃねぇか。もっと悔しそうにしろよ」
そんなガル・ファリオンの言葉に、レイダがため息を吐いた。
「んな事、言うもんじゃないよ。
茶を飲みつつ、レイダは目を細めた。
「二人ともお疲れ様!」
そんな中、手合わせを見ていたニナが手ぬぐいを手に駆け寄った。
それをイゾルテは受け取った。
「ありがとうございます、ニナさん」
「……これぐらいしか、私に出来る事はないからね」
お礼に対して、どこか諦観したような言葉。
そんな事はない、とイゾルテは言おうとしたが──
「そんな事はないわ!私、まだ、ニナよりも早く剣は振れないもの!」
手合わせをしても、ニナは今、エリスに殆ど勝てない。
イゾルテに対しては、一度も勝てていない。
彼女の自信は喪失していた。
「二人とも……そうね。私も、もう少し頑張ってみるわ」
励まされていると気付いたのだろう、ニナが照れ臭そうに笑った。
そんな笑顔に釣られて、イゾルテも笑みを浮かべた。
「……ふふ」
「何笑ってんのよ」
「いえ、何でもありませんよ」
この空気感が、イゾルテは好きだった。
確信を持って、この二人とのことを友達と呼べる。
イゾルテはそう思っていた。
★
そして、翌日。
『水帝』イゾルテに手合わせで勝った事もあり、エリスはルーデウスの元へ向かう事となった。
ルーデウスの居る魔法都市シャリーアは、剣の聖地から東……早くとも約一ヶ月ほど掛かる。
それでも、エリスにとっては苦にならない旅であった。
腰に二本、剣を差し……剣聖以上に与えられる黒い外套を着ていた。
隣に居るギレーヌとお揃いの外套だ。
堂々たる格好である。
彼女こそが『狂剣王』エリス・グレイラットなのだ。
「あんた達には世話になったわね」
そんなエリスは、ニナへ目を向けていた。
「まぁ、エリスの世話は……したわね」
「そこは否定しなさいよ」
「事実だから仕方ないでしょ。ご飯炊いてあげたりね」
「ふん」
エリスの着ている外套は、魔物の毛皮だ。
エリス自身が討伐した魔物だが、道案内としてニナに協力して貰った。
ついでにイゾルテもついて来た。
ちょっとした思い出である。
ふと、蹄の音が聞こえた。
「ギレーヌが来たわね」
馬を先導するギレーヌの姿があった。
そこには四頭……ギレーヌだけではなく、イゾルテも手綱を引いていた。
そして、イゾルテの引く馬には水神レイダが乗っていた。
「やれやれ、ガルの坊やは見送りにも来ないのかねぇ」
「お師匠様、剣神様はお酒の飲みすぎでまだ寝ているのですよ」
「やだねぇ、良い歳して。子供っぽいったらありゃしない」
水神レイダとイゾルテ。
二人はエリスの鍛錬を手伝う目的で来た。
エリスが剣の聖地を離れるのであれば、ここに居座る意味もない。
アスラ王国に帰るつもりであった。
そんなイゾルテに対して、ニナは少し寂しそうな顔をした。
「イゾルテも帰っちゃうのよね」
「ええ、はい。アスラ王国に戻ります。剣術指南役として、お城に勤めようと思います」
「そうなんだ……寂しくなるわね」
「ええ、私もですよ。ニナさんも、アスラ王国に来る事があれば尋ねて下さい。案内ぐらい、致しますから」
そうイゾルテが告げると、ニナは笑みを浮かべた。
その様子を、レイダは満足げに見ていた。
気になる男を失って、復讐に執着し、友人すら作れなくなった孫娘が笑っているのだ。
それだけで剣の聖地に来た意味があるだろう。
そんなイゾルテは、エリスへ視線を向けた。
「エリスさん」
「何よ」
「……もし、オルステッドと戦う事になったら、呼んでくださいね?私も助太刀しますから」
「いいけど……あんたは戦いたいだけでしょ」
「ふふ、そうですね」
しかして、そんな会話にレイダは額を揉んだ。
友人が出来て心は穏やかになったのだろうが、根本は変わっていないのだろう。
「イゾルテ」
「はい?どうかしましたか、お師匠様」
復讐なんて諦めろ、と喉元まで来ていた。
レイダはオルステッドと相対した事がある。
手も足も出なかったのだ。
孫娘を案じて、諦めるべきだと言おうと思った。
「はぁ……何でもないよ」
だが、黙った。
「……変なお師匠様ですね」
イゾルテは不思議がるが、レイダはため息を吐いた。
「エリスさん!手紙でーす!」
そんな中、ジノが手紙を持って現れた。
「手紙……?誰からよ」
「あっ」
エリスはその手紙をひったくると……裏に、ルーデウスという署名が見えた。
「ルーデウスじゃない!」
そして、爪で封筒の端を引っ掻いて開けようとしたが……開かない。
無理矢理開けば破れるかもしれない。
苛立ったエリスは手紙を宙へ投げて、剣を抜いた。
「ハッ!」
一閃、手紙の封は切られて、手元へ便箋が落ちた。
そして急いで手紙を読み始めたが……エリスは顔を顰めた。
「エリスさん、どうかしたのですか?」
イゾルテが問い掛けたが、顔を顰めるばかりである。
「ねぇ、エリス。何が書いてあるの?教えてよ」
ニナに声を掛けられた瞬間、エリスは顔をあげた。
「うっさいわね!ちょっと難しい字が多くて、読むのに時間かかってるだけよ!」
「え?あ、そうなの?」
「ニナが読んでよ!」
「えぇ……私、読めないんだけど……イゾルテは?」
ちらと、ニナはイゾルテを見た。
「読みましょうか?」
「お願いするわ!」
エリスは素直に、イゾルテへ手紙を渡した。
そして、イゾルテは手紙というものに想いを馳せていた。
昔、手紙が届くのを毎日のように心待ちしていた頃がある。
アルフレッドの手紙だ。
好きな男からの手紙というのは、貰えるだけで嬉しいものだ。
エリスがはしゃいでいる状況に、イゾルテは共感していた。
そんなイゾルテは便箋へと目を落として、中身を読み始めた。
「『前略、エリス様。ご無沙汰しております。ルーデウス・グレイラットです。私のことを覚えているでしょうか?あの時のことを、私は忘れることはないでしょう。あなたとの夜、あなたと添い遂げようと心に誓っていました』」
なんとも赤裸々だな、とイゾルテは思った。
というか友人のそういった夜の関係の話など、あまり読みたくないな、とも思っていた。
「『しかし、朝目覚めた時。あなたは居ませんでした。その時の喪失感や虚脱感は言い表せるものではありません』」
内容が不穏になってきた。
イゾルテとニナは、エリスを一瞥した。
「……か、書き置きは残したわ」
イゾルテは思った。
アルフレッドも昔、同じように黙って旅立とうとした時があった。
残された人からすれば、たまったものではないのだ。
ため息を吐いて、気を取り直し、手紙へ目線を戻した。
「『さて、こうして筆を取ったのは、あなたがまだ私のことを好きだと聞いたからです。てっきり、私は捨てられたと思ってましたが。もし、あなたが以前と変わらぬ気持ちであるのなら、私には受け入れる準備があります』」
何とも上から目線な手紙だ。
イゾルテは、ルーデウスとあった事はないが……既に、若干の嫌悪感を感じていた。
「『しかし現在、私には二人の妻が居るため、三番目の妻という事になります』……?」
あまりの内容に、イゾルテは手紙を見直した。
だが、何度読んでも同じ内容である。
妻が二人居るにも関わらず、そちらが良ければ三人目として迎えてやってもよい……という手紙だ。
思わず、イゾルテは手紙を握り潰した。
「酷い男ですね!既に妻が二人居ること自体がおかしいのに!三人目なら別にいいという態度……女を舐めてるとしか思えません!」
その場に居ないにも関わらず、ルーデウスに対する好感度は急降下した。
イゾルテはミリス教徒である。
伴侶は一人、生涯を持って一人を愛せという教えを持って生きている。
こんな性にだらしない男に、好感を抱く訳がない。
激怒するイゾルテに対して、ニナはちょっと引いた顔をしていた。
「そ、そう?エリスに配慮した手紙だと思うけど……」
「配慮!?愛してるの一言も無いのですよ!?それなのに、上から目線で!私はこのルーデウスとかいう男が、既に嫌いです!」
「き、嫌いって……勝手に出てったエリスにも責任があると思うけど……」
激昂するイゾルテと、宥めるニナ。
そんな二人に対して、当人であるエリスは空を見上げていた。
無表情で。
何も考えず。
ただ、空を見ていた。
「エリスさん!どうせなら、シャリーアなどには行かず、私達とアスラ王国に──
「……あれ?イゾルテ、もう一枚、手紙があるけど」
「……あら、そうですね。どうせ、下らない内容だと思いますが読みましょうか」
イゾルテはもう一枚の便箋を取り出した。
「『追伸。これから私は、龍神オルステッドに戦いを挑みます。勝てるかどうかは分かりません。もし生きて帰って来れたら、話の続きをしましょう』……?」
そこまで読んで、イゾルテはエリスへ目を向けた。
エリスの顔には笑みが浮かんでいた。
「急がないと遅れちゃうわね……イゾルテも来るんでしょ?」
ギレーヌが連れて来た馬に乗りながら、エリスはそんな事を口にした。
「……ええ、そうですね。その為に、剣を磨いて来たのですから」
ルーデウスとやらがどうなろうと、イゾルテには知った事ではない。
だが、友人がオルステッドに挑むと言っているのだ。
仲間を思う気持ちと、復讐心。
それを手に、イゾルテも馬に乗った。
「待ちな、イゾルテ」
「……お師匠様?」
そんなイゾルテに対して、レイダが待ったを掛けた。
龍神オルステッドという言葉を聞いて、表情を歪めたままだ。
「あんたが行くことを許した覚えはないよ」
「……しかし、お師匠様。千載一遇の機会なのですよ?龍神オルステッドと戦う機会です」
「だからこそ、言ってるんだ。孫娘をそうみすみすと無駄死にさせる婆は居ないよ」
「私が無駄死にすると?」
「そう言ってんだよ。あんたは龍神を何も分っちゃいない」
正直なところ、レイダは薄情である。
エリスが龍神と戦うというのに対して、剣士なのだから勝手に戦って死ねば良いと思っている。
だが、孫娘は別である。
イゾルテは次期、水神にも近い才気溢れる剣士である。
龍神と戦って死ねば、水神流の大きな損失となる。
「分っている相手としか戦ってはいけないのですか」
「そうは言ってないよ。でも、今はまだ未熟さね。そんな剣の腕で龍神と戦った所で、勝てはしないよ」
「そう言って、どれだけ剣を磨いても、戦わない理由を探し続けて……いつまでも龍神と戦わないのではないですか?」
「……言うようになったね」
無理矢理、手足を折って止めなければならないのか。
そう考えるレイダに対して、イゾルテは首を振った。
「止めないで下さい。この時のために私は剣を磨いて居たのです。戦う機会を、私から奪わないで下さい」
そう語るイゾルテの姿を見て、レイダは躊躇った。
昔の自分に似ていると思ったのだ。
やるべき事、なすべき事……そんなものより、やりたい事だった。
龍神オルステッドとも、戦ったことがある。
増長していた鼻をへし折られたことがある。
だが、生きている。
まだ生きている。
イゾルテの成長の機会を迂闊に奪うことが、正しい事なのだろうか。
「行くわよ!イゾルテ!急いでるから!ギレーヌも!」
そんな問答を無視して、エリスが馬を走らせた。
白い雪を蹴飛ばして、門を飛び出した。
遅れて、ギレーヌが追いかけるように出ていった。
このまま時間が経てば、追い付けなくなるだろう。
「では、お師匠様……いえ、お婆ちゃん。ありがとうございました」
イゾルテは話を切り上げて、馬を走らせた。
龍神オルステッドと戦うであろうエリスに、同行するために。
「ちょっと、待ちな!話はまだ終わってないよ!」
レイダは声を荒げたが、既にイゾルテの背中しか見えなかった。
ただ、ぽつんと……その場に、レイダとニナ、ジノは取り残されてしまった。
「……あの、バカ孫娘が」
レイダは後悔しつつも、馬を走らせられなかった。
龍神と戦うと口にする孫娘を追いかける事すらできなかった。
心は3つに裂けていた。
剣士ならば、戦って死ぬべきだという……剣士としての心。
孫娘に死んで欲しくないから、ついて行くべきだという……祖母としての心。
そして、龍神オルステッドと戦いたくないという……臆病な心。
渦巻く感情のまま、レイダはその場に立ち尽くしていた。