北神三世の兄-弟に勝つため本気出す- 作:ドゥンピドゥンピ
中央大陸、北方。
雪が積もる町の奥、剣の聖地の総本山。
剣神流宗家、大道場の門。
「ふぅ……」
白い吐息を漏らしながら、ニナ・ファリオンは桶を持って門から出ようとしていた。
朝方、雪すらも輝く早朝だ。
水汲みなど、雑用である。
だが、ニナは剣神ガル・ファリオンの娘ではあるが、特別扱いはされていなかった。
こういった仕事も持ち回りで行われている。
(静かになったなぁ……)
染み染みと、ニナは思う。
つい先日までは、エリスとイゾルテが居た。
イゾルテは雑用に付き合ってくれて、エリスは騒がしい。
彼女達が居れば、静かな時間など無かった。
イゾルテとエリス、そしてエリスの師であるギレーヌの三人は、龍神オルステッドを討つべく剣の聖地を出ていってしまった。
(……水神様、大丈夫かな)
ただ、水神レイダのみが道場に残っている。
本来の予定であった王都アスラへの帰還すら先送りにしている。
落ち込んだ様子で、鍛錬すらしていない様子に、剣神ガル・ファリオンは「ついに老いぼれたか」と言っていた。
(元気になって欲しいけど……私にできる事なんて、無いし)
水神レイダは、ニナにとって嫌いな相手ではない。
水神だという立場なのに、上から目線でもなく、孫娘のように扱ってくれる。
水神流視点での剣のコツなんかも教えてくれる。
良いお婆ちゃんだ、とニナは思っていた。
そんな相手が落ち込んでいる。
孫娘であるイゾルテが反抗し、飛び出してしまったからだろう。
(なんだかなぁ……)
ああでもない、こうでもない。
悩みつつ、イゾルテは大道場の門を出て……水桶を投げ捨てた。
そして、腰の剣を手に取った。
「……っ」
門の外に、誰かが来ていた。
この大道場は剣の聖地でも、奥の奥にある。
こうしてやって来るのは、剣聖以上の剣士ぐらいだ。
そんな所に見知らぬ男がいた。
警戒に値する。
「当家にどのようなご用でしょうか?」
腰の剣に手を当てて、ニナは男を観察した。
黒髪、赤目……色白の肌。
腰に二本の剣を持つことから、剣士だという事はわかる。
年齢は……二十歳より少し上か。
容姿は淡麗、身体からはよく鍛えられているのが感じられる。
細身だが、筋肉質な身体だ。
ただ、服装が少しボロい。
藪でも突っ切って来たのか疑うほどに、ボロボロだ。
外套なんか、穴だらけだ。
そんな男は、ニナに声を掛けられた途端、笑みを浮かべた。
「ああ、剣神流の門下生の方ですか?」
絶妙に胡散臭い笑みである。
相手に警戒されたくない、という気持ちが先走った笑みだ。
ニナは警戒しつつも、頷いた。
「ええ、そうです。それで、なんの用ですか?」
男が剣に手を掛ければ、剣を抜こう。
そうニナは決心していた。
対して、男は何故、こうも警戒されているのか分からないようで戸惑っていた。
「ええと……水神、レイダ・リィア殿がここに居ると思うのですが。会いたくて、ですね?」
男の言葉に、ニナは更に警戒を強めた。
剣神流の総本山に来て、剣神ではなく水神に用があるという。
水神が来ていることは、外にはあまり知られていない筈なのに、だ。
「……失礼ですが、お名前をお聞きしても?」
よって、ニナは頷かず、本人が何者なのか問いかけた。
対して、男は何も迷いもせず名乗ることにした。
「私の名前はアルフレッドと言います」
「……アルフレッド?」
聞き覚えがある。
だが、ニナは思い出せずに首を傾げた。
その様子にアルフレッドは、自己紹介が拙いと、イゾルテに怒られた事を思い出した。
そして、慌てて追加の情報を喋るべく口を開いた。
「ああ、北神流、『北帝』アルフレッド・カールマン・ライバックです。レイダ殿とは知り合いなので、話をさせて頂けると嬉しいのですが」
完璧な自己紹介だ、とアルフレッドは確信した。
これでニナも通してくれるだろうと、思った。
だが、ニナは顔を顰めた。
名前を聞いて、思い出したのだ、
そう、かつてイゾルテが語っていた相手だ。
北帝、アルフレッド。
知っている人物である。
だが、そのアルフレッドは死んでしまったとイゾルテは語っていた。
そんな相手、アルフレッドの名を騙る剣士……疑念は寧ろ、強まったのだ。
「嘘ですね。イゾルテが言ってましたよ。アルフレッドは死んだって」
剣を抜くべく、ニナは腰を落とした。
決定的な軋轢がこの場で起きていたのだ。
「え?死ん……あ、いや、死んだって話になっていたのですが、実は生きていて……ですね?」
しかして、アルフレッドは戸惑っていた。
イゾルテと呼び捨てにしたことから、ニナがイゾルテと親しい仲であることは察した。
そんな相手から敵意を向けられても、剣を抜く事は出来ない。
「ここに何の用ですか?ここには剣神も水神様も居るんですよ?門下生だって沢山居る……北帝って肩書が本当かどうか分からないですけど、何か出来るとは思わない方がいいですよ」
いや、本当にどうすべきか。
アルフレッドは悩んだ末、提案する事にした。
「では、その、水神レイダ殿か、イゾルテ殿をこの場に連れて来て貰えますか?本人の証明をしますので……」
切実な提案に、ニナは片眉を上げた。
敵意は薄そうだ。
警戒し続けても仕方あるまい。
それに本当に北帝であるのなら、この男とたった一人で戦って勝ち目があるとも思えない。
「……分かりました。少しお待ち下さい」
ニナは騒ぎを聞いてやってきた剣聖達に頼み、自称アルフレッドを見張ってもらう事にした。
そして、自分は水神レイダを呼ぶ事にしたのだ。
少しして、ニナがレイダを連れて戻って来ると。
「……何してんだい、あんた」
レイダは、剣聖達に囲まれて、縮こまっているアルフレッドを見て呆れた。
「お、おお、レイダ殿。お久しぶりです……あの、早くこの方々を退けてくれますか?」
「はぁ……もういいよ、あんたら。こいつは、あたしの知り合いさね」
レイダは呆れていた。
死んだと思っていたのに生きていた……そんな相手が久々に来たというのに、格下の剣士に囲まれて困ったような顔をしていたからだ。
対して、ニナは少し決まりが悪そうな顔をしていた。
偽物だと決めつけていたが、どうやら本物らしいからだ。
剣聖達が解散する中、ニナはアルフレッドに駆け寄り、頭を下げた。
「申し訳ありません!本当に水神様の関係者だと知らず……」
「え?いやいや、構いませんよ。急な来客でしたし、疑って当然ですよ」
疑って当然ではない。
ニナは見た目で判断していたのだ。
ボロボロの格好をした相手だからこそ、疑って掛かったのだ。
そんな、へらへら笑うアルフレッドを見て、レイダは眉を顰めた。
「てか、あんた。何で生きてたんなら、手紙も出さないんだい。死んだと聞いて、随分と騒動になってたんだからね」
「え?手紙は出した筈ですが……おかしいですね?」
「おかしいのは、あんただよ。大体なんだい?龍神と戦ったってのも、ありゃ嘘かい?」
「それは本当ですよ。負けてしまいましてね、崖から落ちまして」
その言葉に、レイダは少し驚いた。
「戦って生き延びたのかい、オルステッドと」
「ええ、まぁ……完敗ですがね。殆ど死にかけで、何とか生き延びたという訳です……治療にかなり時間が掛かりましたが」
『龍神』オルステッドは強者……を通り過ぎて、超越者である。
全ての流派、魔術を使い熟し、凄まじい肉体強度を誇る。
そんな相手から生き延びたというのだから、レイダも驚いたのだ。
「あの……」
そんな話をしている二人を見て、ニナが声を掛けた。
「どうかしましたか?ニナ殿」
「いえ、立ち話もなんですし、入っては如何ですか?ここ、門前ですし」
「ああ、そうですね。邪魔になりますからね」
「あ、邪魔って訳じゃないんですけど……」
ニナはアルフレッドの顔をじろじろと見ながら、イゾルテのことを思い出していた。
こういうタイプの男が好きなのか、なんて邪推していた。
そして、「男の趣味、悪いな……」とニナは思っていた。
優男というか、頼りないというか、意思が弱そうというか……剣士基準で見れば、あまり魅力的な男に見えなかったからだ。
(あ、でも、ちょっとジノに似てるかも……)
そして、ニナは幼馴染で気弱な男、ジノのことを思い出していた。
自分もイゾルテのことを言えないかも知れない。
なんて、ニナは考えていた。
★
そして、アルフレッドは当座の間に通された。
「へぇ、お前、『北帝』か。なんつーか、覇気がねぇな」
きょろきょろと周りを見渡していると、ガル・ファリオンに話かけられた。
「ははは、よく言われます」
「言われたらダメだろ。剣士ってのは、舐められないようにするもんだろ?」
「それは確かに、そうですね」
「……はぁ、張り合いがねェ奴だな」
ガル・ファリオンは少し呆れていた。
北神カールマンの孫、北帝と聞いて、期待していたのだ。
だが、蓋を開けてみれば、覇気のない優男だった。
注視すれば、それなりに強そうな本質が見える。
だが、剣に狂ってるような戦いへの渇望がない。
ガル・ファリオンからすれば、贅沢なご馳走……ではなく、王宮やらで出て来る食べた気にもならない料理にしか見えなかった。
そんなガルを横目に、レイダは苦笑した。
「何年も経ったってのに、あんたは変わってないね」
「レイダ殿も変わっていないようで、私も安心しましたよ」
「馬鹿言うんじゃないよ。もう歳さ、身体の節々が痛むよ」
「えっ、大丈夫ですか?」
「本気で心配するんじゃないよ。冗談さ、老人扱いするんじゃないね」
そんな会話を聞いて、ガル・ファリオンは茶を飲んだ。
どうも、見た目と言動が弱そうな男である。
ここらで一発、急に不意打ちでもして剣を測ってみるか……なんて思い、腰の剣に手を伸ばして──
「そういえば、イゾルテ殿はどこに?」
アルフレッドがそんな事を聞いた。
瞬間、レイダは少し顔を曇らせた。
その様子に、アルフレッドは少し不思議がり……レイダは口を開いた。
「あのバカ孫娘は居ないよ」
「バカ孫娘……?いえ、居ないとは?先に王都アルスにでも帰りましたか?」
「……出てったのさ」
「出てった?」
首を傾げるアルフレッドに対して、レイダはため息を吐いた。
久々に会えたのだ。
イゾルテの今の状況を察するなんて、この朴念仁には無理だろう。
諦めて、口を開く。
「イゾルテはね。あんたが死んだって聞いて、オルステッドを恨んでたのさ」
「それは……そう、なんですね?」
おや、とレイダは思った。
何処かで聞いていたのだろうか、驚いた様子はなかった。
「そんで、つい先日までここに居たエリスって女がね……オルステッドと戦うって言うんだから、シャリーアに行っちまったよ」
「…………人神の言った通り、か」
そうレイダが口にすれば、アルフレッドは小声でボソボソと何かを言っていた。
それはレイダに聞こえなかったが、ため息を吐いた。
「……止めなかったのか、とは聞かないのかい?」
「止めたんでしょう?」
「当たり前さ。誰が好き好んで、孫娘を死地に送り込むってんだ」
「ですよね。私も、分かりました」
アルフレッドは頷いて、立ち上がった。
悩む様子もなく、即座に立ち上がったのだ。
「何する気だい?」
「イゾルテ殿を追いかけますよ。私が連れ帰って来ます」
「……あたしにも行けとは言わないのかい?」
レイダには後ろめたい気持ちがあった。
龍神オルステッドと戦うことを避けて、孫娘であるイゾルテを追いかけなかった事についてだ。
「えっ?」
だが、アルフレッドはレイダの言葉がよく分からなかったので首を傾げた。
その様子を見て、レイダはため息を吐いた。
そういえばそうだった。
アルフレッドはこういう奴だった。
察しが悪いのだ。
諦めて、レイダは言葉にすることにした。
「あたしはね。オルステッドに怯えて、イゾルテをみすみすと行かせちまったのさ。責められる覚悟ぐらい、あるさね」
そう口にした。
レイダは思った。
きっと、自分は誰かに責められたかったのだ。
そして、イゾルテを追えと言われたかったのだ。
自分では決心が付かないからだ。
だが、しかし。
「いえ、私は責めませんよ。『龍神』オルステッドって、怖いですからね。私も戦いたくないですよ」
「……はぁ?怖い、かい?」
「え?怖いじゃないですか。だから、出来ればオルステッドと戦う前に、イゾルテ殿を見つけて連れ帰りたいですね」
アルフレッドはどこまで行っても、アルフレッドだった。
『龍神』オルステッドという、人智を越えた強者を相手にして、感想が「怖い」である。
呆れるレイダと、気まずそうな顔をするニナ。
二人を見て、ガル・ファリオンは吹き出した。
「っく、はははははは!なんだよ、婆さん!こいつ、面白いじゃねぇか!」
「何にも面白くないね。まったく、変わってないとは言ったけど、少しは成長しておくもんだよ」
「え?はぁ……精進します?」
じとっとレイダに見られ、アルフレッドは首を傾げた。
対して、ガル・ファリオンはまだ笑っていた。
「おい、アルフレッドと言ったか?気に入ったぜ、馬ぐらい貸してやるよ」
「あ、いえ。馬は必要ありません」
アルフレッドの言葉に、ガル・ファリオンは片眉を上げた。
「ああん?俺の好意が受け取れねェってか?」
「いえ、そうではなく……」
アルフレッドは立ち上がったまま、薄らと笑みを浮かべていた。
「自分の足で走った方が早いので」
「あ?」
「え?」
何を言っているのか。
ガル・ファリオンも、ニナも不思議がった。
ただ、レイダは呆れていた。
アルフレッドは常識知らずである。
言う事だけではなく、やる事も常識知らずなのだ。
「あんた、何する気だい?」
「三日三晩、寝ずに追いかけますよ。そうすれば、馬より早く着くでしょうから」
そんなアルフレッドの言葉に、ニナも思わず口を開いた。
「あの、アルフレッドさん?ここからシャリーアまで、馬でも一ヶ月以上掛かるんですけど……」
「え?ああ、三日三晩というのは比喩ですよ。一ヶ月掛かるのなら、一ヶ月寝ずに走れば良いんですよ」
「いえ、そういう話じゃなくて……あの、水神様。この人、いつもこんな感じなのですか?」
ニナの言葉に、レイダは呆れながら頷いた。
「そうさね。まぁでも、やると言ったからにはやる男さ」
「え、えぇ……?」
ニナは呆れながらも、困惑していた。
そして、イゾルテのことを思い出した。
(イゾルテって、男の趣味悪かったんだ……)
そんな事を、思いながら。