北神三世の兄-弟に勝つため本気出す- 作:ドゥンピドゥンピ
とある休日の日。
レイダも休みということで、イゾルテは鍛錬に付き合って貰っていた。
普段ならアルフレッドも居る筈なのだが、今日は外出中だ。
最近はそういう日が多い。
何故か忙しそうにしている……とイゾルテは思った。
久々に師匠と剣を合わせた。
そしてやはり、まだまだ敵わないと実感した。
その後、素振りをしていると……レイダが目の前に座った。
「よっこいしょ、と」
「どうかしましたか?お師匠様」
「いやなに、可愛い孫娘と世間話でもしようかと思ってね」
水神レイダとしてではなく、祖母のレイダとして話をしたい。
そう感じ取ったイゾルテは木剣を床に置いて、レイダの前で正座した。
「それで世間話とは?」
「そうさね……イゾルテ、あんたアルフレッドのことをどう思ってる?」
「どうって、どうとは……何の話ですか?」
ばくばくとイゾルテの心臓は、早鐘のように鳴り響いていた。
対してイゾルテは昼下がりに孫娘と雑談しているかのような穏やかな顔で……実際そうなのだが、会話を続けた。
「そりゃああんたが、あいつのことを好きなんじゃないかと思ってね」
「え……?は?何言ってるんですか……!?」
思わず、イゾルテは中腰になって周りを警戒した。
万が一にも、アルフレッドには聞かれたくない。
今は家に居ない筈だが、それだけ聞かれたくないのだ。
焦るイゾルテに対して、レイダは手で諌めた。
「まぁまぁ、重要なことさ。これでも、あたしも昔は色恋で物事を考えてた時期があってね。そういうのをバネに頑張ってたもんさ……婆のそんな話なぞ退屈だろうけどね」
「あ、いや、そうじゃないけど……って、何故、私があの人を好きだと断定しているんですか……!?」
「事実だろう?見りゃ分かるよ……ま、あいつは分かってないだろうけどね。朴念仁だからねぇ」
確信を持ったレイダの言葉に、イゾルテは何か反論しようとして……押し黙り、口を尖らせながら座り直した。
「それで……急に、何でそんな話を?」
「いや?孫の恋路を応援するのも、婆の仕事だろう?」
「……要らないお節介です」
恥ずかしくなって、顔を赤くしながら視線を逸らした。
「あたしもでしゃばるつもりはなかったよ。でも、お節介ぐらい焼かないと、拙いってなると話は別さね」
「……どういう事ですか?」
「あいつ、ここを出ていくつもりだよ」
レイダの言葉に、イゾルテは目を瞬いた。
今、何て言ったのか。
脳内で咀嚼して、理解するまでに少しの時間がかかった。
「……え?」
そうして、ようやく理解した所で……イゾルテは口の中が乾いていくのを感じた。
「元々、旅をしながら剣士の修行をしてたんだろ。ここには長く居座った方だよ」
「な、何故?何故、長く居座ったらいけないのですか?」
「長く居座れば、情が湧く……薄情なフリして、あいつも情が深い。それで、情が湧けば別れが辛くなる。耐えられないほど辛くなる前に、次の修行場所を探そうってつもりなのさ」
レイダの言葉は理解できた。
耳に届いて、理解できていた。
「……なんで」
だが、イゾルテの脳は理解を拒んでいた。
理由を聞いても、何故?どうして?の疑問は消えない。
「あいつは黙って行くつもりだよ。でも、それじゃあんたが傷ついちまう。可愛い孫娘が傷付く所なんて、あたしは見たくない……だから、言っておいたのさ」
「そ、そんなの、酷いです!」
「そうさね、あたしもそう思うよ。酷いやつで、女泣かせだよ」
レイダがため息を吐いた。
イゾルテは……袴を手で握っていた。
「……っ」
強く握っていた。
思い出すのは、アルフレッドが来てからの日々だ。
最初は、いけすかない奴だった。
居候になった後も、いけすかない奴だった。
助けられた時、悪い奴ではないかも知れないと思った。
一緒に過ごして行く内に、漠然とした好意を抱き始めた。
気付けば、将来のことを考えるようになっていた。
二人で、水神流の道場を切り盛りする夢も見た。
そんな日々が、急に、終わる。
それは耐えられる事じゃなかった。
「……ま、今日の鍛錬はここまでとしよう。雑念の混じった剣を振っても、意味はないからね」
「……はい」
「あいつが帰ってきたら、ちょっとぐらい話してみな。解決するかは分からんけどね」
「……ありがとうございます」
イゾルテはお辞儀をして、木剣を手に取った。
剣を握る感触を確かめる。
胸の奥が熱くなっている。
「…………」
この感情はきっと、怒りだ。
そうに違いない。
★
そして、数刻後。
「ただいま、戻りました」
アルフレッドが帰宅した。
そして、その声を聞いて、イゾルテは玄関まで移動した。
「お帰りなさい……アルフレッドさん」
イゾルテは極めて冷静に、努めて冷静に、アルフレッドを出迎えた。
だが、アルフレッドはイゾルテを見て、ギョッとしていた。
「……あの、イゾルテ殿?」
「はい?」
「何か怒ってます?」
冷静なつもりだ。
イゾルテは怒りを堪えるため、木剣を強く握り……木剣?
自分が手に木剣を握っていることに気付いた。
道場から持ち出してしまっていたらしい。
イゾルテは目を細めながらも、アルフレッドを見た。
「少し、話したい事があります。よろしいですか?」
怒りは声に乗せなかった、つもりだ。
必死に堪えている、つもりだ。
しかしどれも、つもり……でしかない。
「え?ええ、まぁ……構わないけど」
アルフレッドは顔を強張らせならが、頷いていた。
稽古場。
レイダは居ない。
用事があるとか何とか言って、席を外した。
居るのは自分と、アルフレッドのみだ。
「アルフレッドさん、私に何か言うことはありませんか?」
稽古場の奥、座敷に座りアルフレッドと向き合う。
アルフレッドは……目を泳がせていた。
「はて、何の事やら……」
ここまで来て誤魔化すつもりか。
悲しみより、怒りが湧く。
「……ここから、出て行くと聞きました。本当ですか?」
だからこそ、直球で問い掛けた。
「え……?えーっと、はい」
アルフレッドは苦い顔をして頷いた。
イタズラを誤魔化すことが出来ないと悟った子供のような様子に、さらに苛立つ。
「何故、言ってくれなかったのですか?」
「それはその……言う機会がなくて。言おうとは思っていたのだけれど、ね?」
言い訳がましい様子に、また苛立つ。
笑顔を浮かべながらも、眉間に皺が寄ってしまう。
「どうして勝手に決めるのですか!私にも少しぐらい相談してくれても──
そこまで口にして、言葉を飲み込んだ。
自分は怒りたいのだろうか。
違う、怒りたい訳じゃない。
出て行って欲しくないのか。
それはそうだ。
だけど、無理を言いたい訳じゃない。
邪魔をしたい訳じゃない。
「……はぁ、もういいです」
「すまない」
「いえ、アルフレッドさんにも事情があるのは分かっています。ですが、相談ぐらいはして欲しかったですね」
「……すみません」
頭を下げたアルフレッドを見て、イゾルテは溜飲を下げた。
この人は本当に人の気持ちが分からない。
そこは明確な欠点だと、イゾルテは思っていた。
「それで、いつ帰ってくるつもりなのですか?」
呆れながら、イゾルテはそう問い掛けた。
彼がフィットア領で、北神流を悪用する盗賊を討つということを、レイダから聞いていた。
フィットア領はそれなりに遠い。
一年か、二年か、それ以上か。
どれほど期間離れるのか、聞きたかった。
の、だが。
「…………」
アルフレッドは押し黙ってしまった。
「……アルフレッドさん?」
その様子を不自然に思い、イゾルテは問いかけた。
何か言いづらい事があるのか、言えない事があるのか。
そう思い、問いかけた。
そんなイゾルテに対して、アルフレッドは……やがて、ゆっくりと口を開いた。
「もう帰ってくるつもりは、ないんだ」
その言葉をイゾルテは耳にした。
「……はい?」
耳にしたが、聞こえなかった。
聞きたくなかったからだ。
聞き間違いだと思った。
「この水神流道場にはお世話になった。でも、これ以上、学んだって強くなれない。きっと水帝にもなれない。だから──
「何を勝手なことを言ってるんですか!?」
イゾルテは座敷から立ちあがった。
「イゾルテ殿……?」
怒るとは思っていなかったのだろうか。
不思議そうな顔をするアルフレッドに、イゾルテは顔を顰めた。
「貴方は!私が……!貴方という人は……っ!」
何に怒っているのか。
何に怒りたいのか。
どうして、怒っているのか。
何が気に食わないのか。
何が悲しいのか。
どうして、涙が出るのか。
「……どうして、ですか」
気付けば、年相応の子供のようにイゾルテは泣いていた。
木剣を床に落として、目を拭った。
「……どこかに行くなら、行ってください……止める気はありません。邪魔もしません……したく、ないですから」
「…………」
「でも、何故、どうして……戻ってくるつもりがないのですか?」
そんなに、自分のことが嫌いだったのか。
そんなに、自分は無価値だったのだろうか。
共に過ごした日々も、恋焦がれていた感情も、彼に取っては無意味なのだろうか。
ぼろぼろと零れ落ちているのは涙か。
それ以上の、感情なのか。
「……俺は」
アルフレッドは観念した様子で、口を開いた。
「俺は長命種だ。不死魔族の血を引いている」
「……そう、ですね」
いつにもなく真剣な表情に、イゾルテは腰を下ろした。
話を聞こうと、そう思えた。
「長い時間を共にすれば、生きる時間の違いが目に見えてくる」
「……はい」
イゾルテは頷く。
確かに、アルフレッドは出会った頃から老いていない。
自分は少しずつ歳を取っているのに、年老いて行くアルフレッドの様子が想像出来ない。
あと数年すれば、見た目だけならば追い付くだろう。
そして10年ほどすれば、追い越してしまうだろう。
「あまり長い時間、共にいると……互いに辛い思いをする。いや、“互い”じゃないか……それは言い訳だ」
「言い訳……ですか?」
「……情が湧いてしまったんだ。これ以上、一緒に居ると……別れが辛くなる。俺が、悪い」
そこから、アルフレッドは懺悔するように語り出した。
自分が長命種であり、幾人もの友人と別れてきたこと。
母親が何十年も前に亡くなったこと。
少しずつ、取りこぼしてきたこと。
拾って、失って。
だから、親しい人を作らないようにしてきたこと。
「そう、なのですね」
それは自分には分からない感覚だった。
それは、アルフレッドの弱さだった。
咎めるべきだろうか、叱るべきだろうか。
イゾルテは喉まで来た感情の発露を、飲み込んだ。
そんな権利は自分にはないと、黙ってしまった。
「…………」
自分は長命種ではない。
だから、長命種の辛さなんて分からない。
去っていく立場の人間だ。
取り残される人の気持ちは、分からない。
だから、何も言えない。
何か言いたい。
だけど、何も言えない。
どう話せばいいか分からない。
「…………っ」
袴を握り締めて、堪える。
アルフレッドが出ていくというなら、止められない。
止める資格などない。
それは分かっている。
だけど、それでも。
「……それでも帰ってきてください」
想いを口にした。
「イゾルテ殿……」
どうして、帰ってきて欲しいのか。
「このまま別れるのは寂しいですから……」
涙を拭い、心のままに言葉を紡いだ。
「……いつか別れるとして、納得がいく別れ方を……私はしたいです」
そんなイゾルテに対して、アルフレッドは口を閉じた。
「…………」
少し悩んで……ほんの少しだけ悩んで……口を開いた。
「……分かった。戻ってくるよ」
そして、先程まで、あれだけ帰って来ない理由を口にしたのに……頷いた。
「……アルフレッドさん?」
「俺が悪かったよ。すまない……本当に」
申し訳なさそうな顔で、頭を下げられた。
「イゾルテ殿と向き合ってなかった。レイダ殿とも、タントリス殿とも。薄情な人間だと、罵ってくれ」
「そんなことは……」
「ある。自分勝手だった。俺が居なくなっても、悲しまないだろうと……そう考えていた。本当に、すまない」
アルフレッドがまた、頭を下げた。
それを見て、イゾルテの中にあった悲しみも怒りも、少しずつ消えて行った。
「……まぁ、構いません。反省しているのなら、私は別に……いいですけど」
「ありがとう、イゾルテ殿」
安堵したような顔で、アルフレッドが笑みを浮かべた。
「それで、帰ってくるのですね?」
いつまでか、とは問えない。
アルフレッドは北神流の重鎮であり、その責務を全うしようとしている。
その気持ちは、使命感は、イゾルテにも分かっていた。
自身の当代の水神の血族だからだ。
「ええ、必ず。何年掛かるか分からないけど……必ず、君の元へ帰ってくるよ」
真正面から、そんな事を言われた。
イゾルテの心臓が跳ねた。
「帰って来て、また、すぐに、どこかに行く……というのは、無しですからね?」
そう、問い掛ければ。
「そうだね……帰ってきたら、時が別つまで、一緒に居るよ」
そんなことを、アルフレッドは口にした。
「……え、えっ……!?」
アルフレッドの言葉に、顔が真っ赤になった。
その言葉の意味を、イゾルテは咀嚼した。
昔、イゾルテは……アルフレッドの事が知りたくて、彼の父親の伝記を読んだ事がある。
北神カールマン二世の伝記だ。
そこには、彼と結ばれる女騎士の話が書いてあった。
恋愛小説のような形で書かれており、当時はドキドキとしながら読んだものだ。
そこに、その言葉があった。
「時が二人を別つまで、一緒に居よう」と。
そう告白するシーンがあった。
その伝記は、アスラ王国の作家が編集したものだ。
原本は違うかも知れない。
そんなセリフをカールマン二世は言わなかったかも知れない。
だけど、アルフレッドの口から同じ言葉が出た。
それはつまり、真実だったのだ。
アルフレッドは父の言葉を借りて、自身に告白したのだ……と、イゾルテは解釈した。
「それは、その……そういう意味ですか?」
「ああ、言葉通りの意味だよ」
息を呑む。
頷くべきか、悩んだのは一瞬だった。
「ふ、不束者ですが……よろしく、お願い致します」
しどろもどろ。
嬉しさと恥ずかしさと驚きから、イゾルテは吃りながらも同意した。
「え?ああ、うん……よろしく?」
そんなイゾルテに対して、アルフレッドは少し首を傾げていた。
だが、先程の発言に気を取られているイゾルテは……気付かなかった。
致命的な勘違いが発生していることに、二人とも気付いていなかったのだった。
★
「戻って来たかい」
稽古場から先に退席したアルフレッドを待ち受けていたのは……レイダだった。
「ああ、レイダ殿」
「イゾルテと話したね。どうだい、言ってよかったろ?あたしは謝らないよ」
情報漏洩をしたのは自分だ、と暗に言葉にした。
そんなレイダを見て、アルフレッドは怒ることなく……寧ろ、申し訳なさそうな顔をした。
「いえ、ありがとうございます。思い上がっていました」
その言葉からレイダは、イゾルテとアルフレッドの会話が正しく終わったのだと、感じ取っていた。
孫娘は上手くやったようだ、と。
「そうさね。あんた、あたしより歳上だってのに、見た目通りの青二才なんだからねぇ」
「……未熟なのは認めます」
首の裏を掻きながら、アルフレッドは目線を逸らした。
「でも、あんたの辛さ、ちょっとだけ分かるよ。残される人の痛みってのもね」
「分かります?」
「ああ、これだけ歳を取ればね。剣士ってのは本来、早死にするもんさ。対等な知人なんてのは、殆ど死んじまったさ。家族なんてのもね」
レイダの言葉に、アルフレッドは視線を下げた。
「レイダ殿はそういう時、どうやって乗り越えたんですか?」
「乗り越える?いいや、受け入れるのさ。去ってしまった事実を受け入れて、自分に残ったものを数える。それが老いるって事さ」
「……そうですか?」
「ふっ、あんたにはまだ分からんかもね」
レイダは笑いながら、手を小さく振った。
そしてアルフレッドから離れて……また振り返った。
「そういや、あんた。イゾルテに愛の言葉の一つでもかけたかい?」
「はい?愛の言葉ですか?」
「そうさね。これから当分は会えなくなるんだろ?一つぐらい、あの娘のために言葉を贈っても良いんじゃないか?」
「……そう、ですね?」
そう口にしたが、アルフレッドは少し困ったような顔をしていた。
レイダの言っている言葉の意味が分からない、という顔だ。
「……あーあ、とんだ女泣かしの朴念仁だね」
「え?あー……すみません?」
「あれでも可愛い孫娘だ。あの娘を泣かせたら、あたしが叩き斬ってやるよ」
冗談で、腰の剣に手を掛けた。
そんなレイダに対して、アルフレッドは少し真剣な表情を浮かべた。
「泣かせるつもりはありませんよ」
しかし、レイダは呆れた。
「そういうのは女心が分かる一人前になってから言うもんだよ」
そして、後ろ手を振りながら……その場を後にした。
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