霊能力女体化男子と言霊男体化女子 -亡霊より怖い生身の人間の言葉の呪い- 作:卯月らいな
<香織>
お風呂で、うとうと、寝落ちしそうになるところを気合入れようと頬を叩く。
いけない。溺れるところだった。
ドライヤーで髪を乾かす。時間に余裕があるときはみっちりやるヘアケアも今日は簡略化。
ツインベッドにだらしなく寝転がると旦那の声がする。
「そろそろ2人目どうかな?草太も弟が欲しいって言ってるし」
「職場、忙しくてそれどころじゃないかな。落ち着いたら、また考えよう」
「そっか。健康第一だからね」
「ごめんね」
「気にするなよ」
旦那に対して、ポジティブな感情もネガティブな感情も湧くわけでもなく、就寝という生理的な目標を果たさんとすべく、泥のように眠りにつく。
マズローの欲求五段階説だっけ?
睡眠という名の生理的欲求が満たされていない段階で、社会と愛の要求を満たすようには人間という生き物は作られていないのだ。
なんて、ふんわりと頭を巡らせながら意識を手放す。
私の名前は香織。旦那と家族計画中。本当は二人目産みたいけど、仕事が多忙でなかなか時間が取れないでいた。
今日こそはと思うものの、毎日疲労困憊で、毎晩、断っている。
今日も朝の5時に起きて、工場に向かう。
スマホどころかラジオの電波も届きにくい山道を走るので、お気に入りの音楽と英語教材のCDをみっちりと詰め込み聞きながら通勤する。
クマが出るかもしれないし、鹿がでるかもしれない。運転にも精緻さが求められ、集中力は切らせないのだ。
世間は働く女性のキャリア形成に厳しい。やっと見つけた職場だからとはりきって信頼を勝ち取ろうと、日々、頑張っている。
職場につくと着替えた後、事務室ではなく、現場のトラックの搬入口に安全靴で向かう。
「払い給え! 清め給え!」
労災で死亡事故が起きたからと、女体化霊能力者なる学生を呼び、除霊の儀式が行われる。
ラジオ体操を終えた工員一同、神前に整列し、黙祷を捧げる。
現場は危険作業な上に、営業マンが獲得した需要に対して、生産が追いついていない。必死のライン作業の末にケアレスミスは増え、事故は起きる。
ヒヤリハットを防ぐというお題目はあるが、生産を増やしたいという現実とどこかで折り合いを付けないといけない現実もある。
現場のリーダーと少し打ち合わせした後、管理棟に競歩のような歩き方で戻る。
この敷地がだだっ広く、生産性を気にする職場においては、移動中も気を抜けない。さながら戦場だ。
建物の前に私服の男の子がいる。ドアを必死に押しているようだ。確か、霊能少女についてきた言霊男子だっけ?
「そのドア、押すんじゃなくて引くんだよ」
引いてあげると、男の子は中に入ることができた。
「ありがとうございます」
あまりの微笑ましいドジに笑ってしまう。
「君、頑張りが空回りしているよ。ボトルネックじゃないんだからさ」
「ボトルネック?」
きょとんとした顔をするので、頭をひとなでする。
「あ、工場用語使っちゃった。てへ。生産管理してると職業病出るわ。ボトルネックってのはね。見当外れなことを頑張らないように戒める言葉かな」
「見当外れって⋯⋯。どんなこと?」
「さっきの君みたいなことだよ。うーんそうねぇ⋯⋯」
外を見渡してみて、うまく説明するための材料がないか見渡す。
でも、ここから見えるのは駐車場だねえ。まあ、車でいいか。
「例えば、車の組み立て工場があったとして、塗料、つまりペンキが足りなくて仕事止まるとするじゃない? で、生産が遅れる。今日中に作り終えてお客さんに見せなきゃいけない車に足りなくなる。そういうときって、本当はペンキを買ってこなきゃいけないじゃない?」
少年はうんうんと頷く。とりあえず、ここまで伝わっているようだ。
「でもさ、みんなが遅れに焦りだすとネジを作る速度をあげるとか関係ないことみんな頑張っちゃうことあるんだよ」
「そんなことしても完成品の車、増えないじゃないか」
「まさしくそうなの。そういうこと。今の話に出てきたペンキ。作業の遅れの原因になっている部分。そういうペットボトルの細い部分になぞらえてボトルネックっていうの。ほら、ペットボトルって細い部分を太くしないと、逆さに向けても飲み物たくさん出てこないでしょ? 太い部分をもっと太くしても意味がない」
うまく説明できたぁ。⋯⋯と思ったけど、少年は少し首をひねる。どした?
「そんな当たり前のことが難しそうな専門用語になってるの?」
「それがねえ。賢い大人が集まってもそんな簡単なことがわからなくなることがよくあるんだよ。目の前の仕事に追われて、作業分担してると、すぐに本質を見失って当たり前で大切なことができなくなる。大人ってバカなんだよ」
視線を窓に投げ、遠い空を見上げる。
そっか。今日は晴れていたか。
そんな当たり前のことに気づくのも忘れるくらいバタバタしながら生きてるなあ。
「なんか、今のお姉さん、呪いから解き放たれてる」
優しそうな眼差しを少年が私に向ける。
「呪い?」
「お祓いのときから、何かの言霊に憑かれてたんだけど、ボトルネックの話が始まったときだけ解き放たれてるというか。何かお姉さんの人生のヒントが隠されている言葉なのかも?」
不思議なことを言う子だなと思った。
「あ、いっけなーい」
生産レポートを表計算ソフトでまとめる仕事だ。5分の遅れ。今からなら間に合う。
そんなこんなで、忙殺されながら、今日一日の仕事は20時に終わった。
家に向かって車を走らせる。21時頃かな?
長男を実家の父母に預けているから迎えに行かなきゃ。
本当は、寝かしつけたいところなんだけど⋯⋯。
エンジンをかけ、懐メロのCDをかけながら、ふと、考え込んでしまう。
私の人生の目標は何だろう?家庭円満? 仕事の成功? 今のままでは片方が片方の障害になったままだ。
ボトルネックという言葉が頭の中をよぎる。
仕事が目標なら家庭がボトルネックだし、家庭が目標なら仕事がボトルネックだ。
私は……本当はどんな人生を歩みたかったんだろう。子どもの頃の夢を思い出す。
『わたしのゆめは、かわいいおよめさんになって、おかあさんみたいになりたいです』
実家のアルバムに残された七夕の短冊。
もはや幼少期の記憶なんて失われていたが、9歳の頃の私の夢はそうだったらしい。
あの頃と、今、本質的な私は変わっているだろうか。
私にとっての幸せのカタチってなんだろう。
☆ ☆ ☆
「ママ!」
「はいはーい。ご飯つぶほっぺについてますよー」
私は2人目の子ども、娘を産み、パートタイム主体で働いている。
大学の商業科に行って、簿記2級を取って、工業簿記の学びを深めてきた。
そのキャリアが断絶するのは断腸の思いだ。
でも、自分の本心を追求した結果なので、後悔はしていない。
「ママ泣いてる?」
「ううん。なんでもないよ。ママは、はーちゃんとこうして暮らして幸せなんだから。よし、食べ終わったらおトイレ行こう」
きっと、私が迷ってしまったのは職場や私個人だけの問題ではない。
今の世の中をうまく回す仕組みの中にボトルネックがたくさんあって、何とか補修しなければいけない。それはきっと、政治家や官僚の人たちもわかっている。それでも、簡単には変えられないのだろう。利権があるのかもしれないし、別の合理性よりも優先順位低いのかもしれない。ボトルネックを何とかしなきゃいけないのに、そこではないところを補修して、日々、誤魔化すしかないのだ。
世界は複雑で動かせない歯車が絡み合い、きしみながらゆっくり動いている。そんな風に私には見えた。
<霊子>
夕暮れの中、魂太の横で佇む。
「子どもかあ……」
「なに?家族計画込みで女体化したの?あんた?」
「ち、ちが」
ばか⋯⋯。意地悪なんだから。
「ま、世の中は責任取らないのに好きなこと言う人に限って口を出すものだから、好きに生きたらいいんだよ」