緋翼の契り   作:じぇのーべ

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1.緋色の翼

 

 

焼け付くような肺の痛み。

視界の端に瞬く、金属様の粒子。

 

慣(・)れ(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)症状を感じながら、それでも走行を続ける。

 

水没した旧文明遺跡の残骸が視界の端を流れ、蹴りだすごとに足首まで浸かった海水が飛沫を上げる。

 

激しい音を立てるそれを上回るような、重い振動が背後から伝わってくる。

 

洋上遺跡群調査の露払い。

隠れ家に戻るついでの、簡単な任務のはずだった。

 

それなのに、ここまで身体を酷使することになるとは。

 

不意に頭(・)の(・)中(・)に無機質な声が響く。

背中に共生する存在──ノアの声。

お互いの命を握る存在であり、唯一の味方だ。

 

『演算通り。ここなら霧があるよ。ノアの誘導、完璧』

「ええ、助かります」

 

はためく外套の音を聞きながら、肩越しの異様な気配を見遣る。

 

かつて海獣だったものの口から、粘液に濡れた触手が蠢いていた。

 

──世界の脅威、【尖兵】。

人類の都市を滅ぼした記録のある寄生生命体。

 

それが私を追跡してきている異形、そして背中に息づく相棒の正体だ。

 

猛然と追ってくる尖兵は身体をあちこちにぶつけていた。片方のヒレが触手に変質しているせいで、バランスが取れないのだろう。

 

振動で付近の結晶がくずれる。崩れた遺跡に付着していたそれの断面からは、生物であったと思われる腐肉が覗き、すぐに毒々しい紫色の砂となって水に溶けていく。

 

腐臭を纏った突進は、角を曲がるだけで避ける。

異形たちは曲がりきれずに霧に突っ込んだ。

 

強引に軌道を変えたせいか、軍靴に歪みが増えた気がする。

 

残骸を駆け上がり振り返る。

 

尖兵たちが激しくのたうち、海水と濁った血液を撒き散らしている。

 

局所的に濃くなった紫色の霧。

それに触れた身体が、傷ついているのだ。

 

────【魔素】。

 

やつらの傷と、私が抱える症状の原因だ。

 

『表皮損傷。傷から分解が始まってる。……ノア、すごい?』

「ええ。演算どおりですね、ノア」

 

背中の奥で、嬉しそうに脈動が跳ねた。

戦場だというのに、つい頬が緩んでしまう。

 

すぐに気を引き締め、状況を見る。

 

魔素の濃霧という、天然の罠にかかった三体の異形。

 

魔素は全ての生き物を平等に蝕む。

息を吸うたびに肺の内側が湿り、裂けるような感覚が走った。

 

私も例外ではないのだ。

 

それでも――躊躇なく息を吸い込む。

 

「……すぅっ」

 

視界が緋色に染まり、髪の内側に仄かな熱が篭もる。

黒髪の奥に隠れた緋の髪が、呼吸に合わせて淡く脈打った。

 

黒灰の外套に、血管のような緋の光が走った。

 

柔らかな炎のような風が立ち上がり、外套と髪が浮き上がる。

 

世界の音が、鼓動だけになった。

 

呼吸と演算。

魔素を媒介にして、【魔法】を構築する。

 

『吸収効率良好。……でも負荷が高いよ』

「問題ありません」

 

体勢を立て直した尖兵が、触手に塗れた口を開く。

 

吐瀉物のような塊が投射された。

瓦礫を踏み砕きながら、跳ねて躱す。

 

建造物の側面を蹴ると同時に、緋色の風が身体を加速させた。

 

視界に脈動する光──ノアの演算による的確な攻撃経路の提示をなぞる。

 

音の壁を破り、霧から逃れていた一体を踏み抜いて飛び去る。

 

水面が爆発し、肉片と飛沫が遅れて舞った。

外套が翻り、緋色の光が翼のように広がる。

 

ノアが提示してくれた緋色の線に沿って、踵を落とす。

 

こちらを見失っていた尖兵が、なすすべもなく潰れていく。

 

衝撃が水を叩き潰し、巨体が沈んだ。

 

声帯が切り裂かれたような絶叫と共に、最後の一体が突進してくる。

 

視界に最短経路が描かれる。

踏み込み角度。回転速度。破壊点。

 

一瞬の静止と共に、緋色の風が強く脈打った。

 

世界がわずかに遅れる。

 

回し蹴り。

 

風圧を纏った脚が弧を描き、寄生した頭部を丸ごと吹き飛ばした。

 

振り抜いた脚をゆっくりと下ろし、周囲を窺う。

 

静かにはなった。

しかし、鋭敏になった感覚はまだ敵が残っていると喚いている。

 

「ノア、生き残りを出したくありません。索敵を、……っ!!」

 

──突然、視界の端が歪んだ。

金属の粒子がちらつく。

 

『負荷上昇。騎士様、やっぱり無理してる』

「続行可能です。心配ありませんよ」

 

異形を踏み越え、足を止める。

死体から血の混じった波紋が広がった。

 

私だけでは、敵の正確な位置が特定できない。

 

「ノア、周囲を探ってください。あなたの魔法が必要です」

『……了解』

 

少しの沈黙。

 

『捕捉。空にいるよ』

 

霧の隙間に海鳥に寄生した尖兵が見えた。突撃の機会を窺っているのだろう。

 

『確認。魔法で落とす?』

「ええ。演算をお願いします」

『わかった。……少し演算ずれた。やり直す』

 

背中の熱が不規則にうごめく。

 

『修正完了。今度は大丈夫なはず……』

 

わずかに不安げな気配が混じった音。

 

「大丈夫です。私達なら問題ありません。そうでしょう?」

『……えへへ。うん!』

 

ノアの返事に呼応するように視界の緋色が再び燃え上がる。

視界に敵を追尾する光が描かれていく。

 

光が海鳥擬きに到達したのを確認して、手をかざす。

 

外套の血管のような光が増していくに連れて、風が腕に巻き付くように収束していく。

 

『偏差ゼロ。撃って』

 

構築された魔法が速やかに起動する。

 

暴風が掌から迸った。外套が激しくはためくが、身体は凪いだように安定していた。

 

緋色の奔流が霧を裂き、不規則に飛び去ろうとする異形を執拗に追いかけ、飲み込む。

 

嵐のような魔法が過ぎ去ったあとには、再び静寂が戻ってきていた。

 

ゆっくりと腕を下ろす。

 

「さすがですね、ノア」

 

背中の鼓動が、わずかに強くなる。

 

『肯定。ノアは優秀。……もっと褒めてもいいよ』

「えらいです。助かりました」

『やった』

 

静かに喜ぶ相棒に微笑みながら、装備を確認する。

軍靴に尖兵と寄生された生物の血肉が惨たらしく付着し、水を汚していた。

 

眉を顰め、整備をしようとしたその瞬間。

 

──背中の皮膚が裂けた。

 

外套を押しのけ、翼の骨組みを思わせる赤黒い触手が躍り出る。

 

死角から奇襲してきた尖兵が貫かれていた。

何度も叩きつけられ、水柱があがる。

水の中に魔素の分解による紫と体液の赤黒さが広がっていく。

 

「……ノア、もう動いていません」

 

触手は一瞬止まり、それでも何度か叩きつけた。

潰れた肉が水気を伴った不快な音を立てる。

 

『だめ。騎士様に触ろうとした』

 

無機質な声が、幼い響きに変わる。

叩きつける触手の動きだけが、無機質なままだった。

 

私が危険に晒されると、ノアはいつもこうだ。

 

戻ってきた触手が、装備を包み込む。

それらが離れると、汚らしい血肉は全て拭い去られていた。

 

眉尻が少し下がる。

排除も整備も、ノアが私を思い遣った結果だ。

……やや念入りすぎる気もするが。

 

暴虐を振るっていたとは思えない綺麗な触手が、甘えるように巻き付いてくる。触れた箇所から、ざらついた違和感が静かに抜けていく。それだけで呼吸が楽になった。

 

「……ありがとうございます。ノア。油断していたようです」

 

背中が、わずかに強く脈打つ。

 

『信頼の証拠。栄養補給もできた。

騎士様、ノアは偉い?』

「ええ、もちろんです」

 

その言葉に、脈動が一瞬跳ねる。

ほんのわずかに、強く。

 

巻き付いた触手を撫でる。

熱く脈打ったあと、名残惜しげに

背へと吸い込まれていく。

 

外套の下、大きくスリットが入る背部。

頸椎から腰まで刻まれた緋色が脈動した。

 

肺に残る魔素を吐き出す。

 

だが呼吸が浅い。胸の奥が削れるように痛む。

視界の端に金属粒子が残った。

 

──耳鳴り。

 

身体の軋みが大きくなる。

 

『金属残渣量、閾値接近。騎士様、怖い』

「しかし、念のためにもう一度だけ索敵を……」

 

そもそも、尖兵は洋上で確認されることは少ないのだ。

 

例外は故郷を滅ぼした一度だけ。

悲劇を繰り返させてはいけない。

 

多少の無理をしてでも、確認したほうがいい。

 

──背中が強く脈打ち、触手が弾けるように伸びる。

 

腰へ、腕へ、逃がさぬよう絡みつき、残った触手で身体が少しだけ強く引かれる。

 

僅かな傷でも避けるように、慎重な力加減で。

 

たたらを踏んだとき、限界を迎えた軍靴が裂けてしまった。

海水が染み込んでくる。

 

『だめ。靴も壊れた。……ノアのせいかもだけど』

 

幼い声が遠慮がちに響き、触手が肌を撫でていく。

 

「んっ、ノア……」

 

その感触に思わず声が漏れ出てしまう。

過敏になった感覚に、優しい温かさが広がった。

 

ざらついた違和感が、触手に触れた箇所から吸い取られていく。

肺の痛みもすこしだけ和らいだ。

 

『騎士様、帰ろう?今すぐ。靴はあとで見てもらわないと』

 

ぐずるような声音に、力が抜ける。

ここまで引き止めるなら、もう尖兵はいないのだろう。

そう決断できるくらいには、私はノアを信用している。

 

「……きっと怒られますね。わかりました。帰りましょう」

『……確認。ほんとに?──騎士様がいなくなるの、ノアは嫌』

 

私に語りかける幼い声が、騎士様と呼ぶときにほんの少しだけ詰まる。

 

気づかないふりをすることにした。

 

どうしてそうするかも、考えないことにする。

 

(私のフィオ……。きっと、私があなたと共に歩ける世界をつくるわ……)

 

世界の雑音の中に、不意に懐かしい風を感じた。

 

懐に伸びかけた手が、静かに下ろされる。

 

今の私は、ノアの騎士だ。

 

それだけ考えていればいい。

 

『騎士様?』

「何でもありませんよ。隠れ家に帰りましょうか」

 

心配そうに腕に巻き付く触手に誤魔化すように笑いかける。

 

いつの間にか、風は凪いでいた。

静寂の中を、ゆっくりと進む。

 

今の私に聞こえるのは、背中に宿るノアの脈動だけだった。

 

 

 




読んでくださってありがとうございます。

2話以降は、全年齢版に合わせて調整してから掲載します。
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