緋翼の契り   作:じぇのーべ

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2.誇りと色

 

 

自動施錠された鉄扉が閉じる。

外のざわめきが遮断され、重い機械音だけが残った。

 

身体が思い出したかのように軋みを強くする。

ノアの撤退判断は正しかった。

 

自己管理は騎士の義務だ。

しっかりしなくては。

 

「ノア、今日も助かりました」

『騎士様のサポート出来てた?偉い?』

「とっても偉いです」

『えへへ』

 

無機質な響きが幼くなる。

ここが私達の隠れ家だからだ。

 

部屋を進むと、通気口から無色のガスが滲む。

 

この島の中心にある小型浄化装置から供給される、浄化用ガスだ。

 

肺のざらつきが薄れ、代わりに身体の奥へ鈍い重みが沈殿する。

舌の奥にわずかな鉄の味。金属粉がぱらぱらと足元に落ちた。

 

外から持ち込まれた魔素を無力化するためとはいえ、あまり気分が良くなるものではない。

 

特有の不快感に眉を顰めていると、静かなはずの室内で耳の奥がざわめいた。

遠い海鳴りのような音が、頭蓋の内側を擦り続けていた。

 

ガスを浴びても、身体の内部の残渣は取り除けない。

 

深呼吸をして、髪の内側の緋色が輝かないことを確かめる。

 

部屋と体の外側の魔素は、ある程度排除されたようだ。

 

武装を磨き、順序通りに収納する。

留具を解いて、外套を脱ぐ。

 

外套を掛けるときに、小さな硬さが触れた。

そっと取り出し、人工的な光に掲げる。

 

フィオという、主に捧げた名前。

それが刻まれた、瑠璃色の片耳イヤリング。

 

これを再び身につける日は、来るのだろうか。

 

『提案。ノアはお掃除したい』

 

ノアの声で我に返り、慌ててイヤリングを外套の懐に戻す。

 

頭に響く声は拗ねているような響きだった。

 

「まだです」

 

取り繕うように短く窘める。

触手が名残惜しげに衣服の裾を引き、震えながら引っ込んだ。

 

靴底の泥を落とし、装備の固定具を外す。

這い出て来る触手をやんわりと抑える。

 

「……まだ」

 

再度窘められた触手が一度だけきゅ、と手に吸い付く。

それからしょんぼりとした様子で背中に戻って行った。

 

残りの装備を手早く外し、籠へ収める。

床に散らばった金属粉は、掃いて捨てる。

 

すべてを終えたとき、部屋に残ったのは私たちと機械音だけだった。

 

姿見の前に立つ。

 

肩口で切りそろえた中途半端な長さの黒髪。その内側だけ、瞳と同じ熱を帯びたような緋色が覗く。

 

四肢は重く、肺の奥が焼けたようにじりじりと痛む。

鼓動がわずかに乱れている。

自分の心音なのか、世界のノイズなのか判別がつかない。

 

『とても綺麗。ノアたちの色』

「……そうですね。ありがとう」

 

共生者の肯定が、少し嬉しい。

 

「ノア。【掃除】をお願いします」

『わかった』

 

妙に質の良いベッドに腰掛ける。

背中から触手が溢れ、身を任せるように横になる。

 

傍から見た私達は、何かの繭のように見えるのかもしれない。

 

──この感覚には、いつまでも慣れませんね

 

触れられた場所から、世界のざわめきが遠のいていく。

皮膚のざらつきが消え、緩やかな圧が全身を満たした。

 

「……は、ぁ……」

 

吐息に応えるように触手が脈打つ。

 

『一番痛いのどこ?』

「そうですね……、ここでしょうか」

『胸部?待ってて』

 

するすると這ってきた触手が巻き付き、ゆっくりと圧がかかる。

 

「……ノ、ノア。表面ではなく内側の話で……」

『内側?もうやってる。演算遅くてごめんなさい……』

「あっ……いえ、責めているわけではないのです……」

 

そう。悪気はないのだ。

ノアにとってこれは調律。医療行為である。

 

しばらくして、胸の奥が軽くなる。宣言通り、既に肺を洗ってくれていたらしい。

 

身体が浄化される感覚が心地いい。

ともすれば、癖になりそうなほど。

 

何事もなければ、一生感じることはなかったはずだ。

 

不意に涙が出た。

これは【掃除】による生理的な反応だろうか。

 

『騎士さま、かなしい?もっと痛いところあった?』

 

心配そうな声に顔が熱くなるのを感じた。

 

「いえ、痛みは無いのですが、視界にちらつきがあるので目の検査をお願いします」

 

『わかった!』

 

触手が這い、涙が吸収された。

 

目の奥底から熱を感じて、思わず強く瞑ってしまう。

 

『うん。きっとこれで治った。騎士様、目を開けて』

「はい……。うん、かなり見やすくなりました。さすがノアです」

『えへへ。ノアえらい!』

 

視界にちらつきがあったのは本当の事だ。

 

それはノアの助けで綺麗に消えていた。

 

ノアの無邪気な喜びを微笑ましく思っていると、不意に耳鳴りが強まった。

 

顔を顰めてしまうが、これではノアのせいで苦しんだととられかねない。

 

急いで言葉を紡ぐ。

 

「ノ、ノア!耳!耳が少し辛いです!診てもらえませんか」

『うん!』

 

無邪気な返事にほっとする。

ノアが悲しむのは嫌だ。

 

耳に触手が柔らかく触れる。

 

「……っ、ノア……まって……」

 

こそばゆい感触に、全身が震えてしまう。

 

『わっ。強かった?もっと優しく触るね』

「……はい、ありがとうございます……」

 

温かい触手の上で、身体を何度かよじる。

 

『騎士様、大丈夫?』

 

焦っている声が聞こえる。

身体が震えているのだ。心配もするだろう。

 

「……っ、問題ありません……」

 

……ノアのいたわる声で、恥ずかしさは増すばかりだった。

 

 

──────────────────────────

 

 

ノアの内側からの処理がおわり、耳鳴りが消えていくのを感じる。

 

頭の中のざわめきが、ひとつ、またひとつと沈んでいく。

 

……この【掃除】が終わりノアが離れれば、このざわめきは再び頭の中に入り込んでくるだろう。

 

──首筋を撫でられ、頭をすくわれる。髪の重さまで消えてしまったような感覚。

全身を覆う感触が、甘えるように絡みついてくる。

 

恐怖がすこし、和らいだ。

 

「……ん」

 

ノアの熱が伝わってくる。静かな温かさに、深く安心してしまう。

 

『えへへ。ぎゅー好きだよね。ノアもだよ』

「……っ、ノア、それは……」

 

さらに身体を引き寄せられる。

やがて力が緩む。体が沈んだ。

 

【掃除】が終わり、鼓動が解ける。

その隙間から、世界のざわめきが滲み戻った。

 

寂寥感が押し寄せてくる。

 

──これではどちらが守られているのか、わかったものではない。

 

『完了。軽くなった?』

「ええ……、いつもありがとうございます」

 

起き上がり、自分の髪に触れる。

黒髪の内側の熱が、深い群青へと冷えていた。

見慣れた緋色は、毛先にだけ残っている。

 

姿見を見ると、群青は瞳にも広がっていた。

【掃除】の前とは、少しだけ違う私。

 

脈動がわずかに鈍る。

 

──色が変わったのが、不満なのだろう。

 

こうなることがわかっていても、この子は戻してくれる。

 

鼓動が遠ざかると、静寂も遠ざかった。

この鼓動が止まれば、自分の音に耐えられる気がしない。

 

『……きれいな色だね』

 

どこか拗ねた声。

 

瑠璃色はかつての残滓。そして、ノアの献身の証だ。

 

触手を撫でる。

 

「今日はもう寝ましょうか、ノア。おやすみなさい」

 

わずかな沈黙。

 

『……いや』

 

子供のような声音だった。

 

『さっきまで一緒の色だったのに。離れるの、いや』

 

背の奥で、強く縋るような脈動。

 

「ノア……」

『もっと一緒がいい。まだ足りない』

 

触手が背へ潜り込み、心臓へ触れるような熱が流れ込む。

 

「待ってください。今日はもう──」

『やだ!』

 

はっきりとした拒絶。

駄々をこねるように、熱が強まる。

 

──拒めば、この子はもっと強く求める。

止めるべきなのは、この子ではなく自分だ。

 

小さく息を吐く。

 

「……少しだけですよ」

 

途端に、歓喜の脈動。

 

『うん!』

 

背中から熱が溢れ、意識の輪郭が甘く崩れていく。

慣(・)れ(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)深度へ、静かに沈んでいく。

 

抵抗しようとして、すぐに力が抜けてしまう。

 

独りになるのが、怖い。

 

世界の音が遠ざかる。

呼吸が水の中に沈むように静まっていく。

 

静寂と、どこか懐かしい温かさに包まれながら。

 

私は目を閉じた。

 

 

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