名前を呼ばれたくない珍名ウマ娘 作:Lagavulin
有馬記念の翌年も、3人はそれぞれに走った。
レースの翌週にイチカが2人を誘って遊ぶこともあれば、ミテテが新しい店を見つけて連絡することもあった。ニョから動画が届くと、競り合った直線の話が始まった。ゴールの後の音声について、長い感想が続く日もあった。
秋、ジャパンカップの出走者が発表されると、3人の名前がまた同じ紙に載った。
2400m。有馬記念より直線が長い。イチカは日程表を見て頷き、ミテテは海外から来る相手の映像を開いた。ニョは2人との併走を増やしたいと言った。
レースの週には、海外の記者から3人への取材が入った。
椅子に並んで座り、ニョは隣を見た。イチカが背筋を伸ばし、ミテテが足を揃えている。向かいにはカメラと、通訳を連れた記者がいた。
取材はレースの話から始まった。
去年の有馬記念で、最後に3人が並んだときのこと。今度はどこから動きたいか。海外の出走者で、気になっている相手はいるか。
その辺りまでは、3人ともよく話した。
記者が手元の資料へ目を落とし、ミテテを見た。
「What does your name mean?」
通訳が、名前の意味を尋ねていると伝える。
ミテテは膝の上で指を重ねた。
「パパとママに、見てて、って。そういう意味です」
通訳は頷き、記者へ顔を戻した。
「Her name means 'Dad, Mom, watch me.'」
記者が微笑み、資料へ書き込む。ミテテはその手元を見てから、カメラへ視線を戻した。
「名前の意味だけですから」
通訳はもう一度頷き、それも伝えてくれた。
次は、イチカだった。
「セカイイチカワイイは、そのままですが……世界一かわいい、です」
最後だけ、少し声が小さくなった。
通訳は、聞き取った内容をはっきり言った。
「The cutest in the world.」
記者はイチカを見て、嬉しそうに頷いた。
イチカは、膝の上で両手を握った。
「あの、名前の意味です」
通訳は資料の名前を指し、説明を足した。記者も頷いている。イチカはカメラを一度見て、背筋を伸ばし直した。
「ニョさんは?」
通訳が尋ねた。
ニョは一拍置いて答えた。
「特に、意味はないです。ニョです」
「Her name is Nyo. Just Nyo.」
記者が資料へ書き込んだ。それから名前を確かめるように、短く呼んだ。
「Nyo?」
「はい」
そこで終わった。
カメラが止まり、イチカがニョの袖をつまんだ。
「ニョさんだけ、説明が短くないですか」
「意味がないから」
「私も、そのくらい短く済ませたかったです」
ミテテが椅子から立った。
「私も」
ニョは2人を見て、それから記者の資料へ目を移した。
「でも、これで海外でも覚えてもらえるよ」
「はい。すごく」
イチカは立ち上がり、上着を着た。
*
ジャパンカップの直線で、イチカの前にいたミテテが海外のウマ娘をかわし、先頭へ出た。ニョも外から迫り、ミテテのすぐ近くへ上がった。
ミテテは腕を振った。ニョも上体を沈め、少しずつ肩を揃えた。
そのさらに外で、イチカが加速した。
前の2人へ追いついても、すぐには離せなかった。ニョの銀髪が視界の端に残り、内側ではミテテがもう一度伸びる。
イチカは足元へ力を込めた。有馬記念では、ここから抜けなかった。今日は、抜く。
最後の数歩で、イチカが先に出た。ニョが追い、ミテテも食い下がる。そのまま白線を越えた。
速度を落としながら、イチカは掲示板を見上げた。1着の欄に、セカイイチカワイイ。息を吸い直し、もう一度確かめた。
1着、セカイイチカワイイ。
ニョが近づいてきて、片手を上げた。ミテテも息を整えながら手を差し出す。イチカは両方の手へ、自分の手を重ねた。
「勝ちました!」
笑いながら、跳んだ。
ニョも笑って、ミテテと一緒に拍手した。
*
レースの翌日、3人は学園の食堂で同じテーブルについた。真ん中のニョへ、イチカがスマートフォンを差し出す。海外の記事だった。
大きな見出しには、ローマ字の名前と、ジャパンカップを勝ったことが書かれている。その下に、もう1行あった。
Her name means "the cutest in the world."
記事の写真では、イチカが満面の笑みで飛び跳ねていた。イチカはスマートフォンを引き戻して画面を伏せ、隣のニョへ尋ねた。
「この説明、記事にも入るんですね」
「取材で話したから……」
ニョは途中で言葉を止めた。もう片側に座るミテテが、自分のスマートフォンを2人へ向けている。映っていたのは、ミテテのデビュー戦だった。
短い栗毛の少女が、客席へ笑いかける。ミテテ自身の声に、英語の字幕が付いていた。
『パパ、ママ、見てた? 勝ったよ!』
Dad, Mom, did you see? I won!
ニョは口元を押さえた。
「……ちゃんと、同じこと言ってる」
「うん。私も、それは分かった」
ミテテは動画を止め、イチカの前へスマートフォンを置いた。
「これ、私の名前を紹介する記事に付いてた」
イチカは頷き、自分の記事も2人へ見せた。ニョもスマートフォンを取り出し、3人で受けた取材の映像を開いた。
Her name is Nyo. Just Nyo.
関連記事には、有馬記念のゴール動画があった。何が流れるかは分かっている。それでも、3人が並んだ直線をもう一度見たくて、ニョは再生を押した。
『パパママミテテ、セカイイチカワイイ、ニョが並んでいる!!』
イチカが画面へ身を寄せた。ミテテも椅子を近づけ、反対側から覗き込む。
3人が白線へ飛び込む。
『ニョーーーー!!』
音声は、日本語のままだった。動画の下へ、海外の視聴者のコメントが流れる。
NYOOOOOOOOOO!
ニョは再生を止めた。
ミテテがニョの背中へ、そっと片手を置いた。イチカはニョからスマートフォンを受け取り、取材映像へ戻した。通訳の声が入ったところを再生し、ニョに画面を見せる。
『Her name is Nyo. Just Nyo.』
「これ、海外遠征したら言われるのかな」
誰も答えられなかった。