EXCEED VENOM:リーサルプロテクター 作:嫉妬憤怒強欲
世界中に侵略性危険生物、通称『侵略種』が出現してから三十年。
一度滅びかけた人類は復興の兆しを見せ始めていたが、未だ侵略種と生存圏を争っていた。
そんな中、密かに侵略種の生体組織を利用した研究が進められた。
その研究の一つが、人間を侵略種に近い存在――魔人へと変える薬、『魔人化薬』だった。
魔人化薬はいつしか裏社会で取引がされるようになり、魔人と化した人間は少なくない。
人ならざる者と化した人間は侵略種に由来する特異な能力を手にするが、その代償に人や侵略種、そして他の魔人に対する「食欲」を植え付けられる。
また、侵略種を喰らえばその力を取り込むことができる。それは同じ魔人も例外ではない。
より強い力を求める魔人にとって、同族は敵であると同時に、最高の餌だった。
その日、一人の魔人が海を渡っていた。
目的地は、瑞穂の本土から離れたとある島。
そこには別の魔人がいる。
喰らうために来た。ただそれだけのはずだった。
――しかし、その島には魔人の知らない「何か」がいた。
「はぁ………はぁ………!」
雨が降っていた。
廃墟の街を冷たい雨が叩く中、魔人は息を切らしながら必死に駆け抜けていた。
左右には、かつて人が暮らしていたであろう廃墟が立ち並んでいる。
「なんなんだ、あいつは……!」
人を辞め異形と化した彼は、「何か」から逃げていた。
島に隠れている魔人を喰らう為に、従えた侵略種を多く引き連れた。
島に来る前にも多くの魔人を喰らい、誰にも負けないほどの力を持っていた。
だが、探していた魔人とは別の「何か」にすべて無茶苦茶にされた。
侵略種達を全て喰われ、自身もかなりの深手を負わされた。
明らかに今まで喰らってきた侵略種や魔人とは異なるイレギュラーの圧倒的な力に、『食欲』に突き動かされていた魔人の頭の中は徐々に恐怖に塗りつぶされ、逃げ出した。
とにかく今は逃げるしかない。
逃げきればまたいくらでも立て直す機会はある。
外の魔人を喰らって、更に力をつければいつか――
『どこに行く気だ?』
その瞬間だった。
――ドンッ!
頭上から黒い影が落ちてきた。
「な――」
魔人の視界が一瞬で黒く染まる。
次の瞬間には、頭上から降ってきた「黒い質量」が、魔人の巨躯を地面へと叩きつけていた。
「がぁっ……!?」
地面に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
それだけの衝撃を受けながらも、魔人は必死に起き上がろうとしたとき、胸倉を黒くて太い腕に掴まれた。
『オレ達を食うつもりだったんだろ?だったら、最後まで食う側でいろよ』
「は、離せ……!」
振り払おうとしてもびくともしないその腕は、魔人の大柄な身体を片手で難なく持ち上げた。
『ふぅん』
「ひぃ………!」
それに睨まれ、蛇に睨まれた蛙のように魔人は固まった。
それは『黒い怪物』だった。
全身を波打つ液状の筋肉で覆い、背中からは黒い触手を無数に蠢かせている。
何より恐ろしいのはその顔面だった。顔の半分を占めるほどに吊り上がった白い眼点。そこから覗く、剃刀のように鋭い牙が並んだ巨大な顎。そして、蛇のように長く伸びる真っ赤な舌。
『オレ達を食おうとしてた癖に、食われる覚悟はなかったようだな』
怪物から放たれる威圧感。
『食欲』が搔き消えるぐらいの、今までに感じたことのないほどのそれに、魔人は目の前の存在が自分たちを遥かに凌駕する「本物の捕食者」であることを本能で理解した。
その白い眼に見据えられ、魔人の顔が恐怖に歪んだ。
『目ん玉……肺………膵臓………ご馳走がいっぱいだ』
黒い口元がゆっくりと歪んだ。
『どれからいくか迷うな』
「ただの魔人じゃないな……お前はいったい……なんなんだ……っ!?」
『オレか?』
――
『決めたぞ』
ヴェノムと名乗った怪物の巨大な顎が、限界を超えて開き放たれる。
「や、やめ――」
バキリ。
次の瞬間、魔人の頭部ごと、その上半身が凄まじい音を立てて喰らい尽くされた。
雨粒が黒い身体を伝い、地面へ落ちていく。足元の水溜りに赤い血が混ざった。
肉を咀嚼し、骨を噛み砕く、生々しくおぞましい音が聞こえなくなった時には、何も残っていなかった。
骨も、肉も。
その全てを平らげていた。
ヴェノムはゆっくりと顔を上げ、天へ向かって咆哮を上げた。
「グゥゥゥゥオオオオオオンッ!!」
咆哮が廃墟の街を震わせる。
崩れた建物の隙間を抜け、雨雲を突き抜けるように響き渡る。
曇天の空に、その声だけがいつまでも残っていた。
ヴェノムと名乗った、黒い怪物。
彼は何者なのか。
どうやって生まれたのか。
――それを知るには、時計の針を数週間前まで巻き戻す必要がある。
♢
目を覚ました時、視界に入ったのは知らない天井だった。
無機質な白で、蛍光灯の光がやけに眩しい。
「……ここ、どこだ?」
身体を起こそうとしたが、動かない。
右腕も、左腕も。足も動かせない。
胸元には幅の広いベルトが巻かれ、手首と足首も拘束されている。
しかも何故か病院にある病衣を着ていた。
「……何だよ、これ」
視線だけを動かした。
自分が寝かされているのは、病院の診察台によく似たベッドだった。
周囲は透明な壁で囲まれている。まるで病院の隔離ブースだ。
壁の向こうには、白衣を着た人間が何人もいる。
医療機器にモニター、点滴。
そして――。
「……え?」
視界の端に、別のベッドが見えた。
透明な壁で仕切られた、隣のブースにも人がいる。
男だった。自分と同じように診察台へ寝かされていた。
目を閉じていて、胸元に電極が貼られている。
「おい!大丈夫か!?」
声を張ったが、返事はない。
もう一度叫んだが、やはり動かない。
その隣にも、もう一つブースがあった。
そこにも人間がいる。
今度は女性だった。こちらも拘束されていて、顔は青白い。
「……誰か!」
俺の声が施設内に響く。
だが、研究員たちはこちらを見ようともしない。
そのとき、隣のブースにあるモニターへ目が向いた。
画面には、一本の線が表示されている。
一直線のまま、微動だにしていなかった。
「……嘘だろ」
心臓が嫌な音を立てた。
さっきの男の胸元を確認する。
呼吸していない。
女性も同じだった。
俺の隣に並んでいるブースの中で、二人とも――
「……死んでる?」
声が震えた。
そこで初めて気づいた。
この部屋にある隔離ブースは、俺のためだけに用意されたものではない。
左右を見渡す。
一つ。二つ。三つ。
さらに奥にもある。
そのほとんどに、人が入っていた。
そして――動いている人間は、ほとんどいなかった。
「……何なんだよ、ここ」
恐怖で喉が乾く。
病院なんかじゃない。少なくとも、俺が知っている病院ではない。
透明な壁の向こうで、研究員が端末を操作している。
「被験者26番適合失敗。開始後三分で心拍並びに血圧が急激に低下。生命維持は三分前に停止しています」
「記録して処理を」
「了解」
淡々とした会話だった。
まるで、人間が一人死んだことなど何でもないように。
俺の身体が震えた。
逃げないといけないが、身体は拘束されている。
手首を引っ張るが、金具が軋むだけだった。
「おい!ここから出せ!」
叫んでも、誰も助けに来ない。
むしろ、一人の研究員が俺の方を見て――。
手元の端末を確認した。
「被験者27番の覚醒を確認」
「次の実験へ」
「了解」
その瞬間、自分がここにいる理由を理解した。
俺は患者じゃない。
治療されているわけでもない。
ここにいる人間は全員――。
「マジかよ…」
どうして自分がここに………
なんでこんなことになった。
必死に記憶を探ってみると、頭の奥に一つの記憶が浮かんだ。
それはネットで何気なく見つけた求人だった。
――短期アルバイト。
――日給五万円。
――仕事内容、船での簡単な清掃作業。
――未経験歓迎。
あまりにも条件が良すぎた。
だから最初は、怪しいと思った。
けれど、俺には金が必要だった。
応募メールを送ると、驚くほど簡単に第一審査の合格が決まった。
『詳しい仕事内容は、現地で説明する』ということで、指定された場所へ行った。
そこから先の記憶は、ところどころ曖昧だ。
場所は港で、一隻の船が停泊していた。
船での短期バイトと聞かされたからその船に乗った。
第二審査の説明で、肉体労働だから健康状態を確認する必要があるということで簡単な健康診断を受けると聞かされ、用意された病衣に着替えた。
それから指定された部屋に入り担当医を待っていると、なにかガスの様な出てきて吸い込んでしまい、意識が朦朧と―――
「…ああ畜生」
やっぱり応募するんじゃなかったと後悔していた時、ガラガラと、車輪の音が聞こえてきた。
俺は顔だけを動かし、透明な壁の向こうを見ると、二人の人間が歩いてきた。
どちらも頭から足先まで白い防護服に身を包んでいる。
二人の間には金属製の台車があり、その上に一本の大きな円筒形の容器が固定されていた。
「……何だ、あれ」
容器の中は、黒い液体で満たされていた。
いや。液体なのかすら、よく分からない。
黒いスライムみたいなモノがゆっくりと蠢いている。
時折、容器の内壁に沿って伸び、また縮む。
まるで生き物みたいだ。
それが入った容器が、俺のいる隔離ブースに入ってきた。
「なあ……それなんなんだよ?何する気だ」
防護服の人間に声をかけるが無視された。
台車が診察台の横まで運ばれる。
近い距離まで来ると、黒い塊がまるでこちらの存在に気づいているかのように容器の内側を這った。
「容器の搬入完了」
「これよりブースから出る」
容器の固定具を確認してから、二人はすぐにブースから出ていった。
扉が閉まり、容器だけがここに取り残された。
「この……外れろ!」
嫌な予感がした俺はもう一度身体を動かそうとした。
拘束を外そうと必死にもがく中、ガラス越しに研究員たちが動いていた。
誰もこちらを見ていない。モニターを確認し、端末を操作している。
やがて、スピーカーから声が聞こえた。
『被験者27番、覚醒状態を維持』
『寄生型原種の状態は?』
『問題ありません』
寄生型。
その言葉に、背筋が冷たくなった。
「寄生、寄生だって……?」
容器へ目を向ける。
黒い生物が、また蠢いている。
俺はようやく理解した。
ここで何をするつもりなのか。
『これよりケース27の適合実験を開始する』
「なあおい、やめろ!やめてくれ!」
まずいまずいまずいまずいまずいまずい!
ここから出ようと、がむしゃらに身体を揺すり続ける。外れないとわかっていても必死だった。
しかし無情にも、容器についている機械が作動する音がした。
出るのが待ち遠しいかのように、黒いものが大きく蠢く。
「ここから出せ!」
喉が千切れそうになりながら必死に叫んだ――――その瞬間だった。
――ドォンッ!!
「――ッ!?」
船全体が、横から巨大な何かに殴りつけられたように揺れた。
診察台が大きく傾く。
容器を固定していた台車が、床の上を滑った。
「何だ!?」
ブースの外から悲鳴が上がる。
照明が消え、赤い非常灯が点灯する。
『警告。海中より、大型侵略種の接近を確認。ただちに避難を』
鼓膜を刺すサイレンと共に機械音声が響き渡る。
『警告。海中より、大型侵略種の接近を確認。ただちに避難を――』
「大型侵略種だと………」
「バカな。この海域に侵略種はいない筈じゃ………」
「仕方ない。実験中止!容器を回収して直ちに――――」
ズガァン!!!
「うわあああっ!」
凄まじい衝撃が船を襲った。
船が横から殴りつけられたように大きく傾き、研究員が吹き飛ぶ。
そして俺の視界の端で、海水が流れ込んできた。
「おい…冗談だろ」
冷たい海水が一気に押し寄せてくる。
ここから逃げなきゃいけないというのに動けない。
水面は一瞬で身体を、そして鼻を覆った。
すぐに息を止めて拘束を解こうとするが無駄に体力を使うばかり。
限界がきて口から気泡が漏れる。
肺が焼けるように熱い。
俺………このまま死ぬのか?
意識が闇に溶けかけ、視界が完全に途絶えようとした、その時だった。
――――パキン
すぐ横で、ガラスが激しく割れる硬質な音が水中に響く。
ゆらり、と水中で蠢く黒いそれは、一直線に俺の顔目掛け、まるで獲物を見つけた捕食者のように襲い掛かった。
視界が黒く染まり、俺の意識は闇へと落ちた。
??「しーちゃん!あそこに人が浮いてるよ!」
しーちゃん?「大変!すいませーん!大丈夫ですかー!?」