クライはゴミ溜めの中でも特に治安の悪い、西側へと歩みを進めていた。
「確か、ネイル・シュティって名前だったよな」
だんだんと、今までいた道に座ったり寝転んでいる人間も少なくなってきていた。
代わりに、顔つきが険しく、ガタイの良い男と良くすれ違うようになっていた。
クライを怪訝な目で睨みながら通り過ぎていく。
少年が一人で治安の悪い場所にいるのが珍しいんだろう。
クライは前から歩いてくる中年男に話しかける事にした。
「おい、あんた」
「....あ?」
左足を前に出した体勢で立ち止まる。
「ネイルって奴、知らねぇか?」
「....?」
首を傾げ、怪しむような目をクライに向けた。
「ネイ....なんだ?知らねぇな」
「そうか」
クライは男から目線を外して歩き出す。
その背中を男は怪訝な表情のまま見届けた。
『まさか、一人一人尋ねていくつもりか?』
「しゃあねぇだろ」
『どれだけかかると思ってる』
「....じゃあお前、なんか良い案あるのかよ」
『....そのネイルとか言うやつの名前を叫ぶのはどうだ?相手の方から来るかもしれんぞ』
「....馬鹿か....」
『何故だ!妙案だろう!』
「そんな事したら、帝衛隊にも勘づかれるかもしれないだろ。
いつどこで誰が聞いてるか分かんねぇんだ。
警戒しとくに越した事は無い。
....それにそんな恥知らずな事、流石にやりたくねぇよ」
『むぅ....。ならば組織の構成員らしき奴をとっ捕まえて、晒し首にするのはどうだ?』
「なんの意味があんだよそれ。
....さっきの叫ぶ案は、最終的な手段として取っといてやるよ。
それと情報集めの段階では、出来るだけ能力は使わない」
『温存していたら、いつまで経っても能力に慣れんぞ』
「暇があれば慣れる練習はしとく」
そうこうしている内に、目の前に大きなコンクリートビルが表れた。
「....なんだこのビル」
入り口付近には、顔に傷が刻まれていたり、刃物を携帯していたり、ゴロツキらしき人物がちらほらといる。
その中の一人が、クライに気づいた。
しゃがみこんでいた膝に怠そうに手を置き、重苦しく立ち上がって近づいてきた。
「おいガキ。
ここら辺は『ビッグラット』のシマだって分かってて入ってきてんのか?」
「ビッグラット?」
クライの言葉に、男は頭を掻きながら溜息を吐いた。
「....まさか知らねぇって言う訳じゃねぇよな?」
「知らねぇ」
「!....ガキが」
男はクライの髪をがっと強く握って、顔を近づけた。
「俺達はテメェみてぇな舐めた奴を攫って売り飛ばしたりぶっ殺してバラしたりしてんだよ。
それがビッグラットだ。
どうだ?俺達の恐ろしさが分かったかよ」
「....ここにいる奴は全員そのビッグラットなのか?」
真っ直ぐに目を見つめ返された男は、クライに不穏な空気を感じて手を離した。
「あ?....な、なんだお前」
「答えろよめんどくせぇな....。
ビッグラットは、人身売買してるって事でいいんだな?」
胸をトントンと叩く。
『アーティファクトの気配は感じん。このビル以外に人間の気配は感じないな』
「ま、まさかお前、帝警団か!?」
「違ぇよ」
クライは懐に手を入れ、仮面を取り出してつけた。
「俺はクライだ」
胸に左手を突き刺す。
「『死鬼』」
立ち上る紫の炎を見て、男は汗を吹き出しビルの方へと逃げた。
「うわぁ!」
炎から黒い刃が伸びて男の心臓を貫いた。
『いいのか?さっきは帝衛隊に勘づかれるかもと危惧していただろう』
「その為の仮面だ。不十分だけどな。変な気配を感じたら教えろ」
『ふん、雑なのか臆病なのかよく分からんなお前は』
一連の流れを見ていた男達が、ザワザワとし始めた。
「おい....俺、あいつが×紋に見えたんだけど....」
「お、俺も」
『皆殺しか?』
「悪い奴はな。早めに終わらせるぞ」
何人かは刃物を取り出し、クライから距離を取って睨んでいる。
一人が、ビルの中へと駆け込んで行った。
「どこの回しもんだテメェ!」
「でもラッキーだったな。こんな早くゴミ掃除のチャンスが来るなんて」
「ぶ、ぶっ殺すぞ!」
クライは、淀みない足取りで入り口へ向かう。
「いや、それだけここが腐ってるっつう事か」
一人がクライに飛びかかった。
男の刃が届くよりも先に、黒い刃を横に凪いだ。
男達の身体から血が吹き出し、一斉に倒れた。
返り血が服と仮面に付く。
『後始末はどうするつもりだ』
「....後で考える。今は早めに終わらせる事優先だ」
『そうか』
「人の気配を感じたら細かく教えろ」
『入り口近くに5人、2階から上はだいたい30人くらいか』
「何階まである?」
『知らん。かなり高いところまで気配を感じるが』
「目測だけど、多めに8階程度って想定しとくか」
入り口に足を踏み入れる。
階段を挟むように向かい合わせの扉が、入り口の近くと奥にある。
「どこだ?」
『すぐ右の扉だ』
右の扉に手をかけて開け放つ。
中で、五人の男が円形の卓を囲んで、小さい皿のような駒を打ち付けている。
「しゃあ!リーチ....」
ちょうど扉の方に向いて座っていた男が、クライに気づいた。
「誰だ?」
卓に手をかけて立ち上がり、懐に手を伸ばす。
周りの男達も同様に立ち上がってクライを睨む。
クライは答えずに、卓へと歩いていく。
「おい、それ以上近づいたら....」
一番奥の男以外の顔面に、左腕から伸びた棘が刺さった。
その光景に、男は口を金魚のようにパクパクさせた。
「お前らのボスはどこだ?」
「ぁ....ぁぁぁあああ!」
懐からナイフを捨てて、クライの横を走り抜けようとした男の襟を掴む。
「まぁいいか」
襟を掴んだまま、男の顔を地面に叩きつけた。
床にめり込み、動かなくなった男をしばらく見つめた。
『....どうした?』
「いや....何でもない」
『この男達はお前の言う"悪人"なのだろう?
迷うことは無い。全員殺してしまえばいい』
「....別に迷ってねぇよ」
戦闘の余波で微妙にズレた仮面を直す。
「....少しだけでも、この国を綺麗にする為だ。
....もう迷いなんて無い」
二階へと続く階段を登ると、一階と同じような扉の配置だった。
『この階には居ないようだな』
そのまま三階へと上がる。
『....この階も居ない』
「....さっきビルに入って行ったやつが居た。
そいつが仲間に伝えたんだろ」
『そのようだな。上の階に気配が集まっている箇所がある』
「警戒されてんな」
四階へと続く階段を睨む。
「どっかに罠があるはずだ」
『罠など取るに足らん。
アーティファクトの気配は微塵もせん。
アーティファクトを使わずに今のお前に勝てる者など居ない』
「そうか....でも、警戒するに越した事は無い」
『またそれか』
クライは、階段を上がってすぐ目の前にある窓を見た。
そして、窓へ勢いよく走る。
その最中、左腕を刀から普通の手に戻した。
窓を破って落ちていく。
身体を捻ってビルの上階を見た。
窓が縦に連なっている。
その中で一番高い窓、その横の壁に左腕を伸ばして突き刺した。
左腕を縮めて身体を引き寄せる。
コンクリートで出来た壁が、クライが着地した時の衝撃で凹んだ。
「ボスが居るとしたら多分一番上だろ。どうだ?シキ」
『当たりのようだな』
「よし」
左腕を伸ばして身体を壁から引き離す。
左腕を縮め勢いをつけながら、窓を蹴破った。
「な!」
十数人、固まって立って壁を背にしていた。
手には銃やナイフを持っている。
固まりの一番奥、コートを着ているサングラスの男が怯えながら、クライを指差した。
「や、やれ!」
「あいつだな」
銃弾がクライに向かって飛んでくる。
クライは左上に飛んで回避した。
銃弾を回避したクライの右肩を、ナイフが切り裂いた。
「っ....!」
鋭い痛みが走る。
集団に目をやると、二本目のナイフを投げようとしている男が見えた。
『む....アーティファクトも無しに....あいつ、中々やるな』
「油断した」
回避した先の壁を蹴り、集団へと突っ込む。
集団の真ん中に着地したクライに、男達は反応が遅れた。
低い体勢になり、刃を一閃。
すぐ近くにいた男達は血を流して倒れたが、固まりの外側に立っていた男達には刃が届かなかった。
先程指示を出していた男は、ナイフを投げた男に蹴られてクライの刃を回避したようだった。
ナイフを投げた男は、腸が溢れ出そうになった腹を押さえながら、何とか気力を保ち立っている。
「な、ナニモンだよ....テメェ....帝衛隊でも帝警団でも、ねぇだろ....」
「....お前ら、なんでこんな事してんだ?」
「こんな....事?」
「なんで人を不幸に出来る?」
コートを着た男を横目に、ナイフを投げた男と会話する。
「はは....テメェも、似たようなもんだろ....」
会話しつつ周りの男達を切り裂いていく。
近づいて、男の首に刃を突き刺した。
「ご、の....ひと、ごぼじ、が」
口から血がボコボコと泡立って、涙を流しながら倒れた。
コートの男に目を向けると、座ったまま身体を震わせて股を濡らしていた。
「おい、お前がボスか。
『アンダードッグ』について、何か知らねぇか?
『ネイル・シュティ』に聞き覚えは?」
「あ、アンダードッグ!?お、お前、それを知ってどうするんだ!」
「潰すんだよ」
「ぁ、ぁあ、は、ははは!ば、馬鹿かお前!アンダードッグは、お前みたいなのが簡単に触れていいモンじゃねぇ!」
「て事は、知ってんだな?知ってる事全部言え」
「い、言えば、見逃すのか?」
「....いや、見逃しはしねぇ」
「た、頼む....!家族が居るんだ....」
足に縋り付いてくる男を見下ろす。
「....悪い」
「....ち、ちくしょう!ちくしょう....ここまでなのか....俺の人生....」
泣き叫んで、床をドンドンと叩き、しばらくして、落ち着いた様子で鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔をクライに向けた。
「アンダードッグは....アジトが何個かある。
俺が知ってんのは....東二番地の『カイコウビル』だけだ....。西五番地の廃病院にも、幹部がいるって噂を聞いた事がある。
うちは『カイコウビル』にいる幹部、ミナカタって奴と取引してた」
「取引?」
「麻薬だよ。それもとびっきりの上物だ。
あいつが作った麻薬を、俺達が買い取って高値で売り捌く。
他にも売ってる所はあるらしいけどな。
他言無用だって言ってたけど、どうせもう死ぬしな、はは」
「ミナカタ....そんで、ネイル・シュティは?」
「そいつは知らねぇ....アンダードッグはデカすぎて、全貌を把握してる奴なんてそこのボス以外いないんじゃねぇか?」
「そうなのか....」
「さぁ、知ってる事は言ったぜ....ひと思いに頼む」
膝を立て、腕を広げ首を伸ばした。
一瞬躊躇ってから、その首を勢いよく跳ね飛ばした。
「........おい、シキ。まだ全員じゃねぇんだろ」
『あぁ、下にも何人かいるな』
「....」
一つ階段を降りて、やけに厳重な見た目の扉を蹴破った。
中には、薄い布を着た、若い男女が数人いた。
痩せ細り、身体と顔が汚れている。
怯えた表情で入ってきたクライを見ていた。
「....あんたらは、ここの組織の一員じゃ、無いよな?」
クライの言葉に、怯えつつ全員が頷く。
頭を掻いた。
「....もう、大丈夫だ。さっさと家に帰れ」
一人がクライの言葉に反応して、横を走り抜けた。
それを皮切りにまた一人、また一人と逃げていく。
『....』
「不満かよ」
一人薄暗い部屋に残ったクライは、胸を見て言った。
『ふん....それより、逃げて行くやつが居るぞ』
「さっきの奴らだろ?」
『違う。お前が戦闘していた時、下に逃げて行く気配があった。
今は外らしいな』
「....まじか、クソ!」
部屋の窓を破って、屋上に腕を伸ばす。
屋上へと着地して、下を見た。
黒い車が、慌てたようにビルの下から飛び出した。
「車かよ....」
ラインの西側より更に西、隣の都市へと向かうようだった。
屋上を伝って、車と並走を始めた。
下の車は、木の箱や人にぶつかりながら、猛スピードで路地を走り抜けていく。
クライはそれと変わらないスピードで家や小屋の天井を走って行く。
「クソッ!スピード落とせねぇ!このままだとラインから出ちまう!」
何度か飛び掛ろうとしていたが、少しでも気を抜くとスピードが落ちてしまう。
「....?」
クライとは反対側の家の上に、クライと同じ程度のスピードで走る人影がみえた。
「シキ!なんだあれ!」
『馬鹿な、さっきまで全く気配が無かったぞ。
警戒しろ、アーティファクトを持っている。
それも相当なモノをだ』
目を凝らすと、上下が白黒で分かれている仮面をつけていた。
さらに、口のようなものが、おでこの部分に刻まれている。
「おい!お前!誰だ!」
走りながら、クライは叫んだ。
その声に反応したのか、仮面がこっちを向いた。
瞬間、姿が消える。
「!」
『!クライ!』
「は?....!?」
仮面の者だけでは無く、下を走っていた車も消えていた。
思わず立ち止まる。
「な、何が起こった....」
『分からん、が、アーティファクトを使われたんだろう』
「なんで....」
『気配が変だった。
....覚醒型のようだったが....』
しばらく呆然として、車の事を思い出し、拳を握った。
「クソッ....逃がした」
『それよりも、警戒は解くなよ。
気配はしないが、さっき奴は突然現れた』
「あぁ....アーティファクトを使ってきたって事は、敵って事だろ」
顎に手を当て、しゃがみ込んだ。
「アイツは、あの組織の一員って事か?ビッグラットとかいう」
『知らん』
「....何で消えた?どういう能力だ?バンターみたいに、瞬間移動する能力か?
車も消えて....あいつも消えた....」
立ち上がり、腰に手を当てた。
「....今考えても分かんねぇな」
『妙だ』
「何が?」
『全く気配がしない。人間が一人も居なくなったようだ』
「....全く?どういう事だ」
『分からん』
「....警戒しながら戻るか」
クライは、とりあえずビルへ戻って後始末をする事にした。
だが、何故かビルの入り口にあるはずの死体が見当たらなかった。
「....おいシキ、もしかしてビルの戦いは幻覚だったのか?」
『それは無いはずだ。幻覚を見せるアーティファクトなら、能力を発動する時に察知出来る。
有り得るとすれば、今見ているものが幻覚という線だな』
「....今が....」
頬を抓る。
痛みは普通に感じた。
『馬鹿が、無意味だ』
「....」
ビルを見上げる。
入る前と同じように、部屋の電気が付いている。
「!」
最上階を見ると、窓の横にあるはずの凹みが無かった。
「幻覚....なのか?」
胸に手を当て、目を瞑った。
「....チッ、もうあんま力が残ってねぇな」
クライはビルの壁に違和感を覚えつつ、能力を解いて仮面を外し、家へ帰ることにした。
その道中、深夜と言う事もあってか、人とは一切すれ違わなかった。