黒猫とチョコレート ~のびのびストーリーテリング~ スチームパンクと不思議なアイテムとダイスの悪戯   作:へべれけ斉藤

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これまでのあらすじ
 女子高生・渚千代子は、突如として音が途絶えた白い異空間へ引きずり込まれる。
 そこに現れたのは、胡散臭い自称「遊戯神」。彼は千代子が10年間にわたって封印してきた「神から授かった能力」を解禁し、自分を娯楽で楽しませるよう要求してくる。しかし、千代子は「ろくなことにならない」と冷ややかに神の戯れと能力の使用を拒絶。
 プライドを傷つけられ不機嫌になった遊戯神は、「能力を使わなければ生きていけない場所」として、千代子を無理やり異世界へ落とす。
 落ちた先は、灰色の高圧蒸気と歯車の音が響き、空に銅色の飛行船が浮かぶスチームパンク風の世界。千代子の理不尽な異世界サバイバルが幕を開ける。


第2話 「女子高生」と「異空間の探索」と「好奇心の塊」

 

 

 

 聞こえてくるのは、蒸気の噴き出す音と、歯車の軋みと、それから自分の荒い呼吸だけだった。

 

「うそでしょ」

 

 湿った石畳の上で、渚千代子はぽつりと呟いた。

 三分ほど、千代子は路地の石畳に座り込んでいた。

 その間に分かったことは三つある。

 ひとつ。ここは少なくとも、自分の知っている日本ではない。

 ふたつ。いくら待っても、頭上から神様が降ってきて「ドッキリでした!」と言ってくれる気配はない。

 みっつ。スカートの裾が、油の浮いた水たまりに浸かっていて、とても冷たい。

 

「よし」

 

 千代子は立ち上がり、スカートをぎゅっと絞った。灰色の水がぽたぽたと落ちる。

 それから制服の埃を払い、スクールバッグの肩紐を掛け直した。

 中身は教科書と筆箱とリップクリーム。武器になりそうなものは、分厚い数学の参考書くらいしかない。

 泣くのも、叫ぶのも、あとでいい。

 千代子は昔から、本当に困ったときほど頭の芯が冷えていく性質だった。こういうときは、まず情報だ。

 人のいる場所へ行って、ここがどこなのか、帰る方法はあるのかを聞く。話はそれからである。

 路地の出口は、石壁の向こうに白っぽい光を漏らしていた。千代子は壁に沿って歩き、そっと顔だけ出して通りを覗き込んだ。

 

「わあ!」

 

 思わず、声が漏れた。

 そこは、音と匂いと熱でできた街だった。

 まず目に飛び込んでくるのは、建物の壁を這う無数のパイプだ。太いもの、細いもの、銅色のもの、黒ずんだ鉄のもの。それらが血管のように窓の間を縫い、屋根の上へ、さらにその上へと伸びている。

 継ぎ目という継ぎ目からは白い蒸気がしゅうしゅうと漏れ、そのたびに近くの歯車がごとりと回った。

 通りの上には、橋が架かっていた。それも一本や二本ではない。建物と建物の間に何層にも渡された鉄の橋を、人や荷車が行き交っている。

 見上げれば、さらに上の階層にも街並みが続いていて、そのまた上には霞んだ空と、ゆっくり横切る飛行船の腹が見えた。

 

(積層都市、ってやつだ。ゲームで見たことある)

 

 千代子は通りの端、壁際に身を寄せたまま観察を続けた。慌てて飛び出すのは得策じゃない。まず、どんな世界か知る。

 電柱が、ない。

 それが最初の気づきだった。

 電線もない。ネオンもない。かわりに道沿いには、真鍮の柱の先に硝子の球をのせた街灯が並んでいて、中で青白い炎のようなものが揺れている。

 炎なのに、まぶしさは電球に近い。ガス灯でもなさそうだ。柱の根元からはパイプが地面に潜っていて、蒸気の脈動に合わせて光がかすかに明滅していた。

 

(電気は発達してない。あるいは、そもそも使ってない。動力は全部、蒸気。ううん、蒸気だけじゃないかも。あの光、蒸気だけの説明じゃ無理がある)

 

 通りを、四角い鉄の箱のような乗り物が走っていく。車輪ではなく、足の長い脚部で石畳をがしゃがしゃと踏みしめて歩く荷運び機械だ。その横を、本物の馬ではなく、真鍮の骨組みに革を張った首の長い機械馬が、荷車を引いて通り過ぎる。馬の鼻先から、ぷしゅうと白い息が漏れた。

 露店の主人は、腕が四本あった。

 いや、よく見れば、そのうち二本は鉄製の義手だ。だが動きが滑らかすぎて、どちらが生身か分からない。主人は四本の腕で林檎を剥き、パンを切り、釣り銭を数え、同時に隣の客と世間話をしていた。

 

(便利そう……)

 

 そして、人だ。

 行き交う人々の姿は、驚くほど多様だった。煤けた作業着の職人。裾の長いコートを着込んだ商人風の男。顔の半分が銅板に覆われた老人。そして、人の形をしているのに、明らかに人ではないものも歩いている。陶器のように滑らかな顔と、関節に歯車の見える手足。胸のあたりで、小さなメーターが静かに揺れている。頭に帽子をのせて、大きな木箱を二つ抱え、にこやかに会釈をして去っていった。

 

「機械人、ってことで、いいのかな」

 

 小声で呟く。誰かに聞かれたら、きっと失礼な言い方なのだろう。千代子は慌てて口を押さえた。

 その横を、ひときわ大きな足音が通った。

 がしゃん、ぷしゅう。がしゃん、ぷしゅう。

 現れたのは、全身を鉄の鎧で包んだ大男だった。いや、鎧というには機械的すぎる。背中に背負った小型のボイラーから何本ものチューブが伸び、肩や膝の関節に繋がっている。動くたびに関節部が蒸気を噴いた。背には身の丈ほどの巨大な剣。

 

(パワードスーツだ。……っていうか、あれ、冒険者ってやつ?)

 

 男は千代子の前を悠然と通り過ぎ、通りの先の大きな建物へ入っていった。看板には、剣と歯車を組み合わせた意匠が描かれている。ギルド、という言葉がぴったりだった。

 千代子はごくりと唾を飲んだ。

 

(これ、あれだ。ネット小説で見たやつと同じだ。ある日突然、異世界に飛ばされるやつ)

 

 まさか自分が主人公側になる日が来るとは思わなかった。いや、主人公かどうかはまだ分からない。この手の話で不意打ちで死ぬのはだいたいモブのほうだ。モブAである可能性のほうが高い。

 ふと、通りの向こうの建物に目が行った。

 木と鉄でできた二階建てで、入口は両開きの小さなスイングドア――西部劇の酒場にあるような、あれだ。その前には、給水・給気用の圧力メーターがついた鉄パイプのポールが立っている。

 そこに停められていたのは馬ではなく、流線型の金属装甲に包まれた乗り物だった。

 バイクのような形をしているが車輪はなく、底面には頑丈な着陸用の脚スタンドが降りている。エンジンは切られているらしく、重厚な金属の車体からほのかに余熱と油の匂いが漂うだけだった。

 その酒場から、腰に妙な道具を提げた男が出てきた。長い筒に真鍮の圧力計がついた、銃のような何か。古びたコートの下で、同じ形の道具がもう一丁揺れている。

 男は無言で千代子の横を通り過ぎ、ちらりとこちらを見て、すぐ興味を失ったように視線を外した。

 見られた。千代子は、ようやく自分の格好に気づいた。

 紺のブレザーに、プリーツスカート。ローファー。この街のどこを探しても、同じ服を着ている人間はいない。何人かが、通りすがりにこちらを二度見していた。小さな子どもが、母親らしき機械人の袖を引いて、千代子を指さしている。

 

(目立ってる。かなり)

 

 これは良くない。目立つことは、どの世界でもたぶん得策じゃない。

 千代子は壁際から一歩踏み出し、人混みに紛れるように歩き出した。

 歩きながら、頭の中で整理を続ける。

 技術は高い。ただし、方向性が偏っている。電気の代わりに蒸気と、たぶんそれ以外の何か。

 機械人や義体が普通にいる。パワードスーツの冒険者がいて、銃を提げた人がいる。みんなが普通に何かしら武装している。

 

(ということは、治安は、あんまり良くない。たぶん)

 

 千代子は交番か役所のようなものを探して、通りを歩き続けた。

 けれど、そういうものは一向に見つからなかった。

 かわりに、目に入るものが多すぎる。

 

 歯車仕掛けの大きな時計塔。

 蒸気で動く噴水。

 店先で実演販売されている、自動で卵を割る機械。

 路地の角で、鉄の義足を磨いている老人。

 

 どれもこれも、仕組みが気になって目が離せない。どうして動くのか、どんなカラクリなのか。

 見知らぬ世界への戸惑いも忘れて、千代子の胸の中で、未知の機械に対する好奇心がパチパチと音を立てて燃え上がり始めていた。

 

(……うん。泣いてる場合じゃないかも!)

 

 スクールバッグの肩紐をぐっと握り直す。

 これからどんな出会いや発見が待っているのか。

 灰色の蒸気と不揃いな歯車が紡ぐ見知らぬ世界へ、千代子は知的な興奮に瞳を輝かせながら、一歩を踏み出すのだった。

 

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