タコピーの原罪 もしあの「人間の胃の中を見る道具」が本当に出ていたら? 作:低品質くろわあ
1・どんな時でもおはなしは大事
タコピーの原罪 ―― もしも、あの「胃の中を見る」道具が本当に出ていたら
「タコピー。人間を捕まえて、胃の中を見る道具、出して」
しずかの声は静かだった。静かすぎて、タコピーは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……えっピ?」
「だから、胃の中を見る道具。人間を捕まえて、中を調べるやつ」
しずかはまっすぐにタコピーを見ていた。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただ、空洞だった。
「チャッピーが、食べられてないか確かめたいの」
「た、食べられてないッピ! そんなの、絶対に……」
「見ないと、分からないでしょ」
タコピーは黙った。しずかの目が、どんどん暗くなっていく。
タコピーはしばらく考えて、それから自分の小さなリュックサックを下ろした。中から出てきたのは、使い込まれた小さな救急箱。蓋には、バッテンの絆創膏が一枚、貼り付けたままになっている。
「これ、タコピーがケガしたときにもらったやつッピ。誰から貰ったか忘れたピけど」
蓋を開けると、消毒液や包帯、絆創膏に混ざって、銀色のカプセルが転がっていた。
「あったッピ。これで小さくなれるッピ」
「……救急箱に入ってるの?」
「ぜんぶ、ハッピー道具ッピ。いっしょッピ」
タコピーはカプセルを取り出した。銀色で、握り拳ほどの大きさ。表面に小さなボタンがいくつか付いている。
「これで小さくなれるッピ。溶けないし、息もできるッピ。安全ッピ」
しずかはそれをじっと見つめた。そしてゆっくりと手を伸ばして、受け取った。
「……ありがとう」
その声は、もう、さっきまでのしずかではなかった。もっと冷たくて、もっと硬い。
タコピーは何か言いたかった。でも、言葉が出なかった。
少し間があって、タコピーが思い出したように口を開いた。
「ところでね、しずかちゃん。その道具は、相手にしずかちゃんを飲み込んでもらう必要があるんだッピ」
「えっ」
「だから、その子とちゃんとお話しして、私を飲み込んでくださいってお願いするッピ」
翌日。
しずかは再び山下家の前に立っていた。インターホンを押す前に、ポケットの中のカプセルを握る。冷たい感触が、手のひらに伝わってくる。でも、指は震えていた。
(言えるわけない)
何度も息を吸っては吐いた。玄関の前に立って、もう十分は経っていた。
(「あなたがチャッピーを食べたかもしれないから、体の中を調べさせてください」なんて。まともに言えるわけない)
前回のことを思い出していた。あの時、しずかは衝動的にこの家を訪ねた。出迎えた女の子は、明らかに戸惑っていた。「誰?」という顔だった。当たり前だ。今まで話したこともない母親違いのきょうだいが、いきなり来たのだから。
でも、今なら分かる。その戸惑いは当然だった。むしろ、よく分からない訪問者を、あんなに普通に対応してくれた。あの子は意地悪なわけじゃない。ただ、驚いただけ。
(でも、今回は……)
前回はチャッピーのことを聞けなかった。母親に「チャッピーはパパのところにいる」と言われて、衝動的に来てしまった。でも今回は違う。ちゃんと目的がある。
(言わなきゃ)
しずかは息を吸った。でも、言葉が出てこない。
(やっぱり、帰ろう)
踵を返しかけた。そのときだった。
「しずかちゃん、ここに住んでる子の家ッピ? 早くチャイム押すッピ」
「ちょ、ちょっと黙ってて!」
振り返ると、タコピーが首をかしげて立っていた。
「なんでッピ? しずかちゃん、チャッピーが食べられてないか確かめに来たんだッピ?」
「だから、それは……」
「大丈夫ッピ。タコピーがちゃんと説明するッピ」
「やめて!」
止める間もなく、タコピーはインターホンを押した。
出てきたのは、前と同じ、ツインテールの女の子だった。
「あれ? この前の子? どうしたの?」
「……あ、えっと……久世しずかです」
しずかは言葉に詰まった。この子は何も悪くない。なのに自分は今から、この子に「あなたがチャッピーを食べたかもしれない」と言おうとしている。
「しずかちゃん? うん、知ってる。……この前は、ごめんね。あの時、なんか言いたそうだったのに、びっくりしちゃって、ちゃんと話せなかった。私はさつき、山下さつきです」
しずかは、その苗字を聞いて、一瞬、息を止めた。
(……山下。)
自分も、かつてはそう名乗っていた。父が家にいた頃。母が笑っていた頃。自分が「山下しずか」だった頃。
でも、今は「久世しずか」。
同じ苗字を、この子は何の疑いもなく名乗っている。それが、少しだけ、痛かった。
(あんたのせいで、私は——)
パパを。家族を。山下だった自分を。
でも、そこまで考えて、しずかは止まった。まりなの声が、蘇ったからだ。
「お前の母親のせいで、パパを取られた」
あの時、しずかは何も言い返せなかった。ただ、まりなの怒りを受け止めるしかなかった。
今、自分は——同じことを、この子にしようとしている。
(……違う。この子は、何も悪くない)
しずかは、ゆっくりと息を吐いた。指が、少しだけ震えていた。
「えっ……ううん、この前は私が急に行ったから。それでね、あの、その……ち、ちょっと、お願いがあって……」
「お願い?」
さつきは首をかしげた。しずかは俯いた。指が、ポケットの中でカプセルを握りしめている。でも、言葉が出てこない。
その沈黙を、タコピーが破った。
「さつきちゃんは、チャッピーを食べたッピ?」
「……は?」
さつきの顔が一瞬で固まった。
「タコピー!」
しずかが叫んだ。でも、タコピーは止まらない。
「しずかちゃんが、チャッピーが食べられてないか確かめたいって言うから、胃の中を見る道具持ってきたッピ。さつきちゃんの体の中に入って、探すッピ」
「こら! 黙って!」
しずかはタコピーの口を塞ごうとした。でも、遅かった。
さつきはしばらく黙って、しずかを見ていた。しずかはもう、顔を上げられなかった。最悪だ、と思った。全部、終わった。さつきに嫌われる。気持ち悪いと思われる。もう二度と、この家には来られない。
でも、さつきは怒らなかった。
「……ふーん」
さつきは、しずかの後ろからひょっこり顔を出しているタコピーを、まじまじと見た。
「なに、この子。宇宙人?」
「あ、うん……タコピーっていうの」
「タコピー。へえ、本当にタコみたいな顔してる」
さつきはしゃがんでタコピーを覗き込んだ。タコピーは得意げに、顔を上に反らした。
「タコピーは宇宙人ッピ。しずかちゃんの友達ッピ」
「友達ねえ」
さつきは少しだけ笑った。それから立ち上がって、しずかの方をまっすぐに見た。
「で、その道具、安全なの?」
「……え?」
しずかは顔を上げた。さつきの顔は、意外なほど真剣だった。
「体の中に入るんでしょ? それって、安全なの? 痛くないの?」
「あ、うん。溶けないし、息もできるって……」
「それ、タコピーが言ったの? しずかちゃんが試したわけじゃないんでしょ?」
しずかは言葉に詰まった。確かに、自分は試していない。
「タコピー、それ、本当に安全ッピ?」
さつきはタコピーに向き直った。タコピーは顔を上に反らした。
「安全ッピ! これ、ハッピー星の医療用具ッピ。誤って飲み込んだものを体の中に入って取るための道具ッピ。タコピーも何回も使ったことあるッピ」
「医療用具」
さつきはカプセルをじっと見た。それから、しずかの方を向いて、
「それなら、いいよ」
とあっさり言った。
「さすがにワンちゃんは、私のお腹の中じゃなくて違うところにいると思うけどな」
その時だった。
「ワンッ!」
奥から小さな白い影が飛び出してきて、しずかの足元に向かって吠え始めた。ポメラニアン。ふわふわの毛を逆立てて、必死に威嚇している。
「こらっ、リッキー!」
さつきがすぐに叱った。
「お客さんに吠えちゃダメっていつも言ってるでしょ」
さつきはリッキーを抱き上げると、しずかの方を向いて、少しだけ照れくさそうに言った。
「ごめんね。この子、人見知りするの。それに——しずかちゃんは私のお姉ちゃんなのよ」
リッキーは、さつきの腕の中でしずかを見上げた。それから、くん、と鼻を鳴らして、しずかの匂いを嗅いだ。
しずかは、少しだけ身を硬くした。
(……犬。)
前回、この家に来た時、チャッピーはいなかった。それは、もう分かっている。でも、目の前に犬がいると、どうしても、一瞬だけ、期待してしまう。
(……チャッピーじゃない。)
リッキーは小さな、白い犬。チャッピーじゃない。
でも——リッキーはしずかの匂いを嗅いだ後、さつきの腕から降りて、しずかの足に体を擦り付けた。
「あれ、珍しい。リッキー、人見知りするのに」
さつきが、少し驚いたように言った。
「しずかちゃんのこと、気に入ったみたい」
リッキーは、しずかの足にぴったりとくっついて、離れなかった。
「……この子、いつから飼ってるの?」
しずかは、思わず聞いていた。
「去年から。小さいから、すぐどっか行っちゃうの。この前も、庭から抜け出しちゃって、大騒ぎしたんだよ」
さつきは、リッキーを抱き上げながら、少しだけ困ったように笑った。
「小さくてすばしっこいから、居なくなると大変なの。もう、本当に」
しずかは、その言葉を聞いて、ふと思った。
(……小さくて、すばしっこいから、居なくなると大変。)
チャッピーは、違った。大きかった。大人しかった。いつも、しずかのそばにいた。居なくなるなんて、考えられなかった。
「……しずかちゃんのチャッピーは、どんな子だったの?」
さつきが、何気なく聞いた。
「リッキーみたいに、小さいの?」
しずかは、首を振った。
「……ううん。大きかった」
「大きい?」
「うん」
しずかは、つい夢中になって、両手を大きく広げた。
「こんなに。……このくらい、大きかったの」
両手を、精一杯広げて。チャッピーの大きさを、伝えようとして。
「へえ、そんなに大きいんだ」
さつきは、素直に感心した。
しずかは、自分の手を見た。
大きく広げた、自分の手。
(……大きい。)
チャッピーは、大きかった。しずかの体よりも、ずっと。
そんな犬を、さつきたちが……食べられるはずがない。
(……私、何を。)
しずかは、手を下ろした。指先が、震えていた。
疑ってはいたけども、その疑い自体が、間違っていたかもしれない。さつきは、何も悪くない。なのに、しずかは、さつきの体の中を見ようとしている。
(……最低だ。)
しずかは、自分のことが、改めて、心から嫌になった。
言葉が出なかった。何を言えばいいのか、分からなかった。謝ればいいのか。それとも、黙って帰ればいいのか。でも、帰れなかった。足が、動かなかった。
さつきは、そんなしずかを見て、慌てた。
「えっと……あの、ね」
さつきは、必死に言葉を探した。
「でも、ほら。タコピーが人間を小さくする道具を持ってるって事は、そういうことが他にもあるかもしれないし」
しずかは、顔を上げた。
「逆に、私のお腹の中が、広い世界に繋がってるかもしれないじゃん」
(……それは流石に無理があるでしょ。)
しずかは、心の中で思った。お腹の中が広い世界に繋がってる。そんなわけがない。さつき自身も、言いながら「我ながら無理があるな」と思っているのが、その顔を見れば分かった。
でも、さつきは真剣だった。しずかを安心させようと、必死に考えている。その必死さが、しずかには、なんだか、嬉しかった。
(……この子は、私のために。)
しずかは、小さく息を吐いた。
「……うん」
「え?」
「確かめてみる」
さつきの顔が、ぱっと明るくなった。
「本当?」
「うん。……さつきちゃんが、そこまで言うなら」
しずかは、自分でも訳が分からないまま、そう言っていた。
(……なんか変に期待させちゃったな。応えないと。)
でも、しずかは、もう、自分が何を探していたのか、思い出せなくなっていた。チャッピーを探すためだったはずなのに。疑いを晴らすためだったはずなのに。変に期待させてしまったから、後に引けなくなってしまっていた。
「でも、しずかお姉ちゃんが疑ってるなら、確かめないと始まらないし、その宇宙人さんの道具、安全なんでしょ?」
しずか自身の疑いが揺らいでいるのに、向こうは逆にそれを盾にし始めた。
「う、うん。溶けないし、息もできるって……」
「なら、いいよ」
さつきはあっさりと言った。
「疑いを晴らすためなら、協力する。それでしずかお姉ちゃんが安心できるなら、それが一番でしょ」
しずかは言葉を失った。まさか、こんなに簡単に受け入れられるとは思わなかった。自分だったら、こんなことを言われたら絶対に怒る。気持ち悪いと思う。なのに、さつきは怒らなかった。
「さつきちゃん、キ怒らないの?」
しずかは思わず聞いていた。
「怒る理由がないでしょ。しずかちゃんは、大事なーワンちゃんが心配なだけだもんね」
さつきはそう言って、少しだけ笑った。
「へぇ、お姉ちゃん、ワンちゃん探すため、はるばる北海道から来登場たんだ」
さつきは何気なく、しずかの足元に目をやった。そこには、履き古された、汚れた靴があった。土埃で色がくすみ、つま先には傷がついている。何日も歩き続けたような、そんな靴。
「……うん」
しずかは、短く答えた。さつきの視線が自分の足元に向いているのに気づいて、恥ずかしさで、無意識に片足を後ろに引いた。
でも、さつきは気づかない。ただ、素直に——本当に、遠くから来たんだ。凄いな、と思っているようだった。
「遠かったでしょ。大変だったね」
その言葉に、しずかは何も言えなかった。同情でも、軽蔑でもない。ただの、事実への感想。
それが、一番、しずかを戸惑わせた。
「それに、そのタコピーの道具、なんか面白そうだし」