タコピーの原罪 もしあの「人間の胃の中を見る道具」が本当に出ていたら? 作:低品質くろわあ
果たしてこれが吉と出るか凶と出るか?
2・山下さつきという迷宮
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「……面白い?」
「うん。体の中に入るって、なんかすごいじゃん。一回やってみたかったんだよね、そういうの」
さつきは悪びれずに言った。その顔は、本当にワクワクしているように見えた。しずかはそんなさつきの顔を見て、なんだか拍子抜けしてしまった。
「……変な子」
「そう?」
さつきは首をかしげて、それからしずかの手からカプセルを受け取った。
「じゃあ、これ、どうやるの?」
「あ、えっと……そのボタンを押すと、小さくなれるの」
「へえ」
さつきはカプセルをじっと見つめた。それからしずかの方を向いて、
「で、どっちが先に入るの?」
と聞いた。
しずかは一瞬、答えに詰まった。自分が入るはずだった。自分が確かめるはずだった。でも、さつきのその顔を見ていると、なぜか言えなかった。
「……私が、入る」
しずかはようやく言った。
「私が、さつきちゃんの体の中に入るの。確かめたいのは、私だから」
「そっか」
さつきは少しだけ残念そうな顔をした。でもすぐに頷いた。
「分かった。じゃあ、私が飲む側ね」
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「どうぞ、上がって」
さつきが、スリッパをしずかの前に置いた。新品ではない。少し色あせた、家族の誰かが使っているようなスリッパ。
しずかは、一瞬ためらった。
(……上がっていいのかな。)
自分は、この家に来ていい人間なのか。しかも、これからとんでもないお願いをしようとしているのに。
「遠慮しないで。お姉ちゃんなんだから」
さつきは、何でもないことのように言った。
(……お姉ちゃん、か。)
しずかは、その言葉を心の中で繰り返した。自分は、東京に来るまで、妹がいるなんて思ってもみなかったのに。
スリッパに足を入れた。少し大きかった。誰かのサイズ。自分のサイズではない。
その様子を見て、さつきがふと言った。
「……あれ、靴下、履いてないの?」
さつきは、自分の足を見せた。小指の外側に、絆創膏。
「私なんて、サンダルで出かけただけで、大変だったのよ。お姉ちゃんは、マメとか大丈夫だったの?」
その言葉に、しずかははっとした。
(……そう言えば。)
マメはできなかった。歩けなくならなかった。おかげで、ここまで来られた。
(……私の足、意外と強いんだ。)
それは、初めて自分を肯定した瞬間だった。
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廊下を歩いていると、キッチンの方から足音が聞こえた。
「あら、お客さん?」
エプロン姿の女性が、キッチンから顔を出した。さつきの母親だ。
「久世しずかちゃん。ほら、パパが前に結婚してた人の子供」
さつきが、何でもないことのように言う。
母親は、一瞬だけ目を丸くして、それから微笑んだ。
「初めまして。さつきの母です。暑かったでしょう、よく来たね」
しずかは、その顔を見た。
(……この人だ。)
パパを取った人。自分とママを捨てて、新しい家庭を作った人。
胸の奥が、冷たくなった。
でも、しずかはその感情を飲み込んだ。
「……初めまして。久世しずかです」
丁寧に頭を下げた。声は、少しだけ硬かった。
「ごめんなさいね。あなたのパパは夕方まで帰って来ないけど……お母さん、待たせてて大丈夫?」
しずかは、一瞬、何のことか分からなかった。
(……お母さん?)
でも、すぐに理解した。この人は、私がお母さんに連れられて、パパに会いに来たと思っている。
しずかは、少しだけ間を置いて、
「……はい。大丈夫です」
と答えた。嘘と、本当が混じっていた。
母親は、その返事を聞いて、安心したように頷いた。
「じゃあ、外は暑いから、子供同士で中で待ってなさい」
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しずかは、リビングに通された。えりかがソファで漫画を読んでいた。
「お姉ちゃん、誰?」
「しずかちゃん。前に話したでしょ。パパが前に結婚してた人の子。私たちのお姉ちゃんにあたるの」
「ああ、うん」
えりかはしずかをじっと見た。それからまた漫画に戻った。特に興味はなさそうだった。
さつきが、冷蔵庫からシャーベットを三つ出してきた。
「しずかちゃん、何味がいい?」
「……じゃあ、レモン」
「えりかは?」
「いちご」
三人で、シャーベットを食べ始めた。冷たい甘さが、しずかの口の中に広がる。さっき食べたクッキーよりも、ずっと沁みた。
ポケットの中で、タコピーが化けたドクダミが微かに震えた。
(……しずかちゃん、それ、美味しそうッピ)
しずかは、ポケットを軽く叩いた。
(大人しくしてなさい)
(でもタコピー、シャーベット食べたことないッピ)
(だからって、今出るんじゃないよ)
ドクダミが、しょんぼりと萎れた。しずかは、誰にも気づかれないように、スプーンでシャーベットを一口すくって、ポケットの端にそっと近づけた。ドクダミの花が、それをちろりと舐めた。
(……冷たいッピ。甘いッピ)
(二口だけだよ)
(分かってるッピ)
(……そういえば、いつの間にかドクダミになってた。)
しずかは、最初からそうだったかのように思い出した。人前に出られないタコピーが、しずかのポケットで小さく丸まっている。その姿は、なんだか、しずか自身みたいだった。
えりかが、しずかをじっと見た。
「ねえ、しずかちゃんって、普段何してるの?」
「……別に、普通」
「普通って何? ゲームとかする?」
「……あまり」
しずかは、短く答えた。えりかは、それ以上聞かなかった。でも、時々、しずかの方をチラチラ見ていた。
その時、さつきが何でもないことのように言った。
「ねえ、この後、お腹の中、探検するの?」
しずかは、シャーベットを口に入れたまま、固まった。
(……ここで、それを言うの?)
さつきの母親が、キッチンから顔を出した。
「アニメの話?」
「うん、そんな感じ」
さつきは、あっさり答えた。母親は、それ以上聞かなかった。
「じゃあ、私は洗い物があるから。ゆっくりしててね」
母親は、リビングを出て行った。
しずかは、シャーベットを飲み込んだ。冷たさが、喉を通っていく。さつきの無邪気さが、怖かった。母親の無関心が、痛かった。でも、同時に——
(……よかった。)
深く突っ込まれなかった。ホッとした。母親がアニメの話だと思ってくれた。それ以上、詮索しなかった。この安堵は、しずか自身でも意外だった。自分は、こんなにビクビクしていたのか。
えりかが、二人を交互に見た。
「お姉ちゃんたち、何するの?」
「……別に」
さつきは、答えなかった。しずかも、答えなかった。
えりかは、少しだけ目を細めた。それから、シャーベットを一口食べて、
「……ふーん」
とだけ言った。
しずかは、スプーンを持つ手が、少しだけ震えているのに気づいた。
(……この家は、優しい。)
でも、その優しさが、自分のこれからの行為を、より重くする。
しずかは、シャーベットを食べ続けた。冷たい。甘い。ちゃんと食べていない自分に、それが沁みた。
ポケットの中で、タコピーが化けたドクダミがもう一口、こっそりとシャーベットを舐めていた。しずかは、それに気づかないふりをした。
(……これが、最後の甘いものになるかもしれない。)
そんなことを、しずかはぼんやりと思った。
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その時、キッチンの向こうから、電話の声が聞こえてきた。
「……もしもし、あなた? 今日、早く帰って来れる?」
「……うん。久世さんの子が来てるの。しずかちゃん。さつきのお姉ちゃんにあたる子」
しずかは、シャーベットを食べながら、その声を聞いていた。
(……電話してる。)
私に気を遣わせないように、こっそりと。
でも、途中で声が大きくなった。
「……そんな話、聞いてない? あなた、自分の娘が来てるのよ」
「……そう。だったら、早く帰って来て、会ってあげなさい」
「……言い訳はいいから。早く」
そこで、母親が思い出したように言った。
「……そういえば、しずかちゃん、一人で来てたけど」
「……北海道から一人で来れるわけないから、お母さんが連れて来たのよ。……ちゃんとしたお母さんなのね。でも、連絡くらい欲しいわ」
「……まあ、良いけど。次からは一言欲しいって伝えといて」
「……だから、あなたも、ちゃんとしなさいよ」
(……さつきちゃんのために、言ってるんだ。)
しずかのためじゃない。さつきのために。「さつきが言うんだから」——さつきが絡んでいるから、この人はしずかを大事に扱ってくれている。
(……お母さんって、子どものために、こんなに考えるものなのか。)
しずかの母親は、そうじゃなかった。帰ってこない。放置する。何も考えない。
でも、この人は違う。
(……さつきちゃんは、愛されてるんだ。)
羨ましいとは思わなかった。ただ、安心した。さつきは、大丈夫だ。
電話を切る音。
しずかは、スプーンを持つ手が止まっていた。
さつきが、しずかの顔を覗き込んだ。
「しずかちゃん、どうしたの?」
「……ううん。なんでもない」
しずかは、シャーベットを一口食べた。
冷たい。でも、さっきより、味がしなかった。
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「しずかちゃん、ちょっと待ってて。今、準備するから」
食べ終わった後に、さつきはそう言って二階に上がっていった。しずかはリビングの端に立って、落ち着かなそうにしていた。タコピーはそんなしずかの後ろで、キョロキョロと辺りを見回していた。
「しずかちゃん、この家、広いッピ」
「……そうだね」
「テレビも大きいッピ」
「うん」
「あ、あれ、なんだッピ?」
タコピーが指さした先には、家族写真が飾ってあった。さつきと、えりかと、その両親。みんな笑っていた。しずかはその写真をじっと見た。それから目を逸らした。
しばらくして、さつきが降りてきた。手に、バスタオルと、短めのフェイスタオルを持っている。
「お姉ちゃん、ちょっと待って」
「え?」
「お姉ちゃん、外を歩いて来て汚れてるでしょ? お風呂で身体を綺麗にしてからよ」
しずかは目を丸くした。
「え、で、でも……」
「でももへったくれもないでしょ。そのまま飲むわけにはいかないじゃん。汚れたまま体の中に入れたら、私がお腹壊すかもしれないし」
さつきはもう決めた顔をしていた。完全に主導権を握られている。
「お風呂、借りるの……悪いし」
「何言ってんの。お姉ちゃんなんだから、遠慮することないでしょ」
さつきが、真顔で言う。
しずかが呆気に取られていると、さつきは振り返って、奥に向かって走って行った。
「ママ、しずかちゃんをお風呂に入れていい?」
返事を待つ間もなく、さつきはバスタオルを抱えて戻ってきた。
その背後から、母親が洗濯カゴを持って現れた。さっきまで戸惑っていたのが嘘のように、ホッとした顔で。
「じゃあ、しずかちゃん。服も洗ってあげるから、脱いだものはここに入れてね。今日は晴れてるから、夕方には乾くわよ」
母親は、テキパキと動いた。
しずかは、その様子を見ていた。
(……この人は、私を洗いたかったんだ。)
気づいてしまった。
でも、嫌じゃなかった。
さつきは風呂場までしずかの手を引いた。
「パパが知らんぷりしてるのが悪いんだから。しずかちゃんが気にすることじゃない」
その言葉に、しずかは何も言えなくなった。誰にも言われなかった言葉だった。ずっと、欲しかった言葉だった。
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しずかは受け取ったバスタオルを見た。
ゾウさん。
可愛らしいゾウが、何匹も並んでいる。
(……ゾウ。)
これから自分は、小さくなって、さつきに飲み込まれる。なのに、ゾウの柄。
ゾウなんて、食べられる側じゃないのに。皮肉だな。
しずかは、少しだけ笑った。自分でも、なぜ笑ったのか分からなかった。
その時、視界の端で、さつきのツインテールの毛先が揺れた。
二つに分かれた髪が、なぜか、蛇の口のように見えた。
(……なんでだろ。)
しずかは、首を振った。そんなわけない。さつきは、ただの女の子だ。
でも、胸の奥で、小さな不安が、そっと首をもたげた。
(……なんで、ヘビなんて思ったんだろう。)
ゾウを見ても、何も思わなかったのに。
(……気持ち悪い。)
しずかは、バスタオルを胸に抱えた。
ゾウさんが、笑っている。
その笑顔が、なぜか、さつきの「面白そう」と重なった。
(……この子は、本当に、何も知らない。)
それが、救いで、残酷だった。