派遣社員、うっかり極道の跡目に選ばれる ~歴代親分の異能を継いだ俺、最強のヤクザになるらしい~ 作:パラレル・ゲーマー
日曜日の午後一時過ぎ。
俺――三上悠介は、築四十年の狭い1Kアパートの部屋で、ヨレヨレのスウェット姿のまま座椅子に深く身を沈め、テレビ画面に映し出されたゲームのダンジョンをぼんやりと攻略していた。
昨日は、東雲会のお嬢様にして日本の密輸・密入国を牛耳る大悪党――東雲詩織さんとの初デートだった。
駅前の昔ながらの洋食屋で向かい合ってハンバーグとオムライスを食べ、「犯罪は絶対に駄目です」と真正面から説教をしたはずが、なぜか「三上様のそういう誠実なところが好きですわ」とますます気に入られてしまい、別れ際には個人の連絡先までしっかり交換させられてしまったのだ。
昨夜はアパートに帰ってからも、彼女のあの鈴のような声と柔らかな笑顔が頭から離れず、結局明け方近くまで布団の中で悶々と転がり回る羽目になった。
(……いかんいかん。今日は日曜日なんだから、昨日のことは一旦忘れて、溜まってたゲームを消化する日にするんだ)
俺はコントローラーを握り直し、画面の中のモンスターに剣を振るった。
誰にも邪魔されず、昼過ぎまで寝坊して、散らかった部屋で好きなゲームに没頭する。これこそが三十四歳独身男性の正しい休日の過ごし方であり、俺が守るべき平穏な日常そのものだ。
――ブブッ。
その時、ローテーブルの上に置いてあった俺のスマートフォンが、短い振動音を立てた。
画面が明るく点灯し、メッセージアプリの通知バナーが浮かび上がる。
何気なく視線を向けた俺の指が、コントローラーの上でピタリと止まった。
画面に表示されていた送信者の名前は、『東雲詩織』。
昨日、駅の改札前で別れる直前に交換したばかりのアカウントから届いた、初めての個人的なメッセージだった。
「……うわっ、ひ、東雲さんからだ……!」
俺はコントローラーを放り出し、正座に近い姿勢に座り直して、恐る恐るスマホを手に取った。
まさか、「急に違法な荷物を運ぶ手伝いをしてほしくなった」とかじゃないよな、と一瞬だけ身構えながら画面をタップする。
『三上様、ごきげんよう。昨日は素敵なお時間をありがとうございました。ご案内いただいたお店のオムライス、本当に美味しかったですわ。またお会いできる日を、心より楽しみにしております』
画面に並んでいたのは、昨日の彼女の笑顔がそのまま浮かんでくるような、どこまでも上品で丁寧なお礼の文章だった。
違法ビジネスの匂いなど微塵もない、純粋で可愛らしい休日の挨拶に、俺の引き締まっていた頬がだらしなく緩んでしまう。
(……いやあ、わざわざこんな丁寧にお礼のメッセージをくれるなんて、やっぱり根はすごく礼儀正しい人なんだよなあ)
さて、なんと返信しようか。
俺は文字入力画面を開き、『昨日はありがとうございました』と打ち込んだ。
だが、その一文だけを見つめて、すぐに首を捻る。これだけでは、まるで業務連絡のメールみたいで素っ気なさすぎないだろうか。
かといって、『俺もすごく楽しかったです! 今度はいつ会えますか?』なんて前のめりに返したら、昨日あれだけ彼女の仕事に反対していた手前、なんだか下心丸出しのおっさんみたいで格好がつかない。
打っては消し、打っては消しを繰り返すこと、実に十分あまり。
(……待てよ。なんで俺は三十四歳にもなって、たった二、三行の返信文を作るのに、取引先への謝罪メール並みに頭を悩ませてるんだ!?)
自分のうぶな反応に気恥ずかしくなりながら、俺は最終的に一番当たり障りのない、それでいて少しだけ好意が伝わるような文面をひねり出した。
『こちらこそ、昨日はありがとうございました。俺もとても楽しかったです。あのお店のハンバーグも本当におすすめなので、また機会があればぜひご一緒しましょう』
よし、これなら自然だ。
俺が意を決して送信ボタンを押すと、画面のメッセージの横に、ものの数秒で『既読』の文字がついた。そして一分も経たないうちに、新しい返信がポップアップする。
『まあ、嬉しいですわ! では、次回はぜひそのおすすめのハンバーグをいただきたいですね。楽しみがひとつ増えました』
(……あっ。やっぱり俺、自分で自分の首を絞めるみたいに、次のデートの約束を確定させにいってるじゃないか!)
俺はスマホをローテーブルの上にパタンと伏せ、再びテレビのゲーム画面へと向き直った。
しかし、画面の中のキャラクターを動かしていても、どうしても口元が勝手にニヤけてきてしまい、さっぱり集中できない。
せっかく何も考えずにダラダラ過ごすはずだった俺の貴重な日曜日まで、あの超絶美人の密輸女王にじわじわと占領され始めているようだった。
*
翌月曜日、午前九時。
株式会社汐見総合管理に出勤して、今日でちょうど五週目の朝を迎えた。
俺は自分のデスクに座り、立ち上げたパソコンで週末の間に届いていた業務メールの整理を進めていた。
金曜日に東雲さんから会社へ電話がかかってきた際、小野寺君に「明日はデートっすか!?」と大騒ぎされたため、今朝も出勤早々に根掘り葉掘り冷やかされるのではないかと少し警戒していたのだが、幸いにも今日の小野寺君は朝から外回りの準備で忙しくしており、今のところ事務室は穏やかな空気に包まれている。
「三上さん、おはようございます。金曜日は先月分の管理費の集計、ありがとうございました。おかげさまでオーナー様への送金手続きがスムーズに終わりそうです」
「おはようございます、森田さん。お役に立てたならよかったです」
「それで、今日のお仕事なんですけど、来月更新を迎える入居者様の契約更新書類のチェックをお願いできますか? 保証会社の更新時期と重なっているお部屋もありますので、不備がないか確認していただきたいんです」
「はい、承知しました。順番にチェックして一覧にまとめておきますね」
森田さんから分厚いバインダーを二冊受け取り、俺は大きく頷いた。
よし。今週こそは、朝から晩までこういう真っ当な営業事務の仕事だけに邁進するぞ。
先週は裏社会の大物から政府機関まで、次から次へと非日常に振り回された挙げ句、週末には密輸女王との初デートまで発生するという、なんとも落ち着かない一週間だった。
だが、その一連の挨拶回りや事後処理もすべて一巡した。今日からはもう、ヤクザの大物との面談も、政府機関の検査も、俺のデスクに割り込んでくることはないはずだ。
バインダーを開き、入居者の氏名、契約満了日、更新料の金額、火災保険の証書番号とエクセルの画面を一つずつ照らし合わせていく。
カチャカチャと規則正しく響くキーボードの打鍵音。
(……ああ、やっぱり数字と書類を相手にしてる時間が一番落ち着くなあ。少なくとも、契約書は突然光り出して俺を跡目にしたり、実弾を撃ってきたりしないからな)
俺がそんな平和な感慨に浸りながら作業を進めていた、午前九時半頃のことだった。
奥の役員室のドアが静かに開き、若頭の黒瀬が、手元に薄いクリアファイルを携えて俺のデスクへと歩み寄ってきた。
「三上さん。作業中のところ恐れ入りますが、少しよろしいでしょうか」
ピタリ、と俺の指がキーボードの上で凍りついた。
まただ。先週から何度も聞いた、嵐の前の静けさのような黒瀬さんの決まり文句。
俺はゆっくりと首を回し、半ば諦めを含んだ引きつった笑顔で黒瀬を見上げた。
「……あの、黒瀬さん。おはようございます。……ちなみに、今日は一体どこの大物がいらっしゃるんでしょうか?」
「……はい? いえ、本日はどなたも来客の予定はございませんが」
「……え? 誰も来ないんですか?」
「ええ。先日の東雲さんのようなご挨拶も、八咫烏の来訪予定も、本日は一切入っておりませんよ」
「……っ、よかったあああああ!!」
俺は思わず両手を合わせて、デスクの上で深々と安堵のため息をついた。
そのあまりにも露骨な反応を見て、黒瀬は少しだけ困ったように、けれどどこかおかしそうに目元を緩めて苦笑した。
「どうやら、先週からの立て続けの来客が、三上さんには相当堪えていらっしゃったようですね」
「そりゃあ堪えますよ! 毎回、寿命が縮む思いをしてるんですから!」
「それは重ね重ね申し訳ありませんでした。……ただ、本日は来客のお話ではないのですが、三上さんご自身の『能力』の件について、少しご相談したいことがありまして」
「………………え? 今度は、俺の能力ですか?」
俺は顔を上げ、黒瀬の手にあるクリアファイルへと視線を落とした。
*
「ちょっとこちらへどうぞ」と黒瀬に促され、俺は人の耳がない役員室の入り口付近へと移動した。
「先週の木曜日、八咫烏の担当者――名刺には確か、霧島とありましたか――その霧島さんに、倉庫で追加の能力検査をしていただきましたよね」
「あ、はい。あの若い女性職員の霧島さんですね。おかげさまで、俺の反応速度とか力の制御がどうなってるのか、専門家の人に診てもらえて少し安心できましたよ」
「ええ。日常的な出力制御に問題がないと確認できたのは、我々としても非常に喜ばしいことでした。……ただ、三上さん。あの検査を経てもなお、我々の間にはひとつ、根本的な疑問が解明されないまま残っております」
「根本的な疑問、ですか?」
「はい。そもそも三上さんが、あの初代の盃から『具体的にどのような能力を、どこまで継承されたのか』という点です」
黒瀬の静かな言葉に、俺は思わず自分の右の手のひらを見つめた。
確かにそうだ。
今から二週間前の月曜日、奥の和室の大掃除中に、落ちそうになった朱漆塗りの古い盃を反射的に受け止めたあの瞬間。盃が黄金色の光を放ち、俺の体の中に温かい何かが流れ込んできた。
その結果として、俺は銃弾を素手で掴めるほどの常識外れの身体能力と、サイコロの出目を偏らせる奇妙な『幸運』を手に入れたわけだが、そもそもあの盃にどんな秘密があり、なぜそんな力が俺に宿ったのかという肝心の仕組みについては、初回検査に来た八咫烏の男性担当者からも「記録が散逸していて不明だ」と説明されていたのだ。
「そこで三上さん。これまであまり詳しく整理されてこなかったのですが、我々榊原一家に代々伝わっている『歴代の親分たちに関する古い記録』を、一度本格的に調べてみようかと思いまして」
「……えっ!? 歴代の親分さんの記録、ですか!? そんな資料が組に残ってるんですか!?」
「ええ。江戸時代から続く一家ですので、火事や戦災で失われたものも多いのですが、古い帳面や後世の写しなどがいくつか奥の蔵や和室に保管されております。もしかすると、その中に三上さんの能力のルーツや、まだ判明していない力のヒントが記されているかもしれません」
俺は思わず目を輝かせた。
(……おおっ! もしその古い記録に、昔の親分が使っていた能力のことが書いてあれば、俺の体に今何が起きていて、これからどうなるのかがはっきり分かるかもしれないぞ!)
「ぜひ見せてください、黒瀬さん! 俺も自分の体にどんな機能がついてるのか、ちゃんと把握しておきたいと思ってたんです!」
「そう言っていただけると思っておりました。では、本日の午後、少し時間を取って一緒に確認しましょう。親父にもすでに声をかけてあります」
「分かりました! ……あっ、でも黒瀬さん、それって結構な量の資料があるんですよね? 俺、今日の午前中に森田さんから頼まれた契約更新のチェック作業がまだ途中なんですけど、勤務時間はどうしたら……」
俺がハッとして現実的な業務の心配を口にすると、黒瀬は「ふっ」と小さく息を漏らして微笑んだ。
「午前中はそのまま契約更新の業務を進めてください。午後からの資料調査および整理につきましても、会社の重要資料の整理業務として、三上さんに正式にお願いする仕事といたします。ですので、勤務時間も時給も通常通りの扱いで全く問題ありませんよ」
「おお、本当ですか! ちゃんと業務扱いで時給が出るなら、喜んでやらせていただきます!」
俺はパッと顔を明るくして頷いた。
――が、黒瀬が役員室へと戻っていったあと、自分のデスクへと歩きながら、俺はふと足を止めて首を傾げた。
(……いや、ちょっと待てよ。俺は不動産管理会社に派遣されてきてる営業事務だよな? その俺が、勤務時間中に時給二千五百円をもらって『歴代ヤクザの親分の超能力記録』を調べるのって、本当に派遣契約上の正当な業務って言えるのか……?)
一抹の疑問が頭をよぎったものの、自分の体の秘密が分かる上に給料まで出るなら文句を言う筋合いはない、と俺は小市民的な計算で自分を納得させ、午前中の契約書チェックへと戻ったのだった。
*
午後一時半。
午前中のうちに契約更新書類の半分以上を片付け、昼食を済ませた俺は、黒瀬に案内されて事務所の一番奥にある、あの二十畳の和室へと足を踏み入れた。
手入れの行き届いた古い井草の香り。
部屋の最奥、一段高くなった白木の神棚の下にある小さな供物台には、今もあの古ぼけた朱漆塗りの盃が、何事もなかったかのように静かに鎮座している。
あの盃を見るたびに、俺の胸には「すべての元凶はあいつだ……」という恨めしさと、「まあ、あいつのおかげで銃弾を避けられて生き延びたんだよな」という複雑な感謝が入り混じって湧き上がってくる。もちろん、また触って変な光を放たれたらたまらないので、今日は半径二メートル以内には絶対に近づかないと心に決めていた。
「おう、三上! 待ってたぞ、こっちへ座れ!」
部屋の中央に置かれた巨大な黒檀の座卓の前で、すでに組長の源治が上機嫌で胡座をかいて待っていた。
その座卓の上には、普段は見かけない煤けた桐の木箱や、茶色く変色した古い段ボール箱がいくつも積み上げられている。黒瀬がその箱の中から、和紙をこよりで綴じた古い帳面や、昭和の時代に万年筆で書き写されたらしき大学ノート、さらには戦後に誰かが聞き書きしたようなレポート用紙の束を、埃を払いながら丁寧に座卓の上へと並べていた。
「うわあ……すごいですね。本当に歴史博物館の展示品みたいな資料がいっぱい残ってるんですね」
「おうよ! なんたってうちは江戸の昔から二百年以上続いてる一家だからな。震災だの空襲だので燃えちまったもんも多いが、この手の代々の記録だけは、歴代の若い衆が命懸けで持ち出して守ってきたんだ」
源治が誇らしげに胸を張る横で、黒瀬が静かに引き戸の鍵を閉め、俺に向かって真剣な眼差しを向けた。
「三上さん。これから確認する資料の中には、一家の歴史だけでなく、初代の盃に関わる伝承も含まれております。盃が光ったこと自体は森田や小野寺も知っていますが、今回調べる歴代親分の異能や継承の仕組みは、組内でも限られた者だけで扱っている情報です。外部はもちろん、若い衆にも詳しい内容は伏せておいてください」
「はい、分かりました。森田さんや小野寺君にも、今日はただ『古い資料を整理する』としか言ってません。調査の中身は、俺の口から絶対に話しませんので」
俺は力強く頷いた。そもそも、俺がヤクザの跡目候補だなんていう物騒な話は、俺自身が誰よりも地球上から抹消したいと思っている秘密なのだ。だからこそ、今回の調査内容は小野寺君たちにも知らせず、源治と黒瀬、そして俺の三人だけで確認することになっている。
「では、どこから見ていきましょうか」と黒瀬が手元の資料に目を落とした。
俺は座布団に座り直し、並べられた資料の山を見渡して言った。
「そうですね……まずは一番分かりやすいところで、歴代の親分さんたちが具体的にどんな『異能』を使っていたのか、能力の記録が書かれている帳面から見せてもらえますか?」
「……ええと、三上さん。それがですね、その点に関して少しばかり問題がありまして」
「え? 問題、ですか?」
いつも冷静な黒瀬が、なぜか少しだけ歯切れの悪い、困ったような苦笑いを浮かべる。
一方で、隣の源治は「はっはっは! まあ、四の五の言わずにそいつを読んでみりゃあ一発で分かるさ!」と豪快に笑って、昭和の時代に綺麗に清書されたらしき一冊の分厚いノートを俺の前へと押し出した。
なんだか嫌な予感を覚えつつ、俺はそのノートの表紙をめくり、最初のページに書かれた『歴代当主・事績録』という文字へと視線を落とした。
*
「……えーっと、どれどれ。初代については記述がほとんど残ってない、と。じゃあ、記録が残ってる最初の人は……三代目の親分さんですね」
俺は達筆な万年筆の文字を指でなぞりながら、そこに記された一文を声に出して読み上げた。
「『三代目・榊原鉄五郎。身の丈六尺を超え、怪力無双にして、荒川べりの喧嘩にては敵対する博徒百人を相手に一歩も退かず、素手にて悉くこれを打ち据えたり』…………」
俺はノートから顔を上げ、源治の顔をじっと見つめた。
「……あの、親父さん。素手で百人って、いくらなんでも話を盛りすぎてませんか?」
「おう! 大したもんだろうが! 昔の親分ってのはそんだけ豪快で強かったってことよ!」
「いや、豪快ってレベルじゃないですよ、三国志の武将じゃないんですから……」
俺は訝しげに眉をひそめつつ、さらにページをめくって次の記述を探した。
「えーっと、次は……『五代目・榊原辰吉。生まれついての強運にして、いかなる鉄火場の丁半博打に臨むも生涯負け知らず。壺の中の賽の目を自在に操るが如く、千両箱を山と積ませたり』……」
「はっはっは! 五代目はそりゃあもう凄まじい豪運の親分だったらしいな! 賭場で五代目の向かいに座った奴は、帰りにはふんどし一丁まで身ぐるみ剥がされたって言い伝えだ!」
「……はあ。それで、その次が……『七代目・榊原政次郎。神通力を得たるが如く、降りかかる全ての災いを先んじて知る。闇夜の凶刃も、海上の嵐も、七代目の前には影すら踏むこと叶わず』…………」
俺はそこでノートをパタンと閉じ、座卓の上に両手をついて、深々と息を吸い込んだ。
そして、隣でニコニコと誇らしげに腕を組んでいる源治に向かって、腹の底からツッコミを叩きつけた。
「親父さん!! これ、異能の記録じゃなくて、ただの『昔から伝わってるヤクザの武勇伝集』じゃないですか!?」
「ぶわっはっはっはっは!! やっぱりそう見えるか、三上!!」
源治が畳をバンバンと叩いて大爆笑する。
俺は頭を抱えながら、切実に抗議した。
「もっとこう、ちゃんとした能力の説明書みたいな記録はないんですか!? 例えば『能力名:身体能力強化、発動条件:常時、筋力および耐久力が通常の何倍に上昇』とか、『幸運操作:一日何回まで確率を何パーセント変動可能』みたいな、具体的なスペックが書いてある資料ですよ!!」
「おいおい三上、江戸や明治の親分が、自分の力についてそんなゲームの攻略本みてえな細かい説明書をわざわざ書き残すわけがねえだろうが!」
「……あっ」
源治に言われて、俺はハッと口をつぐんだ。
確かにその通りだ。現代の俺たちでさえ、八咫烏の専用機材を使ってようやく反応速度だのTierだのを数値化しているのだ。何百年も昔の親分たちが、自分の不思議な力を現代のシステムみたいに分類して記録しているはずがない。
すると、黒瀬が横から落ち着いた声で補足を入れてくれた。
「それに三上さん、今ご覧いただいた記録の多くは、当時の親分ご本人が書き残した日記などではなく、後の時代になってから弟子や周囲の人間が聞き伝えをまとめ直したものなのです」
「……ああ、後世の人が書いた伝記みたいなものなんですね」
「ええ。当時の一般社会においても、超常的な力というものは理解され難いものでしたし、ましてや極道の一家においては、親分の威厳を高めるために後世の人間が話を大きく脚色して書き残すことも珍しくありませんでした。ですから、この帳面に書かれていることのどこまでが実際の『異能』による事実で、どこからが単なる誇張や武勇伝なのかは、慎重に見極める必要があるのです」
黒瀬の論理的な説明に、俺の頭の中の「元営業事務」としてのスイッチがカチリと入った。
なるほど。つまり、ここにあるのは玉石混交の生のローデータ(未加工情報)というわけだ。取引先から上がってきた大雑把な営業報告や噂話の中から、裏付けのある確かな事実だけを抜き出して整理するのは、俺が前の会社で十年間ずっとやってきた得意分野じゃないか。
「……分かりました。そういうことなら、書かれていることをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、他の資料とも突き合わせながら一つずつ検証していきましょう」
「ええ。ぜひ三上さんの視点で、一緒に精査していただければ助かります」
黒瀬が頼もしそうに頷き、俺たちはまず、一番分かりやすそうな『三代目の怪力』に関する記録から詳しく掘り下げていくことにした。
*
午後二時頃。
俺は三代目の時代――幕末から明治初期あたりに書かれたと思われる、別の古い和綴じの帳面と、当時の町の出来事を記した写しを並べて見比べていた。
「……えーっと、こっちの古い帳面には、三代目の親分さんが荒川の荷揚げ場で起こした別の出来事が書いてありますね。『大雨にて川岸の材木置き場が崩れ落ち、人足数名が巨大な欅の梁の下敷きになりかけたるところ、三代目、単身にてこの大梁を肩に担ぎ上げ、見事全員を救い出したり』……と」
「おお、その話も有名だな! 大人十人がかりでもビクともしねえような大木を、三代目が一人で軽々と持ち上げたって伝説だ!」
源治が目を輝かせて相槌を打つ。
俺は自分の両手を見下ろして少し考えた。先々週、倉庫の検査でフォークリフト用の巨大な木箱を両手で押してズズズッと滑らせ、鉄パイプを飴細工のように折り曲げた今の俺の筋力なら、確かに太い木材の梁を一人で持ち上げるくらいのことは十分に可能だろう。
「ただ……黒瀬さん、こっちの当時の修繕費用の控えや、別の口述記録と照らし合わせてみると、面白いことが分かりますね」
「ほう。どのようなことでしょうか」
「その大雨の日に、荒川の材木置き場で崩落事故があって、榊原一家が人足たちを救助して感謝されたっていう出来事自体は、こっちの古い金銭出納帳の『見舞金』の記録にも残ってるので、間違いなく事実みたいです。でも、そこに『組の若い衆二十名あまりを動員し、綱と丸太を用いて梁を引き上げ』っていう細かいメモが挟まってるんですよ」
「……なるほど。実際には大人数で道具を使って救助した事故が、後の時代の物語になるにつれて『三代目が一人で持ち上げた』という英雄譚に変化した可能性がある、と」
「はい。事故があったという事実と、三代目が本当に超人的な怪力を持っていたかどうかは、一応分けて考えた方がいい気がします」
俺が冷静に分析結果を口にすると、黒瀬は「さすがですね、複数の史料から裏付けを取るとは」と深く感心してくれたが、隣の源治はあからさまに唇を尖らせて不満そうな声を上げた。
「なんだよ三上! せっかくの景気のいい伝説なんだから、そこは『三代目はすげえ力持ちだったんだなあ』って夢のある話として聞いときゃいいじゃねえか! 夢がねえぞ、お前さんは!」
「いや、親父さん!! 今は酒の席の昔話をしてるんじゃないんですよ!? 俺の体の中に一体どんな異常が起きてるのかを特定するための、真面目な調査なんですからね!? ここで話を盛られたら、俺が自分の力を把握できなくて困るじゃないですか!」
俺が必死に言い返すと、源治は「ちぇっ、堅え奴だなあ」と苦笑いしながら葉巻を咥えた。
黒瀬が穏やかに議論をまとめる。
「ですが、火のない所に煙は立たないとも言います。たとえ後世の誇張が混じっていたとしても、三代目の親分が周囲から畏怖されるほどの常人離れした肉体や腕力を有していたという伝承が根強く残っているのは事実です。そして現在、三上さんには『Tier3の強力な身体能力強化』が実際に発現している。この二つに何らかの関連があるという仮説は、十分に成り立つのではないでしょうか」
「……そうですね。確実な証拠とは言えませんけど、今の俺の力と一番よく似てるのは間違いありません」
俺は手元のメモ用紙に、『三代目:怪力の伝承(現在の身体強化と類似/史料間で一部食い違いあり)』とボールペンで書き留めた。
*
続いて午後二時半頃。
俺たちが手に取ったのは、『生涯負け知らずの強運』と謳われた五代目の親分に関する明治後期の記録だった。
「五代目の記録は、かなり具体的なエピソードがいくつも残ってますね。特に多いのが、やっぱり賭場での丁半博打の話です。『五代目が壺振りの前に座り、一度目を閉じて願掛けをすれば、五度続けて同じ丁の目が出た』『絶体絶命の勝負にて、望んだ通りのピンゾロ(一のゾロ目)を引き当てて大逆転した』……と」
「おう、五代目はそりゃあもう神がかり的な勝負運を持ってたらしいからな! イカサマを疑ったよその組の連中が、サイコロを割って中を調べたり、壺振りを何度も交代させたりしたらしいが、それでも五代目が『次は半だ』と笑えば必ず半が出たそうだ!」
源治の説明を聞きながら、俺は思わず背筋がゾクッとするのを感じた。
(……ちょっと待てよ。サイコロを振る前に、頭の中で出したい目を強く思い浮かべると、高い確率でその通りの目が出る……って)
それ、俺が先々週の月曜日に初回の男性担当者と、先週の木曜日に霧島さんとやったサイコロの検査に、やってることがそっくりじゃないか!?
「……あの、黒瀬さん。この五代目の話って、俺のあの『確率干渉』の兆候にすごく似てませんか?」
「ええ。私も今、まったく同じことを考えておりました。物理的なイカサマではなく、事象の確率そのものを自分に有利な方向へと偏らせる異能……もし五代目が本当にそのような力を持っていたのだとすれば、三上さんに観測されている『幸運』の力と極めて近い性質のものだと言えます」
「はっはっはっは!! ほら見ろ三上! やっぱりお前さん、五代目の豪運もしっかり受け継いでんじゃねえか! こりゃあ今度、お前さんを連れてラスベガスにでも乗り込むしかねえなあ!!」
源治が目を輝かせて俺の肩をバンバンと叩く。
「いや、行きませんよラスベガスなんて!! それに親父さん、これもまだ異能だったって確定したわけじゃないですからね!?」
「ああん? ここまで似てて、まだ疑うのか?」
「だって、五代目の親分さんが単に博打の流れを読むのがすごく上手いギャンブラーだった可能性もありますし、負けた時の地味な記録が消されて、たまたま大勝ちした時の派手な話だけが伝説として残ったっていう『生存者バイアス』の可能性だってあるじゃないですか」
俺が現実的な可能性を指摘すると、黒瀬も「確かに、勝負運が強かったという逸話だけでは、超常現象であったという決定的な証明にはなりませんね」と静かに同意してくれた。
ただ、そう言いながらも、俺自身は自分の手のひらを見つめながら少しだけ考え込んでいた。
初回検査の追加二十回では十回、先週の霧島さんの検査では二十回中九回、俺が念じたサイコロの目が的中した。もし本当に、五代目の親分が持っていたような『望む結果を引き寄せる幸運の力』が俺の中に宿っているのだとしたら。
(……あれ、もしこの力を日常生活で自在に使えるようになったら、実はめちゃくちゃ便利なんじゃないか? スーパーの福引きで特賞のお肉が当たったり、朝の通勤電車の遅延に巻き込まれなくなったり……)
一瞬そんな甘い妄想が頭をよぎったが、すぐに俺はブンブンと首を横に振ってその考えを追い払った。
(……いやいや、駄目だろ。そんな不確定な『運』なんかに頼って生きるようになったら、人間として終わりだぞ。『少しくらい書類の確認をサボっても、俺は運がいいからミスしないだろう』なんて考えるようになったら、社会人として完全に失格じゃないか!)
やはり俺は、地道にエクセルでダブルチェックをする真面目な事務員であり続けよう。そう心の中で固く誓いながら、俺はメモ用紙の二行目に『五代目:異常な勝運の伝承(確率干渉・幸運の兆候と類似)』と書き加えた。
*
そして午後三時を回った頃。
ここまでの二つの逸話は、すでに俺の体で確認されている現象と重なる話だったが、黒瀬が次に開いた大正時代の古い控え帳には、それとはまったく毛色の違う奇妙な記述が残されていた。
「……三上さん、こちらの七代目の親分に関する記録なのですが、少し興味深い内容が並んでいます」
「七代目……さっきのまとめノートに『災いを先んじて知る』って書いてあった人ですね」
「はい。この控え帳は当時、七代目の側近を務めていた人物が個人的に書き残した業務日誌のようなものなのですが……いくつか、不可解な記述があるのです」
俺は身を乗り出し、黒瀬が指し示した古い毛筆の文字を覗き込んだ。
そこには、ある年の秋、東京湾から房総半島へ向けて荷物を運ぶための運搬船を出航させようとした際の出来事が、生々しく記されていた。
「……えーっと。『その日、朝から空は雲ひとつなく晴れ渡り、風も穏やかにして絶好の船出日和なり。されど七代目、船着き場に立つや突然顔色を変え、理由も告げぬまま「今日は絶対に舟を出すな、荷をすべて陸へ戻せ」と厳命さる。船頭や若い衆がいかに問い詰めるも、七代目はただ「嫌な予感がする」と繰り返すのみにて一歩も譲らず。やむなく船出を取りやめたるところ、そのわずか二刻(約四時間)後、突如として黒雲湧き起こりて未曾有の大時化となり、沖へ出たる他家の船は悉く難破せり』……」
俺は思わず息を呑んだ。
さらに黒瀬が次のページをめくると、そこにも似たような話がいくつも並んでいた。
ある夜、いつも通り料亭から人力車で帰るはずだった七代目が、門を出る直前に突然『今夜は表通りを通るな、裏の路地から徒歩で帰る』と言い出し、その直後に表通りで敵対組織の刺客が待ち伏せしていたことが発覚した話。
あるいは、取引先との会合場所になっていた建物を『ここは空気が悪い』と言って当日朝に急遽変更し、その昼に元の建物でボヤ騒ぎが起きた話。
「……え? ちょっと待ってください、黒瀬さん。これって……その七代目の親分さんは、まだ起きていない未来の事故や襲撃が、事前に見えていたってことですか!?」
「記述だけを読めば、まるで『未来予知』か、あるいは極めて精度の高い『危険察知』の異能を持っていたかのように見えますね」
俺の背中に、ゾワリとした奇妙な感覚が走った。
三代目の怪力と、五代目の豪運。その二つが現在の俺の能力と対応しているのだとしたら、この七代目の『危険を事前に察知する力』というのは一体なんだ?
「……でも、待ってください。こっちの別のノートには、その船の話について少し違う書き方がされてますよ」
俺は座卓の隅にあった、別の古老の聞き書きノートを手に取ってページをめくった。
「ほら、ここです。『七代目は若い頃に漁師の船頭見習いをしていた経験があり、潮の匂いや遠くの雲の動き、海鳥の飛び方から天候の急変を誰よりも早く読み取る名人であった。また、普段から街の辻々に独自の情報屋を配置し、敵対組織の不穏な動きを事前に察知しては、まるで神通力のように危機を回避してみせた』……って書いてあります」
「……なるほど。そちらの記録に従えば、超能力などではなく、長年の経験に基づく観察眼と、徹底した事前の情報収集によって危険を避けていた非常に慎重な人物だった、という解釈になりますね」
「ええ。これなら、未来予知の異能がなくても普通に説明がつきますよ」
俺は一度はそう言って頷いた。
だが、それでも俺の視線は、先ほどの側近の日誌に書かれた『理由も告げぬまま突然顔色を変え』『嫌な予感がすると繰り返すのみ』という生々しい一文から離れなかった。
もし、これが単なる観察眼や情報網ではなく、本当に『降りかかる災いを直感的に察知する異能』だったとしたら。
今の俺には、まだそんな未来予知めいた力は影も形も見えていない。先々週の倉庫の銃撃戦だって、あいつらが拳銃や日本刀を持って待ち構えているなんて事前にこれっぽっちも予知できなかったからこそ、ノコノコと一人で敷地に入って鉄扉を閉められ、「詰んだ!」と絶望したのだ。
けれども、もしあの初代の盃が「歴代の親分たちの異能」を俺に引き継がせるものなのだとしたら。
「……あの、黒瀬さん。もし仮にですよ? 七代目の親分さんが本当にこの『危険察知』みたいな異能を持っていたとして……それが、今の俺の中にもまだ眠っていて、これから出てくる可能性ってあるんでしょうか?」
「……可能性を完全に否定する材料はありませんね。ただ、現時点で三上さんにその兆候が一切確認されていない以上、継承されているという証拠もまた皆無です」
「はっはっはっは!! いいじゃねえか三上! もしお前さんがこれから先、悪いことが起きる前に何でもピピッと分かるようになったら、それこそ鬼に金棒どころの騒ぎじゃねえぞ!!」
源治はまたしても大喜びで膝を叩いている。
「親父さん、だからまだ何も分かってない段階で喜ぶの早すぎますってば!!」
俺はツッコミを入れながらも、内心で少しだけ考えを巡らせていた。
(……でも、正直な話、もし本当に『どこに行けば危ない目に遭うか』が事前に分かる能力があるなら、俺にとっては怪力なんかより百倍ありがたいかもしれないぞ)
だってそうだろう。最初から「今日の午後、あの道を通るとヤクザの抗争に巻き込まれる」とか「この求人に応募するとヤクザのフロント企業に入る羽目になる」なんてことが事前に察知できていれば、俺は全力で回れ右をして安全で平和なルートを選ぶことができるのだから!
……いや、そもそもの話をすれば、そんな危険察知能力を使わなきゃいけないような物騒な事件自体に、これ以上一切関わりたくないというのが一番の本音なのだが。
*
午後三時半。
主だった三人の親分の記録を一通り読み終えたところで、俺はふと、最初からずっと胸の奥に引っかかっていた一番大きな「矛盾」に気づき、ボールペンを止めて顔を上げた。
「……あの、親父さん。黒瀬さん。ここまで調べてきて、ひとつどうしても計算が合わないというか、おかしなことがあるんですけど、聞いてもいいですか?」
「あん? なんだ三上、改まって」
俺は座卓の上から視線を上げ、部屋の最奥――神棚の下の供物台に置かれた、あの古ぼけた朱漆塗りの盃を指し示した。
「あの『初代の盃』のことです。親父さんはこの前、俺があの盃を受け止めて光らせた時、『歴代の親分がどれだけ大事に磨いても、光ったことは一度もなかった。ただのお伽話だと思ってた』っておっしゃいましたよね?」
「おう、言ったな。少なくとも俺が先代から聞いた限りじゃ、江戸の初代がこの一家を立ち上げて以来、あの盃が金ピカに光ったなんて記録は一度もねえ」
「……だとしたら、おかしくないですか?」
俺は眉を寄せて、二人の顔を交互に見た。
「だって、『あの盃が光った時、初代の力を継ぐ正統な継承者が現れる』っていう言い伝えなんでしょう? でも、俺が触るまで二百年以上、あの盃は一度も光らなかったんですよね。だったら、今調べた三代目の怪力や、五代目の豪運や、七代目の危険察知っていう力は、一体どこから来たんですか? あの人たちは、盃が光ってないのにどうやって異能を使ってたんでしょう?」
「………………」
俺の極めて単純で論理的な疑問に、源治が「……ん?」と口を半開きにして固まり、太い腕を組んで唸り始めた。
「……あー、言われてみりゃあ、確かにな。盃が光ってねえのに、なんで昔の親分連中にそんな不思議な力があったんだ?」
隣に座る黒瀬が、静かに顎に手を当てて思考を整理するように口を開いた。
「三上さんのご指摘は、極めて本質的な点ですね。考えられる可能性は、大きく分けて三つあります」
「三つ、ですか」
「まず一つ目は、今確認した三代目や五代目の逸話が、やはり単なる後世の創作や誇張であり、実際には彼らが異能者ではなかったという可能性。二つ目は、彼らが確かに異能者ではあったものの、それは盃とは無関係に、彼ら個人が生まれつき持っていた先天的な異能だったという可能性です。現代でも、東雲さんのように特定の呪物とは関係なく異能に覚醒する人間は存在しますから」
「なるほど……。たまたま異能を持った強い人が、実力で三代目や五代目の親分になっただけかもしれないってことですね」
「ええ。そして三つ目の可能性として……歴代の親分たちが盃を代々受け継ぎ、身近に置いて守り続ける過程で、彼ら自身の特異な力や魂の痕跡のようなものが、長い年月をかけてあの盃の中に少しずつ蓄積されていったのではないか、という仮説です」
俺はハッとして黒瀬の顔を見つめた。
「蓄積されて……それが、たまたま波長か何かが合った俺が触れた瞬間に、一気に解放されて流れ込んできた、と?」
「あくまで仮説の一つに過ぎません。初代の盃が本来どのような仕組みで作られた呪物なのか、本当に歴代の力を継承させる機能があるのか、あるいは初代の力そのものが多様な性質を持っていただけなのか……現時点の史料だけでは、いずれとも断定することはできませんね」
確かに、江戸時代の呪物にメーカーの取扱説明書や設計図がついているわけがないのだ。分からないものは分からないと切り分けるしかない。
すると、それまで腕を組んで黙り込んでいた源治が、ふと真面目な、どこか遠い昔を懐かしむような穏やかな目をして、祭壇の盃を見つめた。
「……まあ、理屈はどうあれよ、三上。俺があの日、お前さんの手の中で盃が光ったのを見て、どれだけたまげたか分かるか?」
「……ええ、それはもう、すごい剣幕で部屋に飛び込んできましたからね」
「俺が若い衆の頃から、先代にもその前の古参の連中にも、耳にタコができるほど聞かされてきたんだ。『この盃は一家の魂だ、いつかこれが光り輝く時、初代のような大人物が現れて榊原一家をもう一度天下に押し上げる』ってな」
源治は少し自嘲するように、けれどとても温かな声で笑った。
「だがよ、時代は変わって組はどんどん小さくなり、若い衆も減っていった。俺自身、腹の底じゃあ『木の盃が光るなんて、昔年寄りが作ったただのホラ話だ』ってずっと諦めてたんだよ。それでも、ご先祖様から預かった大事なもんを俺の代で粗末にするわけにはいかねえから、ただ意地だけで毎日神棚に手を合わせて守ってきた」
「……親父さん……」
「それがよ、あの日、お前さんが触った途端に、本当に部屋中が真っ金金になるほど光りやがったんだ。二百年越しのホラ話が、俺の目の前で本物になったんだよ。……理屈なんか分からなくたって、俺がどれだけ嬉しかったか、何かとんでもねえ縁があるって信じたくなる気持ちくらいは、分かってくれるだろう?」
静かな和室に響いた老親分の言葉には、これまで見せていた豪快な虚勢ではない、斜陽の一家を長年一人で背負い続けてきた人間の、嘘偽りのない重みがあった。
俺は少しだけ胸の奥が詰まるような感覚を覚え、言葉を失った。
俺にとっては、時給二千五百円の掃除の途中で突然降りかかってきた理不尽な災難でしかなかったあの発光現象も、この人たちにとっては、何世代にもわたって守り続けてきた祈りが報われた奇跡の瞬間だったのだ。
「……まあ、親父さんがあの日からなんでそんなにはしゃいでるのか、その気持ちだけは、今ので少し分かった気がしますよ」
俺がしみじみとそう言って頷くと、源治は「おう! 分かってくれたか!」と嬉しそうに破顔した。
俺はそこで間髪入れず、ビシッと人差し指を立てて付け加えた。
「――でも、その親父さんの感動と、ただの派遣社員である俺が実際にヤクザの組長を継ぐかどうかは、完全に別問題ですからね!?」
「がっはっはっは!! いいところまでしんみり聞いてたのに、最後はやっぱりそこに戻るのかよ! つれねえ男だなあ、お前さんは!」
源治が豪快に笑い飛ばし、和室のしんみりした空気は一瞬でいつもの賑やかさへと戻ったのだった。
*
午後四時頃。
座卓の上に広げられた大量の古い帳面やノートを前にして、俺は腕を組んで少し思案していた。
このまま紙の資料をめくって「あそこにこう書いてあった」「いや、こっちの写しではこうだった」と口頭で話しているだけでは、せっかく調べた情報が頭の中でごちゃごちゃになってしまう。年代もバラバラなら、情報の信頼度もマチマチだ。
「……あの、黒瀬さん。これ、せっかく調べたんですから、一回パソコンでちゃんとした一覧表に整理してまとめませんか?」
「一覧表、ですか?」
「はい。いつの時代の、何代目の親分さんについての記録なのか。どこの資料が出所で、他の資料と一致してる事実はどこなのか。そういうのを項目ごとに分けてエクセルでデータベース化しておけば、後で見返す時も一目で分かりますし、今後新しい資料が見つかった時も簡単に追加できますよ」
俺が元営業事務としての実務的な提案を口にすると、黒瀬の涼しげな目がわずかに輝いた。
「……なるほど。口伝や伝承を、史料の信頼度ごとに分類してデータ化するわけですね。それは非常に合理的で素晴らしいご提案です」
「ただし、さっき言った通り、これは会社の共有サーバーやインターネットに繋がってる俺のデスクのパソコンには絶対に入れられませんよね。何か、外部のネットから完全に切り離されたオフラインのパソコンとかってありますか?」
「ええ、もちろんです。私の役員室に、外部ネットワークから完全に独立させた機密管理用のノート端末がございますので、すぐに持ってまいります」
黒瀬は席を立ち、数分後に黒い堅牢なノートパソコンを持って和室へと戻ってきた。
電源を入れ、パスワードを解除してもらった端末を座卓の上に置き、俺は使い慣れたエクセルの画面を立ち上げた。
(……ふう、やっぱりこういう作業になると、俄然やる気が出てくるな! 謎の呪物の調査だろうがなんだろうが、バラバラの情報を綺麗に構造化して表にまとめるのなら、俺の土俵だ!)
俺は腕まくりをし、タタタッ、と軽快な音を立ててキーボードを叩き始めた。
まず一番上の行に、『世代』『当主名』『活動年代』『逸話の概要』『出典史料』『他史料との一致・裏付け』『推定される異能分類』『現在の三上の能力との関連性』『未確認事項・備考』という九つの列見出しを作成する。
見出しのセルに薄い紺色の背景色をつけ、文字を白抜きにして太字に設定し、フィルター機能でいつでも並べ替えができるようにフォーマットを整えていく。
そこへ、今日調べたばかりの三代目の怪力、五代目の豪運、七代目の危険予見、そしてその他の代に残る細かな逸話を、事実と伝承を厳密に区別しながら猛スピードで打ち込んでいく。
俺の後ろから画面を覗き込んでいた黒瀬が、感嘆の声を漏らした。
「……お見事ですね、三上さん。これなら、どの逸話が単なる噂話で、どの出来事に客観的な裏付けがあるのかが一目瞭然です。情報の階層分けが実に美しい」
「いやあ、前の会社で取引先の過去十年のトラブル事例とかクレーム履歴をまとめて分析する表を何度も作らされてましたからね。対象がクレーム履歴から『歴代親分の武勇伝』に変わっただけで、やる作業自体は全く同じですよ」
「三上さんのその高い事務処理能力と情報整理のスキルには、本当にいつも助けられます」
黒瀬からの真っ直ぐな称賛に、俺は少し誇らしい気分で鼻の下を伸ばした。銃弾を掴んで褒められるより、やっぱりエクセルの表作成を褒められる方が、社会人としては百倍嬉しい。
すると、反対側から画面を覗き込んだ源治までもが、「おおおっ!?」と目を丸くして声を上げた。
「すげえじゃねえか、三上! あの汚え字で書かれたボロボロの帳面が、お前さんが指を動かしただけで、こんなスッキリした綺麗な表になっちまったぞ!」
「ええ、まあ、大事なところだけを抜き出して要約しましたからね」
「これを見りゃあ、うちの歴代の親分たちがどれだけすげえ力を持ってたのか、一発で分かるじゃねえか! はっはっは、こりゃあいい! お前さんがこれからどんなすげえ力を引き継いでいくのか、まるで作戦表みてえに楽しみになってきたぜ!」
「いや、親父さん、だからこれはあくまで『仮説の整理表』であって、俺がこれから覚えるスキルの予定表じゃないですからね!?」
無邪気に喜ぶ源治にツッコミを入れつつ、俺は完成したばかりのエクセルの表に改めて視線を落とした。
画面の中央には、綺麗に罫線で区切られた三つの主要な行が並んでいる。
一つ目、『三代目:怪力の伝承』――現在の三上の【身体能力強化】と高い関連性の疑い。
二つ目、『五代目:異常な勝運の伝承』――現在の三上の【確率干渉・幸運の兆候】と高い関連性の疑い。
そして三つ目、『七代目:危機の事前察知らしき逸話』――異能の有無を含め【未確認】。現在の三上には該当現象なし。
こうして客観的な表にして並べてみると、偶然の一致として片付けるにはあまりにも出来すぎている気がしてくる。
もし本当に、三代目と五代目の力が今の俺に現れているのだとしたら、三つ目の『七代目の力』や、まだ資料が見つかっていない他の代の親分の力も、俺の体の奥底のどこかに眠っているのだろうか。
*
午後四時半。
俺はパソコンの画面から顔を上げ、隣に座る黒瀬へと素朴な疑問を投げかけた。
「……あの、黒瀬さん。こうして表にしてみて改めて思ったんですけど、結局、今の俺の体の中には何種類の能力が入ってるんでしょうね」
「現時点で八咫烏の検査によって客観的に確認されているのは、『身体能力強化』と『確率干渉の兆候』の二種類のみですね。ただ、先ほども議論した通り、それがどのような仕組みで成立しているのかについては、まだ未知の部分が多く残されています」
「そうですよね……。あ、ちなみに、もしこれから先、この七代目の『危険察知』みたいな三つ目の能力が俺に新しく見つかったとしたら、俺の『Tier3』っていうランクはTier2とかに上がっちゃったりするんですか?」
もしこれ以上ランクが上がって、今以上に政府や裏社会から大騒ぎされるようになったらたまらない、という恐怖からの質問だった。
しかし、黒瀬は静かに首を横に振った。
「いえ。先週の木曜日に霧島さんも説明されていたとおり、能力の種類や手数が増えたからといって、それだけでTierが上がるわけではありません」
「あ、そうでしたね。器の大きさ自体は変わらない、と」
「はい。ですので、仮に今後、三上さんの中にまだ確認されていない新しい性質の能力が見つかったとしても、基本的には現在のTier3《戦術級》という枠組みの中で、使える能力の幅が広がる形になるかと推測されます」
それを聞いて、俺は少しだけホッとした。
「今回三上さんに作成していただいたこの一覧表は、私の管理するこの端末に厳重に保管しておきます。今後、蔵の奥などからさらに別の時代の史料が見つかった際には、随時ここへデータを追加していきましょう」
「はい。それがいいですね」
「また、三上さんが日常生活を送られる中で、これまでになかったような奇妙な感覚や新しい現象が確認された場合にも、この過去の記録と照合することで、それがどのような性質の力なのかを安全に推測する手がかりになるはずです」
黒瀬の言葉に、俺は深く頷いた。
もちろん、新しい能力があるかもしれないからといって、自分からわざわざ危険な場所に飛び込んで「危機察知が目覚めるか試してみよう!」なんていう無茶な実験をするつもりは毛頭ない。
ただ、もし普段の生活の中で、自分の意思とは関係なく勝手に変な力が発動してしまったら大変だ。「自分の体にどんな機能が備わっている可能性があるのか」を事前にリストアップして知っておくことは、俺がこれからも安全に、平穏に『普通の社会人』として暮らしていくためのリスク管理として、間違いなく役に立つはずだ。
「そうですね。何ができるのか全く分からないままビクビクしてるより、こういうデータが手元にある方がずっと安心できます。何か気になることがあったら、また八咫烏の霧島さんにも安全面の相談ができますしね」
俺が前向きにそう言うと、黒瀬は「ええ。三上さんのように冷静にご自身の状態を把握しようとされる姿勢が、何よりの安全対策ですよ」と頼もしそうに微笑んでくれた。
*
午後五時頃。
画面のファイルを保存し、座卓の上に広げた古い帳面やノートを元の桐箱へと片付け始めていると、それまで満足そうに葉巻を燻らせていた源治が、ニヤリと大きく口角を上げて言った。
「いやあ、それにしても今日は実に面白えもんが見られたなあ! まさか、昔から耳にしてた歴代の親分たちのホラ話みてえな伝説が、こうやって三上の力と一本に繋がってくるとは思わなかったぜ!」
「まあ、まだ仮説の段階ですけどね、親父さん」
「なあに、これだけ揃ってりゃあ間違いねえだろ! 三代目のあの化け物じみた怪力に、五代目の百発百中の豪運! そんでこれから、七代目の『どんな危険も事前に見抜く神通力』まで使えるようになるかもしれねえんだぞ!」
源治は立ち上がり、興奮した様子で拳を握りしめて熱弁を振るい始めた。
「いいか三上、よく考えてみろ! 敵がどれだけチャカやドスを持って待ち伏せしてようが、七代目の力で事前に全部お見通し! いざカチコミになりゃあ三代目の怪力で全員まとめてぶっ飛ばして、シノギや博打になりゃあ五代目の豪運で丸儲けだ! はっはっはっは、もしうちの歴代親分たちの力を全部使えるようになったら、お前さん、日本中どこの組も手出しができねえ無敵の大親分になっちまうぞ!!」
「いやいやいや、ちょっと待ってください親父さん!!」
俺は桐箱の蓋を持ったまま、慌てて全力でストップをかけた。
「だから、まだ歴代の親分さん全員に異能があったって決まったわけじゃないですし、俺がそれを全部継承してるなんて証拠はどこにもないって言ってるじゃないですか!? なんで勝手に『歴代の能力をコンプリートした無敵の大親分』っていう最終形態まで話を飛躍させてるんですか!?」
「がっはっは! どうせならそれくらいデカい夢を見た方が楽しいだろうが!」
「俺にとっては悪夢でしかないですよ、そんなの!!」
俺が半泣きで抗議すると、横で箱に紐をかけていた黒瀬が、いつになく冷ややかな声で源治を窘めた。
「親父。三上さんのおっしゃる通りです。現段階では、歴代親分の逸話が本当に異能によるものであったかさえ確認できておりませんし、初代の盃との関係性もすべて推測の域を出ません。不確実な段階でそのように話を大きくされるのは、三上さんのご負担になりますのでお控えください」
「……ちぇっ、分かったよ。黒瀬にまで説教されちゃあ敵わねえな」
黒瀬の冷静なツッコミに源治が渋々と口を閉じ、俺は心の底から安堵のため息をついた。
(……ああ、本当に黒瀬さんがいてくれてよかった。もしこの職場に黒瀬さんがいなかったら、今頃俺は親父さんの妄想だけで、空も飛べるし目からビームも出る伝説の大親分として裏社会中に宣伝されてるところだったぞ……)
もっとも、その頼みの綱である黒瀬自身も、機密端末の画面を閉じる直前、そこに並んだ『歴代当主・異能推測一覧』の表を見つめながら、涼しげな瞳にどこか強い知的好奇心と期待の光を宿していたことには、俺は気づかないふりをしたのだった。
*
午後五時半頃。
すべての古い史料を元の保管場所へと戻し、機密端末を黒瀬に返却した俺は、ようやく表の通常の事務室へと戻ってきた。
「あ、三上さん、お疲れさまでした。奥での古い資料の整理、無事に終わりましたか?」
向かいのデスクから、森田さんがいつもの優しい笑顔で声をかけてくれる。
「はい、おかげさまで、とりあえず今日まとめる分の入力は全部終わりましたよ」
「それはお疲れさまでした。結構な量があったでしょうから、肩が凝ったでしょう? もうすぐ定時ですし、残りの時間はゆっくりしてくださいね」
「ありがとうございます、森田さん」
俺は自分のデスクの椅子に深く腰を下ろし、軽く肩を回した。
まあ、扱っていた中身が『歴代ヤクザの超能力疑惑』だったせいで精神的には少し疲れたが、作業そのものは嫌いじゃなかった。バラバラだった紙の情報が、自分の手で一つの整然としたエクセルの表にまとまっていくあの感覚は、元営業事務としてはちょっとした達成感すらある。
「さてと、定時まであと三十分あるし、午前中にやってた契約更新のチェックを少しでも進めておくか」
俺は自分のパソコンのスリープを解除し、午前中に作業していた『来月分・賃貸契約更新対象者一覧』のエクセルファイルを開いた。
画面に並ぶ、マンションの部屋番号、入居者の氏名、現在の家賃、更新料の金額、保証会社の審査状況。
どこからどう見ても、百パーセント混じりけなしの、健全で真っ当な不動産管理会社の事務データだ。
俺はその見慣れた画面を眺めながら、ふと、さっきまで自分が奥の和室で作っていたもう一つのエクセルファイルの画面を頭の中に思い浮かべた。
『三代目:荒川にて大梁を担ぐ(怪力・身体能力強化の疑い)』
『五代目:丁半博打にて負け知らず(確率干渉・豪運の疑い)』
『七代目:嵐と襲撃を事前に回避(危険察知・未来予見の疑い)』
「………………」
俺のマウスを握る手が、ピタリと止まった。
(……あれ? ちょっと待てよ。俺、今日の朝、『今週こそは普通の営業事務の仕事だけに邁進するぞ!』って固く決意してパソコンを開いたんだよな?)
実際、午前中はこうして賃貸マンションの契約更新のチェックをしていた。
それなのに、なぜ俺は午後の三時間半を丸々費やして、時給二千五百円をもらいながら、真剣な顔で『歴代ヤクザの親分の超能力スペック比較一覧表』なんていう、世の中のどこの一般企業でも絶対に作らないような狂ったエクセルファイルを作成していたんだ!?
(……これ、もし俺が将来この派遣先を辞めて別の一般企業に転職する時が来ても、職務経歴書の『実績・スキル欄』には死んでも書けない業務内容じゃないか!! 『前職ではエクセルを用いて、江戸時代から続く指定暴力団の歴代組長の異能データを分析・一覧化しておりました』なんて面接で言ったら、その場で警備員を呼ばれてつまみ出されるぞ!!)
自分の置かれた状況の異常さに今更ながら時間差で愕然としていると、外回りから戻ってきて自分のデスクを片付けていた小野寺が、ニコニコと人懐っこい笑顔で俺の席の横へとやってきた。
「親分! 今日もお仕事お疲れさまっす!」
「……ああ、お疲れさま、小野寺君」
「なんか今日の午後はずっと奥の和室に籠もって、親父さんや若頭と一緒にすげえ大事な資料の整理をされてたみたいっすね! さすが親分っす!」
純粋な尊敬の眼差しを向けてくる小野寺を見て、俺はゆっくりと椅子を回転させ、彼と真正面から向き合った。
「……ねえ、小野寺君」
「へいっ! なんすか、親分!」
「一つ確認したいんだけどさ。俺って、この株式会社汐見総合管理に、何の職種で雇われてる人間だっけ?」
「え? そりゃあもちろん、営業事務の派遣社員っすよ!」
「……だよね? 俺、ただの営業事務だよね?」
「はいっ! 親分のエクセルと書類整理の腕前は、間違いなく日本一っすからね!」
曇りなき眼で力強く太鼓判を押す小野寺。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で今日一日溜め込まれていたツッコミのエネルギーが、限界を突破して大爆発を起こした。
「だったらさあああああっ!! 俺は普通に家賃の入金表や契約更新の一覧表を作りたいだけなのに、なんで勤務時間中に大真面目な顔して『歴代ヤクザの超能力疑惑一覧表』なんて作らされてるんですかあああああああっ!?」
俺の魂の絶叫が、定時直前の静かな事務室にビリビリと響き渡った。
目の前の小野寺が、キョトンと目を丸くして瞬きをする。
「……へ? ちょ、親分、なんすかその『歴代ヤクザの超能力一覧表』って……?」
「…………あっ」
俺は自分の両手で、ガバッと自分の口元を覆った。
(……し、しまったあああああっ!! さっき和室で黒瀬さんに『今回の調査の中身は若い衆にも伏せてください』って念を押されて、『俺の口からは絶対に漏らしません!』って約束したばっかりなのに、ツッコミの勢いで自分から思いっきり口走っちゃったよ!!)
俺が顔面蒼白になって固まっていると、ちょうど奥の廊下から書類を持って出てきた黒瀬が、ピタリと足を止め、氷のように冷ややかな視線で俺をじっと見つめた。
「……三上さん」
「……は、はいぃっ!!」
「先ほど申し上げた通り、本日の調査内容は社外秘および組内機密事項となっておりますので……事務室では少々お静かにお願いいたします」
「……す、すみませんでしたああああああっ!!」
先週の水曜日は、外で「親分」と呼んだ小野寺君を黒瀬さんに叱ってもらったばかりだというのに、今日は俺自身が機密を口走りかけて若頭から静かに注意されるというまさかの事態に、俺は耳まで真っ赤にして九十度のお辞儀を繰り返すしかなかった。
奥の方では、部屋から顔を出した源治が「ぶわっはっはっは! 自分からバラしてりゃ世話ねえなあ!」と腹を抱えて大笑いしており、向かいの森田さんは「あらあら、もう六時ですから、皆さん今日はおしまいにしましょうね」とマイペースにタイムカードの準備を始めている。
(……ああ、もう!! 俺が朝から晩まで、ただの普通の事務仕事だけで平和に一日を終えられる日は、一体いつになったら来るんだよおおおっ!!)
俺は自分のデスクに突っ伏し、まだ画面に表示されたままの『賃貸契約更新一覧表』のエクセルシートを見つめながら、声にならない深い溜息を吐き出すのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
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