派遣社員、うっかり極道の跡目に選ばれる ~歴代親分の異能を継いだ俺、最強のヤクザになるらしい~ 作:パラレル・ゲーマー
「いや、俺、ただの派遣社員なんですけどおおおおお!?」
俺の悲痛な絶叫は、防音の利いた重厚な和室の壁に虚しく吸い込まれていった。ところが目の前の榊原源治組長と若頭の黒瀬修一は、俺の叫びなどそっちのけで、「初代の盃が正統な跡目を認めた」だの「歴史的な慶事だ」だのと、勝手に盛り上がっていた。
俺はと言えば、先ほどからずっと正座をしたまま、両手で件の朱漆塗りの盃を恭しく捧げ持っていた。……あの。そろそろ、腕が疲れてきたんですけど。
「親父。この件はまだ組の若い衆にも伏せておくべきでしょう。余計な混乱を招きかねません」
「ああ、そうだな。だが、盃が光ったのを見た奴らには口止めしておけ。特におしゃべりな奴にはな」
目の前で続く深刻な極道会議を聞きながら、俺は意を決して口を開いた。
「す、すみません、榊原さん」
「ん? なんだ三上」
「これ、もう元の場所に戻してもいいですか? ずっと持ってると、落として割りそうで怖いんですけど……」
いくら肩こりが治って身体が軽くなったとはいえ、江戸時代から受け継がれた国宝級(かもしれない)家宝を素手で持ち続けるプレッシャーは精神的にキツい。源治はあっけらかんと笑った。
「おお、悪い悪い。大事に持っててくれたんだな。貸してみろ」
源治が俺の手から盃をひょいっと受け取った。盃は先ほどの発光が収まって以来、ただの古ぼけた漆塗りの器にしか見えない。源治が手にしても、再び光ることはなかった。
「……やっぱり、俺が持つと光らねえな」
源治は何度か盃を裏返したり撫でたりしていたが、光る気配は微塵もない。黒瀬が受け取ってみても結果は同じだった。
(なんで俺が持った時だけ光ったんだよ……。俺、なんの因果も血縁もない赤の他人だぞ) 俺は心の中で毒づきながら、恐る恐る一番気になっていることを確認した。
「それで、あの……俺は本当に、組長にならないといけないんですか?」
「あん?」
「いや、俺、喧嘩もしたことないですし、ヤクザのルールとか全然わかりませんし。絶対に無理だと思うんですけど」
源治は顎を撫でながら、ニヤリと笑った。
「安心しろ。今すぐお前に組長やれって言ってるわけじゃねえ。俺だってまだ現役のつもりだからな。それに、この世界には通さなきゃならねえ筋ってもんがある」
「ですよね! よかった!」
「だが、お前さんが初代の盃に選ばれた正統な跡目であることは変わらねえ事実だ。それだけは腹に括っておけ」
「……ですよねえ」
糠喜びだった。黒瀬が横から冷静な声で補足を入れる。
「三上さん。今のところ、あなたが組員になる契約をしたわけでも、親分と正式な盃を交わしたわけでもありません。外の世界から見れば、あなたは株式会社汐見総合管理に派遣されてきた一介の事務員です。これまでどおり、派遣社員として働いていただいて構いませんよ」
「本当ですか!? じゃあ、辞めろとか言われないんですね!」
「ええ。むしろあなたの事務処理能力には大変助けられていますから」
俺はホッと胸を撫で下ろした。ヤクザの跡目候補という爆弾を抱えてしまったとはいえ、当面の生活が保障されたのは大きい。またあの地獄のような転職活動に戻るのはごめんだ。
「ただ、三上さんに宿った『能力』については、至急確認させていただく必要があります」
「……ああ、やっぱりですか」
「ええ。呪物の正統継承者が現れた以上、あなたの身体に何が起きているのか、我々としても把握しておきたいのです」
「あの、それって今日中に終わります?」
「できれば、今日中に確認したいですね」
俺は腕時計をちらりと見た。時刻はもうすぐ正午になろうとしている。
「困ったな……午後の書類仕事が残ってるんですが。森田さんにも頼まれてるデータ入力がありますし」
俺がそう言うと、黒瀬は少しだけ目を丸くした。
「……三上さん。この状況で、ご自分の身体よりも仕事の心配ですか?」
「いや、だって勤務時間中ですし。時給が発生してる以上、任されたタスクはこなさないとマズいじゃないですか」
社会人として当然の懸念を口にしただけなのだが、源治は腹を抱えて豪快に笑い出した。
「はっはっはっ! なんだこいつ、真面目な奴だなあ! 盃がなんでこいつを選んだのか少し分かった気がするぜ!」
「親父、笑い事ではありませんよ」
黒瀬は呆れたように溜息をつき、俺に向き直った。
「午後の仕事はひとまず別の人間が担当するように森田に伝えておきます。三上さんの勤務時間と給与については、こちらで通常通り出勤した扱いで処理しますので、ご安心ください」
「おお! 本当ですか! ありがとうございます!」
よかった。給料はちゃんと出るんだ。……いや、待てよ。俺、今もっと心配することがあるだろ。超能力とか、跡目とか、そっちの現実をしっかり受け止めろよ。我ながら自分の社畜根性に呆れつつも、俺は大人しく彼らの指示に従うことにした。
*
午後一時半過ぎ。事務所のフロアの一角にある、パーテーションで区切られた応接スペースに、一人の客がやってきた。
「初めまして。三上悠介さんですね。本日は新規覚醒の確認に伺いました」
黒瀬に案内されて現れたのは、ごくありふれた地味なグレーのスーツを着た、三十代半ばくらいの男性だった。銀縁眼鏡をかけ、真面目そうな公務員といった風情だ。俺は少し拍子抜けした。もっとこう、黒マントを着た怪しい魔術師とか、白衣を着たマッドサイエンティストみたいなのが来るのかと身構えていたからだ。
「は、はい。三上です。よろしくお願いします」
「あまり緊張なさらなくて大丈夫ですよ。私は『八咫烏』という機関から派遣されてきた担当の者です。本日は三上さんの身体の状態と、発現した能力の初期確認が主な目的ですから」
八咫烏。黒瀬から事前に少しだけ説明を受けていた。この国における神秘社会の事象を管理・秘匿するための行政機関らしい。政府直属だが、警察や一般の役所とは別系統の秘匿行政機関とのことだった。
担当者の穏やかな口調に、俺は少しだけ警戒を解いた。
「……あの、俺、どこかの秘密研究所とかに連れていかれて、人体実験されたりしませんよね?」
「ふふ、ご安心ください。映画や漫画ではないのですから、基本的にそのようなことはありません」
「そうですか! よかった!」
「我々の目的は、能力者の方々の登録と、能力を安全に使用していただくための確認です。能力に目覚めたからといって、普通の生活ができなくなるわけではありませんよ。皆さん、社会に溶け込んで普通にお仕事をされていますから」
そこで担当者は、源治と黒瀬に一度席を外してもらい、俺だけに確認を始めた。二人とも特に異議は唱えず、静かに席を立つ。
「念のためお聞きします。こちらの一家への所属を強制されたり、退職を妨げられたりはしていませんか?」
「え? いえ、俺は派遣会社に紹介されて、普通の事務仕事をしてるだけです。ただ、さっきから勝手に跡目扱いされてるんですけど……」
「継承者と認められたことと、実際に組織へ所属することは別です。ご自身が望まないのであれば、従う必要はありません。困ったことがあれば、我々にも相談してください」
「そ、そうなんですね……!」
その言葉に、俺は心の底から安堵した。よかった! 普通に生活できるんだ! ヤクザの親分になるしかないと絶望していた俺にとって、まさに一筋の光明だった。
確認を終えた担当者が二人を呼び戻すと、源治がなぜかニヤニヤと嬉しそうに笑っていた。
(……あの親父さんがいる限り、普通の生活に戻れる気がしないんだけどな)
「それでは、早速ですが測定の準備をさせていただきます。Tier(ティアー)という言葉はご存知ですか?」
「いえ、初めて聞きました」
「簡単に言えば、能力者の魂が成立させられる『因果律改変の総合的な規模』を示す分類です。要するに、どれだけ現実に干渉できる力を持っているかの目安ですね」
「要するに、強さのランクみたいなものですか?」
「単純な戦闘力の順位とは少し違いますが、大まかな目安の一つではあります。Tier4からTier0まで存在し、数字が小さいほど強力で希少な存在となります」
なるほど。ゲームのレアリティみたいなものか。担当者は持参したアタッシュケースを開き、ノートパソコンのような専用の測定機器を取り出した。何本かのケーブルと、肌に貼り付けるセンサーのようなものがついている。
「少しの間、リラックスしていてください。痛みなどは全くありませんから」
「はい、お願いします」
俺は腕まくりをしてセンサーを取り付けられながら、なんだか健康診断みたいだな、と呑気に考えていた。
*
数分後。測定機器の画面を見つめていた担当者の指先が、ピタリと止まった。
「……少々お待ちください。少しノイズが入ったかもしれません。もう一度測定します」
担当者の声が、先ほどまでの事務的なものから、僅かに緊張を帯びたものに変わっていた。
「え? 何か問題でも?」
「いえ、すぐに終わります」
再び数分間の沈黙。やがて、担当者はゆっくりと顔を上げ、俺と、そして後ろで見守っている源治と黒瀬を交互に見た。
「……確認できました。三上さん、現時点のあなたの測定結果は『Tier3』です」
「……Tier3?」
俺は首を傾げた。Tier4からTier0まであると言っていた。下から二番目ということだ。
「それって、良い方なんですか?」
「ええ。非常に」
担当者は眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、簡潔に説明してくれた。
「現在、我々が把握している覚醒済み能力者の大多数は、最も基礎的なTier4に該当します。Tier3というのは、その上の《戦術級》と呼ばれる階位です」
「戦術級……」
「専門の実働能力者としても十分に通用するレベルであり、小規模な戦闘や局地的な事件の結果を単独で左右できる水準です」
担当者の言葉が、いまいちピンとこない。
「……つまり?」
「一言で言えば、かなり強力な能力者ということです。覚醒したばかりでいきなりTier3の数値が出るのは、非常に珍しいケースですね」
「……えっ?」
俺が呆然としていると、背後から「おおっ!」というどよめきが上がった。振り返ると、源治が目を大きく見開いて立ち上がっていた。
「……Tier3だと?」
「はい。測定値は明確にTier3の基準に達しています」
黒瀬も、普段のポーカーフェイスを崩して驚愕の表情を浮かべていた。
「覚醒したばかりで、ですか? それは……」
「はっはっはっ!!」
源治が突然、天井を仰いで大爆笑した。
「こいつはすげえ! 初代の盃が、とんでもねえ男を選んでくれたもんだ! Tier3の跡目だぞ黒瀬!」
「親父、これは……一家にとって、想像以上に大きな転機になるかもしれませんね」
「おう! まさかこんな大当たりを引くとはな!」
(……え?) 俺は完全に蚊帳の外だった。俺ってそんなに凄いの? 応接スペースの入り口付近で様子を見守っていた小野寺も、顔を真っ赤にして大興奮している。
「三上さん! マジですげえじゃないっすか!!」
「いや、小野寺君。俺、Tier3がどのくらい凄いのか全然分からないんだけど」
「めちゃくちゃ凄いっすよ!! 俺らみたいな下っ端からしたら、Tier3なんて雲の上の存在っすよ! とんでもねえ大物っす!」
「そ、そうなんだ……」
小野寺の目は、完全に憧れのヒーローを見るそれになっていた。ただ仕事を手伝ってくれた親切な先輩が、実は一家の正統継承者で、しかもエリートクラスの異能者だった。ヤンキー漫画なら最高の展開だろう。俺はただの事務員なんだけど。
「あの、担当さん。じゃあ、Tier3なら誰にも負けないくらい強いってことですか?」
俺が尋ねると、担当者は静かに首を振った。
「そんなことはありません。同じTierでも発現している能力の種類や、本人の実戦経験、相性によって勝敗は大きく変わります。それに、世界にはさらに上位のTier2や、国家戦略級と呼ばれるTier1の方も存在しますから」
「なるほど……上には上がいると」
黒瀬が一歩前に出て、静かに告げた。
「ただ、三上さん。Tier3というのは、神秘社会において決して軽く扱われる存在ではありません。特に、我々のような小規模な一家にとっては、非常に大きな『戦力』になります」
「……戦力?」
ちょっと待て。なんで俺が戦力扱いされてるんだ。俺、前職ではコピー機のトナー交換が一番得意だった元営業事務だぞ。日本刀とか持った奴と戦えるわけがないだろ。
「とりあえず、魂の定数としての階位は確認できました。次は、実際にどのような能力が発現しているかの初期確認を行いましょう」
担当者の言葉に、俺は嫌な汗をかきながら頷くしかなかった。
*
午後三時頃。事務所の中では狭くて危険だということで、俺たちは黒瀬の運転する車で数分ほどの距離にある、汐見総合管理が管理している古い倉庫へと移動した。
中は薄暗く、埃っぽい匂いがする。資材や古い重機などがいくつか置かれているだけで、かなり広いスペースが空いていた。俺と担当者、そして源治、黒瀬、小野寺の五人がそこに立っている。
「三上さん、あなたはまだ自分の能力の制御に慣れていないはずです。ですから、無理に全力を出そうとはしないでください。あくまで『何ができるか』を確認するだけにとどめましょう」
「はい。分かりました」
俺は真面目に頷いた。……いや、そもそもどうやって超能力なんて使うんだ? 気合いを入れるのか? それとも頭の中で念じるのか?
「まずは、基礎的な身体能力の確認からです。そこにある木箱を押してみてください」
担当者が指差したのは、フォークリフトで運ぶような、中身が詰まっていそうな巨大な木箱だった。
「いやいや、これ絶対重いでしょう。一人で動かせるサイズじゃないですよ」
「無理そうならすぐにやめてください。ただ、軽く力を込めてみるだけで結構です」
俺は半信半疑で木箱に近づき、両手を当てた。まあ、ビクともしないだろうけど、一応やってみるか。そう思い、ほんの少し、自販機で固いボタンを押すくらいの軽い気持ちで力を込めた。
ズズズッ!!
鈍い摩擦音を立てて、巨大な木箱がコンクリートの床を滑るように動いた。
「……え?」
俺は目を丸くした。軽っ!? なんだこれ、発泡スチロールの箱か!? 俺は慌てて木箱から手を離した。
「ちょ、ちょっと待って! 俺、今全然力入れてないんだけど!?」
「すげえ!! 三上さん、めちゃくちゃ力持ちじゃないっすか!!」
小野寺が大はしゃぎで拍手をしている。
「いや、俺だって今びっくりしてるんだよ!! これどうなってんの!?」
「身体能力の大幅な強化が発現しているようですね」
担当者は手元のタブレットに何かを書き込みながら、淡々と言った。
「筋力、骨格の耐久性などが、常人の限界を遥かに超えるレベルで底上げされています。腰や関節への負担も無意識のうちに最適化されているはずです」
言われてみれば、今の木箱を押した時も、足腰に踏ん張るような疲労感は一切なかった。試しに、近くにあった鉄パイプを拾い上げ、両手で少し曲げてみる。グニャリ、と。まるで飴細工のように、鉄パイプがひらがなの『く』の字に曲がった。
「うわぁ……」
俺は自分の両手を見つめた。なんだか自分が恐ろしい化け物になってしまったような気分だ。
「……これ、普段の生活で大丈夫なんですかね? うっかりドアノブとか引っこ抜いちゃいそうで怖いんですけど」
「力の制御は練習次第で調整できます。当面は、日常生活で無意識に強い力を使わないよう、意識して行動してください」
担当者の冷静なアドバイスに、俺は何度か頷いた。次は反射神経と移動能力のテストだという。
「私が合図をしたら、あの十メートル先の赤いコーンまで、できるだけ早く移動してみてください。いいですか?」
「わかりました。普通に走ればいいんですね?」
「はい」
俺はクラウチングスタートのような姿勢を取り、担当者の「はい」という声に合わせて、地面を強く蹴り出した。――次の瞬間。景色が、一瞬で後ろへとすっ飛んだ。
「うおっ!?」
気づいた時には、十メートル先の赤いコーンを通り過ぎ、危うく倉庫の壁に激突しかけていた。俺は反射的に両足を踏ん張り、床にタイヤの痕のような黒いゴムの擦過痕を残して停止した。
「ちょ、三上さん!? 今の何すか!?」
後ろから小野寺の悲鳴のような声が聞こえた。振り返ると、源治も黒瀬も、信じられないものを見たような顔で固まっている。
「いや、俺にも分かんない!! 普通に一歩踏み込んだだけなんだけど!」
俺自身が一番驚いていた。まるで空間をスキップしたかのような、異常な初速。自分の身体が自分の想像を超えたスピードで動いている。
(……すげえ) 恐怖よりも先に、純粋な感動が押し寄せてきた。これが、超能力ってやつなのか。普段なら絶対に持ち上げられない物が軽く持ち上がり、風のように素早く動ける。まるで子供の頃にテレビで見て憧れた、スーパーヒーローになったような気分だ。三十四歳の冴えない派遣社員が、いきなり超人になった。
(……でも、なんでこの力を手に入れた場所が、ヤクザの事務所なんだよ。そこだけ、どうしても納得いかないんだけど!) 神様がいるなら、もう少しロケーションを考えてほしかった。
*
「身体能力の変化は、十分に確認できました。ただ……」
倉庫の一角で息を整えている俺に、担当者が少し不可解そうな顔で近づいてきた。
「ほかにも、少し気になる反応が観測されています」
「……ほかにも?」
「ええ。三上さんにとって都合の良い結果が、通常よりも起こりやすくなっている――つまり、事象の確率に干渉している可能性があります」
「……はい?」
黒瀬がスッと目を細めた。
「『幸運』に関係する異能ですか?」
「その可能性が高いです。ただ、どの程度の干渉力があるのか、簡単なテストをしてみましょう」
担当者はポケットから、ごく普通の六面体のサイコロを取り出した。
「これを振ってみてください。その際、頭の中で『出したい数字』を強く思い浮かべてください」
「……こんなので分かるんですか?」
「これだけで確定はできませんが、偏りが出るかどうかは参考になります」
俺は半信半疑でサイコロを受け取り、手のひらで転がした。(六。六が出ろ) コロン、と床に落ちたサイコロは、綺麗な『6』の目を出して止まった。
「……あれ?」
「もう一度お願いします。違う数字で」
(次は一) コロロン。出た目は『1』。
「……」
さらにもう一度。(三だ) コロン。出た目は『4』だった。
「ほら、やっぱり外れましたよ。ただの偶然じゃないですか」
俺が笑って言うと、担当者は首を振った。
「では、もう少し続けましょう。毎回、出したい数字を決めてから振ってください」
言われるがままにサイコロを振り続ける。外れることもあるが、思い浮かべた数字が妙によく出る。二十回振り終わったところで、担当者がタブレットの画面を見せた。
「追加の二十回では、望んだ目が十回出ています。試行回数はまだ少ないですが、普通のサイコロとしてはかなり大きな偏りですね。最初に観測した因果反応とも符合します」
「幸運……ですか」
「はい。まだ断定はできませんが、その系統の能力が発現している可能性は高いです」
俺はサイコロを見つめ直した。
「じゃあ、宝くじとか当たりやすくなるんですかね?」
俺の俗物丸出しの質問に、黒瀬が微かに口角を上げて笑った。
「どうでしょうね。都合よく一等を引けるほどの干渉力があるなら、我々のシノギも随分と楽になりますが」
「ですよねえ。でも、スクラッチくらいなら当たるかも」
(……いや、もし本当に運が良くなってるなら、今後の人生かなりイージーモードになるんじゃ? 怪我もしにくくなるし、宝くじも当たるかもしれないし。……あれ? この能力、意外と大当たりでは?)
俺は少し調子に乗り始めていた。自分が無敵になったような万能感。これなら、親分だの跡目だのという面倒な立場も、適当にやり過ごせるかもしれない。
「それで、担当さん。初代の盃の力ってのは、その二つだけなのか?」
源治が腕を組みながら尋ねた。
「今回の初期測定で確認できたのは、身体能力強化と、幸運の兆候のみです。初代が具体的にどのような力を持っていたのかも記録が散逸しており、歴代親分の力をどこまで継承できるのか、盃の仕組みはまだ不明です。追加の能力が発現する可能性は十分にあります」
「……つまり、まだ何か隠し玉があるかもしれないってことですか?」
「その可能性はありますね」
俺はゴクリと唾を呑み込んだ。マジか。まだこれ以上強くなるかもしれないのか。少しだけ、この異能者としての自分に興味が湧いてくるのを感じていた。
*
一通りの検査を終え、八咫烏の担当者は必要な安全上の注意点と、後日行われる正式な登録手続きの案内だけを残して帰っていった。俺たちは再び汐見総合管理の事務所へと戻ってきた。
時計を見ると、すでに午後四時を回っている。普通ならこれだけ動けばクタクタに疲れているはずだが、今の俺にはほとんど疲労感がなかった。(これも身体能力強化のおかげか。本当に便利だなあ)
俺が自分の身体の変化に感心している横で、源治は完全に上機嫌だった。
「いやあ、めでてえ! まさかTier3の逸材がうちに転がり込んでくるとはな! 今日は最高の日だ!」
「親父、浮かれるのは分かりますが、三上さんはまだ実戦経験が皆無です。強力な能力があっても、素人がそれを使いこなせるわけではありません。慎重に扱う必要があります」
黒瀬が冷静に釘を刺す。さすがは実務を取り仕切る若頭だ。
「分かってる分かってる! だがな黒瀬。うちも随分と小さくなっちまったが、まだ捨てたもんじゃねえな。これからの榊原一家は面白くなるぜ!」
源治は心底嬉しそうに笑っている。江戸時代から続く名門とはいえ、今の組員は十数人。斜陽産業と言っていい極道の世界で、久しぶりに舞い込んだ特大の希望が俺なのだろう。
源治は俺の肩をバンバンと叩こうとして、ハッと気づいたように手を止めた。
「……ん? 待てよ。お前さん、もう普通の人間じゃねえからな。下手に叩いて反撃でもされたら、俺の腕が折れちまうか?」
「いや、俺だってまだ力の加減が分かりませんよ!? 急に叩かないでください!」
「はっはっは! まあ、これから実戦でも積んで慣れりゃいいさ!」
俺は愛想笑いを浮かべながら、内心で激しく突っ込んだ。(実戦ってなんだよ。ヤクザの抗争とか絶対に参加しないからな。俺はあくまで事務員なんだから)
ひとしきり笑い終えた源治が、ふと真面目な顔になって黒瀬を見た。
「そういや黒瀬。さっき言ってた、三上に付ける若い衆の手配はどうした?」
「ええ。その件でしたら、すでに一人、適任の者を選んであります」
黒瀬の視線の先。事務所の隅で、もじもじと落ち着きなく立っていた男が一歩前に出た。
「……小野寺君?」
「はいっ!!」
呼ばれた小野寺は、これ以上ないほどの元気な声で返事をした。
黒瀬が源治に説明する。
「小野寺は、あの盃が反応した場に直接居合わせていますし、事の重大さも理解しています。それに、三上さんとも以前から仕事の合間に親しく話をしており、気心も知れているでしょう。当面の世話役としては適任かと」
「おう、そうだな」
源治も深く頷いた。
俺としても、これはありがたい提案だった。よく知らない、顔に傷のあるような強面のベテランヤクザをいきなり付けられるより、少しお調子者だが気のいい小野寺の方が、よほど気楽に接することができる。
「小野寺。お前、三上さんの世話役、きちんと務められるか?」
黒瀬が厳しい声で問う。
「はいっ!! ぜひ、俺にやらせてください!!」
小野寺は一秒の迷いもなく即答した。
「お前、これがどういう意味か、ちゃんと分かってんだろうな?」
「もちろんっす!! 俺、三上さんにはエクセルとか書類のことでずっと世話になってます! だから今度は、俺が三上さんの役に立ちたいんす!」
小野寺の目は真剣そのものだった。もともと仕事ができる先輩として懐いてくれていたところに、今日の超常的な出来事が重なり、彼の俺へのリスペクトは限界を突破しているらしい。(……小野寺君、本当にいい奴だなあ) 俺は少しホロリときてしまった。
「よし。じゃあ小野寺、お前は今日から三上の直属だ。身の回りの世話から護衛まで、しっかり働けよ」
「へいっ!!」
源治の許可が出た瞬間、小野寺は勢いよく俺の正面に立ち、直角に腰を折って深々と頭を下げた。
「三上の親分!! これからよろしくお願いします!! 一生ついていきます!!」
「…………」
俺の感動は、その一言で木っ端微塵に吹き飛んだ。
「……え?」
俺は固まった。
「ちょ、ちょっと待って。小野寺君?」
「はいっ、親分!!」
「親分!?」
「へい!!」
「いやいやいや!! 俺、まだ組長じゃないよ!? ただの派遣だよ!?」
「でも、初代の盃に選ばれた正統継承者で、Tier3のスーパー能力者じゃないっすか!! 俺の親分は、三上さんしかいねえっす!!」
「それとこれとは別だよね!?」
小野寺は満面の笑みで、忠犬のように尻尾を振っているのが幻視できるほどだった。俺が頭を抱えていると、見かねた黒瀬が咳払いをした。
「小野寺。三上さんはまだ正式に親父から跡目を譲られたわけでも、盃を交わしたわけでもありません。身内でそう慕うのは勝手ですが、外の取引先や堅気の前では、従来どおり『三上さん』とお呼びしなさい」
「はいっ! 分かりました、若頭!」
「分かればよろしい」
すると、源治が機嫌よく笑い飛ばした。
「まあいいじゃねえか。身内で親分と呼んで慕うくらい、可愛いもんだろ。少しずつその呼ばれ方にも慣れておけ、三上」
「親父……」
黒瀬は少し困ったような顔をしている。俺はもっと困っている。いや、全く可愛くないし、慣れたくないんですけど!?
黒瀬が改めて俺に向き直った。
「三上さん。小野寺をあなたの直属として付けることについては、よろしいですね?」
俺は少し考えた。正直、誰かを自分の部下にするなんて、面倒なことは御免だ。しかし、小野寺はすでに親しい。気心の知れた彼なら、むしろ色々と融通が利くかもしれない。
「……まあ、小野寺君なら、別にいいですけど」
「ありがとうございます、親分!!」
小野寺が飛び上がって喜んだ。こうして三十四歳の俺に、初めて『親分』と呼んで慕ってくれる直属の部下ができた。
*
翌日、火曜日。俺は普段どおりの時間に、汐見総合管理の事務所へ出勤した。
身体の調子は相変わらず絶好調だ。朝の満員電車で立ちっぱなしでも全く疲れず、駅から会社まで歩いても、足がまったく重くならなかった。しかし、だからといって俺の人生が劇的に変わったという実感は、今のところない。
「おはようございます」
いつものように事務所に入り、自分のデスクに座ってパソコンを起動する。メールをチェックし、今日処理しなければならない管理物件の請求書や、見積書のリストをエクセルで開く。
(……本当に、今までどおり仕事してていいんだよな?) 俺はキーボードを叩きながら、少しだけ拍子抜けしていた。もっとこう、ヤクザの跡目修行として滝に打たれたり、地下闘技場で戦わされたりするのかと思っていたが、現実は平和そのものだ。むしろ、異能を使って仕事がもっと便利にならないかな、とすら思い始めている。(エクセルの処理速度が上がる能力とかないのかな。……いや、身体能力が上がっても、タイピングが速くなるだけで計算は俺の頭でやらないといけないのか。駄目だな)
そんなくだらないことを考えながら作業をしていると、デスクの横に小野寺がシュバッ!と現れた。
「親分!! おはようございます!!」
「うわっ!? 小野寺君、声が大きいって!」
「すんません、親分! お茶淹れました!」
「いや、だから親分って呼ぶのは……」
「へい、親分!」
会話が成立しない。小野寺は朝から妙に張り切っていた。俺のデスク周りを綺麗に拭き掃除し、資料の入った重い段ボール箱を見つけると、俺が手をつける前にサッと抱え上げる。
「親分! こういう雑用は俺に任せてください!」
「いや、俺も持てるんだけど……むしろ今なら俺の方が軽々持てるし」
「駄目っす! 親分にこんな力仕事させられませんって! 俺の仕事がなくなっちゃいます!」
「……そういうものなの?」
「そういうものっす!」
俺は困惑しつつも、任せることにした。(……まあ、せっかく本人がやる気になってるんだしな。悪い気はしないけど)
しかし、事務仕事のことになると話は完全に逆転する。
「お、親分!! このオーナーさんへの報告書、どうやって数字合わせるんすか!?」
「だから、ここはVLOOKUP関数を使って別シートから引っ張るんだって。前に教えたでしょ」
「おおお!! さすが親分!! 一瞬で数字が揃った!!」
「いや、これ普通の操作だからね!?」
戦闘力や肉体的な強さでは、今の俺は小野寺を遥かに凌駕しているはずだ。しかし、デスクワークの能力でも俺の方が圧倒的に上で、結局は俺が小野寺の世話を焼いているような状態になっていた。(あれ? これ俺に部下ができたというより、手のかかる後輩の面倒を見てるだけじゃ……?)
俺がため息をついていると、向かいのデスクから森田さんが生温かい微笑みを向けてきた。
「三上さん、小野寺君がすっかり懐いちゃいましたね」
「……懐いたっていうか、なんかやたらと親分扱いされてるんですけど」
「ふふ。いいじゃないですか。あの子、ああ見えて根はすごく真面目ですから、三上さんの役に立ちたくて必死なんですよ」
「まあ、いい子なのは間違いないんですけどねえ」
俺は苦笑した。森田さんは、俺がヤクザの正統継承者だと判明した後も、これまでどおり普通に『派遣の三上さん』として接してくれている。それが、今の俺にとってはすごくありがたかった。世界の秘密を知って超能力を手に入れても、職場の人間関係がすべて劇的に変わってしまうわけではないのだ。
*
火曜日の夕方。定時が近づき、俺はその日のタスクをすべて片付け終えた。
「親分! 今日もお疲れさまでした!」
帰り支度をしている俺に、小野寺が元気よく声をかけてきた。
「お疲れさま。小野寺君も、色々雑用やってくれてありがとうね。助かったよ」
「いえいえ! 俺、親分の役に立てるなら何でもやりますから! 一生ついていきますんで!」
小野寺の真っ直ぐな瞳を見ると、無下に「やめろ」とは言いづらい。
「いや、無理はしなくていいからね。自分の仕事もちゃんとやるんだよ」
「もちろんっす!」
小野寺は元気に頷き、少しだけ顔を引き締めた。
「あ、親分。明日は午前中、ちょっと外回りの用事が入ってるんすけど、終わったら昼過ぎにはすぐ戻りますんで!」
「外回り? わかった。気をつけてね」
「へい! ありがとうございます、親分!」
俺は特に気にも留めなかった。小野寺には以前から、管理物件の巡回や修繕業者とのやり取りなど、外回りの仕事がある。俺の専属になったからといって、彼本来の組の業務がすべて免除されるわけではないのだろう。
会社を出て、夕焼けに染まる見慣れた商店街を駅へ向かって歩きながら、俺はこの数日間の激動の出来事を思い返していた。
江戸時代から続く呪物の盃。榊原一家の正統継承者。Tier3という強力な異能。常識外れの身体能力と、宝くじが当たるかもしれない幸運。そして、自分を「親分」と呼んで慕ってくれる、初めての直属の部下。
(……いや、客観的に考えたら、とんでもない非日常に巻き込まれてるよな)
しかし。職場は相変わらず残業なしで働きやすいし、時給二千五百円という破格の給料も保証されている。長年の悩みだった肩こりは消え失せ、身体の調子は人生で一番良い。小野寺は犬のように懐いてくれているし、あの厳格な黒瀬も俺の仕事ぶりを評価してくれている。親父と呼ばれる源治も、豪快だが案外話が分かるおっさんだ。
俺は駅の改札を抜けながら、ふと、口元が緩んでいる自分に気がついた。(……あれ? もしかして、今の生活って、そんなに悪くないのか?)
自分でその考えに至り、ハッとして頭を振った。(いやいやいや、待て待て。俺の派遣先、ヤクザのフロント企業だからな!? ヤクザの親分候補とか、普通に考えたら相当ヤバい状況だからな!?)
冷静なツッコミを入れつつも、最初の頃に感じていたような、今すぐ逃げ出したいという恐怖心は、かなり薄れている自分を自覚していた。
(……まあ、もう少しくらい、この生活に付き合ってみるのも悪くないか)
三十四歳にして、自分を「親分」と呼ぶ直属の部下ができた。思い出すのは、小野寺の満面の笑顔と、「一生ついていきます!」という力強い言葉だ。誰かにあそこまで必要とされ、尊敬されたのは、俺の平凡な人生で初めてのことかもしれない。
(……しかし、親分か) 電車の窓ガラスに映る自分の冴えない顔を見つめながら、俺は小さく呟いた。
「いや、だから俺、ただの派遣社員なんだけどね」
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